「アルスの会」タウンミーティング/理研「仁科センター」懇親会

「アルスの会」タウンミーティング/理研「仁科センター」懇親会

 「アルスの会」タウンミーティング理研(和光市)「仁科センター」で開催した。
理研ではかねてより建設中であった大型加速器施設RIビームファクトリーが完成した。そして、この完成に合わせて本年4月から仁科加速器研究センターが発足した。センターでは、矢野安重センター長の下に意欲的な新しい体制ができ、新しい企画がいくつも始まっている。その一つとして「仁科センター懇親会」が始まった。その第1回として「アルスの会」のタウンミーティングが採り上げられた。


タウンミーティング/仁科センター懇親会では、その主題と趣旨を次のとおり案内した。
(主 題) 「科学者の心に訴える - アルスの会は何ができるか」
(趣 旨) 「学術文化同友会: アルスの会の活動には、科学者の自由な発想に基づく意見をまとめて社会に
  訴える外向的な努力と、科学者自身の姿勢を正しその心に訴える内向的な努力を重ねるという二つの
  面があります。
   このうち、先ずは後者に重点をおいた活動から始めています。21世紀になって、科学技術に対する
  国の投資は大きくなり、競争資金等による研究資金は豊かになりました。このことは喜ぶべきことで
  ありましょうが、その傍らで科学者の心が蝕まれてることをも見逃すことはできません。論文捏造・
  不正経理などの事件が巷の話題を賑わしています。これは規制や罰則で解決できるものではなく、
  まさに科学者の心の問題です。何故そんな科学者が生まれたのか? どうすれば解決できるのか?
  広く意見を集めて討論を重ねたいと思っています。その魁となるタウンミーティングにしたいと
  思います。


ミーティングは、矢野センター長の司会で始まった。最初に矢野さんは伊達宗行先生のエッセイ「アルスへの回帰」を紹介し、アルスの会の名前の由来を説明して下さった。エッセイの前半はアルス文庫の伊達文庫に掲載しているもの と同じであるが、後半は違っていた。真っ黒なコールタールが宝の山になったように、放射性廃棄物もやがては宝になって欲しいという主旨であった。


つづいて中井がアルスの会の活動について報告した。アルスの会の基本理念はアルス・フォーラムNo.1にアピールしたとおり「文化としての学術を護る」ことにある。

アルスの会の活動報告

アルスの会は、2005年9月末に発足し8ヶ月を経た。その背景には1997年5月に開かれた「リンクス・リセウム」最終シンポジウムがあった。ちょうど科学技術基本法が成立した直後で「21世紀の学術と科学技術」というタイトルの下に次世代の学術と科学技術の展開を論じ合う会であった。それから10年の年月が流れ、社会の変革と並んで学術と科学技術の世界でも研究環境に著しい変化が進んでいる。その中で、20世紀後半の学術研究の発展を支えた学術会議中心の体制が大きく変質し、科学者主導のボトムアップの精神が危機を迎えている。特に、学術会議の変質によって研究者の意見・意思を反映するルートが狭くなっている。「民=研究者」の意見を汲み上げ活かす組織の育成が望まれる。
発足当初は、いろいろ考えさせられることが多く自信を失うことも多かった。会友を含む関係者の意見には「高い志に共感し、文化としての学術を護るという主旨に賛同する。」という意見に励まされると共に「何ができるのか?如何なる貢献ができるのか?」という具体性・実効性に対する疑問に深く考えさせられることが多かった。しかし、基本的な考えに対し多くの方の支持を得ていると感じることが多かった。
「何ができるのか?」という問いは厳しく終始頭の中にあって悩んで居た。この任意的に集った集団が行政に働きかけるには未熟である。問題提起はできてもそれ以上には進めない。しかし、アルスの会の活動には、社会や行政に働きかける外向的な努力と並んで、科学者仲間の心に訴える内向的な努力もあり得る。活動の初めは後者に重点を置き、次第に力を蓄えて行けば良いと気づいたとき、目の前が開けた。それには、先ず教育の問題に取り組もうと考え、アルス・フォーラムNo.2で訴えた。これはゆっくり時間を賭けて取り組むべきことである。そして、次は科学者の心に訴えるという問題に取り組むことにし、アルス・フォーラムNo.3で訴えた。論文捏造や不正経理など科学者の心が蝕まれている状況が巷で問題になっている。これはまさに科学者の心に訴える問題である。そこで先ず手始めに理研仁科センターの協力を得て、タウンミーティングを開いた。アルス論壇やアルス討論会で一層の掘り下げたいと考えている。


次にタウンミーティングの主題「科学者の心に訴える - アルスの会は何ができるか」にとりかかった。

論文捏造事件は何故起るのか?

論文の偽造・捏造は科学に対する信頼の失墜を招く恐るべき行為である。事件を起こした当事者が強く非難されるべきことは当然であるが、それ以上に事件が起った背景・環境・土壌を良く分析することが必要である。何故起るのか? 逆に、これまでは何故起らなかったか?と問いかけることが大切である。議論を重ね深めて行くことが大切であろう。ミーティングでは二つの視点を提示した。


[ 論文捏造は何故起るのか?] - 競争的環境の悪弊
初めに近年急増した論文捏造事件の事例を列挙した「電子ジャーナル情報」を紹介した。

事件名 研究内容
1 ソウル大・黄事件(1998-2002) ES細胞
2 東大工/産総研・多比良事件(1998-2002) 遺伝子研究
3 阪大医学部・下村事件(1998-2002) 内分泌代謝
4 Bell Lab.・Schoen事件(1998-2002) 高温超伝導
5 旧石器文化研・藤村事件(2000-2003) 旧石器発掘捏造
6 MaxDelbrueck Ctr.(Berlin)・Herman/Branch事件(1995) 薬学(?)
7 St.George Hospital(London)・Pearce事件(1994) 産婦人科
8 Tufts Univ.(Boston)・Baltimore/Imanishi-Kari事件(1986) 分子生物学 (後に潔白が証明された)
9 St.Luuk Hospital(Motreal)・Fisher事件(1985) 乳癌臨床試験
10 Sloan-Kettering (London)・Summerlin事件(1984) 皮膚移植実験

12件が挙げられているうち2件は捏造事件として数えることが適当でないと考えたので省くと、10件と数えられるが、そのうち8件は医学生物系の事件である。何故この分野に多いのか?いくつかの要素が考えられる。かねてより注目していたことであるが、この分野では競争が激しい。特に、書誌データによる研究評価が重視される。中井が行った書誌データに基づく調査「研究活力の国際比較」 の6, 7ページのデータを見ると各国とも「臨床医学」の論文数が他の分野に比べて圧倒的に多いことが解る。平均被引用度数のデータも同様である。この医学生物系分野では、このような形による競争が激しいことに気づいていた。この分野では研究成果の追試が重視されていないことも大きな要素であるという指摘もあった。


[これまでは論文捏造が何故起らなかったか?] - 学術会議が果した役割
一方、物理・化学など基礎科学の分野では捏造事件は考えられない程少ない。戦後の科学研究を成功に導いた学術会議中心の研究体制は、研究者の社会的責任を訴えつつ、大型計画の厳しい事前評価を重ね、共同利用研究体制を育てて、いくつかの大計画を成功させた。その中で研究者の「倫理観」「責任感の共有」「連帯意識」を育ててきたことを見落としてはならない。そのような環境で育てられた研究者にとって、論文捏造などという事件は驚きである。研究者主導の研究態勢の大切さが思い知らされる事件である。


この他にも。考えるべき要素は多い。今後の議論に期待する。