★ Ryu の 目・Ⅱ☆ no.171

春めいてきました。でもまだまだ寒い。三寒四温
福寿草が顔を見せました。(写真添付)

「3.11」から丸6年が経ちました。
まだまだ復興が重くのしかかっている現実があります。

上野での「行動美術新人選抜展」、銀座での「WORK TEN」の二つの展覧会も終わり、ホッと一息です。
ご覧いただき、ありがとうございました。

では《Ryuの目・Ⅱ−no.171》をお楽しみ下さい。


◆今月の風 : 話題の提供は空閑重則さんです。

−科学論文執筆雑感−

専門学術誌の査読依頼が月に十数件やってくる。畑違いのもの、時間が取れないとき以外はなるべく受けるようにしている。最近は高分子材料分野では中国からの投稿が圧倒的に多く、少々辟易している。 科学水準が低いから、というのではない。近年中国の科学研究経費の伸びは凄まじく、研究者の数も格段に増えている。 その中で生き残り頭角を出すには、少しでも評価*の高い雑誌に論文を出して研究者としての評価を上げる必要があるので、みな必死なのである。

さて科学的水準は他の国も(日本も)似たりよったりで、独創性のあるもの、面白いものは1割あるかどうか、まあ研究報文とはそんなものである。それはそれとして批判ないし助言すればよいのだが、中国からの投稿原稿にうんざりする理由は以下のとおりである。
①自慢語の濫用 novel, interesting, unprecedented, extraordinary, amazing,surprising, extraordinary など。学生がこういう原稿を書いてきたら「あのね、研究者は新しいのが当たり前だから、Novel は要らないの。面白いかどうかは読者が決めることだから自分でInteresting とは書かないの」と説教をするのが私の仕事である。
(「自慢語」は筆者の造語)
②略語の濫用 : 定義していない略語を使う。もっと質が悪いのは、一般的な言葉を何でも略す;また定義はしてあるが数回しか出てこない言葉を略す、などで論文が略語だらけになっているもの。これらは斜め読みをする読者にとっては大層始末が悪い。
③重複、無駄な言葉が多い: ワープロのおかげで、長い言葉も漢字変換の短縮登録やコピペによって簡単に入力できるので、長い専門用語・フレーズを繰返し使用する癖がある。英語のthe という定冠詞はこれをさけるためにあるのだよ、と学生に教えなくてはならない。

最近、日本の大学入試で論理性や読解力を重視しようという機運が強まっていると聞く。大いに結構と思うが、その一環として作文力を重視して欲しい。これは会話力にもつながる。テレビに出るスポーツ選手の談話で聞き苦しいのは、文章が切れないことである。論理的なつながりがないのに「〜〜で、〜〜」云々(でんでん)と繋がるのは「金魚の糞談話」と呼びたい。書き言葉でも、文章を控えめ・短めにし、繋ぐときは論理的つながりを明確にすべきである。 学術誌においても、優れた論文は記述が客観的・控えめで、内容の迫力で名文になるのである。

「評価の高い雑誌に論文を出す」話に戻る。日本の科学界も、十数年前から掲載雑誌の Impact Factor 重視の風潮が蔓延している。IFとは掲載論文の2年後までの平均被引用回数のことで、Nature などの広分野の有名誌は30程度、やや専門を絞った有力誌では10〜20、一般専門誌で良いものは6~8、並みの雑誌で1〜5といったところである。で、研究者の業績を定量化するために、報文掲載誌のIF値を合算することが広く行われている。しかしIFには次のような問題がある:
①良い雑誌に出たからと言ってよい論文とは限らない。論文自体の被引用回数が重要である。
②流行の分野・大型研究が幅を利かし、日の当たらない分野ではIF得点が稼げない。
③ほとんどの研究は共同なので、著者に入っていても貢献の度合いが分からない。(韓国ではIF点を著者数で割るらしい。したがって韓国人留学生・ポスドクは著者の数をなるべく減らそうとする)

このような批判はあっても、他に業績数値化のうまい方法というのはなかなか出てこないので、結局すべての研究者は少しでもIFの高い雑誌に論文を出すべく日々努力するのである。

余談: 中国人には同姓同名が非常に多い。漢字で書いてもそうなので、発音記号のないアルファベット表記ではそれに輪がかかる。例えば 王 健 はJ. Wang で、一号の雑誌にこれがいくつも出てくることになる。そこで同じ名前表記を持つ赤の他人の論文を業績に加えて点数を稼ぐ不正が中国人研究者にはあるという、あきれてものも言えない。
そもそも中国には姓の種類が非常に少ない。日本人の姓は 多い方から 鈴木、佐藤、田中 … となるが、10位まで合計10%、100位まで34%、500位まででやっと60% である。ところが中国では 李、王、張 … 10位の 周までで85%、20位まで数えればたぶん95%くらいではないか。(10位までの数字はネットによく出ているが、それ以下は苗字の順だけで統計がどうしても見つかりませ。ご存知の方、教えてください。)

筆者は以前、中国人の苗字が少ないことが不思議でならなかったが、実は当たり前の話で、姓を新しく作る仕組みがなければ減るしかない。つまり歴史の長い国ほど姓は収斂していくのだ。日本は明治期に武士以外の民衆が思い思いの姓を名乗ったので、歴史の長い割に苗字が多い。日本もあと5000年くらいたてば希少な姓は淘汰されて鈴木・佐藤・田中だらけになるはずである。筆者の姓などはあと50年もつかどうか。(もしかすると李、王、張が多数派になってたりして …

空閑重則:中国科学院理化技術研究所 招聘教授


◆今月の隆眼−古磯隆生
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−『大地の目覚め』その変遷・1−

2月の後半から始まった上野・東京都美術館での「第48回 行動美術新人選抜展」及び、銀座・ギャラリー風でのグループ展「第6回 WORK TEN」も終わり、昨秋からの「行動展」、「夏のあとさき」グループ展、、故郷・山口県宇部市での「第2回個展」と続いてきた作品作りも一段落。少し気持ちを解放し一息ついた後は、様々な表現の仕方のエスキースをし、秋に向けての準備に入ります。

“大地の目覚め”・・・このタイトルでパステル画を描き始めてから12年目に入りました。これまでこの“大地の目覚め”については、Ryuの目の2006年9月発信no.45・『私の夏休み』、2006年11月発信no.47・『甦る』、2008年10月発信no.70・『大地の目覚めについて』、2015年10月発信no.154・『重奏』で折に触れてその思いを綴ってきましたが、今回はその変遷について綴りたいと思います。

“大地の目覚め”第1作は2006年10月です。サイズは30号程(“大地の目覚め・雨上がり”…写真添付)。絵を始めて3年目、パステル画を始めてから2年目の作品で、武蔵野美術展に出品し銀賞を受賞しました(この展覧会で審査員から公募展への出品を促されたのが契機となり、翌々年からの行動展への出品と繋がっていきました)。
まだ絵を始めてから間もない頃でしたが、8月の雨上がりの井の頭公園を散歩していて目に飛び込んできた雨上がりの水溜まり、その水溜まりに映った樹木の光景に強い感動を覚えました。
その時の印象は「関東ローム層の黒っぽい土に浮かび、濃い緑を湛えたこの水溜まりは、あたかも黒い大地が忽然と瞼を明け、緑色の目で人間世界を覗いているようなシュールな光景にも思えた」。“これは私の絵のテーマだ!”と直感。
その印象をしっかり刻んで、ひたすらパステルのみで具象的に描いたものが第1作目です。私にとってはすべてがここから始まることになる非常に大切な作品で、私の絵の制作を後押ししてくれた妻に感謝のプレゼント。
※『私の夏休み』 http://d.hatena.ne.jp/vivant/20060910
※『甦る』 http://d.hatena.ne.jp/vivant/20061110

2作目は2008年9月の公募展・第63回行動展に初めて出品し入選した作品です(“大地の目覚め/冬・春”…写真添付)。
日本には様々な公募展があり(過ぎ?)、どの公募展に出品したものか見当がつきません。その中で3〜4の公募展は審査も公平でレベルが高いとのアドバイスを得、前年にそれらの公募展を観て回り、行動展への出品を決めました。
小さな習作を数点描いた後、四季折々の雨上がりの水溜まりの光景を4枚(各S40号程)描き、“冬”と“春”を組み合わせて1点として出品したものです(もう1点は“夏”と“秋”の組み合わせ)。“創作”の意味も分からず、ただただ描いていました。以降、毎年秋の行動展に出品することになりましたが、まだのめり込むほど入れ込んではいませんでした。
※『大地の目覚め』について http://d.hatena.ne.jp/vivant/20081010

2010年秋の第65回行動展に出品した「大地の目覚め/白」は、年明け早々から取り掛かった作品で、この作品で少し自信がつきました(写真添付)。
勿論、具象的ですが、画面の構成が意識され、自分なりにはなかなか描けた感じがしていました。しかし展覧開場で会員の方から講評を特に受けるわけでもなく、他の抽象作品の暴力的な強さに圧倒され、他の絵とのあまりの違いに自分の絵はこの行動展には向いていないのではないかと訝しく感じていました。
そんな時、「他と違うからいいんだよ」との貴重なアドバイスに勇気づけられ、以降又出品し続けることにしました。
2009年5月に東京から山梨に移住しましたが、仕事の関係で週の半分は東京生活。雨が上がりには時間を見つけては井の頭公園に出向き、ひたすら水溜まりを求め探し歩きました。もっぱら携帯で水溜まりを撮影しまくり、その中から構図を選んでいました。夜の水溜まりはどんな具合だろうかと、雨上がりの夜中に見に行ったこともありましたが、さすがに真っ暗でダメでした。
この年(2010年)の夏くらいから何か変調をきたし、1年半ほど不調に陥りました。結果的に「鬱」だったようですが、特に医者に相談するわけでもなく、“何かおかしいな、こんな筈ではないのに・・・”と思いながら辛く、長い時間を耐え忍ぶことになりました。でも絵は描いてた。

6回目の出品となった2013年の第68回行動展の出品作品は私にとっての記念的な重要な作品です。それまでの絵から一歩抜け出すことがやっと出来、第70回記念行動展での奨励賞受賞へと繋がっていった作品です。
これについては次回綴りたいと思います。


◆今月の山中事情131回−榎本久・宇ぜん亭主

−仕方がない−

「仕方がない」の言葉には軽い完了や重いあきらめが混在している。人間はいつも決断を求められ、その都度不確かな形で決断し「仕方ない」状況で答えを発してしまうことがある。それは必ずしも肯定ではないのに決定し、そのあと満足でなくとも「仕方ない」と自分に課す。仕事に於いては設定目標が厳然とあるので「仕方ない」度はあってはならないが、たとえば「死」に関しては複雑だ。人生はそういうものと暗黙の了解がありながら、それを目の当たりにすれば動揺する。まして肉親であれば尚更だ。
「仕方ない」と思わなければならないのは長患いの時かも知れないが、肉親間でもその差はある。
それまでの間何度も逡巡しながら自分に言い聞かせ、それでたどり着いた先が「仕方ない」であり、まさしく納得とあきらめの入り交じるつらい決断が多くの方が経験されていると思う。
何気なく使っている「仕方ない」という言葉だが、こうしてみると「仕方ない」は決断することと定義することのようだ。
「死」とか「苦渋」という重い選択ではなく、日常に於いてスムーズに進める為の方途の場合もあり、それこそ生きて行くには「仕方ない」ことなのかも知れない。

宇ぜんホームページ
  http://www012.upp.so-net.ne.jp/mtd/uzen/


◆Ryu ギャラリー
 今月の一枚は「行動美術新人選抜展」に出品した作品「大地の目覚め/重奏・煌」です。
  サイズは162cm×194cmです。
  (パステル+アクリル絵の具)
  お楽しみ下さい(写真貼付)。