取り調べの全面可視化――警察・検察は市民の良識を信頼して踏み出すべき


 毎日新聞の特集記事(末尾に引用する)に触発されて書いているわけだが、結論は表題に書いたとおりである。警察・検察は全面可視化へと踏み出すべきである。


 警察・検察が全面可視化に対して消極的な理由として、記事では次のようなことが言われている。

複数の幹部は「全面可視化すると検挙できなかったり真相解明できない恐れがある」と指摘。「特に暴力団犯罪の捜査は困難。しゃべったことが法廷で明らかになると報復されるからだ。治安悪化は必至」と強調する。

 これは特に、市民が裁判に参加するいわゆる裁判員制度(私自身はこの制度にはあまり賛成できないでいるが、それはともかく)の対象となる裁判の際に、全面可視化によって取り調べの状況が明らかにされ、それが警察・検察に対する裁判員の心証を害する、といった可能性を気にしての発言ではないかと思われる。


 しかし、もしこの推測が正しいのなら、警察・検察はもっと市民の良識を信頼して、あえて全面可視化へと踏み切るべきである。もちろん取り調べる側と被疑者との間では様々なやりとりが行なわれ、その中ではきつねとたぬきの化かし合いとでも形容すべきことも時にはあるのだろうが、犯罪をめぐって何が真実かについて判断する能力にかけては、警察・検察に比べて一般の市民が格段に劣るとは私には思えない。そこで問題になっているのは、要するに人間としての良識であり、その点で警察・検察に比べて一般の人間が劣るとは思えないからである。つまり、人生経験がものを言う場面にあっては、警察・検察と一般人の間に能力の隔絶した開きなどはないと思うからである。


 引用文中暴力団に関する部分については、例えば、裁判をその部分だけ非公開にした上で、問題の場面が収録されたビデオを開示するというようなことがあってよいのではないか。判決がその部分に触れる場合には、名前を伏せるなど必要な措置を施せばよいだろう。こういう理由で全面可視化が阻まれるなどということは、全く妥当でない。



 冒頭で触れた毎日新聞の記事は以下のとおり。

クローズアップ2009:取り調べ可視化 一部か、全面か 揺れる法務・検察
 <世の中ナビ NEWS NAVIGATOR>


 ◇「時間の問題」
 ◇菅家さん「自白」で焦点/「検挙にマイナス」
 4歳女児が殺害された足利事件(90年)で17年半もの間服役し、釈放され再審開始決定を受けた菅家(すがや)利和さん(62)。無実にもかかわらず自白したことで、取り調べに厳しい目が向けられている。冤罪(えんざい)防止のため、取り調べの全過程の録画・録音(全面可視化)に踏み切るべきなのか。「犯罪検挙に大きなマイナス」として導入を拒み続けてきた法務・検察当局を大きく揺さぶる事態になっている。【石川淳一、安高晋、小林直】


 ■日弁連が攻勢
 「刑事に髪の毛を引っ張られたり、け飛ばされたりした。13時間『お前がやったんだろう』と言い続けられ、怖くなって『どうでもいいや』と思って認めてしまった。(起訴されなかった79年と84年の)別の2件も体を揺すぶられて『お前だ、お前だ』と言われ怖くなって言った」。東京高裁による再審開始決定翌日の24日、菅家さんは東京都内で開かれた日本弁護士連合会主催の議員向け集会で当時を振り返った。そのうえで「調べの最初からビデオを設置してもらい、(取調室の)中をよく見えるようにしてほしい」と訴えた。


 日弁連は全面可視化について、以前から「取調室の中で何が行われたのか、はっきりした証拠を用意できる」と主張。足利事件を全面可視化への大きな足がかりと位置づける。一部を録画・録音する現在の一部可視化は「捜査側に都合の良い部分だけが収録されかねず危険」として、来月4日に東京・霞が関弁護士会館で市民向け集会も開き攻勢を強める。


 ただ法務・検察サイドの動きは鈍い。複数の幹部は「全面可視化すると検挙できなかったり真相解明できない恐れがある」と指摘。「特に暴力団犯罪の捜査は困難。しゃべったことが法廷で明らかになると報復されるからだ。治安悪化は必至」と強調する。


 菅家さん釈放翌日の5日の閣議後会見で森英介法相は「取り調べの効果を十分上げるには支障になるとの考えに変わりはない」と全面可視化に否定的だった。一方、佐藤勉国家公安委員長は同日「すべてが(全面可視化に)集約されるとは思っていないが、当然検討課題であり、警察としてどう対処するか考えなければならない」と違いをみせた。


 ■国会審議かぎ
 かぎを握るのは国会の動きだ。民主、社民両党が提出した捜査当局に全面可視化を義務づける法案は参院で可決済みだが衆院では審議入りしていない。昨年の通常国会でも衆院で審議入りせず廃案になっている。


 11日の参院法務委員会で民主党の松岡徹議員は、菅家さんへの自白強要について追及し、同じ民主党の松野信夫議員も「可視化すべきだ」と強調した。すると与党である公明党の木庭健太郎議員も「直ちに全面可視化するには危惧(きぐ)もあるが、少なくとも本当に全面導入できないのか本格的検討に入るべき時」と語った。


 「今回はDNA鑑定の問題。現行の一部可視化で十分だ」と語る法務省幹部もいる。しかし検察首脳は「足利事件の影響は極めて大きい。裁判員制度も始まっており、全面可視化はもはや時間の問題だろう」と語る。これまで実施に否定的だった捜査側を大きく揺さぶり、法務・検察当局が既に一枚岩とは言えない状況になっている。


 ◇英伊豪は「全面」 「おとり」や「司法取引」、多様な手法も
 英国やイタリア、オーストラリアは既に全面可視化を実施している。米国は一部の州だけ、フランスは成人の重罪など、韓国は検察官の裁量で実施・不実施を決めるなど限定的な運用だ。ただ米、英、イタリアなど多くの先進国が弁護士の立ち会いを認めており、取り調べに限れば、総じて日本より捜査側の制約は多い。


 一方、取り調べ以外にも多くの捜査手法が認められている。主流は罪を認めたり共犯者を告発する代わりに刑を軽減する「司法取引」や「刑の減免制度」。電話の交信内容を聴く「通信傍受」や、室内に録音機を置く「会話傍受」を取り入れる国もある。窃盗団に古物商を装って近づくなど容疑者に犯行機会を提供する「おとり捜査」や、身分を隠し相手組織の一員になりすます「潜入捜査」を制度化する国も多い。


 日本では通信傍受法に基づく傍受は薬物密売など年間約10件。おとり捜査も「薬物犯罪などで通常の捜査では摘発が困難な場合に許容される」と限定的に運用を認める最高裁判決(04年)もあり実施例はわずかだ。司法取引・刑の減免制度、会話傍受、潜入捜査は認められていない。


 検察幹部は「全面可視化するなら、新たな捜査手法が必要になる」と語る。


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 ■ことば
 ◇取り調べの全面可視化
 取り調べの全過程を録画・録音すること。現在実施しているのは一部の録画・録音(一部可視化)。調書完成後、自白した動機・経過、取り調べ状況を取調官が質問し容疑者が答えるシーンや容疑者が調書を確認、署名する場面などをDVDに記録。検察は08年4月以降、原則として自白した裁判員裁判対象事件で、警察は今年4月以降、同様の事件のうち将来自白の任意性で争いの起きそうな事件で一部可視化を実施している。