2007-12-07
■[教育][社会][政治] 沖縄戦「集団自決」に関する教科書検定問題――その後の動き
標記の問題に関して、ここへ来て若干の動きがあったようである。すなわち、朝日新聞の記事は次のように伝えている。
2007年12月07日
沖縄戦の「集団自決」をめぐる高校の教科書検定問題で、教科用図書検定調査審議会(文部科学相の諮問機関)が「集団自決は多様な要因で起きている」という考え方をまとめ、文科省を通じて教科書会社各社に伝えていたことがわかった。また、文科省は各社に記述の根拠の説明を求めており、教科書会社によってはより詳しく書き込んだ上で、改めて訂正を申請する方針という。
この問題では6社が訂正申請を済ませた。これを受け、検定審の日本史小委員会は沖縄戦や軍事史の専門家から意見をきいている。その結果、「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」という当初の検定意見は維持する一方、「軍官民一体となった沖縄戦で、集団自決は多様な要因によって起きた」という趣旨の意見をまとめ、こうした事情も記すよう求めているという。
この記事はひょっとすると毎日新聞の次の記事の後追いかもしれない。これも引用しておくと、
教科書検定:集団自決問題 「集団自決の背景は多様」 検定審が意向
沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題で、文部科学相の諮問機関・教科用図書検定調査審議会が複数の教科書会社に対し、「集団自決は多様な背景、要因がある」という検定審議会の考え方を伝えていることが6日、関係者の話で分かった。教科書会社側は同趣旨の記述をすることが必要と受け止めており、一部では訂正内容の記述を見直す会社も出ている。
関係者によると、検定審議会は文科省を通し、複数の教科書会社に記述の根拠や趣旨の確認作業を行っており、その際、検定審議会の考え方も口頭で伝えたという。
訂正申請をしている教科書会社の執筆者は「内容を詳しく書き換える。だが、(日本軍の強制性を明示する)趣旨は変わらない」と話している。【高山純二】
毎日新聞 2007年12月7日 東京朝刊
同じニュースをNHKは、「検定方針に変わりはない」という形、つまり政府寄りのスタンスで報じている。その記事(リンクはこれとこれ)も引用しておくと、
“集団自決 命令の資料ない”
高校の日本史の教科書検定で沖縄戦の集団自決に日本軍が直接関与したとする記述が削除された問題で、文部科学省の審議会が「集団自決に関して日本軍の命令を示す資料は見つかっていない」とする指針をあらためてまとめていたことが明らかになりました。
この問題は、来年4月から高校で使われる日本史の教科書の検定で、沖縄戦で起きた集団自決に関する記述から日本軍の直接的な関与が削除されたものです。これに対して、沖縄県で反発が強まり、文部科学省が教科書の記述の修正を認める方針を示したことから、これに促される形で集団自決について記述した6つの教科書会社すべてが記述の修正を求める訂正申請という手続きをとりました。申請された記述は多くが日本軍の関与をこれまでより強める形になっていて、文部科学省は教科書検定審査会を開き、沖縄戦の専門家などから意見を聞くなどして申請された記述を認めるかどうか審議を進めています。その結果、審議会が「集団自決は日本軍など軍・官・民が一体となった複合的な要因で起きた」とする一方で、これまでどおり「今のところ日本軍の命令を示す資料は見つかっていない」などとする指針をまとめ、文部科学省を通じて教科書会社に伝えていたことが明らかになりました。これを受けて、教科書会社は、集団自決に至る背景などを詳細に書き込んだうえで日本軍の関与についての表現を考慮した記述に修正してあらためて申請を行う方針です。12月7日 4時33分
この問題については本ブログの過去記事でも多少は言及しているが、しかるべく詳細に扱ってきたとは言えない。そこで、少し事実をまとめておくことにする。
沖縄戦における「集団自決」に関する教科書の記述の中から、軍による強制を記した記述を一切排除しようとする検定結果が出されたのは2007年3月末である。これに関して、文部科学省のWebサイトにある「教科用図書検定調査審議会 総会(18年度第1回)議事録」(この「総会」は3月30日に行なわれている)から関連部分を引用しておくと次のとおり。
「日本史」では、近・現代史を中心として、南京事件の犠牲者数、沖縄戦の実態などの記述について、現在の学説状況に照らして、修正を求めました。また国旗・国歌問題、イラク戦争などに関しても、事実関係に即した記述への修正を求めました。
検定意見がこの時に変更された事情については、本ブログの過去記事で民主党の川内議員の話として紹介したとおりだが、過去記事を一々見ない読者も多いだろうから(大部分の読者はそうだろう)、ここで繰り返しておくと、検定の方針を示すものである調査意見書を作成する教科書調査官(官僚)が、日本軍による強制を記した記述を教科書の中から一切排除すべきだとする調査意見書をまとめ、そしてそのような内容の意見書が、専門家を委員とする教科用図書検定調査審議会の場で、沖縄戦の問題に関して(異論はおろか)何らの発言もないままに承認され、そしてあのような検定意見となった、ということのようである。つまり、文部官僚自身が教科書検定を曲げたのである。
この時の教科書調査官が誰だったかは、その後明らかになった。すなわち、「衆議院議員赤嶺政賢君提出沖縄戦の強制集団死(「集団自決」)をめぐる文部科学省の検定意見に関する質問に対する答弁書」によると、日本史担当の教科書調査官が誰だったかについては
とある。このうち、近現代史を専門としているのは照沼康孝と村瀬信一であり、2人とも伊藤隆(「つくる会」歴史教科書の執筆者の1人)の指導を大学院で受けたとのことである。主としてこの2人が検定歪曲にかかわっていたのだろうと推測される。
この問題は4月上旬から新聞紙上で取り上げられており、それに合わせて国会審議でも話題とされている。そのような国会審議の例として民主党の菅直人氏と安倍首相(当時)及び伊吹文科相(当時)のやりとりを、本ブログでは過去に記事として載せて論評を加えている。この記事を見てもらえば、今回の検定の詭弁がどこにあるかは明白だろうと思うが、一々見ない読者も多いだろうから(大部分の読者はそうだろう)、ここで繰り返しておくと、
(書きかけ)
2007-08-28
■[教育][社会][政治] 民主党の実力派議員、川内博史氏の話
ビデオニュース・ドットコムが流しているいくつかの番組の中で、『永田町コンフィデンシャル』は、率直に言って、私があまり評価しないほうの番組である。司会者に問題があると思うからなのだが、しかしながら例外的にと言うべきか、今回は良かったので、ここで紹介しておきたい。一言で言えば、ゲストが良かったのだと思う。
そのゲストである川内博史民主党衆議院議員は、BSE問題で注目を集めただけでなく、中古電化製品の流通に大打撃を与えかねない稀代の悪法として昨年話題となった「電気用品安全法」の問題でも活躍されており(これに関しては例えば議員のブログのこの記事を参照)、国会を舞台として活躍できる実力派議員の一人と言ってよい。そのような議員はやはり、傾聴に値する話をいくつも持っておられるようである。ここではその中で、豊洲新市場をめぐる問題、及び、沖縄戦をめぐる教科書検定の問題に触れておきたい。
豊洲新市場に関する議員の話は極めて明快で、問題は2つあると議員は言う。1つはもちろん土壌汚染の問題であり、驚いたことに、土壌汚染或いは土壌をめぐる環境の問題は、法律ではもっぱら住宅建設などとの関連でのみ扱われているようで、つまり築地市場移転というようなケースは、法律では全く対応できていないのだという。また、川内議員は、残念ながら先般再選されてしまった石原都知事の不見識を指摘してもいる。すなわち、石原都知事は築地市場の移転の必要性を言うために、築地市場の建物のアスベストの問題を言うが、川内議員によればそのアスベストは既に対策が施されているとのこと。のみならず、仮に築地市場のアスベストに問題があるのであれば、それは即、管理者である東京都が現に法令違反をやっていることを意味することになるが、石原氏はそれを理解しているのか、と議員は指摘している。これまでに行なわれた豊洲新市場予定地の土壌調査は極めて粗いものらしく、30メートルメッシュ(要するに、土地を30メートル四方で区切って、その区画ごとに調査を行なうという意味で「メッシュ」と言っているのだろう)で深さはせいぜい数メートルだったが、近年改正された法律に従うなら10メートルメッシュで、汚染が見つかるまで掘り下げなければならないという。つまり、調査は明らかにやり直しの必要があるということである。
豊洲新市場のもう1つの問題は、この予定地が埋立地であり、陸地とは2本の橋でつながるのみだということ。近未来に起こると想定されている東京大地震の際には埋立地は液状化し、橋が崩落し、要するに市場が陸の孤島となる可能性があるが、そうなった場合、食料の安定供給はどうなるのかという問題があるという。これに対して、築地は関東大震災にも耐えた場所である。・・・以上紹介した議員の話に照らすなら、築地と豊洲と、どちらが適地かは明らかだろう。
次に、沖縄戦をめぐる教科書検定の問題については、本ブログでもそれをめぐる委員会審議を過去に取り上げたことがあるが、その委員会審議では、内閣は検定には一切関与せず、専門家を委員とする教科用図書検定調査審議会が決めたことを受けて文部科学相が決定するという、手続きの流れが形式的に説明されていた。しかし驚いたことに、川内議員の調査によると、実態は全く異なっているという。
つまり、今回の検定で、前回の検定と異なる修正要求が出るに至ったのは、専門家委員の発言によるものではなく(川内議員が調べたところによると、上記の審議会においては、専門家委員は沖縄戦の問題に関して何も発言していないとのことである)、検定の方針を示すものである調査意見書に文部官僚が、沖縄戦に関して前回の検定と異なる文案を載せたからだというのである。今回の検定が前回の決定と異なるに至ったのは、文部科学省側の態度変更によっているのであり、専門家委員はその変更を単に黙認した、というわけである。
ではなぜ文部官僚はそのようなことをしたのか。この点について川内議員は、下村官房副長官が安倍政権成立の直前に或る集会の中で、歴史教科書の記述については今後は官邸がチェックをすると言った、また、安倍首相自身も幹事長時代に、教科書に関する自由民主党の議員連盟の総会の中で、教科書の記述を変えさせるために文部科学省に働きかけをしなければならないと言った、と指摘し、安倍らのこのような動きを敏感に受け取った文部官僚の側が、言わば上の意を体してだろう、今回の検定での改悪に至ったということを示唆しておられる。さらに川内議員は、(例えば「狭義の強制性」という言葉によって従軍慰安婦問題全体を否定しようとする、といったように)一部を否定することによって全部を否定するという安倍の詐欺的なレトリックを指摘しておられる。
川内議員のこの指摘は極めて注目に値する。上で述べた委員会審議で安倍が、自分は検定には介入していないということを盛んに強調しているだけに、なおさらである。
その他にも、川内議員は、過労死の問題について「自己管理の問題。他人の責任にするのは問題」と言った奥谷禮子の暴言(当時厚生労働省労働政策審議会臨時委員(労働条件分科会会員)だった)を国会で取り上げるなど、今の国会になくてはならない人材である。今後の一層の活躍を期待したい。『永田町コンフィデンシャル』も、こういうゲストを今後どんどん取り上げるなら、もっと評価に値しよう(角谷氏は保守政治家にこだわっているようだが、それに限らず広範にゲストを呼ぶようにしてはどうだろうか)。
それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。
2007-04-22
■[教育][社会][政治] 教育再生特別委員会での首相・文科相の不埒極まる発言
4月20日の教育再生特別委員会の映像を見たが、答弁における安倍と伊吹の不埒極まる詭弁には必ず触れなければならない。会議録が出るのを待ってこの項を書き改めることにしたい。
追記
以下会議録から引用し、コメントを加えることにする。この委員会の時に問題となったのは、例の沖縄戦での集団自決に軍の関与があったかなかったかという点で、これより少し前に教科書検定で、軍の関与があったとする教科書の記述がすべて修正させられた(軍の関与については触れるなという意味での修正要求)ということがあった、その点をめぐる話である。なお、引用に当たっては、文意を変えない範囲で一々断らずに言葉を省略していることをお断りしておく。
○菅(直)委員 今、沖縄の皆さんが大変怒っておられることがあります。
それは、まさに今おっしゃった六十年前の戦争で、沖縄の皆さんは、米軍の上陸の中で、県民の四分の一あるいはそれ以上の方が命を落とすという大変悲惨な体験をされました。その中で、集団自決ということがあちらこちらで起きて、そのことが、従来は、軍の指示あるいは命令による集団自決という形で教科書に載せられていたということでありますが、それが検定の中で外されるということになってきた。これに対して、これはきょうの沖縄タイムスでありますが、沖縄タイムスの中では、軍の命令だったということを、軍命ということを、実際に体験した人々がいろいろ証言されている、そういうきょうの新聞がここに、手元にあります。
この検定の過程について、どういう議論があったのか、説明を、大臣でもどなたでもいただきたいと思います。
○伊吹国務大臣 自公の大臣あるいは自公のイズムで教科書が決められるということはありません。また、菅さんが総理になられてもそういうことをやってもらっちゃ困るというのは、これは日本の仕組みです。
したがって、私がこのことにお答えするというのは本来極めて不適切だと思いますが、家永裁判以降の検定のあり方というのは、教科書に対する客観的な専門家の調査によって、両論あることを一方だけ書くということはやらない、あるいは自分のイズムでもって書くということは認めない。
ですから、客観的な記述になっているかどうかということだけをやっているわけで、今の御指摘についていえば、私は検定結果ということに介入をしておりません。その結果を後で教えてもらっただけですが、集団自決に対して軍の関与がなかったとは書いていないんですよ。あったということについてはいろいろな説があるから、そこのところは中立的な記述にするということだけであって、あったとか全くなかったとか、そういうことは一切書かれていない、そういう議論が行われたということでございます。
○菅(直)委員 四年前の検定では軍の命令というものが記述されていて、今回それが、検定で意見が付されて、そして修正された。それが間違いないとすれば、前回と今回、どういう根拠でそれの判断が変わったんですか。
○伊吹国務大臣 これも、根拠について私がお答えするということは、私は検定内容に立ち至っているということですから、本来不適当だと思いますが、検定の後、先生の御質問と同様の質問が幾つか国会でありましたので、そのプロセスを事務当局に、つまり検定審議会の事務局を務めている文科省の課に伺ったところ、その後、御承知のように、そうではないんだという裁判を起こされている方もあり、その裁判の中で両方の御意見があった、だから一方に偏った記述をするということは避けるべきだという検定意見があったということでございます。
○菅(直)委員 そこが大変問題なんですよね。
当時の客観状況、つまり、昭和二十年の三月、米軍が上陸してきた時点で沖縄は完全な軍政下にありました。そして、軍、官、民、共生共死、つまり、軍人と官僚と民間人はともに生きともに死ぬ、そういう考え方が徹底をされておりました。そして、当時の、やめてはおりますが、陸軍大将であった東条英機大将が戦陣訓の中で、生きて虜囚の辱めを受けるな、このことを軍人に対して徹底をしていた時代であります。
また、自決された多くの方は、手りゅう弾によって自決をされております。その手りゅう弾は、軍が持っていたものが何らかの形で多くの県民に渡されて、それによって自決をされております。それ以外の手段の方もおりますが、それによって自決をされております。
こういう全体の状況から見れば、軍政下にあって、いろいろな事例があるでしょう、島や、沖縄のいろいろな場所がありますから。その中で、部分部分でどういう指示が明示的あるいは暗示的にあったかは別として、トータルとしては、共生共死、ともに生きともに死ぬんだ、玉砕なんだ、徹底抗戦なんだ、その中で、最終的に、自決をされた人が、軍から配られた手りゅう弾で命を落とす。これが軍の命令あるいは軍の指示によるものでないとなぜ言えるんですか。
一つの裁判が行われていることは知っています。まだ結論は出ておりません。また、その裁判は、個別のある軍人が何を言ったかというところでの議論だと聞いておりますけれども、この沖縄の集団自決という問題は、裁判になったところももちろんありますが、裁判に関係のない地域でも、かなりの規模で起きたと言われておりまして、そう考えると、イズムに影響されるべきでない、総理もそう言われ、伊吹大臣も言われますが、このことを推し進めたグループは、たしか自由主義史観研究会という方が一生懸命だと思いますが、総理、この代表の藤岡さんという方は御存じなんじゃないでしょうか。いかがですか。
○安倍内閣総理大臣 知っていることとそれは全く関係ないんじゃないですか。だれを知っているかということを一々この委員会で私が答えるのに何が意味があるんですか、この教育三法案と。(発言する者あり)
○菅(直)委員 いいですか。総理が割と切れやすいのは聞いていましたが、きょう午前中、中山さん……(発言する者あり)きょう午前中の中山さんが質疑をされましたよね、従軍慰安婦について。従軍慰安婦について中山さんもされておりましたけれども、この問題を取り上げている中心的なグループの、教科書をつくる会の副会長で、また、今申し上げた自由主義史観研究会の代表で、その方は、何度か中山さんや、あるいは中川政調会長のもとにいろいろと陳情されているので、一つのイズムを持った方だと思うんですよ。
問題なのは、しきりと伊吹大臣あるいは総理までが、イズムに左右されないバランスだと言われるから、バランスがとれた判断がされているんですかということをお聞きしたくて、総理、こういう方を御存じですかと言った途端に、何でそんなに切れなきゃいけないんですか。
もう一度お聞きしますが、この方とお会いをされて、従軍慰安婦とかあるいはこの沖縄の集団自決について、陳情を受けられたり、あるいは議論をされたことはありませんか。
○安倍内閣総理大臣 まず、切れたという、いきなり決めつけは失礼ですよね、それは。だれが考えたって。私は菅さんより切れにくいと思いますけれどもね。はっきり申し上げておきますけれども。
そこで、藤岡さんはこの検定には全く関係ない方ですから、検定に全く関係ない方について、知っているかどうかということをこの委員会で聞くのは全く無意味な質問だな、こう思い、そう申し上げたところでございます。
議論の途中だが、安倍は他人の批判を受けつけないと聞くが確かにそのとおり、こういう応対を見ても、安倍お坊ちゃんがいかに度量の小さな人間であるかということがよくわかるというものである。
委員会の審議の続きを見ることにする。
○菅(直)委員 総理や文科大臣自身が、イズムに左右されない、バランスをとったということを言われたから、そういう強烈なイズムを持った方の主張をお聞きになったことがありますかと聞いたら、何でそれを聞いちゃいけないんですか。なぜそれが全く議論がないんですか。教科書問題というのはこの委員会で取り上げちゃいけないんですか。教科書をつくる会というのは、教科書問題でまさにこの自虐史観のことを追及しているグループなんでしょう。
○伊吹国務大臣 教科書検定調査会というものは全く中立的な立場で御判断をされて、そして、その御判断について、家永裁判以降どういう判決があり、どういう運用をしているかというと、文部科学大臣の諮問機関として、教育的、学術的専門家である教育職員、学識経験者を委員とする教科用図書検定調査審議会が設置され、文部科学大臣の合否の決定は同審議会の答申に基づいて行われているということであって、藤岡さんとかなんとかの歴史の会だとかという方に、私も、総理、総理は、それは総理になる前にお会いになっていたかわかりませんが、教科書検定については一度も我々は会ったこともありませんし話したこともありません。
○菅(直)委員 それでは、少し話の角度を変えて申し上げてみます。いいですか、先ほどのことです。
先ほど申し上げたように、当時の沖縄の全体状況を考えますと、軍から渡された手りゅう弾で自決された方が大勢いたということが、軍の関与があったかなかったかについては両説あるから中立的な形に表現をするようにしたという担当者からの説明を受けたと、先ほど伊吹さん、たしか正確に言えばそう言われましたね。
しかし、軍の関与があったかなかったか両説あると言われましたが、今申し上げましたように、私の知る限り、あるいは沖縄の体験者が知る限り、当時の状況を知る限り、個人が手りゅう弾を持っていますか、一般民間人が手りゅう弾を持っていますか。軍が持っている手りゅう弾が何らかの形で一般の人たちに配られて自決をしたときに、軍の関与がなかったという主張が、それは主張する人がいるかもしれませんが、主張が成り立つとは思えませんけれども、聞いておられる皆さん、いかがですか。
○伊吹国務大臣 聞いておられる方がどういう判断をされるかは、聞いておられる方にまずゆだねたいと思います。
まず、菅さんは、それじゃ、自決をされた方はすべて軍の強制によって自決をされた、そしてすべて……(発言する者あり)いやいや、ちょっと待ってください。だから、すべて手りゅう弾で自決をされたと言い切れないでしょう。だから、先ほどから言葉を選んでうまく言っておられますよ、多くの方はとか、ある地域ではと。
だから、今回の、私が直接関与しているわけではないけれども、専門家が言われたのは、軍の関与がなかったなんて一言も言っていないんですよ。軍の関与がすべてあったということではないということを言っているだけなんですよ。だから、一方に偏った記述はしないんだというだけのことです。
○菅(直)委員 今また伊吹さん、うまく言葉を継ぎましたね。すべてという言葉を入れましたよね。しかし、今度の検定は、別にすべてということを言っているんじゃありません。沖縄でそういう歴史的事実があったかなかったかという検定なんです。軍が関与してそうした集団自決があったかなかったかということなんです。
それは、そのケースが一件であったか百件であったか、あるいは、いろいろな形の自決があった中で、それが一割であったか五割であったか、それを聞いているんじゃないんです。すべてであったかどうか、それは私も、すべてというのは一般的にあり得ないでしょう、すべてという言い方は。現実に、手りゅう弾がなくて、かまや他のものでお互いに殺し合う形で自決したという報告もありますから。
しかし、軍が関与した、そういう形での集団自決があった。今、文科大臣がすべてということを言われた。逆に言えば、すべてではないけれども、少なくともそういう事実があったということを半ば含んでおられます。それならちゃんと認めるべきじゃないですか。なぜそれを、四年前まで認めた検定を変えられたのか、その根拠をお聞きしているんです。
○伊吹国務大臣 何度も申し上げているように、すべてのことについて軍の関与があれば、ということが真実であれば、そのような教科書ができるんですよ。だけれども、すべてあったか、すべてなかったか、どちらでもないから、一方的な記述はよくないという検定をされたんだと私は理解しております。
菅さんも、もう十分よくおわかりになってテレビの前でうまくお話しになっているんですよ、すべてのとか、あらゆるところと。
だから、今回は、全くなかったなんということは一言の検定意見としても付されておりませんよ。だけれども、全くあったということもないということなんですよ。
○菅(直)委員 四年前にどういう表現、あるいは、今回も、申請段階での表現と検定後の表現が書かれておりますが、検定前の表現にも、すべて軍の関与があったとかということを書いた検定前の段階の文章はありません。すべてなんて書いた検定前の文章はありません。いろいろな表現になっておりますが、そういう事実があったということが触れられているわけで、何もすべてだと言っているわけじゃありません。
それを、すべてとは言えないから今回からはだめですよというのは、何らかの判断が変わったと見ざるを得ないんですが、どういう理由で変わったんですかということを私はお聞きしているんです。
○伊吹国務大臣 何度も申し上げておりますが、すべてなかったということもなければ、すべてが軍の強制によって行われたという記述もないわけであって、今お話しになったように、軍の強制があった一部においてはとかという教科書になっていますか、従来の教科書が。なっていないんじゃないんですか、従来の教科書は。だから、誤解を生む表現はやめようという検定結果が出たということですよ。
ここまで来れば話のポイントは明らかだろう。つまり、教科書検定で問題となったのは、集団自決について軍の関与があったという教科書の記述が修正要求によって削られたということである。「すべての集団自決について軍の関与があった」という記述ではなく、単に「集団自決について軍の関与があった」という記述が修正の対象となったのである。それなのに、伊吹という大臣は、「すべてが軍の強制によって行われたわけではないから、軍の関与があったという記述は誤解を生むのでやめにしようという検定結果が出たのだ」と説明している。明らかに話をすりかえている。問題が問題なだけに、実に許しがたい詭弁と言えよう。
委員会の審議の続きを見ることにする。
○菅(直)委員 では、これは総理にもう一度、当時の全体状況の見方について御意見を聞きたいんですね。
昭和二十年の初頭といえば、私、小沢代表と硫黄島に九月に行ってまいりましたが、硫黄島が玉砕をした直後に当たるんでしょうか、その時代であります。あそこでも、最後にごうに残られた多くの方が自決をされております。これは全員軍人ですよね。そういう当時のことであります。ですから、仲井真新沖縄知事は、こういうことに対してちょっと疑義を感じる、当時の状況全体を考えると関与がなかったと言えないんじゃないかということを示唆されています。
そこで、先ほど申し上げました、当時、軍、官、民、共生共死という考え方で、軍人に対しては、捕虜になるぐらいなら死ねという指導が行き渡っていて、かつ、軍から手りゅう弾が何らかの形で何人かには配布されて、そして集団自決ということが起きた中で、やはり総理、軍の関与があったというのが自然の見方じゃないでしょうか。
○安倍内閣総理大臣 菅さんは、間違っているから積極的に介入してそういうことをするべきだとおっしゃっているように伺えるわけでありますし、菅総理が実現した際には、御自身のいろいろな事実認定においてどんどんこれは介入されるんですか、私はこのようにお伺いをしたい、このように思うわけでありますが、教科用図書検定調査審議会において、専門家がこういう事実認定において議論をして、そして、どういう意見をつけるかということを決めているということでございます。それがすべてではないでしょうか。
○菅(直)委員 総理は最近なかなか攻撃的になって、私が聞いたことには答えないで、私が総理になったときにはこうするだろうなんということまでわざわざ言っていただいているんですね。
私がお聞きしたのは、検定に関与したかしないか、あるいはしたんじゃないかなんということを私は一言も言っていません。そんなことは一言も言っていません。
そうではなくて、総理自身、大変歴史に、特に太平洋戦争の戦前戦後の歴史にある意味では詳しいから、あるいは非常に関心があるから戦後レジームの脱却、そういう言い方をされているんじゃないんですか。ですから、その戦後レジームの脱却という中に、戦後レジームと言われるものの中に、あるいは従軍慰安婦の問題、あるいは軍関与による集団自決の問題。昨日、文芸春秋を読んでいたら、その中で総理が対談をされておりますけれども、少なくともその相手の方は、岸元総理のそういう責任を否定されると思った、それこそが戦後レジームの脱却じゃないですかなんということを相手側が言われておりましたけれども。
つまりは、総理が考えられている沖縄戦の見方について、総理御自身の見解を私は聞いているんです。検定の関係を聞いているんじゃないんです。例えば、今言われたように、沖縄の知事はそういう言い方をされました。
総理自身も先日沖縄に行かれたじゃないですか。残念ながら、沖縄に行かれたけれども、この問題は一言も触れられませんでしたよね。私は宮古に行きましたけれども。総理は、沖縄に行って、沖縄戦の、この沖縄の人たちが非常に関心を持っていることに触れられませんでした。総理自身は、沖縄戦においてのこういう歴史的な事実についてどのように考えられているのかということを、総理自身のお考えを聞いているんです。私が総理になったときのことまで心配していただかなくても結構であります。
○安倍内閣総理大臣 今、沖縄の補欠選挙について、私の演説について触れられましたが、まさに沖縄の選挙があるからこんな議論をされているんですか。違いますよね、もちろん。それは違うと私は信じたい、このように思うわけでありますが、それは全く別の話だろう、このように思いますよ。
しかもこれは、いわば史実がどうであったかという議論であって、総理大臣がそういうことを一々ここで言うべきなんでしょうか。それは専門家が議論し、調査し、そしてその上で意見をつけることではないですか。私が一々そこで判断できるんであれば、教科書の検定を私が一人でやるということになるじゃないですか。そうでしょう。そうではないんです、そうあってはならないから、イズムとは離れたところにおいて、先ほど申し上げましたような審議会において、冷静沈着な、そして学識に裏づけされた議論をすべきであろう、このように私は思うわけでございます。(拍手)
○菅(直)委員 選挙をやっているときに、選挙にかかわる地域の問題を国会で取り上げるのは大いにやるべきじゃないですか。何でそれがやっちゃいけないんですか。選挙の中で、例えば米軍再編の問題を、米軍再編の問題を、沖縄に大変かかわりのある問題を、ではなぜ議論を避けるんですか。逆に言えば、沖縄の人たちが一番関心を持っている問題を、地元で選挙があるならば言えばいいし、国会でも取り上げればいいし、なぜそれがおかしいんですか。私はそれを封殺する方がよっぽどおかしいとまず思いますよ。
それから、歴史的な事実に対して総理がいろいろ言うのはいかがなものか、いかがなものかと。しかし、総理は、従軍慰安婦の問題で、参議院の我が党の議員の質問に対して、狭義の強制はなかったけれども、広義の強制はあった、そういう答弁をみずからされているじゃないですか。歴史的な事実に対して、質問に対してみずから答えられているじゃないですか。この場所では、私が聞いたら、そんなことを答えるのはいかがなものか。ダブルトークじゃないですか。
つまりは、自分が都合のいいときだけは私の考えですと言って答えながら、あるいはこういう本で述べられながら、都合が悪いときになると、いえ、それは答えるべきことでない。これはやはり、政治家としては本当にひきょうな態度と言わざるを得ませんね。いかがですか。(拍手)
○安倍内閣総理大臣 ひきょうな態度というのは、それは失礼ですよ、余りにも。菅さん得意の、すべてをごちゃごちゃ混同させて一つのイメージをつくっていくという論法が今回も明らかになったということは、私はまずはっきりと申し上げておきたいと思います。(拍手)
強制性等々については、先般の審議の中において、かつて外政審議室長が調査したことの内容において、私は、これはこういうことであったという解説をしたにすぎないということでございます。それは今までの政府の答弁にのっとっていることでございます。
そして、今私が申し上げていることは、教科書検定のまさに中身であって、その教科書検定の中身それぞれについて、私が、こうするべきだ、ああするべきだと言うことをまさに菅さんは私に求めていて、それはできませんよということを申し上げているわけであります。
そして、選挙については、選挙をやっておりますから、選挙で課題になっていることについてここで議論をすることは結構ですし、私も逃げてないし、菅さんの質問に答えているわけでございます。しかし、沖縄で私がどういう演説をしようと、それは私どもの方針であって、私の演説を聞いた方々にどうだったかということを恐らく聞いていただければいいんだろう、このように思いますよ。
その中で、しかし、この教科書検定ということの議論については、これはやはり冷静に話さなければいけませんねということを、党派性を持って、ましてや選挙に結びつけてやってはいけないということを私は申し上げているわけであって、教科書検定というのは、これはだれが総理であろうと、だれが文部大臣だろうと、専門家が、専門的な見識に裏づけされた方々が議論をして、それは事実を一つ一つよく調査あるいは検討しながら、そして最終的にいろいろな意見をつけていくということが私はあるべき姿であろう、このように思います。(拍手)
○菅(直)委員 総理は、結論的には、この沖縄の大変重大な歴史的な事実について、一切その見方も述べられないで済ませられたということなんでしょう。
安倍は自分の考えを説明すまいと必死に逃げ回り、説明の部分は言わば後見役の伊吹が詐欺的に行なうという役割分担である。安倍のケツの穴の小ささと、伊吹という政治家の不誠実さとがよく表れていると思ったので、ここでご紹介する次第である。
2007-03-20
■[教育][都知事選] ポピュリズムとしての石原都政
まだ公示になってはいないが事実上既に始まっている東京都知事選において、石原現知事が他の候補に比して優勢だとの世論調査が発表された。記事はこちら。予想された事態ではあるが、もちろん、石原3選というのは全くの悪夢以外の何ものでもない。
しかし、現実は現実である。そこで、これを直視して、今の東京さらには日本の政治のありようについてもう少し考えてみる必要がありそうである。
石原都政の最大の問題は教育面に見られるもので、君が代・日の丸の尊重を教師に対して命令し、その命令に逆らう教師を処分するというやり方がそれである。
都民の多くが石原現知事を支持しているということは、この問題について、都民の多くが石原のやり方を支持しているということを意味するのだろう。ではその背景にあるのはどのような考えか。想像するに、次のようなものなのではないか。すなわち、今の教育にはいろいろ問題がある。そのような問題が生じるについては、いわゆる「ゆとり教育」の問題もあるだろうが、それだけでなく教える教師の側にも問題がある。であれば、教師をもっと叱咤して、必要ならば研修を受けさせることはやるべきだ。君が代・日の丸の問題も、卒業式だけの問題ではないか。その時ぐらいは、公務員は上からの命令に従うべきだ、と。
私見によれば、君が代・日の丸の尊重を教師に対して命令するということが教育現場にもたらす圧力は、「卒業式だけの問題」などと局限してよい問題では決してない。既に教員の多くは組合には加入せず、上を見るヒラメ教師が増えているという現状があるが、この圧力はそのような現状に拍車をかけるものだと言ってよい。上からの命令が通りやすくなる、ということはつまり、教師の側の主体性がそれだけ損なわれるということである。
ところが実際には教育は、教える方にとっても教わる方にとっても全人的な営みであり、それを十全に行なうためには、十全な主体性がどちらの側にも不可欠だと思われる。教育とは、人間と人間のぶつかりあいなのである。それなのに、教師の注意のうちの何割かが、子どもではなく学校教育制度の制度的上層(校長とか教育委員会とか)に向けられるようになることが、どうして教育にとってプラスだろうか。教師のそのような態度は、必ずや子どもの目にも見え透いて映るものである。これが教育にとってプラスだとは到底考えられない。むしろ著しいマイナスであり、教育の意義の重大さを思えば、その影響の大きさは由々しきものだと言わなければならない。
少しでも考える人間には明らかなように、現下の教育の最大の問題は、家庭での教育にこそ存する。これは、先に政府・与党が強行採決によって成立させた改正教育基本法の中にも見られる認識である(でなければ、家庭教育に関する文言が、法律の中にあのように盛り込まれるはずはない)。家庭できちんとしたしつけ等の教育を受けていない子どもを押しつけられるからこそ、教師は困り、学級崩壊などという問題が起こるのである。また、現下の教育のもう一つの問題は、教師が忙しすぎる点である。これは初等中等教育に限った話ではないが、とにかく教師は忙しすぎる。こういうことを言うと、それでも教師には夏休み等があるではないか、という反論があるかもしれない。しかし、今の教師は夏休みも忙しいようだ。
(なお、私自身は、学校の年度を9月から開始し6月で終了することにし、7・8月については、教師は校務を行なわない−−但しその代わり給料も出ないが、7・8月にアルバイトを行なうことは当然認められる−−か、それとも校務を行なうかを選択できるようにしてみてはどうかと思っている。−−なお、言うまでもないが、7・8月に働かないとしても、だからと言って毎年契約が更新されるというような不安定な立場に置かれるようであってはならないのであって、1年のうち10ヶ月を働く常勤という形態で当の教師は採用されるのでなければならない。)
話を都知事選に戻して、石原慎太郎にはおごりが見られる。これもまた周知である。ただ、これをマイナスと見ない向きが少なくないようだ。例えば「ババア発言」でも、これは本来女性がこぞって反対して良さそうな話のはずだが、どうもそうはなっていない。自分は「ババア」ではない、自分には関係ないと思っている人が少なくないからだろう。だとすれば、それは愚かしい話である。なぜなら、「ババア発言」は、そういう考えの持ち主でなければ出てこない発言だからであり、そしてそのような思想の持ち主が東京都知事であることが、都政運営に全く影響を与えないはずはないからである。例えば、ババア発言の主にいったいどういう福祉政策が期待できるのだろうか。石原を支持し、かつ今の東京では福祉問題が重要だと考える人々は、この点をじっくり考える必要がある。
今回の都知事選に当たって石原が出した公約(他の記事で既に指摘したように、これはマニフェストではない)を見ると、開発型の公約が並んでいるのが目につく。例えば「多摩地域、島しょ地域の未来をつくります」は全面的に開発型の公約だと言える。オリンピック招致が開発のための名目であるということは、既にこれまでの立候補予定者相互の討論の中で明らかにされたとおり。今たまたま東京都政は黒字転換を遂げているらしいが、それは企業収益の好調によるものであり、(徴税率の向上など)都政の成果と言える部分は少ないと考えるべきである。
しかも、先日飯田橋のあたりを歩いていて東京区政会館なるどでかいビルを見つけたが、いかにも稼働率が低そうで、効率性を度外視して建てられた建物であることは一目瞭然である。直接これに関与しているのは23区であって都ではないのかもしれないが、都と23区の関係を思えば、これもまた都政の問題の一つだと考えてよいだろう。この種のハコ物行政は少しも止まっていないのである。石原都政が財政面から見てうまくやっているなどと思う人は、こういう問題をよく考える必要がある。新銀行東京の不始末は言うに及ばずだが。
そして象徴的なのは、石原が出馬直前に発表した、低所得者に対する減税措置である。いかにも人気取りの政策であり、いかにもポピュリストのやりそうなことである。人を見下す石原には真の意味での民主主義などわかってはいない。石原の頭にあるのは人気取りの政治、ポピュリズムなのである。そして、そのような政策を選挙直前に打ち出すということは、本来の自分にそのような考えが全くなかったことを露呈していると言ってよい。そんな人間を再び都知事にして、果たして良いのだろうか。
今回の都知事選の最大の問題は、こんな石原を再び当選させて良いのかということである。「石原都知事がダメなことは都政の私物化で明らかなこと」と言いながら、石原に代わって当選するべき候補を前面に押し出せない例えばこういう「テレビ知識人」は、問題が全くわかっていないと言わざるをえない。
2007-02-04
■[教育][社会] 教育における競争の問題
マル激トーク・オン・ディマンド第305回(2007年02月02日)「地域の「ハブ」としての公立校再生プランとは」は、たぶん宮台氏の人脈からのゲストだろうが、今回はヒットだったと評してよい。メディアへの露出度も高く、公的な場面でも登場する機会の多い(ように見える)藤原和博氏(東京都杉並区立和田中学校長)だが、話を聞いてみるといろいろ面白いところも少なからずあった(ながらでの視聴だが)。
ここでは、番組全体にかかわるテーマであり、番組中でもさまざまな形で触れられてはいる表題の問題(教育における競争の問題)に関して、番組ではしかしはっきり述べられていなかった点を指摘しておきたい。
番組後半の7分あたりで、藤原氏は「教育(や医療)においては、競争を導入しても良い部分もあるが、絶対に市場化(つまり、競争原理を導入すること)をしてはならない部分もある」という趣旨のことを述べておられる。そしてその少し後で、公立校で重要なのは地域の力を最大限に引き出すことだ、とも述べておられる。
番組ではっきり述べられていなかった点とは、この2つの発言の論理的帰結に当たる部分で、それは、公立校の学区を自由化することはすべきでないということである。想像するに、藤原氏は、公的な場面でも登場する自らの役割(発言権)を顧慮して、現政府が掲げる教育政策(アホの安倍が教育バウチャー制度を掲げていることは周知のとおり)に正面から反対するような発言をすることを避けたのではないかと思われる。しかし、これははっきり言うべきことではないだろうか。
さらに、これは私の独創では少しもないが、義務教育期間においては私学教育を禁止することすら考えても良いのではないだろうか。その趣旨は、あらゆる種類の人(特に、学力の面で)がいるミニ社会の中で子どもが育ち、その中で(総覧者たる教師の指導・監督のもとで)社会性を身につける、そういう期間を確保することである。もちろん、私学教育の禁止などということを強制的に実現することはまず不可能だろうが、しかし、子どもを育てる親自身がこういう理念に共鳴するようになり、そして子どもを公立校に送る親が増えるようになれば、これは必ずしも全くの夢想ではないのである。この意味でも、教育問題においては親の役割がきわめて重要だと言ってよいだろう。
教育問題についてはこの他にも書くべきことがあるが、今回はこの程度にしておく。
それにつけても、議員の世襲は政治から駆逐されなければならない。
