元電気班長の話に思う

元電気班長がご自身のHPでこんなことを述べられていました。

まず全体の課題。脱線が多いとかもありますけど、私が一番気になったのは、車両もそうですが、人間の稼働率も悪いんとちゃうの?ってことです。準備中は大量に部員がいて一悶着起こしているというのに、当日になるとさーっといなくなる。変な話ですねえ。もうちょっと自分の持ち場で働きましょうね。

当日ってそんなに少なかったですかね?僕は今年は一日目は大学の授業、二日目は同級生と会いに行ったりしていてあまり観察は出来なかったのですが、メインの人々はそれなりに働いていたような気がします。常に大レイアウトに10人前後はいたんじゃないかな?脱線修復係が5名、コントロール係が1名、車両整備が2名、あとフリー部隊が3人ほど。とりあえず、交代があればあれでも十分回るかと思いますけどね・・・。昔は7人ぐらいでまわしてましたから。というかコントロール係や車両整備係は常駐ではなかったし。暇があれば自分で仕事を見つけてそれに対処する・・・それが基本だと思います。

むしろこれ以上に人を多くても指示系統が混乱するんじゃないかと思います。一つ問題があるとすれば、実は大レイアウトで働いている人間がOBや部長世代以上の上の人間ばかりで、下の人間がほとんど動いていないことでしょうか。ある意味、鉄研の将来を暗示しているようにも感じますが、常に盛者必衰、いつか鉄研も僕が中3ぐらいの寂しい時代が来てもそれはそれでいいのではないかと思っています。ある意味、新しい風を入れるためにも世代間断絶は必要ですしね。自然淘汰の原理を働かせるようにすることが一番組織にとって大事だと思います。

最近感じていることは、つねに大レイアウトは戦争状態にあるということです。相次ぐ脱線、トラブル・・・最近、ERばかり見ているせいか、ERの世界とよく似ている気がします。今度からテスターとstethoscopeの二刀流で車両診ようかな(笑)。ここ5年ぐらい、文化祭の時には胸ポケに持参のテスターを忍ばせて、いつでも抵抗値を図れるようにしているのですが・・・電気班の人間にとって、テスターは聴診器みたいなものです。

 

あと、私の趣味で、皆さんに何の許可も得ずに作ってしまった大レイアウトのコントローラーですが、定速機能がないため運転しにくすぎます。申し訳ない。元の可変抵抗使用のタイプに戻すことをお勧めします。

いや、どうでしょうかね。あの回路を少し加工すればうまく行くかもしれませんよ。たとえば、MOSFETのように電流が流れ出さない素子をかますとか(ただし、数マイクロA程度の漏れ電流はある)。個人的にあのコントローラは鉄研史上最高傑作だと思っているんですが・・・。

中1の教育は2学期以降で。これは打ち上げのときにもお話ししましたが、電気班は作業班と対等ではなく、あくまでも延長上に存在します。下部組織と言えるかどうかはわかりませんが、作業班優先であることには変わりがないので、そちらでしっかりと働けるようになってから電気班に入れるようにしてください。

これは本当にその通り。電気班設立者の意図としては、電気班は作業班とは決して対等ではない。というか作業班という言い方が間違いです。鉄研部員は基本的に全員作業しなければならないので、班もくそもありません。電気班というのは単なる専門知識を持ち、技術を教育・研究する特殊技能集団であるというだけです。だから、例えば塗装に詳しい人間が塗装の教育・研究を行うために塗装班というのを設立すれば、それは電気班と同種の集団です。彼らは当然塗装だけをやっていればいいというわけではありません。レール引きから砂まきまで技能レベルはどうであれ、ひととおりこなせるようになった上で自分たちが特にこだわる塗装についてさらに研究を深める・・・ただそれだけのものです。電気班も基本的には同様で、すべてが一通り出来るようになった上で、文化祭に欠かせないコントローラや給電についての研究を深めるというだけの存在です。班員には多少厳しい言い方にはなりますが。

ただ、電気班がいわゆる「作業班」と対等であるかのごとく捉える人間が班員の中にも、班員の外にもいるのは回路設計技術、電子工作技術が非常に高度であり、相当な訓練が必要なためにどうしても作業をちょこちょこ休んで研究に励まなければならないからという点があるからです。

僕自身も中2のとき、突然電気のことを全部任されて、本当に途方にくれました。小学校の頃、理科は得意でしたが、電気は一番苦手だったからです。先輩から10時間ぐらいの講習は受けましたが、実際の部品を部品屋で触ったこともなく、単に直並列回路の計算ができるようになったぐらいでした。仕方がないので、日本橋の部品屋をみつけて、そこの店員さんにつきっきりで教えてもらいました。ネットで助けを求めたこともありました。OBに質問したことも何度もあります。それでようやくなんとなくということで回路を作り始めました。電気の勉強を深めるために電験3種の勉強も1年かけてやりました。結局、制御がうまく行かなかったのですが、色々チャレンジしたので、なんとなく電子工作がどんなものかというのがつかめてきました。正直、文化祭に出したコントローラは決していいものではありません。PWMにしたのはOBの意向を受けてのことでしたが、正直言って失敗でした。でも、同じ苦労を後輩にさせたくはない、という思いもあって興味のある数人に週に2回ほど講義を始めました。「彼らが僕の年になった頃には、今の僕の数倍も電気の理解を深めて、まともに動くコントローラを作って欲しい」ただその思いだけがあって、何十時間も講義しました。

結局、次の年は昔のコントローラを見つけ出して、ちょっと一つ下の後輩に改造したものを作ってもらって何とかしのいでいました。そして、ついに僕が講座を始めた年の受講生の一人が電気班長(上の記事を書いた彼)になって、優秀なコントローラを作ってくれました。僕はもう卒業していましたが、僕にとっては長年の思いがかなった瞬間でした。本当に嬉しかったことを覚えています。

さらに嬉しいことに今年の部長は電気班出身です。もちろん、彼に作業能力やその他のマネジメント能力があったからこそ部長になれたのだと思うのですが、電気班のspiritを継承した人が部長になるというのは創設者としては本当に嬉しいことです。spirit?と思うかもしれませんが、電子回路は一つでも不具合があるとまともに動きません。不具合を見つけたらその原因を追究し、努力して改善するという姿勢が必要です。ある種の完ぺき主義ですが、この姿勢はレイアウトの質を高めるにはよいspiritだと個人的には思っています。もちろん、完ぺき主義だけではダメなことも回路制作から学べます。すなわち、自分の技量、チームとしての技量をちゃんと正確に認識していなければ、期限までに間に合わないとか企画倒れに終わってしまうという現実です。それが作業の効率化やシンプル化に大いに役立つだろうと私は思っています。

とことんこだわる姿勢と同時にそのリスクを認識し、実現可能性を見越して適度にバランスをとる。

これが僕個人が考える電気班spiritであり、ある意味、鉄研のspiritであって欲しいと思っています。自分の失敗の経験からして。

なんか感傷的になりましたが、電気班の人ってなんか思い入れが強いですよね。なんでなんでしょうね。