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2007年10月28日

小林秀雄 00:59 小林秀雄を含むブックマーク

あまり僕は文学青年でもないので、そう多く本を読んでいるわけではありませんが、中高時代にいろいろと課題なりなんなりで読まされた本の中で気に入っているのが、小林秀雄志賀直哉の作品です。

特に論説文としては小林秀雄の作品は難解ではありますが、非常に奥が深い。

難しいのでたまにしか読めませんが、こんな本が出ていました。

小林秀雄語録みたいな本です。まぁ、これだけで彼の作品を読んだ、理解したとは到底いえないのは当然ですが、どんなことを書いているのかなぁということを知る材料としてなかなか便利だなぁと感じました。

学祭終わる 00:20 学祭終わるを含むブックマーク

無事に学祭が終了してほっとしています。ビンゴは2枚(300円)買って、リーチが4つぐらい出たにもかかわらず、結局ビンゴは出ず。ちょっと残念でした。あと例年のことですがパンフがあまりまくりましたね。今年は特に訂正入稿もあって、完成がギリギリだったのであちこちに配れなかったという事情もあったのですが。まぁ、間違いも2箇所ほどありましたけど、とりあえずモノが完成して配布できたことは喜ばしいことです。広報のもう一つの仕事である近所への根回しですが、寺には根回しに行ったのに毎年のごとく苦情がきましたね。もう苦情を言うのも恒例になっているみたいです。今年はライブ中に周辺を歩いて、どの辺まで音が聞こえているかを探索しました。だいたい100mまでは非常にうるさいですね。200m〜300mぐらいまではちょっとうるさいなぁというレベル。それ以上はなれると、なんか遠くでイベントやっているなぁという程度のもので、窓を閉めればおそらく何も聞こえないはずです。ということで、来年以降は200〜300m以内にお詫びのビラをまくように引継ぎするつもりです。(そのために公社発行の1/2500の地形図住宅地図買ったし。建物の階数まで載っていてかなり便利です)ちなみに近くのマンションからは苦情が来ていたのか気になるところではあります。吉本のライブの時はマンションから芸人を見ている人もいましたからねぇ。

私も出演した園遊会のイベントですが、ワイヤレスマイクが使えなかったみたいで、ちょっと手間取りましたね。言葉の判定員をしていたのですが、結構音が出なくてやりにくかったです。でもそれなりに雰囲気は出ていたということで、まぁよかったかなと思っています。

あ、まだ学祭は終わっていませんでした。来週には災害医療医療シンポジウムがあります。でも、僕らの学年の仕事はとりあえず今日で一段落しました。なんだかんだ言って、まさかの連続で(麻疹休校で大幅に日程がずれこんだり、例年ではあり得なかったような作業が入ったり、前々日に模擬店の調理器具貸し出し会社が倒産したり)随分と心配はされましたが、最終的には結構よい評価をもらって終われてよかったです。これも委員長をはじめとするみんなで力を合わせたからこそでしょう。本当に感謝、感謝です。うちの学年は、結構こういうイベントの委員に手を挙げる人は少ないですが、最終的には色々な人が手伝ってくれたり、困っているところがあれば担当関係無しにお互い協力、補完しあって最終的にいいものを作り上げていける学年なのかなと感じています。最後はみんな、それぞれの得意分野を生かして園遊会を手伝っていましたしね。

多くの人が協力したらその人数よりも何倍もの仕事ができるというのが、素晴らしいことに思えます。ある意味、こういうお互いを補って協力し合えるいい仲間が、医師になるとあっちこっちに散らばって、場合によっては一人医長のような状態になってしまうことが非常に残念です。

まぁ、とかく本当に思い出に残る学祭でしたね。また、広報の仲間でカラオケに行こうかとか計画しています。それも普段見られぬ友人の姿が見れると思うとまた楽しみです。

2007年10月27日

民営化 03:15 民営化を含むブックマーク

学祭関係で会計の人の手伝いをしていて、久しぶりに郵便局に行きました。普段は銀行ATMかネットバンキングですからね。

ゆうちょ銀行になってから、メガバンクを含む他行へ振込みができようになったのかと思っていたのですが、すでに提携している地銀等だけのようです。

システムはまだ統合されていないみたいですね。というか全銀協が拒んでいるとかいないとか。

本人確認法改正にともなう、10万円以上振込みの本人確認はゆうちょ銀行でも適用されています。(もっとも郵便局のときもそうでしたが)

2007年10月26日

影響を受ける人は? 01:24 影響を受ける人は?を含むブックマーク

「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査

中高生ぐらいにも結構、影響を受ける人がいるのではないかと思いますがw

いわゆる2次元ってやつの一部ですよね。

まぁ、こういう絵もそうですが、ここ5、6年ほどはテレビや雑誌も遠慮なく性描写を出してきますからね。昔では考えられない事態になっているようで。いつからたがが外れたのやら。

ちなみに思春期の開始はエネルギー貯蔵とも関係する(具体的にはleptin→kisspeptin-GPR54→GnRH(LHRH)→LH, FSHというルートが考えられている。参考)という話もありますから、食生活の欧米化等で早くから肥満になる子供が増えたということが、近年、性成熟が少しずつ早くなっているという傾向に何らかの影響を与えている可能性は否定できませんね。

肝心な問題はATS-Pではない 01:55 肝心な問題はATS-Pではないを含むブックマーク

JR西元幹部の捜査が大詰めを迎えているみたいですが、それは警察権力のことなのでタッチしないことにして、新聞記事や事故調報告、現JR社長も言っている「ATS-P(新型ATS)を設置していれば事故は防げた」という表現に関して。

当時、福知山線尼崎以北はすべてATS-SWというJR西日本向けに改良されたATS-Sを導入していました。新聞も現社長も「ATS-Pを設置していれば事故は防げた」と指摘していますが、実は当時設置されていたATS-SW(旧型ATS)でもカーブにおける大幅な速度超過は十分防げるんですね。カーブ手前に2個の特殊な地上子さえ設置していれば。

仕組みとしては単純で、2つの地上子間を一定秒数(通常0.5秒)以内に通過したら非常ブレーキがかかる仕組みです。事故当時、実際に西日本エリアでも分岐器やカーブでの速度超過防止を目的として、このタイプの地上子が設置されていた箇所も数多くありました。ただ、JR西があの現場には地上子を設置していなかった、より正確に言うと、社内の設置基準に現場のカーブが入っていなかったために、あの事故は防げなかったわけです。その点で、「新型ATSさえあれば」というような言い方はどうかと思います。トランスポンダ技術を使っているATS-Pは、連続パターン照査という点で安全性に優れていますが、変周型のATS-Sに比べると非常に高価な機械です。地方鉄道では財務状況などからPを導入するところが難しいところが数多く存在します。そういうところはやはり変周式ATSを改良して使っていく方がコストベネフィットの観点からはベターですし、そうしないとおそらく経営破たんしてしまうところもあるのではないかと思います。

Conservative 01:48 Conservativeを含むブックマーク

親父に「mhlw行ってから、完全にconservativeになったなぁ」といわれました。

まぁ、その通りなんですけどね。いくつか原因はあると思います。

  • あれだけバカとかクソとか批判されていた役人だけれども、実際に見てみると、まじめに一生懸命働いているということがわかった(一部のネット上の批判がかなりウソ臭いと感じた)
  • 医療が社会システム全体の中で置かれている立場というのがよく分かったし、医療制度を変えていくには現実問題として、並大抵の努力では乗り越えられないような高い壁が数多くあることが分かった
  • 審議会や検討会でも各委員は、ちゃんとそれぞれの業界を背負っているな、ということがよく伝わってきた。(したがって、その結果というものは基本的に業界同士のパワーバランスを反映したものである)

以上のことから、少なくとも私の理解として

「ネット上の一部の意見は、理想像としては優秀かもしれないが、現在の社会の仕組みからは考えられないようなことを提言しており、その実現には医療だけではなく社会全体の考え方が大きく変わるような変革が必要である」

ということを強く感じたわけです。

それゆえに、これはmhlwだけで解決できるような問題ではないし、現在の問題の責任をmhlwになすりつけるのは間違いである。やはり、社会全体を構成している国民の責任というものも大きいのだ、と8月以降主張してきたわけです。この考え自体は今も変わっていません。

また、同時にこの問題は医療だけの問題として片付けることは不可能だということも感じていますので、医療業界だけがよければいいというような考え方には私は反対です。それは高校、大学を出たとたん少子高齢化や財政危機、アジア諸国の台頭という日本の運命を大きく左右するような難題に直面し、日本そのものの将来に限りない不安を感じている我々の世代としては当然のことです。

医療とて、現行制度では国民と企業、そして国家からのお金で動いている以上、国家や国家経済が衰退すればその命運をともにせざるを得ません。経済発展の鈍化などにより、すでに相当数の国民が医療技術の進歩などによって上がり続ける医療費(具体的には健康保険料)を支払うことが出来なくなっているような今日においては、やはり一人当たりの医療費を何らかの形で抑制していくことは必要ですし、それによる質の低下を必ずしもタブー視するべきではないと思います。

本当に重要なことは全国民が見捨てられることなく、最低限の医療を受けられること。命をどこまでも追求すれば、いくらお金があっても足りません。一人ひとりの国民が、一人の人生というスキームの中で自分は命にどこまで妥協するか、そういうことを選択をする権利はあって然るべきだと思いますし、その土壌は少しずつですが、出来上がってきていると私は感じています。

もっとも、現在の医療がそういう方向で進んでいるとは言いがたいのは事実です。地方では最低限の医療すら奪われかねない状況が発生していますし、一方で都会では患者が望まぬような過剰な医療が提供されている場合もないとはいえない状況です。それは是正の必要があるとは感じますが、これは地方の経済や存続のあり方とも深く関係しており、簡単に医療側の論理だけで解決できる問題ではありません。

結局、いろいろ考えをめぐらして私が一番強く感じたのは、医療崩壊の問題は医療だけでは解決することができない複雑な問題である、ということでした。当たり前のことではあるんですけれどもね。その難しさをmhlwで肌で感じたがゆえに、ある程度conservativeにならざるをえないのです。トンデモ裁判に対して「言うは易し、行うは難し」といいたくなるのと同様、医療行政についても「言うは易し、行うは難し」なのです。

踊る大捜査線では「事件は会議室でおきているんじゃない、現場でおきているんだ」というセリフがありましたが、私は「現場同様、会議室も一つの生々しい現場なのだ」と付け加えておきたいぐらいです。それくらい、審議会や検討会というのは生々しいものです。

もちろん、私自身、制度の変革は必要だと思っていますし、そうしないとおそらく日本の医療は技術伝承が途絶えて一部で再起不能な状態に陥ってしまう可能性は高いと思います。ただ、かといって医療側の論理を鵜呑みにすれば、それはそれで後で別の恐ろしい結果を招くことにもなりかねません。また、これは、もうお決まりですが、何かを行った後には必ず揺り戻しが来ます。その揺り戻しが医療に本当の致命傷を与える可能性だって否定はできないのです。

本当に考えれば考えるほど、この問題が難しいということを感じます。小松先生が日経メディカルで過激なことをおっしゃっているようですが、あの考え方は検討会ではあちこちから総スカンものだったそうです。

医師や医療従事者だけで固まって、医療崩壊の議論をして発信することに意味があるのだろうか・・・最近、そういう疑問を強く感じています。色々な立場や考えの人を等しく交えて、はじめて制度の議論は現実味を帯び、またbrush upされるものだと思うのですが・・・・。いまの医療界の議論というのが、mhlwの政策が医療現場の現実からは離れていると評されるの同様、一般市民の考え方や医療を取り巻く現実からはどんどん離れていっているような気がしてなりません。

2007年10月25日

いつの間にか 01:04 いつの間にかを含むブックマーク

バタバタしている間にこんなニュースがあったんですね。

H5N1型の鳥インフルエンザ、母子感染の可能性も

さっき、VOAのSpecial English Health Reportを見て初めて知りました。

ちなみに感染症対策は、色々問題にはなってますが、結構個人的には興味がある分野です。日本では感染症はどちらかというと減少気味で、がんとか生活習慣病の方が増えているんですが、やっぱり感染症は社会にとっても大きなリスクになりますからね。

2007年10月24日

飲み込まれる〜 20:25 飲み込まれる〜を含むブックマーク

最近、クローズアップ現代を見ていると近い将来、日本がアジア諸国、特に中国に飲み込まれる運命にあるのかなぁと感じます。

経済規模では日本とほぼ互角になってきていますし、華僑なんかのネットワークも強固です。少しバブルの傾向も見られますが、おそらくさらに成長していくことは間違いないでしょう。そうなれば、アジアにおける日本の地位が相対的に低下する可能性は否定できません。

歴史的に見れば、日本が中国より強かったのは19世紀から20世紀にかけてのごく一部です。中国属国であった時期の方がはるかに長いわけで、飲み込まれるのは当然の運命とも言えるかもしれません。また、中国人の文化は「金にはがめつい」とも言われています。慎重な取引を好む日本には勝ち目がないのかもしれません。

中国の発展を見越してアメリカ富裕層は子供に中国語を教えていると言います。今度から薬理の授業で中国人助教が授業をすることになっています。土地柄もあるのでしょうが、最近の研究室はどこも中国人だらけです。しかも彼らの方がよく働くので、中心メンバーになっています。アジア系の留学生も増えています。医学部生も教養のときに中国語を選択できるようになり、私も中国語を選択しました。最近ではポーアイ華商大会が開かれました。一時期ほどの過熱ぶりはないにせよ、成長著しい中国市場投資する日本人が増えています。

我々は一体どうすれば生き残っていけるんでしょうかね。おとなしく中国属国となるべきか、中国とは別の道を歩むべきか。それとも中国と協力してユーロ圏同様のアジア連合を作るか。個人的には最後の選択肢を望みますが、各国が文化的にも政治的にも成熟しているヨーロッパとは異なり、アジアは政治的に非常に不安定な国も多く存在します。中国とて、経済発展の恩恵をあまり受けていない地方の不満は相当なものです。簡単には統一は進まないでしょう。

しかしながら、今の日本というものを見渡してみると、

資源もない、人材もあまり大事に扱われていない、国家財政は破綻寸前、少子高齢化学力低下・・・

今までのやり方では必ず行き詰ってしまうことでしょう。何らかの変革は求められているということだと思います。

大家要讨论这个問題.

危ないとは言われていたけれども 20:47 危ないとは言われていたけれどもを含むブックマーク

みずほ:証券化商品への投資で数百億円規模の損失

みずほは海外に積極進出する方針をとっているので、危ないとは言われていましたが、やっぱりでしたか・・・。日本は比較的サブプライムの影響は少ないと思われていましたが、一部の銀行や証券では結構な額の損失が出ているようです。

先日のサブプライム暴落の時は忙しくて株や投信を買っている暇がありませんでした(もっともミニ株しか買えないような運用額ですが、勉強と趣味を兼ねて取引を楽しんでいます)。次の買いの機会をうかがうことにしましょう。

2007年10月23日

やりすぎ 21:47 やりすぎを含むブックマーク

菅直人氏が厚労省に“強行突入”

いくら元大臣でも手順を踏んでから入るべきかと思いますが・・・。

こういうことが発生するようなら、残念ですが警備強化すべきでしょうね。

財務省なんかは担当者とのアポ無しでは絶対に入れてくれないみたいですから(財務省内の郵便局もそういう理由で入れないそうです>郵便局マニアの某君)。

霞ヶ関駅を利用したことがある人なら分かると思いますが、五号館は丸の内線の改札とも直結しているし、一番不審者が侵入する可能性が高い。最近、特に命に関わるシビアな問題が連続している省なのに・・・・。(辻前事務次官のおかげか)中央省庁の中では国民に対して比較的オープンで従順であることはいいことですが、働いている職員の安全は最低限守る必要があると思います。

ただ、一つ思うのは元厚労相なら倉庫は一度や二度は見ているはずではないか?ということです。わざわざこんなことをしなくても、分かると思うのですが。どう考えても単なるパフォーマンスとしか思えません。今回のパフォーマンスで、中央省庁のセキュリティ実態が暴かれてしまったことを考えるとその損失は多大なものです。まったく、野党というものは厄介なことばかりしてくれますねぇ。

もっとも、セキュリティが暴かれるといえば、JR西日本の救急隊員死傷事故で新大阪総合指令所が何度もテレビに映って、場所がばれてしまったこととかありますね。あんなことをすれば、テロの格好のターゲットになりかねないですよ。一応バックアップはあるみたいですけど。かつてJR西の駅員に電車が止まったときに「新大阪から情報は入ってないんですか」と聞くと、「なんで新大阪に指令所があるって知っているの?」と尋ねられたことすらありますから・・・。テレビと新聞を見ていれば分かってしまうんですけれどもね・・・。もう少し、その辺の報道のあり方についても考える必要があるかと思います。

ちなみに僕は信じています。あの問題はおそらく隠蔽ではなくて放置であったこと、それも国会対応等で時間がなかったとか、そういうやむをえない事情があったのであろうことを。原告団の山口氏が「担当者は『書類が雑然と棚の上に積まれていた』と言った」と報道陣に語っています。もし隠蔽するのなら、赤福のように資料を破棄していたはずだと私は思いますし、自主的に職員からそういう情報が上がってくることもなかったと思います。

もちろん、それで国の責任が免れるわけではありませんが、この問題を「職員の怠慢がすべて」と決め付けるのではなく、「中央の人手不足」「構造的問題からくる無駄な仕事の多さ」という深刻な問題にもきちっと焦点をあてて欲しいと考えています。

中央省庁に限りませんが、とかく、今の日本は少子高齢化団塊の世代の大量退職を迎えてどの業界も人手不足ですし、これからもそれは深刻化していくと思います。その一方で、人々は「人手のかかる」安全を強く求めています。これを両立させるのは決して容易なことではありません。

産業構造のあり方も含めて幅広く議論をしなければならない時期がきていると思います。我々の世代が提供できる労力にはやはり限界がありますので。

C.f.

Hepatitis C virus(HCV) is a major cause of liver disease worldwide. Forty thousand new infections of HCV are estimated to occur annually in the United States. Approximately 3.9 million Americans, or 1.8% of the population, hae antibodies against HCV. Fully 70% of these individuals, or 2.7 million, have evidence of chronic infection as determined by the presence of viral DNA in the serum. This makes HCV the most common chronic blood-borne infection and accounts for almost half of all patients in the United States.

...

The major routes of transmission are inoculations and blood transfusions. Intravenous drug use accounts for 60% of cases, transfusions prior to 1991 account for 10%, and hemodialysis patients and health care workers make up less than 5%.

...

Against the background anti-HCV seroprevalence of 1.8% in the United States, the prevalence is higher in house contacts, homosexuals, hemodialysis patients, hemophiliacs, and intravenous drug abusers(the last approaching 50% to 90%).

Robbins and Cotran Pathologic Basis of Diseaseより

あくまでアメリカの話みたいですけど、結構参考にはなります。HCVの怖いところは、Chronic hepatitisがcirrhosisやHepatocellular carcinomaになって、最終的に死にいたることがあるということです。

あと、HCVが発見されたのは確か1988年ということで、新興感染症に分類されている場合も多いです。それ以前は非A非B型肝炎症という原因がよく分からない輸血後感染症として知られていました。

ちなみに先日法医学の教授が授業中に「アルコールを飲みすぎると、××になって○○して畳の周囲が血だらけになる。自分で××と○○を調べてうめてね」というクイズを出されていましたが、cirrhosisになってesophageal varicesになる、ということで合っているかと思います。

どうでもいいことですが、これはエフェソスの遺跡の写真です。頭が蛇になっている女性がいます。

f:id:vvvfigbt:20071024000440j:image

ギリシャ神話ではメドゥーサはガイアの孫で髪が美しい少女神だったのですが、ポセイドンと恋に落ち、アテナ神殿で交わったことによってアテナの怒りを買ってその髪を蛇に変えられてしまいます(髪を自慢したからという説もある)。さらに、メドゥーサが直視したものは全てが石になってしまうという妖怪になってしまいました。さらに、アテナの支援を得たペルセウスによって最後は首をはねられてしまいます。メドゥーサとcirrhosisは実は深い関係があります。

2007年10月21日

バブルを知らない世代 10:33 バブルを知らない世代を含むブックマーク

私たちの世代はバブルというものを全く知らない世代です。いったい、バブルってなんなのか?なんでそんなに何もしなくても金が舞い込んできたのか、収益の限界を超えて土地や建物の価格が高騰したのか、本で多少のことを知ることができても、その実態・実際というのは知る由もありません。

むしろ、山一證券の「社員は悪くないんです。私らが悪いんです」会見とか「日経が1万円を割った」とか、そういうものは強烈に記憶に残っています。山一がつぶれた頃は、僕は小4ぐらいでしたが、野沢社長の名前もあの涙顔もいまだに覚えています。

さて、私のいきつけの散髪屋さんは、比較的若い方なんですが、いろいろなお客さんと長時間接しているからか社会問題とかにも詳しくて、「地方公務員の事務職は仕事をしている人間としない人間の差が激しすぎる」という話になったときに、「役所に行くと、40代後半以上の管理職と30代前半以下の若い職員ばかりがいる。霞ヶ関でもそう。30代後半〜40代前半はいったいどこに行ったんでしょうね」という疑問をぶつけてみると「真ん中の世代はバブル世代だから「公務員なんてバカが行くところ」という感覚が強かったのだ」ということだそうです。

なるほど、バブルでは公務員はとことん美味しくなかった職業だったわけですね。まぁ当たり前ですが。確かに、かつて中高で聞いたOBのNHKアナ、松本和也氏の講演会では「僕は一浪京大経済っていう、いわゆる落ちこぼれだけど、当時は大企業から就職前の学生を勧誘して高級レストランに連れて行っていった。で、私もそれでJR西日本への内定が決まっていた」という話を聞きました。それでもそれを蹴って乗りで受けたアナウンサー試験に受かってNHKへ行ったところがあの人らしいですが。もっとも、あのままJRに就職していたら、久々知のマンションの前で何十人の社員と一緒に頭を下げている羽目になっていたでしょうが・・・。

まぁ、バブルって異常な世界だったんだなぁとその時は思いました。でも、散髪屋さんいわく、「いつから始まっていつから終わった」というはっきりしたものはない、強いていうなら1980年代から1990年代前半がバブルといえる時期なのだ、そうです。もちろん、地域的な差、業種による差はあるだろうということは予測していましたが、それでもそこまであやふやなものだとは想像できませんでしたね。

とかく、バブルでは企業に就職すると、僕らの感覚からすると世界が違うんじゃないかというほどの好待遇の時期があったことは確かのようです。

なら、今の公務員バッシングってちょっとおかしくないか?と思うわけです。特に天下りの議論です。だって、公務員バッシングしている連中って、バブルでいい目に合った奴らでしょ。いい目をしたんだから不況で苦しんで当然。当たり前の摂理を受け入れろ、っちゅう話なんですよ。むしろ、バブルで憂き目をあった公務員天下りでちょっとした甘い汁を吸うのは全然問題ないんじゃないかと思いますね。まぁ、バブル崩壊から10年近くたって、両者の調整期間もある程度経過したことだし、今後は是正する必要はあると思いますが。

こうやって見ていくと、世代と意識の問題って深刻な溝を生みかねないなぁと思います。世代って5年、10年離れるだけで全然違いますからね。ちなみに僕が一番苦手な世代は今、30才ぐらいの人間ですかね。いわゆる団塊ジュニア世代です。他の世代とは結構うまくやれますが、あの世代は付き合いにくい。というか、両極端なんですよね。とても付き合いやすい人と付き合いにくい人のギャップが大きいのが特徴です。ちなみにうちの母親も非正規雇用で働いていますが、あの世代にはなんか違和感を感じる時があるそうです。特に普通に会話していて、突然、ちょっとしたことで攻撃的になるところとか。

私らみたいに、「しけた」世代にはよく分からない感覚です。

あと、下の文章の補足にもなりますが、私らの世代では「イメージ低下」というのは致命傷です。程度の差こそあれ、即、いじめの対象になります。私も何度となく経験しましたけどね。我々の世代では「目立たず、何もしない」ことが一番の安全策です。もっとも私は生化の教授いわく「ユニーク」な人間だそうで、それが決して好きではないんですけれども。でも、その状態といじめられないということを両立させるには、あえて本業からわき道にそれるか、本業で勝ち続けることが絶対条件になります。公立の小学校では本業で勝ち続けていました。超難関校の中高では主にわき道にそれて本業では目立たないようにしていましたね。

でも、医学部では人の命を預かる身としてはそれはおそらく許されない。おそらく両方、極めるしかないのかなと最近思っています。

2007年10月20日

FreeTEMPO 23:27 FreeTEMPOを含むブックマーク

Oriental Quaint.

Oriental Quaint.

IMAGERY

IMAGERY

最近、はまっています。仙台出身だとか。

切なさが好きです。

倉庫 21:07 倉庫を含むブックマーク

(これはフィクションの詩です)

倉庫よ

ゴミだめのような倉庫よ

整理する時間もない

地下の薄暗い廊下

危なっかしい階段

床にも壁にも散乱し、

山のように積もったファイルと書類。

廊下にまであふれ出る書類

倉庫よ、お前は一体なんなのか?

ゴミだめか、開けてはならぬ爆弾か

それとも暗い夜道を照らす星なのか

2007年10月19日

ブログに対するコメントの仕方 11:53 ブログに対するコメントの仕方を含むブックマーク

いろいろ検索にひっかかるブログを見ていると、ここ2年ほどの一部ネット医師の行動が目に余ります。

私みたいに医学生や医療関係者のブログでいくら批判なり、訂正要求なりそんなものをしていただいても私は結構ですし、まぁ、「あっそう。だから?」と思うところは流せますが、一般人のブログにまで乱入して「訂正しろ」だの「謝罪しろ」だのギャアギャアわめくことが果たして自分たちの利益になっているのか甚だ疑問に思います。

そもそもブログは日記です。私もそうですが、自分が普段の生活で感じたこと、考えたことを書く場にしている人も多い。いわゆる脳内メモ帳です。それを純粋な活動的意見発信と捉え、相手方が望みもしないような乱入の仕方をして、炎上さながらの状態にさせて、ブログ主を怒らせてしまうような行為を見ていると、本当に腹が立つというのを通り越してバカバカしくなるほどです。

そもそも、こういう話題にクビを突っ込んでくれる一般人というのは、医療に興味を持ってくれている、どちらかというと不満はあるけれども最終的には医師の味方になってくれるような人々です。普通の人は興味すら持ちませんからね。そういう人に向かって集中砲火を浴びせて、怒らせて、一体何を考えているんでしょうか。味方を殺して新たに敵を作りたいんですか?医師のイメージをさらに低下させたいんですか?

あんたらはええかもしれんけど、将来医師になる私らからすれば、なにをしてくれてんねん、のレベルですね。

そういえば、モトケンブログでも、せっかく医師の味方になってくれてコミュニティまで作ってくれたモトケンさんを、一部の医師が完全に怒らしてしまいました。弁護士の中でもここまで味方になってくれた人はそうはいないだろうに。

そりゃね、m3comとか自分のブログの中でそういう人々を批判されるのは結構ですし、別にそれについてとやかく言うつもりはありません。m3は医師専用なのだし、自分のブログはあくまで自分の脳内メモ帳なんですからね。好き勝手なことを言えばいいでしょう。ただ、他人の脳内メモ帳にまで望まざる形で(しかも大抵集団で)乱入するのはやめていただきたい。

そもそもブログは脳内メモ帳なんだから、偏見なり、マスコミの受売りなんかが存在するのは当然なんです。医師とて医療業界のことは実状をよく分かっているかもしれないけれども、他の業種に関してはマスコミの受売り的な考えの人はいっぱいいます。一般人の彼らだって、普通はそうでしょう。医療を提供する側の実状を多少なりとも知っている人なんてそう多くはない。だから、「医師には良心がない」、とか「儲けすぎである」とか書くわけじゃないですか。でもそれはその人が悪いんじゃなくて、社会全体に(主にマスコミの影響ですが)そういう偏見が常識として通っているゆえに、ある意味やむを得ないことなのです。それに対して、業界というのは真実の情報をdiscloseして、その偏見が間違っているのではないだろうか?ということを、ちょっとずつ提示していく、それによって初めて相互理解というものが進むのです。

その丁寧に対処しなければならない過程を通り越して、突然、他人のブログに乱入して「訂正しろ」だの「謝罪しろ」だの言って相互理解が進むわけがない。せめて、「実はね、これこれこういう実状があるんですよ。今まで思われていたこととは少し違うでしょう?」という形にしなければ誰だって理解は示してくれません(それでも理解を示してくれないときも多いし、それも確率的な問題なので仕方のないことです)。そもそもブログというのはブログ主が一国一城の主の仕組みです。その国の中では城主には最低限の敬意を示さなければなりません。城主のいないm3comや2chとは違うんですよ。

そりゃ崩壊を目前にして焦る気は分からないわけではない。でも、たとえ崩壊したからといって医療が完全になくなるわけじゃない。質(=いわゆる質+アクセス)は落ちるかもしれないけれども。むしろ、崩壊後にそういう医療に興味を持っていてくれている人と協力して、失敗を踏まえながら新しく医療を作っていけばいいのです。その協力者を不快にさせ、敵にまでしかねないようなことをして一体何がしたいんでしょうか。

一部のネット医師の行動には本当に見ていて腹が立ちます。あくまで一部ですが。

でもそういう私も、もし医療ブログに疑問を持たなかったら、そういうことにも気付かなかったかもしれません。今から考えるとおそろしいなぁ。

まぁ、こういうことを書くと、この下が恐ろしいことになるのは目に見えてますが、それがおそろしくなればなるほど、結局はこの指摘が正しいということを裏付けることにもなるでしょうね。(とあらかじめ牽制しておきます。2日後ぐらいにどうなってるか楽しみにしています。その結果によってこのブログの方針も変えるつもりです。それでは。)

2007年10月18日

若い人々の「しけ」 23:33 若い人々の「しけ」を含むブックマーク

うちの大学は十年以上前に自治会がほとんど有名無実化してしまっていて、学生からの要望とか一緒にみんなで大きなことをやろうという雰囲気がぱったりと途絶えてしまっているんですね。唯一、学祭は先輩方が延々と残されたものなので、使命感からどの学年も担当学年になったときは一応40%ぐらいの人がボランティアで頑張っていますが、他の学年からはおおむね冷ややかな目で見られているのが実状です。結局は自己満足に終わっているという、あまりOBの前では大きな声で言えない状況になっています。(つーか、芸人に金かけすぎ。というか出演料高すぎ)

で、あまりに学生全体でのまとまりと情熱みたいなものがないので、僕を含めてうちの学年の一部で自治会を復活させられないだろうか、ということを教務課を交えて検討しはじめています。クラブをまとめて上に立つ組織があれば、そこにいろいろな人が集まって学生生活全体についていろいろなことが話せるのではないかと。ところが、その実現可能性を検討していく上で、一つ重大なことに気付いてしまいました。よく見ると、6学年いるうちの4学年ぐらいが、「しけた学年」という評判を持つ学年なんですよね。自分のことだけを考えていて、あまり他人のことや全体的なことは興味がない。全体で何かをしようとすると、雑務的なものが多くなるからでしょうか。ある種、官僚組織的な「しけ」すら感じるときもあります。

(注:「しけ」とは主に若者の使う言葉で、「しらけ」と「湿気」の混合みたいなやる気のない雰囲気)

これはうちの学校だけのことかというと、そうでもない気がするんですね。今日、たまたま三宮で高校の同期で一浪して京医に行った友達と出くわして電車の中でしゃべったのですが、まぁ、たいがい京大でもそうらしい。

で、さらに母校の後輩から聞く話では、たいがい最近の中高生というのは「しけている」そうですね。各人が好き勝手なことはしているけれども、なんかまとまってしようということはあまりない。その場でちょっと盛り上がって終わってしまう、という感じみたいです。

いろいろな人からの話を聞いたり、自分が感じていることを総合すると、最近の若者にはどうやら

という、なんだか官僚組織よりもひどい雰囲気が漂っていることは事実のようです。特にゆとり世代以降、その傾向が非常に強まっている感じがしますね。できるだけトラブルを起こしたくないという意識が働いているんでしょうかね。今回の学祭でも中心的に動いてくれているのは、一浪二浪なんかで現役よりかは年齢が少し上の人です。

自治会の話は別として、社会全体がそういう「しけた」雰囲気でいいのかという点については、とても心配しています。大きな夢もなく、スリルもない社会は確かに激動の時代に比べれば安定していて理想的な社会にも思えますが、そういう社会が世界的に見て生き残っていけるのか・・・私には疑問に思うところも多い。少なくとも、そういう社会が訪れたときに日本がどうやって生き残るかということは、価値観の問題も含めて今のうちから考えておかないといけないと思うのですね。

昨日の話の続きにもなりますが、我々は一国家の国民としてこれから、経済的な利益を求めるのか、幸せをもとめていくのか、あるいは平等さをもとめていくのか、そういう議論はあってしかるべきだと思うのです。もっとも、この問題は簡単に決められる問題ではありません。現在自分がいる環境、立場によって求めるものは個人個人によって異なります。しかし、私たちが国家という統一制度のもとで生活している以上、なんらかの形で求める方向性を決めなければ制度として矛盾があちこちで生じかねません。私たちは何をもとめて生きていくのか・・・・。本当に重要な問題だと思います。

無茶をいわんでくれ 23:39 無茶をいわんでくれを含むブックマーク

毎日世論調査:全国の6割が「医師不足」認識

医師が不足している、その根本に「医療費の徹底した削減」という大きな要因があるにもかかわらず、日本の医療費が高いのだと。無茶もいい加減にして欲しいものです。

これだから国民というのは・・・・・。

2007年10月17日

ポリシー 01:17 ポリシーを含むブックマーク

f:id:vvvfigbt:20071017234403g:image

最近、こういうことを考えています。

なんだか、結局は福知山線事故のときに考えた結論とよく似たようなものになってしまいますね。

非常に面白いもので、がらっと立場を変えてみると、ある一つのことが正反対に見えるんですよね。そうすると今まで主張していたことが、いかにツッコミどころ満載であるかということがよく分かるわけです。逆もしかりですね。

結局、取りまとめる側としては最後はその中間あたりで調整するということが必要なんだろうなぁということを強く感じました。その場合、どちらも満足度は50%で不合格なんですが、たいがいそうしないとバランスが取れないですからね。二つの論理の間に挟まれると結構つらいものがあります。いわゆる中間管理職のジレンマというやつですか。

医師の立場もそれなりに分かるし、患者の立場もそれなりに分かるし、法曹の立場もそれなりに分かるようになってくると、どの側から出される主張もなんか過激で違和感を感じることが多いんですね。そこまではどう考えても無理だろうと。

医療界と法曹との調整の仕事にあたっている厚労省の方が「(医療側の)小松先生も(法曹側の)加藤先生も過激だから」とおっしゃっていた意味がよく分かりますね。

ところが、まぁ、最終的には双方の合意という形で期限内に結論を出さないといけませんから、できるだけうまく進むようにと双方の中間あたりで結果をまとめるわけです。すると、どちらからも「こんな意味のない結論にするとはどういうことか。官僚が骨抜きにした。お前らは最悪の連中だ」と批判が来るわけです。でも、一体どうしろと・・・。

どっちに偏っても、それは双方からとてつもない批判が飛んでくることになります。偏りがひどければ癒着を疑われても仕方がありません。そんななかで、結局は最も無難な真ん中近辺を取るしか方法がないのです。どちらにせよ批判は受けることになりますがね。

官僚というのは国民や医師にとっては憎き存在かもしれませんが、実際のところは中間管理職の立場なんですよね。22、3才の若い年代からいきなり中間管理職のジレンマに追い込まれるわけです。本当に見ていてかわいそうだなと思いました。仕事中の彼ら、特に主査〜補佐クラスを見るといつ見ても頭を抱えています。中にはストレスからか目がうつろになっている人も何人かいて、2、3年で配置換えをしてあげないと精神的に持たないだろうなと思いました。

まぁ、これは職場に行かなくても学会とかで呼ばれた若い官僚たちの姿を見ていると分かるんですけれどもね。ここぞとばかりに何十歳も上の人間に袋叩きにされて、正直、ネットで官僚批判をしていた頃の僕でも残酷だなと思いましたね。ある種、医師の非常に残酷な側面を見てしまった瞬間でもありましたが。医師ってこんな人間だったのかと、がっかりしました。(それ以降、私は急速に「崩壊したらいいじゃん」思想に傾いていくのですが)

話を戻しましょう。

立場が変わると、とかく同じ物事が正反対に見えることすらあります。その中でどちらの見方が正しいのか、あるいは別の視点が必要なのか、それを本気で考えていくと、なんとなくこの世の中というものが見えてくるような気がするのです。

前回もほぼ同じ結論でしたが、今回、最終的に僕が出した結論は、おそらくこの世には正しいと断言できるようなものは何もない。そのゆらゆらとした不安定さ、曖昧さを僕らは自分なりに受け入れて生きていくしかないのだ。

ということです。また、同時に次のようなことも強く感じました。自らが幸せだと思ったら、たとえ厳しい状況でも幸せになれるのであり、自らが不幸だと思えば、たとえ恵まれた状況でも不幸になるのだ。

だからお互い、多少の批判はあっても尊敬と感謝の気持ちは持っていたい。

この考え、色々調べていくと般若心経にそっくりなんですよね。

色即是空空即是色とかまさにそういうことのようです。

ブータンという仏教王国があります。そこは最近までほぼ鎖国状態で、とても優秀な国王が政治を取り仕切っていました。その国王が1976年に21才の若さで提唱したのが、GNH(Gross National Happiness)という考え方です。これはGNP(Gross National Product)のように国家の豊かさを国力や経済力で表すのではなく、国民の幸せ度合いであらわそうというものです

例え経済的に貧しくても、幸せにはなれる、そう国王は説いたわけです。

ブータンは最近までテレビとインターネットが禁止されていました。テレビやインターネットは有益だが、恐ろしい側面も含んでいると国王が感じたからでしょう。最近になって、国王はテレビとインターネットを解禁しました。ただし、使い方には十分気をつけるようにと忠告した上で。

にもかかわらず、国王が心配したとおりのことが起こっていると言います。隠れてネットの暴力ゲームを楽しんだり、違法行為に走る若者が急速に増えているそうです。また、他の国の経済的な豊かさを知ってしまうことで、自らの状況が不幸だと感じる人々も増えてきました。結果としてブータン民主化の道を歩むことになりました。それが果たしていいのか・・・民主国家に住む私には、そうも思えないのですけれどもね。

「知ってしまうことによる弊害」というのは数多く存在します。私が研究室をやめたのも、他の研究室の実態というものを知ってしまったからでした。また、医療崩壊の原因にも「研修医が各科の現状を知ってしまった」「医師が医療崩壊という現象を知ってしまった」ということが挙げられます。高3のときに1年間ネットをやめましたが、受験だったにもかかわらずなんだか幸せでした。知ることは必ずしも人を幸せにするとは限りません。ただ、そのことをきちっと認識していれば、そこまで不幸になることもないのかなとも思います。

2007年10月15日

なんか幼稚な対応 05:01 なんか幼稚な対応を含むブックマーク

看護師内診を容認するチラシ配布、兵庫県産科婦人科学会

かつて中高でもこういう法の解釈をする人間がいましたが、なんか幼稚ですね。

自分たちが主張したいことがあって法を犯すなら、堂々と「これは違法だけど、悪法だから仕方がない」と言って違法行為をすればいいんですよ。それで捕まったら堂々と違憲立法審査権でもなんでも、裁判で争えばいい。

こういう風に勝手に「解決した」なんて解釈したら余計に後が面倒になりますよ。拉致問題は解決したと言い張る北朝鮮みたいに。

僻地の産科医僻地の産科医 2007/10/15 07:00 うーんと。このエントリーは間違っています。
一応、この通達では、私たちはあることをえました。
通達そのものを読んでいただいても先生にはわからないと思うけど、
ただこうやって騒ぐところに新聞側(そして看護局側の)意図が見え隠れする。

どこが間違っているかというと、
>自分たちが主張したいことがあって法を犯すなら、
というところです。
内診禁止といっているのはH14とH16の看護局の通達です。
通達は、法律ではありません。
それから、内診そのものに触れた法律はないのです。

あまり不勉強でこの問題に首を突っ込んでほしくありません。
かなり重大で、閉塞感あふれる、問題ですので。産婦人科医にとって。
それからこのチラシを作っても構わない、という指令を出したのは、
産婦人科医会そのものです。

僻地の産科医僻地の産科医 2007/10/15 12:20 以下をよく読んで、一度ブログを書いた以上、訂正記事をお願いいたします。

「内診とマスコミ報道」 〜北九州市医報平成19年7月号に掲載
http://www.nishijimahidetoshi.net/report/detail.php?RN=389
 平成19年3月30日に厚生労働省医政局長名で各都道府県知事に対しひとつの通知が発せられました。表題は「分娩における医師、助産師、看護師等の役割分担と連携等について」となっており、産婦人科の内診問題について決着をつけるものでした。これについては平成14年と平成16年の2回看護師の内診問題についての都道府県からの疑義照会に対し当時の厚生労働省医政局看護課長が医事課との検討をせず勝手な解釈を看護課長名で通知したことに端を発し、分娩医療機関に大混乱をおこしたものです。直近では青森や神奈川県で看護師に内診をさせたとしてこの通知に基づき医師、看護師が逮捕されるという社会問題に発展してしまいました。このままでは助産師のいない産婦人科では分娩ができなくなり地域医療の崩壊につながるとして私も国会で質問し、武見敬三副大臣も重要な問題として積極的に取り組んでくれその結果が3月30日の医政局長通知につながったものです。内容は「看護師等は、療養上の世話及び診療の補助を業務とするものであり、分娩期においては、自らの判断で分娩の進行管理は行うことができず、医師又は助産師の指示監督の下診療又は助産の補助を担い、産婦の看護を行う」というものでした。

 ところがこの件で某新聞が看護師の内診行為は禁止と報道してしまったのです。日本産婦人科医会がホームページ上で厚生労働省と打ち合わせの上、内診が可能になったと掲載しました。これに対し日本看護協会が医師の指示があっても内診を拒否するようにという通知を出し泥沼化しました。さらに厚生労働省が内診を許可したとは言っていないとのコメントをしたとの報道がなされ、混乱に拍車を掛けました。ここで整理します。医師の指示で「いわゆる内診」に当たる経過観察は「診療の補助」に当たり看護師が行えることになりました。助産師と看護師の役割の違いは、助産師は自らの判断で内診が可能ですが、看護師は医師の指示が必要です。したがって医師は看護師に指示したことをカルテに記載し、看護師は経過観察の結果を医師に報告をすることが必要になります。この通知により看護師や医師が違反で逮捕されることはなくなりました。行政が発する通知は法律用語を多用しますのでわかりにくいのですが、法律に基づく都道府県行政に対する通知ですのでこうなるのは致しかたないのです。

 ところで5月18日の日本経済新聞の1面トップに「開業医の初診・再診料下げ」の見出しの記事が掲載されました。私は朝5時30分の「みのもんた朝ズバッ!」の中の今日の朝刊のコーナーで見てびっくりしました。国会に行くや、すぐに厚生労働省幹部を呼び、この真偽を確かめました。「このような事実はない」とのことでしたが、火のないところに煙はたたないと述べ調査をし、報告するように指示しました。その結果、当日の午後1時から厚生労働省が異例の記者会見を行い?このような方針を固めたことはない?この報道が事実に反する旨を、全国の社会保険事務局、都道府県主管課及び地方厚生局に対し、周知徹底する?日本経済新聞社に対して、この報道が事実に反する旨、厚生労働省より厳重に抗議を行った、などの内容で武見敬三厚生労働副大臣、水田保険局長の2人で説明を行いました。

 このように最近の医療に関する報道は一部の官僚の情報リークにより憶測で記事が書かれることが多く、不正確な記事が非常に多く見られます。今、私は参議院自民党国会対策副委員長として連日朝から夕方まで国会内におりますが、国会の中でも分単位で情報が変わり、今決まったと思ったことが1時間も経つとまったく正反対の結論が出たりします。マスコミの記者達はその中で早く情報を取ろうと会議をやっている会議室のドアや壁に耳を押しつけてかすかに聴こえる声をもとに憶測記事を書いたりして結果的に誤った情報として皆様方の目にふれたりするのです。私も記者達から廊下等で短時間(1〜2分)の取材を受けたりしますが、それが大きく報じられたこともありました。情報を皆様方に正確に伝えることの難しさを考えながら議員活動を続けています。国会もあと残すところわずか。皆様方がこの記事を読まれる時には参議院選挙真っ直中、年金問題、国家公務員改革の問題はどうなっているでしょうか。いずれも私の担当で閉会まで胃の痛む毎日が続くことになりそうです。

vvvfigbtvvvfigbt 2007/10/17 01:06 コメント有難うございます。
先生のご指摘・記事のご紹介を読ませていただいて、一部私自身の認識不足と思われる箇所もありました。それに関しては以下の記述のように訂正を加えます。しかし、先生が指摘された該当箇所については訂正をする必要はないかと思われます。

それは、なぜかと申しますと、保助看法が原則として助産師以外に産科の診療行為を禁止している以上、何があっても法律に触れる可能性は否定できないからです。私が申した「法を犯す」ということは通知に違反するという意味ではなく、保助看法に違反するという意味です(しかも、よく読んでいただけると分かりますが、法令と通知の違いを意識して、あくまで「法律」ではなく「法」を犯すと書いています。「法」の解釈は人によって違うでしょうが、通達・通知レベルまでは含まれると私個人は考えています)。実際に警察が逮捕にまで踏み出すということは、裏返せば看護師による内診行為の違法性を完全に阻却するだけの明確な法律がないということの証拠ですからね。(逆に適法性を完全に阻却するだけの証拠もない)

したがって、内診行為、特に医師が指示はするけれども、現場で自らの目で常に監督を行っていない内診行為(当たり前と思っていたので、言い忘れていましたが、今回、私が扱っているのは基本的にこの問題に関してです。もし、医師が常に看護師の横で監督しているのならば違法性は低いし、たとえ違法であったとしても罰せられることはないと思われます。もしそれまで罰せられるようであれば、医学生の実習は成り立ちません)に関しては、現時点では行政としての判断が明確には示されておらず、違法か適法かどっちかは分からない、というのが正確な記載かと思われます。その点で言えば、先生がご指摘した次の部分の「これは違法だけど」という断言的な部分は、この記述をもって「違法性が疑われるもの」と訂正します。

記事に関するコメントですが、
保助看法の所管は看護課であって医事課ではないですから、たとえ医事課に相談せずとも看護課による保助看法の解釈通達はちゃんと効力を持ちます(もっとも保助看法に医師法に基づくという旨が記載されている以上、医事課が医師法規定に関する解釈でそれを明確に無効化する通知を出せば、話は別かもしれません)。通知を取り下げていない以上、その通知は今でも行政の公式見解として有効だと考えられてしかるべきでしょう。3/30の通知も、一応読みましたが、内診に関して明言は避けていますよね(おそらく看護課の通知との矛盾を避けるためではないかと思われます。そこには、一度出した通知を取り下げたくないという意思が感じられます。一度出したものを取り消すというのは、明らかな法律行政の失敗を意味しますからね)。結局は解決したのではなく、実質うやむやになったと考えるのが自然かと思われるのですが。したがって、この通知をもってしてもいつでも警察が違法だと言い出せば、逮捕されうる状況に変わりはありません。

だから、私は逆に刑事裁判で、ある程度の決着をつけるべきだと思うわけです。刑事裁判の判決はある程度、判例としての実質的な効力が認められますので。その方が産科医としても安心できるのではないでしょうか?

あと、皆さん勘違いしているのですが、基本的に官僚のしゃべることは、その解釈を裏付けるものにはならない、ということは強く意識された方がいいのではないかと思います。できるだけ矛盾がないようにしようとはしていますが、どの課の人間も正確に他の課のことを分かっているわけではありません。やはり日本が法に基づく国家である以上、法律の条文や判決文といった明文化されたものが一番違法、適法を判断する信頼できる材料となるわけです。したがって、医政局長との会談でどういう会話がなされたかということはよく分かりませんが、会談はあくまで会談であって法律はもちろんのこと、通知のような明文化された文章とも格が違う、ということは念頭に置かれた方がいいかと思われます。そこらへんを、会談や口頭で了解があったからといって、明文化されていないものを「解決済み」としてガイドラインやチラシを出してしまうところは、妊婦に対しても現場の産科医に対してもいい加減な対応をしている印象を受けます。重大な問題なのであれば、違法ではないという明確な記載のある通知を受け取って、初めて解決済みとすべきです。

私自身も何度か各業界や団体との対応の現場も見学しましたが、「会談」や「会話」が決して何かお墨付きを与えるものではないというのはよく分かりました。もっとも、そういう風にしないと、「人」と「人」との会話が成り立たないのですがね・・・。だから、いつまでたってもこういう事件が起きるのです。「当初、役所は〜だと言ったのに、しばらくしたら〜ではないと言ってきた」
はっきり言って、日常茶飯事です。人間の限界を考えると、やむをえないんですけどね。

ただ、現行法ではその場合は、必ず相手を救済するべしといった明確な規定はないはずです。法とは結構残酷なものだなというのは、何かとあるたびに感じるのですが。

「もう医療崩壊してもいいや」という立場からの意見ですが、法というのはどうしても限界があるのです。JBMの風潮なんかを見ていると思うのですが、多くの人は自らが安心したいがために、「〜は違法ではないと保証くれ」と主張します。その気持ちは分かります。しかし、法というのは全ての事例を網羅できるわけではありません。中には本当にあってはならないことが起こることもあります。したがって、法律というものは総則的かつ厳しめにつくっておいて、行政や警察の解釈でそれを取り締まるかどうかを、ある程度、恣意的に判断して運用いかざるを得ないというのが現実なんですね。したがって、たとえ道義的にとても正しい行為をしていても、違法性を問われる可能性はないとはいえません。

最近思うことですが、日本という法治国家に住んでいる以上、我々はその違法性を問われるリスクをむやみに遠ざけようとするのではなく、むしろ、法の限界としてそれを受け入れ、またリスクと共存・共生していかなければならないのではないかと思っています。そして、裁判官や弁護士というのは、国民がこの避けられぬリスクと安心して共存する手助けをするためにいてくれているだ、とも思っています。医師や看護師が病気や死と安心して共存する手助けをしてくれているように。

だから、私は「〜の違法性を棄却してくれなきゃ、〜はしない、〜できない」という(医療崩壊の一つの原動力にもなっている)最近の歪んだコンプライアンス思想に、強い違和感と同時に不信感を感じているのです。このことについては今後も、このブログから発信しますし、それに関連すると思う事項には遠慮なく首を突っ込みます。コンセプトとしては決して間違っていないと思うので。

以下はこの問題についてご存知でない方向けの参考資料です。
?看護課通知
照会
下記の行為については、保健師助産師看護師法(昭和23年法律第203号)の第3条で規定する助産であり、助産師または医師以外の者が行ってはならないと解するが貴職の意見をお伺いしたい。


(1) 産婦に対して、内診を行うことにより、子宮口の開大、児頭の回旋等を確認すること並びに分娩進行の状況把握及び正常範囲からの逸脱の有無を判断すること。
(2) 産婦に対して、会陰保護等の胎児の娩出の介助を行うこと。
(3) 胎児の娩出後に、胎盤等の胎児付属物の娩出を介助すること。

回答
貴見のとおりと解する

?医政局長通知
http://www.jaog.or.jp/News/2007/24Apr2007_2.pdf

pedestrianpedestrian 2007/10/21 00:59 行政の裁量はある程度仕方がないとして、刑法の適用に関して「罪刑法定主義」という観点からはいかがでしょうか?

vvvfigbtvvvfigbt 2007/10/21 14:24 pedestrianさんコメント有難うございます。
http://www.med.or.jp/nichinews/n190705h.html
この考え方ですね。

まぁ、詳しいところは法曹界の意見を聞くべきとは思いますが、罪刑法定主義は決して機械的に適用できるような絶対的なものではないというのが、私の見解です。一応、日本は罪刑法定主義を取っているといいますが、お考えいただければ分かるように、それをすべて厳密に適用していては本当に悪い犯罪を取り締まることが出来ません(たびたび社会問題になりますが)。もし、それを厳密に適用するのならば、経済法などはほとんど存在できなくなってしまいます。そこで、現実策として少し曖昧な罪刑法定主義を採用しているのが現在の日本の現状です。もちろん、そこには問題点もあるとは思います。ただ、大まかな領域では罪刑法定主義は徹底されているのではないでしょうか。

今回の件でも、保助看法30条に原則として助産師以外は助産行為を行ってはならない、それに対して罰則の規程も43条に書かれています。もし、このような規定がなく、内診をして逮捕されたのであれば国家の信用を揺るがす大問題です。しかし、今回の件は枝葉末節の領域です。医療人、産科の人間からすると重大な問題にも思えるとは思うですが、法体系全体からすると内診が助産行為かどうかは医療->産科->検診という領域に入る「技術的な問題」であって罪刑法定主義を完全かつ厳密に適用すべき大枠の領域には入ってきません。だから行政も政令レベルでそういうものを定めようとしないし、警察も自由に逮捕権を行使してきたのです。したがって、今回の逮捕の件や保助看法の問題が、罪刑法定主義に則っていないということは簡単にはいえないと思います。

では、国民は泣き寝入りしなければならないか・・・というとそういうことはありません。日本ではこのような罪刑法定主義の限界に属する微妙な問題を解決するため(それだけではありませんが)に司法、裁判という手段が存在しています。司法というのは個別の事件や行為が、違法かどうかということを法廷論戦、及び裁判官の自由な心証によって決めるものです。裁判では個別事項の枝葉末節まで解釈が検討され、最終的には刑の決定という形でその違法性が判断されます。その過程で、いわゆる罪刑法定主義の「類推解釈の禁止」という項目も検討されるでしょう。したがって、それで違法性が認められなければ国民は国家権力から不当な罰を受けることはありません。むしろ、その場合は違法性がないということが判例から証明されたことになり、判例法が成文法よりはるかに弱いものの、規則として一定の効果を持っている日本では、実質的な合法性が認められる仕組みになっています。なので、裁判の結果がおそらくかなりの部分を左右することになります。警察の行為は類推解釈なのか、あるいは拡張解釈か。現時点では裁判になっていないし、警察も不起訴処分にはしていない(あくまで起訴猶予だったはず)ので、決着はついていません。看護課長通知も司法を拘束しませんので、確定的なことはいえません。

あまり書きませんでしたが、私は個人的には内診は補助業務であるべきと思っています(基本的には産科医に同意します)。ただ、行政が一度出して撤回していない見解を明確な証拠なく、別の意味に解釈してしまうと必ず何年後か先に面倒なことになることに間違いありません。それならば裁判で争えばいいんじゃないか、と思うんですね。

そういう意味で、裁判は恐れることではないとは思います。訴えられることはいつでもありうる話です。でも訴えられたからといって罪や罰が決定したわけではない。今回の件については私も裁判になれば、産科医は無罪になると信じています。ただ、個人が個人の責任でこの件に関する合法性を信用するのならそれでもいいですが、裁判もせず、根拠も乏しい中でいかにも違法性がないことが保証されたかの文言のチラシを配布するのは、やり方として非常に問題を感じます。おそらく、もしものときに、その不利益をこうむることがあるのはそれを信じてしまった現場の産科医・看護師でしょうからね。

pedestrianpedestrian 2007/10/21 14:39 少なくとも原理原則論を論じるにあたっては、「罪刑法定主義」という刑法の根本原則を軽んじるべきではなかろうと思います。実際の現場において、事案の当事者が、具体的事実を前に、様々な解釈をする可能性を否定はしません。現実にそういうことは行われてきました。しかし一方で、それに対する痛烈な批判も数多くなされてきたのです。
あなたは学者ではありません。そして当事者というわけでもない。一般市民の一意見としてこういうのもアリだと思わないではありませんが、少なくとも学会に対する批判的評論のスタンスには違和感を禁じえない、というのが私の率直な感想です。現場で向き合っている人々の真摯な活動を袈裟懸けに斬って捨てるには、相応の見識なり経験なりが要求されるものと愚考します。
あなたがあなた自身をいかに評価しているのか、直接に知る手段はありません。ある確たる認識のもとに行われた妥当な言論活動であるというのなら、それはそれで結構だと思います。
上記あくまでも私個人の指摘見解です。不快に思われたなら申し訳ありません。さしでがましいことを書きました。

pedestrianpedestrian 2007/10/21 14:41 訂正です。

「指摘見解→私的見解に基づく老婆心からの指摘」

失礼しました。

vvvfigbtvvvfigbt 2007/10/21 19:00 ご指摘、ありがとうございます。
「幼稚」というのはあくまで私がこの話を聞いた時に最初に率直に感じた印象です。それでご不快になったのであれば、関係者の皆様にお詫びいたします。
ただ、あくまでこれは日記なんですね。したがって、ここに記述されている全てを「言論」と捉えては頂きたくないんです。

「袈裟懸けに斬って捨てる」という表現は私はちょっとあまりに誤解に過ぎているなと思います。そんなつもりはありませんし、その証拠に「なんだか」という言葉をつけています。あくまで私が感じた印象を記載しているということです。

基本的に私は通勤ラッシュで人に足を踏まれて「今日は朝からムカついた」と言っているのとあまり変わらないぐらい感覚で、この話を書いています(だからエントリ自体は短いです)。基本的にはこのブログの内容はそういう趣旨のものだとご理解ください。それは周辺の記事を読んでいただけたら分かるかと思います。医療の話題だけで書いているわけではないですしね。

あまり、このブログ程度でカリカリなさらない方がいいと思いますよ。あくまでブログですから。気を楽になさってください。その方がたぶん、いい結果を生むと思います。
私の学会に対する批判的な見方はある意味、このカリカリさ、強硬さから来ているところもあります。もちろん、そうなる気持ちはよく分かりますけれども。

pedestrianpedestrian 2007/10/21 22:22 人の目に触れるところに記された文章ですからね・・・その点自覚した方が良いですよ。
あなたがどのような意図で書いたのであっても、受け手が思い通りに受け取るとは限らないということです。読者のmajorityは言論活動と解釈するんじゃないでしょうか。本当の関係者がこのブログを読んだ時の感情、想像したことがありますか?
ちなみに、私は「医者である」という以上に接点はございません。念のため。

「お前、今俺のことバカって言っただろ」「いえ、独り言ですから」
  ↑↑↑
極端ですが、あなたの発言はこれの延長線上です。

カリカリすべきでないことについては同意です。カリカリしているように見えましたか?
このように、書き手の意図と読み手の解釈はズレるってことです。

>もちろん、そうなる気持ちはよく分かりますけれども
当事者の立場にたって考えて、あなたの文章を読んで「ああ、分かってもらっているなあ」と思うだろうか。
当事者意識をもつこと、或いは当事者の視点で事象を観察してみること。社会に出る前なので仕方がない部分もあるでしょうが、その分思う存分やれるとも言えるのですから。

vvvfigbtvvvfigbt 2007/10/21 23:56 その辺がねぇ・・・自分でも結構悩むところは多いんですが。
でも自分が感じた第一印象を知って参考にしてほしいという意図も少しはあるんですよね。僕から記事を見ると、そういう風に見えましたよ、と。その微妙な意図をどうやってネットという顔の見えない世界で伝えたらいいのかは難しいのですがね・・・。

「気持ちはよく分かる」の件ですが、誰でも「ある人一人の立場に立て」といわれるのであれば大抵の人ならば感情移入をすることができます。私もかつてそういう時期もありました。全面的に医師を支持していた時期が(何を隠そう、日本医学会総会での南野発言を医療ブログに広めた一人が実は私です)。ただ、医師だけではなくて、低所得者だとか、官僚だとか、政治家だとか、経済界だとか、一般国民だとか、色々な人の立場というものを考えてみると、必ずしも誰か特定の人をえこひいき出来るほど簡単な問題でもないんですね。それぞれの言い分にはそれなりに正当性もあり、またおかしな点もある。立場によっては矛盾する主張もある。その辺を意識すると、どうしても、「そういう意見も確かにある、それは分かりますが、だけれども〜という見方もある」というようにしかならない。結果として同情が伝わらない文章になってしまうことは確かだろうと思います。しかし、かといって、毎回のようにあっちこっちに完全な感情移入をしていては、それこそ滑稽なことになってしまいます。まだ、患者さんとの1対1ならばそういうことも可能なのかもしれませんが、医療制度という全国民が関わる事象ではそれは不可能に近い。

僕がこういう多くの人の立場を理解したいと思えば思うほど、どの人からも批判を受けるというジレンマを抱えることになってしまうのです。そういう中ではそのうち、同情という感覚そのものが麻痺してしまうのでしょうけれどもね。(霞ヶ関を見てきたので分かりますが、おそらく官僚たちが、冷酷だとかそういう批判を受けやすいのはこの事情があるからでしょう)

私にとっての現在、最大の悩みはそこです。あとは現場と数字のギャップをどうやって考えていくか。その2点ですかね。一体どうすべきなのか、いまだに確証がもてないのが未熟な証拠なのかもしれません。よろしければアドバイスをいただけると幸いに存じます。あつかましくて申し訳ございません。

pedestrianpedestrian 2007/10/22 10:38 誰かの立場にべったりする必要はありません。それは私の主張するところではありませんよ。
あなたの発言には、客観的分析やあなた独自の見解による意見表明のようなものはあり、それは大いに結構だと思うのです。しかし、どうも「高いところ」から見下ろす感じとでもいうのでしょうか、そういう印象は拭えません。
あなたはおそらく頭の良い人物なのでしょうし、きちんと情報を収集したうえで意見を述べています。それは読んでいてわかります。でも、やはり勘違いをすることだってあると思うんですね。特に、論じていることについて具体的利害関係をもって臨んでいる人から見ると、それが明白である場合も多いんじゃないでしょうか(たとえばここでの僻地の産科医さん)。そういう人の意見に対する反論の中に、私が指摘したいあなたの「当事者的視点の欠落」的要素が色濃くでているように感じるのですよ。
世の中の色々な出来事にいちいち感情移入していてもはじまりません。しかし、何か具体的問題が発生し、それに関する見解を述べるにあたっては、そういう視点はどうしても必要なんだと思います。それをしない人というのは・・・イメージとしては、山奥の隠者がテレビやネットで情報摂取しつつ論評を繰り返す、というか。そういうスタンスを全否定はしませんが、一方でそういう人は、里に下りて来て里の社会に影響力を行使すべきではないでしょう。

vvvfigbtvvvfigbt 2007/10/22 21:07 pedestrian先生、大変重要なご指摘ありがとうございます。読ませていただいて、本当にその通りだな思いました。幼稚なという表現は、全て撤回させていただきます。本当に申し訳ございませんでした。

どうでもいい話で申し訳ありませんが、僕自身、いつのまにか他人を見下してしまう自分に気付くところは多いし、そのたびに自分が嫌になることはよくあります。そういう意図はないのに、なぜそうなってしまうのだろうということを考えたのですが、もしかしたら対人恐怖というのが根底にあるのかもと思いました(間違っていたらご指摘ください)。元内科医先生が指摘されていたことですが、私は「他人の目を気にしすぎ」なのだそうです。
おそらく、当事者意識が持てないのもそこにあるのかもしれません。里に下りることの恐怖というか、そういうものが。人に対する根底の恐怖心を克服することが最初に必要かなと感じています。ちょっとずつですが、意識して改善してみたいと思います。

pedestrianpedestrian 2007/10/22 23:09 偉そうなことを沢山書いてすいません。がんばってください。

2007年10月14日

DTPは難しい 00:23 DTPは難しいを含むブックマーク

試験が終わるや否や、学祭の準備で大変です。パンフレットを作るためにここ1ヶ月近く毎日のようにイラストレータと格闘しています。期限が明日までなのでギリギリのラインで調整しています。はっきりいってクオリティなんて考えている余裕はないです。

プログラミングの経験はありますが、DTPなんて全くの初心者なのでなかなか厳しいですね。この作業のためだけにイラストレータ参考書籍、メモリ増設などでなんだかんだ言って5万円ぐらい出費しています。それをまかなうために作業を止めてバイトをしに行くという、まったく本末転倒な状態も発生しているのですが・・・。もっとも、得られたバイト代を投信に回して少しは利益が出ているので、まだなんとかモチベーションを保っていますが、とかく大出費ですね。なんだかんだと難しい仕事を引き受けてしまうのはなぜだろう・・・。ただ、下らない商品を買いあさるならともかく、技術を身につけることに損はないですから、頑張ってやるしかないですかね。

2007年10月10日

期待できそう 19:19 期待できそうを含むブックマーク

舛添大臣の答弁を見ました。かなり熱心そうですね。多少は厚労省や関係省庁の方針も変わってくることでしょう。大臣は普通の政治家とは比べ物にならないほどの強い力を持っていますので。

どこまでの改善になるかは分かりませんが、期待は出来そうです。

個人的には過剰な歯科医師を再教育して医師にするというウルトラCが出てくるといいなぁと思っているんですが。

勤務医の待遇改善も必要ですが、中長期的な視点からして

  • 臨床に特化した医師の公的教育機関(ミスを犯した医師の再教育を行うと同時に、医業を離れていた医師が復帰できるような教育を行う)をつくる

というのは、今後20年間の医師不足を解消するためには必要ではないかと個人的には思っています。

医局回帰? 20:20 医局回帰?を含むブックマーク

先日、OBを迎えるパーティで学部長と20分ほど議論する機会があったのですが、「やはり医師の派遣機能は大学にしか担えない」とおっしゃっていました。確かにマグネットホスピタルなどの政策はありますが、国病構ですら医師が不足している状況なので、現実的には難しい。最後はやっぱり組織としてある程度まとまりがある医局なのかもしれないというのは私も思うところです。ただ、かつての医局をそのまま復活させることは研修医にとっても嫌でしょうし、国民からはまた封建的な体質に戻ったという批判をうけかねません。いかにして大学医局を透明化し、医師にとって魅力的にしていくか、また地域密着型にしていくかというのは今後、各地方で知恵が絞られることになるでしょう。逆に言えば、その努力を怠った大学、県には今より深刻な医師不足が訪れうるということでもあるのですが。

ちなみに、今年の学祭の学部長挨拶はタイトルが「医療構造改革のうねりの中で」・・・・

全然学祭に関係ないやん、という突っ込みは非常に入れたいところなのですが、まぁ県などと地域医療の構築に腐心、苦労されている様子が伺えます。

ちなみに来年のシンポジウムは、医療制度関連にしようかとうちの学年では話しています。

もっとも、すべての人が医療崩壊を認識しているわけではなくて(うちの学年で医療崩壊ネタをことあるごとに宣伝しているのは僕なのですが)、先日、普段あまり話さない同級生に「全国的に医師不足が問題になっている」ということを僕が話すと、「不足じゃなくて偏在に決まっているやん」とか言われてこちらも拍子抜けてしまいました。一応、厚労省は「偏在」だといっていて、現場の医師は「不足」だといっていて、僕は「不足と偏在の両方が存在していて、短期的には偏在の解決が重要だ」と考えているということは説明しておいたのですが。

脳内メーカー 00:34 脳内メーカーを含むブックマーク

世の中には色々な占いが存在するわけで、その信憑性は人によって議論が分かれるものの、多くの人がネタとして楽しめるということは確かでしょう。

ご存知の方も多いかと思いますが、「脳内メーカー」というものが最近人気になっています。これは名前からその人の脳内を分析するというもの。まぁ、プログラミングをしたことがある人間にとっては、「だいたいこういう仕組みだろうなぁ〜」なんてのは想像がついてしまうわけですが、それでもネタとして楽しいことに変わりはありません。

さてさて私の本名を入れてみると

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という結果に。そんなに嘘が多いかなぁ・・・・もっとも多重人格な人間なので、頭の中の別人は舌を出している可能性は大ですが。愛とHと欲の割合に異議はありません(おいおい・・)

ちなみに私のカレンダーは

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過労死しそうです。

ちなみに名字と名前の間にスペースを一つ入れると全部変わります(そりゃそうだ)

全角のスペースを入れた場合、脳内はこんな感じ。

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悩みが多いことは確かですが、まぁ頭の中を埋め尽くしていることはない。一旦、達観したら悩まずです。

この場合のカレンダーは

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どっちにしろ働きすぎのようです。日曜日は毎週悩み事・・・案外、今の生活とマッチしているような気がしないでもないですが。

まぁ、自分の名前を入れるのもいいのですが、気になるのは友人や先輩後輩、上司部下の名前ですね。

ちなみに私の元ボスの名前を入れると

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やっぱりw

皆様も、ぜひ自分や友人の名前を入れて遊んでみましょう。占いですからくれぐれもショックを受けたりしないように。

2007年10月08日

国会会議録検索システム 02:05 国会会議録検索システムを含むブックマーク

国会には便利なことにネット上から会議録が検索できるシステムがあります(昔の膨大なデータを電子化した人には尊敬の念を感じます)。

検索できる内容は本会議や各委員会での議論が中心です。だいたい、多少のずれはあるにしろ、国会で論戦となるような重要な政策案件については検索キーワードによく引っかかってくるはずですよね。

ということで平成14年〜19年の5年間で各種のキーワードが何件出てくるかを調べてみました。

サブプライム」・・・・3件(うち本会議0件)

スペースシャトル コロンビア」・・・・10件(うち本会議5件)

ネットカフェ難民」・・・・12件(うち本会議3件)

サブカル」・・・・14件(うち本会議2件)

年金 横領」・・・・16件(うち本会議3件)

医療崩壊」・・・・19件(うち本会議4件)

「人生いろいろ」・・・・20件(うち本会議8件)

「十勝沖地震」・・・・36件(うち本会議3件)

ヘッジファンド」・・・・41件(うち本会議3件)

ホワイトカラーエグゼンプション」・・・・43件(うち本会議8件)

医療ミス」・・・・64件(うち本会議6件)

皇室典範」・・・・66件(うち本会議9件)

村上ファンド」・・・・74件(うち本会議7件)

医療安全」・・・・76件(うち本会議5件)

緑資源機構」・・・・78件(うち本会議11件)

公的資金注入」・・・・80件(うち本会議10件)

日経平均」・・・・80件(うち本会議9件)

新型インフルエンザ」・・・・80件(うち本会議13件)

住民基本台帳ネットワーク」・・・・80件(うち本会議10件)

おれおれ詐欺」・・・・80件(うち本会議3件)

雪印」・・・・91件(うち本会議7件)

混合診療」・・・・93件(うち本会議8件)

臓器移植」・・・・100件(うち本会議2件)

脱線事故」・・・・102件(うち本会議13件)

「技術立国」・・・・110件(うち本会議7件)

道路公団民営化」・・・・112件(うち本会議23件)

療養病床」・・・・113件(うち本会議6件)

自衛隊 給油」・・・・124件(うち本会議18件)

「過剰収容」・・・・126件(うち本会議10件)

「財政危機」・・・・140件(うち本会議19件)

耐震偽装」・・・・146件(うち本会議14件)

医師不足」・・・・156件(うち本会議18件)

基地問題」・・・・181件(うち本会議16件)

過労死」・・・・196件(うち本会議27件)

「不法滞在」・・・・197件(うち本会議18件)

SARS」・・・・218件(うち本会議15件)

「不審船」・・・・229件(うち本会議17件)

「政治と金」・・・・230件(うち本会議53件)

ライブドア」・・・・235件(うち本会議26件)

格差社会」・・・・244件(うち本会議37件)

国債 発行額」・・・・245件(うち本会議63件)

裁判員制度」・・・・249件(うち本会議27件)

定率減税」・・・・289件(うち本会議57件)

医療制度改革」・・・・299件(うち本会議48件)

「貸しはがし」・・・・310件(うち本会議45件)

道州制」・・・・316件(うち本会議44件)

官製談合」・・・・339件(うち本会議56件)

同時多発テロ」・・・・342件(うち本会議51件)

「財政赤字」・・・・346件(うち本会議40件)

公務員制度改革」・・・・383件(うち本会議58件)

プライマリーバランス」・・・・398件(うち本会議61件)

マニフェスト」・・・・430件(うち本会議55件)

イラク戦争」・・・・569件(うち本会議84件)

郵政民営化」・・・・608件(うち本会議95件)

「骨太」・・・・685件(うち本会議51件)

「拉致 北朝鮮」・・・・794件(うち本会議113件)

昔、グーグルかなんかで検索してヒット数が何件出てくるかというので、競っていた人々がいたみたいですが、国会会議録でそれをやってみても面白いかもしれません。

とかく、思うのは財政、防衛、外務、経済の問題に比べたら医療って本当に小さな領域なのだな、ということでしょうか。医師不足よりかは不審船の方が重要な問題なんですね。

まぁ、国としてやるべき最低限の仕事というのはさまざまな歴史から見ても

ぐらいですからね。となると、財務省外務省防衛省警察庁検察庁経産省国交省ぐらいしか必要がないと。それ以外は基本はオプションなわけですね。実際、「小さな政府」は「夜警国家」とも言われるぐらいで、まぁ19世紀の政府というのはこういう方針を採ることが多かったわけです。財閥ができて、労働者を使い捨てにするような近代国家がまさにそれですね。

世界大恐慌第二次世界大戦以来、「市場の失敗」「市場の破綻」が叫ばれるようになって世界は福祉国家の流れに入ります。その中で日本も国民皆保険制度が導入されて、年金も充実されてきたわけです。しかし、福祉国家というのは大きな政府ですから、どうしても行政国家になってしまいます。このような国家は経済が成長する中では成り立つことが出来ましたが、オイルショック以降の経済成長が鈍化する社会では成り立たなくなっていったわけです。特にスタグフレーションが現れてからは「大きな政府」であることが経済の自由な活動を妨げているのではないか、という論調になっていきます。そこで、1980年代頃からまた小さな政府路線に転換していくことになりました。日本では90年代以降の不況の影響もあってあまり進まなかったのですが、サッチャリズムとかなんとかで海外では急速に小さな政府化が進められていきました。日本も小泉内閣以降は小さな政府化が進んでいます。その中で公務員を減らし、市場に任せるものは任せよう、行政国家からの転換を図ろうという動きが強まっているわけです。

(したがって日本が福祉国家でないという議論は大きな目で見れば間違いです。アメリカもメディケアなどがありますから、ぎりぎり福祉国家のラインには入ると思います)

さて、世間一般によくよく言えることですが、物事の本質をよく理解しないままマスコミのキャンペーンに乗っかってしまう輩が上流階級下流階級を問わず多いという問題があります。特にここ最近は官僚バッシングというものが流行しているわけですが、

経済成長の鈍化する中では、経済成長社会下ではうまく機能していた官僚主体の行政国家の弊害がより大きく目立つことになった」

ということが官僚バッシングの根本にあるわけで、役人そのものが悪いというわけではないということを認識する必要があるかと思います。今のような経済状態、社会状態では高度分化し、縦割りの官僚制には問題があるというだけであって、官僚がとんでもない奴らだという考えは完全な誤りです(それは実際に職場に行けば分かる。みんな普通の人ですよ)。むしろ、「官僚制に問題がある」ということを言いたいがためにあっちこっちから政治家とかマスコミがスキャンダルを拾ってきてはそういうイメージを植えつけようとしているというのが実際のところでしょうか。

まぁとかく、今の流れを見る限り「時代に合わない官僚制」は改革されていくということにほぼ間違いはないと思います。ところが、官僚はその辺の流れをよく分かっているのですが、国民はいまだにその流れをよく分かっていない。おんぶだっこのお上意識が丸出しのままで、ムカつくから批判だけしていればいいというような人々が多いわけですね。まぁ、結果としてそれが行政国家の解体につながるからいいという指摘はもっともな話ですが、じゃあ実際にそれで官僚制が縮小していったときに、国民がいわゆる「おんぶだっこ」の意識のまま、ぱっと荒野に放り出されて国家や国民生活を支えていけるのかという問題があります。私は官僚制の縮小自体には反対していませんが、この点を一番心配しているわけです。

たとえば、「医療がうまく行かなかったのは官僚のせいだ。厚労省はなんとかしろ」とおっしゃる医師が沢山いるわけですが、前半部文は医師会の活動や医療の高度化の影響など反論できる要素は色々ありますが、ここでは許容することとします。彼らいわく、官僚ではダメなのだと。では、後半部分。「厚労省はなんとかしろ」というのは完全に「おんぶだっこ」の意識だと思いませんか?これはまさに、お上が何か対策を採れば今の状況は打開できると考えている証拠です。官僚制度・行政国家がだめだと言っていて、官僚に対策を丸投げするようでは全く矛盾した行動としかいいようがありません。官僚制度・行政国家・大きな政府がダメだと思うのなら、官僚制度をなくして市場原理に基づいて医療が行えるように政治家に働きかければいいわけです。逆に官僚に何かを頼んで医療をなんとかしてもらいたいのなら、官僚制度や行政国家を支持すべきであって官僚制度を批判するべきではないですよね。最低限、頼む相手である厚労省の、霞ヶ関での立場を弱めるようなことはすべきではない。

もちろん、丸投げではない、具体的な提言は出しているという方もおられることでしょう。しかし、その提言はせいぜい「〜して欲しい」という程度のもので、その財源をどこから引っ張ってくるかとか、それに国民や他の利害関係者は納得する見込みがあるかとか、実際に法案が国会で成立することになるのか、そういう官僚たちがやっている仕事まできちんと見据えて議論できていないものが多い。「おんぶだっこ」意識から脱却するというのは、そこまで議論できるということが求められているのです。少なくとも業界レベルでそういうことを議論できることが求められている。最終的には官僚がやっている仕事を国民や政治家に渡す・・・それが「行政国家の解体」であるわけですから。

もしかしたら、逆に官僚たちが公務員制度改革に対してかなり強気で抵抗してくるのは、国民がおんぶだっこ意識を引きずっている、最後は官僚に泣きついてくるということを分かっているからかもしれません。だとすれば、「厚労省はなんとかしろ」という発言自体が、官僚たちに「結局は文句を言うだけで、自分では何も出来ないんだろ?」と思わせている可能性すらあることになります。やはり国民の意識が変わることが一番大事だと思います。

2007年10月07日

六法 13:37 六法を含むブックマーク

最近、法律の条文を無性に読みたくなって、六法を買うことにしました。ただ、六法全書は大きすぎて扱いにくいのでポケット六法というものを買いました。

ポケット六法〈平成19年版〉

ポケット六法〈平成19年版〉

昔は中高の生徒会評議会で立法や条文の電子データ化に携わっていましたから(ただし、いつのまにか作った法律が忘れ去られてしまっているというのが高校の生徒会ですね)、結構条文にはなじみがあるのですが・・・。でも、僕らが評議会の幹部だった頃は、条文を作った人間がほとんどが理系だったような気がしないでもない・・・(僕らの頃の議長は医学部、副議長は薬学部、参議兼Web審議官だった僕は医学部にいきました。書記は文系だったかな?今の評議会議長も理系です)。まぁ文理比1:3ですからやむをえないのですが。別に理系でも簡単な法律は作れるということです。

医事法 13:42 医事法を含むブックマーク

医事法を初めて学ぶ人にお勧めなのが有斐閣アルマの「医事法入門」

医事法入門 (有斐閣アルマ)

医事法入門 (有斐閣アルマ)

法律の話もありますが、どちらかというと医事法を取り巻く環境や背景を中心に解説されています。

常識は恐ろしい 15:08 常識は恐ろしいを含むブックマーク

司法と世間常識のずれ

モトケンさんの意見に全面的に同意します。光市の事件は私は弁護団や加害者よりも、マスコミや世間の論調の方に強い違和感を感じます。実はもともと私はあまりあの事件には注目していませんでした。ドラえもんだのなんだのを言おうともそれは、刑事裁判という場で被告人弁護団に保証された権利である、最後は裁判所が判断を下せばいいという考えでした。もし、それが稚拙な対応ならば加害者は厳罰を受けるだろうし、一理があると思われたのなら減刑される。ただそれだけのことだと思ったから、橋本弁護士の問題が騒がれようとも全く注目していなかったのです。今も正直、あんまり注目はしていません。弁護団にはドラえもんでも何でもいいので、世間や橋本弁護士は気にせずに加害者に有利になるように弁護を進めていって欲しいと思います。それが被告人弁護団としての最大の使命だと思いますので。

まぁ、話は変わりますが、とかく昔から僕は「常識」という言葉が嫌いなんですよね。論理的にとかくあやふやなものが多いのに強大な力を持っているからです。常識なんて論理的矛盾を追及すればいくらでも崩すことが出来ます。

たとえばみんなが常識だと思っている「他人を殺してはいけません」という常識。

じゃあ、なぜ他人を殺してはいけないのですか?と言って、全ての人が納得できるように説明できるヒトがいるのかということです。人を殺してはいけないという法律があるから、というぐらいしか説明できないでしょう。

倫理的にやってはいけない、という人が出てくるかと思います。では、生け贄えの風習はどうなるのですか?死刑はどうなるのですか?戦争で軍人が敵国の軍人を殺してはいけないのですか?自分が殺されかけても殺してはいけないのですか?生物学地球環境というレベルで見たらどうなのか?

つきつめれば突き詰めるほど矛盾点や例外が露呈するのが「常識」というものです。そもそも論理的に組み立てるものが難しいからこそ、高次レベルで公理を置いた結果が「常識」そのものなのですから。

したがって、「常識」というのは使い方や使う条件を誤れば非常に恐ろしいことになります。それゆえにその怖さを認識して「常識」という言葉を使うのが本当の「常識」がある人の姿だと私は思うのです。ところが、多くの人はそういう怖さも知らずに常識という言葉を濫用しているのが実態です。さらに問題があることに、多くの人はその怖さを知らないがゆえに「常識」はある意図を持った人によって簡単に作られたり壊されることが往々にしてあります。

たとえば、近年、小泉劇場政治の結果、「民営化」を多くの人がいいことだと信じています。民営化に反対すれば、既得権を持った人間か、「常識」のない人間だと思われかねません。しかし、JR西日本が起こした福知山線脱線事故は、少なからず民営化の問題点というものも露呈させました。先日行われた郵政民営化も場合によっては日本を危うくしかねない要素をはらんでいます。民営化がいいのだと確定的にいえる要素は何一つないのです。「リスクベネフィットを比較して、どうもベネフィットの方が大きそうだ、でもどちらがいいかは後で振り返ってみないと分からない」それが民営化についていえることです。にもかかわらず、民営化に対する庶民の偏った常識は解消する方向には向かっていません。それはいまだに小泉再登板を求める声が多いことからも分かります。

かつて一年のときのグループワーキングの場で、チーム医療に患者を参加させるのは常識だと、発表したグループがありました。医師のパターナリズムが批判される時代においては、一見すると患者の立場に立った素晴らしい意見のように見えますが、実際に治療に参加するとなると複雑なリスクベネフィットを自分の頭で比較して結論を出さなければならないことも多くあります。性格によっては、自分で決めないといけないというストレスがより病状を悪くする事だってあり得るのです。それよりは、何をやっても医療者の責任は問いませんから、すべて先生にお任せします、という方が患者にとってはいい場合も存在しえます。むしろ、私も患者の立場なら医学的なことをつらつら述べられるより、漠然とした将来に対する不安を看護師さんあたりに聞いてもらう方がいいと思うこともありますしね(実際、高2のときに5日ほど急性胃腸炎で入院したときは、そっちの方がありがたかったし思い出に残っています)。また、患者はお金を払い、医療を受ける側であることから、治療の義務が課せられる医療者とは違い、治療に積極的に参加するかどうかということは患者の自由でもあります。チーム医療(治療)に患者を参加させるかということは、決して「常識」の一言で片付けることができる問題ではないと私は思います。

「常識だ」と言うことが非常識であるとすら言いたくなるくらい、「常識」という言葉の使われ方はおかしいと思います。「じょうしき(常識)」ではなくて「じょうせき(定石)」ならいいと思いますが。

2007年10月06日

つらつらとゲームを紹介してみる 04:08 つらつらとゲームを紹介してみるを含むブックマーク

私の家にはいまどき珍しくコンシューマーゲーム機というものが一切ありません。WiiDSPS2もありませんし、ファミコンゲームボーイ、64なんかも一切買ったことがありません。いままでゲームはすべてパソコン上でやってきました。しかも殆んどがフリーソフトや1000円程度のシェアウエア。たまに誰かからもらった海賊版もあるのですが、著作権法云々がうるさく言われる前の時代ですから、そこは問わないことにしましょう。とかく本当にゲームにお金をかけた記憶がないんですよね。でもフリーソフトと言って侮ってはいけません。結構優秀だし、そこから新しいコミュニケーションが生まれることも多いのです。

さて、鉄道好きの方に秋の夜長にぴったしなソフトをご紹介します。日本語版も含めると僕が中2のときから、かれこれ7年以上楽しんでいるソフトです。

Transport Tycoon Deluxe

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このゲームは交通会社経営ゲームです。鉄道・道路・船・飛行機を駆使して、町から町へ人や郵便物・貴重品を運んだり、資源の産地から工場へ物資を輸送したり、工場から町へ製品を輸送したりします。AIの他社がでてきたりして、その他社と熾烈な競争をしたり、株式を保有することもできます。

英語やんとか思うかもしれませんが、英語です。日本語版もあってUNBALANCEから出ているのですが、はっきりいってこのゲーム1995年頃に出ているため、絶版状態です。中古でもほとんど出回ってないので、日本語版を入手するには海賊版等でないと不可能というのが実状です。

しかし、英語版は実は作者が著作権を放棄したことによりダウンロードすることが可能になっています。また、TTDPatchやopenTTDといったこのソフトに対するオープンソースの改変ソフトが有志から出ていて、さらに機能が拡張されて面白いゲームになっています。すべてがworldwideに作られているものなので英語が読めないと話になりませんが、まったくお金を使わずにハイレベルなゲームが出来るという利点は見逃せません。また、掲示板などで知り合った海外の同志とともに新しい車両を作ったりできるというメリットもあります。高校時代はこのゲームで知り合った留学中のスペイン人を部室に呼んだこともあります。

ただ、注意しないといけないのが、一度やりだすと際限なく時間を消費します。基本的にこのゲームにはゴールがないのです。もちろん、経営状態が悪く、債務超過になるとゲームオーバーになります。しかし、経営状態が良好であればいつまでも続くので「クリア」という概念はありません。だいたい、僕がするゲームにはそういうものが多い。シミュレータ系が多いですからね。きりのいいところや、飽きたところでストップをかけるという形になります。

しかも、このゲーム1925年から始めることが出来るのですが、1時間で5年程度しか進まないので、とりあえず区切りである2050年に達するまで何十時間もかかります。RPG的なので限りなく時間を消費するのです。でもその間、暇かというとそうではありません。他社が競争をしかけてくるときもありますし、最終目標はすべての町と産業を縦横無尽につないでいくことですから、絶え間ない建設と車両購入、運用の設定をしなければなりません。さらに経営ですから、赤字が出てもらっては困るわけです。赤字や非効率な車両を探してきては、なぜ赤字なのか、効率が悪いのかを考え、改善策を練ります。例えば資源の産地から工場への列車に赤字が出ているときは、資源の産出量が減っていて回転効率が悪くなり、Running costをまかないきれていないことが多いのです。その場合、大量輸送は必要ありませんから鉄道をトラックに転換したり、別の産地行きの回送列車をその産地に一時的に立ち寄らせて積み込ませるなどの対策が必要です。また、逆に駅に人や製品が沢山溜まっていると、地方自治体の評価の低下につながりますから、列車や飛行機を増発して対応します。しかし、増発すると線路容量が足りなくなったり、空港が混雑して余計に輸送効率が悪くなるため、それもバランスを考えないといけません。

また、車両や航空機も購入から年がたつと徐々に信頼性が低くなり故障を起こしやすくなりますから、経年にあわせてメンテナンス周期を変えたりする必要があります。それを怠ると飛行機の場合は墜落事故を起こし、その周辺の評価が一気に落ちることになります。

また、たまに災害が発生します。たとえばUFOが飛んできて線路を爆破したり、戦闘機がやってきて製油所を爆破したり・・・。経済状態もときたまRecessionに陥り、製品の生産が極端に落ちるときもあります。こういう各種イベント等にも対応しないといけないので、あんまりぼーっとしている暇がないのも事実です。

でもゲームとはいえ、やはりManagementというのは面白いなぁと感じます。

このゲームの導入方法については

TTDX英語版のページ

をご覧ください。

苦労する・・・・ 22:34 苦労する・・・・を含むブックマーク

コンピュータOS国連が作って全部統一すべきでしょう。Macの人からseaファイルを渡されたのですが、StuffIt Expander for Winを使っても開けないんですよね。インストールしたりアンインストールしたりの繰り返しで疲れました・・・。つーか、自己解凍形式にするなって話なんですが・・・。

最近のMacUnixベースでCコンパイラなんかもついているみたいなんですが、やっぱりwindowsユーザからすると、とっつきにくいですね。

2007年10月04日

[]前から読みたかった本 02:32 前から読みたかった本を含むブックマーク

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

「法令遵守」が日本を滅ぼす (新潮新書)

有名な本ですが、いままであまり読む機会がありませんでした(というか、書店で手にとってはみるものの、文庫本はわざわざ買いたいとまでは思わないわけで)。今日、たまたま図書館経済関連の本をあさっていて発見。

まぁ、コンプライアンスの問題点については何度か大昔に前身のブログでも指摘したわけなんですがね。

この本でも指摘してされていましたが、官庁の縦割りの問題というのは、結構大きな気がします。昔は官僚主導政治でしたから、利害関係の調整という面で官僚同士も交流が多かったし、接待という民間との交流もありました。しかし、「小さな政府」方針となり、また官邸主導政治になってから余計に官庁の縦割りは酷くなったように感じます。「小さな政府」の方針により、本省の業務量が膨大になりすぎて、所管の担当法律以外のことは面倒だからやる気がしない、たとえやる必要があることが分かっていても各官庁の上司である官邸内閣府与党の大方針から異なれば、それまでの努力が全て水の泡になってしまうから、元からやらないほうがいい、という風潮になっているんですね。内閣府経済財政諮問会議で決まったことに、伝統的に力が弱く、業務量も他の省庁を圧倒している厚労官僚が無理に反抗しようとしないのは人間心理を考えても当然のことです。

医師不足についても厚労省があまり積極的に対策をしている様子がないのは、「ただでさえ業務量が限界なのに、厄介な新しく仕事を追加するのは極めて面倒だから」の一言に尽きるかと思います。したがって、政治家、特に与党レベルで決まって成立が確実そうな制度改正以外はやりたくないのです。与野党で激しい議論になることをすれば、政策が紆余曲折し、限界に近い業務量がさらに増えるだけで、到底仕事をまともに完遂できないという状況に陥るのは目に見えています。実際、これ以上業務を増やすのは無理なので、今後の方針としては暇そうにしている都道府県に医師確保などの対策は基本的にすべて任せるということになっています。国の役割は、うまくいった地方の例を取り上げてそれを他の地方に伝えたり、更にうまいくようにその地域に補助金を与えるだけの役割です。もちろん、その場合、地方間で大きな医療格差が生まれることは十分に予想できますが、勤務医と同じドミノ倒し状態にある本省にはそれを国として行うだけのマンパワーはありません。

官僚を批判すればいいと思っている人に私が霞ヶ関を見て以降強く反発しているのは、官僚を批判すればするほど、「小さな政府」「官邸主導政治」の中では縦割りが深刻化し、問題解決から程遠くなるようなシステムが現実として出来上がっているからです。これはもはや、誰の責任かとかそういう問題ではない。強いて言うならば戦後の長年の国民の政治に対する無関心、そして1990年以降から始まる「小さな政府」の流れとそれに対する国民とマスコミの盲目的な支持によるものだといえるでしょう。いまや、野党与党も「小さな政府」に反対する人はいません。もちろん、「小さな政府」「官邸主導」であったとしても、そこで官僚の上に立つ政治家内閣がきっちりと横糸の役割を果たせば、うまく事は進むでしょう。しかし、日本の政治家はアホなタレント議員が当選することからも分かるように実力のない人間が大半です。またそういう政治家を未熟な国民が当選させてしまっています。

今までは官僚が縦割り機構の中でも利害調整や民間との接待などで省庁間、省と現場との間の糸をつないできましたが、マスコミ・国民・政治家による官僚バッシングによってその糸はズタズタに切られてしまいました。もちろん、それは癒着を防止する、より民主的に行政を行うという意味で、最終的な方向性としては望ましいことではあります。しかし、糸を切ってもいいのは「少なくとも誰か官僚以外の別の人間がその糸の役割を果たす」という条件下でのみです。現在の日本では、この条件が全く成り立っていません。官僚は自らの横糸を切られたこと、そして小さな政府で深刻な人手不足に陥っていることから、より縦割り・孤立構造が強くなりました。にもかかわらず「政治主導」をスローガンとして新たな横糸としての役割を期待された官邸政治家は全体的に機能不全に陥っており、任務を果たしきれていません。それどころか、「打ち出の小槌」だと思っているのか、さらに官僚同士や官僚と現場の糸を切るような官僚バッシングを続けています。これで行政がうまく行くと思う方がおかしい。もはや、この状態は指導者なき巨大組織といわざるを得ません。

まだ、今は官僚たちが優秀なのでなんとか無政府状態は避けられていますが、このようなことが続けば近い将来、日本全体が無政府状態になってintegrityを失うことは間違いがないと思います。無政府状態と聞いて「自由だ」と喜ぶ人もいるでしょうが、それは甘い考えというものです。歴史的に見て、指導者なき巨大組織はそのまま放置されることはまずありません。必ず別の野望を持った人物が、その状態を利用してまんまと組織をのっとることになります。それがもし、独裁者ならば日本は民主国家ではなくなってしまうでしょう。それがもし、軍と警察ならば日本はミャンマーのような軍政に陥ることになるでしょう。もし、それが外国ならば・・・・日本という国家自体が消滅してしまうかもしれません。まだ、官僚主導政治の方がマシです。

一つ、私がこの深刻な問題に対して提案するのは道州制の導入です。もはや与党野党も「小さな政府」と言っている段階で、これを昔の官僚主導の大きな政府に戻すのは難しいと考えるべきです。実際に、本省はドミノ倒しが発生するくらい深刻な人手不足に陥っています。

となると、大きく発想の転換を図る必要があります。そもそも本省が人手不足になる一つの原因は、法律の所管が本省にあるからです。都道府県などから法令の解釈について問合せを受ける業務は本省のキャリア事務官が担っていて、彼らはいつでも午前様です。しかも、そういう業務に加えて政策立案も担当しているという二重業務になっている場合も多い。しかし、本省が法律を所管している限り、このような非常に重要な業務を外部にまわすことはできません。

ならば、いっそ財政と法律の所管を地方にまわしてしまえばいいのです。国内で六法のような重要な法律は変わってしまっては問題ですし、現時点でそれだけの機能を地方議会が持てる状況にはありませんが、いわゆるアメ・ムチ法や解釈基準などの柔軟な変更は地方公務員でも十分可能です。ただ、県ごとに解釈基準が異なるとなると47も法令があることになり、非常に弊害も多いので、行政単位としてもっと広域である道州ごとに法律を所管させるようにするのがいいかと思われます。中央の役割は、道州が発令する「道州令」が憲法や国単位で決められた法律に違反していないかを審査し、許可を与えるということと、道州から国レベルの法律の変更が必要であるという要求があった場合に道州担当者を交えて対応を検討することに限定してしまうわけです。これにより基本的には地方が行政・財政の仕事の大半を担うことになります。基本的に政策立案も道州に任されます。国はそれを取りまとめて国としての整合性を保つだけの役割に成り下がるのです。まさに国から道州への権力移動を行うわけです。

この道州制(実質的な連邦制)の利点は

  • 制度を地域にあわせた臨機応変なものにできる
  • 必要なところに必要なお金を柔軟に配分できる
  • 住民がより政府に対して関心をもち、政治に責任を持つようになる
  • 州ごとに制度が違うので巨大マスコミの支配が多少は崩れる
  • 中央政府を名実ともに小さな政府にできる
  • 本省−出先機関−都道府県部局−市町村部局となっていた業務の重複を、(中央本省)−道州部局−市町村と少なく出来る

問題点としては

  • 地域ごとに制度や規制が違うので企業活動に支障が出る
  • 道州を越えた重要法案を預かる中央政府が形骸化する
  • 地域と政治が近くなることで癒着や汚職が増える可能性がある
  • 道州を越えた地域連携が難しくなる
  • さまざまな面で地域格差が生まれる
  • 国の借金をどう割り振るか?特定の道州が財政破綻した場合どうするのか?

などが考えられます。

一種のニッポン分割なわけですが、政治と行政が地方に密着する分、予算主義で単年度会計であるとか、縦割りであるとか、そういう非効率で、目の前の問題に迅速に対応できない行政システムは多少はマシになるものと思われます。道州によっては企業と同様の会計制度を導入するところがあるかもしれません(実は霞ヶ関は基本的に前年比較を入れた単式簿記であって複式簿記ではないのです)。ただ、この制度には地域間格差を是認するという前提があり、それを国民が受け入れることがすべての基本となります。場合によっては、多くの人が社会保障などが好条件である特定の道州に移住してしまい、予想だにしなかったような一極集中を招く可能性もあります。一種の強者州と弱者州が生まれるかもしれません。

ただ、小さな政府の方向性を維持しながら現在の体制で国政を保つことは、国家公務員地方公務員の数や仕事量を比較すると、ほぼ不可能だと考えられます。「小さな政府」方針を転換するか、道州制を導入するか・・・・岐路は実はすぐそこに迫っていると私は思うのです。

法令遵守からは随分離れましたが、この本の結論は科学技術の進歩に追いついていない組織構造に対して素晴らしい指摘をしています。

組織にとって不可欠なのは、社会の要請と周囲の環境変化をすばやく認識する鋭敏性です。それが実現できるのは、単なる上命下服のトップダウンの形態でも、根回し中心のボトムアップの組織でもありません。組織の構成員全体が鋭敏性を持ち合わせ、それが組織全体の鋭敏性として高まっていくことです。

つまり、組織が「眼」を持つことです。構成員一人一人の鋭敏性が組織としての鋭敏性に昇華し、社会環境という光に反応し始めたとき、組織には「眼」が生まれれます。

そこから組織の爆発的進化が始まるのです。

中小企業という小さな組織にしても、官僚という大きな組織にしても、そして国家という非常に大きな組織にしても、その構成員が一人ひとり自分たちの置かれている状況に「眼」を向ける、決して大きな問題を人任せにしないということはその組織の恒常的な存続に必須の条件であると考えられます。だからこそ、家の存続のためには、問題を官僚政治家任せにして責任転嫁することなく、国民一人ひとりが関心と責任を持たなければならない、国民が賢くならなければならない。それができるのが真の民主主義国家であり、また日本が持続可能な国として生き残ることが出来る唯一の道だと、私は思うのです。

ゆうちょ銀行 02:43 ゆうちょ銀行を含むブックマーク

ゆうちょ銀行のコーポレートカラーは緑だそうですが、ATMコーナーなどは遠くからだとりそなと全く区別がつきません。

もうちょっと工夫してもいいような気がしますが。

2007年10月01日

言論弾圧ではないのか? 20:56 言論弾圧ではないのか?を含むブックマーク

<ネット流出>掲示板に書き込み、侮辱容疑で医師を書類送検

m3comが医師専用掲示板である以上、これは言論弾圧と捉えてもしかるべきでしょう。

大淀事件での遺族の行動は、このブログでもかつて指摘しましたが、奈良県の産科医療を悪くする方向にしか働きません。もし本当に遺族の思いを実現するなら、残念ながら遺族は自らの行動を改めなければならない状態にまで事は進行してしまっているのです。これは遺族を批判するというよりは、現実としてそういう状況が目の前にあるのだから「実利を取る」「損して得とれ」という意味で、私はこのアドバイスをしたつもりです。(実は最近の一部医療ブログに対する私の厳しい目もこれと同じ意図が大半です。建前よりも実利を取るべきだと思うから、「官僚ではなく政治家に言うべき」とか「一般国民の目も気にするべきだ」と書いているわけです)

今回、書類送検された医師がどのような書込をしたか、私はm3com掲示板にはアクセスできないために知る由もありませんが、大淀事件に関しては遺族の対応が結果として、意図に反して日本の医療システムに相当の悪い影響を与えているという事実にほぼ疑いはないと考えられます。送検された医師はそれを言いたかっただけなのではないかと思うのですが、それすら書類送検されている状況を見ると日本はもう終わったのかなという気もしないではありません。医療が崩壊しようとまだ日本に希望は持てるとは思いますが、このような言論弾圧となると社会にとっては最悪の結末が訪れつつあるといっても過言ではないのでしょうか。ミャンマーと全く変わらない状態が日本でも警察を中心として、徐々に形成されているのではないかという気さえします。

今回、小さな政府公務員の削減計画が発表されましたが、唯一、国税と治安に関しては増員が図られています。防衛庁防衛省になりました。防衛省と警察はキャリア官僚にとっては出世が早い「おいしい」省庁として近年人気が高まっています。一方、厚労省が今年東大出身キャリアがゼロだったように、一般の行政機関から東大出身キャリアはますます離れている始末です。このままいくと日本は軍と警察が権力を握る構造になるのかもしれません。

[]考える本 02:13 考える本を含むブックマーク

以前から、脳外科見習い先生からご紹介くださった本です。ありがとうございます。

1週間ほど前に読み終えたのですが、紹介し忘れていました。

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

持続可能な福祉社会―「もうひとつの日本」の構想 (ちくま新書)

感想:老令世代が若い人間の仕事を奪っているという点や定常型社会の定義の仕方には少し疑問を感じるものの、社会学的な視点を多様におりまぜた本。

特にかつては終身雇用年功序列のカイシャが社会保障を担っていたが、それが崩れ始めたことで国の社会保障について新たな課題が次々浮かび上がってきたという指摘はなるほどと思いました。

あと、コメントを頂いたhirakata先生の本も今読んでいるところなのですが、紹介させていただきます。

[rakuten:book:11544474:detail]

「がん」について専門的な知見から死生観まで幅広く取り扱っています。医学生も読んで勉強になる一冊。

実は僕は大学に入って1年足らずで2人の祖父の死に直面しました。片方の祖父は心疾患であっという間だったのですが、もう片方の祖父はがんでした。なんというか、がんは本人にとっても大変なのですが、家族にとっても非常に大変だということを思い知らされた気がしました。外科的切除に加えて通院で化学療法もしたのですが、非常に体がしんどいらしく、在宅で介護する祖母にあたりちらかすし、薬も飲まないし、通院も拒否するしで、結局give up。最後は東京の伯母も呼んで無理やり入院させて、最後の緩和ケアということで、がんが発覚してから10ヶ月で我々に看取られながら病院で亡くなりました。その間、祖母が介護等で大変だということで私も2週間に一回は車で祖母の家に行って、買出しやら家事やらを手伝っていました。体力的と言うよりかは精神的に参ってしまうのですよね。介護サービスも使ったらどうかと提案したのですが、やはり昔の人というのは他人が家に入ることを嫌がる人が多い。結局、祖父が絶対拒否で祖母や家族が介護をすることになったのですが、本当に大変でした。

祖父とは病気の間に随分と話したので、今となってはあまり悔いはないのですが、一つ残念だったのは、やはり最後の方は病状も不安定なこともあり、ほとんど外の景色を見せてあげられなかったことでしょうか。車で15分だけ外に出て大好きだという近くの川の景色を見せてあげたかったのですが、病院からは許可が下りませんでした。あまり口には出しませんでしたが、普段の言動から推察するに、祖父からしてみたら命が多少縮まっても、親しんだ景色を見たかったのは間違いないとは思うのですがね・・・。

まぁとかく、近々死ぬことが分かっているような場合というのは、命を保つというよりは本人の希望をできるだけかなえるというところに力点を置くべきではないかというのは強く感じました。やはり、少子高齢化でどんどん死ぬ人が多くなる中で、医療もこれからは救命ではなくQOLとか「死にがい」による評価を中心にしていくべきだと思うわけです。

まぁ個人的な話ですが、こういう経験もあって僕自身はどちらかというと生よりも死に魅力を感じます。人間、生まれて徐々に成長していきますが、PPKではなく徐々に弱って死ぬときというのは、この成長過程と全く逆の経過をたどることが多いような気がします。少なくとも私が見た祖父はそういう姿でした。徐々に体力が弱り、判断力も低下して幼稚化していくのです。死には成長と同じだけの人間としての魅力というものがあります。不本意な若年者の死は別として、高齢者の死は悲しいが決して暗いものではないと思うのですね。

これから20年ほどの医療というものは、救命の医療よりも死の医療に軸足が移ることは間違いありません。巨費を投じて最新のクスリをどんどん開発して使うのもいいですが、「死にがい」のある死を迎えるためにも、高齢者にはやはりメンタル面でのサポートに人と費用をかけるべきではないかと思います。その方が最終的には医療費も抑えられると思うのですがね・・・。

「病気を治す」ということに絶対的な価値観を置いている医療者側の意識の変化というものも求められているように思います。少なくとも患者家族の経験を持つ立場として。