本性をあらわした民主党と小沢

特捜部と小沢陣営の闘いが続いているようですが、民主党の連中を見ていると、とうとう本性をあらわしたな、本当にどうしようもない連中だなと思いますね。本当にナチ党みたいです。

さて、
【民主党大会】「検察が正義」大間違い 鈴木氏の批判に沸く

確かに疑惑は、まだ疑惑にしか過ぎないわけで、確定はしていません。疑惑の真相は「まだ分からない」というのが最も正確な表現です。だからこそ、「小沢が犯罪者である」という断定もできないと同時に、「検察が間違いである」という断定もできないわけです。そこをほとんど何も知らないくせに「間違いである」と断定する彼らの論理は、完全に現実を無視しています。こういう人々が政治を動かしているとすれば、あるまじきことです。こういう事実確認をちゃんとしないで安易に断定表現を使う体質だから、偽メール事件で代表が辞任にまで追い込まれ、メールを持ち出した議員が自殺するんでしょう。

また、彼らの論点のすり替えも非常に目障りです。彼らは検察を官僚機構、自らを政治組織と称して、この事件を「政治家v.s.官僚」という構図にしようとしているみたいですが、そもそも検察官というのは警察とは違って法曹の一部に分類されます。つまり、弁護士や裁判官と同列であり、実際に司法試験に合格した人々の集まりです。「ヤメ検」が流行りになるように人材の入れ替わりもそれなりにあります。これを一般省庁同様の官僚機構とそのまま捉えること自体無理があります。官僚たちも検察を他省庁と同様の官庁組織とは捉えていないはずです。守谷事件や岡光事件のように時には官僚も検察の標的になることがあるのですから。なんでも「官僚」とラベリングすれば国民が味方になるとでも思っているんでしょうか。完全にバカにしてますよ。何が「事業仕分けしろ」だ。

鈴木宗男も意味不明。確かに検察官も人間ですから時には冤罪のような間違いも犯すでしょう。しかし、果たしてそれが「間違った権力」なんでしょうか?「権力を間違って使う」なら意味は理解はできます。誤った判断で権力を間違った方向に使ってしまう。それはあるでしょう。しかし、権力自体が誤っているとは到底思えません。政治家や官僚、財界人も人間である以上、法に触れる行為をすることはあるわけで、一般犯罪者では到底行使できないほどの権力や情報収集力を持ち、権力で犯罪をもみ消すことが可能な彼らには、能力を結集させた特別な検察組織(=特捜部)が監視に当たるのは権力システムのバランスから考えても自然なことです。十分正当な理由があって存在している権力です。誰も今の特捜部の役割が闇物資の摘発だと思っている人はいません。時代錯誤もはなはだしいものです。

小沢の最近の説明を聞いていると、「政治家は国民に選ばれているから、何をやってもそれは国民の意志であり許される」「国民に選ばれた政治家は排他的な強い権力を持つべきだ」という考えが根底にあるようです。そんなことは誰も認めてません。そもそも民主党が政権党に選ばれた・・・じゃあ実際に得票率はどのくらいだったんでしょうか?

競り合う自民票、民主票
これを見ればわかるように、今回の選挙は議席数比が3:1に近い民主党の大躍進でしたが、得票率は3:2程度の比しかなかった(別の記事によれば11:9という説もあります)ことが分かっています。小選挙区制という国民に究極の選択を迫る制度が民意のわずかな差を大きな差へ増幅させ、歪める効果を果たしたことは明らかです。これは今回に限らず小泉郵政選挙の時でもそうでした。

つまり、小沢は民主党が躍進したことをもって、自らの説明は国民に理解されたと主張しますが、仮に時間差を考慮しない彼の論理を認めたとしても、単純計算で国民の5人に2人は理解していませんし、前提となる民主党の躍進自体が民意の実状とはかけ離れたものである、ということが言えると思います。小沢がもしこのことを分かっていて、そういう主張をしているのならば多くの国民をだまそうとする欺瞞としか言いようがありませんし、分かっていないとすれば彼の認知の歪みを疑います。

だいたい、検察の逮捕、捜索が党大会前日だったからといって、それが恣意的だと判断する根拠はどこにあるというのでしょう。大物の政治家なら毎週のように大きなイベントや政局があるでしょうし、党大会だって年に何回もあるでしょうが。じゃあ、1か月前の昨年12月15日ならよかったんでしょうか?ちょうどこの日は中国の副主席が天皇と会見した日ですね。外国の要人の前で会見をコーディネートした与党幹事長の側近が逮捕されたとなれば、それこそ国益を損ないかねません。まだ今月で良かったと思います。彼のいう「そういうやり方」を許さなければ、政治家とその周辺の人間はいつまでたっても逮捕できないことになりますね。

検察が小沢を捜査の標的にしていることは誰の目にも明らかですが、日程を含めて何でもかんでも検察の悪意に関連付けること自体が、認知の歪みだと私は思います。了解可能なので一次妄想とするには無理がありますが、妄想と捉えられても仕方がない主張です。

しかもそれが「民主主義を憂慮」というのもまたおかしな話です。民主主義とは人民主権のもとで政治が行われることです。すなわち、独裁者のような一人の人物や貴族のような特定の集団しか政治に影響力を行使させないのではなく、国民広くが直接的あるいは間接的な手法を用いて政治に参加できることを指します。決して国民の選んだ多数の国会議員によって定められた法が、政治家によって破られた疑いがある時に、政治家の治外法権を認めたり(国会議員の開会中の不逮捕特権はありますが)、証拠隠滅の恐れや被疑者の自殺の恐れがあるのに、一政党の日程に合わせて逮捕を遅らせたりすることを民主主義とは呼んでいません。むしろ、そういうったことを認めることは大規模国家における民主主義の存在前提となる法治国家制度を揺るがすものであり、それこそ根底から民主主義を破壊するものでしょう。(「ムラ」程度の大きさでなければ人治主義で民主主義を遂行するのは不可能です)

以上のことから私は小沢の態度と主張に怒りを感じますし、それに対して自浄作用を働かせようとせず、無意味な検察批判ばかりを繰り返したり、だんまりを決め込む民主党系議員に怒りを感じます。未だにこういう政党を無批判で支持している人々にも私は怒りを感じざるを得ません。

ただし、これだけは強調しておきたいのですが、私は昨今の民主党に対するまともな批判の中、どさくさにまぎれて右翼団体ネトウヨが無関係の法案批判やラベリングを行っていることにも怒りを感じています。特に小沢批判が強まれば強まるほど永住外国人参政権反対派が活動を強めていることに憂慮を感じます。私は個人的には永住外国人にも条件付きで一部参政権を与えていいと思っていますし、この法案を推進しているからと言って小沢が売国奴だとは思いません。少子高齢化の中で外国人労働者は日本の発展維持に欠かせない大きな戦力になるでしょうし、彼らは現に日本の便利な生活に十分貢献しています。領土買収問題などに対処するために財産制限を設けたり、国政選挙の比例代表のみに限定するというやり方もあります。帰化促進を促すのも大事でしょう。どちらにせよ、この問題を扱うときは「外国人を拒否する」というメッセージを出さないことが重要です。外国人だってたとえそんなに参政権がほしくなかったとしても、参政権をめぐって一部国民の強烈な反対運動を目の当たりにすれば、それだけで気分が悪いでしょうからね。地方都市の人々には分からないかもしれませんが、中華街のある都市で日常を過ごしていると外国人を大事にしたいという姿勢がいかに重要か分かります。彼らは私たちの生活に欠かせないのですから。