ウソの意外な側面

今日はエイプリルフールなので、ウソにまつわる話を。
よく「嘘つきは泥棒の始まり」といいます。軽いウソをつくことが罪悪感の希薄化につながり、犯罪の温床になるという意味なのでしょう。最近では「嘘つきは民主党の始まり」とも言うそうですが、それはさておき・・・。(そういえば街中で遊んでいる小学生が、「ウソつき!民主党になるで〜」としゃべっていたのを見た記憶が・・)

そもそも「ウソをつく」というのは、どういう意味なのか。広辞苑第四版で「嘘」を引いてみると

  1. 真実でないこと。また、そのことば。いつわり。閑吟集「人は―にて暮らす世に」。日葡「ウソヲツク」。「―が露顕(ろけん)する」
  2. 正しくないこと。「―字」
  3. 適当でないこと。「今やめるのは―だ」

らしいです。

3番目の使い方は意外でした。あんまりこういう使い方をしている場面を見たことがないのですが・・・。少なくとも関西地方ではこういう使い方は耳にしたことがありません。どなたかこういう使い方を日常的にしているという方、いらっしゃいますか?

基本的に「嘘をつく」というのは「真実とは違うことを述べること」ですよね。ここで根源的な問題がいくつか発生します。まず一つは「そもそも真実とは存在するもので、唯一のものなのか」という疑問。もう一つは「本人が真実を知らなかったり、間違って真実を捉えていた場合、それは嘘をつくことになるか?」という問題です。ここでは答えを出しませんし、出せるはずもないですが、次の例を考えてみてください。

ある道路を一台の車が走っています。
車の進行方向から見て左側の歩道に立っている人はこういいました。「車が右から左へ走っている」
車の進行方向から見て右側の歩道に立っている人はこういいました。「車が左から右へ走っている」
車の中に乗っていた小さな子供がこう叫びました。「ママ、地面が動いてるよ!」

こうやって考えると、もう少し真実という言葉は慎重に使いたいものですね。