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2010年08月23日

灰色が理解できる人が少なくなった 10:14 灰色が理解できる人が少なくなったを含むブックマーク

皆さん、昨今のテレビ等を見てこの世の中どうもおかしいんじゃないか、と感じたことはないでしょうか。たぶんここに100人集めて手を挙げさせたら90人以上は手を挙げるでしょうね。

でも一体何がおかしいのか?ということを議論し始めると、途端に意見はバラバラになります。対立する意見が続出し、喧嘩が始まってもおかしくないでしょうね。ただ、一つだけ皆が納得出来ることといえば、それだけ人の考えというのは多様であり、一つの問題に対しても捉え方や立場によって白黒つけがたい部分があるのだということでしょうか。私はこれを灰色の部分(ある意味でのグレーゾーン)と捉えています。

かつて、日本ではこの灰色の部分が公的にも私的にも容認され、灰色なんだからウヤムヤにしておくという習慣が多かったと思います。賭け事にしても額が数万から数十万ぐらいなら警察も介入してきませんし、発覚しても処分になんかならなかったわけです。万引きとか着服なんかにしても数百円、数千円なら上司や警官に怒られて返させられて終わり、というケースが多かったのでした。人間誰しも小犯罪ならやっちゃうことはあるという考えと、犯罪は犯罪なのだからという相対する考えの間にある灰色の領域を認めていたわけです。ところが今や下らないちょっとしたことで、免職だとか書類送検だとかいうのが増えています。

他にもこういった灰色領域が失われていると思える事例は多数あります。人によってはクリーンな社会になったと喜ぶ人もいるでしょうが、「清すぎる川には魚は住めない」という側面があるのも事実です。

今の社会は暮らしにくいか、という質問をさっきの100人にしてみると、これまた70人以上は手を挙げるでしょう。それは単に雇用の問題や景気の問題だけでなく、ちょっとしたことで自分の地位を完全に失うかもしれないという将来への不安が増大していることとも関連があります。

まるで地雷原の中を歩くような社会では、安心して生産的な活動など出来るはずもありません。生産的な活動ができなければ景気も低迷するでしょう。そして景気の低迷は人々の心の余裕を奪い、灰色という目の前の小さな不確実性をも許容しがたくなります。その結果、ますます地雷原を増加させてしまうという悪循環に陥るのです。

私は過去と比較しても、もっと社会は汚くていいと思いますし、灰色領域を復活させるほうがよりよい社会を作れるのではないかと考えています。

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