続「湯川共和国」 9

 湯川書房湯川成一さんの活動についてですが、創業の大阪や、終焉の地となった
京都でのものは、これまで目にすることができましたが、静岡でのことについて、
もっと知りたいと思っていました。
 湯川さんが制作した限定本の展覧会が初めて行われたのは、83年静岡のギャラリー
サンボネット・ベイビーズでありまして、それから3年連続で「湯川さん」を冠した
展覧会が行われました。(83年から85年)
 本年に伊東さんが制作された「湯川書房湯川成一の肖像」には、1983年10月28日
10月28日午後1時からギャラリーサンボネット・ベイビーズで開催された湯川展の後の
座談会での湯川さんの発言されたが掲載されております。この座談会は、前半のみし
かテープは残っていないようですが、文章を残すことが少なかった湯川さんの貴重な
記録です。このテープは望月通陽さんの提供とあります。
 この「湯川成一 自作限定本について語る」では、静岡のことに何度か言及され
ますが、人については次のようにでてきます。
「皆さんも今度のこちらの展覧会のハガキを、ご覧になったと思うんですけれども、
まあ、案内状というのは、大体誇大宣伝というところがあるんでしょうけれども、
大久保先生(主催者)にしても、案内状を書かれた伊東康雄さんにしてもですね、
非常に誇張して書いておかれ、・・」
 伊東さんの「夢のあとで」から、この時のことを引用させていただきます。
「 (望月通陽という作家の誕生を)きっかけに、湯川が静岡を訪ねる機会が頻りと
多くなった。望月さんをはじめ、望月さんが紹介した歯科医師、大久保満男さんの許に
集まる柄澤齊時里二郎、高柳誠さんといった人達と湯川は交流を深めていったから
だが、一つには谷中の鶉屋さんが病気で倒れて、東京へ行く理由が無くなってしまった
こともあっただろう。
 大久保さんは、静岡で湯川さんの本の展覧会を企画したし、さらに自分のギャラリー、
『静岡ガルリ・ヴァワイアン』で『湯川さんとその仲間たち展』を二度にわたって
開催した。湯川は柄澤さんの版画集や高柳さんの詩集などを何冊か、この時期に手が
けている。」
 静岡には、もともと小川国夫さんがお住まいで、そこには足を運んでいたようで
すが、そこにもって望月通陽さんとともに仕事をするようになるのですから、湯川
さんとの縁が深くなるはずです。