小沢信男著作 244

小沢さんによる新日本文学会の「解散提起」は2003年5月31日になされ、田所泉さんの
新日本文学<史>のための覚書」が「新日本文学」に連載したのは、翌2004年のこと
でありました。田所さんの「覚書」の最終章は、2004年11・12月号に掲載となりました。
小沢さんの「批評がない」という提起に呼応する田所さんの「覚書」からの引用です。
「しばしば語られた相互批評の必要は、その実、明らかな相互批評のはなはだしい不足
ないし欠如を物語るものだった。針生は七〇年代初頭から、会を実質的に代表し、象徴
する存在であり、包容力と粘り強さは非常のものだったし、その多面的な活動のほかに
会の運動に関しても実にたくさん書いている。その針生の仕事に対してすら、客観的に、
その変遷と一貫性の両側面について批評することをだれもしなかった。中野重治
佐多、花田、野間らについては比較的多くのことが書かれるわりに、針生にかぎらず、
たとえば小沢・野呂など、深く学ぶべきことの多い書き手についても、これまでわずか
のことしか書かれていない。運動の『地の塩』とも言うべき国分一太郎久保田正文
菅原克己、菊池(章一)、須藤(出穂)らの遺したものについても、研究が不足して
いる。・・・
 埋もれかねない遺産は、新日本文学会にはまだまだ多いのである。」
 田所さんの「深く学ぶべきことの多い書き手」というところに、全面的に賛成であり
ます。「これまでわずかのことしか書かれていない」とありますが、田所さんが眼に
したものには、どのようなものがあったのでしょう。当方の感覚としては、ほとんど
書かれていないという思いが強く、それが半年を超えてぐだぐだと小沢さんの著作に
ついてのメモを書くことになっているわけです。