ジャッカ・ドフニ 2

 「群像」10月号創刊70周年記念号収録の津島佑子さん「ジャッカ・ドフニ 夏の家」
から「ジャッカ・ドフニ」という言葉にひっかかっています。
昨日は、その言葉がでてくる司馬遼太郎さんの「オホーツク街道」を引っ張り出して
きて、なかを見ていました。
 司馬さんの本には、「ジャッカ・ドフニ」はウィルタ語で「たくさんの物の家」とい
うふうに紹介されています。津島さんはこれを「大切なものをしまっておく場所だそう
で」と作中に記していますので、このような訳でなくては、作品のイメージにあわない
かもしれません。
 司馬さんの「オホーツク街道」には、民間の研究者であった澗潟久治さんが編んだ
ウィルタ語辞典」を参考にしたとあります。樺太アイヌの流れの人々が話すウィルタ
語は、戦後まもなくの日本には話者が何十人かいたのかもしれませんが、司馬さんが
取材(1991年?)したころには、日本に一人しかいなくなっていました。
 そのような国内では極小言語の辞典をつくった方がいらしたということが、まずは
驚きです。そのあと、北海道大学の先生たちが作ったものが出版されています。
 司馬さんは澗潟さんのウィルタ語辞典によって、ジャッカ・ドフニの解釈をしてい
ます。「オホーツク街道」から、その部分を引用です。
ウィルタ語にはKもHもなく、ジャッカのカは、口蓋をこするような摩擦音である。
 Kは右の辞典ではXで表記される。jaxaとは『余るほど沢山』の意味になる。
ドフニのドフ(duxu)は家のことで。ドフの語尾にニ(ni)をつけると、『それの家』
という意味になる。つまり『たくさんのそれの家』である。それとは、民族学的品々
をさすのだろうか。」
 ここでは司馬さんは「さすのだろうか」と終わっていますので、ここではちょっと
腑に落ちていない感じであります。
 ジャッカ・ドフニという資料館を設置した人たちは、これを「大切なものをしまって
おく場所」という意味をこめて名付けたに違いありませんが、文字通りに読めば味気な
い訳しか出てこないということでしょう。
 残念ながら資料館「ジャッカ・ドフニ」は2010年に閉館となり、民族の大切な資料は
北海道立の資料館で保存されることになったとのことです。
 それにしても津島佑子さんが「ジャッカ・ドフニ」という作品を残されたことで、
敗戦後に南樺太から日本に移住したウィルタ族のことに関心をもたれる人が一人でも
でましたら、これはとっても素晴らしいことです。