贅沢は素敵だが

 本日に新潮社「波」4月号が届きましたです。いつもは、「編輯後記」から読み

はじめるのでありますが、本日は目次を見たら、新連載とありましたので、中村

うさぎさんのものを、まずチェックすることにです。当方は中村うさぎさんの名前を

見るのは久しぶりであります。

 中村うさぎさんは、その昔売れっ子のライターであったのだけど、病気していた

のだよなと思いながら、読み進むことにです。

 新連載のタイトルは「老後破産の女王」というもので、ということは中村さんは

手元不如意なのでありましょうか。

 「波」の巻頭は、このところ筒井康隆さんでありまして、筒井さんといえば同志社

大学で、中村うさぎさんとは親子ほどの年齢差はありますが、同窓ですね。

同じ「波」で、筒井さんは老いてますますお盛んな贅沢な日々の記録を書き残して

います。夜にホテルとか高級料理やへといって、そこで支払った金額を見て驚く

のでありますが、90歳目前にして現役の作家でありますし、お金には困っていな

いので、せいぜい生きているうちにすこしでも遺産を減らそうという試みなので

ありましょう。

 そうであれば、私にすこし回してよと言いたそうなのが、中村うさぎさんです。

 今回の文章から、すこし引用です。

「一応エッセイストとして生計を立ててはいるのだが、根っからの浪費家で、稼いだ

金は湯水のように遣ってしまう。それも有意義なことには一切遣わず、やれブランド

物だの高級ホテルだのホストクラブでの豪遊だのと、泡沫のごとき享楽に溺れる

だけの愚かな無駄遣いしかしない。当然、貯金など一円もなく、挙句の果てには

税金を滞納したりサラ金に借金したりする始末。・・・

 ところが、驕れる者は久しからず。女は五十代半ばで急な病に倒れ、生死をさま

よった果てに息を吹き返したものの、後遺症で脚が不自由になったうえに仕事も

失ってしまったのだった。言うまでもなく貯金など皆無であるし、こういう時のための

保険にも一切入っていない。さあ、困ったよ。仕事もなければ金もない状態で、明日

からどうやって生きていけばいいのでしょうか。」 

 この文章には、月々の収入では家賃を支払うこともできないとありまして、これか

ら、この危機を乗り越えることができるのか、それとも破産に向かうのか、人ごとな

がら、興味津々であります。

 なんであれ、自分で体当たりしてそれを文章とするのが中村うさぎさんであります

からして、老後破産をねたに作家活動をするしかなしですね。

 その昔には、浪費というか、放蕩というか、そんなことで金に詰まってしまって姿を

消した有名人もいたことであります。

 

3年連用花日記

 庭の雪はほとんど溶けたのですが、朝には気温が氷点下ということも

あって、地面は凍ったままです。だいぶん日差しは強くなってはいるものの、

いまだ風は冷たしです。

 昨年はどうであったか、一昨年はと気になるのですが、そのために3年連用

花日記を活用です。これを見てみましたら、庭の福寿草は、2021年が3月22日、

2022年は3月29日で、2023年は3月17日に咲いていました。

 今年はどうだろうかと、毎日観察をしているのですが、なんとかあと数日で開

花となりそうです。ということは一昨年の開花時期に近いのかな。

今朝の福寿草 

 庭作業を行う時は、昨年はどうであったかなと思うことで、こうした時に

連用日記を開くことになります。この次に咲くのはクロッカスでありますね。

 4月はいよいよ庭仕事が始まりまして、半分土のなかに埋めてあるバラ

鉢を掘り出したり、風除けを外したり、すこし剪定をしたりで、楽しみなことで

あります。

 図書館から借りている本は、ほとんど読むことがなしに返却日を迎えることに

です。明日は持参して入れ替えをしなくてはいけないのですが、年度末であります

ので、一度借りているものを全部返してしまって身軽になるのもいいかなです。

もともとちょっと欲張りすぎでありますからね。

 戻ってきた「百年の孤独」とか、「戦争と平和」など読むものには不自由しない

のでありますけどね。でも、すこし新しいものも入れていかなくては煮詰まってしま

いそうだから、やはり何冊かは借りることにしましょうぞ。

隣町のブックオフで

 お天気がよろしい日に隣町へとドライブがてらでかけたのですが、その時に

ブックオフに立ち寄ることになりました。

 このところ同行の家人は、エレカシさんのCDをチェックしたり、あきない世傳の

安価な文庫本を探していることもあって、ブックオフに立ち寄るのに乗り気であり

ましてありがたいことであります。

 一年に一度いくかどうかの隣町のブックオフで、棚の配置に慣れてはいません

が、まずは均一本がならんでいるところからチェックすることにです。

 文庫のところに、次のものがありました。

 昨年は「失われた時」を読んだので、このあとは「戦争と平和」だなと思っており

ましたが、その昔であれば、あちこちにころがっていたと思われる「戦争と平和」も

最近は、とんと見かけないことです。ちょうど一巻目がありましたので、これを買う

ことにです。冒頭の何ページかを開いてみましたが、そのうちに本格的に読みすす

めることになるでしょう。

 E・M・フォスターのエッセイを読んでいましたら、これまでの小説で、一番は

プルーストで、ついで「戦争と平和」とありましたですからね。

 文庫本ではあと1冊ですが、これは手にした時に、だぶりの可能性が高いなと

思ったのですが、もし持っていなければ悔いを残すなと思って購入決定です。

家に戻って確認しましたら、案の定でダブっていたのですが、読んでいることも

忘れておりました。ほんの数年前のことでありますのに。恥ずかしいので、この本

のタイトルは秘することにです。

 あと1冊買ったのは、先日の京都で今風ではない子どもたちと遊んだ時に、

これはちょっと本を買って勉強をしなくてはと思った、それについての本。

 北海道で百人一首でかるたといえば、下の句かるたという、取札が板でできて

いるものでありまして、いきなり下の句を読んで、そのかるたを取ることになります。

上の句は、まったく出番がなくて、ほとんど短歌の勉強の必要はありません。

 最近は、お正月といっても下の句かるたで遊ぶことはないのですが、先日に久し

ぶりの「百人一首」が普通のかるたをやることになりまして、これが何枚もとること

ができませんでした。

 こりゃいかんで、本をさがした次第です。次回に行くまでには、これで百人一首

なじんでおかなくてはです。

一冊も読んではいないが

 本日に届きました「ちくま」4月号を見ていましたら、斎藤美奈子さんの「世の

中ラボ」で、「今年の本屋大賞候補作」をとりあげていました。

斎藤さんでありますので、どれがいいかという話ではなく、歴代の本屋大賞受賞

作品を見ていたら、「少年少女がらみの小説が多くないか?」という展開であり

ます。

 当方は、ほとんど「本屋大賞」には縁のない読書生活でありますが、このところ

購読している「本の雑誌」が大きな特集を組む(当然といえば、当然ですが)ことも

ありまして、否応なしに関心がいくことです。(数年前には、珍しく候補作を読んで

いたことがありまして、それが受賞したということがありました。「同志少女よ」

です。)

 本屋大賞の候補作は、人気あるものが多いので、この町の図書館の予約状況

はどうであるのかとノミネート作品についてチェックしてみました。

 候補作の書名      作者     架蔵数  予約数 1冊あたり  

 黄色い家       川上未映子    5     36  7

 君が手にする     小川 哲     1      17  17

 水車小屋のネネ    津村記久子    3     20  6

 スピノザの診察室    夏川草介        2     46  23

 存在のすべて     塩田武士     3     38  12

 成瀬は天下を     宮島未奈     2     33  16

 放課後ミステリ    知念実希人    1      2  2 

 星を編む       凪良ゆう     5      58  11

 リカバリ・カバ     青山美智子    2      46  23

 レーエンデ国物語   多崎 礼     1      7   7 

  候補作は以上の10作品でありますね。市内にはいくつかの分館がありま

すので、本館と分館あわせて5冊架蔵というのが、2作品となります。

架蔵数が多くなると、少々予約が多くなってもまわってくるのが早くなります

ので、順がまわってくるのに時間がかかるのは、スピノザリカバリですね。

こちらの作者は、これから購入数を増やさなくてはいけないなと図書館人

考えているでしょうね。

 図書館で人気があるものは、それなりに購入数を増やしていて、架蔵は

5冊、3冊という実績ですから、この町の図書館の予約から受賞作を予測し

てみますと、

 本命 凪良ゆう 対抗 塩田武士  穴 津村記久子 川上未映子

ということになりますかな。 (凪良さんは、昨年受賞だからなしかな)

 ひどくいい加減な数字による、無責任な予測でありますが、このような予測

をしますと、4月10日の発表が楽しむになることです。

 斎藤真理子さんが取り上げている少年少女ものは「水車小屋のネネ」、

「黄色い家」そして「成瀬は天下を取りにいく」の三冊ですが、これはこれま

での本屋大賞の流れにのっかると、このような傾向がというものです。

すこしは読みが深まったか

 少し前から再読していた佐藤正午さんの「冬に子供が生まれる」も、なんとか

終わりのページにたどり着きました。最初に読んだときよりも、すこしは読みが深く

なったと思いたいことでありますが、どうでありましょうね。

 そう思っておりましたら、ヤフーのヘッドラインに、文春オンラインに掲載のこの

小説の書評があがっていました。評者は角田光代さんであります。

ちょうどいいタイミングでの記事で、早速にこれを読んでみることにです。

 当方は、これまでのところ新聞書評欄で二つほど、この本の取り上げをみていま

すが、どの書評も、この小説の凄さをどのように表現したらいいのかというところで

の戸惑いがあるようにも思えました。

 当方などは、この小説がどのように凄いのかということも、わかっていないこと

であります。

 

 角田さんの書評の、おしまいのところを引用です。

佐藤正午さんの小説は、おもしろいだろうという予想をはるかに超えておもしろ

く、読むたびにびっくりするけれど、今回もまた驚いている。なんてものを見てしまっ

たんだ、なんてものに触れてしまったんだという驚きである。」

 これを見て思うことは、実作者には、佐藤正午の存在は大きいものであり、

読んでおもしろい小説を発表する人で、作品ごとに驚くしかけがあるということ

ですね。

 読み手も試されることでありまして、この作品を一読して感動したなんて読者

は信用できないと思われることです。一度目は小説の筋を追って読み、二度目は

あちこちに仕掛けられている伏線を回収しながら、そして三度目はでありますが、

次回、三度目、この作品を読むのは、どのタイミングとなるでありましょう。

北へ帰る

 本日はお天気が良くなりました。日中の最高気温は6度まであがりました。

先日、甲子園での大会にでていた別海高校の選手がいっていましたが、関西の

気温10度は、北海道と違って寒いことで、こちらは風がなければ6度でも気分が

あがります。

 ということで、室内で管理していた鉢の植物を、すこし屋外に出して太陽に

あてることにしました。風除室で管理していたものを屋外に、室内において

あったものを風除室へと移動しました。4月も中旬となりましたら、バラにかけて

ある袋なども外してもいいかもです。

 そんなことを思いながら、頭を出し始めてきたチューリップ、すいせん、福寿草

どの塩梅をチェックすることにです。その時に、遠くから渡り鳥の声が聴こえてき

ました。先日も早朝に外にでていた時に、頭の上を白鳥が渡っていったのですが、

ちょうどスマホもカメラも持っていなかったので、見送るだけでした。

本日はスマホを持参でありましたので、動画で渡りの状況を撮影です。俳句を

やっている友人から句会のお題が「鳥渡る」なのだけど、ほとんど見たことがない

とのことで、撮影した動画を送ることにです。(しかし、用意をしてもスマホでは、

なかなかうまく撮影することができずです。そんなわけで、白鳥の写真はなしで

あります。)

 北に戻ってきたといえば、次の写真のものでありますね。

百年の孤独 鼓 直訳 新潮社 1972年5月初版

 先日に「百年の孤独」が見当たらないと、この場でぼやいておりましたら、

それであれば、預かっているよと京都の家族から連絡がありました。17日の

日曜日に京都を訪ねた時に、写真の「百年の孤独」を戻してもらうことができ

ました。

 これで、なんとか読むことが可能となりました。最初の数ページを読んでみた

のですが、そうそうこういうふうに始まるのだったと、リズムの良い文章に声に

だして読んでみたくなりです。

 今読んでいる本をやっつけたら、「百年の孤独」の再読にとりかかることに

いたしましょうか。文庫が世に出る前に、一回読んでしまわなくてはです。

 

新義州でつながるか

 先日に訪れた京都岩倉の安価な本を二冊抜いて購入したのでありますが、

この二冊は朝鮮半島つながりの本でありました。

 1冊はヤン・ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」ですから、これは日本で生きる

共和国民の話ですから、半島につながっているというのはわかりいいのですが、

もう1冊は古山高麗雄さんのもので、こちらは生まれが戦前の統治下の半島で

ありました。名は体を表すでありまして、高麗というのは朝鮮半島を一つにして

建国した王朝の名称であります。

 古山さんが生まれた新義州について書いた文章を過去にも話題にしており

ますが、先日に購入した「他人の痛み」中央公論社 昭和54年刊(そういえば

これは中公文庫にはいっていて、それを求めているようです。)には、「第二の

故郷・新義州」というエッセイがあります。

 新義州というのは朝鮮でも、川をはさんで中国と接する国境の町でありまし

て、朝鮮半島の付け根にある町となります。古山さんは、ここで開業している

医者の子どもとして生まれたのですね。

「そんなわけで私は、新義州生まれということになったが、私には新義州を故郷

といってよいかどうか迷うところがある。

 それは新義州にいた少年時代からそうであった。新義州で生まれても、私には

内地から渡って来た者としての意識があって、どの意識が、彼地を故郷と考える

ことを躊躇させるのである。」

 ということで、古山さんにとっての新義州は、第一がなくて、第二の故郷となる

のですが、「今の新義州には、私が育った日本人町はなく、つきあった日本人も

いない。朝鮮も北側にあるから訪ねることもできない。かりに訪ねることができた

としても、まるで別の町のように代わりはてているに違いない。」とつながって

いきます。

 古山さんの「小さな市街図」からして、新義州日本人町を再現しようという

話ですから、デビューから晩年まで新義州にはこだわりをもっていたということ

になります。

vzf12576.hatenablog.com 古山さんの新義州を訪問する話は、「妻の部屋」にあるのですが、ほとんど

肩透かしにあったような訪問記であります。1995年くらいですから、今は

もっと新義州へと行くのはたいへんでありましょう。

 ヤン・ヨンヒさんの「朝鮮大学校物語」の第三章は「1985年 三年生の秋」

というタイトルで、大学校の卒業旅行で新潟からマンギョンボン号を共和国に

渡る話となります。

 主人公がこの旅行に参加する一番の目的は、組織から指名されて片道切符

で共和国に渡った姉と面会することでした。

このお姉さんは、共和国で結婚して、ピョンヤンで音楽活動をしていたのですが、

なぜか夫婦して新義州(シニジュ)へと左遷されていたのですね。

 なんとしても新義州に行って、姉に会いたいということで、手を尽くして面会

しようとするのですが、総連をバックにした主人公であっても、新義州を訪問

するのは大変であったことがわかります。

 今であれば、絶望でありますね。