心の平穏を得るには

こんな時代ではどのように心を持っていれば穏やかに過ごせるでしょうか、


私もなんとか毎日を心穏やかに暮らしたいと思いいろいろ試行錯誤してきましたが、世の中はどんどん暮らしにくくなり、心が動転するほどの事件や、事故が次々におき、思いとは裏腹にどんどん窮地に追い詰められるのが実態でした。


そんな中でも何とか心の平静を保とうと、いろいろ勉強し、世の中の仕組みを学習し、心の持ち方を学習してきました。


あの問題さえ片付けばしばらくは平静でいられる、この問題が解決出来たら、一息入れよう、とか、
自分の問題だけでなく、年をとると家族の動向や振る舞いも気にかけなければなりません。


そんな中で学習しましたが、そもそもそのような考え方が間違っていたようです。


たとえば


この願いがかなったら幸せになれる。
お金が入ったら幸せになれる。
恋人が出来たら幸せになれる。
この役職に就けたら幸せになれる。
あいつさえいなければ幸せになれる。


などがあると思います。


でも本当の幸せとはある条件のもとで感じることではないことを学習しました。
本当の幸せとは上の例でいえば


この願いが叶おうが叶わなかろうが私は幸せ。
お金は入らなくても幸せ。
恋人が出来なくても幸せ。
昇進なんかしなくても幸せ。
あんな嫌な奴がいてもいなくても私は幸せ。


とつまり、願いが叶おうが叶わなかろうが幸せである心の状態を本当の幸せというのです。
一見阿呆のようですが、バカのようですが、私はどのような事態になっても幸せなのだと心から信じ込むことなのです。
自己の満足を得ることが幸せであるのでなく、自分が自分の力を使って誰かの幸せに貢献することが実は本当の幸せなのです。


つまり心の平穏を得るには、自分が幸せになること、それは己の願望を成就することではなく、己はさておき、己の力を使って誰かの幸せに貢献することが幸せであり、それで心の平穏を得るのです。


では幸せの対極にある恐れとはなんでしょうか、
財産や地位や、名誉や大切な人を失うことです。人はこれらを失わないよう徹底的に抵抗します。
これらを失ったら大変なことになるという恐れが心の牙をむき出しにさせて戦い、醜くさせているのです。
それを守ることが幸せであると勘違いしているからです。


本当に幸せな状態とはこれらを失っても幸せでいられることです。



私は全てを失っても幸せです。なぜならあの人のために貢献しているから、この人のために働いているから、


ということがひとつの悟りであるのです。


さあ、そのような心の状態になれるでしょうか、


この時代に心の平穏を得ることは大変難しいことだと思います。
欲の深い人ほど心の平穏を得ることは難しいでしょう、


特にこれからいろいろなものを得ようとする人や世代には厳しいことでしょう、


私は40代のころから比べるとかなりのものを失ってきました。

店を失い、
社長という地位を失い、
社員を失い、
財産を失い、
家を失い、
友を失い、
家族は、他界したり、独立して家を出たり、
免許は戻りましたが、一時失いました。


それでも幸せとは何かを学習しました。
他人のために全力で頑張ることです。


そうしていれば幸せになれるのです。
心の平穏を得られるのです。


まだまだ全く至りませんが、少しは成長できたかなと思えるようになりました。



全ての欲を捨て去ることが実は幸せであり、心が平穏になることだったようです。