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教育ジャーナリスト 中曽根陽子の小耳にはさんだちょっといい話 

2013-04-17

グローバル社会に必要な力

皆さん こんにちは 中曽根陽子です。

さて、仕事柄、小学校から大学まで、さまざまな教育現場にお邪魔するのですが、どこに行っても、「グローバル化に対応する教育の必要性」という言葉を耳にすることが、とても多くなってきました。


英語教育の必要性なんていうのは、ずっと前から言われてはきたことですが、そんなレベルではなく、「待ったなし!」といった感じです。

先日も、日本が誇るある有名精密機器のメーカーの社員の方が、「自分の会社の総売り上げの90%は海外。もはや日本国内だけでは、自分の給与分も稼げない」とおっしゃっていましたが、

教育現場でもそれは、無関係ではなく、特に大学は切実で、有名大学ほど、生き残りをかけて、留学生の獲得に奔走しています。

大学の卒業資格にTEFLのスコアを問うという話も出てきていますが、

これから社会に出て行く子どもたちにも、グローバル化の波は押し寄せてくる訳で、これからは、進路も海外を視野に入れる人が増えてくるのは、必須でしょう。

という訳で、私も、これからは、海外の教育事情にも注目して行きたいと思います。

その第一弾として、来月デンマークに行ってきます。

デンマークの教育の最終目的は、自立した納税者を育てるということ。

そのために、どんな教育が行われているのか、学校現場をみたり、先生にお話を聞いたりしてきます。

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さて、そんな中、先日、アメリカンエキスプレスの新しいカードの発表会に参加してきました。




旅行マニアの間で、評価の高いトラベル雑誌、TRANSITの編集長のお話も興味深かったのですが、セブンシーズのお料理も、サービスも素敵!

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ちょっとリッチな気分を味わってきました。




このスカイトラベラー・プレミアカードという新しいサービス、

溜まったポイントは、これまでの航空会社のグループを超えて、14の航空会社のマイレージプログラムに移行可能できるし、貯めたポイントは、失効なしで無期限で好きな時にマイルに移行できるようです。


当然、このイベントの参加者は、年に何回も海外に出かけられる方ばかり。マイレージにも精通している方々ですが、その方々が、「航空券の購入でポイント五倍」という説明を聞きながら、「おー」と声を上げていたのが、印象的でした。

マイルって貯めるのが大変とか、使いたいときに使えないという声も聞くけれど、このカードにまとめれば、かなりお得にためられそう。

私も、「これから海外視察に行くしな…乗り換えようなかな」

と真剣に考えました。

ところで、お隣に座っていた、かわいらしい女性も、

企業や個人の海外進出を助けるコンサルタントや教育をなさっている会社の社長さんで、年の半分は海外という方でした。


グローバル化に対応するために、何が必要か」という質問をさせていただいたころ、

「英語力はもちろんですが、ダイバシティへの理解です」というお返事が返ってきました。

ダイバシティへの理解って、簡単に言えば、

あらゆる多様性・異質なものへの理解ってことかな。

それを身につけるには、

体験して感じていくか、想像力を働かせるのか、

いずれにしても、頭と心のやわらかさが必要ですよね。

2010-07-13 世界一小さな科学館を作った二人の女性の物語 5

「将来ここから科学者が育つのが夢」 

理科ハウスは、子どもの入館料は取っていません。

同伴の大人も原則無料。(気持ちの分だけのお金をいれる箱を置いています)

その理由は「入場料を取ると、子どもだけ遊ばせて親は外で待っていたりする。それでは意味がない。親子で一緒に楽しんでほしいから」

最初は、「私はいいから」と座って見ているだけだったお母さんも、

二人の誘いに乗って、手を動かすうちに、子どもより夢中になることも度々だとか。

なんでもそうですが、子どもにやらせるのではなく、一緒に楽しむという感覚はとても大事だし、子育てのコツのような気がします。

そうは言っても、入館料がこんな安くて、

理科ハウスの運営費大丈夫なのかな…。心配になります。

そこで、思い切ってお金の話を聞いてみると・・・

「基本的な運営費は、オリジナル商品やショップの売り上げが主な資金源。後は寄付などによって支えられています」とのこと

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あとは、森さんのご主人のお父様である、故森一郎氏の、あの有名な「試験に出る英単語」などの印税が理科ハウスの運営に充てられているそうです。

『出る単』を買って、理科ハウスを応援しよう』

ご主人とお義父さんが、森さんの活動を見守っているんですね。

科学館はどこも今赤字運営で苦しんでいるといいます。


大きな箱物を作るので、維持管理にもお金がかかる。

せっかくの貴重な展示物も、その意味が伝わらないので、素通りされてしまうけれど、、

学芸員の人たちは、展示フロアに出ないので、来場者の反応がわからないから、改善されない。

結果的に、科学の面白さが伝わらず、リピーターが増えない。

という仕組みができあがっているのだそうです。

でも森さんは、「工夫をすればきちんと運営をしていけるシステムは作れる」といいます。

理科ハウスのグッズは、全国の科学館のミュージアムショップなどでも売られているのです。

しかも、「小さいことのメリットは、来場者の反応を見ながら、常時展示方法や内容を工夫できること」と山浦さん。

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来場者も、学芸員の人から問いかけや説明を受けながら、実際に体験することができるので、

大きな科学館に行くより、納得解が得られて、満足度も高いのです。



午後3時をすぎると、理科ハウスには子どもたちの声が溢れます。

近所の子どもたちが次から次にやってきて、それぞれ興味のある展示物を触ったり、

実験をしながら、自由に過ごしています。

そんな子どもたちの質問に、楽しそうに答えている森さんと山浦さん。

その姿は、ほんとに生き生きとしていて、輝いていました。

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理科ハウスを建てて一番よかったことは?という問いに、躊躇なく

「近所に住んでる子どもたちと知り合いになれたこと」

と答えてくれた二人。

「いつか、ここから科学者が育って、『きっかけは近所にあった理科ハウス』と言ってくれるのが夢」

と話していたら、近所の逗子高校に通う学生さんが、

「いつも前を通っていて、気になっていたんです…」と訪れました。

夢が現実になる日も近いようです。



最後に森さんとの一問一答 

Q 思いを現実化するために、一番必要なことは   A 続けること。

Q 今後の夢は?    A 孫の世代が平和に暮らせること。

Qこれからの若い人たちへのメッセージ 

A むしろ若い人たちから学ぶことが多いです。

  あえて言うなら、マニュアルからはみ出してもいいんだよ ということを伝えたい。

理科ハウスは、未来を作る子どもたちにとってはもちろん、

私たち大人にとっても、

いろんな気づきを得られる貴重な場所。

逗子の小さな科学館は、尽きることのない泉のよう。

そしてそれは、森さんと山浦さんそのものでした。

2010-06-18 世界一小さな科学館を作った二入の女性の物語 4

無駄なお金をかけず、内容にはこだわりもって、夢を実現。

科学館建設を決めてから1年10ヶ月。

2007年9月に、いよいよ科学館の建設が始まります。

その時の様子は、 Lica House日記に詳しくでていますから、こちらをどうぞ。

 

建設までの道のりについて聞くと、

「事業立ち上げにしても、科学館の運営についても、何もかも初めてのことばかりだったので大変だったことと言われたら、言い尽くせないくらいあるけれど、でもほとんど忘れちゃったなあ。」と淡々と言う森さん。

そこで、理科ハウスを支えているもう一人の主人公、山浦さんに登場いただき、その辺の話を聞きました。

実は山浦さんは、10年以上、幼児教育や子育て関連書籍の企画に携わってきた敏腕ライターであり、地元逗子の自然観察会でも長く活動を続けてきた経歴の持ち主。

「無謀な計画に思われたかもしれないけれど、何度も話し合いをして、事業計画を練っていきました。仕事柄、企画書なしに何かをやるなんて考えられないから、資金面から、運営方法にいたるまで、綿密な事業計画書を何度も書いて、実現にこぎつけた」といいます。

実はこのとき、共同事業を申し出た人もいたそうですが、「自分達のやり方で、どこにもないものを作りたい」とその申し出は断り、二人だけで一つずつ課題をクリアしていきました。

アドバイスで唯一取り入れたのが、

「失礼ながらもうお若くはなさそうだから、おやりになるなら早くされたほうがいいですよ」ということだけだったとか…。

さて、企画書のコアであるコンセプトは、身近にある科学館。

「身近に」という意味はふたつ。

ひとつは家の近くにあるということ。散歩ついでに立ち寄れる科学館。

もうひとつの意味は、科学館のレベルが自分に合っているということ。

展示の説明が難しすぎたり、不親切だったりしたら、科学がどんどん遠いものになってしまうから。

理科ハウス建設が決まってから、学芸員の資格をとった山浦さん。実は学芸員になるのは、昔からの夢だったのだそうです。

運命は思いもかけない道を、ところどころに用意してくれているようです。

「なんとか建物は建てられても、運営費にお金はかけられない。でも、そこは逆に私達の強み。お金をかけなくても、十分に科学のおもしろさを伝える方法があるということをここで証明できるのですから。お金をかけずにできるネタのストックは、3年分はあるんですよ」と笑って、「ねえねえ、このコップのにおいを嗅いで中身を当ててみて」とコップを目の前に置く山浦さんの目は、子どもみたいに輝いていました。

二人に共通しているのは、気負いのなさと、思考の柔軟さと前向きな性格。

他人からみたら大変そうに見えることでも、「大変!大変!」といわずに、「どうしたらできるか」という方向で考えて、目の前の壁もほいっと飛び越えてしまうのです。

限られた予算の中で、立地や建物など、かけるべきところにはこだわってお金をかけ、

展示物にはあえてお金をかけないことにこだわって、

いよいよ2008年5月 Lica Houseはオープンしました。

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続く

2010-06-10 世界一小さな科学館を作った二入の女性の物語 3

私にとって、仕事というのはお金をかせぐという意味ではなく、社会の中で生きるということだと思う

こんにちは 中曽根陽子です。

さて、自分で科学館を作る夢を抱きながら、さまざまな社会活動をしていた森さんを、ある日突然不幸が襲います。

最愛のだんな様が、急逝なさったのです。

そして、森さんの元には三人のお子さんが残されました。

その時、上のお子さんが20歳と18歳。一番下のお子さんはまだ小学校5年生でした。

続いて、前述の物理学者であり科学ジャーナリストでもあった石原純博士の三男であるお父様も他界。

ご実家でお父様の遺品を整理していた森さんは、

石原純博士に関する貴重な品々を発見します。

この時のことを振り返って、「理科ハウスがきっかけになって、祖父の手紙などの新資料が大量に見つかったのは運命のなせる技。大きな仕事が与えられたとあらためて感じました。 私が生きているうちにしないと誰がやる!って使命感が沸きました。それぐらい石原純ってすごい人だったんです。ほんとに何も知らなかった。」と森さん。

偉大な物理学者であり、歌人でもあった祖父の功績を後世に伝える使命を与えられたと感じた森さんは、これまで暖めてきた思いを現実にしようと、一念発起して科学館建設を決意。2005年の暮れのことでした。

そうは言っても、世間の常識的に考えると「ご主人も亡くなって、まだ学校に通うお子さんを抱えているんだから、科学館の建設なんて途方もないことを考えないで、普通に働くことを選んだほうがいいのでは・・・」という気がしないでもありませんが、森さんは、

「夫も死んだので仕事をしなくちゃという思いは大きかったけれど、生活はなんとかなる。私にとって仕事というのはお金をかせぐという意味ではなく、社会の中で生きるという意味が大きかった。」と振り返ります。



お子さんもお母さんの思いに賛成をしてくれて、いよいよ科学館建設に向けて、大きなプロジェクトが動き始めました。

続く

2010-05-23 世界一小さな科学館を作った二入の女性の物語 2

「世の中にあるものではなく、自分達で新しいものを創りたい」

こんにちは 中曽根陽子です。

自力で科学館を作った二人の女性の話の続きです。

その科学館の名前は、「Lica House」

館長は森裕美子さん。

数学の教師だった彼女は、お子さんとスライムを作ったことがきっかけで科学遊びのおもしろさに目覚め、

「簡単な実験を通して科学することの楽しさを紹介したい」と子育てをしながら「なるほどの森」というミニコミ誌を発行するにいたります。


でも、森さんは子どもの頃は虫や理科に特に興味はなく、科学の専門知識もあまりなかったとか。

そんな森さんに科学の面白さを教えてくれたもう一つのきっかけは、相対性理論で有名なアインシュタインを日本に紹介した物理学者であり・アララギ派の歌人として知られる祖父、故・石原純博士昭和初期の子ども向けに書いた1冊の科学本でした。

「今読んでもちっとも古さを感じない。科学のおもしろさを身近なネタで紹介するその切り口がとても斬新だった」と森さん。

それが、『ぼくらの実験室』という本です。

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家庭でお母さんでも簡単にできる理科実験を紹介する森さんのミニコミ誌は、

口コミで評判になり、やがて実験教室の講師やPTAの講演を頼まれたりするようになります。

インターネットの普及と共に全国にその名が知られるようになると、『なるほどの森』は出版社の目にとまり、書籍化されました。

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そんな活動と平行して、幼稚園のママ友だった山浦さんと一緒に、

自分の子どもや近所の子どもを相手に科学遊びをする会や、

お母さん向けの勉強室を企画したりしていました。

自分の子ども達が大きくなると、今度はよその子ども達を集めて、

近くの公園や公民館で、月1回サイエンス道場と名打って公開科学実験教室を開催。

通りがかりの大人も、何が始まったのかと覗き見するうちに、科学遊びのおもしろさに目覚めて、

常連になる人もいたとか。


こんな調子で、「その時その時必要だと思えることで、自分達が出来ることを、楽しみながら」

積み上げていきましたが、

その一方で、ここに来れない子どももたくさんいるということが気になるようになります。

その頃、科学技術振興機構JST)の委員として、日本の科学館のあり方について意見を述べていた森さん。

ある委員の先生から言われた「それなら、自分で作ったらいいじゃない」という一言が、彼女の魂に火をつけました。

「家の近所に散歩のついでに立ち寄れる科学館があったらどんなにいいだろう!子どもの目線に立った科学館を自分の手でつくりたい!そこで科学することの楽しさを伝えたい!」

という思いが膨らんだ森さん。

旧知の仲の山浦さんと二人三脚の、「科学館建設プロジェクト」が始まったのは、そのすぐ後のことでした。

続く