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2009-09-24 雑司が谷白想 2   乃木繭子

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日がかたむきはじめると、鬼子母神のけやき並木を緑の帽子の小学生たちがとおりすぎていくのが見える。あれはどこの小学生なのか、こないだムトーさんに尋ねたら、音大の裏にある南池袋小学校の子どもたちだと言っていた。

この通りに面した「並木ハウス別館」の一角に初夏、「キアズマ珈琲」という喫茶店ができた。別館のうしろには、かつて手塚治虫が住んでいたという「並木ハウス」が今も存在する。晴れた日は濃紺の日よけがかかる入口から、カウンターの木目をなでて、並木ハウスが見える細長い窓までまっすぐに季節の風がぬける。キアズマ珈琲に来ると、入口に近いカウンター席にいつも座ってしまうのは、この風と、木枠の網戸に切りとられたけやきを眺めたいからだ。樹齢500年近いという大きなけやきに手をのばして、この「さわりたい感じ」は古書現世向井さんのお腹に似ている、と思った。齢500年の向井さん。

冷たいカフェオレをたのむ。まだここでは冷たいカフェオレしかたのんだことがない。もうすこし季節が過ぎれば別のものをたのむのだろうかと、赤いコーヒーミルを見ながら思う。冷たいカフェオレをたのまなくなったら、秋なのだということにしよう。カフェオレがくるのを待って、栃折久美子『モロッコ革の本』(ちくま文庫)をひらいた。

みじかい留学期間でルリユールという製本技法を、身体のすみずみまで染みこませようとする栃折さんのまなざしはつよい。一方で栃折さんはおなじくらいつよく考え、迷っている。「素手でかたちのあるものをつくること以外に、自分であろうとする方法を知らない私」と、「ひとりの女として猛烈に生きたがっている私」が一人二役の心の対話で語られる場面は、おもにルリユールにまつわる日常を描くこの本の中で、ともすればやや唐突な印象をあたえるかもしれない。けれど、ものをつくることと生活のこととの葛藤が、こんなにも生々しく差し出された表現をほかに知らない。ここに栃折さんの言葉の比類なさがある。ものづくりにのめりこむのとまったくおなじ場所から、焦がれるひとのたしかな名前をたしかな声で、栃折さんは呼ぼうとする。

とおく離れた雑司が谷の喫茶店でその声を聞きとるうちに、わたしという現在がいつのまにかぽっかりと、浮きぼりになっている。グラスの表面にあつまる水滴のまるみを見ながら、自分はいったい何がしたくてここにいるんだったっけと思う。人生って体力勝負だよね、という台詞が聞こえたのでおもわず顔をあげると、木枠の向こうに赤いランドセルがならんで消えていくのが見えた。氷が音をたてて溶けた。

帰り際に「古書往来座」をのぞく。こんにちはーと声をかけると、帳場ののむみちさんがあっ、という表情をして、買い取りの箱の中からさっきこれが出てきたの、と栃折久美子『製本工房から』(冬樹社)を取り出した。すごいとしか言えなかった。外市のうちあげで、この本はまだ読んでいないという話をのむみちさんにしたばかりだったのだ。栃折さんの製本教室に通っていたという瀬戸さんから、当時の話を聞く。ミニスカートのかっこいいおばあちゃんだったと瀬戸さんが愉しそうに言う。いまはなにをされているのでしょうね、とたずねたら、わからないでもうわさでは、と瀬戸さんが言いかけたところで電話が鳴り、あのつづきをいまだに聞けていない。本はもちろん買って帰った。


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乃木繭子(のぎ・まゆこ)

目白在住の書店員。わめぞメンバー。

ブログ「空にパラフィン」http://mayukoism.exblog.jp/