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2010-02-18 【連載】 雑司が谷白想 4    乃木繭子

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ときどき、夜の鬼子母神を見に行く。夜の鬼子母神へ入ることはできない。

境内をにぎやかに走るランドセルや、賽銭箱の前で一礼する買い物袋を見送ったのち、鬼子母神堂へつづく門は、作務衣を着た坊主によってすべて閉ざされる。門といっても民家のガレージにあるようなアコーディオン型の門扉なので、門の外側から蛍光灯にしらじらと浮かぶ本堂をながめることはできる。

大公孫樹も見える。樹齢700年の大公孫樹の枝先がゆっくりとみぞれまじりの空をゆらすと、空は700年分の夜にぐんぐんおおわれていく。見上げる自分がほんとうにいるのだかいないのだか、わからなくなる。夜の海と夜の大木のおそろしさは似ている。それでもときどき遠回りして、夜の鬼子母神を見に行く。


この冬、大学時代の後輩が亡くなったという知らせが届いた。すでに葬式は済んでおり納骨が間近だと言う。


映画サークルで知り合い、とある有名なシナリオコンクール入賞歴のある新入生ということで話題になった。実際に会ってみるとシナリオの話も映画の話も本の話もほとんどせずに、その場かぎりのどうでもいいふざけた話をいつまで経ってもやめないので、おまえその話もういいだろう、とだれかをよく怒らせていた。男子の輪の中にいるときは不思議なほどはしゃぐのに、なじみのない女子が同席すると、黙ったまま席を立ってそのまま帰ってこないような、つかみどころのむずかしい人だった。話しかければふざけることもなく、FISHMANSやSunny Day Serviceの音楽観について、言葉を選びながらしゃべった。カラオケでは、サイモン&ガーファンクルの『Bridge Over Troubled Water』をいい声で歌った。めったに目を合わせてはくれなかった。


卒業するときもらった色紙に、彼が書いた一言をおぼえている。書きなぐったような字で「泣かないでね」と書かれていた。


訃報を聞いたころ、岩瀬成子『二十歳だった頃』(晶文社)を読みかえしていた。高校一年から二十三、四歳くらいまでに岩瀬さんが会った人、住んだ町、その時代をとりまく空気のことが、水平線に目をこらすような一途な文体で描かれている。

この本で語られる二十歳と自分の二十歳とはことなるけれど、出来事と意思の間に介在する言いしれない焦燥や、変化を感受することしかできない苦いもどかしさが、岩瀬さんのまっすぐなまなざしのうしろにいつもあって、その切実さが自分のなかに眠る「二十歳だった頃」をそっとゆり起こす。過ぎていった時間のことをぼんやり思いながら、以前に読んだときとはまた少しちがう気持ちで、この本を読んでいたのだった。


深夜、マフラーをぐるぐる巻きにして鬼子母神へ行った。

みぞれまじりの雨はやんでおらず、石のみみずくの背がつやつやと光っていた。大公孫樹はみぞれの重さにうつむいていた。


いつも思い出すことなどない。目の前で起こっていることに気持ちをととのえながら息つぎをして、できるだけうまく泳ごうとする。そうして一日は終わる。明日はそんな今日のつづきで、ただそれだけの今日でさえ、すでに生きていない人がいた。欅並木の案内板にぐっしょりともたれた毛布も、雑司が谷駅1番出口の前に転がった片方の竹馬も、生きた世界ではただのつづきなのに、死の世界の人とは共有できない。

だれともすれちがわず、だれとも会わなかった。

どこかの窓からシャワーの音が聞こえた。

訃報を聞いたときに『二十歳だった頃』を読んでいたことを、しばらくは忘れないのだろう、とビニール傘にはじけるみぞれを見ながら思った。

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乃木繭子(のぎ・まゆこ)

目白在住の新刊書店員。わめぞメンバー。

ブログ「空にパラフィン」http://mayukoism.exblog.jp/