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犬が眠った日 このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011年12月08日

「ニコニコ学会」で発表したかった原稿

2011年12月06日に開かれた「第1回ニコニコ学会βシンポジウム inニコファーレ - ニコニコ生放送*1で、修士論文を元に発表してきました。「第5セッション 研究してみたマッドネス」での「創作コラボでの権限」(正式なタイトルは、「創作コラボレーションにおける権限のあり方」)*2で、発表しています。

映像を見ていただければ分かりますが、しっかりと話せていません。発表の中の記憶が、私自身も曖昧です。悔しいです。本当はどういう原稿を読む予定だったかを、ここに載せます。

発表中、ニコ生のコメントやTwitterで応援していただいた方々、ありがとうございます。ニコ-アニの方々、しっかりと伝えることができず、申し訳ありません。勉強しなおしてきます。

あいさつ・リード

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はじめまして。フィールドワーク手法を使って、ニコニコ動画を研究しています。今日は、創作コラボレーションを行っている集団が、「どのような権限の構造を持っているのか」について発表します。この研究は、約1年3か月の間、「ニコ-アニ」というアニメ制作コミュニティへの参加・取材をもとにしたものです。

創作コラボレーションの類型

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そもそもの創作コラボレーションに対して、私は二つの類型を分析道具として提案します。「共同創作」と「二次的創作」です。「共同創作」は、みんなで集まって一つものを作る行為です。一方の「二次的創作」は、一つの作品から個人個人が派生作品を別々に作っていく行為です。「統合」と「分散」という逆の現象です。

しかし個人個人の作業が一つの成果物になっているという点で、両方とも「創作コラボレーション」と考えます。

今回の研究では、「共同創作」の方に焦点をあてています。

ニコ-アニとは?

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では、ニコ-アニについて。ニコ-アニは、2007年8月にニコニコ動画の公式掲示板で始まったユーザーの企画です。オリジナルアニメを作ることを目的としています。メンバーの急増・激しい議論・メンバーの離脱・企画の停滞などを経験しています。

このニコ-アニでは、統合役が大きく分けて3回変わりました。1番目に企画の提案者・2番目に監督班という組織・3番目に監督班で唯一残った方の3回です。

共同創作における権限の構造

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このようなニコ-アニへのフィールドワークから分かったのは、統合役が参加者から必要とされながらも、他のメンバーとの平等化の圧力を受けていることです。1番目・2番目・3番目で組織の様子はだいぶ変わっています。しかしこの点に関しては、共通していました。

ここで、ニコ-アニに対してオープンソース研究で使われる「やさしい独裁者」*3の概念を援用してみます。その結果、すべての段階で「やさしい独裁者」の様子は見られるものの、3番目の段階において「やさしい独裁者」がより有効に機能していると判断しました。

まとめ

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今回の研究では、私の主張は以下のようにまとめられます。

  • 創作コラボレーションに対して、「共同創作」と「二次的創作」という分析道具の提案
  • 統合役が参加者から必要とされながらも、他のメンバーとの平等化の圧力を受けている「共同創作」

この研究は、修士論文として書いたものです。ネットで公開していますので、「ニコニコ動画 創作コラボレーション」で検索してみてください。

資料

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最後に、「ニコ-アニ」に登場するキャラクター達です。

ありがとうございました。

*1ニコニコ動画ログインで、一般会員でも見ることができます

*2:動画上の私の発表部分に飛びます

*3修士論文から:「優しい独裁者」の「独裁者」は、最終的な決定権を持つという意味である。「優しい」というのは、それでも決定においては他の参加メンバーの意見をくむ(くまざるを得ない)という意味である。カール・フォゲール(Fogel 2005=2009)は、優しい独裁者の特徴として「優しい独裁者が実際にすべての、もしくはほとんどの決定を行っているわけでは」なく、「自分より優れた技能を持つメンテナーの領域では、たびたび彼らに従う」としている。それどころか「いつでも可能な限り、議論や実験を行う作業を開発者に任せて」いる。「結論が出ず、ほとんどのグループが開発を続けるために誰かが判断の指針を示すことを明確に望んでいる場合だけ」(以上、すべて同上,原文の強調斜体を太字に変更)指示を出すのである。

2011年10月26日

「権利者に許可をもらってない二次創作物に対して、その二次創作物の作者は著作権を主張できるか」を調べた結果

この記事について

この記事では、以前に書いた「犬が眠った日 : のまネコの問題点(「私物化」編)」の一部を、ほぼそのまま載せている。上の記事は、著作権意識に関する卒業論文社会学)を書く中で、調査の途中経過として書いたものである。

今回、「同人探 : LINDA ProjectのLINDA様、『NARUTO』はあなたの著作物ではありません。」や「そろそろ同人誌二次創作物の著作権について一言いっておくか*ホームページを作る人のネタ帳」を見ていく中でこの記事が役に立つと思い、再掲することにした。

この記事の欠点として、取り上げている文献が古い版であることに注意。申し訳ない。

概要

「原著作権者に許諾を取っていない二次的著作物に対して、その二次的著作物の著作者は著作権を主張できるか」*1という問題がある。この記事では、「著作権法研究者たちが、この問題に対してどのような主張をしているのか」について調べた。その結果として、「著作権を主張できる」が通説であると分かった。

二次的著作物の著作権

著作権法27・28条により、著作権者には「二次的著作物」(ある著作物に新たな創作性を加えて作り出された著作物。もとにされた著作物は「原著作物」と言う)に関する権利が認められる。これによって他の誰かが二次的著作物を作ったり、その二次的著作物を利用(複製など)したりするには、原著作物の著作権者に許諾を取らなければならない。

二次的著作物の創作者も、その二次的著作物に関しては著作権を持つことができる。ここで問題になるのが、原著作者に無許諾で作られた二次的著作物(著作権法27条に違反して作られた著作物)の著作権に関してである。この場合の二次的著作物の著作者は、その二次的著作物の著作権を持つことができるのか。

大学に置いてあった著作権関連の本(当時)を一通り調べ、ウェブ上の情報も調べた結果、以下のことが分かった。

なお、二次的著作物を創作する場合には、原著作物の著作者の許諾が必要である。第27条で翻訳権翻案権等が規定されている。ただし、原著作物の権利者に無許諾で翻案等をした二次的著作物であっても、翻案権等の侵害の問題はあるが、その二次的著作物は保護の対象となる。


作花文雄『詳解 著作権法(第3版)』ぎょうせい 2004年 p115

例:Aが執筆した小説をBが翻訳し、Cが出版する場合。

Bは翻訳するにあたり、Aから許諾を得ないといけない(著27条)。

Cは出版するにあたり、Aから許諾を得ないといけないし(著28条)、Bからも許諾をえないといけない(著21条)。

BがAの小説を無断で翻訳したとしても(Aの著作権を侵害しているとしても)、Bが翻訳によって著作権を取得することにかわりはなく、CはBから許諾を得る必要がある(通説)。


駒田泰土(上智大学法学部国際関係法学助教授、研究テーマ:知的財産権の国際的側面)「 二次的著作物及びその権利関係

以上のように、原著作者に無許諾で作られた二次的著作物(著作権法27条に違反して作られた著作物)でも著作権を持てるが、通説のようである。

ただし、この解釈とは逆の主張もある。半田正夫氏の以下の主張である。

結論において賛成であるが(引用者注東京地判昭和47年11月20日のマッド・アマノ氏のパロディーモンタージュ写真事件*2判決文に対して)、さらにこの趣旨をもう一歩進めて、原著作物者の許諾を得ないで作成された二次的著作物は―いかにそこに独創性が認められようとも―著作物として保護しないという点まで徹底できないものであろうかとの疑問を持つ。なぜなら、著作権侵害の効果として差止請求の認められるようになった今日、原著作権者によるこの請求権の行使によって二次的著作物の利用は全くなしえなくなるのであるから、これを著作物として保護するとしても実効性はないと考えるからである。


半田正夫『著作権法概説(第11版)』法学書院 2003年 p282

しかし半田氏が「できないものであろうかと疑問を持つ」のは、原著作者に無許諾で作られた二次的著作物に著作権を認めるのが一般的であるからだと考えられる。そもそも著作物として保護する必要がない(著作権を認めない)なら、この主張をする必要もないからだ。

以上のことから、「原著作権者に許諾を取っていない二次的著作物に対して、その二次的著作物の著作者は著作権を主張できるか」に対しては、「主張できる」が通説だと私は判断する。

orihime-akami氏が述べる(「日本では、違法な二次創作であっても二次創作者の著作権が発生する。正確には、それを抑制するような法は存在しない。#アメリカはたしか違うんだっけ?」)ように、アメリカではこれが異なる。条文に権利を認めないことが書かれている。詳細は、金田昭彦氏による「KLSアメリカ著作権制度の解説>二次的著作物に対する保護」を参照のこと。

その法解釈にもっと根拠付けを

ここからは、この記事独自の文書である。

今回のブログは、「同人探」管理人氏の法解釈とYamada氏(「ホームページを作る人のネタ帳」管理人)の法解釈を否定する形になった。一見、Yamada氏の法解釈は通説と同じように見える。しかし二次的著作物の著作者に著作権が認めらる条件を「裁判によってまだアウトとなって居ない限り」とYamada氏は限定しているので、通説とは異なる可能性がある(ここは、通説をもっと調べる必要がある)。

しかし私は、「同人探」管理人氏の「原作者の許可を取らずに違法にパクって登場人物レイプして荒稼ぎするのは、日本製品パクりまくりの韓国人海賊版で儲けている中国人となんら変わりはなく、そんな贋作、偽物に著作権なんてあるわけないじゃないですか」という解釈自体を「法的に間違っている」と思わない。一方、Yamada氏の「これは我々の作成した作品です!と堂々としていて、かつ、裁判によってまだアウトとなって居ない限り、今回の二次的著作物であるエロ漫画NARUTOの著作権は現段階でLINDA Projectにあります」という解釈自体も「法的に間違っている」と思わない。

そもそも法学(法解釈学)では、物理学化学で求められるような「一つの真実・答え」というものはない。その時代の人々に受け入れられた法解釈が存在するだけである。最高裁判所判例であっても、絶対的な答えではない。日本でも先に出された判例(特に最高裁判所判例)に拘束されるのは確かだが、最高裁判所自体がその判例を覆せる可能性を残している(裁判所法10条3号)。その事件以外で上級裁判所が下級裁判所を拘束することもない(裁判所法4条)。学者間の通説も時代によって変わっていく。

そうすると重要なのは、その法解釈をどれほどしっかりと根拠付けているかである。「文理解釈」・「論理解釈」などの解釈技術はもちろん、倫理や正義、当事者同士の利益の保護の点からその法解釈にどれだけの力を与えられるかが重要になってくる。その点で言うと、両者の法解釈にはまだまだ根拠付けができそうに私は思う。解釈を発展させるためにも、根拠付けをもっとおこなっていく必要がある(それでも私にとって1番言いやすい解釈は、「違法と認定された二次的著作物でも、その著作者は権利を主張できる」なんだけれども。アメリカ著作権法のように「そのような場合は保護を与えない」と条文に書かれていないので)。

本文に書かれていない参考文献

追記

*1法律用語をあまり使わない言い方だと、「権利者に許可をもらってない二次創作物に対して、その二次創作物の作者は著作権を主張できるか」になる

*2パロディ事件 - Wikipedia

2011年02月24日

Facebookで一番驚いているのは、「匿名・実名議論」ではなく、「匿名・実名問題」になったこと

 ネットに関する匿名・実名議論は、昔からある。自分が持っている一番古い資料では、『科学朝日』1993年10月号177ページに匿名・実名議論が載っている。1993年という時代から分かるように、「インターネット」ではなく、「パソコン通信」の方のネットだ。ネットにおいて、匿名・実名議論は常に付きまとう議論だった。

 しかし、Facebookに関する匿名・実名議論は、どうも今までとは違う。「議論」ではなく、「問題」として存在している。

 今まで行われてきたのは、しょせん議論だ。実名派が議論に勝っても、匿名派を実名にさせる権限を持つわけではない。たとえ、「このwebサービスは実名必須です。匿名の場合は削除します」というルールを設けたwebサービスを私が作ったとしても、そもそもそのwebサービス自体を匿名派が無視して(そもそも無関心で)終わりだろう。関係性を簡単に切ることができるので、両者の間で「問題」は生まれない。

 だがFacebookは、この実名派webサービスを無視できない(無関心でいられない)匿名派を誕生させた(「facebookの古い悪習に、僕らがNo!と言う理由 - しっぽのブログ」)。その一方で、Facebookはユーザーを退会させる権限(ユーザーとは非対称な権利)を持つ。意見が対立しても、離れられない。関係性を切ることができない中で、両者に衝突(匿名者を退会)が起きたとき、「匿名・実名議論」は「匿名・実名問題」となった。

 「問題」となったことは見たことがなかったので、匿名・実名・顕名通名・「仮名的匿名性」(いわゆる固定ハンドルネーム)・「無名的匿名性」(いわゆる「名無し」)*1をめぐる問題の、新たな局面を迎えているように感じた。

更新履歴

2011/2/24

  • 「(無関心でいられない、離れたくない)」を「(無関心でいられない)」に修正
  • 「掲示板」となっていたところを「BBS」に修正
  • 「意見は対立しても、離れられない」を「意見が対立しても、離れられない」に修正

20011/3/5

  • 「『このBBSは実名必須です。匿名の場合は削除します』というルールを設けたBBSを私が作ったとしても、そもそもBBS」にある「BBS」を「webサービス」に変更。

*1松村真宏・三浦麻子・柴内康文・大澤幸生・石塚満,2004,「2ちゃんねるが盛り上がるダイナミズム」『情報処理学科論文誌』45(3):1053-61.(http://www2.econ.osaka-u.ac.jp/~matumura/2ch.html,2007.12.14)でも公開。

2011年01月12日

はてなキャンペーン

Appleについては、興味はあるけど手が出せない状態でした。

これを機会にさわってみたい。

MacBook Air 11インチ欲しい!

2010年12月13日

ロージナ茶会冬コミ参加[3日目 東地区 A - 47 b]

今年の夏コミにサークル参加したロージナ茶会ですが、冬コミも参加します。

日時・場所は、

3日目 東地区 A - 47 b

です。

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今回私は論文を投稿してませんが、冬コミの宣伝を兼ねて、夏コミで私が出した論文「同人文化における『頒布』の意味解釈」の全文を載せました(重さ注意)。

ご覧ください。

2010年夏コミ(コミックマーケット78)論文:「同人文化における『頒布』の意味解釈」の全文

はじめに

 本論文では、同人文化において「頒布」という言葉が使用者のどのような動機の元で使われているのかを考察する。「頒布」という言葉は、似た意味を表す「販売」と比べると一般に見かける頻度は少ない。グーグルの検索結果は「販売:286,000,000、頒布:13,400,000」であり、ウィキペディアでは「販売:44,190、頒布:799」、朝日新聞アエラ週刊朝日データベースである「聞蔵2」では「販売:313,012、頒布:2,159」(すべて、2010年4月12日20時頃の検索結果)であった。だが同人文化の中では、あえて「販売」という言葉を使わず、「頒布」を使う人々がいる。同人文化の中では、「頒布」はどのように意味づけられた言葉なのだろうか。

 これを解明するため、本論文では以下のように論を進める。

 まず第一節で、「頒布」・「販売」がどれだけ使われているのかを知るために、同人即売会チラシにおける「頒布」・「販売」の使用割合を調べていく。ただ、これは統計学的に不十分な調査のため、「同人文化では、『頒布』の方が多く使われている」のような主張の直接的な根拠とはならない。ここでは、考えていくための参考としてこの割合データを扱いたい。第二節では、「頒布」の使用について言及した団体や個人を取り上げる。ここでは事例研究を通して、「頒布」の具体的な使用動機を見ていく。第三節では、これらを受けて「頒布」を使う動機の仮説を四つ提示する。最後に「おわりに」として、今後の課題として可能かもしれない仮説検証の方法を述べる。

 同人文化での「頒布」が、議題になることは多くない。著作権法や児童ポルノ法の方が、多く取り上げられるだろう。だが、同人文化における「お金を得る」という行為の社会的位置づけを調べるために、必要な議論であると考える。

 なお、本文章は論文としての体裁を持つため、「おわりに」以外は敬称を省略している。

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巻末資料「即売会チラシの単語表」

単語枚数
頒布109
「販売」45
「展示」25
「発行」37
「配布」7
全枚数179(即売会チラシ178+サークルのチラシ1)

以下、179枚の一覧表です。

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