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烏は歌う このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-05-19

中級者以上向けの「倍音」の話。

いろいろとコメントが来ていたので。


初級者向けの説明


初級者向けの説明だと、

「声には倍音ってやつが含まれていて、それが声質とか声の印象とかを大きく左右するよー」

「基本的には、しっかり倍音が含まれていると明るくはっきりした印象になって、いい声と言われやすくなるよー」

「倍音をきっちり鳴らすには、声帯ストレスなく鳴らすことと、声を喉や口でしっかり響かせることが必要だよー」

というくらいで済ますのがまあ妥当かなー、と思います。



中級者以上にありがちな困難


しかし、中級者レベルになってくると倍音の話をするのって非常にめんどくさいことになりまして。

というのも、以前こんな記事を書いたことがあるんですが…。


「丸い響き」とか「柔らかい響き」とか。 - 烏は歌う


中級者くらいだと、「倍音がたくさん鳴ってるといい声らしい!」みたいなことを聞いてはいるんですが、「どのような倍音が多いとどのような声質になるのか」という対応関係が整理できていない場合が多いのです。

なので、

「私がこれはいい声だと思ったから、これは倍音がたくさん含まれているに違いない!」

「倍音の多い声とは、よくわからないけど私の好きなタイプの声である!」

「私の声が思い通りにならないのは、よくわからないけど倍音が足りないせいだ!」

みたいな考えに陥りやすい。


「倍音を強くしたいんです」と言われても、「基音も強く、だからこそ倍音もすごく強い、明るく派手な輪郭のはっきりした声(倍音の絶対量が多い声)」を目指している場合もあるし、「基音があんまり聞こえないで、倍音というか響きだけがふわっと鳴ってる感じの透明感のある声(倍音の割合が多い声)」を目指している場合もあるしで、そのアプローチ方法って真逆だから、どっちのことを意識してるのかとかから考えないといけない、とか、考えないといけないことが山積み。



倍音の単純な増やし方


基本的には、倍音の量は基音の強さに比例します。

基音が鳴るとそれに付随して倍音が発生するわけなので。


なので、声帯を無理なく鳴らし、その音が響きやすい状態の共鳴空間を作ってやれればいいわけです。


声帯に関するイントロダクション。 - 烏は歌う

共鳴に関するイントロダクション。 - 烏は歌う



倍音の偏らせ方


で、中級者以上に必要になってくるのは、倍音の単純な増やし方ではなく、

「どのような形の共鳴空間を用意したら」

「どのような倍音が響きやすくなって」

「どのように声質が変わるか」

について理解することです。


いわば「倍音の偏らせ方」というか。


そこでヒントになるのが、「母音の変化」です。

世の中にはいろんな母音がありますが、なぜ我々人間が母音を出し分けたり聞き分けたりすることができるかというと、「舌や口の形などを変えることで倍音構成を変えて、母音ごとに声の質を変えている」…ということが無意識に行われているからです。

「い」母音はなんとなく他の母音より硬くて明るいというかキンキン響くイメージがありますが、それは「い」の口をすると、高い倍音が強調されやすくなり、低めの倍音はカットされやすくなるからです。

逆に「お」母音は他の母音より柔らかくて暗くてマイルドなイメージがありますが、それは「お」の口をすると低めの倍音が強調されやすくなり、高めの倍音がカットされやすくなるからです。


母音関係まとめ - 烏は歌う


このような関係を頭に入れて、出したい響きを実現させられる口内の「広さ」と「深さ」を調節してみることが、理想の声に近づく方法となるでしょう。

2016-05-14

何かを紹介する記事について。


久々のプチ更新。

はてな村のプチ炎上を横目に思ったことをダラダラと。



○○を10曲紹介!みたいなエントリについて


基本的にこういう記事は、タイトルからして「アクセス数稼ぎたい!!」みたいな思いが強すぎるので、ピュアなファンには警戒されやすいものである。

俺たちの好きなものを雑に扱って金に換えようとするんじゃねーみたいな嫌儲的な反応もあるし、そういうの抜きにしても、好きなものに対する紹介コメントや選曲が的外れだったりイマイチなものであればそりゃあイラッとする。


じゃあそういう元々のファンの反応を良いものに変えつつ、本当に何も知らなかった人からも良く思われるエントリにするにはどうするか。

基本的にこういう記事は、

「私はこんなにこれが大好きなので」

「ぜひとも紹介したものを知ってもらいたい」

という動機で書かれるということになっているので、そのどちらかに力が入っていれば、ネガティブな意味で盛り上がることはまずないと思う。

で、「ほんとうに好きな人が真面目に書いた記事であれば、どちらの面から見ても満足できる記事になる」…とは限らないが、少なくとも良記事だなーと私が思うものはだいたいどっちから見ても満足できるものが多いですね。


「私はこんなにこれが大好きなので」という気持ちを軸に記事を書くとしたら、やっぱり選曲から「俺はこのアーティストのこういうところが好きなんだ!こういうところを聞いてほしいんだ!」ってのが見えるチョイスになっていていて欲しいし、紹介コメントも「こういうところが好きなんだ」ってのがにじみ出る熱い文であったり、逆に好きすぎてなんも書けねえみたいなのを感じさせてくれる「熱い沈黙」であって欲しい。

「他になんか書くことなかったん?」「その一言は必要だった?」みたいなどうでもよさげなコメントがついてると、非常に読んでて萎えるので書かない方が良さそう。


「ぜひとも紹介したものを知ってもらいたい」という気持ちを軸に記事を書くとしたら、いろいろな意味で「紹介するため、見聞きしてもらうための工夫」ってやつが必要になりますね。

紹介コメントも興味をそそるような内容が望ましいし、選曲も「時系列にしてチョイスしたり、逆順で並べてみたり」とか「いろんな曲調の曲がある中で、それぞれピックアップしてみたり、あえて初心者受けが良さそうな曲調を厳選してまとめてみたり」とかとにかく工夫が欲しいよね、と。


まとめる人の熱意や執着、もしくは見る人への配慮、このどちらも感じられない「○曲まとめました」系記事は「ただの羅列」にしか見えず単純に面白くないので、書くならそれなりのプランを持って書いた方が良さそう。

うまくやれば、大好きなあのアーティストの曲を今まで見聞きしたことのない人とシェアできたり、すでに好きな人と楽しく盛り上がれるかもしれない。

「俺的ベストアルバムを作るなら」ってネタで音楽ファン同士で盛り上がることって結構あると思うんだけど、そういう気持ちでやればそうそう失敗することはないと思うな。



余談


そういう自分はどうなんだと思い返してみたところ、こういうリストアップ型紹介記事って、余談でビールのこと書いて以来やっとらんかったわ…。


酒を飲みつつ考えてた、「官能表現」のこと(ただし後半はほぼビールの話)。


さすがに全然ブログのテーマと関係ない記事だから伸びなかったけど、実はけっこうお気に入りだったりする。

2016-02-29

音色とか声質とか母音の話について。


しばらく見ていないうちに、音色や母音に関する質問がいくつか来ていたようなので。



音色の変化について


声というものは、「どのような状態の声帯に、どのような息が通ったか」+「そのとき、共鳴腔はどのような状態だったか」によって決まります。

で、声の「音色」「声質」というものについては、特に後者の「そのとき、共鳴腔はどのような状態だったか」というのが大きいとされています。


で、具体的に「共鳴腔がどのように変化すると」「声質にどのような変化が起こるのか」というと…

ちょうど一年前に、こんな記事を書きました。

母音関係まとめ - 烏は歌う



音色の変化は良いものなのか悪いものなのか1


で、

「声質が発音する言葉(子音・母音)によって違いすぎてしまう気がするけど、どうしたらいいのか」

「発声したい音の高さによって、声質が違いすぎてしまう気がするけど、どうしたらいいのか」

というお悩みを持っている人が多いようです。


これについては程度問題なので、「自分が狙っている、本当にやりたいバランス」と「それが実際に他人にどう聞こえているのか」を突き詰めるしかないです。

最近なんでも「程度問題」「程度問題」と、御用学者政治家のような物言いに終始していて、明確な答えを出すことができませんが、本当に「程度問題」としか答えようがないです。


例えば、「言葉(子音・母音)に応じて、一文字一文字はっきり声質を変える」という発声をすれば、

メリット:滑舌が良い印象を与え、言葉を正確に伝えられる

デメリット音楽(特に声楽クラシック)的な滑らかさや情緒に欠ける

…という関係があります。


逆に、「可能な限り最小限の母音・子音の変化で全ての言葉を発声する」というやり方なら、

メリット:(声楽的な)美しい発声をキープしやすい

デメリット:滑舌が悪い印象を与え、言葉を正確に伝えにくくなる

…となり、裏表の関係になります。

なので、「正確に歌詞を伝えたいのか」「もっと非言語的なイメージを重視したいのか」によって、着地地点は違います。


どの程度、歌詞を聞かせるつもりなのか。 - 烏は歌う



音色の変化は良いものなのか悪いものなのか2


また、「音の高さによって音色が変わる」ことも、メリットデメリットの両面を踏まえた上で、自分のやりたいバランスを考えることが大切です。


基本的に、共鳴腔ってのは「どんな音域でも、広ければ広いほど良い」というものではなくて、

・低音では広いほど鳴らしやすい

・高音はある程度狭い方が鳴らしやすい

という関係になっています(かなり色々と省いて言うと)。


でも、「出しやすいから」といって高音で共鳴腔を狭めすぎると声質がキンキンしてしまってうるさいし、かと言って(低音を出しているときの状態のまま)大きく開いてしまえばそれはそれで高音が出しにくくなるし綺麗に響かなくなってしまうので、「高音では、共鳴腔をほどよく狭める」「音域によって、ほどよく声質を変化させていく(変化させすぎない)」のが大切ですよねー、という話になりますね。

また、目的によって、「とにかく高音の限界にチャレンジ!とにかく音程が届きさえすればいい!」って場合なら思う存分キンキン声で出せばいいですし、「中音域と声質を変えずに高音も歌いたい!」って場合は、ちょっと限界最高音の高さは妥協せざるを得ないかと思います。



音色の変化は良いものなのか悪いものなのか3


あとは「個性の演出」との絡みも大事ですね。


「自分の個性なんてどうでもいいから、歌に合わせて最善のものになるよう声質を変化させるべきだ!」という考えも、「自分の個性を最大限活かせるように、自分の一番美味しい声質だけを使えるように、歌の方を自分に合わせるべきだ!」という考えも、どっちも正解だし一長一短。

基本的にクラシック路線だと前者の割合が大きくなるし、ポップス路線なら後者の割合が大きくなる傾向はある。

そして突き詰めると、どっちであれ「個性なんていくらあっても、色々な場面に対応できる技術が伴ってなきゃ要らない」「個性の無いやつは、どんなに技術があろうがいくらでも替えがきく」という永遠に続く板挟みの世界に突入する。


なのでまあこの辺も、どのくらい個性を出して、どのくらい曲に合わせるのか、バランス次第。