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烏は歌う このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2016-11-15

共鳴腔の「長さ」と「広さ」。


いろいろと思うところあってしばらくブログを寝かせてみたけど、これと言って自分の中で何かが変わる気配がないので再開。

これといって深刻な何かがあったわけじゃなく、ただの気まぐれさ。



共鳴腔に関する基本


最近ずっと書いていることのなのですが、

「思い通りの声を出すには、共鳴腔を思い通りの形にすることが必要」

なわけです。


・共鳴に関するイントロダクション。


共鳴腔を広くしたり狭くしたり、長くしたり短くしたりすることで、共鳴の様子を変えることによって、

「高音域や低音域を響かせやすくしたり」

「声の印象を変えたり」

することができます。



共鳴腔に関する基本2


で、その「共鳴の様子を変える」というのはどうやったらできるかというと、共鳴腔の「長さ」を変えるか、共鳴腔の「広さ」を変えるか、という2つが主な方法になってきます。


共鳴腔の「長さ」とは声帯が収まっている喉頭から、声の出口である唇の先端まで距離ということになりますね。

喉頭(のどぼとけ)を下げ、唇を突き出すようにしたときには共鳴腔の「長さ」は最大となります。

逆に、喉頭を上げて唇を引くように口を開けば、共鳴腔の「長さ」は最小となります。


共鳴腔の「広さ」は、概ね3つに分けることができて、

喉頭腔の広さ…喉頭を下げるほど広がり、上げるほど狭まる

咽頭腔の広さ…基本的に「力を抜く」と広がり、「何かを飲み込むような力」が入ると狭まる

口腔の広さ…下あごを下すと広がり、上げると狭まる。また、舌の位置によっても広さが変わる

という感じになっています。


過去記事だとこの記事の一番下の雑な図参照。

・雑な図で見る「喉」の仕組みの話



共鳴腔のコントロール


で、共鳴腔をコントロールする上で大切なのは、

「ほどよく変化させる」

ことになります。

共鳴腔をできるだけ変化させないように発声すると、音域によって「音量」や「出しやすさ」が大きく変わってしまって、「声楽的に使い物にならない音域」というのが広くなってしまいます。

また、「母音の変化」は必ず「共鳴腔の変化」を伴いますので、共鳴腔をほどよく変化させないと、「滑舌が悪い」「言葉にならない」という状態になってしまいがちです。

かといって、変化をつけれるだけつければそれでよいかというとそうでもなく、共鳴腔の変化の「つけ過ぎ」は、「声が一音一音、別人みたいに分離しちゃって気持ち悪い、逆に聞きづらい」という状態につながってしまいます。


なので、「ほどよい変化」を探っていくのが大切なのですが、そのために比較的楽なやり方が、

共鳴腔の「長さ」はあまり変化させず、共鳴腔の「広さ」(主に「口腔」だけを)を変化させる

という方法になるかと思います。

一般的な楽器は「共鳴管の太さは変えられないので、共鳴管の長さを伸び縮みさせて共鳴を変化させる」ってのがほとんどだと思いますが、人間の場合は逆になってしまいますね。


共鳴腔の「長さ」、つまり「喉頭をどのくらいの高さにするか」と「唇の先をどれくらい前に出すか」をあまり変えないで、

共鳴腔の「広さ」、つまり「口腔内をどのくらい開けるか」と「舌の位置を動かして母音をどうするか」を変える

というやり方が基本になります。


こうすることで、

「長さ」の方を変えないことで、声にほどよい統一感が出やすい

口腔内の広さはどうせ母音に伴って変わってしまうので、柔軟に変えてやったほうが自然

喉頭を変に上下させないことで、不要な喉の力みを予防しやすい

などの利点があります。



実践的な話


クラシック的な発声では、「喉頭を下げ、唇を(軽く)突き出すようにする」という形が基本になるでしょう。

つまり、共鳴腔の「長さ」をできるだけ長くすることで、俗にいう「深い響き」とか「豊かな響き」(≒低〜中音域の倍音)を響かせるようにするわけです。

その状態で、母音(口内の開きと舌の位置)を状況に応じてコントロールすることで、声にほどよい変化を持たせることができるわけですね。


アマチュア似非クラシックでありがちな失敗例が、口腔内の「広さ」の方も最大で固めてしまおうとして、結局

「高音で吠えるような発声になってしまう(高音でも口開けすぎ)」

「高音やi、e母音で喉頭が上がってきてしまう(どこかを狭めないと鳴らない音なので)」

「母音の変化に乏しく、何言ってるかさっぱりわかんない」

みたいな感じになってしまうこと。

アマチュア似非クラシック界ではときどき「共鳴腔は大きければ大きいほどエライ!」みたいな発想になってしまいがちなので仕方ないのですが、共鳴腔の「長さ」の方を確保できていれば(特に高音域では)「広さ」はそんなに必要ではないので注意しましょう。


ポップス的な発声では、この辺を気にしすぎると逆に「自然さ」や「面白味」がなくなってしまいがちなのですが、やっぱり「高音域と低音域で声が違いすぎる」とか「滑らかに歌えない、なんか歌がガクガクする」とか「高音域や低音域が苦しい」という状態なら、検討の余地はあるかもしれません。

やはり「あんまり喉頭の位置を変えないこと」「低音域ではややオープンな(a母音交じりの)母音で出し、高音域ではややクローズな(u、о母音交じりの)母音で出してみる」くらいは意識しとくと楽になることがありますね。

2016-06-23

まともな批評について。


最近のインターネット空間でよく言われていること


とりあえず、評論…というかダメ出しするだけなら、何に対してでも、いくらでもできる。


というのも、世の中におけるあらゆる「作品」とか「表現」というものは、何かをよくしようとすればそれは必ず何かとトレードオフになっているので、何かを得るために「捨てた」部分を「これができていないからダメだ!」と声を上げればいいだけだから。

そして、「流行ってるものを貶す俺かっこいい」とか「なんでもいいから馬鹿にしてストレスのはけ口にしたい」みたいな欲求が世の中から消えることはないので、なんの役にも立たない批判のための批判ってのが世の中にはたくさんある。

インターネット言論空間上にはそういうニワカ評論家が増えすぎていて、いちいち真に受けながら暮らすと精神的につらい、という話も最近よく聞く。


一方で、「インターネット上の評論なんて全て等しく価値がないんだ!」とか「どうせなんでも評論家個人の好みの問題なんでしょ」みたいな中二病っぽい態度もそれはそれで人生損してる気もする。



私の思うまともな批評


基本的には、批評するポイントって

・その「コンセプト」は価値があるものなのか

・「コンセプト」を実現できるような「手段」が適切に選ばれているか

・その「手段」の「クオリティ」はどうか

…あたりになってくると思うんですよね。


それぞれについて

「全ての要素についてまんべんなく」

「是々非々で」

「具体的に」

書けているものを読むと、「ああ、勉強になる評論だったなあ」と思うことが多いし、それができていないと批判のための批判に感じることが多いですね。

で、「コンセプトを見定め」「それを実現するための手段を見定め」「そのクオリティを見定め」「それを的確にわかりやすく面白く語る」となると、やっぱりどうしてもセンスも勉強も必要となり、そこは評論家の腕の見せ所となる。


歌い手の批評とかでもねー、やれ「ビブラートがないから下手だ」だの「声量がないからダメだ」だの簡単に言う人いますけど、「コンセプト的に必要なのにできなかった」場合と「コンセプト的に必要がなかったのでやらなかった」場合では、評価は正反対になってしまいますからね。

他にも、「気持ちがこもってたからいいんだ!」とか簡単に言う人がいたりしますが、じゃあその「気持ち」って何?その「気持ち」を表現するためにどんな手段をとったの?その手段は「気持ち」を表現できる程度に洗練されていたの?みたいなツッコミを入れたくなってどうしようもなくなるときもあります。


歌で「上手いだけで面白くない」とかいう評価をよく聞くけど、要するに「コンセプトが自分好みではなかった」とか「コンセプトに新規性独自性がなくてつまらなかった」とか「コンセプトに対してとった手段が有効ではなかった」とかいうことなんだろうなー、と思います。

逆に「下手だけどすごく好きだ!」みたいな評価の場合、コンセプトなり手段の選択に光るものがあったんじゃないかなー、と思ったり。

その辺を「なんで私はこう思ったのだろう」というのを突き詰めて考えてみると、けっこう面白かったりする。

2016-05-19

中級者以上向けの「倍音」の話。

いろいろとコメントが来ていたので。


初級者向けの説明


初級者向けの説明だと、

「声には倍音ってやつが含まれていて、それが声質とか声の印象とかを大きく左右するよー」

「基本的には、しっかり倍音が含まれていると明るくはっきりした印象になって、いい声と言われやすくなるよー」

「倍音をきっちり鳴らすには、声帯ストレスなく鳴らすことと、声を喉や口でしっかり響かせることが必要だよー」

というくらいで済ますのがまあ妥当かなー、と思います。



中級者以上にありがちな困難


しかし、中級者レベルになってくると倍音の話をするのって非常にめんどくさいことになりまして。

というのも、以前こんな記事を書いたことがあるんですが…。


「丸い響き」とか「柔らかい響き」とか。 - 烏は歌う


中級者くらいだと、「倍音がたくさん鳴ってるといい声らしい!」みたいなことを聞いてはいるんですが、「どのような倍音が多いとどのような声質になるのか」という対応関係が整理できていない場合が多いのです。

なので、

「私がこれはいい声だと思ったから、これは倍音がたくさん含まれているに違いない!」

「倍音の多い声とは、よくわからないけど私の好きなタイプの声である!」

「私の声が思い通りにならないのは、よくわからないけど倍音が足りないせいだ!」

みたいな考えに陥りやすい。


「倍音を強くしたいんです」と言われても、「基音も強く、だからこそ倍音もすごく強い、明るく派手な輪郭のはっきりした声(倍音の絶対量が多い声)」を目指している場合もあるし、「基音があんまり聞こえないで、倍音というか響きだけがふわっと鳴ってる感じの透明感のある声(倍音の割合が多い声)」を目指している場合もあるしで、そのアプローチ方法って真逆だから、どっちのことを意識してるのかとかから考えないといけない、とか、考えないといけないことが山積み。



倍音の単純な増やし方


基本的には、倍音の量は基音の強さに比例します。

基音が鳴るとそれに付随して倍音が発生するわけなので。


なので、声帯を無理なく鳴らし、その音が響きやすい状態の共鳴空間を作ってやれればいいわけです。


声帯に関するイントロダクション。 - 烏は歌う

共鳴に関するイントロダクション。 - 烏は歌う



倍音の偏らせ方


で、中級者以上に必要になってくるのは、倍音の単純な増やし方ではなく、

「どのような形の共鳴空間を用意したら」

「どのような倍音が響きやすくなって」

「どのように声質が変わるか」

について理解することです。


いわば「倍音の偏らせ方」というか。


そこでヒントになるのが、「母音の変化」です。

世の中にはいろんな母音がありますが、なぜ我々人間が母音を出し分けたり聞き分けたりすることができるかというと、「舌や口の形などを変えることで倍音構成を変えて、母音ごとに声の質を変えている」…ということが無意識に行われているからです。

「い」母音はなんとなく他の母音より硬くて明るいというかキンキン響くイメージがありますが、それは「い」の口をすると、高い倍音が強調されやすくなり、低めの倍音はカットされやすくなるからです。

逆に「お」母音は他の母音より柔らかくて暗くてマイルドなイメージがありますが、それは「お」の口をすると低めの倍音が強調されやすくなり、高めの倍音がカットされやすくなるからです。


母音関係まとめ - 烏は歌う


このような関係を頭に入れて、出したい響きを実現させられる口内の「広さ」と「深さ」を調節してみることが、理想の声に近づく方法となるでしょう。