ALL #40

ALL #39 - 日記


今回の地固め療法3回目は、なかなか外泊できないことを覚悟していたけど、思いがけず何度も外泊することができた。


僕が外泊したがっているのは確かだった。採血の予定がなくても、外泊をしたいがためにわざわざ採血を懇願したりすることもあった。採血することにはもうほとんど抵抗はなかった。


まず、なんと治療を始めた週の週末に外泊を許可してもらえた。これは要するに骨髄抑制が起こる前の外泊ということだ。


更に2週目の週末にも外泊が許された。今までは骨髄抑制が終わって、次の治療に入る前のリフレッシュという感じで外泊していたので安心感もあったけど、もうすぐ白血球がドンと下がることがわかっている中での外泊は、嬉しいけど本当に大丈夫だろうかという不安もあった。


ときには、血液検査の結果を見て、白血球の数値が低すぎるので「今週は外泊できないな…」と思って、食事が足りない分を補うため悲しくカップ焼きそばを作っていたら、いつも来てくれる先生が「外泊してもいいですよ」と言ってくれたこともあった。そんなときは、カップ焼きそばを全部捨てて、町の寿司屋に直行した。男の部長の主治医の先生ならダメと言いそうな場合でも、なるべく外泊させてくれた。


これだけ外泊が多くなると、生活も変わってくる。家は少しずつ所帯じみてくるし、長い間水道を使わないなんてこともなくなるので家に帰っても水回りは臭くない。


食事を家でとることも多くなるので、その心配をするようにもなる。さすがに食材を買ってきて料理を作るなんてことまではできないので外に食べに行くことが増えるが、同じ店ばかりでは飽きてしまう。もともと一人で外食することはあまりなかったので、自分の家の周りのことをほとんど知らないことに気づく。従って知らない店に入ってみることも多くなった。


中には、黄色くなった古いご飯を出してくるような流行ってない中華料理屋もあったし、料理が辛すぎて汗だくで食べる羽目になることもあった。古いものを食べて大丈夫かと思いながらも食べたし、汗だくになっても髪が抜けてるから帽子を脱げなくて頭が蒸れ蒸れになった。


外泊から病院に戻る前に外で何かを買って帰り、病院食を食べずにそれを食べることもあった。あるときは病院の近くの店でチャーハンを買って帰ったけど、食べてみるとママレモンのような味がしたこともあった。それでも病院食よりはおいしいので全部食べた。


治療や白血球の減少で病院にいるときは、鰹節ごはんを食べることが多くなった。鰹節は保存がきくし、醤油をかけると結構おいしい。少なくとも病院食よりはおいしい。毎日はきついけど、それでも食べた。


そんな風に、僕の入院生活は当初に比べて少しはストレスの少ないものに変わっていた。