冨永さんの大変

 朝日新聞の特別編集委員でフランス在住の冨永格さんが大変なことになっている。そのことについては、ネット上で大炎上しているのであえて書かない。興味のある方は「冨永格 捏造」とでも入れて検索していただければ情報が山ほど手に入る。
 冨永さんは朝日新聞の日曜日の2面に「日曜に想う」というコラムを月一で書かれている。朝日新聞の偉い人が独自の視点で時代を読み解くのだそうな。なかなかおもしろい(笑)コラムでワシャは愛読している。
 この日記でも2013年10月18日
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20131018
に冨永さんのコラムを取り上げている。冨永さんをワシャなりに読み解いているので、お暇ならどうぞ。
 直近の迷コラム「日曜に想う」は8月2日であった。ここに冒頭のところだけはある。
http://www.asahi.com/articles/DA3S11894374.html
 後段は、朝日教に入信しないと読ませてもらえない。ワシャは朝日新聞を取っているにも関わらずだ。
《日本の8月は、開放と厳粛が相半ばする。広島と長崎、ソ連参戦から無条件降伏に至る1945年の夏。はじける陽光の傍らで、それは体感として、あるいは白黒の映像として各人の胸に宿る。追慕と悔悟の季節である。》
 ほほぉ、まあまあ普通の書き出しだね。2年前くらいはこんな臭い書き出しだった。
《秋を確かめに、フランス南部のエクス・アン・プロバンスに出かけた。土地の画家セザンヌが愛した光と泉の街だ。ここも残暑の中ながら、10月の日差しはさすがに柔らかい。噴水が連なる名所ミラボー通りのプラタナス並木は、色あせた葉をまだしっかりと蓄え、やさしい影を歩道に投げていた。》
「お前は細川俊之か!」って2年前もツッコミを入れていたんですよ。
 本論とは何の関係もない「おフランス描写」がお好きな方だったのだが、多少は自覚が出てきたか。それともまともな記者仲間にダメ出しをされた結果か(笑)。
 でも《はじける陽光の傍らで、それは体感として、あるいは白黒の映像として各人の胸に宿る。》なんてところに余臭を感じますがね。

 さて本論に入りたい。冨永さんは続ける。
《欧州で迎える8月は早15回を数えるが、いまだに彼我の思いの落差に戸惑うことがある。当地ではバカンスシーズン以外の何物でもない。》
「反省をしていない日本では戦争を引きずって8月は追慕と悔悟の季節だけれど、過去を清算したヨーロッパでは明るくて楽しいバカンスの季節だ」と言っている。
 おいおい。後段で冨永さん自身でも書いているのだが、ヨーロッパで第2次世界大戦が終結したのは5月だぜ。とするなら8月は3か月後で、それを日本に当てはめるならば10月後半から11月、日本でも行楽シーズンですがな、冨永さ〜ん。
 戦争終結記念日3か月後の同じ時期であれば、ヨーロッパも日本も同じような雰囲気だと思いますがね。それにあんたの見てきた場所はおフランスではないの?おフランス戦勝国ですぞ。
 冨永さん、2面トップの大コラムニストにも関わらず、突っ込みどころ満載だなぁ。
 そして中段にはスイスの大学の偉〜い教授を引っぱり出してくる。
《教授(日本史)は、安保法案に猛反対だという。「KAMIKAZE」が自爆テロの意味で乱用されるのに我慢ならず、特攻を描く同名の著書を出したばかりの知日派だ。》
 よく言うよ。1月の朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった。」って書いたのは冨永さんの同僚だ。新聞社としての意見がバラバラやね。舌の根も乾かぬうちに……とはこのことでは?
 その教授の意見だろうか「」書きで以下の主張が書いていある。誰の意見なのかよく判らないのも冨永さんの特徴ではある。
《「戦後ヨーロッパは、仏独を軸に欧州連合という不戦の仕組みを築いた。国をまたぐ制度がない極東は不安定だったが、日本は憲法で平和を確実なものにした。その中心である9条を骨抜きにする解釈変更は、平和憲法へのクーデターと言うほかありません」》
欧州連合」「不戦の仕組み」と言われるが、これって昨日言っていた「神聖ローマ帝国」なんですね。だから内側では戦争をしない。ただし対外的には戦争も辞さないということ。実際にしているしね。
「日本は憲法で平和を確実なものにした」って?それはない。間違いなく戦後の日本の平和を守ったのは「日米安保条約」である。憲法に「平和」って書いたら「平和」になるなら、そんな安上がりなことはない。「鯰に祈って地震を防ごう」ということと大差ない。それはもはや信仰の領域に入ってしまっている。

 うえ〜ん(泣)。突っ込みどころが満載で書ききれない。もう仕事に行く時間になってしまった。
 ではまた。