書誌学者の谷沢永一さんは『人間通』(新潮選書)の中でこんなことを言っている。
「世界の歴史を見わたせば、波乱のない時代には英雄が現われていない」
 日本でも同様である。いつの時代にも人材はいた。しかし上から下まで、まさに綺羅星のごとく英雄、豪傑が現われ出たのは戦国、幕末維新の頃だけである。これを谷沢さんは「時代が求めて呼び寄せたから」であり、人が世に出るのは「運というしかない」と断言している。
 例えば、坂本龍馬、彼が太平の真ん中に生まれていれば、高知の才谷屋を離れることはできず、郷士兼商人としてつつがない生涯をおくっただろう。高杉晋作にしてもそうだ。文化文政の世に生を受けていれば、道楽者の藩士として、親類縁者からは白眼視され、鼻つまみ者だったでしょうね。それでも楽しく過ごしたに違いないけれど。
 豊臣秀吉や彼に連なる戦国武将たちなどは端的であろう。上下が大流動をする戦国期でなく、戦後の昭和期に秀吉がはたして世を覆うほどの権力者になりおおせたか。秀吉の子分の加藤清正はせいぜい暴走族のヘッドがいいところで、福島正則など殺人犯として刑務所に入っていた可能性が高い。これが時代の「運」というもので、こればかりは人の努力ではいかんともしがたい。
 これに対して人の持つ「運」というものもある。これについては「WiLL」3月号に曽野綾子さんが書いておられる。要約する。
 曽野さんが考古学者の吉村作治さんとサハラ砂漠の旅をすることになり、同行のメンバーの人選を進めているとき、吉村さんから「運のいい人を連れて行きたい」と言われた。曽野さんは持ち前の正義感から「そんなことでメンバーを決めるとは」と反発をするのだが、吉村さんはこう説明する。
「砂漠は違うんです。日本だったら、少々運が悪くても、その人は大丈夫に生きていけるんです。しかし砂漠に行くと、たった一人の持ち込んだ悪運で、全員が死ぬこともありますから」
 努力すればなんとかなる、これは平和な平時で通用する言葉であり、努力してもなんともならない場合が往々にしてあるということだろう。とくに砂漠の真っただ中や血で血を洗う乱世の最中において「運」が悪ければなんともなるまい。
 吉村さんの言っていることとほぼ同様のことを松下幸之助も口にしている。ということはこれが現実なのだろう。
 長々と「運」を語ってきたがここからが言いたかったこと。
 北海道七飯町で行方がわからなくなっていた田野岡大和くんが発見された。もうメディアは大騒ぎだ。バカなマスコミは「置き去り」と喚いているが、状況を見てみれば「置き去り」ではない。「置き去り」というのは「人を捨ておいて行ってしまうこと」なのである。大和くんのお父さんは「捨ておいて行ってしまった」わけではない。聞き分けない子供をいましめのため一時独りきりにしておこうということである。だからすぐに元の場所に戻っている。たまたま大和くんが動いてしまったためお父さんの躾は事件になってしまったが、一部のマスコミの言う「置き去り」とは明らかに性質の違うものである。
 それはそれとして大和くんの「運」の強さである。彼のたまたま選んだ道が自衛隊の演習場につながっていて、その道すがら羆には遭遇せず、雨も降らず、日も暮れず、柵をこえると雨露をしのげる宿舎があり、そこには鍵がかかっておらず、さらに水道とマットレスがあり、6日後にはおにぎりを携えた自衛隊員が、たまたま降ってきた雨をやり過ごそうとその宿舎を訪れるのである。7歳の子供の生命というのは、じつに脆い。とくに男の子は生命力がない。
 それがどうであろう。今朝の朝日新聞一面に載っている大和くんの勇姿は。右手におにぎりをかかげ、左手に水筒を持っている。しっかりとした表情ですっくと立っている。
おそらく吉村さんもこの子ならサハラ砂漠に同行を許すのではないだろうか。この子は神の運を持っている。
 10年前の中越地震で車ごと土砂崩れに巻き込まれた皆川優太くん救出以来の快挙である。善哉善哉。

 以下はお目汚し。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160604-00010000-doshin-soci
《 大和君が保護された後、南渡島消防本部(北斗市)には「なぜきちんと捜さなかったのか」と対応を問題視する電話が相次いだという。高橋はるみ知事は3日の記者会見で「捜索のやり方の検証もこれから行われるのではないかと思う」と話した。》
 消防本部にクレームの電話が相次いだって、クレーマーのお前なら捜せたとでもいうのか。電話に使う電気がもったいないわい。