田原坂

 友だちのユッキィさんやパセリくんが、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読んでいるらしい。ワシャはすでに何度も読んでいるが(エヘン)、「西郷どん」ブームの今、これほど薩摩武士を理解する名テキストは他にない。
 ちょうど今の季節は第9巻(文庫)の「田原坂」を読むのがお薦めですぞ。

 ワシャの好きな村田岩熊が、少年たちが、血まみれの激闘を繰り広げた田原坂の戦いは、140年前のまさに今の時期なのである。岩熊についてはここに書いた。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20120320
 2月22日に戦端が開かれ、そこから約1カ月の3月20日まで続く。この間、よく雨が降った。いわゆる菜種梅雨である。これが薩軍の少年兵を苦しめた。ただでさえ冷たい雨が体力を奪う上に、薩軍の小銃は先込め式の古いタイプが多く、これが雨に弱かった。火器が使えない薩軍少年兵は血刀を振るって戦わざるを得ない。
「雨は降る降る 人馬は濡れる 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱……」とはそういう過酷な状況を唄ったものである。
 この田原坂の攻防で政府軍側の戦死者は2400名にのぼる。薩軍のそれは資料が残っていないので解らないが、火器装備や兵力集中の差から考えれば、それ以上の戦死者が出ているはずである。少なく見積もっても5000を超す戦死者の亡骸が雨に濡れていたのだろう。
 今日16日は晴天だった。そしてたまたま戦のない日でもあった。長い戦に疲弊した少年たちには久しぶりにほっとする日ではなかったろうか。

 現在の16日は朝から雨が降っている。気がめいるな。ワルシャワ田原坂も越すに越されぬし(苦笑)。