人智の及ぶところではない

 昨日、読書会。課題図書は3月10日の日記

南海トラフ地震のマヤカシ》

https://warusyawa.hateblo.jp/entry/2024/03/10/101147

でも触れた小沢慧一『南海トラフ地震の真実』(東京新聞)を選んだ。

 読書会の口開けは、この本でも名指しをされている名古屋大学の福和伸夫教授の話題となった。本の中に書かれていることについては、3月10日にも書いているのでそちらをご参照くだされ。

 でね、今回の読書会では、ワシャが過去の災害本などを再度確認していて、見つけてしまった平成14年(2002)に出版された『AERA Mook 地震がわかる。』(朝日新聞社)を中心にして話題提供をした。

 この雑誌に件の福和教授の寄稿があったのである。題して「防災マニュアルをチェックする」。内容はスカスカで5800字ほどの文章なのだが、ほぼ半分はなくていい文章が羅列されている。残した部分も「笑える」あるいは「つっこめる」といった程度のもので、ちょっとご披露しましょうかね。福和教授は言う。

《本書は自身を対象としていますが、大地震の経験は少ないのでピンときません。そこで、比較的身近な台風を例に考えてみます。》

 おいおい、経験が少ないのだったら偉そうな口を叩くんじゃない。それらを集積して分析して市民、国民に提示するのが大学のセンセのするべきことじゃないのかい。

 文章としてもヘンで、「ピン」とこないのはアンタなのか?読者なのか?アンタだったらそもそも地震を語るなという話だし、「読者がピンとこない」という意味で言っているとしたら読者をバカにするのもいい加減にしろ。とにかく主語を入れて解りやすい文章にしろよ。

 それでね、欄外に「わたしの地震対策」というコメント欄があって、そこの冒頭で《私は建築耐震技術者の端くれでもあり、地震対策の第1は、わが家の耐震化です。》と言い切っている。そりゃそうだ。なんといってもこの人、建築学者一級建築士、建物の耐震化の第一人者ですからね。そういいながらこう続ける。

《わが家はあまりの田舎家ゆえに、一筋縄ではいかず、結局、5年間せっせと貯蓄し、保有耐力が通常の倍もある住宅に建て替えました。》

 お~い、アンタ、いつも住民に対して脅しまくっているよね。

《「あなた死にますよ」と強い言葉で防災への危機意識を高めさせることが得意》じゃないですか(笑)。

 その張本人が、5年も耐震化を遅らせるとは、人に言っていることと、自分のやっていることが違っていませんかってんだ。

 さらにこう結んでいる。主語は冒頭にある「私」だから自身のことですね。

《人もうらやむ(?)田舎住まいです。周囲の田畑での作物や井戸水、庭でのたき火・排泄・野宿、小屋の中の災害対応グッズ、そして田舎の地域コミュニティー、普段の不便さが災害時には役に立つと期待しています。》

 さて、この見解は如何でしょう?

 ワシャは何年か前に能登半島の北側、奥能登丘陵を車で走ったことがあるが、愛知県の山間部同様にそりゃぁ田舎でした。

 今回の能登半島地震で、この地域がどれほどの被害を被ったか?普段の不便さが役に立ったでしょうか?

 地震学者と称する連中がいかにいい加減な占い師であるかということがよく解る文章が残っているんですね(笑)。

 この人の直前のページに寄稿しているのが、な、な、なんと石橋克彦教授(当時)である。あの、悪名高い「駿河湾地震説」を唱えた占い師である。神奈川、静岡、愛知など太平洋沿岸が真っ赤に染められた日本地図の原点がこの占い師と言っていい。

 確かにこの人の笛で東海地方は踊りに踊らされ、防災対策は強化されたと言っていい。まぁそのお陰で潤った連中も多いと思うが(怒)。

 その反面、真っ赤とは対照的に薄いクリーム色に塗られた熊本や能登の人々に「うちの地域は大丈夫だ」という油断を誘ったのも確かだ。熊本地震本震を起こした断層の30年確率は「ほぼ0~0.9%」だった。

 これほどいい加減な占いが地震学と言っていい。適当なことばかり言っているんじゃんないぞ!

 読書会は、こんな駄話からプレートテクトニクスマントル対流の話に発展し、なぜか突然、太陽と地球の位置関係の話に飛んでいった。

 そうしたらね、メンバーが「太陽と地球と月を実際のスケール割合でホワイトボードに示してくれ」と言い出した。

 そう言われたので考えた。地球の直径が1万2700kmだから・・・え~い面倒くさいので1万kmにする。月までの距離は38万km、太陽までの距離がおおよそ1億5000万km。ホワイトボードの隅にポチッとマジックで点を書く。これが1mmとして、月は3.8cm離れたところにポチッ。太陽は読書会の部屋を出て15mも先の廊下にボール(10cm)を置く感じかなぁ・・・と答えておいた。

 そこから銀河、宇宙の話になって、ホーキンスが「神」の存在に触れていたことに言及。そのことに対しキリスト教などの「神」の概念と日本の「神」は違うというような話になり、最終的に自然というものは人智の及ばぬものであり、たかが地球の上っ面の皮一枚を見て、偉そうな予言をするなというところに落ち着いた。

 あ~くたびれたけど、楽しかった。

ベトナム人は葦(あし)

 昨日の日記で地元神社の「春の大祭」について少し触れた。その中での話をいくつか披露したい。

 まずタイトルにも出したベトナム人のことである。土曜日の祭礼準備の時だった。神社の役員や町内会の理事ら総勢15人くらいで、本殿、拝殿、末社3つ、社務所、境内の清掃。提灯の吊り上げ、神楽殿の設置、400mほどの賛同への灯篭設置などなど、やってもやってもキリがない。

 そこに通りかかったのが神社の南にある日本語学校に通うベトナム人の若者たちだった。10人程いたかなぁ。男女が混成し、やや男が多かった。男も女もみんな背が高くすらっとしている。東南アジアの子供たちなので、面差しも朝鮮人・モンゴル人とは違ってやわらかい。日本人と言っても通用する。これ正直な話なんですが、男は色男で、女はかわいらしい娘ばかりだった。ベトナム政府が容姿端麗な若者を選んで、日本へ送ってきているのかと思うほどである。その子たちがどやどやと境内に入ってきて、神社総代に片言の日本語で「手伝いをしたい」と伝えたのだ。

 人手は足りない。準備は遅れている。神社総代は大歓迎でその申し出を受け入れた。彼らには境内周辺に立てる何十本もの寄付の幟を組み立ててもらう仕事を担ってもらった。竿を接続する者、旗を広げる者、旗を竿に通す者、ベトナムの若者たちはそれを仲間で手分けして要領よく仕事にかかった。

 ワシャは神楽殿の準備をしていて、上方からその様子を眺めていて、

「そういえば司馬さんがベトナム人のことを褒めていたなぁ」

 と思ったのである。

 司馬遼太郎、文明の周辺を書くことに後半生をかけた。『街道をゆく』では、朝鮮、モンゴル、支那・江南、閩(びん)、耽羅(たんら)、台湾などを詳細に取材している。

 とくに、ベトナムについては『人間の集団について』(中公文庫)でまるまる一冊、司馬史観により「ベトナムから考える」をテーマに人間そのものに切りこんでいる。 

この本の《葦と「たおやめ」ぶり》という章に、ベトナム解放戦線の外相グエン・チ・ビンの言葉を引いている。

ベトナム人は葦です」

 これについて司馬さんはこう言う。

《この戦争を通じてみせたベトナム人の本質をこれほど見事に言い表した言葉もないが、形而下的にみてもこの土地のひとびとは葦の感じで、ひどく植物的である。》

 なるほど、ワシャがあの若者たちに感じたのも、淡白な植物的な感覚だったのだろう。

 確かに川口あたりで幅を利かせているクルド人とか、30年前くらいから西三河に大量に入り込んでいる日系(と称する)ブラジル人、このところ増えだしたイスラム系、それよりもさらに前から入り込んでいる割り込み大好きな支那系など、どの人種を見てもきわめて「動物的」である。

 スーパーでも、どうしたらあんなにケツがでかくなるのか?と疑問に思うほどの体系をした女たちが、「#&■○▽@$$A%QX◆□!」とか大声で話をしながら通路を塞いでいるところに出くわす。

 しかし、ベトナムの若者たちは10人もの仲間がいるのに、大声を出すこともなく笑顔で幟旗の組み立てに勤しんでいる。そのたおやかさに好感が持てる。まさに司馬さんの言ったとおりだと思った。

 ワシャは、この日記にも書き散らかしているけれど、傍若無人な外人が大嫌いである。郷に入れば郷にしたがえ、そこの土に馴染み、その土から養分を得て、少々の風にも倒れないたおやかな植物のようになればいいと思っている。司馬さんの文章を引く。

《巨人(動物)であるアメリカは葦の原にとびこんでこん棒をふるったが、葦は薙(な)がれても切れることはなかった》

 笑顔のベトナム人を見ていて、「顔立ちが日本人に似ている」と思った。いやいや「日本人がベトナム人に似ているのかも」などと考えつつ、神楽殿を仕上げて、境内の掃除に移っていったのであった。

 ここからが面白いのだが、この続きは明後日のココロだ~。

臆病

 ワシャは幼少期に病弱だった。熱を出したり、ひきつけを起こすなんてことは日常的だった。だから地元の医者のS先生には休日でも深夜でもお世話になった。S先生の勧めで名古屋の大学病院にも通院した記憶がある。食も細く、本ばかり読んでいるような子供で、そんなんだったから、体力もつかず細っちい引っ込み思案な、よく言えばとても慎重な子供だった。

 だから周囲の大人からは「この子は臆病だ」と言われた。とくに山守をしていた母方の伯父には「おまえは臆病だのう」と何につけても言われたことが強く印象に残っている。蟲も触れないし、猪も触れない(笑)子供だった。

 そりゃぁ山で獣と格闘し、徴兵されて支那戦線でゲリラと戦ってきた伯父にしてみれば、町から来た弱っちいガキだったのだろう。

 体力的なこともあり、近所の悪ガキとは遊ばなかった。図書館と家にこもって本ばかりを読んでいたから優秀な子供だった(エヘン)。

 10歳になる頃には病気も治まり、あまり活発には動き回らないが、常に学級委員をやるようなそんな児童になっていた。

 そういうのってクラスの悪ガキから疎まれるんですね。小学校5年ではかなりイジメにあった。しかしこのあたりから体ができてきた。身長も伸びて、クラスの中でも後ろから3番目くらいだった。そして運命の「柔道一直線」がテレビ放映され、これを見たワルシャワ少年は父親に「柔道をやりたい」と申し出た。

 父親も、身長はあるが貧弱な体の息子を心配していたのだろう。2つ返事で、町の道場への入門が許された。

それから数年、町道場に通ったのだが、ここが近隣の小中学校からかなり強面のガキの集まるところで、そこでワルシャワ少年は鍛えられていく。

 入門1年後にはクラスのイジメに加担していた弱い連中を痛めつけ、2年後には強敵だった大ボスも締め上げ決着をつけた。

 中学校には4つの小学校から生徒が集まってきた。総勢1200人のマンモス中学で、またそこでの勢力争いが大変だった。ちょうど、「愛と誠」という学園物のマンガが流行し、不良の太賀誠にあこがれたものである。そんなことをしているので、体力は向上したが知力は落ちていったのでした(笑)。

 まあいいや。そんな昔のことは。

 

 昨日、地元の神社で「春の大祭」が行われた。土曜日早朝からの式典準備に始まり、夜祭神事、その後の直会(なおらい)。日にちが替わって、午前中の神事(ここでワルシャワが白装束の出仕になる)、午後から生憎の雨になったが、大祭の餅配りが開催されるとあって、それこそ神社の鳥居から何百メートルもお参りの列が続いた。夕方には参拝の列も途絶えて、大雨の中で片付けを行って、ずぶぬれで帰宅したのであった。

 このあたりにおもしろいエピソードが、いくつか転がっているんだけど、それはまとめて明日にでもお送りしたい。国会議員の話とか県会議員の話とか(笑)。

 

 さて、神事と餅配りの間に短い昼食の時間があった。そこでそそくさと仕出し弁当を食べて、その後、お下がりの餅を切り分けて袋詰めをしなければいけない。なんといっても400袋くらいをつくるので、なかなか大変な作業なのである。

 しかし長老たちは、そんなことには興味がない。神前の酒を下げてきて、弁当を肴に酒宴を始めていく。

「おい、ワルシャワ、ちょっとこっちへ来い」

 隅のほうで弁当を食べていたワシャが呼ばれると、湯呑になみなみと継がれた「獺祭」が差し出される。

 いやぁ、まだ午後の仕事もあるんで~。

「御神酒じゃ、ありがたく飲め」

 ということで、長老たちの直会に付き合わされる羽目になったのでした。数人の長老たちはもうご機嫌で、「獺祭を熱燗にしてこいや~」とか若手の神社委員をこき使っている。

 ワシャは、若手神社委員の人身御供のようなもので、爺様方に囲まれて黙々と飲んでいる。でね、どの人も近所の人間なので、かなり前からワシャの事を知っている。たまたま長老の一人がワシャのことを話題にした。

ワルシャワは腹だけは座っとるな。こいつ度胸はある」

 普段、褒められたことなどない人からそう言われて「え?」とワシャは顔を顰めた。そうすると他の爺様方も、「そうだそうだ、生意気だけど度胸はある」と同調する。

 これが意外だった。

 ワシャは幼少の頃から、自分のことを「臆病」だと思ってきた。今でもそう思っている。

 長老たちの前で、自分の態度を変えたことなどなく、ずっと学生時代からの自分を貫いて付き合っている。「生意気」と言われればそうかもしれない。しかし、「度胸がある」などと思ったことはなかった。

 相変わらず夜の2階のトイレの窓の外に白い人影が見えるとびっくらこくし、山でイノシシに遭遇しても格闘などせずに逃げてしまう。

 でも、そんな醜態を近所の長老たちには見せたことがない。だから、「今はそういう風に思われてるのか」と考えさせられてしまった。本質はなにも変わってはいないのだけれど、歳月がワシャの弱い部分をプロテクトしているのだろう。

 興味深い。

 

午前8時30分

 本日は地元神社の大祭で、ワシャは何だか知らないけど白装束をさせられるはめに(トホホ)。

 まあ、でも普段から不信心なので、たまには神様にいいところを見せないといけないんでしょうね。

 だから早朝に朝風呂に入って身を清めましたぞ。さて、そろそろ出かけるとするか。祭が終わるのは夜になります。帰ってきて気力が残っていたら、再び登場します。

 それでは行ってきま~す。

トンズラ~はダメよ

 4月17日の日記に東京15区の候補者討論会のことを書いた。9人の候補者のうち、ひとりだけ所用があるとかで参加しなかった人がいた。その人物をワシャは「卑怯にも敵前逃亡をした」と言った。しかし上には上がいるもので、やはり東京15区から出馬している飯山あかりさんは「卑怯なトンズラ女」と表現している。素晴らしい。「敵前逃亡」より「トンズラ」のほうがイメージにピッタリですぞ。

 

 トンヅラと言えば、この人を忘れてはいけない。

《リコール署名偽造判決巡り大村知事「河村市長らの説明責任消えず」》

https://news.yahoo.co.jp/articles/87e318f7cc8c59b55a1d8932309f64e23e1c1135

 うだつの上がらない議員を知事に引っ張り上げてくれた恩人である河村さんに、いまだにこうして唾を吐いている。執念深いというか・・・。

 リコール署名が始まった当初は、トンズラを決め込んでいたが、それでも追い込まれていたようで、憔悴しきっていたトンヅラ~だった。

 でもね、阿呆はどこにでもいて、署名団体の事務局長のモノが悪かった。とにかく国会議員になりたいだけの輩で、テメエの得点を上げようと不正に着手してしまった。河村さんもこんな不出来な男を見込んでしまったのは失敗だった。リコールを実施する署名数が確保できなくてもよかったのだ。とにかく思想信条のない知事の足元を脅かせることができれば、元来気の小さい大村知事の勢いを挫くことができた。

 しかし、河村さんの期待した男は、トンヅラよりさらに程度の低い人物で、これが大村県政を長引かせる原動力となってしまった。

 とはいえ間違いなく大村知事は「あいちトリエンナーレ 表現の不自由展」でミソをつけている。昭和天皇の肖像が燃やされる作品を、県費を突っ込んで開催したことは汚点以外の何ものでもない。事務局長が阿呆だったので首の皮一枚でつながってはいるものの、共産党相手の知事選の投票率は低迷したままだ。

 おとなしくしていればいいものを、こういったニュースにはすぐに食いついてくる。4期も知事様を務めているのだ。泰然自若としていればいいものを、ケツの座らぬ軽薄さは子供の頃より変わっていないようだ。

志の輔独演会

 4月17日の水曜日に「穂の国とよはし芸術劇場」で立川志の輔の独演会があった。仲間が尽力してくれてようやく4枚のチケットをゲット。いそいそと出かけましたぞ。

 開口一番は志の輔8番弟子の志の大が、前座話の「金明竹」でご機嫌をうかがう。長身のすらりとした優男で、羽織を着て高座に上がったところを見れば、で二つ目になったようだ。ぱっと見は落語家の風貌ではない。顔にも「落語家でござい」系の特徴がなく、野球選手とかサッカー選手に居そうな体育会系の若者といった感じだろうか。

 さて「金明竹」、道具屋の主人と甥の与太郎との掛け合いで始まって、その後、主人外出中に、上方の取引先から商人がやってきて、関西弁、早口で「長口上」を捲し立てるというもので、この「長口上」が聴きどころとなってはいる。志の大さんの舌はよく回り、早口も緩急をつけて噛みもせずしっかりと高座を務めた。

 ただ1点、指摘をすると「道具屋である」というところを冒頭でしっかりと客に伝えておかなければいけない。これは興津要編『古典落語』(講談社文庫)でもそうなっているので、志の大さんを責めるのもなんだけど、前半部分で与太郎の叔父さんの店が何の店なのか・・・がよく見えない。

 だからのっけに「道具屋」ということを強調しておくこと。さらに、途中でも「道具屋」を匂わせておけば、クライマックスの「長口上」、「中橋の加賀屋佐吉から参じましたん。へえ、先度、仲買の弥一が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗、光乗、宗乗三作の三ところもの、ならびに備前長船の則光・・・」が活きてくるのである。

 中入り前に志の輔が登場する。古典落語の「試し酒」なんだけれども、志の輔師匠の凄いのは、そのマクラである。能登半島地震のこと、ホタルイカの豊漁の話、その他にも政局、国際情勢などの時事ネタをフルに盛り込んだ雑談のようなまくらは会場が大爆笑となった。これほどマクラで受ける噺家もいねえだろう。

「試し酒」は大酒呑みの田舎者と大店の主のやりとりが面白い。結局、田舎者が5升の酒をペロリと飲みほして、小遣いをたんまり貰うという酒呑噺。

 中入り後、6番弟子の志の太郎が「宮戸川」を掛ける。この人も、落語家というよりも品のいいホストのような顔立ちでスラリとしている。志の輔一門、今回「笑点」メンバーになった晴の輔もそうなんだけど、歪な顔立ちがいない。歪をバカにしているんじゃないんですよ。瀧川鯉昇師匠とか柳家権太楼師匠とか個性的な顔立ちは素敵で、顔だけで笑いを取れるという落語家向きの顔のことを言っている。そういう意味で、整っている一門だと思う。

 さて、噺である。「宮戸川」という演目なんだけど、「宮戸川」は出てこない。日本橋小網町の質屋のせがれの半七と近所の船宿の娘お花がたまたま締め出され、2人して霊岸島の半七の叔父のところに転がり込む。そこの2階に2人っきり、突然の雨、雷で「きゃあ!」と叫ぶお花ちゃん。さて2人は・・・という噺。

 なんだけど、さっきも言ったとおり「宮戸川」は出てこない。後半の噺で出てくるんだけど、この噺は昨今、前半部分だけで終わることが多い。

広重の「名所江戸百景」の60番目に出てくる川なんだけど、要は隅田川を浅草辺りでは「宮戸川」と呼称していた。後半ここが事件の舞台になるのだが、そこはけっこうシリアスな話になってしまうので、客受けする前半の噺に落ちついているんでしょうね。

そしてトリ。志の輔師匠の登場だ。

 ネタは志の輔新作落語で「メルシーひな祭り」である。

 物語は成田空港近くのひなびた商店街。その商店街会長に外務省から電話が入る。

「フランス大使の婦人と娘がひな人形にご執心で、帰国直前なのだが、ひな人形を見たいと言われる。調べてみるとあなたの商店街にひな人形を造っている職人がいるので、そこを見学させてほしい」

 と申し出があった。

 外務省直々の依頼ということで、会長は大騒ぎをして職人にも了解をとって、さて一行をお迎えするという段になった。

 まずは外務省の人間が工房に入って驚愕する。ななんと、そこはひな人形の工房ではあるがカシラ師の工房だから、首から上しかあるわけがない。

「これじゃぁ鈴ヶ森じゃねえか」

 そういう反応も出るのだが、若い人たちに鈴ヶ森は理解できないかもね。「鈴ヶ森」って江戸時代の刑場で、首がいっぱい並んでいたということを言っている。

「これは夫人と娘には見せられない」

 ということから大騒ぎになっていくという噺。

 

 おもしろかったですよ。そりゃ志の輔ですから。午後6時半開演ですから、通常であれば前半1時間、中入り15分、後半1時間で午後8時45分には幕となる。施設の閉館が午後9時だからそんな段取りだろう。

 ところが打出しが鳴ったのは午後9時30分、アンコールも掛ったので、かなりの40分以上の延長となった。それくらい12回目をかざる豊橋の席に気合が入っていたのだろう。

 トリの新作落語に力が入ったが、ちょっと志の輔の味が出ていなかったというか、表現に雑な部分がいくつか見受けられた。ご本人も過去11回、22席をつとめてきて、客に喜んでもらうために、何を噺そうかいつも悩んでいると言っていた。

「古典、新作の順か、新作、古典の順がいいか?」

 まあワシャ的には「古典、古典」でもいいんだけどね(笑)。さらに言えば「マクラ」がいいので「マクラ、マクラ」でもよかった。

 どちらにしても志の輔なのでいいに決まっている。頂点だからこその批評もあろうが、そういったことを気にせずに楽しい落語をやってくだされ。

地震に対する認識を改めよう

《「南海トラフ巨大地震」が起きたら、

「絶望的な揺れ」が襲う「愛知県」の地名》

https://news.yahoo.co.jp/articles/a2cfbf1487e274a608fc4f583cb9345debba6117

 この1400文字程度のニュースの中に、「予測される」「可能性がある」「なるだろう」「想定される」など推量の言い回しが22か所出てくる。全体は自治体の列記などを除いて25文からなっており、その頻度に少々驚いた。

 結論を言おう。つまり南海トラフにまつわる「巨大地震」「巨大災害」「津波被害」が、すべて推量の域をでないということなのである。

 要は、ワルシャワが宝くじで3億円当たるのと同じで、「予測」しているし「可能性」はあるだろうし、当てれば大金持ちに「なるだろう」し、大邸宅を建てることも「想定」されるのだ。

《その被害予測は、東日本大震災の10倍ともいわれており、まさに「未曽有の国難」といえる事態になるだろう。》

 この1文の中にも「予測」、「いわれており」、「なるだろう」と書き手が断定することはひとつもない。

東日本大震災の10倍になるかもしれないが1/10になるかもしれない。未曽有の国難になるかもしれないがならないかもしれない」

ということなのだ。

 事程左様に、地震の予知、予測など現在の科学ではできるものではない。

 でね、この記事、《内閣府防災担当が平成24年に発表した「南海トラフの巨大地震による津波高・浸水域等(第二次報告)及び 被害想定(第一次報告)について」という資料》に基づいて書かれているのだが、平成24年では能登半島は、地震など起きない想定になっている。そのいい加減な予想、占いに近いトンデモ予想が、今回の能登の被害を大きくしたと言ってもいい。

 その占い資料を基にして、愛知県の23の自治体が震度7に襲われると書く。

 東海市刈谷市もその23の中に入っているが、両市に挟まれた大府市は含まれていない。やはり震度7の地域として名前の挙がっている名古屋市港区と東海市の間にある伊勢湾岸地域の名古屋市南区も一覧の中には入っていない。しかし、内陸部の岡崎市新城市はリストに挙がっている。

 どうでしょう、こんなリストを公表する必要があるでしょうか?