「落語心中」のテーマ

 先月の5日の日記のタイトルが「落語心中」だった。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20180405/
 コミックの「落語心中」の読んだ感想をアップしたのである。翌日、翌々日も「落語心中」がらみの話を書いているから、かなりつよい影響を受けたのう。
 その時に「コミックは部下から借りた」と書いた。ところがである、返せない状況になっている。ワシャは本を読むときに付箋を打ちながら読む。それは漫画でも同じことで、だから「落語心中」全10巻にはあちこちに付箋が打ってあって、このままでは返せないでしょ。
 借りてきた本ならば、付箋を打った部分を書き写す。でもね、漫画の場合、吹き出しのセリフだけ写してもねぇ。
 ということで、仕方がないので全巻を購入した。今、ワシャの机の上には「落語心中」全10巻が2セット積まれている。この日記を書き終えたら、せっせと付箋を借りた本から買った本に移し替えなければならない。
 この手の作業はいつもやっていて、割と値の張る本は、取りあえず図書館で借りてきて付箋を打ちながら読んで、面白くなければ(付箋の数が少なければ)、その部分だけを書き写して終わり。でも、付箋がびっしりになったら、それはワシャにとって必要な本なので、購入して、付箋を移植して、借りた本は綺麗にして返却をする。借りた本はゼッテーに汚さない。むしろ綺麗にして返す。これが本読みの心意気。

 第10巻に付箋が打ってある場面を記す。
 師匠の八雲が独り廃業する寄席小屋で誰もいない席で「死神」を掛ける。この「死神」という落語が全巻を流れる通奏低音となっている。そこに死神が現われ、厳しい業のやりとりがあって、最終的に蝋燭の火の不始末で小屋を焼いてしまう。
 師匠は病院に担ぎ込まれて一命を取り留めるが、小屋は焼け落ちて落語の前途は暗澹たるものを予感させる。弟子の助六(主人公)に対して、落語好きの作家の樋口が、しきりに新作落語を進めるのだが、それに対して助六はこう言う。
「いやあ やらねえな 師匠の目の黒いうちは絶対にやらねえ オイラ 師匠に嫌われたくねえんだ」
 これに対して樋口がこう指摘する。
「そんな事じゃいつまでたっても師匠を超えられんよ」
 それを受けて助六は、すこし頬を上気させながらこう返す。
「それでいいんだ。オイラは師匠の背中を見てんのが一番好きだ。師匠てえものは 超えるもんじゃねえ 別々の道を 同じ方を見て 少し後ろを歩いてく 仲間ってエたら 変だけど……そうだなあ 同士みてえなもんだ」

 このやりとりが沁みた。今、やっている仕事がらみでも、深く響くセリフだった。

 先日ね、30年ばかし前に一緒に仕事をしていた仲間が集まって酒を飲んだ。4人の席を頼んだのだが、出席したのは3人だった。1人はね、15年ほど前に逝っちゃったんで、出席できなかった。まぁそいつも分も含めて4席で、オレはね、自分のグラス以外にお猪口をもらって……酒を注いで……空いた席にこっそり置いた。他の2人は気が付いていたのか、気付かなかったのか、そいつは知りませんがね。

 そのあたりの話はまた明日にでも。