昨日、名古屋能楽堂宝生流の定式能があった。曲は「俊成忠度」(しゅんぜいただのり)」と「藤」(ふじ)。
 ワシャがなんで「お能」が好きかというと、白洲正子の著作に影響をされているところもあるんだけど、能面好きということろが大いにある。以前に丹波篠山に行った時に独りで篠山能楽資料館
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に立ち寄った。この時、来館者はまさにワシャ一人で、館内にある能面とゆっくり対峙することができたのじゃ。能面は眺めていると表情が出てくるものなんですね。暗い部屋で小面(こおもて)などを見ていると、今にも唇が動き出しそうなほど繊細なものがある。そこらあたりから能面好きになって、お能を機会があれば見に行くようになったんですね。
 おっと、昨日のお能の話だった。「俊成忠度」は、平安末期の歴史を押さえておくと、なかなか深い物語に出逢える。源氏方の岡部六弥太が一ノ谷で平忠度を打つ。背の矢倉を見れば、一本の矢に短冊が下げてあり、そこに和歌が認めてあるという風流人、それが忠度だった。その忠度の霊が旅の六弥太のところに現われて、修羅道に落ちた自分の身の上などを語るというもの。

 後段の曲は「藤」。善光寺に向かう僧たちが、旅の途中の越中氷見の里、多枯の浦に辿り着く。そこに美しい女(シテ)が現われて、和歌についてのやりとりをするというものである。この時のシテのつけている面がよかった。小面か若女であろうがワシャが長年見てきた女面の中でもとびきり端正な面差しをもった面だった。いい面は舞とともに表情が移ろう。ああ、これはいい面だった。
「藤」は長い曲である。80分程のものなので、どうしても前段のところで、つい「幽玄」の世界に引き込まれる。後段に入って、「序の舞」に入ると、舞台が一変した。静かな緩やかなテンポの舞なのだが、「藤」の「序の舞」は零体の舞であり、これはもっとも位の重いもので、舞手としては荘厳な雰囲気を醸さなければならない。これを宝生家宗家の和英(かずふさ)師が舞う。ううむ、幽玄を彷徨っていたワシャの意識は、舞台に引きつけられ、最後まで堪能したのだった。

午後4時頃に終わって、能楽堂を出てみれば、まだまだ陽は高いんですね。反省会は予定しているんだけど、いくらなんでも、真っ昼間から酒を飲むってぇのもなんですからね、名古屋城の横丁をうろうろしましたぞ。昨日は天気に恵まれ、いい松の風が吹いて来るんですね。横丁の居酒屋の外のテーブルが樹木の木陰になっていい感じだったので、ついビ―ルの生を注文してしまいましたぞ。いやー名古屋城の石垣を眺めながら、露天で飲む・・・応えられまへんで。