皇后御誕生日

黄ばみたるくちなしの落花啄みて椋鳥の来鳴く君と住む家

 皇后美智子さまが昭和34年におつくりになられた御歌である。民間から皇室に嫁がれ、御所に入られた時に詠まれた。まだ美智子さまは24歳である。60年前の御歌で、くちなしの香りや椋鳥の鳴声が新居の風景の中に初々しく描かれている。
 朝日新聞の1面に《60年前、想像すらできなかった道 深い感慨》と題された美智子さまの84歳を寿ぐ記事が載っている。
 また、別面に美智子さまの今の思いが掲載されており、災害の多かったこの一年を振り返って《「バックウォーター」「走錨」など、災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも、悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。》と仰っておられる。美智子さまの「言葉」に対する真摯さと併せて「災害」に対する強い思いはいかばかりであろうか。国民は、もう「バックウォーター」や「走錨」なんて気にもしていないだろう。だが、天皇皇后両陛下はつねに国民のこと、日本のことをお心に掛けて安寧を祈っていてくださる。
 美智子さまはこんなことを言われておられる。
《どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの六十年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。》
「私」よりも「公」を最優先にされたお二人であった。圧倒的な「公」の御心は、冗談ではなく、ひれ伏さんばかりに有り難いことである。比べることすら畏れ多いことながら、わずかではあるが「公」に携わったことのある自分を振り返っても、つねに「公」を持ち続けることに困難さは想像に余りある。
 両陛下と同じことは臣民にはできない。臣民は皇室をお支えすることでしか、御恩に報いる術はないだろう。

 蛇足だが。冒頭の御歌は、安野光雅『皇后美智子さまのうた』(朝日文庫)から引いた。この文庫には両陛下の御歌が133掲載されており、お二人の歌人としての実力がひしひしと伝わってくるいい本である。

ちなみに、両陛下が平成2年に対馬を訪れた時の、美智子さまが詠まれた御歌もある。

対馬より釜山の灯見ゆといへば韓国の地の近きを思ふ

 この御歌には、安野さんの詳細な解説がついていて、その中で司馬遼太郎の「街道をゆく」からの引用もあり、司馬ファンとしてはこのあたりで美智子さまとつながるのがうれしい。