すかんぴんのブログ「今日もヒマだぁ~」

暇を持て余して、お山、お絵かき、蕎麦打ち、山菜採り、キノコ採り、音楽鑑賞、オーディオ、パソコンと、あれこれ手を出し、もがいているジジイのページです。

炬燵のない生活

 漸く寒さが去ろうとしている。今日から暫くはお天気が続く。今年はいつまでも雪が降っていたので、寒気も随分長く停滞した。お陰で我が家の暖房費もうなぎ登り。家計を随分圧迫した。私は少ない年金で暮らしているんだから、あまり寒さがいつまでもってのは困るんだよ〜ん。

 ところで暖房費を節約しようと思えば、暖房器具は炬燵がいいんだけど、我が家は家を建て替えてからわずか1回しか炬燵を立ててない。何でかというと立てるのが面倒臭いのと、炬燵を建てる部屋が居間の隣の和室なので、そこからだと寝転んでテレビが見えないからだ。

 本当は私は炬燵大好き人間なのだ。頭寒足熱をやってくれる炬燵は日本文化が生み出した冬場の最高の生活便利グッズだ。しかしこんな炬燵はうちの親父殿は「ノメシ穴」と揶揄する事があった。特に我々子供達が何もしないでのんべんだらりと炬燵に入ってると、そう言って揶揄するのだった。

 なるほどノメシ穴とはよく言った物だ。確かにこの中へ脚を突っ込むと、もう抜け出せなくなって何も出来ない。上手いこと名付けたなあ。(笑)人間がノメシコキになってしまうから、そう言う点では炬燵は良くない道具なのかも知れない。しかしそう言う親父殿だって嫌いな訳じゃない。仕事を引退してからは炬燵でしょっちゅう居眠りをしていた。

 リビングでエアコンを回していても部屋の温度計はなるほど20度を示しているが足下が寒い。だから余り暖かくは感じない。反対に室温が例え15度であろうと炬燵に脚を突っ込んでさえいれば暖かいのだ。だから炬燵はいいなあと熟々思う。じゃあってんでリビングテーブルに炬燵布団を掛け、ヒーターをテーブルの下に取り付け、椅子に座ったままの炬燵にしようかと思ったこともある。だがそれは太田理財局長ではないが、いくら何でもやりすぎかなと自粛した思い出がある。

 一つには炬燵なんて立てようものなら、ただでさえノメシな私が益々ノメシになってしまうからだ。動かないと言うことは歩かなくなる事だから、そのまま運動不足に繋がる。そんな訳で炬燵を立てないで来たのだ。しかし真冬は蓄熱暖房機を使うから、まだ足下はそんなに寒くはないが、蓄暖を切った時からこの足下の冷えに悩まされる。やっぱりオイラは日本人。炬燵のある生活がいい。例えノメシになろうとも。もう暖かい春がそこまで来ているから、今更炬燵を立てようとは思わないが、来年の冬はどうすべえ?と今から悩んでいるのである。