かわいいかわいい魚屋さん

ちょっと前に、こちらのサイトがいっぱいブクマされてるのを見ました。

我が目の悪魔 日本の未解決猟奇事件
1978年〜94年の、有名な未解決事件を紹介するサイトです。


とくに話題になっているのは加茂前ゆきちゃん失踪事件で、家族のもとに届いた怪文書は身震いするほど不気味ですが、個人的にリアルタイムで印象深かったのは、1988年の名古屋妊婦切り裂き事件の方でした。


この事件前後の1987年から89年ごろ、ぼくは12歳から14歳だったのですがこの時期は猟奇事件の当たり年で、ほかにも藤沢悪魔祓いバラバラ殺人事件名古屋アベック殺人事件南野陽子レイプ願望の少年による家族殺害事件女子高生コンクリート詰め殺人事件、そして宮崎勤幼女連続誘拐殺人事件など犯罪史に残る猟奇事件が多発しており、ぼくの人格形成に多大なる影響を与えています。


で。



これらの猟奇事件が発生すると、「昔はこんな事件はなかった、今の日本は狂っている」という反応が起こるのは当時も今も変わらないことですが、実は明治・大正期の猟奇事件というのもなかなかすさまじいものがあるんですね。

明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典

明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典

では、この本に載っていた事件をひとつ。

東京・大森の妊婦切り裂き事件

1914年(大正3年)6月17日。

東京は大森町で、46歳の臨月女性が殺害されるという事件が発生。

被害者は絞殺され下腹部から胸まで一文字に断ち割られており、引き出された胎児までもが刃にかけられていました。


この前代未聞の猟奇事件に、大森警察は全力を挙げて捜査に取り組み、一ヵ月後に犯人が逮捕されます。

逮捕された容疑者は、「頭が少し足りないために通称”馬鹿久”と呼ばれていた」原文ママ)出入りの魚屋、田中久太郎(45歳)。

久太郎は犯行のあった夜、金をせびりに被害者の家へ行き、急に欲情して迫ったものの拒否されたために殺害した、というのでした。

死体損壊は、商売道具の刺身包丁を使ってのことです。


しかし、なぜこのような猟奇的行為に及んだのか、裁判で判事が問うたものの久太郎は語りませんでした。


判事の回想録によると、

久太郎は被害者の死体を、あたかも1匹の鮭のごとくにみなした。


腹を切り裂き胎児を引きずり出したのも、おそらくは、魚屋商売のなせる無意識の仕業だったのだろう。

というのですが、これ職業差別だよなぁ。ヤバイよなぁ。
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