増田さんへ。私は久しぶりに修練しました。
おとといのエントリで言及したはてな匿名ダイアリーの記事ですが、さらに反響が大きくなっているみたいですね。
このエントリには正直いって反発をおぼえるけど*1、同意してる人もいっぱいいるみたいですね。
で、それにインスパイアされたらしきエントリがこちら。
あるとき、在日コリアンの話になった。
彼女があんまり差別的なこと言うから腹が立ってきて何か言い返した。
そしたら
「私、朝鮮人とかエタ非人とか嫌なの。絶対付き合わない。」
「そんな人と近所づきあいはできても結婚できない。親に申し訳ないもの。」
マジで今もこれ思い出して涙出てきた。
俺の母さんの実家が部落に当たるって聞いたのは俺が高校生のころで
俺は、父親を史上最低な男だと思ってるけど、
偏見とかなしで母さんと結婚したのだけは評価してる。
俺、彼女に何かわめいて、その場から逃げて、泣いた。
俺自身だけじゃなくて足元から全部否定された気分。
実は、元になった「憂鬱だ」のエントリもこれと同じ構造であって*2、そんなに気軽にああだこうだ言える問題じゃないと思うんですけどね。
それにしても増田さん増田さんって、あんたらそんなに増田章が好きかとか思ってしまいますね。
月刊 フルコンタクト KARATE (カラテ) 2007年 04月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 福昌堂
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増田章は、1980年代から90年代にかけて極真会館の全日本選手権や世界選手権で活躍した空手家。
黒澤浩樹や松井章圭とともに”三強”と並び称された強豪でした。1991年には百人組手も達成しています。
とくに松井章圭とはお互いに「最大のライバル」と公言し合うほどの強敵(と書いて「とも」と呼ぶのは男の子の常識)でしたが、1994年に大山倍達が死去し、倍達の遺言によって松井が館長に就任してからはその関係もよりハードコアなものへと変化。
松井館長の新体制は、遺言の無効を主張する遺族や、三瓶啓二を中心とする支部長協議会派の脱退によっていくつものグループに分裂することになり、増田も袂を分かって協議会派に参加し、現在は独立して「極真会館増田道場」を主宰しています。
で、分裂騒動で武道ジャーナリズムがゴタゴタしていた時期のことですが、大槻ケンヂが増田章と対談することになりまして。
緊張のあまり、オーケンは思わず増田に向かって「松井さん」と口走ってしまい、道場の熱い空気を氷の世界に変えてしまった、という逸話が今に残っておるのでした。
- 作者: 大槻ケンヂ
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ここ数日のはてなでは、多くの人が「増田さん」「増田さん」言ってるので、松井館長門下生のはてなーはさぞかし気まずい思いをしていることと思います。っていうかいるのかそんな人。