Hatena::ブログ(Diary)

WASTE OF POPS 80s-90s

2017年07月20日

欅坂46のアルバム。3形態合計で全40曲というボリュームで、そんな複数形態買っとれるかと思ったら配信では40曲1セットで入手できたりします。
で、重厚なコンセプトアルバムを期待していた身としては、収録曲の並びは発売日通りだったりアルバムの作りとしてはAKBグループや乃木坂と変わらんやんけと、酷くがっかりしたのですが、それでも未発表曲をずいずい聴いていくとそれなりのストーリー性のようなものはあり。

ロッキンオンでは相変わらずロキノン節満載のこんな原稿が掲載されていたりしまして、何となく言わんとするコアは理解できるのですが、でもこの文章に圧倒的に欠けている観点は「でも、歌詞を書いたのは50代のおっさん」というところであって。いや、ネタではなくそこが圧倒的な本質だと思うのです。

このおっさんはおニャン子あたりからいろいろやらかしてはいるのですが、音楽的なところでのエポックは美空ひばりの「川の流れのように」。
以下、2年前に書いた文章再掲。

--------------------------
とんねるずのビクター時代の2ndアルバム「仏滅そだち」は80年代の歌謡曲アルバムの中では相当に優秀なアルバムだよね、ということで、そのアルバムはアイドル歌謡もどきから演歌もどきからチェッカーズもどきから、当時のありとあらゆる大衆音楽をパロディとして聴かせる風の作りになっているのですが、作家は全曲秋元康作詞、見岳章(元・一風堂)作曲編曲のため、アルバムとしての変な統一感もあって。
で、「川の流れのように」はその秋元康作詞、見岳章作曲編曲の楽曲。美空ひばりが生前とんねるずと親交が深く、その繋がりでこうなったと思われますが、その、とんねるず楽曲も含めての流れで考えればこの曲が大ヒットしたということはつまり「フェイクが本物を越えた」ということであり。
--------------------------

で、今回の欅坂のアルバムでは、そんなフェイクの達人なおっさんが恐らく初めて「一貫した作家性」を発揮してるんじゃないか、と思うのです。

「一貫した作家性」でもってプロデュースされているアイドルグループ、中田ヤスタカによるPerfume、石田彰による3776、照井順政によるsora tob sakana。もちろんおっさんが手掛けたこれまでのグループでも、うしろゆびっぽい感じ、SKEっぽい感じ、NMBっぽい感じ、乃木坂っぽい感じというのはありますが、今回はそんな「ぽさ」レベルではなく、前述のプロデューサー陣のようなもっとはっきりした「色」を塗ろうとしてるのではないかと。

もちろん「作家性」とはいってもフェイクです。というか、今の時代10代女子から放たれる「反抗」なんてそれだけでこのうえなくフェイクですから。なのでポイントは「おっさん何で10代の女の子に敢えてそんな昭和チックな『反抗』を歌わせるの?」という点に尽きます。

ここで、7年前にファンキーモンキーベイビーズについて書いた文の再掲。

--------------------------
思ったのは、僕らが中高生のときにはメッセージといえば尾崎豊のような「反抗」だったのが、もはや大人も社会も実はそんなに強くないことが露になってしまった今の世の中で、メッセージとして中高生に通用するのは、彼らが歌ったり語ったりする「自分はこれでいいんだ」という自己肯定と、「でももっと頑張らなくちゃ」という自己責任しかないのだということ。
敵がいなくなってしまった今、すべての基準を自己に求めるしかない。
もうレベルソングは今の子達には必要ないんだよ。
--------------------------

わかりやすく対峙できる相手もなく、様々な属性でもって嗜好も認知領域も分断され、国民的ヒット曲なんてそもそも出てきようがない今の世の中、個々の立ち位置や嗜好を越えるような「強い」ヒット曲も大変に生まれにくい状況です。
結果それ以降で生まれた最大のヒット曲が「みんな違ってみんないい」スピリッツに溢れたSMAPのあの曲になったりもするわけで。

そんな世の中で「強い」歌はどうすれば生まれるのか。結論。「仮想敵」を設定し、それに対する歌を歌う。
それがこの欅坂だと思うのですよ。そしてあくまでも「仮想敵」なので、フェイクの達人こそがこの構造を実現可能にするのですよ。

というわけで、勝手におっさんやっぱすげえなと思うわけです。
今後欅坂が「おいでシャンプー」みたいな曲を歌い出したりしたら、それは敗北か、おっさんが飽きたことを意味します。