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WASTE OF POPS 80s-90s

2019年01月12日

岡崎体育 / SAITAMA (Album)

Lil PeepとかXXXTENTACIONあたり、簡単な言葉ではあってもひたすら虚無を綴るリリックでアメリカの若者に人気だったヒップホップの人たち、この2人はもう亡くなってしまったけれど、他にもたくさんいるそういう感じのリリックの人たちが受けているの、これはアメリカの若者の今の「気分」なんだろうか、ということを考えました。
でも30年弱前にNirvanaに熱狂した人たちだって多分あまり違わないと思うし、今の日本にだってそういう音楽を希求している人はきっといるんです。

今の日本でそういう層を一番支えているのは米津玄師くんだと思っています。どうしても日本人の場合「感傷」も多分に含んじゃいますけど、彼の歌詞に「虚無」はある。あとはamazarashiあたりか、と考えていたのですが。

今回の岡崎体育くんのアルバムを聴いて「彼もそういうとこあるんじゃねえの」と思ったのですよ。
彼は非常にストイックで、タイアップ曲は別のコンピにまとめて、オリジナルアルバムは完全に「自分のやりたいこと」で固める主義でやってきて、それでも受け狙いの一発ネタ的な曲は多分にあったわけですが、というかそういうのを積み重ねてここまでメジャーになったわけですが、今回は遂にそういうのもなし、「音楽として純粋にやりたいこと」しかやっていないアルバムになっています。
するとネタ的な言葉回しの中のそこかしこに、虚無と感傷がないまぜになったようなフレーズがわんさか出てくるわけですよ。「弱者」なんかもうそれ以外何もない。

いや、確かにこういう側面は過去の彼にもあった。「鴨川等間隔」とか。でも、ここまでネタを削ぎ落して剥き出しにしてくるとは思わなかったんです。

だから、彼が若い人に受けているのには、そういう側面もあるのではないかと思ったのですよ。少なくともネタ一発で終わらずにファン層を拡大している理由のひとつとしては。
自分の中にもある虚無を重ねられる存在を希求し、そういう歌い手に引き付けられる。

でもそこにはまたふたつの属性があって。そういうことをストレートに歌う曲を素直に受け入れられる人と、受け入れられない人。
受け入れられる人は米津くんやamazarashiに、受け入れられない人は岡崎体育くんや、2016年の「わかってんだよ」以降剥き出しになった感のあるキュウソネコカミあたりに向かうのではないかと思っています。
どちらも今の日本の「気分」。

私はもうおっさんなので、そういう曲はあんまり必要ないのですが、もし今若かったら確実に後者。米津くんを人前でカラオケで歌うなんて絶対できない派。

で、ここで出したミュージシャンは虚無だけでなくきちんと希望も歌ってくれています。だから聴いて死にたくならない。アメリカのヒップホップの人たちのようにオーバードーズで死んだり、店出たところを強盗に撃ち殺されたりしにくい環境に生きている分だけ、それを歌えるのかもしれませんし、聴き手も受け入れられるのかもしれません。
そこも含めて今の日本の「気分」。