2011-11-15
無限の『初めて』に向けて
今朝、NHKのグレートサミッツという番組を見ていたら、写真家の星野道夫氏の足跡について話をしていた。26才でアラスカに渡り…との説明の後、カムチャッカで不慮の死を遂げ・・・と伝えられた。
ただ、その番組の中で、マッキンリー山をバックにオーロラの写真を撮るという彼の夢、なぜそれを目指したのか? 番組では「誰も撮ったことがないから・・・」と彼が言っていたことを伝えていた。その言葉が妙に心に響いて残っている。誰もやっていない・・・。夢を実現させるときの原点なのかもしれない。目指す方向は違っていても、私も「誰もやっていないことを目指したい」と思っている。この気持ちは、たぶん学生時代に生れたに違いない。
だって、星野道夫の家で、日本(熱)気球連盟創設の最初の打ち合わせが始まったのだから。同じ部屋に私も彼と同席していたことを誇りに思う。初めての何かに取り組む姿勢は、もしかしたらこんなところから生れているのかもしれない。無限の『初めて』に、これからも挑んでいきたいと思っている。
2011-11-05
佐賀とアルバカーキ、熱気球と焼き物
今、佐賀では熱気球のお祭りが行われています。佐賀と言えば熱気球というイメージは、ほぼ30年ほど前から始まりました。私と一緒に気球を作っていたメンバーが、佐賀県と話しあい、50000分の1の地図まで書き換えてもらいながら、本格的に佐賀と言えば気球・・・というイメージを作っていったようです。毎年、数十万人もの人が訪れるというこのイベントは、既に何度か世界大会にもなっているようですから、本当の意味で「佐賀=熱気球」になったのかも知れません。
ところで、佐賀と言えばもう一つ、焼き物の故郷でもあります。伊万里の町の郊外にある大河内山は、昔でいえば陶工たちの隠れ里、鍋島藩秘蔵の焼き物として遠く世界にまで知られ、マイセンの焼き物にも多大な影響を与えたとか。私もその焼き物に目がないことから、伊万里、有田の町にはもう何度も足を運んでいます。磁器と陶器の違いをより楽しむなら、伊万里のすぐ隣の唐津焼なども素晴らしい焼き物です。陶工の溝上さんは、確かアメリカのアルバカーキにまで行かれて焼き物の勉強をされたと聞いています。あの砂漠の「赤」は、もしかしたら、辰砂の色に・・・いや、やはりインディアンの人たちが描く砂漠の砂絵に通じる色なのかもしれません。オレンジがかった色合いは、何と唐津焼にも生かされているんですよ。
なぜそんな話になったかって? アルバカーキと聞いて、熱気球をやる人ならピンときますよね。そう、その地も何度も熱気球の世界選手権が開かれる熱気球のメッカなんです。佐賀とアルバカーキ、世界は何がどう結びつくか分かりませんよね。
唐津焼 溝上さん親子
http://imadake-gama.com/sub2.html
私は、この藻風さんの大ファンなんです。
2011-10-10
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久しぶりのアップです。
先月は、何やら忙しい日が続いて、しかも夏バテだったのか、元気が出ずにとりあえず生きていました。 (^_^; この間に、熊本に行ったり鹿児島に行ったり、更には印西で行われた関東大学女子駅伝の応援に行ったりと、出歩くことは結構あったのですが、家に帰るとバタンキューでした。とは言え、このまま秋をだらだらと過ごす訳にもいかず、何とかペースを取り戻さなければと、やっと動き出しました。さてそこで、まずは何から・・・と考えた時に、とりあえず始めたのが、授業支援システムへの取り組みと、電子書籍コンテナの話し、関連企業との交渉からメンバーの環境整備。更には大学がやろうとしているこれからの情報化についての調査。そして23日には仙台での全日本大学女子駅伝の応援、29日には、大学の情報化についての研究会での発表。その前に、私大連の会議・・・。何だか今月も目が回りそうですね。でもだいぶ元気になって来たので、大丈夫でしょう。
気球の話もまだまだ続きがありますし。 そうだ、元気が出なかった理由がもう一つ思い当たった。私のかつてのパソコン通信のハンドルネームにまでしていたのシンボリルドルフが死んでしまったからです。ルドルフを陸上競技で表現すれば、ウサイン・ボルトのイメージが当てはめられる、と競馬評論家が言ってたけれど、私もまさしくその通りだと思います。この話もいつにかしたいものですね。
2011-08-30
大船渡の状況
現在の大船渡の状況をお知らせします。私が大船渡の町に入って感じたことは、最初、地震があったのか? 津波が来たのか? という印象でした。実際には、町の中心を流れる川の土手を超え、河口近くの貯木場から丸太が大量に流れ出し、それが凶器となって家々を襲ったとのことです。大船渡駅近くのビルは、3階まで津波が来ているとのことで、ビルの形こそあれ、使い物にならない鉄骨とコンクリートの化け物になっていました。(チリ地震の時の津波の比較)写真中の青い看板が、チリ地震の津波の高さです。それに比べて、このビルの3階まで津波が来たのですから、いかに大きな津波だったのか・・・ということです。
この写真を見ただけでは、ここが何処なのかまったく分からないと思います。実は、大船渡駅なんです。
でも、港へはマグロが入ってき始めているんですよ。活気が出始めていますよ。
子供たちの笑顔
大船渡での熱気球イベント「空を見上げて」が終わりました。当日は、300人を超える地元の人たちが、実際の気球に乗り、キャーキャー叫びながら、楽しんでいました。私も、最初は本当に気球を飛ばすことが、子供たちにとって、地元の人たちにとって、良いことなのかどうか? 迷った部分もありました。しかし、やっぱり子供たちの笑顔を見れば、やって良かった! という気持ちになりました。
孫を連れてきたというおばあちゃんとしばらく話をしました。そのおばあちゃんは、以前に愛知県に住む娘さんの所へ出かけていた折、帰る間際に、付近で起きた水害で足止めされ、大変だったことを話され、さらに今回の津波で家が流れてしまった・・・。と言っていました。とにかく大変な目に何度もあったというのです。でも、孫に気球を見せることができたし、乗せることもできたと言って、大変喜んでくださいました。孫たちは、今乗っているですよ! と、まだ孫たちの書きかけの絵を私に見せながら、笑っていたおばあちゃんの笑顔、一生忘れないものになりそうです。
2011-08-23
何故、熱気球なの? さー?? 何でもよかったんですよ。
この熱気球を考え始めたのは、中央大学附属高等学校3年C組の5人の同じクラスの仲間でした。もっとも、最初から気球を作ろうと思って集まった訳ではありませんでした。大学に入って、無限に時間をもらった様な気がしていた我々は、せっかく大学に来たのだから何かやらかしたい・・・とだけ思っていたのです。やりたいことの候補はいくつかありました。ホーバークラフトを作って日本の海を一周する、などという意見もありましたし、木炭自動車で日本一周などという話もありました。そして結局行き着いたのが、熱気球を作って空を飛び、日本列島を横断するというものでした。今考えれば、バカですね。何も分からず、目標だけでかいというやつでした。つまり、無知無謀というやつです。
そして、一冊の本にたどり着いたのです。「熱気球イカロス5号」
http://www.chuko.co.jp/bunko/2011/06/205503.html
だったのです。「これにすんべー」と決まったのでした。確か大学一年の秋だった気がします。そのあとの話は、また後程。

