大学情報化のトータルプロデュース-4  「デジタル教科書の行方」

デジタル教科書については、様々な形での動きはあるかと思います。京セラ丸善さんは、慶応大学において実験的なチャレンジをされていますし、千葉大学の図書館でも大きな動きがあると思って見ております。中央大学でもWhite Gate プロジェクトとして学生自身に電子書籍を作ってもらい、それを更に紙の本として組み立てる実験などを行ってきました。その実験の途中から、これを「書籍」というものだけに捉われず、新たな形のデジタルコンテンツとして捉えるようになり、我々の考える電子書籍は、当初から言われている「紙の本」を自炊して画像として公開していく電子書籍とは一線を画するようになりました。これは自炊の電子書籍とは違う形で組み立てられていく新たに創作されて行く「テキスト系の電子書籍」と映像や音などを組み合わせた「リッチメディア系の電子書籍」、更にはテキスト系から新たに変化した「PODを用いた紙の本」が生まれ、電子書籍が確実に変化した証しでもあります。GKB48で出版した「これからの『教育』の話をしよう」は、テキスト系電子書籍とPODを用いた紙の本の複合版であり、当初電子書籍と呼ばれていたような自炊した画像型の電子書籍ではないのです。
このように、電子書籍には様々な形があることは、既にいろいろな方たちが述べていますが、これを「教科書」に・・・となると、やはりハードルが上がってしまうことは確かです。特に初等中等教育の中では、様々なルールのもとに教科書は出来上がってきますので、無理も無いと思います。しかし、大学においてはこれとは異なり、先生方が「これを教科書として利用する」と宣言してしまえば、それが教科書となりうる訳で、しかも、学生達が指定の本を購入するかどうかも学生の判断になり、教科書という言葉には違和感さえ覚えます。先生方にしても、最初に3000部を一度に製本して履修者の数だけ捌いたとしても、10年で在庫がなくなるのか心配ですし、はたして最新の情報がその教科書に掲載されているかだって明確ではなく、結局最新の資料はコピーで配布するなどして対応しているのが現状です。教科書を買う立場の学生にとっても古い資料が載っている教科書は買いたくないでしょう。更に、これを10年間在庫として預かる大学生協などからは、苦痛の声さえ上がっている始末です。
そこで、これら教員、学生、生協等からの声を拾い上げ、例えば電子書籍という形で組み立てることで何とか対応できないかと検討しているのが、中央大学が行っている、俗称White Gate と呼ばれるプロジェクトなのです。できることなら様々な形式(テキスト、画像、映像、音声等)のデジタルコンテンツを格納できる倉庫を用意し、その倉庫から様々な形で取り出せる仕組みを組み立てたいと考えているのです。これまで、コンテナとして多くのコンテンツ形式に対応できる機能を持つサーバを検討してきましたが、いずれも我々の期待する用途のものはまだ出来上がっておらず、それ故に少しでも近い形のものを利用して対応していくか、或いは一つのサーバに拘らず、数種類のものを組み合わせながら連携させていくかの検討が続いているという状況です。しかも、仮にそのサーバ連携が出来たとして、それをどのような形で見せていくかという「視聴環境」についても平行して検討していく必要があります。これとて様々なタブレット型の端末やスマフォが生まれていますが、まだまだ教育への活用という点では不充分に思えてなりません。今後に期待したいと思います。
このような状況において、様々な評価と批判を受けながら、デジタル教科書の必要性は日に日に増していくようです。特にオープンエデュケーション等と呼ばれる新たな教育の形が生まれ始めている中では、確実に必要とされるメディアとして育っていくものと思います。つまり、デジタル教科書の良しあしを検証すると同時に、それを取り巻く教育環境の変化にも充分注目していかなければならないと思います。

内田洋行New Education Expo 2013 において提案された資料

2013年6月6日
オープンエデュケーションと大学改革について
中央大学 渡邉純一

 世界の教育がオープン化していく話は、本日の講演や「甦れ!大学」の中で少し紹介させて頂きましたが、私自身は、そのオープン化の過程でソーシャルメディアとオープンエデュケーションは、切っても切れない関係になるだろうと考えています。そこで、その大きな変化に大学をどう対応させるのかを考える上で、4つのキーワードを紹介させていただきます。
 「パソコンのないパソコン教室」
 「本のない図書館」
 「教室のない大学」
 「国境のないキャンパス」
 現在、大学の情報環境の整備、如いては大学の改革へ向けての提案をする際には、必ず、このキーワードをもとに考えるようにしています。この考え方の根底にはICT技術の進歩あってのことですが、現状を見る限り、技術的にはなんら不足ない状況が生み出されようとしています。つまり可能性は充分に育ってきました。次は、ルール、制度を交えた運用環境(経済環境も含んで)です。そして、それらを活用する文化の醸成、啓蒙活動(広報活動)をどう進めるかです。それぞれに、まだまだ難しい問題を含んでいますが、なかなか動かない分、動き始めた時は急速に進む可能性があります。その時のかじ取りを誤ると・・・。
 このキーワードついては、以前某コンピュータメーカの教育向けイベントで基調講演に訪日されたAbilene Christian 大学のウィリアム・ランキン教授も「このキーワードどっかで利用させてほしい」と言われたほどランキン先生も同意見ということで、その考え方を突き詰めていったとき、大学の在り方がどうなっていくのかまで、やはり同じ見方をされていました。
 そこで、皆さんに質問なのですが、
 皆さんが、上の4つのキーワードをご覧いただいたときに、どんな大学の形をイメージされたかを感じたままにお話しいただけると嬉しいです。唐突な話しかも知れませんので、どんな意見をいただけるか皆目わかりませんが、皆さんから「夢のような話」→「そんなの無理だろう! 」 と言われるような話が出てくることを期待しています。既にいくつかの企業の方にこの無鉄砲な質問を投げかけておりますが、なかなか面白い提案(内田洋行からは、A4 100ページを超える提案)をいただいており、すぐにでも使わせていただきたいと思うものもありました。皆さんからの意見は、私だけでなく、他のいろいろな方に役立つアイデアになるかも知れませんので、是非ともFacebook上に公開していただきたく思います。できれば、その切っ掛けのタイムラインを作らせていただきます。皆さんのご意見、是非ともお待ちしております。

Facebook 「渡邉純一」で検索してください。

「大学情報化のトータルプロデュース」 -3

先の「情報化の4つのポイント」を簡略化して表現してしまうと、
⒈ ハードウェア
⒉ ソフトウェア
⒊ コンテンツ
⒋ サポート
ということになります。
 そして、もう一度復習の意味で確認しておきましょう。それは、上記4つのうち一つだけを充実させることでニュース性ばかりに気を取られていることが、極端に多いと言えます。例えば一番わかりやすいのが、1. のハードウェアに力を入れ、パソコンやタブレット端末を導入し、場合によっては学生全員に配布するなどです。学生全員が、タブレット端末を持つことの意味は、必ずしも間違っていることではないと思いますが、これを教育という名目と広報的な視点だけでとらえて、ただただ配布するだけでは「何に使うの?」という疑問ばかりが浮き彫りになり「何に使うのか考えてから環境を用意しなければ宝の持ち腐れになる。」という人たちの意見が大勢を締めます。一方「そんなことばかり言っていないで、まず環境を用意することで、何かを生み出す切っ掛けを作り出すことが重要だ。」という意見も多く聞かれます。そしてどうなるかというと、結局何もしないまま、次回へ先送りという結論に行きつきます。つまり「ニワトリとたまご」の関係を論じて終わりということなのです。そうなると本来の結論を出せないまま時間だけが経過し、いつまで経っても足踏み状態が続いていることで、諦めというか「まあ良いか」という程度に諦めてしまうのです。こんなことが日常茶飯事になっている大学は、おそらく最初に大きな波に襲われることなにるでしょう。つまり、これが最も悪い例です。皆さんそれぞれの大学における状況を思い浮かべつつ、こんな状況が生まれてしまうのは、何が足らないのかをよく考えてみてください。結局のところ、何となく怠惰なだけなのではないでしょうか。何かしら動き始めれば亀裂が生じ、修復に費やすエネルギーは、並大抵ではありません。結局それが嫌で動かないことが多いのではないでしょうか。
 しかし、この亀裂こそが新しい芽を生み出す大きなきっかけとなってくるのです。亀裂を修復するには知恵が必要となり、その知恵が新たな形を創造するうえでの大きな力となるのです。先にあげた4つのポイントのうち、一つを特化して殻を破り、残りの3つに生じた亀裂を順次改善していく、そして次に2.ソフトウェアについて力を入れ、新たな活用環境を組み立て、続いて4.サポートで、ハード環境のサポート、ソフト利用のサポートの要員体制を充実、そして、ここから生まれる3.コンテンツの貯蔵と公開へと進めていくというのが、順当な進め方と言えるのではないかと思います。その意味では、一番表現しやすいのが1.のハードウェアですが、実は最もスムーズに情報化を進められるのが、4.のサポートなのです。ここに大学情報化のポリシーが盛り込まれ、それが具体的に機能し始めた時こそ大学情報化が最もすぐれた形で推進されていくのです。

「大学情報化のトータルプロデュース」 -2   『情報化の4つのポイント』

ずーっとお休みしていましたが、たまにはこちらに書きます。
大学の情報化、いろいろな側面から考えていくと4つに区分できるのではないかと思います。それは、
1.機器環境の充実 
 つまりハードぅエアの充実です。手元に置くパソコン、スマフォから始まり、無線・有線のネットワーク環境と学外との連携を用いたクラウド環境、更には教室の電子黒板やプロジェクターに至るまでの授業支援環境など、様々な機器類の充実を意味します。
2.活用の仕組みの充実
 次に求められるのは、ソフトウェアの充実です。上記のハードウェア環境を効率よく、しかも目的に応じた成果を上げるために、どんな仕組みをどのような形で利用できるようにするかが、重要に課題になります。
3.成果をどう貯めて発信するか
 機器や仕組みが用意されても、活用し成果をどう表現していくかが、重要な問題になります。これまで成果報告については、紀要や報告書のような書籍という形で保存されることがほとんどでした。しかし、これでは本棚や倉庫に保管されているだけの資料保存にしかなりませんでした。これに日の目を見させるにはどうするかが重要になります。
4.上記の仕組みを潤沢に稼働させる組織
 いくら、1〜3の環境が整ったとしても、それらをサポートし指導しながら、できるだけ研究者や学生に負担をかけずに利用してもらうためには、どのようなサポートが必要となり、そのサポートを実施していくためにはどんな組織と要員が必要となるのかを考えなければなりません。
 つまり、これら4つのバランスが上手く稼働してこそ大学の情報化が潤沢に動き始めるのです。
 時として大学は、これらのうちの一つを選んで充実させ、その成果を広報活動に利用しますが、往々にして、バランスの悪いまま偏った充実を図るため、潤沢な稼働ができないことが多々あります。その結果、無駄な投資として取り上げられ、「教育のデザインの準備不足」や、「広報活動のためだけの情報機器の充実」等という批判を受けることになります。そして、この批判の結末は、多くの場合評論的に「だから・・・を事前に用意して進めるべきであった」という評価をもらうことになります。しかし、この評価は、次のステップへ向けての足かせになり、なかなか外せない重石となってしまうのです。さて、こうならないためにはどうすべきなのでしょうか?

「大学情報化のトータルプロデュース」 - 1    『情報の物々交換市場』

 大学における情報環境という視点でいつもいろいろなアンテナを立てているつもりですが、最近は情報が多すぎて何を注目していいのか分からないというのが本音です。それだけ動きが活発化しているということなんでしょう。研究会、セミナー、展示会、飲み会・・・など、ありとあらゆる情報収集の場にできるだけ顔を出して、あるいは口を出して、議論を吹っ掛け、罵声や賛同を浴びながら、自分の考えをまとめていこうと思います。
 さて、直近の話としては、「大学情報化のトータルプロデュース」というテーマです。今まで大学においては、それぞれの部署がそれぞれの考えに基づいて、いろいろな情報環境を用意し、開発してきました。特に規模が大きな大学ほど、それぞれの独自性という『印籠』に守られながら、大学全体から見たら非常に非効率的な開発が続けられてきたのではないでしょうか。しかし、コスト削減、情報機器環境やそれらを活用するソフトウェアーの進化の速さなどもあり、それをトータル的にまとめていかなければならないような機運が生まれ始めています。ただ、それを行えるだけの技術的な知識や学内をまとめ上げるノーハウを持ち合わせている人間は、そう多くはいません。我々のような常に新しい情報を感じ取るようにしている人間であっても、時としてガラパゴス状態に陥ってしまうことだってあるからです。その意味では、いろいろな企業が独自で開発している機器類やソフトウェアの進歩情報は、生ものとして常に受け止める姿勢が大切となります。ただ、自分から何もアイデアを出さないままに「情報ください!」と叫んだところで何も返ってこないことは明らかで、たとえ少しでも、あるいは他人には無価値なことと思っていたとしても、何らかの形で情報を出していくよう心掛けたいものです。その結果として新たな情報が届くことにつながるからです。その意味では、ソーシャルメディアの力は計り知れないものを持っている気がしてなりません。

 私は、

 『情報の物々交換』

 という考え方を多くの人たちと共有していき、浸透させていきたいものだと考えています。

 その意味で、Facebook

 『情報市場』・・・卸問屋

 であり、そこで作られていくグループは、

 『情報の小売商店』

 というところでしょうか。

 こんな風に考えていくと、今まで人間が作り上げてきた歴史に照らし合わせれば『情報市場』の将来も、『情報の小売商店』の未来も意外と分かり易く理解できるのではないかと思うようになってきました。
 ひとつ大きな違いがあるとすれば、この市場、商店では、物々交換はあっても、今のところ貨幣が存在しないことなのかもしれません。
 そんなところが、ソーシャルメディアの真髄ともいえますし、ある意味ボランティア精神に通じている気がして、今までのエコノミック社会からの脱出を図るための突破口になろうとしている気がしてなりません。はたして、それがどんな結果を作り上げるかは、まだまだ分かりませんが。

Whitegate プロジェクト報告会

 Whitegateプロジェクトという名前で始まったドキュメントコンテナのプロジェクトですが、一年を経過して、今日、報告会を開催できるまでになりました。

 おかげさまで、非常に盛況のもと、充実した報告会ができましたので、ホッとしております。許しが出れば、どこかの段階でYouTube等に載せられればと思います。

 ありがとうございました。

無限の『初めて』に向けて

 今朝、NHKのグレートサミッツという番組を見ていたら、写真家の星野道夫氏の足跡について話をしていた。26才でアラスカに渡り…との説明の後、カムチャッカで不慮の死を遂げ・・・と伝えられた。
 ただ、その番組の中で、マッキンリー山をバックにオーロラの写真を撮るという彼の夢、なぜそれを目指したのか? 番組では「誰も撮ったことがないから・・・」と彼が言っていたことを伝えていた。その言葉が妙に心に響いて残っている。誰もやっていない・・・。夢を実現させるときの原点なのかもしれない。目指す方向は違っていても、私も「誰もやっていないことを目指したい」と思っている。この気持ちは、たぶん学生時代に生れたに違いない。
 だって、星野道夫の家で、日本(熱)気球連盟創設の最初の打ち合わせが始まったのだから。同じ部屋に私も彼と同席していたことを誇りに思う。初めての何かに取り組む姿勢は、もしかしたらこんなところから生れているのかもしれない。無限の『初めて』に、これからも挑んでいきたいと思っている。
http://www.michio-hoshino.com/