おもう川の記 No.31 阿武隈川の1

今日から新しい川=阿武隈川について述べる。
東北は大河に恵まれるが。阿武隈川は、東北どころか列島有数の大河である。
しかも太平洋に注ぐ川にしては珍しいことだが、源流から北の方に位置する河口に向かって、流れ下っている。
まだある。
阿武隈川そのものの舟運史は、どちらかと言えば貧弱だ。がしかし、列島の舟運史においては、特筆さるべきサラブレド級の経緯を持つエリートの川である。
とまあ、思わせぶりな導入部となったが・・・・
このシリーズは、体験を踏まえる記事に重きを置く。
まず筆者自身の記憶を探ろう
もう半世紀もの昔になるが、未知の土地に単独旅行した。そこが阿武隈川沿いの大都市であった。きりっとした緊張の思い出に繋がる・遠い川の畔の町とは、僅か数日滞在しただけの縁でしかなかった。
さて、阿武隈川のイメージ。実に多様かつ豊富である。
どこから始めようか?
ヤマトの民が蝦夷地に入って、最初に出会う大河という言い方から、始めよう。
ひたすら陸路を辿る昔の旅で、旅人達が、道すがら。出逢った「阿武隈」を観て、何を思ったか?
それを知ることは、少し難しいことかもしれない。
遠く旅路をさすらって、阿武隈を観た世捨て人と言えば、能因と西行=2人の法師である。
更に、藤原実方の故事もある。
仕上げは、やはり漂泊者の最高峰たる芭蕉の旅だ。
とまあ、さほどの支障もなく、ざっと4人の放浪者の名が思い出される。
この4人に共通するキィーワードは、陸奥である。
陸奥の入口は、いつの時代も福島県である。そして、最初に出会う川の流れが阿武隈なのである。
阿武隈の流れが造り出した高山に挟まれた低地。その連なりが、旅往く人の道となった。
阿武隈の川畔に沿い、人も住む。その里の連続が、奥州街道を支える宿駅となった。
阿武隈川流域=奥州街道沿道を総合して「中通り」と呼ぶ。
国道も鉄道も、そして現代の高速道路も新幹線も。重なるように、その低地廻廊を通る。
細かいことを言えば、浜通りに「勿来(なこそ)ノ関」がある。
発音と言い・文字の指す意味と言い、不吉な観は否めない。
よって、通過ルートとして選ぶ人は少なかったであろう?
もちろん、関名の由来がまたおぞましい。
蝦夷の民に向かって、南下することを戒めた=現代風に言えば、差別的放言の極みと言うことになろう。
果して、蝦夷の民がヤマトの民と、異なっていたか?同じ種族ながら価値観を異にしていただけなのか?今となっては、判然としない。
列島の民が抱くパラダイムは、いつの時代も。外来の思潮にして、根底基調にある儒教・華夷の価値観は、宿命と序列が中核的世界観だから。タテ割りと差別に直結する風潮から脱却できそうにない。
ついつい脱線したが、上述の4人の文芸者についても、踏込むことはしない。
本稿の主題は、川であって。文芸論でもない・・・・
しかし、知名度がいまいちの実方朝臣<さねかた・あそん>については、少し説明が必要かも?
彼は若気の過ち?から、陸奥国守の職を得て。任地の国衙<=現・仙台市にあった>に向かう途中、落馬して不慮の死を遂げた。平安中期の貴族・有為な歌人だが。
歌づくりの手腕に長けながら、夭折した者の無念さを偲びたい。
さて、4人は阿武隈の流れに出会って、何を思ったろうか?
ヤマトの者が、南の地から北を目ざし。シラカワ越えにより、蝦夷地・陸奥<みちのく>に入る。
その時・そこで抱いた第1印象は、どうだったろうか?
筆者はヤマトの民に当るかどうか不明な存在(=東北に生まれ育った)であり、自らに問うことのできない立場なので、拘りだとしても 殊更気になる。
ここでは、「おくのほそ道」から、みちのくの地での最初の句作を掲げ、結論に至る手がかりとする
   風流の  はじめや奥の  田植え唄
さて、主題に戻ろう
芭蕉の句が創られた土地は、須賀川であると言われる。
芭蕉が通りかかったその時、その地はまさしく 春の一大行事「田植え」の真っ最中であった。
当時の田植えは、地域を挙げて、全住民が田地に会する「おまつり」であった。
風流とは、あらゆる男女が出会う・また格別の機会でもあった。
最後に、阿武隈川のデータ周辺を語る。
筆者の手元にある地図帳の付録によれば、流域面積においてランク11位<5,400平方km>・幹川長さ<219kmと239kmを併記しておく>において第6位となっている。関係県域は、宮城・福島の両県となっている。
筆者が独自に展開する全流方位措定線だが、河口が宮城県亘理町荒浜・源流が三本槍岳<1916m。栃木・福島県境にある那須山地に属す>との前提で目測すると。河口から源流が、ほぼ南西の224度。源流から河口は、ほぼ北東方向に当る36度であった。
因みにシラカワ越えと書く背景だが、かつて筆者が2度訪ねた「しらかわの関」跡も別々の場所に離れてあった。
その地で、初めて、源平咲きの桃の花を見た。
郡名の表記もまた、2通りに区分されている。
東白川郡西白河郡 『かわ』の文字が異なる。