イカリ肩ホネ五郎の病床ネボケ話No.1

この年、春から初夏にかけて、ある総合病院にお世話になった。
時期が来て退院を迫られ。症状の方も、当初の危機的データを脱したので、已むなく自宅に戻った。
病院退去から3ヵ月が経過したので、生還を契機とした記録を作成する事にした。
タイトルは、いささかサイケ調だが。あえて、副題を用意したので。この際、披露しておこう。
副題は、題して。
ある老人の病床学入門編
とした。
ある老人が、死を覚悟して入院したが。約75日の病床滞在の後、障がい者認定を見返り?に生還を果した。
この5月20日県から身体障碍者手帳の交付を受けた。
人生70年つまり古希の年になって、獲得した?新しい資格?である。
手帳に記載ある障碍名は、呼吸器機能障碍と書かれている。
予備知識もなく・専門的知識も無いので、これ以上踏込まない。
当分の間、死ぬ事は無いようだ。しかし、その先に控えていた前立腺ガンによる死を免れた代償?として、入院中に背負わされた酸素吸入を半ば義務づけられた生涯も、かなり重いものであるらしい。
昼も夜も。ウシのように鼻環を付けた生活だが、モウとは啼かないことにしている。
酸素吸入を続ける、その重さだが。
酸素供給の処方(=単位時間当りの供給量)〜濃縮装置の設置まで。すべて主治医の診断判定に基づいて、関係組織が動き出す仕組になっている。
入院中は、夜も昼もベッドに居て。常時鼻環を付けていたが、退院して自宅に戻ったら。病院設置型の小型サイズの在宅時用の酸素濃縮装置が、自室の片隅に置いてあった。鼻環の禁固刑は、当分継続しそうだ。
入院先から自宅に移動する間は、医療用酸素ボンベ=携帯型供給装置が車の中に積まれてあった。
酸素供給システムの全ては、医師の処方で動くから。イカリ肩ホネ五郎が、仮にいつか旅行をしようとすると。まず医師に説明をして、旅行の必要性と可能性について、了解を取付する。
その後、据付型酸素濃縮装置を移動先の宿泊予定ホテルに配置し・移動途中の医療用酸素ボンベの交換(=空になったものを引取ってもらい・充填済みのものを受取る)を経由地のどこかで行なう段取りを手配する。そんな悠長な仕組であるらしい。
さて、その医療用酸素ボンベの重さだが。自前の登山用ザックに収納して背中に担ぐが、約5kgある。
筋力増強のリハビリに通い始めて、もう2ヵ月経過するが。重さの感じ方は、日々異なる。おそらくその日の体調か?心のありようの反映であろう?
最後に、家政経済が負担する重さだ。
酸素供給関連費用総月額¥76,800円の一部を、各人の負担割合に応じて請求されるはずだが。イカリ肩ホネ五郎の場合、医療限度額適用とか・負担額減額認定の適用など。あまりに制度が複雑過ぎてよく判らない。退院後負担額が増えたような実感が無いから、行財政がかなりカヴァーしてくれているのであろう。
居間に置いてあった登山ザックから、空になった酸素ボンベが、少し顔を出していた。それを見て、ある来客が、のたまった。
「相当珍しい出物を手に入れたようだな。さっそく飲ませろよ」と・・・・
なるほど、古めかしいザックから、これまたどちらかと言うと汚らしい包み紙のようなものに包まれた黒い肌の鋳物が顔を出している。なで肩の所なんぞは、ヴィンテージもののガラス古瓶だ。VSOPナポレオンのように見えないこともない。
イカリ肩ホネ五郎が、にやりと笑って。やおら、取出すと。
小型爆弾に見えたらしい。ギョッとなっている。
この発想は戴いておこう
何時の日か 酸素ボンベに純米吟醸を注いで旅に出よう