寄せては返す館主専用

彼女は優しく、しかし確信をこめた口調で言った。
「正しい部分も悪い部分も含めて、あなたのすべてを許容します」

「アイの物語」(p.385) / 山本弘

eye loves you この日記をアンテナに登録する RSSフィード |C | 504697
この日記のはてなブックマーク数

2006/12/14(Thu)

[] 夏侯淵は官渡の戦いで特にコレといって活躍してない

夏侯淵伝にこうある。(ちくま訳。2巻p.144)

(前略)袁紹と官渡で交戦したときには、督軍校尉を代行させた。袁紹が敗北したあと、兗州、豫州、徐州の兵糧を取りしきらせた。当時、軍には兵糧が乏しかったが、夏侯淵が絶ゆることなく輸送したため勢いをもりかえした。

「督軍校尉を代行させた。」のあといきなり袁紹が敗北していて、肝心の官渡の戦いで何をしたのかが書いてない。確かに袁紹が敗北したあとも袁家との戦いは続いているが、袁紹を倒したあとに兵糧を運んだのが夏侯淵にとっての最大の戦果であるなら夏侯淵は官渡の戦いでは特にコレといって何も活躍していないということになるのではなかろうか。

話は変わって、2巻p.145。

雷緒が撃ち破られると、また行征西護軍に任じ、徐晃を指揮させ、太原郡の賊徒を攻撃させた。

とあるのだが、徐晃伝を見ると前後には満寵と関羽討伐したとか曹仁とともに周瑜を攻撃したとかあるのに「太原の反逆者を討伐し、」(3巻p.233)というところは夏侯淵の名前がない。あくまで指揮であって一緒に戦ったわけじゃないから?

徐晃は当時横野将軍だったとあるが、行征西護軍は横野将軍よりも偉いのかしら。

けっきょくよく分からなくなってきたので、続かない。

2005/10/22(Sat)

[] キーワード献帝

「字は伯和」とは『後漢書』の注に引く『帝王紀』にあるが、なぜ次男なのに長男を意味する「伯」が用いられているかは分からない。『帝王紀』の誤りかもしれない。なお『後漢書』に本紀が立てられている皇帝のうち本文中に字の記載があるのは光武帝だけのようだ。皇帝の字は一般には知られないものなのだろう。

って書いたけど、あまり自信がないので詳しい方がいたら直しておいてください。

「なぜ『伯和』なのか」について一応ググってみたがそもそもこれを問題にしている人がネット上に見当たらなかった。どうでもいいのか、やっぱ。

2005/08/20(Sat)

[] 大学入試の試験官たちが絶賛した作文

よくできたいい話だ。三国志(というか三国志演義)の中にこういう話があると言われても信じるかもしれない。実は「捜神記」の中にあるよなどと言われたら疑いを持たない(実際、「馬の言葉」が分かる名士って捜神記に出てきそうだし)。

でもなんでこれで試験一発合格? みんな大好き関羽様だから? などと思ってリンク元を見てやっと分かった。

練達の古白話体を駆使し、明白流暢、煌びやかな文才いろどりを呈し、老練な技を極めた言葉の底力

古白話体で書かれてるというところが一番の肝なのか。そりゃ和訳された文をいくら眺めても分かるはずもない。かといって原文(中国簡体字)を眺めてもどこがどう優れているのかオレにはさっぱり分からないけど。

0000 | 00 |
1982 | 08 |
2003 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2004 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2005 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2006 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12 |
2007 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 | 12 |
2008 | 06 | 11 |
2009 | 01 | 02 | 04 | 05 | 09 | 12 |
2010 | 03 | 05 |
2011 | 01 | 05 |

wisdom - eye - affection