邂逅

二輪の荷車に持って出る物をすべて積み、一番よい布団で覆って縄で巻いた。もう夜半だった。せむしは仕舞に庭の穴があったところへ行き、じっと見下ろした。眼を閉じた後の顔が浮かび、眼の開いた顔が浮かび、着物を被せる前の顔のはっきりしない骸が浮かんだ。拳に中った肉と骨の感触は手に残っている。女の顔が浮かんだ。声は浮かばない。背中を激しく摩られた手の感触は強く残っている。とにかくあれは厭だったのだという気が背の裏あたりの宙に強く残っている。あの手は厭だった。だが俺の拳は厭などというものでなく激しく苦しかったろう。
苦しめたかったわけではないが、苦しんだならば、苦しかったろう。一瞬、女が苦しさの始まりのその瞬間に感じただろう恐ろしさが、自分の内に矢となって射し入り、どこぞを穿ってすぐに消えた。すまないという気はまるで起きないが、気の毒だという気がひたひたと湧いてきた。
せむしは穴をじっと見下ろしたまま、おや、と感じた。骸から遡っていくうち、ついに生者の精に触れた。用を言い遣って訪ねた家に、遣いにやった当人がなぜか先に居て、ああ来たかという顔をこちらに向けられたような。そんなとき人は一瞬ぽっかりと前後がわからなくなり、我知らず笑ってしまう。せむしは笑った。

見て触れた後、せむしは相手を焼くより埋めてやりたくなった。焼き終えるまで立ち会えない。庭の隅に、野菜を筵にくるんで冬の間埋めておく大穴がある。女の着物から一番佳いものを見つくろい外衣のように着せてやり、相手を穴へと運んだ。土で穴を埋め、その上をきれいに均した。
空の鉢の室に戻った。骸は骸でなくなったが、鉢はやはり鉢のままだった。相手は埋めたのだから、もう無理に燃さなくともよい、人目を集めて出にくくなるであろうし、しかし鉢のある家に居続ける気はしない。今晩には遷る。

骸と鉢を忘れて居たのはほんの一時だったが、不思議にせむしの気分まで遷っていた。あれはまだ在ったのだった。どうでも触らければならぬなら陽が落ちる前がいい。遅くとも明日には造った荷とともに動きたい。
外の陽は傾きかけている。せむしは立ちあがり鉢の室に入った。着物を山をじっと見た。
この下に在るもののために、初めての掛りごとに掛りきりになった。面白い。生きている者に、遷るから一緒に来いあれこれを持て早く早くなどと指図されたのだったら不満の他になにも無かったろうが、黙ってそこにただ在るだけの骸ひとつが自分を忙しくしかも面白く動かしている。
骸を見ないために被せた着物の山が、塚のように見える。塚の下に在るものはもうほとんど骸ではない。動かず何も言わないが、塚の下から生者以上のゆたかさでこちらの意に働きかけてくる。だがこちらの働きに意を返しては来ない。せむしにはそれが好ましい。
ふと、どんなふうだったろうか、と思った。せむしは塚の上のほうを開いてみた。最後の一枚を取りのけ、あの顔を見た。眼は開いていた。これは数十日は脳裏に厭に浮かぶな、と思いつつ、やめておくのだったとは思わなかった。その眼を自分の手でふさいでやると、首から下の厚着の山が異様に見えた。着物をすべて横に除けた。取り除けた後、さきほどまで燃すつもりだったことを思い出した。

遷る

室を燃やせば家も焼ける。たいがい焼けてもよいが、すべて焼けては困る。
自室に戻り、ぐるりと見回した。さしあたって寒い思いをせぬだけの衣服と布団が要る。替えは幾枚持つか。履きものは。紙を一枚置けるだけの小机、あれは手放したくない。二輪の荷車を使うか。馴染んできた書き物は。筆やら小刀やら鋏やら。針と糸と。すぐには要らぬが、捨てて行ってわざわざ買う気はしない。
何も無いと思っていた自室に、思いのほか物が在る。惜しいと思ったことのないものが、焼けるとなると思いのほか惜しい。
せむしは小机に一枚紙を出し、持って出ようと思うものを書いていった。ふと思いつき、もう一枚紙を出し、要るか要らぬか考えずに目に付くものを書き並べていった。そうして一枚からもう一方へ、これは要るか要らぬか、要らぬとしても自分には惜しいか、ちょくちょく迷いながら物の名を写していった。
最後に、金を持って出ることを思い出した。自分の財布に幾らもないことはわかりきっているので、女の室に入り財布を取ってきた。しばらく宿に泊れるほどの額ならば入っていた。これまで自家の財力には無頓着だったが、家と家財が焼けると決まったいまは、多く無いことは心許無い。金は他には無い。
「金目の物」という言葉が浮かんだ。その言葉がいまは明瞭に解る。こうならなければ解らない。
せむしはしばし、うんざりした。一枚の紙から他方の紙へ、自分の持物を余さず検めて要るの要らないの惜しいの惜しくないのと寄り分けていく作業は、無性におもしろかった。床に貨幣をきちきちと並べて数え、これで食いつなぎながらどのあたりへ行こうかと想い廻らすことも、妙におもしろかった。だが、いまから家探しして金目のものと金目でないものをいちいち書き写し、書くだけでなく持ちだす算段をせねばならぬのは、どうにも面倒の感が先に立つ。
わざわざ運ぶなら食い物と酒のほうが俺はだいぶ嬉しい、と思ったところで、せむしはにやりと笑った。遷る荷造りのあまりの面白さに、骸のことも鉢のことも、きれいに忘れていたことに思い至った。

荼毘

陽が落ちてからは他家の軒下で眠り、陽があるうちは戻って鉢の隣の自室で座ってみることにした。
三度目の昼、この勤めでは狎れるより骸が砕けるほうが早い、と思えた。そこで、女の室に入り、箪笥から女の着ていたものを幾抱えも出し、鉢の室に運び入れて骸に何重にも被せ、その上からじっと見下ろしてみた。死んだままの骸がある鉢の隣にじっと座るより、自分の手で衣を被せた亡骸をすぐ隣にじっと見るほうが、怖ろしさは弱まった。
やがて、このまま燃せば済むのだと気が付いた。床も柱も壁も屋根も斧割るまでもなく薪になる。この鉢は洗えず川にも流せぬが、鉢ごと燃せるのだった。

狎れ

せむしは骸を見ること触れることを怖れる心を持っていたので、殺す意をもって人を打つところまでは平然と進んだが、相手が触れても温かくない骸になったところで窮した。まずは室を出て、次に家を出た。骸の在る室は鉢に思えた。室は他にもあるが、鉢を捨てられず置き放しの家に居続けることは気味が悪かった。家は他には無い。
そのままにはできないが、と考えてみたが、考えて解ることではない。そのうち、これは狎れるしかない類のことと見切った。狎れた頃合いを見計らい、骸をどうにかすることにした。狎れぐあいによって運ぶ先が川になるか山になるか決まるであろう。
どうしても狎れなければ、誰かに知らせて運び去ってもらうしかないが。知らせるだけで用が済む者といったら、せむしには役人しか思い浮かばなかった。他に仕様がない。骸があまり砕けないうちに決めねばならぬだろう。

骸を見ることが恐ろしい。大きな生き物ほど恐ろしい。動かないが動くかもしれないから恐ろしいのか、動かないうえにもうけして動かないから恐ろしいのか、わからない。骸と共に居ることより、それを見なければならないことが恐ろしい。むろん触れることは気味が悪い。
喰うために取られた卵と釣られた魚と切り分けられた肉は、骸ではない。