食欲根源論と情報排泄


 自分じゃ買わないようなものを仕事で買うのは、中々楽しいですよこれなんですかこの山w まあ何に使うかはおいおい・・・


 先日、通っている広告学校の先生が新説として唱えていたのが、「消費は出し入れのカタルシスで出来ている、食事のようなものだ」というやつで。お買い物中毒な人はたくさんいて、買う事によってその人の心が満たされるというのも真実の一面だと思う一方、同時に排出・発信欲がフラストレーションとしてたまっていて、大掃除とかいらないものを一斉に捨てたときの清々した感じも、ドーパミンが出てんじゃないかと。人の消費欲って「いかに獲得するか」ではなくて、「いかにサイクルの量・頻度を自分の気持ちいいものにメインテインするか」なのではという。まあ”消費”って消し費やすわけだから字面もそうだし。


 食事に置き換えて考えると、この不況はみんなが「食欲減退状態」に陥っているという解釈になるのですが、食欲の絶対量が減っているのか、何かに代替されて満たされてしまっているのかと考えた時に、師曰く、「情報の出し入れの過剰な肥大化」で、おなかいっぱいになってんじゃなかろうかとね。ツイッターも情報発信なんていう大げさなものではなく、ただの”思いの垂れ流し”だと捉えると、排泄の気持ちよさと大して変わらんと。ある特定の他者に対して、相手に伝わる事を配慮した上で情報発信するという性質よりも、現状では、「言いたいことを自分の外に排泄して気持ちいいと感じている」という方が、みんなの中でのツイッターのぶっちゃけた価値なんじゃないかと。情報爆発で食べる方はもうこれ以上食べられないくらい便利になり、次に出てきたのが情報の下水設備というか、出すインフラも整った。出すことを想定すると、より食べる意欲も増しますよね。バスに乗る前はあんまり水を飲み過ぎないように気をつけるのの逆で。そんな”情報の食事”にまつわる環境が一気に便利にきれいに整ったことによって、益々金銭の授受を伴う「財の出し入れ」欲は代替されていってしまうのではと。


 まあ子犬がうんこ食っちゃうのを見て発想したらしいんですけどw 実に興味深い。分かる気がするし。じゃあそこで何に価値を見出して、どうビジネスとしてドライブさせていく鍵を見つけ出すかが我々のお仕事なんですけど。日々悩んでいこうと思いますですはい。