物書く筆漫ろなれど


 なんか、忙しい。一年目のときに先輩に、あまり忙しいオーラを自ら出しているとよくないと言われたことを思い出す。うちはそういうのすぐに出る、というかなんならわざと3割増しぐらいで自分から出すくらいの怠けもので、基本許されるのならば寝て暮らしたいとすら、本性の部分では思っとるんじゃないか。そんな怠けもの長期休暇なんか手渡した日には、完全に毎日毎日の境目が溶解して、はて今日は何曜日でありんすか?分からない分からないとなって、ただ朝から蝉がうるさいときもあれば、寒さで布団から出れないときもあれば、花粉症でそれどころじゃない日もあれば。そして昼ごろにいいともメンバーで曜日を把握するという、そのような大学生でしたついこないだまで。そう考えると、まあよくもあとちょいで2年間、朝コンスタントに起床して会社に馳せ参じるという奇跡を繰り返してこれたと思い、初めて自分で自分をほめたいと思います。そうそう、だからね、秋が一番好き。脈絡ないけど。


 ただ一つ取り柄があるとすれば、どうやらうちは物を書くということをなんら苦しいと思ったことはない。いや、それはいいすぎかな。生みの苦しみは重々承知の助ですがそのうえでも、文章を書くことに苦がない。内容の巧拙がさておき。中学の頃からそれはあって、もちろん論文とかいわれてしまうと、ものを書くというところにたどりつくまでのスタデイが大変で大変で、それは好まないのだけど、いざ筆をとってものを書くという段に至ってしまえばもうこちらのもの。本番にしか興味がなく前戯が億劫な甲斐性なしなわけだと思っていたのですが、どうやら論文において本番とはすなわち真理にたどりつくまでのプロセスであって、文章とは伝達手段に過ぎないと。ああじゃあしょうがない。


 書くことによって考える、考えながら書くことが好きなので、エッセイが好きです。読むのもね。小説も嫌いではないのですが、うちは小説の中のフィクションな人物よりも、どうやらそこにその人を存在させようという考えに至ったプロセスのほうが興味ぶかくて、つまり著者に興味がある。だから小説も出しながらエッセイも出してる人とかのそれを読むのはすごく面白いと思いませんか。


 これといった夢も持てずはてもうすぐ四半世紀生きたことになるのですが、本は出したいのです、しぬまでに。そこから逆算して、本にできるだけの素材としての人生でありたいと思うわけです。その割には保守的でつまらん人生ではないかといいたいお知り合いもいるかもしれないけど、大切なのは日々の心の機微であって、同じものを見ても人は感じることが違うわけでそこが面白い。そんな面白いアンテナは失いたくないのですが、社会とは怖いものでやれ効率やれお金と、まあ比較的そういうことを求められない会社に入れていただけたとは思うものの、生活に変化がないのは心を枯らす。どうやって子供の心を忘れずに、ヘンタイの自分も大切にしながら、強くしなやかにエロくいれるかということを考えていて。それが会社人3年目のほーふでしょうか。


 4月になったら、なにをやろうか。もう先手をどんどんとって動いていく年度にしたいのね。とりあえず、最初は一人でもいいから動く。そして動くから、動かすへ。予定もね、やりたいことどんどん入れちゃって、もっと早く退勤するのね。もちろん、やるべきことをさばいたうえで。反応反射音速光速。そしてどかんと有給使っていなくなって。そういうちゃらんぽらんな社会人に私はなりたい。4月になったら、お休みをもらおうと思っているので、なにか書こうと思います。インテルに応募しようかどうしようか。ライカのカメラはほしい。

 

もものかんづめ (集英社文庫)

もものかんづめ (集英社文庫)

生きるコント

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そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります

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