鼻づら主義者と耳しっぽ主義者…越えられない壁なのか?(10)

本論 〜 鼻づら主義と耳しっぽ主義の分析

第四章 で、鼻づらや耳しっぽは何を表しているの? 〜 象徴の問題

 前章で述べた通り、耳やしっぽはある意味において象徴的であると考えられる。
 すなわち、耳やしっぽは動物の象徴的な部分(パーツ)であり、耳やしっぽの付与は、動物のもつ、一定の属性の付与を意味する。
 動物の持つ属性とはなんだろうか。荒々しい野生の獰猛さ、均整の取れたしなやかな優美さ、人間のように複雑でない血縁的社会構造にみられる単純な親密さ、知能における単純さ、又は「動物的」本能など、様々なものが挙げられる。
 その中でも、耳やしっぽは、そのキャラクターが可愛いネコやイヌのような存在であるということを示すために用いられることが多いと思われる。すなわち、耳しっぽキャラは動物的な「かわいらしさ」の象徴として耳しっぽを備えているのであり、動物性は、作品において「かわいらしさ」のために表現される。

(注)例えば、「願いごとは三回」において、ヒロインの木場りくは、耳しっぽ状態の自分を中途半端として嫌っているが、保護者の男性は「かわいい」と評価している。(喜多尚江「願いごとは三回」)