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2013-08-31

四天王寺

四天王寺は、大阪市天王寺区四天王寺にある寺院。
日本書紀にも見ることができる古刹です。

 四天王寺は今から約1400年以前、推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立された日本仏法最初の官寺である。太子が当寺を創建されるに当っては敬田、悲田、施薬、療病の四箇院を構え、以って鎮護国家道場としてまた済世利民の実践所として物心両面の救済により平和国家の樹立と文化国家の荘厳をはたされ、その意味で当寺が政治外交上の中枢となったのみならず美術工芸産業等あらゆる方面に於て日本文化の発生地となったのである。それ以後、当寺は太子の偉業をついで教学伝道等本来の使命達成はもとより社会教育・福祉事業・仏教の興隆等の充実につくして現在に至っている。
 当寺の寺域は33,000坪(約11万屐法堂塔伽藍は創建以後度重なる戦火天災に遭いその都度再建を重ねて来たが常に寺域と伽藍配置は飛鳥時代創建当初の姿を伝え、境内全域が史跡に指定されている。
 昭和20年3月14日の空襲によって七堂伽藍の大半は焼失したが、西門石鳥居、本坊通用門、六時堂、五智光院、元三大師堂、湯屋方丈などの元和(1615〜1624)再建の建築物は戦火をまぬがれ、昭和29年9月17日重要文化財に指定され、中心伽藍は、昭和38年10月飛鳥時代創建当初の様式、結構を再現復興したもので所謂四天王寺伽藍配置の今に在る貴重な遺構として文化史的に優れた価値を有するものである。

リーフレット」より


極楽門
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仁王門
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金堂と五重塔
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太子堂
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南鐘堂
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英霊
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石舞台と六時堂
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大黒堂
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元三大師堂
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2013-08-30

生國魂神社

生國魂神社は、大阪市天王寺区生玉町に鎮座。
式内社摂津国の「東生郡 難波坐生國咲國魂神社二座名神大、月次相嘗新嘗」に比定される。

祭神
 生島大神
 足島大神
 大物主大神相殿神

御由緒
社伝によれば、神武天皇九州より難波津にお着きになった際、現在の大阪城付近(のちの石山碕)に、生島大神、足島大神を祀られたのが当社の創祀と伝えられています。そののち、相殿神として大物主大神をお祀りされています。
当社についての初見は、『日本書紀孝徳天皇(七世紀中頃)に「生國魂社」と記されており、平安時代の『延喜式』には、「難波坐生國咲國魂神社」二座と記され、御祭神は特別に生島巫によって祀られるなど、国家の祭祀(八十島祭)の社として知られています。
中世では当社に隣接して「石山本願寺」が建てられ、そして天正十一年(1583)に豊臣秀吉公が大阪城築城のため、社領を寄進し社殿を造営し、同十三年(1585)に現在の鎮座地に遷されたと伝えられています。
そののちも豊臣・徳川と時代の変遷はありましたが、両家の保護のもとに神域は守られ、以来「難波大社」の尊称をもって広く朝野の信仰を集め、明治には官幣大社に列せられるなど、国土の守護神大阪の総鎮守として人々に崇敬されています。

御社殿
本殿は、「生國魂造」と呼ばれる他に類をみない建築様式であり、本殿と幣殿は一つの流造りでふきおろし、正面の屋上に千鳥破風・すがり唐破風・さらに千鳥破風の三破風をすえたものになっています。
社殿は明治四十五年の「南の大火」、昭和二十年の戦災による焼失、同二十五年の「ジェーン台風」により総檜素木造の御本殿が倒壊し、現在の社殿は昭和三十一年に鉄筋コンクリート造で建てられたものです。

「境内案内(紙)」より


境内図
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鳥居
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社殿
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以下、境内社

天満宮
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住吉神社
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皇大神宮
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精鎮社
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稲荷神社
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源九郎稲荷神社
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鴫野神社
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城方向八幡宮
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神社
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家造祖神社
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浄瑠璃神社
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2013-08-29

廣田神社

廣田神社は、兵庫県西宮市大社町に鎮座。
二十二社の一、延喜式神名帳では名神大社に列せられる。

兵庫県武庫郡式内社廣田神社本社、摂社名次神社摂社岡田(太)神社摂社伊和志豆神社四社でいずれも廣田神社の所管であるという。

祭神
 御本殿
  天照坐皇大御神の荒御魂
 御脇殿
  住吉三前大神
  八幡三所大神
  諏訪建御名方大神
  高皇産霊大神

御創祀
神功皇后摂政元年(201)、国難打破の道を示し、八幡大神の御懐妊を告げ安産を守護し、軍船を導き、建国初の海外遠征に勝利を授けた、廣田大御神の御神誨により、御凱旋の帰途、御心・廣田の國に国土安泰・外難の守護として御創祀されたことが、我が国最古の国史書『日本書紀』に記されています

御沿革
大同元年(806)封戸四十一戸、貞観十年(868)従一位昇叙、延喜年間(901〜923)官幣名神大社・相嘗祈雨の奉幣に列し、全国神社に冠たる二十二社に先立ち正暦二年(991)十九社の一社に加えられ、朝廷より恒例・臨時の奉幣枚挙たることが古記録に残り、明治四年(1871)の社格復興の折には県内で唯一官幣大社に列格しました(明治十八年には淡路・伊弉諾神宮が官幣大社に昇格)明治七年には境内地を分割譲与し末社戎宮総本社西宮神社を独立させています
伊勢大神宮御同体」の兵庫県下第一の御社格御由緒の大社として広く崇敬を集め、中世には「西宮参拝」と称して国家の神事を司った神祇官の歴代長官や公家五山の僧侶たちが度々に亙って参詣し、物語や和歌今様漢詩に多々その痕跡を残しています
武家の崇敬も篤く、源頼朝平氏討伐を祈願し淡路・廣田の庄を寄進豊臣秀頼末社・戎社(現西宮神社)と共に大規模な改築を行い、徳川吉宗は現今の地に遷宮しました
御社殿は、伊勢神宮戦後初の式年遷宮に当たり荒祭宮旧社殿の譲与を受け、昭和三一〜三八年(1956〜63)に神明造にて造営がなされました

御神徳
国民の総親神である天照皇大神は、八百万神々の中でも最高至貴なる、生活の基の衣食住を整えられた祖神にして、特に荒御魂の廣田大御神は、勝運合格・開運厄除・子授安産・交通安全・立身出世などに霊験高き神として万民の崇敬をあつめています
廣田大御神は和歌文学歌謡の神としても崇敬され、勅撰和歌集の撰者である藤原俊成源俊頼和歌に詠み、後白河法皇撰録の『梁塵秘抄』にも廣田神社やその所管社を謡い込んだ今様(当時の流行歌舞)が多数収録され、文学に関わる先賢たちが神恵を受けました

「境内案内」より


鳥居
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拝殿
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伊和志豆神社
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末社稲荷神社、地神社春日神社子安神社八坂神社
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松尾神社
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齋殿神社
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2013-08-28

名次神社

名次神社は、兵庫県西宮市名次町に鎮座。
廣田神社の境外摂社
式内社 摂津国の「武庫郡 名次神社小、鍬靫」に比定される。

祭神
名次大神

御由緒
古来より衣食住に殊の他関係深い水分神を奉斎すると特に雨乞に霊験あらたかなる社であります 御創立の年代は詳かではありませんが、第五十六代清和天皇貞観元年正月正五位下の神階を授けられ、同年九月八日風雨御祈りのため、勅使を参向せられ、幣帛を奉られております
第六十代醍醐天皇の延喜の制大社に列せら、月次、新嘗及び祈雨の幣帛を奉られております 旧本殿は石造りで中御門天皇正徳五年正月再建、又石鳥居は元禄五年の建立であります 名次山はわが国最古の歌集萬葉集巻三に「吾妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ」高市連黒人によって詠まれ、すでに一千二百年の昔より、名勝地として名發現名次町は古昔の名次山であり明治末期まで当神社の境内地でありました
かつて当神社は名次山中央の景勝地に鎮座されていましたが、明治四十一年五月その北端の現位置に移転されました。

「境内案内」より


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2013-08-27

越木岩神社

越木岩神社は、兵庫県西宮市越木岩町に鎮座。
式内社 摂津国の「莵原郡 大國主西神社鍬靱」の論社であるという。

祭神 蛭子大神(えびす大神
当社は東六甲山麓唯一の霊地で天然記念物の森におゝわれ霊験あらたかなり。創立年月不詳というほど由緒古い神社である。しかし西宮神社記録によると明暦二年八月十六日、円満寺教順僧侶「福神」総本社西宮神社を遷し勧請したとあり又、正保年間とも云われている。

甑岩(御祭神厳島大神、俗に福寿弁戝天)
酒造り甑の形に似且つ岩上よりユゲが出でいたとも云われ社名・地名もこの岩より起った。廻り約三十米發欺淑討粘箴綣木生じ神籬・磐境・磐座祭祀(古代祭祀の原形体)の態を成し稀有の霊岩である。
安産や女性守護の神とあがめられている。ちなみに豊臣秀吉大阪城築城の際之を割取ろうとして石匠等皆倒れ臥し如何にしても甑岩を運び出せなかったと伝承されている。

「境内案内」より


境内図
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鳥居
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参道
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社殿
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社殿左手から奥へ
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土社 大地主大神
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岩社
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六甲山社 菊理姫大神
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神社
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不動明王
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甑岩
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稲荷
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伊勢神宮遥拝所
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貴船社(雨乞社)
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岩座(稚日女尊宮)
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2013-08-26

2013-08-25

西宮神社

西宮神社は、兵庫県西宮市社家町に鎮座。
境内社大国主西神社」は式内「大國主西神社小、鍬靫」とされる。

祭神
 第一殿 西宮大神(えびす様)
 第二殿 天照大神 大国主大神
 第三殿 須佐之男大神

 西宮神社は、福の神様として崇敬されているえびす様をおまつりする全国の総本社として広く信仰されています。えびす様は、神戸和田岬の沖で出現され、鳴尾の漁師がおまつりしていましたが、西の方に宮地があるとの神託でこの地へおこしになられたと伝えられています。
その年代は明らかではありませんが、平安時代後期には、すでに文献に見ることができます。
古くより漁業の神として信仰されてきましたが、門前に市が立ち、西宮の町の発展と共に商売繁盛の神様として、又、人形操りなどの芸能や七福神信仰を通して、さらに津々浦々へと広がっていきました。
一月九日から十一日の十日えびすには百万人に及ぶ参拝者で賑いますが、本えびすの十日午前零時に神門を閉じて神職は忌籠を厳修します。そして午前六時の表大門の開門とともに走り参りを行う風習があり、福男が選ばれます。
九月二十一日から二十三日の西宮まつりでは例祭、渡御祭が斎行され、古式に則り海路神戸和田岬へ産宮参りが行われます。
三連春日造という本邦唯一の構造を持つ本殿は、昭和二十年に戦禍にあいましたが昭和三十六年に復元再建されました。
豊臣秀頼公の寄進と伝えられる表大門とその左右に連なる大練塀は国の重要文化財に、えびすの森は兵庫県天然記念物に指定されています。

「境内案内」より


境内図
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大門
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参道
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鳥居
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社殿
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以下、境内社

梅宮神社 酒解神
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児社 児尊
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沖恵美酒神社 沖恵美酒大神
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火産霊神社 火皇産霊神
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百太夫神社 百太夫神
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六甲山神社 菊理姫命
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神明神社 豊受比女命
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松尾神社 大山咋命 住吉三前大神 猿田彦命
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市杵島神社 市杵島神
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宇賀魂神社 宇賀御魂命
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庭津火神社 奥津彦神 奥津比女神
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2013-08-24

大阪天満宮

大阪天満宮は、大阪市北区天神橋に鎮座。
神仏霊場巡拝の道の第50番です。

<祭神>
 菅原道真公、野見宿禰命、手力雄命、猿田彦命蛭子命
<由緒>
 この地は古来より交通の要所であり、大宰府へ配流される菅原道真も、ここから大将軍社(摂社)を拝して船出した。道真没後四十余年の天暦三年(949)、村上天皇の勅願により、大将軍社の森に道真を祀る社が創祀された。以来、社の門前町は、室町時代には連歌所も設置されるなど、商人の文化や信仰の核となり、大阪の原型をなす賑わいをみせた。

神道辞典」より


表門
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社殿
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以下、境内社

八坂社 素盞雄命
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妻社 大己貴大神
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亀吉大明神天満辨財天・鶴姫大明神
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白米社 稲荷大神
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稲荷奥宮
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住吉上筒之男命、中筒之男命、下筒之男命
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吉備社 吉備真備
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八幡社 応神天皇
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松尾社 大山咋神
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霊符社 天御中主神
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十二社
吉備聖霊 早良親王 藤夫人 伊豫親王 火雷神 火産霊神
埴山比売神 天吉葛神 川菜神 藤原廣満霊 橘逸勢霊 文太夫霊
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大将軍
 八衢比古神 八衢比売神
 意冨加牟豆美神 久那斗神

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神明社
 天照皇大神 豊受皇大神

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老松神社
 住吉大神 神功皇后

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白太夫社 渡會春彦
老松社紅梅殿 御愛樹之霊
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2013-08-23

太融寺

佳木山 太融寺は、大阪市北区太融寺町にある寺院。
西国三十三ヶ所、神仏霊場巡拝の道などの札所になっています。

弘法大師嵯峨天皇の勅願によって、弘仁十二年(821)に創建した寺。本尊の千手観音は、嵯峨天皇の念持仏であったものを、当時の創建にあたって弘法大師に下賜されたものと伝えられる。古くは七堂伽藍が整って大いに栄えていたが、たびたびの天災第二次世界大戦の戦火のために、寺域もせばめられ、市中の寺となってしまった。境内には豊臣秀吉側室淀君の墓がある。

古寺巡礼辞典」より


西門
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本堂
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大師堂・護摩堂・宝塔
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2013-08-22

坐摩神社

坐摩神社は、大阪市中央区久太郎町に鎮座。
式内社 摂津国の「西成郡 坐摩神社大、月次相嘗新嘗」に比定される。
住吉大社とならび、「摂津国一の宮」と呼ばれていた時期があったという。

 淀川左岸天満天神両橋の中ほどにあたる八軒屋は、かつて船着場として知られたところだが、古名を坐摩といい、坐摩神社は初めここにあった。祭神生井神・福井神・綱長井神の三井神と、波比岐神阿須波神の二竃神で、総称して坐摩神という。坐摩はしばしば座摩とも書かれ、また音読してザマともいっている。難波宮の宮主神と称され、祭神はもと大和の石上に坐したとの説もあるから、仁徳天皇難波を宮とされたとき創建されたのだろう。座摩神は神祇官西院にも祭られており、その「座摩御巫」のことは祝詞にも見えて、古例では都下国造の童女が御巫に充てられたという。都下国造は明らかではないが、その大和との関係から恐らく闘鶏国造で、坐摩神社神主家渡辺氏の古姓なのだろう。坐摩神社は貞観元年(859)従四位下、延喜神名帳に「西成郡 坐摩神社」とあって大社とされている。中世には住吉神社と縁を深めた。秀吉大阪築城の際、社地を一旦淡路町に移し、さらに現在地に移された。

日本史小百科」より


鳥居
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社殿
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境内社
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2013-08-21

難波神社

難波神社は、大阪市中央区博労町に鎮座。
ウィキペディアによると、摂津国総社とある。(手持ち資料、由緒書などでは確認できませんでした)

祭神 仁徳天皇
 配祀 素戔嗚尊

第十八代及正天皇河内の國丹比(大阪府松原市)に遷都されたとき父帝の仁徳天皇を御祭神として創建されたと伝えられる
天慶六年(943)朱雀天皇のご命令により大江の坂平野(天王寺区上本町あたり)に遷座
豊臣秀吉大阪城築城の後慶長二年(1597)当地に遷座
昭和二十年三月十四日(1945)第二次世界大戦大阪空襲により全焼 その後仮宮によっていたものを昭和四十九年(1974)再建され現在に至る

「境内案内」より


鳥居
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社殿
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[摂社] 博労稲荷
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[末社] 金刀比羅神社 大物主大神
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[末社] 十四柱相殿神
 左:豊臣秀吉公、菅原道真公、楠正成公、徳川家康
 中:豊受姫大神天照皇大神応神天皇
 右:水波能女大神、春日四柱大神猿田彦大神迦具土大神
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2013-08-20

2013-08-19

2013-08-18

聖神社(和泉市)

聖神社は、大阪府和泉市王子町に鎮座。
和泉国三宮
式内社聖神小、鍬」とされる。

 聖神社は白鳳三年(674)、天武天皇の勅願によって信太首が創建したと伝えられ、以降延喜式内社和泉国五社明神の三の宮に列し、「信太明神」の別称でも人々に親しまれている。祭神素戔嗚尊の孫神「聖大神」を主祭神とし、天照大御神他四柱の神々を配祀している。かつての境内地は信太山丘陵の大半約百万坪を有していた。境内には国指定重要文化財である慶長九年(1604)再建の聖神社本殿をはじめ、末社の三神社本殿、瀧神社本殿があり、末社平岡神社本殿は大阪府有形文化財に指定されている。

「境内案内」より


鳥居
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拝殿
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本殿
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[末社] 三神社と瀧神社
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[末社] 琴平神社
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[末社] 厳島神社
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末広大神
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権現大神
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[末社] 平岡神社
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2013-08-17

伯太神社

伯太神社は、大阪府和泉市伯太町に鎮座。
式内社和泉郡 博多神社」とされる。

祭神
 応神天皇
 比弯
 伯太比古命
 伯太比很
 天照皇大神
 小竹祝丸
 天野祝丸
 熊野大神
 菅原道真
 天児屋根命

「境内案内」より


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2013-08-16

泉井上神社

泉井上神社は、大阪府和泉市府中町に鎮座。
式内社和泉郡 和泉神社」が合祀されています。

 当神社は井八幡社・井戸ノ森八幡宮と称されることもあり、国土守護神殖産興業の神として御神徳を示す。
 神功皇后仲哀天皇応神天皇のほか、神功皇后にしたがって朝鮮にわたった神々四十五座を加えた計四十八座を祭神とし、その神像四十八軀を蔵す。
 境内の清水は神功皇后渡韓の途次一夜にして湧出したので霊泉と名づけられ、国名の源となる。
 のち 王子神社八幡神社・菅原神社式内社和泉神社合祀されていまにいたっているが、特に和泉国衛内の神社であるところから和泉総社、(大鳥・穴師・聖・積川・日根の五社合祀)が勧請されて国司以下官人の崇敬をあつめていた。
 総社本殿は慶長十年(1605)豊臣秀頼が建立したもので重要文化財に指定されている。

「境内案内」より


鳥居
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拝殿
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和泉五社総社
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喜田稲荷神社
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勝手神社
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2013-08-15

曽彌神社

曽彌神社は、大阪府泉大津市曽根町に鎮座。
式内社和泉郡 曾禰神社」とされる。

祭神
 饒速日命 伊香我色雄命 素盞嗚尊
 表筒男命 中筒男命 底筒男命 息長帯姫命

更に神社合併により、以下の神社祭神合祀
 森町 村社 日吉神社大山咋神
 南曽根町 村社 菅原神社菅原道真
 北曽根町 無格社 白山神社白山姫大神
 千原町 村社 菅原神社菅原道真
 二田町 村社 二田國津神社(天足彦神・二田物部神・菅原道真
 池上町 村社 池上神社菅原道真
 池上町 村社 上泉神社菅原道真

【創建】
神社明細帳」によると、天武天皇四年(675)に創建され、「國内神名帳」の神位は従四位上であり、社格は村社である。

「境内案内」より抜粋


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2013-08-14

2013-08-13

泉穴師神社

泉穴師神社は、大阪府泉大津市豊中町に鎮座。
和泉国二宮。
式内社和泉郡 泉穴師神社二座」に比定される。

祭神
 天忍穂耳尊
 栲幡千々姫命

 天富貴神
 古佐麻槌大神
 住吉大神
 菅原大神
 戎大神

御鎮座
 天武天皇 白鳳年間(約千三百年前)

 当社は式内社であり、和泉五社の一、泉州二の宮であります。穴師の里、千古の神境に神殿の奥深く鎮まります
 天忍穂耳尊農業の神
 栲幡千々姫命は紡織の神
であらせられ、泉州の地が今日農耕並びに紡織を以て繁栄しておりますのも、洵に御神徳のいたすところであります。
 又、古来より、幼児の虫封じに霊験あらたかと言われています。
 御神像八体、本殿、摂社春日社、摂社住吉社が国の重要文化財に指定されています。

「境内案内」より


鳥居
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社殿
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境内
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塀の中に、
住吉社、穴師天満宮、熊野社、戎社、尓波比社が鎮座していました
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多賀社
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愛宕
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楠木社
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大国主
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八幡
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兵主社
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大歳社
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2013-08-12

高石神社

高石神社は、大阪府高石市高師浜に鎮座。
祭神は、少彦名神天照皇大御神熊野坐三社。
延喜式神名帳和泉国の「大鳥郡 高石神社」に比定される。

 高石神社は、古くは天神の社として知られ、古い歴史があることは「延喜式」の神名帳に高石神社として記されており、大阪湾を西に望む松林に建っています。近くには筆屋という宿屋があって、多くの旅人がここで休息しています。その中には、有名な歌人江戸末期の測量学者伊能忠敬もいます。
 境内は、昔の高師浜の風景を良く残しています。

高石市建て看板」より 
 ※由緒書は、HP記載と同一だったのでこちらを紹介します


鳥居
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社殿
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彌栄神社春日神社八幡神社八坂神社、船富神社
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高石稲荷大明神
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2013-08-11

大鳥羽衣濱神社

大鳥羽衣濱神社は、大阪府高石市羽衣に鎮座。
大鳥大社の境外摂社
式内社「大鳥郡 大鳥浜神社小、鍬」とされる。

祭神
 両道入姫皇女
由緒
謹しみて惟みるに創祀せられしは文武天皇の御代にして慶雲三年に鎮座せられ今日に至るまで実に一二六〇有余年を経たる延喜式内の古社であります
古くより井戸の守大明神と申し上げ尊崇せられてまいりました。境内手水舎の井戸水は古来霊泉として近郷近在より拝載せられて居りました

「境内案内」より


鳥居
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社殿
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井戸稲荷
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2013-08-10

大鳥北浜神社

大鳥北浜神社は、大阪府堺市西区浜寺元町に鎮座。
大鳥大社の境外摂社
式内社「大鳥郡 大鳥神社鍬靱」の論社。

境内入り口
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拝殿
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本殿
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2013-08-09

大鳥大社

大鳥大社は、大阪府堺市西区鳳北町に鎮座。
和泉国一宮
延喜式神名帳大鳥郡の「大鳥神社名神大、月次新嘗」に比定される。

祭神
 日本武尊
 大鳥連祖神

 当社はその起源古く古来大鳥大明神と称せられ延喜式名神大社であり和泉国一の宮である。
 日本武尊景行天皇の皇子にして勅を奉じ熊襲並に東国を平定、帰途伊吹山の賊を平げたとき病を得て伊勢国熊褒野に薨じ給うたが御屍は白鳥と化し御陵を出で大和国琴引原、次に河内国古市にとび最後に此の地に留り坐したので社を創建、之が当社の起源と伝える。
 又、大鳥連祖神は大中臣と元を一にし祖先天の岩戸開きに功を立てた天児屋根命である。
 聖武天皇の御世には僧行基が勅願により神宮寺としてこの地に勧学院神鳳寺を建立したが明治神仏分離により廃寺となり当社は明治四年五月官幣大社に列格
 社殿は大鳥造と称して神社建築史上貴重な様式を今に伝えている。

「境内由緒書」より


鳥居
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拝殿
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中門かな?
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本殿横の境内社
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稲荷大明神
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大鳥美波神社
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2013-08-08

蜂田神社

蜂田神社は、大阪府堺市中区八田寺町に鎮座。
式内社「大鳥郡 蜂田神社小、鍬」に比定される。

 当社の起源は古く、延喜式内社です。当地を原籍とする蜂田連の祖天児屋根命主祭神として祀っています。
 当社は、現在地より西1丁余りの山麓に鎮座していましたが、永禄11年(1568)の三好衆対松永勢の家原城攻防が原因で、現在地に遷宮したと伝えられています。近世では、西林寺を併有していましたが、明治神仏分離令により西林寺は廃寺となりました。なお、明治政府神社合祀策によって、明治43年(1910)、付近の村社6社と無格社2社を合祀しました。
 当社が通称「鈴の宮」と呼ばれるのは、蜂田連が土焼きの鈴12個を作り、毎年春の初めに神前に供え、鈴音の良し悪しでその年の吉凶を占ったという古事によるものです。
 近年は、境内の土を使って12種の占い鈴を作り、節分の日に、古式どおりの鈴占いを行うほか、開運厄除の御守鈴を作り参拝者の求めにより授与しています。

「境内案内」より


鳥居
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社殿
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三ツ峰稲荷
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2013-08-07

日部神社

日部神社は、大阪府堺市西区草部に鎮座。
式内社「大鳥郡 日部神社」に比定される。

 当社は、この地を原籍とする日下部氏の祖彦坐命を祭神として、延喜式神名帳にも記されている古社です。
 明治神社合祀策によって、鶴田村字輪之内にあった日部神社、同字寺山の八坂神社、原田の熊野神社、上村の菅原神社合祀され、現在に至っています。
 本殿は、南北朝時代建築で、向拝等には時代の特徴が見られます。向拝の蟇股には、祭神である牛頭天王にちなんだ牛、左右の蟇股には、唐獅子が彫られています。
 石燈籠(現在は収蔵庫内)は、四天王像、唐草文、牡丹や獅子など豊かな装飾が施されています。竿に刻まれている銘文から、この石燈籠が正平24年(1369)に作られたことがわかります。
 本殿と石燈籠は、国の重要文化財に指定されています。
 神門は、桃山時代の様式を受け継ぐ17世紀前期の四脚門で、平成20年堺市指定有形文化財に指定されています。

「境内案内」より


鳥居
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神門
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社殿
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祖霊社
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2013-08-06

等乃伎神社

等乃伎神社は、大阪府高石市取石に鎮座。
式内社「等乃伎神社鍬靱」とされる。

祭神
本社
 ○天児屋根命
 ○大歳大神
 ○壷大神
 ○菅原道真
 ○誉田別尊
摂社
 ○宇賀之御魂神
末社
 ○天御中主神

縁起
古事記下巻仁徳天皇(313〜399)の段に記載されている兔寸河(ときがわ)のほとりの巨木説話から、この地が、古く先史時代の樹霊信仰と、高安山から昇る夏至の朝日を祭る弥生時代の農耕氏族の祭祀場、つまり太陽信仰の聖地であったとされています。

●その後、奈良時代天平勝宝四年(752)五月、古代祭祀を司る中臣氏の一族、殿来連(とのきのむらじ)竹田売が祖神天児屋根命をこの地に奉祀し、大政大臣藤原武智麻呂、その子大納言恵美押勝藤原仲麻呂)が相次いで、この里に来住したと伝えられています。

「境内案内」より


鳥居
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社殿
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稲荷
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祓宮
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2013-08-05

信太森葛葉稲荷神社

信太森葛葉稲荷神社は、大阪府和泉市葛の葉町に鎮座。
和銅元年(708)に創建されたという古社。

信太森葛葉稲荷大明神と申し奉るは(日本書紀神代の巻)保食神之なり。
掛巻も畏き保食神天照大神の御神勅を給はり種穀養蠶又天津日嗣を始め奉り天下萬人に衣食住の道を教へ蒼生の末の庁葉に至るまで飢を養い世を賑はしめ給う大神なり。
天下萬民誰か一日として此の大神の御徳を仰がざらん。
和銅元年旧二月初午の日に元明天皇は此の森に御鎮座まします大神を奉りて祭事を為し給うて以来、世人は此の森を信太森と稱して稲荷大神第一の御命婦神白狐の棲と言い伝えり。
晴明伝には稲荷大明神御命婦神若宮葛葉姫大神を奉るとある。保名物語には葛葉姫子別れの古記段も此の神社と言い伝える。
白狐口に筆をくわえて書き残したのが世に有名な左の一首である。

恋しくは尋ね来て見よ和泉なる
信太の森のうらみ葛の葉

「境内案内」より


境内図 かなりの数の境内社が鎮座する
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鳥居
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社殿
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御神樹
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2013-08-04

生根神社

生根神社は、大阪市住吉区住吉に鎮座。
式内社住吉郡 生根神社大、月次新嘗」に比定される。

祭神
 少彦名命
御由緒
御創立は不詳なるも延喜式の神明帳(十世紀前半)において当時の式内官幣大社に列し古来有名大社であった。豊臣時代には淀殿の崇敬社にて片桐且元が奉行して現在の御本殿が寄進された。古伝によれば少彦名命は造酒の祖神であり、神功皇后も当社で酒を造り住吉三神に献ぜられたとある。又別名「奥の天神」は住吉大社の奥の天満宮を称したとも云われ、一説には沖の天津神少彦名命)から出た名称とも云われている。

「境内案内」より


境内入り口
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社殿
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以下、境内社

稲荷
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種貸神社
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神社
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龍王社
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天満宮
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天浄大神
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2013-08-03

住吉大社

住吉大社は、大阪市住吉区住吉に鎮座。
摂津国一宮二十二社の一。

延喜式神名帳住吉郡の「住吉神社四座名神大、月次新嘗相嘗」にあたる。
また、境内摂社「大海神社」「種貸社 」「船玉神社」、境外摂社大歳神社」も式内社

祭神
 第一本宮 底筒男命
 第二本宮 中筒男命
 第三本宮 表筒男命
 第四本宮 息長足姫命 神功皇后
御由緒
底筒男命 中筒男命 表筒男命の三神を総称して住吉大神と申し上げます 住吉大神の「吾が和魂をば宜しく大津渟中倉長峽に居くべし 便ち因りて往来ふ船を看む」との御神託により 神功皇后がこの地に御鎮祭になりましたのが 皇后摂政十一年辛卯の歳(西暦211年)と伝えられています
御神徳
住吉大神伊弉諾尊の禊祓に際して海の中でお生れになった神様でありますから 禊祓 海上守護の御神徳を中心とし 古来産業 文化 外交 貿易の祖神と仰がれ 常に諸願成就の名社として広く普く崇敬されています
御社殿
第一本営より第三本営までは縦に 第四本営は第三本営の横に配列奉祀され 各本営ともに本殿は住吉造として神社建築史上最も古い様式の一つで 妻入式の力強い直線形をなし 四本殿よも国宝に指定されています

「境内案内」より


鳥居
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反橋(太鼓橋)
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住吉鳥居
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境内
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第四本宮
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第三本宮
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第二本宮
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第一本宮
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以下、境内社

境内、北方。

大海神社式内社
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志賀
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種貸社(式内社
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海子社
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児安社
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境内、東方
星宮
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后土社
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五社(神奴社 大宅社 睫攫辧δ甜辧々社・板屋社 大領社)
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招魂社
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薄墨社
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斯主社
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今主社
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八所社
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新宮社
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楠〓神社
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貴船社
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立聞社
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本殿付近。
楯の御社の対に矛の御社があるが撮り忘れました。。

若宮八幡宮
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楯の御社
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境内。南方。

龍社(御井殿社)
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船玉神社式内社
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市戎社 大國社
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続いて、境外社。
境内から南方に少しいった所に鎮座。

浅澤神社
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大歳神社(式内社
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おいとしぼし社
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2013-08-02

今宮戎神社

今宮戎神社は、大阪市浪速区恵美須西に鎮座。
神仏霊場巡拝の道の第45番です。

祭神
 天照皇大神
 事代主神
 素戔嗚尊
 月讀尊
 稚日女尊
例祭
 一月十日
由緒
當社は推古天皇の御宇御鎮座以来市場鎮護の社と広く崇敬され特に大阪近世商工業都市に発展するに伴い其の唯一の守護神として親しまれ社運も亦興隆したのであります なかでも例祭は俗に十日戎と呼ばれ江戸時代からすでに大阪年中行事の一つに挙げられており今日に到るも尚変りなく愈々盛大になっています

「境内由緒書」より


鳥居
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社殿
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大国社
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2013-08-01

阿部野神社

阿部野神社は、大阪市阿倍野区北畠に鎮座。
神仏霊場巡拝の道 第44番です。

 御祭神 北畠親房公 北畠顯家公
 御祭日 一月二十四日

北畠親房公は殊に後醍醐天皇の御親任が厚く「後の三房」と称された一人である。後醍醐天皇の吉野御遷幸の後は、吉野朝の中心人物として伊勢、あるいは常陸において、京都回復の計画を進められた。後醍醐天皇崩御後村上天皇帝王学の教科書として、常陸国の小田城で『神皇正統記』を著した。後、吉 野に帰り、後村上天皇を助け奉り、三后に准じられたが、正平九年(1354)四月十七日病にて薨じられた。御年六十二歳であった顯家公は親房公の御長子で、元弘三年(1333)八月陸奥守に任じられ、同十年義良親王を奉じて陸奥へ下向され、奥羽は忽ちにその威風に靡いた。延元元年、足利尊氏が叛すると、上洛して九州に敗走させたが、延元三年(1338)京都回復のため再度上洛して五月二十二日御年二十一歳で戦没された。
現在地は顕家公が足利軍と戦った古戦場明治十五年一月阿部野神社と号して創立、同二十三年三月鎮座祭が斎行され、別格官幣社に列せられた。現社殿は昭和四十三年に再建されたものである。

「境内由緒書」より


鳥居
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社殿
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御魂振之宮(奥宮)
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旗上稲荷
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祖霊社と勲の宮
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