貴船神社

貴船神社は、京都市左京区鞍馬貴船町に鎮座。
延喜式神名帳愛宕郡貴布禰神社名神大、月次新嘗」で二十二社の一。

本営

御祭神は高龗神。水の供給を司る神。
創建年代は明らかでないが、第十八代反正天皇の御世に奥宮の水の湧き出すところに社殿を建てたという御鎮座伝説がある古社。対岸鞍馬山鞍馬寺は、平安初期の延暦十五年(796)藤原伊勢人が貴船明神の夢のお告げで建立したと諸書に出ているので、その当時すでに貴船の神は大きな力を具えていたことがうかがえる。永承元年(1046)七月の水害で奥宮が被災、天喜三年(1055)四月この地に本社を移築した。京都に都が開かれて当社は国の重要な神社となり、事ある毎に勅使(天皇のお遣い)が差し向けられた。特に当社には、日照りの時には黒馬を、長雨の時には白馬を献じて「雨乞い」「雨止み」の祈願がこめられた。「その数数百度に及ぶ」とある。平安時代の勅願社二十二社の一社で、延喜式名神大社。庶民の崇敬も篤く全国に二千社を数える分社がある。
古くは「貴布禰」と記したが「黄船」「木船」「木生嶺」「氣生根」などの表記も見られる。明治四年官幣中社となり、以後「貴船」の表記で統一された。

「境内案内」より

鳥居

参道

社殿

[末社] 白髭社

[末社] 祖霊社

[末社] 牛一社

[末社] 川尾社

[末社] 鈴鹿


結社〜

御祭神 磐長姫命

神武天皇(初代の天皇)の曾祖父にあたられる瓊々杵命が、木花咲耶姫命を娶らんとする時、父の大山祇命が姉の磐長姫命も共におすゝめしたが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾こゝに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。
古くより縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が篤く、平安時代の女流歌人和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。
和泉式部の歌碑がこの上の境内に建っています)
昔はスゝキ等の細長い草を、今は「結び文」を神前に結び付けて祈願する習わしがあります。男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んで下さる神様です。

「境内案内」より

結社鳥居

結社(中宮

天の磐船

[末社] 林田社・私市社

相生の杉


奥宮

 当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、水や雨を司るかみ「高龗神」である。
 社伝によれば、「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、玉依姫命神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。
 境内の本殿横には、この伝説にまつわる「船形石」があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされた。
 また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861〜1863)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落したところ、一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。
 なお、当社境内周辺には、昭和六〇年(1985)六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が多く見られ、自然遺産の宝庫でもある。

「境内案内」より

参道

神門

境内

拝殿

本殿

[末社] 日吉社

[末社] 吸葛社

[末社] 鈴市社

御船形石


貴船口駅

[末社] 白石社?(川を渡る場所が分からず。。

[末社] 梅宮社