御蔭神社

御蔭神社は、京都市左京区上高野東山に鎮座。
賀茂御祖神社(下鴨社)の境外摂社。

式内社愛宕郡 小野神社二座」の論社。

 この社地は、太古鴨の大神が降臨された所と伝えられているところから御生山と呼ばれており、東山三十六峰第二番目の山である。
 さらにまた、太陽のただ射す所、即ち、御蔭山とも呼ばれそれに因んで社名ともなった。
 御祭神は、御本宮賀茂御祖神社の御祭神の玉依媛命賀茂建角身命、二柱の荒魂を奉祀されている。
 現在の社殿は、元禄六年(1693)、御本宮式年遷宮の際に造替された。
 それまでは、現在の本殿北東の麓に鎮座されてきたが、地震等の災害に依って殿舎が埋没したため現在の地に御動座になった。
 天武天皇六年(677)、山背國司が造営したと伝えられる賀茂神宮は、当神社であろうとの説があるとおり、この地は、古代から山背北部豪族の祭祀の中心地であり、近隣には、数々の遺跡が存在する。
 毎年、賀茂祭葵祭)に先だって五月十二日には、御蔭祭(御生神事)が当神社で行われる。当日は、神馬に錦蓋を飾り、神鈴を付け、鉾、太刀、弓、楯などの御神宝を捧げ持ち、社殿には阿礼(あれ)を掛ける。数多くの供奉者は葵桂をかざし、本宮を進発した行粧は、この社に到着する。社前において、午の刻、御神霊は神馬に移御になり、御本宮に遷御になる。途中、総社における路次祭、御本宮切芝の神事等が行われる。
 朝廷からは、阿礼料や幣が奉献されるなど鴨社創祀の祭とされてきた。また、神馬の御神前で行われる三台塩(三代詠)を中心とする神事芸能は、わが国最古の祭儀式を伝えるものとされ、行粧もまた最古の神事列と伝えられており、葵祭と並らぶ優雅な行粧として名郄く、室町時代に入ると数々の史料に登場する。
 現今、道中は、交通繁雑のため、やむなく自動車列とはなったが、当神社、並びに御本宮糺の森での神事は、古儀に依って厳粛に行われている。

「境内案内」より