[熊手部しなちょうメルクマール][Bookmark] [Archive] [About]
●●●食べられるはてなダイアリー
[寄稿しました→]
○[結] 2005年11月 - 結城浩の日記
(http://www.hyuki.com/d/200511.html#i20051103183338)
Tropyというものが現れた。
恐ろしい。
身震いするほど恐ろしい。
これは情報の漂流を意味している。
わたしたちはここ最近、Permalinkというものによって漠然と「つながりを維持した情報」という世界をイメージしていた。
Tropyはこのイメージをかんたんに破壊する。
わたしたちが「情報の海」というときには、そこには一種、畏怖の念がこめられていた。Permalinkはそこを泳ぐための(わりあいしっかりした)命綱だと思われていた。
ところがTropyはボトルメールに等しい(ボトルをひとつ開けるたびに、つぎのボトルを簡単に見つけられるような仕組みにはなっているものの)。
もしかしたらこれは「一切書きっぱなし、ワレワレは自らを振り返ることなどしない」というアナーキーな書き手たちの、あらたな挑戦のきっかけとなるかもしれない。
そこに放流された思念の流れは断片部よりさらに断片であり、文章そのものからアイデンティティを掘り起こそうという野望すらない。真に断片的断片であり、モザイクのかけらであり、書き手から文章へ、文章から書き手へのつながりすら消滅させることが、まさにちらしの裏の落書きの切れ端となることができる。
そしてそこには前後の文脈に依拠することなく孤高の「語られ」としての文章が存在するだけなのだ。
ひとつながりの文脈、あるいは人格を形作ろう、あるいは取り繕おうとしない文章ほど力強いものはないかもしれない。
それは叫びに似ている。文脈と人格のはざまにあって押しつぶされそうなものの叫びに。
Tropyは恐ろしい。
そこからなにが生まれ、そして漂うのか、見当もつかない。