毎日が本番

ライフログ

あと少しのがまん

だいぶ気をつけられるようになった気でいたのだが、まだ足りなかった。

 

遅刻という単語は、定時より遅いという意味で使ったらそうではなくペナルティを伴うような意味だったようで遅刻でないと指摘された。自分は同様の理由ありで遅く来る可能性たかしだったので、仕事で遅刻という表現を使った?

揚げ足取るなと言われたが、そもそも自分が昔はいそがしかったみたいに言われて、え???いまは???みたいに思った。自分のことを違うように言われてもふむふむするしかない。

 

いつも称賛されていたいのだ。

とにかく否定されるのが嫌いなのだ。

焼きそば食べてればいいというが、私はそれでは嫌だ。焼きそばはキライではないがずっとは嫌だ。

昭和的なダンナさんが、晩飯はカレーでいいよ。みたいに言ってひかれるのときっと似ている。なんでもないうまいうまい言っているが、言っとけばいいという感じだ。そういう自分はエライ、なのちどうして称賛しないの??という、オーラを感じる。

 

最近はランチを千円未満で済まそうとすると美味しくない。1200円から1500円くらいだとようやく美味しかったーとなる。夕飯はひとり6000円くらいはしないとなんかなあ、というかんじだが、ふたりで四千円台で、私はお酒は飲まないのでこれもなんだかなあだ。

お金を出してくれとは言わないので美味しいものが食べたい。外食するならそれなりのものが食べたい。むしろ割り勘がいいし、その分生活費を払ってほしいくらいだ。でもきっと自分の家もあって自分はそちらのお金を払ってるからということで私の家のものは全て私が払っているのだ。メンテナンスとか作業大変なのに。洗濯物がおいてあるとうんざりする。でも洗濯する時もあり、自分はやってるでしょオーラがすごい。

匂いもつくし。できることはやるとジマンされても、、という感じだ。家事のクオリティが違いすぎて。

 

歳取るときっとそうなのだろうけど、カナリのことを忘れていてびっくりする。優先順位とか違うから話にならないレベルだ。

 

とにかく口を開かずふむふむして、すごーい、そうですね!とずっと営業しとくのがよいようだ。

早く逃げ出したい、、、引っ越ししてしまったらまたいつかれてしまう、、

 

20年前のわたしへ

仕事で、20年くらい前からつきあいのある人と久しぶりにリアルで会った。

 

2、3年に一度は会っていたし、チャットではたまにやり取りしていたのだけれど、20年くらい前の自分のことを思い出した。

そして、この人のさりげない気遣いを思い出して感謝の気持ちになった。この人は自分をどうにかしてほしいということではなく、私はきっとこうすると嬉しいだろうと勝手に思うのでもなく、やってほしいことを気づかぬうちにやってくれることがあるのだ。昔から。そしてきっと私がイヤなことを言ってしまってもサラリと気づかぬようにかわすのだ。沼だ。

 

20年前の私は、いろいろ失ってアウトロー気分だったけれど、反面、まだまだ自由で自己中だった。

 

気をつけなくてはいけないこと

昨日の夕方から夜にかけて、違う感覚の人も入って打ち合わせをしたせいで、私がもともと思っていたことなどがどんどん口から出て行った。

 

結果、今朝は不機嫌な様子を目の当たりにする感じになった。

 

結局、人は変わらないので、毒をあびるのは自分なので、気を付けよう。

 

九州のときもそうだった。

おまえのせいで○○さんもそっち側になっちゃったじゃないか

的なことをいわれた。

 

私の彼らにとっての価値は、いつでも彼らの考えを受け入れていいねいいねといっていることだ。ふりをしているのだと一切気づかれず。

それが大きな諦めになっている。人は年を重ねると自分の考えを変えたりあわせたりが大変になる。彼らは特に上の方の立場なので余計誰も意義をとなえないので助長されている。わたしが助長させたともいえるかもしれない。

だが、私にとっては毒から自分を守るためにそうするしかなかったのだ。

 

うっかりこれで様子がかわるかも、といい気になったが、人は根本的にはかわらないということを思い出したので気を付けるようにしよう。

いろいろ整理がついてきた

気がついたら3月半ば。3月は剣道連盟系の稽古会が多い。

 

いろいろ気持ちの整理も、引っ越し用の部屋の片付けも少し進んできた。

部屋を片付ける、断捨離すると気持ちが変わるというがそのことか?

 

いろいろなことに諦めがついてきた。

作業とか、備忘とか。

これらが面倒だ、助けてくれ、手一杯だと言っても言っても「自分だけいうな」的な反応が多く、一方「自分だけでがんばるな」という話も多く、心配されたりもしながら事務作業できる人ってそんなにいない、というのもよくよくわかる。

私はどうしたいかというと、6月の再検査もあったり、そもそもあと10年身体が元気に動くかも微妙だ。あと3年くらいで還暦だから、その間にできる限り稽古しないと、と思う。

一方、ここで仕事をすっぱりやめたら、もしかすると同期に近いあの人は社外取締役となっているのに、、などの気持ちがむくむくでてくるんだろうな、と思う。

でも、もうわたしはこれで精いっぱいで十分だ。

そして私はひとりのわたしとして死ぬときは死んでいきたいなと思う。

誰かへのメモ

誰かにメッセージを送ろうとしてやめた。そのときかいていたものは私の気持ちの吐露だったので、ここにかいておく。

 

私のパートナーは13年くらい前にはじめて有明に入院した時、当時浮気相手と本気になっていたというのにしょっちゅうお見舞いにきてくれました。ありがたいのですが、なんとなく弁明している感じがして実はもやもやしてました。

その数年後復縁して今に至るのですが、、
2年前の入院のときはコロナ禍でもあったので、手術の付き添いも断りました。

妹は父が末期がんで入院して亡くなったときに海外旅行に行って不在だったような人なので、2年前は手術に付き合ってくれると言われましたが断りました。

有明の乳腺外科の先生も看護師さんたちもそっとしておいてくれたので助かりました。

この病気になったことなくて、普段の生活で個人的にいろいろ工夫してわからないようにしていることも気づかずに、入院のときだけなんだかんだ親切風にされるのが私はとっても嫌だった。

人により感じ方や考え方は違うけれど、一緒にいる人の気持ちに寄り添えるようになりたいという思いが強まりました。一方、わかんない人もいるから自分の気持ちを最優先にしよう!ともおもっています。

※※大変なときはそばにいるだけでいいとかいろいろあるけれど、私は仕事としてまっとうにそばにいて世話をしてくれる病院の方々の方が気が楽だ、といいたいのだ、とわかった。

ひさびさの午前様

やっと取り返した案件、まかせていたら直電でクレーム。

午後1時頃からどつしてそうなったかを聞きながらやり続けたら午前様。

アドレナリンが出てあまり寝れず?でもちゃんと寝て8時に起きて少しボーっとして、約1時間資料作成、九時半ギリギリに家を出て新富町へ打ち合わせに。

帰社して少し見直しなどをして2時少し前にランチでおそばと寿司セット。

夜にハッピーターンを食べたきりなのにぜんぜんおなかすかず。朝も49.9キロで水が溜まっている感じ。でも食べたらお腹が動き出し、お腹を少しこわす。

 

昨日やるはずだった仕事をして8時に退社。

 

働き方改革後の仕事の進め方は難しい、、何かいうと〇〇ハラスメントになるかも、と思いつつ、、でもそれではまともなアウトプットになかなかならず、こうなる、、、

 

今日もまた一つ、私の中でぷつんとなにか一つが切り捨てられた。

 

 

抜けてきた?

13日は稽古始会。

いつもは前の晩くらいから諸々用意をしたり演武の気持ちになっていくのだが、今回はなぜか気持ちが上がってこず。

 

6日、7日と稽古して8日はたまった仕事をするはずができずというかやらずというか、で、散歩と買い物に費やした。

9日夜に面談を2時間もして、10日締切の記事が書けず、10日になんとかして終了。

 

ダメ出しが後できそうに思っているが、まだ来ないので、その日から何か圧迫される気持ちが少し楽になった。

他にも作業やPマーク審査用提出などあるし、レビュー物もなぜかたくさんあるが、最近本部長より手取りが少ないし、がんばってやってもなーといろいろ思うというか、しんどすぎるのでできるだけやらないことにしようとしている。

 

演武は十手六本、制定の太刀、影後半。

切ってくるのが悩んでいるのが見えたりした。寝屋のうちは届かなかったので、左右でやり直してみた。

太刀は相手がいい感じになるよう心がけた。

いつものような気持ちにはならなかった。気合はちゃんとでたかもよくわからない。

宴会その他のドタバタも特になく、ただ食べて飲んだ。食べすぎとくたびれで、喉と頭が痛くなったので晩ごはんは食べずに7時過ぎからドラマを見て9時頃寝た。

帰ってから引越準備とか片付けをしようと思っていたのだが。

 

経理的には足りてないのだが、前ほど何も感じなくなってしまった。

立替金も、大丈夫といいつつためっぱなしなので、あまり信用してないのだがこれも知ったことではないと思っている。

 

というような状態に、ここ数日で突然なった。不思議だ。

世の中の人はだいたいこんな感じなのかも。だったらもう私もゆるくしようと思った。