福井晴敏 6(シックス)ステイン

ASIN:4062126419

あらすじ

  • いまできる最善のこと

退役情報局員の中里祐司が辺鄙な場所で遭遇した男は中里のかつての案件の当事者だった。復讐に燃える北朝鮮の戦闘員に命を狙われる中里は生還できるのだろうか。

  • 畳算

防衛庁情報局、通称市ヶ谷に送られてきた一通の手紙は東西冷戦の過去の遺物そのものであったが、上層部としては看過するにはあまりに危険が大きかった。それはスーツケースに関する手紙である。過去を記憶に留めている者達にとっては血眼になるに十分な話でもあった。かつてソ連はスーツケース型の小型核をいくつも製造していた。手紙の主は奇縁でそれを手にしたのであった。ソ連の元スパイであった男の手紙の裏は取れ、捜索に着手した実行部員であった堤は現物を手に入れるために現地に赴く。
堤はスーツケースの行方を知るスパイの男の妻からなんとか聞き出そうと頑張るが逆に金を出せ、とやられてしまう。

  • サクラ

高藤征一は同期の北上から頼み込まれて仕方なく現場に出ることになった。根っからの事務屋である高藤は初任の実地研修以来の現場である。定期的に訓練は受けているが不安が残る。今回の事案はサクラと呼ばれるAP(警補官*1)とタッグを組んでの作戦である。偽女子高生の格好をしたサクラこと伝法真希のコードネームのサクラとは桜肉のサクラであるらしい。どう見ても娘の年齢にしか見えないサクラと作戦を実行するとなると不安が残るが、現場慣れしていない高藤自身がネックになると考える方が客観的であろう。
今回の作戦は芦田和生という軍需産業に関わる東和電気の技術者で管理職の男が愛人を作ったことをネタに「北」から強請られて情報漏洩を行っている、という可能性から立案されたものだ。愛人の女も「北」の関係者で露骨な美人局らしい。北としては情報を得た後邪魔になる芦田をそろそろ清算したがっているようなので芦田を保護するのが第一の目的である。
それにしても高藤はサクラにやりこめられっぱなしだったのですぐ先に控えている大立ち回りに不安を覚えずにはいられなかった。

  • 媽媽(マーマー)

坂本由美子は同僚であった根岸光昭と結婚し、寿退社という形で情報局の仕事から足を洗ったはずだった。だが、彼女自身が思っているほど強くはなかったのだ。育児ノイローゼに罹ってしまった彼女がとれる道はたった一つしかなかった。すなわち復職である。母として強くあるためには家庭以外の場所が必要だったのだ。それを実行して以来由美子はすっかり立ち直った。だが、日常的に想起される後ろめたさは軽減されることはなかった。六歳になった息子の勇に対して胸を張って誇れることだろうか?
そんな由美子が現在追っているのは航海上で武器の密輸をしていた不審な漁船に関する案件である。武器の密輸自体は暴力団関係などを考えればそう珍しいことではないが、この案件に関しては別となる。何故ならば大量の武器弾薬が確認されているからだ。拳銃の類ならばまだわかるが、アサルトライフルを大量に必要とする集団は少ない。それに最近アジアにおいては国際的なシンジケートであろうと推測される海賊がいる。立ち回りは非常に用意周到で尻尾を出さないため、詳しい情報は少ないがおそらくは関係しているものと考えられる。つい最近くだんの日本側漁船の船長が死んだ。崖からの転落死であったがおそらくは事故に見せかけて消されたのだろう。
それでも市ヶ谷は船長の残した細くて頼りない糸をたぐり海賊組織『ミューズ』の関係者と思われる人物を探り出した。由美子はそのくだんの人物ユイ・ヨンルウを追っていた。もう既に消されている可能性と赤坂(在日CIA)からの横やりを受けながら作戦は瓦解寸前であったのは事実である。だが、懐中に雛鳥が舞い込むと誰が予想しただろうか。由美子はその報を聞いて直ちに現場に向かうのだった。

  • 断ち切る

椛山為一はかつて断ち切り師と呼ばれる種類のスリであった。その見事な腕はその道では実に名高いが、現在は家族の疎まれ者に過ぎない。老練な腕を持っていてもそれは持ち腐らさせる以外にないのが世の現状である。世相は移り変わり、現金を人はあまり持ち歩かなくなったのだから。しかし、彼が足を洗ったのにはそれ以外にも理由がある。既に没している妻への謝罪の姿勢であり、家族への迷惑を顧みて、というと確かにそれもある。だが椛山をしつこく追ってきた一人の犬に対する意趣返しというのが正確なところであろう。椛山をゲンタイすることを望む男の妄念は椛山を娑婆へ返すことを第一に考えて嘆願書を書き椛山の刑期を短くしたほどである。何が悲しくてまた捕まらなきゃならんのか、付き合っていられないというのが本音であろう。
だが、椛山が孫を連れ立ってやって来た鬼灯市でくだんの犬と遭遇してしまう。韮沢という官警の犬は椛山に頼み事をしたいのだという。「断ち切りのタメ」と見込んでの話とのことであった。椛山は一度は断ったものの引き受けることにした。第一には息子の会社の給金の支払いが余り良くないことがある。サービス残業で汲々としている息子を見るに忍びない。だが、そちらよりももっと心動かされたのは韮沢に頼ってきた依頼者の方である。老女と呼ぶには若さが覗く女性は息子の未練を晴らすためにもある男を地獄の底に叩き落としたいのだという。そこに絶望の匂いと復讐の苦さを感じた椛山は一肌脱ぐことにしたのだ。もはや残っているのは朽ちていくだけの身である。故に未練はなかった。

  • 920を待ちながら

須賀義郎はAPである。正業はタクシードライバーで作戦に関係する人物を車上の人とすることもある。いつもの"予約"営業で須賀はその男と出会った。まだ若い男は須賀の名前を聞く問いかけに返答を渋っていたが、いざというときの信頼という言葉に木村と答えた。そりゃまぁ偽名でも何でも良いとは言ったが、アイドルの名字を借りるとはなんという短絡的な・・・。須賀は呆れ半分妙な感心もしてしまった。木村は出るところに出ればそれなりに脚光を浴びるであろう面相の持ち主だったのだ。「その機会さえあれば」という但し書きが付くが。その時は素直に別れた二人だった。だが、すぐに再会の時はやってくる。
かつて須賀は組織に忙殺された親友が居た。組織の不明瞭な会計を逆手にとって私腹を肥やす連中の膿を吐き出させるべく行動し、明らかな関係者を人質にとったが組織としては「叛乱」という認識で掃討に乗り出したのだ。勿論それだけ汚職に手を染める関係者の手が長かったというだけの話だ。その片棒を知らぬ間に担がされていた須賀は土壇場で九死に一生を得たが形のないしこりが心に残った。以来親友の娘の面倒をそれとなく見ていた須賀であったが、新たな作戦で木村と会い、その作戦で引退したはずの920が自分たちを追っていることに気付く。920とは殺された親友を撃った狙撃手のコードネームである。作戦の目的がかつての「叛乱」事件で人質を演じた人物の監視となれば舞台は整いすぎている。須賀と木村は二の舞を舞わないように立ち回ろうとするのだが・・・。

感想

福井晴敏三作目。今回は短編集です。主に市ヶ谷と呼ばれる諜報組織に関連した人間模様を基本的に独立した短編で綴るという作者としては珍しい方の作品ですね。
筆者の福井さんというとここ最近は糞分厚い上下分冊のハードカバーがデフォです。しかも分量は大抵一冊300ページ超えで段組されているのも特徴で三月に上梓*2された『Op.ローズダスト』もそんな感じで一見さんにはちときつい作家さんですね。何しろちらっと一面を覗きたいだけの人には怒濤の如く押し寄せてくる文字の羅列や一向に目減りを見せない残ページがプレッシャーになりそうな感じがします。ま、私見ですがね。
そんな筆者が短編を書いている、というのはある意味で驚きでした。何しろ本屋によっても「ああ、あの作家の作品があるなぁ」ぐらいで直接手にとっても中身に手を付けることの方が稀なもんで。だって勿体ないじゃないですか。リラックスして布団に横たわりながら自堕落に読みふけるあたりが私にとって一種の幸福の形ですからねぇ。ま、現実は電車内の窮屈な空間をやりくりしながら読んでるわけですが。
さて、長編が基本の作家なわけですが短編の出来は是如何に?結論から言うと一段劣るというのが読んでみた感想です。長編で作品世界の感覚を丹念に編み上げて物量に任せて力業で押し切る、そういう作風だけに一発限りの単発ネタをやるにはちと軽微な部分での勘案が足らなかったように思います。いっそのこと作中のネタが嫌いに成れれば良かったんですが割り切るには基礎底流が似通っているため私には難しかったです。要するに「くたびれ果てた中年の哀愁」とか「報われない復讐」とか「所詮無駄な反逆」とか「悔恨の清算」とかの事です。ここら辺の要素に何か感じた人には悪いですが期待をしすぎるのもアレなので先に言っておきます。悲しいことにこの本はマンネリズムの虜になっているのです。一番初めの『いまできる最善のこと』とその次の『畳算』はそれぞれ形を変えていますが実像としてはほとんどコピーと言って差し支えないのではないか、私はそう思いました。組織に背を向ける、そういう背景があるのは時代と政治とそして組織が自分たちを守ってくれるに足る存在ではない、そういう見切りが内在しています。つまりは諦観から人間であろうと組織から身を切り離したわけですな。この二作については習作なんじゃないかなぁ。ま、不透明で確固とした基盤を持たない雲上の権力よりも現場の愁嘆場を描くあたりは良いのですが、信念も確信も無しに指図のままに盤上の駒にされる人物達の悲喜こもごもという短編を集めただけでは同潮流に纏まってしまってそれぞれの機微が埋もれてしまっているように感じるのです。ただ、一概にはそうも云えないのが厄介なところです。五番目に収録されている「断ち切る」は唯一主人公が市ヶ谷関係者ではないので一連の流れから浮いています。佳い意味で異色で話が立っているわけなんですが、惜しむらくは連続物であり、一時的な幕間狂言語りになってしまっているところですかねぇ。完全独立の話としてこういう趣向の話が合った方が良かったように思います。
とまぁ個人の好みはさておいて、ちょっと内容の方にも突っ込みを。市ヶ谷の周辺人物を集めた本作は根っこを同じくする既刊の『亡国のイージス』、『12Y.O.』*3の登場人物が出現しておるらしいです。『亡国のイージス』に絡むのは本作の最後「920を待ちながら」です。ま、前か後かはよくわからないところがミソですな。当然先の二作を読んでからの方が楽しめるでしょう、キャラクターに愛着がある人には格別でしょうし。しかしまぁ市ヶ谷の徹底不足がここに明らかになってしまっているわけで失望というか落胆というか腹黒さよりも弱腰が目立ってしまい拍子抜けしちゃった部分は否めません。戯化的な部分を心得ている作家だと思っていただけに一種のダークヒーロー物として考えた場合は、「その闇が濃ければ濃いほど周囲の闇も濃い」というお約束をやってくれると思いきや実際は日本の政治の弱腰を補足するに留まっちゃいましたし。こういう場合はリアリズムは敵だなぁ、などと思ったりします。
ってことで、出来れば短い作品で客寄せを願いたいところですが、これから入るのは厳しいという様相です。「外伝」って言うのが一番しっくり来る表現でしょうからねぇ。作家買いをする人や先の二作を読んだ人向けって感じですわ。
65点
蛇足:6ステイン(stain)って「六つの汚点」または「六つの傷」って意味だからある意味で内容と表題は一致してます。

参考リンク

6ステイン
6ステイン
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福井 晴敏
講談社 (2004/11/05)
売り上げランキング: 5,174

*1:他に本業を持ち必要時にのみ少数されて任務にあたる職分の協力者。一部の例外を除けば自衛官出身者が大半を占める。

*2:てっきり読みが「じょうじ」で書きを「上辞」だとばかり勘違いしていた。そりゃweb辞書に載ってないわけだ。

*3:こっちの方を私は未読。もしかしたらこちらを読んでいないから・・・っていう可能性はあり得そうだなぁ。