懲りずに欲しいキャンペーン

“マージンFXのひまわり証券さん、ニンテンドーDS Lite欲しい!”
ま、普通に売ってたら買いそうな予感。でもそろそろ自作機を買い換えないとなぁ。cpu自体三世代前だし。
ああ、そういえばまた放置してました。ようやく時間の都合が付くようになったんで再開します。
それにしても書かなかった間に色々ありましたよ。資格試験に宗教の勧誘と・・・。それにしても宗教の勧誘はマジビビルから辞めてほしいわ。唐突にムーで昔流行った前世の戦士ネタみたいなことを大まじめに言われてもねぇ。

伊坂幸太郎 死神の精度

ASIN:4163239804

あらすじ

この世には人間が存在するように、死神という者がいる。彼らはいつ生まれ、その仕事をするようになったかは不明だが、人間社会にまみれながら連綿とその仕事を実行してきた。
私達が想像する死神というと魂という名の実りを刈り取るサイス(大鎌)を片手に持ち、漆黒のローブで骨格標本の様な躯を隠す恐るべき存在というのが伝統的な姿である。しかし、それはあくまで人間側の奔放な想像力のなせる業であって実像とはかけ離れたものだったりする。
例えば彼らはそれほど人間に興味はない。ただ与えられた仕事を機械的にこなすのが彼らの存在意義であるかのように振る舞うし、想像の世界でよく見られるような虚仮威しの見かけに頼ってもいない。普通の人間の肉体を外見として使い、なにより実行自体は彼らの手から離れているのだ。彼ら「死神」のすることはただ二つ。
一週間にわたって対象者を観察し、接触し、話をすること。
その結果から上に報告書を出す。「可」か「見送りにする」か。
大抵は「可」で対象者はきっかり死んでいく。死神による死は「事故死」ばかりだから分かりやすいかも知れない。なお「死神」からは実行者は分からないがそれが仕組みなのだからと興味を持つ者も少ない。「死ぬ者は死ぬ」のだし「人間は生まれてからいつかは死ぬ」のだから。実際に死の原因を作るのは彼らかも知れないが実行自体は現場の「死神」には関係ないからだ。
それにある意味仕事より彼らにとって重要なことがある。人間自体はどうでもよくても人間の産み出した「音楽」である。「音楽」は「死神」を虜にする。そのジャンルがどんな物であれ、歌があろうが無かろうが彼らはかまいもしない。たまの仕事に人間の世界に来たら仕事の時間を削ってでも音楽を聴きまくるのが彼らの習性なのだ。

この物語はそんな「音楽」好きの「死神」である「私」(作中ではよく偽名で千葉と名乗っている)の数多い仕事の中のいくつかを纏めたものである。今日もどこかで「死神」は対象者の観察を続けているのかも知れない。

  • 死神の精度

対象者は藤木一枝。大手電機会社でクレーム処理を担当。最近同一人物のクレーマーから脅迫に近い内容で脅されていて精神的に疲れている。
「私」は女性に好まれるような甘いマスクで接触を図る。

  • 死神と藤田

対象者は藤田という中年の男。所謂ヤクザである。彼はやや古い義に生きるタイプのため兄貴分を撃った連中への復讐を考えていた。
「私」は藤田の仇である栗木の情報を持つことで藤田に接触取ることに成功する。

  • 吹雪に死神

対象者は田村聡江。対象者は雪山の洋館に夫を連れ立って旅行に来ている。だが現在豪雪によって通行は不通になり、連絡の手段もない。洋館は小さなホテルのような宿泊可能な施設であり、田村夫妻以外にも宿泊客が複数いる。なおその宿泊客の中には既に「可」の報告が揚がっている者もいるらしい。
「私」はその洋館にいきなり転がり込んできた人物として侵入することになった。おかげであからさまに怪しまれてしまったのだが・・・。

  • 恋愛で死神

対象者は荻原という若い男。女性専門のブティックで働いていた。
「私」は荻原の報告を「可」と上にあげていた。それ故に彼は死んだ。
「私」は荻原と接触した七日間の事を振り返る。
荻原には気になる女がいた。小川朝美という現在ストーカーに付きまとわれている女だ。

  • 旅路を死神

対象者は森岡耕介という少年。耕介は繁華街で若い男を一人刺し、更に実母も刺して逃走中だ。
「私」は耕介が幼い頃に誘拐された顛末を聞き、誘拐犯の一人と見られる深津という男を殺しに行く旅に同道する。逃走車両の運転手役という仕事にうってつけの環境だが音楽聞けないのが少し辛い。

  • 死神対老女

対象者は新田という老女。珍しいことに「私」が死神であることに気がついた慧眼の持ち主だ。老齢ながら経営するテーラーを一人で切り盛りしている。
「私」は最後のお願いというのを頼まれた。同族の中では死に際して最後を彩ってやる連中もいるが「私」はそういうことはやったことが無かった。肝心の中身は「客を連れてくること」。別段金に困っているわけではなさそうだったから何か裏があるのかも知れない。だが戯れに引き受けることにした。

感想

伊坂幸太郎四作目。本書は第三回本屋大賞第三位を獲得しています。なお、直木賞候補にも挙がってました。結局落選してますがね。
さて、今回はいろんな意味でちょっと珍しいかも。まず私が感じている伊坂幸太郎らしさの第一義的な「隠された瞑目な人道主義*1」の強烈さがほぼ0。つまりは目茶苦茶マイルドな普通の話になっているってことですかね。ってことでもしかしたら今まで筆者の書く小説が駄目だった人も本作ならば普通に違和感なく読めるかも。反面名前を隠して人に読ませたら作者が誰であるかは全く分からなくなってしまうかも知れない。個性が埋没したととられても仕方ないかもなぁ。なお、読んでて脳裏に「東野圭吾の位置を狙っているのだろうか?」とか浮かんだ。これは多分連作短編という形式、クールで頭は良いがなんか世間ズレしてない人物像ということで『探偵ガリレオ』の湯川と『おれは非情勤』の「おれ」を思い出したからなんだろうけど・・・。
ま、路線転換って事なのかも。踏み込みすぎない一週間という期間を区切ることで、主観人物が深く掘り下げるタイプの小説から偶々関わってしまったクロスした人間関係の妙みたいなものを書きたかったのかな。その分内容成分が薄くなっちゃって感動とか激情とか感情移入とは縁遠くなってしまったのは否めないものの、普段小説を読まない人なんかにはライトで読みやすいという特色はあるよね。
例えば主人公が「死神」とかいう話は小説なんかよりも漫画の方が媒体として適している部分はあるかな。児童文学とかでも有り得ない話ではないものの、どちらかというとホラーかギャグに適しているだろうし、ある意味使い古されているわけだしね。最近では『DeathNote』やら『BLEACH』なんかが有名かな。古くは水木御大も書いてたし、更に遡ればその物ズバリの古典落語『死神』なんてのもある。最近はラノベで天使・悪魔にアクセントとして死神なんかも出てきますな。ってことでサブカルよりの設定であるのは確かだと思います。千葉がクールボケなんてのは『銀玉』なんかが人気あるところを見るとやはり萌え所みたいですしねぇ。
さて、死神が登場人物として出てくる作品は数有れどある程度パターンは決まっています。
例えば

こんな感じじゃないですかね。死神関係ないのも含まれていますがこの際気にしないで下さい。分かりやすくが一番ですからねぇ。大体これらで網羅できてると思います。今回は訥々した内容なのでこういったインパクト勝負には出なかったようです。でもそれで正解だったかも。それぞれの登場人物像をメインに据えて悲劇に傾きすぎず、かといって常に逆転の一手でごり押しというのでもなくバラエティ豊かに纏まっています。ただ人によっては物足りないかもしれないのは仕方ないかなぁ。
さて、漫画で言うと40ページぐらいの読み切り作品のまとまりみたいなもんですが漫画や映像作品ではなく小説である事の利点の一つに陳腐化を免れているというのがあるようです。演出が力を持たないとダイレクトな視覚による表現はどうしても陳腐化してしまいます。その作品の纏う雰囲気を壊してしまうのもありがちですよね*3。それに対してこの小説ではかなり設定に幅を持たせています。例えば時制一つとってみても一週間という以外の繋がり、すなわち事件同士の繋がりは容易に見えてきません。それにほとんど作中時事的なネタはなし。固有名詞にしても極力控えてるのがわかりますね。そう、かなり読者の想像力に任せている部分が多いんですよ。例えば登場人物達の格好や年格好なんかはほとんど描かれませんからね。描かれていても相当ぼんやりしているわけでそこに肉付けしていくのはあくまで読み手なわけです。その曖昧さ加減は小説独特のものでしょう。それに語られなければ憶測に過ぎない部分を強固に補足できるのも小説ならではの強みです。てーことで私としては映像化は辞めてほしい方の作品ですね。とぼけた味が消えてしまいそうですからねぇ。
最後に作者はあくまでミステリに分類される作家です。当然ながら本作にも仕掛けを施しています。ここのあらすじ見てすぐに分かる部分では「雪山の閉ざされた山荘ネタ」がありますけどああいうのではなくもっと大規模です。私はこれはこれでありかな、と思いましたけど感動ネタっぽい閉め方にはちょっと馴染めませんねぇ。
小学生ぐらいから読める内容の本に仕上がっていますから普段本を読まない人が読むと読書の楽しみを見出せるかも。ただ、作者のファンの活字中毒患者の場合はこの作者が書いたことを差し引いて読んだ方が落胆は少ないかな。多分点が辛くなるだろうから。
70点

参考リンク

死神の精度
死神の精度
posted with amazlet on 06.07.05
伊坂 幸太郎
文藝春秋 (2005/06/28)
売り上げランキング: 981

*1:超ポリティカルコレクトネス"Ultra Political Correctness"と言い換えても佳いかもしれない

*2:っていうかこれは悪魔ネタの方が多いですな

*3:例えば姑獲鳥とか姑獲鳥とか姑獲鳥とか。映像化で小説とは別の解釈をすることで成功した例もありますが・・・。

浅田次郎 お腹召しませ

ASIN:4120037002

あらすじ

  • お腹召しませ

入り婿で義理の息子の与十郎が藩の公金に手を付けて、新吉原の身請けをした上行方をくらました。にっちもさっちもいかない状況で又兵衛は留守居役から呼び出しを受け、腹を切るように勧告を受ける。又兵衛の切腹で家が残るというのだ。武士として生まれたからにはそれが正しいのだが、妻や娘、挙げ句に親友にまで「腹を切れ、腹を」とやいのやいの言われ尽くしてどうにも自裁することに嫌気が差すのだった。

  • 大手三之御門御与力様失踪事件之顛末

横山四郎次郎が行方知れずになったのはお役の途上であった。方々皆が探し回ってみたのだが、まるで煙が立ち消えたように行方は杳としてわからず、それを怪異として上役は処理することにした。すなわち「神隠し」である。勿論徳川の御代とは言え怪異にそれほど信憑性が有ったわけではない。山深い僻地ならいざ知らず、人のひしめく江戸の街、それも城内であればそれが起こると考える方が不思議なのだ*1
一方横山と同輩の長尾小源太は密かに横山が城内より抜け出る方策を見出していた。しかし上役は「神隠し」に拘った。職場放棄を誰の責任にするでもないのにはこれが一番なのだ。しかし上役自身は渋っていた。何しろ自分の上役に「神隠しである」などとまじめくさった顔で説明しなければならない。八方丸く収まるとはいえ甚だ間の抜けた話であることには変わりなかったのだ。
そうして五日が経った頃、横山は役宅の門前で倒れているところを発見された。失踪前と変わらぬ勤番装束であり、上に下にの大騒ぎとなったが長尾は横山が少し落ち着いてからその顛末を聞き出そうと試みた。外聞では何も覚えていないことになっていたがそんなわけはないのだ。

  • 安藝守様御難事

十四代目安藝守に就任した浅野茂勲の出自は甚だ変わった物だった。家は沢家という藩の重臣であるが、父は入り婿で浅野家の分家「新田藩主」の五男である。元々広島藩の藩主に座ることなど感が云えないほどの遠縁といって良い。ただ、当人は切れ者であったからそれなりに藩内は上手く云っていた。
しかし、この人は生まれたときから殿様というわけではなく、子供時分は剣に学問にと色々やっていたのだ。当然古くから「しきたり」となっている事柄が全てわかるわけもない。が、「殿様」という奴は何でも知っていなければならないのである。誰かに質問することも憚れるし、戸惑いを見せては下の者に示しが付かない。故に訣が分からない事柄でも当然知っているものとして振る舞わなければならない。それが安藝守としての面目なのである。
そんな安藝守がまた変な行事に駆り出された。「斜籠」と呼ばれるもので、一気呵成に走り抜け、籠に横になって飛び乗り移るという曲芸めいたものだ。全く訣が分からない安藝守は唯一の相談役に漏らしてみることにした。御住居様と呼ばれる係累上は曾祖父に輿入れしたという老女である。なんでも十一代家斉公の息女で末姫というのが正しいらしいが茂勲は詳しくは知らない。ただ茂勲を末姫は殊の外お気に入りであり、わからないことがあれば聞きに行くぐらいの仲であった。
早速用件を切り出した茂勲であったが、普段は快活な末姫も答えを渋る。なんでも未だに徳川の者であるから答えることは出来ないというのである。当然茂勲の考えはどんどん悪い方向へ傾いていくのだが・・・。

  • 女敵討

吉岡貞次郎が江戸勤番に就いたのは井伊掃部守が桜田門外で討ち取られた事と関連していた。財部藩藩主である土居出羽守は井伊掃部守と誼があり、狙われるのではないか?という懸念を払う為にしかれた策であったのだ。最もその懸念は杞憂であったようだ。二年半も経つが刃傷沙汰にはこれっぽっちもなる様子がない。貞次郎は郷里に嫁を残し、江戸の地で勤めらしい勤めも無いままぶらぶらしていた。最も給金ははずんで貰っているので不満などもらせるわけもないのだ。しかし、手がなかったわけではない。国元へ早々に帰る事は一応認められている。貞次郎自身は勤番の頭であったから難しい部分はあったが不可能かと言われるとそうでもないのだった。
そんな貞次郎は或る夜、目付役の稲川左近に呼び出しを受けた。親しくはないが一応は幼なじみである。会うなり殺気だった左近が告げたのは貞次郎の妻が不貞が働いているという話であった。驚愕するに足る話であったがこんな話を左近がするとは思わなかった貞次郎である。当時は不貞を働いた事が露見すればその夫ですら処分を受けた。つまりは吉岡の家の大事になりかねない話なのだ。左近を疎ましく思っていた貞次郎であったがこの時ほど有りがたく思ったことはなかった。
この時既に決まったことが一つある。すなわち、貞次郎が妻と間男を斬る事である。現場を押さえて二人を斬らねばならないのだ。
早速国元へ帰還しなければならなくなった貞次郎であったが一つ問題があった。妻を斬らねばならない。それはそれとしても彼自身も不貞を働いていたのだ。江戸の一人寂しい夜を共に過ごす女人が貞次郎にも居た。しかも長男まで出来ていたのだ。その始末を付けねばならない。女はおすみといい、気っぷの良い江戸の水のよくあった女だった。江戸の妾というよりも江戸の女房という気概が彼女にはあり、金で袂を分けるのは問題外だと考えていたからすっきりしたものだった。ただ、彼女自身は一粒種の千太と別れることが悲しくないはずもない。その夜おすえは一人胸をかき抱いて泣いた。

  • 江戸残念考

浅田次郎は祖父に「残念」「無念」という独特の言い方を習っていて、チャンバラごっこなどで非常に迫真の演技を行っていたらしい。また、幕末の頃に浅田の家は非常に苦労したということらしいのでそれに引っかけて書かれた話である。
年が明けて早々、浅田次郎左衛門は上方から漏れ伝わってくる情報に愕然とした。上洛している上様は薩摩、長州と一合戦なされられるらしいという由である。御手先組に属する次郎左衛門は徳川の先鋒である。それなのに全く合戦準備の報は伝えられていない。早速次郎左衛門は甲冑兜の準備を始めるのだった。しかし、泰平の世が続き、置物と化した甲冑は代替わりの度に修繕されているから使えるにしても、弓矢に至っては古道具の体で実用にたるとは到底思えない。そもそも弓組馬上与力である次郎左衛門は甲冑を着込んで弓を射るなどこれまで一度たりとも経験していないのだ。じっとりと不安が胸中へ忍び込んできた。
その後江戸の街は戦気配などどこへやら、太平楽なままだった。しかし十二日の夜、ようやく続報が入った。大阪で味方はボロボロに負けてしまったらしい。しかも残りの兵を見捨てて上様は帰城なされたそうな。いつもの正月を迎えていたが、徳川は負けたのである。
湯殿で上を見ながら次郎左衛門は吠えた。
「ざ、残念!」

  • 御鷹狩

徳川の世が終わり、若者達の胸には納まらない物があった。田舎侍に江戸を支配され、江戸は東京とか言う名前に変わったそうだ。だが、名前が変わったくらいでは何にもならない。或る者はは出奔し、新政府と闘っている。しかし、大方の者はそれすら出来ずに居た。
若さ故の乱行か、前髪もまだとれていない少年達がとある企みに出たのはその頃である。田舎侍に身を任す夜鷹たちを切り捨てようと考えたのだ。そこには大義など無かった。闇雲な怒りのはけ口を求めていただけかも知れない。それでもそれは実行に移された。

感想

浅田次郎十作目。作者のファンの人はこの本は避けた方が佳いかもしれませぬ。何故ならば本来「作者自身が嫌っていた」傲慢文士、駄目文化人っぽさが妙に鼻につくんですよ。もっと砕けた立ち位置で馬鹿なことを呵々大笑しながら酒の肴にしていそうなとぼけた人物像はこの本では脆くも崩れ去ります。作者が余計な口を挟まずに作品だけ載せておけば良かったと思うんですけどねぇ。一応祖父から聞いたの話を翻案しているらしいです。

  • お腹召しませ

祖父が話して利かせてくれた二つの話を大幅に手を入れて作られた話らしい。まぁ、内容的にはわからんでもない。でも、余談があるが為に話の良さが壊されているように思う。
太平の世では切腹自体が少ない、というのはわからない話でもないけど、完全になくなっている訣じゃあないでしょうなぁ。何しろ獄門の首打ち手は居たわけだし、閉門蟄居、家の取りつぶしなんかは高級官僚的な重臣なら兎も角、それほど地位の高くない武士ならば不始末に切腹申しつけられることは想像に難くないわけで。ま、でも実際にあり得そうな話ではあります。
諧謔としんみりとした情感はそれだけならばかなりいい話なだけに勿体ない。

  • 大手三之御門御与力様失踪事件之顛末

怪異をネタにした話。加えて昨今の携帯によって首根っこを引っつかまれている状況を嘆いていることから生まれたとのこと。それが愚痴めいていてなんだかなーと。なんか短時間行方不明になりたいそうですよ。
まぁ、神隠しにあった理由っていうのがなんとも作者らしい話だけれど、ちょっと唐突な具合から微妙に。むしろ神隠しを利用して・・・ってあたりは中々面白いけどね。

  • 安藝守様御難事

こういうケースって結構あったんでしょうなぁ。聞ける人物が居るだけマシじゃないかな、と考える私は底意地が悪いんだろうか。にしても「斜籠」の理由がなんともわかりづらい。ピンと来ないって言った方がしっくり来るか。ただかつての同輩とのやりとり自体はにやりと出来る。

  • 女敵討

なんというかまぁ、お互い様な話だねぇ。おすえが異色を放つ話ではある。でもこういう話って結構普通にあり得たんだろうなぁ。町人と侍の身分違いとかいうのが問題になりそうだけれど果たしてどうだろうかねぇ。養子縁組を使った戸籍偽造やら普通に有ったみたいだけどね。
これはある種のスワッピング・・・いや、これは止めておこう。

  • 江戸残念考

なんか自画自賛のオンパレードで口が腐るので終

  • 御鷹狩

事実を元にしたらしい話だけど出来すぎ。


さて、ここまで終わってから作者はそれぞれがどれだけ現実と解離しているのかということを「跋記」で述べている。なんでも今まで歴史小説が嫌いだったそうである。「歴史は正しく有らねばならない」から「嘘の方が面白い小説」からすれば歴史小説は駄目なはず、であると確信を持っていたらしい。特に記述内に虚偽部分が仄見えたり、歴史として考えると腹立たしい内容が含まれていると小説として楽しめない、だから歴史小説は面白いはずがないということだったのだが、吹っ切ったらしい。
で、グダグダと現実と解離した部分をわざわざ述べている。私からすれば明らかにこれは蛇足である。本人の苦慮など知ったことではない。嘘で塗り固め、創作されて産み出されるのが小説なのだから「何を今更!」なのだ。正直見苦しいなぁ、と思わざるを得ない。大体だね、祖父から聞いた話を元にしてこの短編群を書いた、という所からして創作でないと誰が云えるか。小説家など生来の嘘吐きなのだから*2
なんかもう虚栄心がにじみ出ているので作者の弁は要らないかなぁ。
作者語りがなければ70点、有って40点って感じです。
もうちょっと気分良く浸らせてください。
蛇足:歴史小説の場合、なんか知らんが作者の筆が作中に持ち込まれることが結構あるけど私はアレが駄目。だから池波正太郎が大嫌いだったりします。地の文は地の文らしくしてください、とか思ったりするわけですよ。

参考リンク

*1:一応本所七不思議の「おいてけ堀」なんてもんもあったりするんだがw。ま、なんにせよ怪異に半信半疑であったのは今と余り変わりはないとは思う。

*2:言い過ぎかも知れんけどね

藤沢周平 秘太刀馬の骨

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ASIN:4167192306
ASIN:B000CNEDH6

あらすじ

近習頭取の浅沼半十郎は自分の属する派閥の長である小出帯刀に呼び出された。帯刀はかつて栄華を誇った望月派という派閥を次ぎ、現在の藩政の最重役である筆頭家老を勤める人物である。そして半十郎にとっては恩人でもあった。万年御書院目付と言われた浅沼家から半十郎を取り立ててくれたのだ。それに報いる働きを半十郎は望んでいた。
帯刀の話は奇妙な物だった。六年前、かつての派閥の長である望月四郎右衛門隆安が何者かに刺殺された。結局下手人は挙がらずに藩主が事件の二年後没したためそのまま闇に葬られたが、この事件が今回の呼び出しの理由らしかった。望月が殺されたことで政変が起き、藩政の主導権は杉原派へ移った。現在はこの小出派が藩政を取り仕切っているが、杉原派の中心人物である杉原忠兵衛が病に倒れたという小出派にとっての機会が無ければ現在の状況はないだろう。そんな状況を踏まえて帯刀に対する流言が流れているという。
「望月四郎右衛門隆安を斬ったのは小出帯刀の手の者ではないか?」
というものである。その様なことは帯刀以下無いことは分かっていたが、望月の死後の藩主播磨守の裁きは帯刀が用心するに足る事象を残していた。隆安は斬られたときに刀を抜いていない士道不覚悟、継嗣が居ないこと、生前の執政に偏頗があったことを挙げ望月家を潰してしまったのである。半十郎はなるほど、と思った。先ほど挨拶をしている間に妾の話をしていたのはこの事だったのか、と。
また望月四郎右衛門隆安は藩主から嫌われていたという背景もある。落ちぶれていた望月家を持ち直す切れ者であったが、同時に傲岸不遜な人物としても名を馳せていた。故に望月を暗殺したのは藩主の手によるものなのではないか、という流言すら流れていた。
同様に小出派が藩主から疎まれた場合、望月の二の舞を演ずることとなりかねない。その故還暦過ぎの帯刀が継嗣を欲しがっているのである。勿論家名のための妖人によるものだ。当然帯刀が半十郎を呼んだのもそれに関することだった。
六年前の事件の死体検分を行った居た三人、大目付笠松六左衛門、御医師の庭田良伯、御徒目付の根岸晋作のうち笠松が「ほう、『馬の骨』か」と呟いたのが全ての発端だそうだ。調べてみたところ秘太刀の事らしいという事が分かった。半十郎も若い頃は少し知られた剣士であったから話を持ちかけられたものと見える。確かにそれは適正な判断だった。半十郎は『馬の骨』という名の剣法、秘太刀の名を実在の物かどうかはさておいて聞いたことがあったのである。しかも丁度伝えている家の事も知っていた。御馬乗り役の矢野家がそれを伝えているはずだ。話の流れは半十郎が矢野家へ出向いて『馬の骨』を調べる、という方向へ行きそうだったのだが実際そうではなかった。半十郎に任されたのはその補佐である。帯刀の甥が江戸から出てきているからこれに『馬の骨』探索を任せるが、どうも叔父の側からしても心配は拭えないらしい。
その後すぐにやって来た江戸弁の美男子が帯刀の甥とは少し信じられなかった。だが、石橋銀次郎という男に半十郎が頭を痛めることになるのはまだ先のことである。何しろ『馬の骨』を探すためには人の弱みを握り、試合をするのを強引に強要するような男だとは欠片も考えていなかったのだから・・・。

感想

藤沢周平ここでは初読み・・・ということらしい。時代物の再評価に繋がった山本周五郎の『雨あがる』から引き継ぐように映像化された『たそがれ清兵衛』の作者でもあります。作者は武家社会のゆがみとそれに対して凜とした一本筋を通そうとする男、そして真実を見据えた上での変心を衒いなく書くのが得意な人だったりします。それ以外にも町人が主人公の話なども書いていますがどちらかというと衆目を集めるのは侍を主人公にした話でしょうね。となると話の確信は政治向きの難題も有ることにはありますが、剣客物になるパターンも当然あります。ただ一つ覚えておいて欲しいのはこの人は剣客物に必要な場を引きつけるだけの死合いの情景とやりとりが決して上手くないのです*1。故に純粋に剣客物として楽しもうとするのであれば方向が違っていると思うので、そっち方面を期待する人は別の作者を捜した方が佳いかと。でも、なんだかんだ言って作者は結構書いてるんですよ、剣客物。需要があったのか、それとも本人が好きなのか、そこまではわからないですがね。
さて、本作はちょっくら異色です。兎に角『馬の骨』なる剣法を習得している人物を捜すわけです。何人もいる当該人物から真実を教えて貰うために銀次郎は脅し、なだめ、すかし、試合を挑みます。そう、これは推理物の構成を借用しているわけですね。でも、これ擬態なんですわ。推理物「っぽい」っていうのがみそなわけで、推理をするでもないのでミステリーとしては成り立ってないのです。まぁでも時代小説でミステリーっぽいっていうのは珍しい方ですよねぇ。これは話の屋台骨ですが中心ではないので要注意。やはりキャラクター単位の問題が一番の見せ場でしょう。
試合試合と半十郎をウンザリさせるバトルマニア以外のなにものでもない銀次郎。かたや派閥の長から仰せつかった仕事と子供を失って以来鬱気味の妻からケンケンやられて家庭に身の置き場のない半十郎。これだけではどうやったって微妙きわまりない話な訣ですが作者特有の隠された真実みたいな物を一捲きすることで随分と面影も変わってきます。
しかしまぁ、随分と人を食った話ですねぇ。よりにもよって『馬の骨』ですよ『馬の骨』。どこの誰ともしれない輩って意味で本来は罵倒語ですよ?
ま、結構評判は佳いみたいですけど、最後のドンデンを抜かして置くとして話の完成度自体はあんまり高くないかなぁ。妻関係の話にもう一波乱有った方が自然だし、ミステリーの手法を放り投げているところとか正直勿体ない。よく言われる「読後感が爽やか」という部分を実践しているからなのだろうかねぇ。これって下手をすると許容される結末が大団円以外無いからやはり予定調和になっちゃうんだよねぇ。それにやっぱり気鬱の病がこうも簡単に治るんだったら・・・っていう部分が引っかかってる気がする。ま、あんまり拘っても仕方ないんだけどね。
なお、映像化もされているので小説なんざ読むのたりぃって向きはDVDをチェックしても良いかも。
55点
蛇足:個人的には『春秋の檻 - 獄医立花登手控え』シリーズをプッシュ。

参考リンク

秘太刀馬の骨
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藤沢 周平
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藤沢 周平
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*1:映像化において相当の美化が成されているけれど、アレは殺陣師の功績だわな。

西加奈子 さくら

ASIN:4093861471

あらすじ

師走の年の瀬が押し迫る頃、長谷川薫は一通の手紙を受け取った。それは彼と同じく家を出ていって行方しれずとなった父からの物だった。特徴的な右上がりの尖った字はスーパーの安売り広告の裏面に薄墨で書かれたようなうっすらとした鉛筆書きで、所々読めないところもあり実に読み辛かったが最後の文面でどきりとした。
「年末、家に帰ります。    おとうさん」
今付き合っている彼女と年末を過ごす約束をしたばかりだというのに・・・。
結局薫は甚だ馬鹿馬鹿しい言い訳を思いついた。
【飼っている犬に逢いたくなった。】といういかにも苦しいものだ。
実家で飼っている犬はメスのぶち犬で、血統書とは全く関係ない雑種の犬としては高齢の部類に入る十二歳。つまりはおばあちゃんなわけだが、東京の大学に進んで以来二年間にわたって帰省していなかった。彼女の名前はさくらという。そんなことを考えていたら薫はそれが本当に自分が望んでいることなのかもしれないと変な確信を持ってしまった。頭の中にあるのはただそれだけなものだから、さくらに逢うことはその時はある意味使命だったのかもしれない。

薫にとって二年ぶりの実家は何とも奇妙な感覚を呼び起こさせた。残っている家族と帰ってきた家族の会合は変に気安くて、それでもどこかよそよそしくて、でも気を回すほどの事はなくて・・・。失われた日常が舞い戻ったかのようだった。そして薫は薫にとって二年ぶりのさくらを連れだっての散歩へ出かけた。小学生の頃に転校して以来、元は新興のニュータウンだった街にも手垢が染みこんでいるようだった。薫がこの街で過ごした年月は散歩の途中で何度も蘇った。失われた物を、至らなさを悔やんでも始まらないことは分かっている。でもこの街に帰ってきたら思い出さないわけにはいかないだろう。
今はもう亡い兄のことや、妹のミキが初めて家にやってきた日のこと、そしてさくらと過ごした日々も。
薫は過去を振り返る。愉しいことばかりではない過去を。

感想

西加奈子初読み。2006年本屋大賞ノミネート作品ということで手に取ってみました。ちなみに最終順位は十位とふるいませんでしたが、あんまり関係なさそうですね。この本は小学館HP見た限りでは感動系の後続として期待されていたようです。でもこれはちょっとなぁ。一口に言って系統が違うようと思うんですよ。現場がプッシュする作品、または現状の売れ筋に「感動」のラベルを貼る悪例というか・・・。なんか興ざめです。やはり作品本位であるべきじゃないかなぁ。だとするならば青春小説の方向かと。
一口で言って私はこの作者のバックボーンは全くわかりません。情報収集してないですからねぇ。巻末に書かれている略歴としての

77年5月、イラン・テヘラン市生まれの大阪育ち。関西大学法学部卒業。
04年『あおい』でデビュー。本作が二作目。

これぐらいしかわかりません。なんかこう両作品ともひらがなで表題が組まれて、誰かをクローズアップする物語だとするならば何となくNHKの朝ドラを想起させます。ただ本書は表題と視点人物が一致してないんで感想の域を出ないんですけどね。ま、丁度「さくら」って同名のドラマがあったのも一因でしょう。
本書の構成は主人公の薫の懐古譚とその捻れた線分の先にある現在がサンドイッチのような構造になっています。現在|過去|現在っていう奴です。人に歴史有り、ということが程良く実感できるし、登場人物である家族のそれぞれがどんな人物であったのかという存在感も醸し出せるので、読み手にとって余り意識せずに作品に没入できるでしょう。
こういう構成の作品の場合、平穏・安穏との落差が必要になってきます。そうすることでメリハリが利き、より深く作品世界への感情移入が進みます。まぁ、作中人物の歳が中学生・高校生ということで何となく金八っぽいのは仕方ないですね。ネタ被りもしてるわけですから。
それにしても本作は実に真っ直ぐすぎるのが玉に瑕でしょうか。公正明大を絵に描いたような人物達が悪意に身を委ねることなく善意で構成されているかのように存在しています。もちろん若干一名例外もありますがね。繊細で傷つきやすい彼らはその成長のただ中でヤマアラシのジレンマを学び、人生の苦さに馴れていきます。しかし、馴れることが出来ない人物もまた存在するのです。累積していく重荷に耐えきれなくなり逃避を図ったり、自分の存在理由を失ったりします。そう、この話は過去の傷からの再生の話でもあるんですね。そこに「感動」のシールが貼られるのはいいんですけど、私としては「これ!」っていう印象的な言葉が見つからなかったんですよ。インパクトのある台詞が有ればなおよかったんじゃないかなぁ。
作者の語り口は相当甘めです。読み進みにつれてまるで児童文学を読んでいるような気になってしまいます。変なくすぐったさを覚えたりする「性の講義」はその代表でしょう。かなり直接的で忌避感を私は感じましたけど、そこには方言を交えた長閑さと気安さと暖かさが存在したのも事実です。また、表題の元となっているさくらが登場人物達に向かって話をする様とかにもそれは含まれています。『ハチクロ』のリーダーを思い起こす人はどれくらい居るんでしょうかねぇ。
ってことで、あんまり男性向けではないような感じはする。内容的にはきれいきれいを絵に描いた少女漫画の系譜と考えても決して間違いではないような。作品テーマは愛とかそんな感じっぽいしねぇ。ただ、日常の淡々とした雰囲気を楽しむというちょっとひねた楽しみ方もありかもしれない。
70点
蛇足:妹ネタを普通の小説でも用いるっていうのはなぁ。ブームなんだろうか。

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さくら
さくら
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西 加奈子
小学館 (2005/02)
売り上げランキング: 12,048

アンソロジー 青に捧げる悪夢

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あらすじ

世間から隔絶された全寮制の学校で『笑いカワセミ』というゲームが流行っていることをヨハンはファミリーのジェイから聞いた。ファミリーとは中高の六学年を縦割りにしたグループのことで、彼らとは生活の基盤を一つにする仲なのだ。
やがて人為的な事故が連続して起こるに至って学内で問題になった。何しろ犯人らしき人物は実行が上手くいくと笑いカワセミの様な笑い声をたてるのだ。愉快犯的な意味合いが強く印象づけられる。ヨハンは犯人捜しを始めるのだが・・・。

十七歳の誕生日を迎えた渚は少し困っていた。渚の誕生日は夏休みの開始日と同じなのだ。母親が細腕で育ててくれているから余計な心配をかけたくはない。結局渚はあてのない誕生日を過ごすこととなった。住んでいる場所が適度に田舎なものだから渚はその足の行方を繁華街に向けることなく静寂の満ちる別荘の群れへと向けた。そちらの方には古びた保養施設がある。なんの手も入れていないので相当荒れ果てているが自分の心情にマッチしているかもしれない。そう思って少しわくわくしながら向かった先で渚はちょっと変わった遭遇をした。崖付近で戯れていた渚を身投げするものだと勘違いした人物に助け(?)られたのだ。月明かりさえ無い暗闇の中でふたりは少しだけロマンチックな経験をする・・・が、それは単なる始まりだった。

カメラマンの木下は仕事で一卵性双生児の双子の駆け出しアイドルの仕事に関わることになった。彼女たちはそれぞれ深山はるのと深山あきのという。木下は今回被写体の良さを出す手法としてプライベートな空間を用いれれば・・・そう考えていた。初日の今日はあまりにふたりとも緊張しているようだったので納得のいく出来からは遠かったのだ。以前アイドルの写真を撮ったときにその手法を使ったことで上手く云ったことがあったからそれをもう一度というわけである。まさかそれが殺人トリックの仕込みに使われるとは木下は露ほども考えていなかった。

乱雑にとっちらかった部屋には僕と恵美が住んでいる。恵美は無気力で何かをやろうとしようとすらしない。僕はそんな恵美との生活を続けていたが、ある時恵美は自分が昔遭遇した事件のことを僕に打ち明ける。
恵美はその頃小学生で幸子と馨という友達と一緒に学校から帰る途中で怪しげな男に出会ったらしい。男は公民館への行き方を三人に聞いて、案内して貰いたいといい、車へ三人を上手いこと導いた。当然誘拐を目的とした行為であり、三人を乗せた途端に男は豹変した。道中で幸子は男に殴られまくり、動かなくなってしまった。恵美と馨は男の用意した山小屋からなんとか抜け出そうとしたらしいのだが・・・。

*1は十二年ぶりにその地へやって来た。陰惨な過去を背負った家は既に無く、ただ荒れ果てた小さな土地があるだけだ。懐かしさというのとは違う感慨が胸に去来する。これは風化したはずの恐怖だろう。手にはじっとりと嫌な汗が滲む。緊張するのもやむを得ない。それは私にとって確実にそこにあった危機だったのだから。
十二年前、この土地には我が家があった。そしてあの階段があったのだ。我が家は誰しもが思い浮かべるような快適な安息の場では決してなかった。その理由はただ一つ、父の存在である。父は厳格という言葉からは遠く離れた単なる暴君であった。家庭に君臨する暴君は母に、妹に、そして私に容赦のない暴力を加え続けた。それは陰湿に、無抵抗に対して強権的に、自らの力を誇示するが如く果てしない物だった。
私には梢という妹が居る。梢は小学校に上がるまで私の部屋のある二階には自分の足で上がることはなかった。古い木造家屋の階段は長い年月に渡り人の足で磨き上げられ、急勾配とその極端な幅の狭さで危険と目されていたからだ。素足ならばいいが、グリップの利かない靴下のままでは滑ってしまいかねない。だから妹は二階に上がる場合は母に抱えられて上り下りをしていたのである。しかし、小学校に上がると云うことで父と母と三人で布団を川の字に並べることは無くなった。父が梢を二階の部屋にやったのだ。
結果的に梢は威圧的な父から逃れる事が出来、一時の安息を手にした。新たな問題が立ち上がったのはこの頃だ。梢は家の階段の上り下りに対して苦痛を覚えていた。恐怖心を煽るに十分な高さと絶壁を思わせる急勾配は心理的に彼女を圧迫したのだろう。梢は酷くのろのろと階段を上り下りした。父がそこに目を付けることになるのは必然だったかもしれない。理由のない暴力はその端緒を常に舌なめずりして待っているのだ。
朝、父は梢に三十秒で下りてくるように通告した。時間内に下りてこられなければ朝食は抜きである。私と違って儚げで細い梢には地獄の日々であっただろう。ある時などはお腹のすきすぎで倒れてしまったほどだ。
母は私達に家の中での出来事を他言しないように強く言い含めていた。母は常に私達を守ってくれたわけではなかった。父に付和雷同し、父がいなければ私達と仲良くしていた。母は私達にとって憎むべき敵のはずだった。あの日までは・・・。

十一歳のジェルソミーナは郊外の洋館にただ一人で過ごしていた。彼女には両親と弟が居たが、今は誰も居ない。だだっ広い<お城>で気ままに一日を過ごすのは彼女のお気に入りだった。
元々ジェルソミーナはこの<お城>に来たくて来たわけではなかったのだ。彼女の弟はどうやっても善悪の区別が付かない性分で前に住んでいた街で毒薬を使った事件を起していた。一家はその事件が元でこんな辺鄙な場所にやってきたのだった。でも今は両親は居ない。毒の入ったお茶を飲んでしまって息絶えたのだ。そしてその犯人であろう弟も今はここにいない。
故にジェルソミーナはこの古ぼけた洋館のありとあらゆる場所で悪徳を蔓延らすのに大わらわなのだ。禁じられた場所で禁じられたことをする。例えば入ってはいけないという場所に入り、禁じられた本を読み、夜更かしをして時間を潰すのだ。子供じみてはいるが彼女にとっては真剣事なのだ。なにしろこの閉じた<お城>は今や彼女の物なのだから。死んだ父と母の幽霊はぼんやりと度々出てくるが彼女に何を言うでもなし、苦悶に満ちた表情と饐えた胃液の匂いを漂わせるぐらいのもので怖いとかいう以前にその存在その物が疎ましいだけの存在である。幽霊何するものぞ、そういわんばかりにジェルソミーナは君臨していた。臣下の居ない女王陛下の如く。

  • 新津きよみ 還って来た少女

夏休みが近づいた頃、七穂は級友の智子からこんな話を聞いた。自分とそっくりの子を見かけたというのだ。自分と似ている人は世の中に三人いる、そんな話もあるが七穂がぞっとしたのはそういう部分ではない。智子は俗に言う「この世ならぬものが見えてしまう」性質の持ち主なのである。
故に七穂は自分とそっくりな人物を捜し出そうとする。勿論幽霊かもしれないのだが・・・。

ナオトとユリカは夜の闇濃い中、老朽化した建物へと近づいていった。二人が何故子のようなことをしているかというと、二人の友人であるアカネが行方不明になったからだった。ユリカとアカネは同じマンションの別棟に住んでいるのだが、目と鼻の先の距離でユリカと別れた後アカネは失踪してしまった。日本だけに限っても理由のない失踪という事案は年間二万件近く起きている。警察に相談し、捜索願を出すというありふれた手段では実効性が極端に低いのも事実なのだった。何かの事件に巻き込まれでもしない限り警察は動くことが出来ない。だからこそナオトはユリカにアカネを探そうと持ちかけたのだ。
二人の住むマンションの裏手には幅二十メートルぐらいの川が流れている。そして対岸には古びた工場とかつてはその寮であったらしい建物がある。ナオトはそこが怪しいとにらんでいた。勿論なんの抵抗手段も持たずに適地かもしれぬ場所へ乗り出すなどと云う事はなく、周到に準備をして二人は足を踏み入れたのである。しかし、ナオトは盛大な勘違いをしていた。状況は斜め上をいっていたのだ。

晃司、由紀夫、隆行は幽霊部員の多い映研では数少ない活動をしているメンバーだ。今回は由紀夫の家の別荘でちょっとしたフィルムを撮る予定だった。「避暑地の淡い恋と少年の夏の日の思い出」というコンセプトの甘酸っぱさたっぷりの作品は予想もしないところから躓いた。由紀夫が連れてきていた当の女優がこの環境に耐えられないのだという。別荘といえば聞こえが良いが、実際は山の中に立つ建物である。故にやたらとでかい昆虫が邸内を徘徊していたりするのが普通なのだ。彼女の我慢はぷつんと音を立てて切れ、怒りにまかせて行動をさせてしまったのだ。そう、帰ってしまったわけだ。
そうなると困るのは残された男三人だ。女優が居なければ取る予定の作品に大幅に手を入れざるを得ないだろう。晃司は技術を持っていないから口出し出来ないが、由紀夫と隆行はなんとか作品を撮ろうと苦肉の策である女装案を持ち出してきた。晃司は役得のラブシーンが消えたと思ったら罰ゲームさながらの展開に寒気と精神的疲労を覚えていた。だが、彼の意は作品を撮ることに燃える他方の二人には全く届かない。結局腹を括って代案を凌ごうとした晃司だったが、撮影の始まる前に奇跡が起こった。コンセプトにしっくり来る女性にたまたま遭遇したのだ。しかも、二つ返事で撮影を了解してくれるという展開は奇跡以外のなにものでもないだろう。
演者のはずの晃司は彼女に遭ったことで素の自分になってしまっていた。正直言って非常に愉しい時間だった。だが、撮影後、由紀夫と隆行はチェックしたいと申し出る晃司にはフィルムを見せてくれなかった。なんやかんやと理由をこじつける彼らと問答を続けても無駄と悟った晃司はやむなく引き下がったが、風呂に入る前に忘れ物を取りに行ったところで信じがたい物を見てしまうのだった。

快人と春奈は幼なじみだ。しかし二人の極相は相反している。快人は質実剛健で快刀乱麻、模範的な四角四面の優等生であるが、一方の春奈はというと自堕落を絵に描いたような標準的小学生なのである。
夏休みという長い休みであっても快人はその幼い顔立ちには似合わない堅苦しさを醸し出しつつ宿題に取りかかっていた。涼しい間に勉強をするというのは捗るものだ。だが、春奈はそんな快人のしたり顔に不満げである。理由は明白、快人が春奈に構ってくれないからだ。快人が取りかかっているのは自由研究の「街に残る猪垣について」というものだ。猪垣とは食害を成す猪に対する対抗手段であり、そのほとんどは江戸時代に作られたらしい。現代においても数は少なくとも未だ残っている。快人は古老を訪ねて話を聞いてまとめているのだった。
古老は快人よりも融通の利く人だったので退屈な話の合間に奸計のない挿話を挟んでいた。用意周到な快人は取材に際して音声の録音をしていたのでそれも含めて材料は揃っている。あとは仕上げるだけのはずだったのだが、うちに入り浸っている春奈が勝手な舵取りを始めてしまった。古老の挿話に戦前の「天狗山の天狗」という話があったのでそれに興味をそそられたのだろう。隠して快人は嫌々ながら天狗にまつわる話の検証を始めたのだった。

感想

『赤に捧げる殺意』の前に出たアンソロジー『青に捧げる悪夢』を読みました。この二つはどうやら対になっているようです。一応こちらもミステリーを基調としたアンソロジーという建前のようですが、やはり挟まれているホラーの短編を見るにホラー・サスペンスの方が傾向として強い様です。ただ、ミステリーの短編もきちんと入っているのであくまでその印象が強いだけですが。
こうなってくるとやはり考えざるを得なくなるのは「何を基準にしてどういうコンセプトで纏めたか」というこの本のテーマです。表題の『青に捧げる悪夢』からでは「悪夢」をテーマと考えるのが自然かもしれませんが、必ずしも「悪夢」と言い切ってしまえるだけの根拠は薄弱でしょう。そうするとやはり著作者陣をチョイスしているように思えてきますから不思議です。つまりは作品とそのテーマではなく、著者の方に重きを置いているようですね。当代の戯作者を一堂に会するのが狙いなのかもしれません。ではそれぞれの作品に行ってみましょうか。

佳い意味でも悪い意味でも恩田陸らしい話です。元々シリーズとしてやっている話だそうで、既刊として『麦の海に沈む果実』は舞台と登場人物を同じくしているらしいです。
この話で一番気になるのは「舞台はどこ」で「何語を喋っている」のか?という点ですね。よもや全員日本語を喋っているなんていうのは無しに願いたい物です。でもそうでなければこの話は成り立たないわけで・・・。
どうでも佳い部分での齟齬は悪い方向で、萩尾望都の作品のような異界感と少々のフェティシズムを孕んだ妖しさは良い方向でファンタジーっぽさを演出してますね。一応ミステリーという形は取ってるけどミステリーというよりもどこか古典っぽい。クリスティのあれを思い浮かべる感覚を挟み込んでいるのかも。女性受けはしそうだけどそれだけかなぁ。

若竹さんは名前だけ何度も見かけてましたが初読み。コージー・ミステリーが得意だそうでそういう分野を知らなかった私は初めて知りましたが、これはこれであり。ライトで直接的になった西澤保彦みたいな感じかなぁ。これも女性受けしそうではある。でもちょっと若い感性部分は女性ならではの筆なのか違和感を感じた部分もちょっとあった。単に私が女性作家が苦手なだけなのかもしれないけれど。
ネタとしてはちょっと唐突で種明かしのドンデンは良いけれど全体はややアンバランス。余さず使い切ろうとする気概は買いたい。伏線がありとあらゆる部分に張り巡らされてるからねぇ。
正直他の本も読んでみたくなりました。

ブラックな中の仄かな甘みと酸味が特徴的な作家さんっぽいんだけどこの短編では不完全燃焼気味かなぁ。解決部分は好きな方だけどトリックはありふれてるし、人間的成長やら残酷さには今回は縁がなかったようだしねぇ。ま、誌面の関係上って奴なんだろうけど。
ただまぁ、動機部分はかなり納得のいく方向だったからこれはありかな。この作品からだとハードボイルド系の方向の人っぽいね。

実に懐かしい名前に遭遇しました。ってまだ作者は存命でつい最近作品集の『脳髄工場』出したばっかりですがね。なお、懐かしいってのには理由があります。『玩具修理者』を学生時分に読んで以来手に取ってなかったからです。まぁ、正直薄情ですねぇ・・・。
しっかし、久しぶりに読んでみると「ああ、なんて厨臭いんだw」とか目茶苦茶な感慨がわいて来ちゃいました。混沌を稚拙さに擬態させそれらしく話は構築されています。当然ながらこの話はホラー基調です。ありふれた題材を上手く料理したのは確かですけど劃然とした重力を持った異界感は読む人を選びそうですねぇ。でもこの雰囲気を味わっちゃったら久々にホラーが読みたくなってきました。あとなんとなくヴィジュアリストの人を想起しました。結構距離的に近いかも。

私がこの本を読む気になった一番核心的な作家の作品登場。暗黒小説家はやっぱり目の付け所がおかしいわ。日常の非日常を切り取るという意味では既に無くしてしまっているものを追体験させるなんていうショックは中々遭遇できないですよ。この話は高所恐怖症の人にとって相当なスリルを味わえること確実ですわ。当の高所恐怖症の人間が云ってるんだから信憑性が増すと良いなぁ。
ま、なんにせよこの本の中で少なくとも玉が一つは入っているのは確実。作者にしては短編として考えれば少々回りくどい構成もこれはこれで味がある。恐怖という要素を日常的な部分で補強しているだけに強烈ですよ。殺人鬼が出てきたり歩く死体が出てこなくてもホラーは成立するんですなぁ。

どっちかっていうとファンタジーな話です。幻想味はたっぷりだけれどうちに籠もってしまう話なのでちょっとがっかり。アイデアは悪くないんだけどねぇ。やっぱり日本の風土から西洋方向へ向かうのは憧れなんだろうか。

  • 新津きよみ 還って来た少女

ある意味でホラーとミステリーを両立させた作品ですが、もっと野放図に話を広げて悲劇調へ持っていった方がネタ的にはマッチしたかも。少女漫画系ホラーの悪意を形にしたのは良かったけれど、誌面の関係でドロドロが中途半端に感じました。決して嫌いじゃないんだけどひと味足りない。

臨場感たっぷりのサスペンススリラーです。使い古されまくったネタでも筆力次第で調理可能であることを証明しています。温故知新的な古典ホラーとして何も考えずに楽しめればokじゃないですかねぇ。偶にこういうの読むと新鮮だなぁ。

瀬川貴次でも活動している作家さんです。本作は笑激ホラーの系統。でもどこか慎ましやかで微笑ましい情景はギャップを産み出しているんでしょうけど視点的な部分でそれが打ち消されてなんともへんてこな味わいがでています。ま、これはこれでよし。

うーん、何とも言い難い作品でした。本作は嫌味なく上手いんですが、トリックが大時代的なような・・・。キャラなんかは文句ないんですけどねぇ。

一作だけではわからないことが多いので、順当に手を出していくかなぁ。
うーん、スニーカーのホラーアンソロジーを重点的に読んだ方が良さそうな気がしてきました。てか、ホラーアンソロジーならば異形コレクションを追う方が先かもしれない。でもあれ巻数多いんだよなぁ。

参考リンク

青に捧げる悪夢
青に捧げる悪夢
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恩田 陸 近藤 史恵 小林 泰三 乙一 若竹 七海
角川書店 (2005/03)
売り上げランキング: 5,068

*1:この人は女性。

福井晴敏 6(シックス)ステイン

ASIN:4062126419

あらすじ

  • いまできる最善のこと

退役情報局員の中里祐司が辺鄙な場所で遭遇した男は中里のかつての案件の当事者だった。復讐に燃える北朝鮮の戦闘員に命を狙われる中里は生還できるのだろうか。

  • 畳算

防衛庁情報局、通称市ヶ谷に送られてきた一通の手紙は東西冷戦の過去の遺物そのものであったが、上層部としては看過するにはあまりに危険が大きかった。それはスーツケースに関する手紙である。過去を記憶に留めている者達にとっては血眼になるに十分な話でもあった。かつてソ連はスーツケース型の小型核をいくつも製造していた。手紙の主は奇縁でそれを手にしたのであった。ソ連の元スパイであった男の手紙の裏は取れ、捜索に着手した実行部員であった堤は現物を手に入れるために現地に赴く。
堤はスーツケースの行方を知るスパイの男の妻からなんとか聞き出そうと頑張るが逆に金を出せ、とやられてしまう。

  • サクラ

高藤征一は同期の北上から頼み込まれて仕方なく現場に出ることになった。根っからの事務屋である高藤は初任の実地研修以来の現場である。定期的に訓練は受けているが不安が残る。今回の事案はサクラと呼ばれるAP(警補官*1)とタッグを組んでの作戦である。偽女子高生の格好をしたサクラこと伝法真希のコードネームのサクラとは桜肉のサクラであるらしい。どう見ても娘の年齢にしか見えないサクラと作戦を実行するとなると不安が残るが、現場慣れしていない高藤自身がネックになると考える方が客観的であろう。
今回の作戦は芦田和生という軍需産業に関わる東和電気の技術者で管理職の男が愛人を作ったことをネタに「北」から強請られて情報漏洩を行っている、という可能性から立案されたものだ。愛人の女も「北」の関係者で露骨な美人局らしい。北としては情報を得た後邪魔になる芦田をそろそろ清算したがっているようなので芦田を保護するのが第一の目的である。
それにしても高藤はサクラにやりこめられっぱなしだったのですぐ先に控えている大立ち回りに不安を覚えずにはいられなかった。

  • 媽媽(マーマー)

坂本由美子は同僚であった根岸光昭と結婚し、寿退社という形で情報局の仕事から足を洗ったはずだった。だが、彼女自身が思っているほど強くはなかったのだ。育児ノイローゼに罹ってしまった彼女がとれる道はたった一つしかなかった。すなわち復職である。母として強くあるためには家庭以外の場所が必要だったのだ。それを実行して以来由美子はすっかり立ち直った。だが、日常的に想起される後ろめたさは軽減されることはなかった。六歳になった息子の勇に対して胸を張って誇れることだろうか?
そんな由美子が現在追っているのは航海上で武器の密輸をしていた不審な漁船に関する案件である。武器の密輸自体は暴力団関係などを考えればそう珍しいことではないが、この案件に関しては別となる。何故ならば大量の武器弾薬が確認されているからだ。拳銃の類ならばまだわかるが、アサルトライフルを大量に必要とする集団は少ない。それに最近アジアにおいては国際的なシンジケートであろうと推測される海賊がいる。立ち回りは非常に用意周到で尻尾を出さないため、詳しい情報は少ないがおそらくは関係しているものと考えられる。つい最近くだんの日本側漁船の船長が死んだ。崖からの転落死であったがおそらくは事故に見せかけて消されたのだろう。
それでも市ヶ谷は船長の残した細くて頼りない糸をたぐり海賊組織『ミューズ』の関係者と思われる人物を探り出した。由美子はそのくだんの人物ユイ・ヨンルウを追っていた。もう既に消されている可能性と赤坂(在日CIA)からの横やりを受けながら作戦は瓦解寸前であったのは事実である。だが、懐中に雛鳥が舞い込むと誰が予想しただろうか。由美子はその報を聞いて直ちに現場に向かうのだった。

  • 断ち切る

椛山為一はかつて断ち切り師と呼ばれる種類のスリであった。その見事な腕はその道では実に名高いが、現在は家族の疎まれ者に過ぎない。老練な腕を持っていてもそれは持ち腐らさせる以外にないのが世の現状である。世相は移り変わり、現金を人はあまり持ち歩かなくなったのだから。しかし、彼が足を洗ったのにはそれ以外にも理由がある。既に没している妻への謝罪の姿勢であり、家族への迷惑を顧みて、というと確かにそれもある。だが椛山をしつこく追ってきた一人の犬に対する意趣返しというのが正確なところであろう。椛山をゲンタイすることを望む男の妄念は椛山を娑婆へ返すことを第一に考えて嘆願書を書き椛山の刑期を短くしたほどである。何が悲しくてまた捕まらなきゃならんのか、付き合っていられないというのが本音であろう。
だが、椛山が孫を連れ立ってやって来た鬼灯市でくだんの犬と遭遇してしまう。韮沢という官警の犬は椛山に頼み事をしたいのだという。「断ち切りのタメ」と見込んでの話とのことであった。椛山は一度は断ったものの引き受けることにした。第一には息子の会社の給金の支払いが余り良くないことがある。サービス残業で汲々としている息子を見るに忍びない。だが、そちらよりももっと心動かされたのは韮沢に頼ってきた依頼者の方である。老女と呼ぶには若さが覗く女性は息子の未練を晴らすためにもある男を地獄の底に叩き落としたいのだという。そこに絶望の匂いと復讐の苦さを感じた椛山は一肌脱ぐことにしたのだ。もはや残っているのは朽ちていくだけの身である。故に未練はなかった。

  • 920を待ちながら

須賀義郎はAPである。正業はタクシードライバーで作戦に関係する人物を車上の人とすることもある。いつもの"予約"営業で須賀はその男と出会った。まだ若い男は須賀の名前を聞く問いかけに返答を渋っていたが、いざというときの信頼という言葉に木村と答えた。そりゃまぁ偽名でも何でも良いとは言ったが、アイドルの名字を借りるとはなんという短絡的な・・・。須賀は呆れ半分妙な感心もしてしまった。木村は出るところに出ればそれなりに脚光を浴びるであろう面相の持ち主だったのだ。「その機会さえあれば」という但し書きが付くが。その時は素直に別れた二人だった。だが、すぐに再会の時はやってくる。
かつて須賀は組織に忙殺された親友が居た。組織の不明瞭な会計を逆手にとって私腹を肥やす連中の膿を吐き出させるべく行動し、明らかな関係者を人質にとったが組織としては「叛乱」という認識で掃討に乗り出したのだ。勿論それだけ汚職に手を染める関係者の手が長かったというだけの話だ。その片棒を知らぬ間に担がされていた須賀は土壇場で九死に一生を得たが形のないしこりが心に残った。以来親友の娘の面倒をそれとなく見ていた須賀であったが、新たな作戦で木村と会い、その作戦で引退したはずの920が自分たちを追っていることに気付く。920とは殺された親友を撃った狙撃手のコードネームである。作戦の目的がかつての「叛乱」事件で人質を演じた人物の監視となれば舞台は整いすぎている。須賀と木村は二の舞を舞わないように立ち回ろうとするのだが・・・。

感想

福井晴敏三作目。今回は短編集です。主に市ヶ谷と呼ばれる諜報組織に関連した人間模様を基本的に独立した短編で綴るという作者としては珍しい方の作品ですね。
筆者の福井さんというとここ最近は糞分厚い上下分冊のハードカバーがデフォです。しかも分量は大抵一冊300ページ超えで段組されているのも特徴で三月に上梓*2された『Op.ローズダスト』もそんな感じで一見さんにはちときつい作家さんですね。何しろちらっと一面を覗きたいだけの人には怒濤の如く押し寄せてくる文字の羅列や一向に目減りを見せない残ページがプレッシャーになりそうな感じがします。ま、私見ですがね。
そんな筆者が短編を書いている、というのはある意味で驚きでした。何しろ本屋によっても「ああ、あの作家の作品があるなぁ」ぐらいで直接手にとっても中身に手を付けることの方が稀なもんで。だって勿体ないじゃないですか。リラックスして布団に横たわりながら自堕落に読みふけるあたりが私にとって一種の幸福の形ですからねぇ。ま、現実は電車内の窮屈な空間をやりくりしながら読んでるわけですが。
さて、長編が基本の作家なわけですが短編の出来は是如何に?結論から言うと一段劣るというのが読んでみた感想です。長編で作品世界の感覚を丹念に編み上げて物量に任せて力業で押し切る、そういう作風だけに一発限りの単発ネタをやるにはちと軽微な部分での勘案が足らなかったように思います。いっそのこと作中のネタが嫌いに成れれば良かったんですが割り切るには基礎底流が似通っているため私には難しかったです。要するに「くたびれ果てた中年の哀愁」とか「報われない復讐」とか「所詮無駄な反逆」とか「悔恨の清算」とかの事です。ここら辺の要素に何か感じた人には悪いですが期待をしすぎるのもアレなので先に言っておきます。悲しいことにこの本はマンネリズムの虜になっているのです。一番初めの『いまできる最善のこと』とその次の『畳算』はそれぞれ形を変えていますが実像としてはほとんどコピーと言って差し支えないのではないか、私はそう思いました。組織に背を向ける、そういう背景があるのは時代と政治とそして組織が自分たちを守ってくれるに足る存在ではない、そういう見切りが内在しています。つまりは諦観から人間であろうと組織から身を切り離したわけですな。この二作については習作なんじゃないかなぁ。ま、不透明で確固とした基盤を持たない雲上の権力よりも現場の愁嘆場を描くあたりは良いのですが、信念も確信も無しに指図のままに盤上の駒にされる人物達の悲喜こもごもという短編を集めただけでは同潮流に纏まってしまってそれぞれの機微が埋もれてしまっているように感じるのです。ただ、一概にはそうも云えないのが厄介なところです。五番目に収録されている「断ち切る」は唯一主人公が市ヶ谷関係者ではないので一連の流れから浮いています。佳い意味で異色で話が立っているわけなんですが、惜しむらくは連続物であり、一時的な幕間狂言語りになってしまっているところですかねぇ。完全独立の話としてこういう趣向の話が合った方が良かったように思います。
とまぁ個人の好みはさておいて、ちょっと内容の方にも突っ込みを。市ヶ谷の周辺人物を集めた本作は根っこを同じくする既刊の『亡国のイージス』、『12Y.O.』*3の登場人物が出現しておるらしいです。『亡国のイージス』に絡むのは本作の最後「920を待ちながら」です。ま、前か後かはよくわからないところがミソですな。当然先の二作を読んでからの方が楽しめるでしょう、キャラクターに愛着がある人には格別でしょうし。しかしまぁ市ヶ谷の徹底不足がここに明らかになってしまっているわけで失望というか落胆というか腹黒さよりも弱腰が目立ってしまい拍子抜けしちゃった部分は否めません。戯化的な部分を心得ている作家だと思っていただけに一種のダークヒーロー物として考えた場合は、「その闇が濃ければ濃いほど周囲の闇も濃い」というお約束をやってくれると思いきや実際は日本の政治の弱腰を補足するに留まっちゃいましたし。こういう場合はリアリズムは敵だなぁ、などと思ったりします。
ってことで、出来れば短い作品で客寄せを願いたいところですが、これから入るのは厳しいという様相です。「外伝」って言うのが一番しっくり来る表現でしょうからねぇ。作家買いをする人や先の二作を読んだ人向けって感じですわ。
65点
蛇足:6ステイン(stain)って「六つの汚点」または「六つの傷」って意味だからある意味で内容と表題は一致してます。

参考リンク

6ステイン
6ステイン
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福井 晴敏
講談社 (2004/11/05)
売り上げランキング: 5,174

*1:他に本業を持ち必要時にのみ少数されて任務にあたる職分の協力者。一部の例外を除けば自衛官出身者が大半を占める。

*2:てっきり読みが「じょうじ」で書きを「上辞」だとばかり勘違いしていた。そりゃweb辞書に載ってないわけだ。

*3:こっちの方を私は未読。もしかしたらこちらを読んでいないから・・・っていう可能性はあり得そうだなぁ。