“萌え” と “オタク” の定義。

萌えに真実がある――「萌え萌えジャパン」取材秘話によると, “萌え” は 情報量の脳内補完 だとか。たぶんはぢめて聞いた見解だが,己の普段の萌え活動を冷静に見つめれば,まさにその通りかもしれない。私もハロメンなどについて, TV等から断片的に得られる情報をもとに,素の性格や私生活での振る舞いなどを勝手に妄想することは少なくないからだ。
頁2/2は,読んでいてちと複雑な気持ちになった。まず,オタク⇒三原則の全てに当てはまる が真としても,逆は必ずしも成り立つとはかぎらないだろう。三原則を満たすだけなら,私にも簡単である。

  1. 私はオタクでないと自覚している。
  2. 私の知り合いには,ハロプロをはじめPC, アニメ,ゲーム,ロリィタ ファッション,メイド喫茶,鉄道,…とさまざまな方面のオタクがいる。そのため,彼らの楽しむことをバカにされるのは,決して気持ちのよろすぃものではない。
  3. Macと戯れながら青春時代を過ごし,気付けばそろそろMac歴10年になろうとしている私にとって, (1995年以降の) Macネタを語るのは,さう難しいことではない。
    私が計算機上で動くものを作ることに興味を覚えたきっかけは, HyperCard (と, 1995年前後の「Mac Fan」に連載されていた,そいつのチュートリアル) である。当時のMacには,スタックの開発に要る最低限の機能をもった「HyperCard Lite」がバンドルされていた。マニュアルはついてこなかったが,市販のチュートリアルやリファレンス本がそこそこ充実していたので,誰でもそれなりのスタックを作って楽しめる環境が整っていた。もしそのやうなものがなかったら,いまの私がソフトウェアの開発に従事しているかどうかもぁゃゃすぃ。
    ハロプロに関しても,マターリとファンをやりながら, 5年半ほどの歳月が過ぎてしまった。よくまぁ飽きずに続いてるものだと,自分でも感心したり w。

しかし,これだけで私がオタクか否かを,見ず知らずの人が判断するのは,難しいと思われる。
オタクと一般人の間には、越え難い一線がある…これは,とりあえず否定しない。ただし “かぎられた条件下において,オタクと一般人は十分仲良くできる” と加えておこう。その条件は,次のやうなものになるだろう。

  1. 両者,共通の世界に興味・関心をもつ。
  2. オタクは一般人へ何かを伝えるとき,なるべく一般人に解りやすい表現を用いる。
  3. 一般人は,その分野のオタクが好む用語や行動の傾向を,多少なりとも理解している。

うす味連合のメンバーはほとんど一般人だが,ハロプロには大いに興味をもっており,ハロプロオタク特有の用語や行動パターンをある程度把握しているので, “一線” をほとんど意識せずにハロプロオタクとのコミュニケーションを図れている。顔の広いオタクと仲良くしておくと,その人がオタク-一般人間のブリッジの役目をなし,さらにたくさんのオタクと知り合えたりもする。