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2016-05-28 歴史の瞬間。

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広島でのオバマ大統領スピーチ
わざわざ訪問するからには「それなりの内容」はあるだろうと予想していたが驚いた。
歴史的名文ではないだろうか。
相当優秀なライターが起草したに違いない。
平易な文章ながら実に論点シャープである。

英語では全ては理解できず、和訳を読むと幾つもの重要なメッセージがある。
野暮なのでいちいちここが、という話はしないけれど、「さすがノーベル平和賞」と言いたくなるような内容だと思う。

日本の人も、その内容をじっくり読んでこれからの国際観を考える縁にしたらいいだろう。

科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があります。
原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。
だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。

暗いことも色々あるけれど、それでも少しでも前を向いていける理由とか、そんな視点が必要だ。
「争いとは何か」ということについて歴史的な草稿になりそうな気がするが、どうだろうか。
ついでに英語の原文も味わってみるのも面白い。

「恐ろしい力に思いをはせるために」 米大統領演説全文

2016年5月27日23時01分

 オバマ米大統領は27日、現職の米国大統領として初めて被爆地・広島を訪問し、演説した。「核なき世界」の実現に向け、「1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません」と訴えた。朝日新聞による全文の日本語訳は次の通り。

 71年前、明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示したのです。

 なぜ私たちはここ、広島を訪れるのか。私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために訪れるのです。10万人を超す日本人の男女そして子どもたち、何千人もの朝鮮人、十数人の米国人捕虜を含む死者を悼むために訪れるのです。彼らの魂が私たちに語りかけます。私たちに内省し、私たちが何者なのか、これからどのような存在になりえるのかをよく考えるように求めているのです。

 広島を際立たせるのは戦争の事実ではありません。暴力を伴う紛争は太古の昔からあったことが古代の遺物からわかります。火打ち石から刃を作り、木からやりをつくることを学んだ私たちの祖先は、これらの道具を狩猟だけでなく、人間に対しても使ったのです。食糧不足、富への渇望、国家主義的な熱烈な思いや宗教的熱情に突き動かされ、世界のどの大陸でも文明の歴史は戦争にあふれています。いくつもの帝国の興亡があり、人々は服従を強いられたり、解放されたりしました。それぞれの時期に罪なき人たちが犠牲になり、その名は時がたつにつれて忘れられていきました。

 ログイン前の続き広島と長崎で残酷な終結を迎えることになった世界大戦は、最も豊かで、最も力の強い国々の間で戦われました。それらの国の文明は世界に偉大な都市や素晴らしい芸術をもたらしました。思想家たちは正義や調和、真実に関する考えを生み出してきました。しかし戦争は、最も単純な部族間の紛争の原因となった、支配や征服をしたいという本能と同じ本能から生まれてきたのです。新たな能力によってその古いパターンが増幅され、ついには新たな制約がなくなってしまったのです。

 数年の間で6千万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと何ら変わりのない人たちが、撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、投獄され、飢えやガス室で死んだのです。この戦争を記録する場所が世界に数多くあります。勇気や英雄主義の物語を語る記念碑、筆舌に尽くしがたい悪行を思い起こさせる墓地や無人の収容所です。

 しかし、この空に立ち上ったキノコ雲のイメージのなかで最も、私たちは人間性の中にある根本的な矛盾を突きつけられます。私たちを人類たらしめているもの、私たちの考えや想像力、言語、道具をつくる能力、自然を自らと区別して自らの意思のために変化させる能力といったものこそが、とてつもない破壊能力を私たち自身にもたらすのです。

■「8月6日の記憶忘れてはならない」

 物質的な進歩または社会的革新によって、私たちは何度この真実が見えなくなるのでしょうか。どれだけたやすく、私たちは何かより高い大義の名の下に暴力を正当化してきたでしょうか。あらゆる偉大な宗教が愛、平和、公正への道を約束しています。しかし、いかなる宗教も信仰が殺戮(さつりく)の許可証だと主張する信者から免れていません。

 国家は人々を犠牲と協力で結びつける物語を伝え、顕著な業績を可能にしながら台頭します。しかし、それらの同じ物語は、幾度となく異なる人々を抑圧し、その人間性を奪うために使われてきました。

 科学によって、私たちは海を越えて通信を行い、雲の上を飛び、病を治し、宇宙を理解することができるようになりました。しかし、これらの同じ発見は、これまで以上に効率的な殺戮の道具に転用することができるのです。現代の戦争は私たちにこの真実を教えてくれます。広島がこの真実を教えてくれます。

 科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性があります。原子の分裂を可能にした科学の革命には、道徳上の革命も求められます。だからこそ、私たちはこの場所を訪れるのです。私たちはここに、この街の中心に立ち、原子爆弾が投下された瞬間を想像しようと努めます。目にしたものに混乱した子どもたちの恐怖を感じようとします。私たちは、声なき叫びに耳を傾けます。私たちは、あの恐ろしい戦争の弧の中で、それ以前に起きた戦争で、それ以後に起きた戦争で殺されたすべての罪なき人々を思い起こします。

 単なる言葉だけでは、こうした苦しみに声を与えることはできません。しかし私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。いつか、証言するヒバクシャ(被爆者)の声が聞けなくなる日がくるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を薄れさせてはなりません。その記憶は、私たちが自己満足と戦うことを可能にします。それは私たちの道徳的な想像力を刺激し、変化を可能にします。

 あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきました。米国と日本は同盟だけでなく、私たちの市民に戦争を通じて得られるよりも、はるかに多くのものをもたらす友情を築きました。

 欧州諸国は、戦場を通商と民主主義の絆に置き換える連合を築きました。抑圧された人々と国々は解放を勝ち取りました。国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を制限し、縮小し、最終的には廃絶するために働く組織と条約をつくりました。

 それでもなお、世界で目の当たりにする国家間のあらゆる攻撃的行動、あらゆるテロ、腐敗、残虐性、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。

■「広島と長崎 道徳心の目覚めに」

 私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。

 私の生きている間に、この目標は実現できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力によって、悲劇が起きる可能性は減らすことができます。私たちは核の根絶につながる道筋を示すことができます。私たちは、ほかの国への核拡散を止め、狂信者たちから致死性の物質を遠ざけることができます。

 しかし、それでもまだ十分ではありません。なぜなら、粗製のライフルや樽(たる)爆弾でさえ、どれだけ恐ろしい規模の暴力を起こせるのか、私たちは世界で目の当たりにしているからです。私たちは戦争そのものへの考え方を変えなければいけません。それによって、外交を通じて紛争を防ぎ、すでに始まった紛争を終わらせる努力をしなければなりません。相互依存の高まりが、暴力的な競争の原因になるのではなく、平和的な協力を生むものだと考えるのです。そして、私たちの国家を、破壊能力によってではなく、何を築き上げるかで定義づけるのです。

 そして、おそらく何にもまして、私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係をつくり直さなければいけません。なぜなら、そのことも人類を比類なき種にしているものだからです。私たちは遺伝情報によって、過去の間違いを繰り返す運命を定められているわけではありません。私たちは学び、選ぶことができます。人類が共通の存在であることを描き、戦争をより遠いものにし、残虐な行為は受け入れられがたいような、異なる物語を私たちは子どもたちに伝えることができます。

 私たちはこうした物語を、ヒバクシャの中にみることができます。原爆を投下した爆撃機のパイロットを許した女性がいます。なぜなら、彼女は本当に憎いのは戦争そのものだと分かっていたからです。ここで殺された米国人たちの家族を捜し出した男性がいました。なぜなら、彼は彼らの喪失は自分たちの喪失と等しいと信じていたからです。

 私の国の物語はシンプルな言葉から始まりました。「すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた」。そうした理想を実現するのは、たとえ私たちの国内であっても、国民同士であっても、決して簡単なことではありませんでした。しかし、その物語へ忠実であり続けることは、努力に値することです。大陸を越え、海を越えて追い求められるべき理想なのです。すべての人の減らすことのできない価値。すべての命は尊いという主張。私たちはたった一つの人類の一員なのだという根本的で欠かせない考え。これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。

 それが、私たちが広島を訪れる理由です。私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもたちの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。私たちはそうしたことを思い浮かべ、71年前、同じ大切な時間がここにあったということを知ることができるのです。亡くなった人たちは、私たちと変わらないのです。

 普通の人たちは、このことを分かっていると私は思います。普通の人はもう戦争を望んでいません。科学の驚異は人の生活を奪うのでなく、向上させることを目的にしてもらいたいと思っています。国家や指導者が選択をするにあたり、このシンプルな良識を反映させる時、広島の教訓は生かされるのです。

 世界はここで、永遠に変わってしまいました。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしています。なんて尊いことでしょうか。それは守り、すべての子どもたちに与える価値のあるものです。それは私たちが選ぶことのできる未来です。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのです。

<原文>
>>

オバマ米大統領・広島訪問 スピーチ全文(英語)

71 years ago, on a bright cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed. A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.

» 「核兵器なき世界」へ決意表明 オバマ米大統領、広島訪問

Why do we come to this place, to Hiroshima? We come to ponder a terrible force unleashed in the not so distant past. We come to mourn the dead, including over 100,000 Japanese men, women and children, thousands of Koreans and a dozen Americans held prisoner.

Their souls speak to us. They ask us to look inward to take stock of who we are and what we might become.

It is not the fact of war that sets Hiroshima apart. Artifacts tell us that violent conflict appeared with the very first men. Our early ancestors, having learned to make blades from flint and spears from wood, used these tools not just for hunting but against their own kind.

On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.

The World War that reached its brutal end in Hiroshima and Nagasaki was fought among the wealthiest and most powerful of nations. Their civilizations had given the world great cities and magnificent art. Their thinkers had advanced ideas of justice and harmony and truth, and yet the war grew out of the same base instinct for domination or conquest that had caused conflicts among the simplest tribes, an old pattern amplified by new capabilities and without new constraints.

In the span of a few years some 60 million people would die; men, women, children -- no different than us, shot, beaten, marched, bombed, jailed starved, gassed to death.

There are many sites around the world that chronicle this war -- memorials that tell stories of courage and heroism, graves and empty camps, the echo of unspeakable depravity.

Yet in the image of a mushroom cloud that rose into these skies, we are most starkly reminded of humanity's core contradiction -- how the very spark that marks us as a species, our thoughts, our imagination, our language, our tool making, our ability to set ourselves apart from nature and bend it to our will -- those very things also give us the capacity for unmatched destruction.

How often does material advancement or social innovation blind us to this truth? How easily do we learn to justify violence in the name of some higher cause?

Every great religion promises a path to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.

Nations arise telling a story that binds people together in sacrifice and cooperation, allowing for remarkable feats, but those same stories have so often been used to oppress and dehumanize those who are different. Science allows us to communicate across the seas, fly above the clouds, to cure disease and understand the cosmos. But those same discoveries can be turned into ever more efficient killing machines.

The wars of the modern age teach us this truth. Hiroshima teaches this truth. Technological progress without an equivalent progress in human institutions can doom us. The scientific revolution that led to the splitting of an atom requires a moral revolution as well.

That is why we come to this place. We stand here in the middle of this city and force ourselves to imagine the moment the bomb fell. We force ourselves to feel the dread of children confused by what they see.

We listen to a silent cry. We remember all the innocents killed across the arc of that terrible war, and the wars that came before, and the wars that would follow.

Mere words cannot give voice to such suffering. But we have a shared responsibility to look directly into the eye of history and ask what we must do differently to curb such suffering again.

Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness. But the memory of the morning of August 6, 1945 must never fade. That memory allows us to fight complacency. It fuels our moral imagination, it allows us to change.

And since that fateful day we have made choices that give us hope. The United States and Japan forged not only an alliance, but a friendship that has won far more for our people that we can ever claim through war.

The nations of Europe built a union that replaced battlefields with bonds of commerce and democracy. Oppressed peoples and nations won liberation. An international community established institutions and treaties that worked to avoid war and aspired to restrict and roll

back and ultimately eliminate the existence of nuclear weapons.

Still, every act of aggression between nations, every act of terror and corruption and cruelty and oppression that we see around the world shows our work is never done. We may not be able to eliminate man's capacity to do evil, so nations and the alliances that we formed must possess the means to protect ourselves.

Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.

We can chart a course that leads to the destruction of these stockpiles, we can stop the spread to new nations, and secure deadly materials from fanatics. And yet that is not enough, for we see around the world today how even the crudest rifles and barrel bombs can serve up violence on a terrible scale.

We must change our mindset about war itself -- to prevent conflicts through diplomacy and strive to end conflicts after they've begun; to see our growing interdependence as a cause for peaceful cooperation and not violent competition; to define our nations not by our capacity to destroy but by what we build; and perhaps above all reimagine our connection to one another as members of one human race -- for this too, is what makes our species unique.

We're not bound by genetic codes to repeat the mistakes of the past. We can learn. We can choose. We can tell our children a different story, one that describes a common humanity, one that makes war less likely and cruelty less easily accepted.

We see these stories in the Hibakusha: the woman who forgave the pilot who flew the plane that dropped the atomic bomb because she recognized what she really hated was war itself; the man who sought out families of Americans killed here because he believed their loss was equal to his own.

My own nation's story began with simple words. All men are created equal and endowed with certain inalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness.

Realizing that ideal has never been easy, even within our own borders, even among our own citizens. But staying true to that story is worth the effort. It is an ideal to be strived for, an ideal that extends across continents and across oceans.

The irreducible worth of every person, the insistence that every life is precious, the radical and necessary notion that we are part of a single human family: that is the story that we all must tell.

That is why we come to Hiroshima, so that we might think of people we love, the first smile from our children in the morning, the gentle touch from a spouse over the kitchen table, the comforting embrace of a parent.

We can think of those things and know that those same precious moments took place here 71 years ago. Those who died, they are like us.

Ordinary people understand this, I think. They do not want more war. They would rather that the wonders of science be focused on improving life and not eliminating it.

When the choices made by nations, when the choices made by leaders reflect this simple wisdom, then the lesson of Hiroshima is done.

The world was forever changed here, but today the children of this city will go through their day in peace. What a precious thing that is. It is worth protecting and then extending to every child.

That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare, but as the start of our own moral awakening.

※米政府が発表したものではなく、共同通信が起こしたものです。(共同通信)

2016-05-27 黒船ウーバー上陸。

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いよいよ規制の壁にもヒビが入ってきた。

ウーバーの参入に、業界が抵抗しているが少し先を見て関係者は思考を変えねばならないだろう。

今となっては「自由に人の運送ができて何が悪いのか」ということに、長らく業界が慣れてしまったのだと思う。
郵便や宅配は先にその競争を経験しているから「安全性」とか「業務の質」とかをお題目に、参入規制ありきというのは崩れてしまうだろう。

まずは「公共機関の空白地域」ということだけれど、自分はタクシー業界のサービス革新は「手詰まり」に来ていると思う。
料金面でもそうだが、安くなくとも「さらなる付加価値を伴うサービス」はいくらでも可能なはずだ。
カーナビが付いているのに道順が分からないとか、道路状況を調べていないとか、運転の質が良くないとか、改善項目だって幾らもあるだろう。
どうも「規制があるから、この程度のサービスでもいいや」という意識が見え隠れしていないだろうか。

自分が乗った過去最高のタクシーは、元大手銀行役員の専属運転手をしていた人だった。
自動ドアを開けるところから、何よりも加速減速のスムーズな運転技術とか、さらには会話の内容や巷のニュースや天気についてなど、全く「これがコンシェルジェだ」というような接客ぶりだった。(今でもレシートは記念に保存している)

あんなドライバーが増えれば、間違いなく公共交通機関よりも「タクシーの乗り心地」を求める人は増えるだろう。
黒船ウーバーを契機に、「おもてなしnippon」がさらなる高みに行けばいいなと思う。

やる気になればこの国の人はすごいから。

ウーバー「縛りだらけ」の日本参入 タクシー業界抵抗
京都京丹後市事業開始
2016/5/26 23:35
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 米配車アプリ大手のウーバーテクノロジーズは26日、日本で初めて一般の運転手が客を有料で同乗させる事業を京都府京丹後市で始めた。乗車できるのは一部地域に制限され、運転手や車両は国に登録が必要で、がんじがらめのスタートだ。背景にはタクシー業界の強い抵抗がある。世界で事業を拡大する同社にとって、日本は狭く険しい道となる。

タブレットを使いウーバーのシステムを見せる住民ドライバー(京都府京丹後市)
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タブレットを使いウーバーのシステムを見せる住民ドライバー(京都府京丹後市)

 「やっとスタートがきれた」。京丹後市で開いた記者会見日本法人ウーバージャパンの高橋正巳社長の言葉にはこれまでの苦労がにじんだ。

 新サービスは住民が運転する自家用車と乗客をウーバーのシステムで組み合わせる。18台が参加し、料金はタクシーの半額程度。ウーバーは料金収入の一部を受け取る。

 自家用車で乗客を運ぶことが「白タク」として禁じられる日本でも公共交通機関の空白地帯なら認められる。だがウーバーが住民やタクシー会社への説明会を繰り返すなかで様々な縛りが付いていく。客が乗れるのは過疎が深刻な一部地域に限り、日々の運行実績を市に報告する方針が決まった。いずれも米国では必要ない。タクシーのように縛られ本来の自由なビジネスとはかけ離れた。

 この間、大手タクシー会社の幹部が調査の名目で京丹後市入りし、プレッシャーをかけるかのような動きをしたことも影響したとの見方がある。

 70カ国・地域で事業をするウーバー。日本ではつまずきの連続だった。昨年に福岡市で始めた配車実験は運転手への報酬が違法の恐れがあるとして国が中止を指導した。

 今年2月には富山県南砺市との実験計画を発表。訪日客の受け入れ体制を充実させようと田中幹夫市長が主導した。これにタクシー業界がかみついた。本格参入されれば市場を一気に奪われる――。市議会議員への働きかけを強め、市は3月、実験予算を撤回する。田中市長は「予算の計上前に発表すべきではなかった」と悔しがる。

 富田昌孝全国ハイヤー・タクシー連合会会長は「白タク解禁や合法化の動きにはいかなる妥協も条件付き容認もない」と言い切る。タクシー会社は中小が多く、グローバル競争とは無縁だ。東京などでは新規参入ができず、供給過剰になれば国が強制的に減車させる。

 既得権益が色濃いだけに、米国で多くのタクシー会社を経営危機に追い込んだウーバーへの警戒心は強い。ウーバーへの出資を決めたトヨタ自動車も「規制などの状況を踏まえて日本は協力の対象外にした」。

 米国のベンチャーに揺さぶられるのはホテルも同じ。だがタクシー業界に比べると抵抗感が薄いようだ。一般住宅などに旅行者を有料で泊める民泊仲介サイトの米Airbnb(エアビーアンドビー)。同社を通じて14年7月〜15年6月に約5000人が部屋を貸し約52万5000人の訪日客が滞在した。利用増を追う形で規制緩和が進む。

 いつまでも競争を排除するタクシー会社の姿は異様に映る。事業者の都合が優先されたままでは、日本の消費者の利便性は置き去りにされる。

(花田亮輔、浦崎健人)

2016-05-26 未来予想の方法。

[]五感優先。 五感優先。を含むブックマーク 五感優先。のブックマークコメント

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新しい仕事のことなんかを考えていて、自然と「これからどんな世の中になるだろう」というようなことをと考える。

社会人になってからはそんなことばかりを考えていたはずだが「あ、先が見えた」というようなことは一度もない。

「これってちょっといいかもな」というくらいの選択ばかりを繰り返してきたように思う。

もう一つ思い当たるのは、どうしようも選択肢が一つしかなかった時は「あまり逆らおうとしない」ということだろうか。
相手とか環境をその時に無理やりにどうにかしようとしても、結局うまくいった試しがない。
開き直って、その環境で最善を尽くす、ということは案外大事だと思う。

それはともかく。
「これからの世界」を考えてるのには一見「論理」とか「推理」の力が重要だと思っていたけれど。
改めて考えるとそういう「理屈の力」よりは"思いつき"とか"想像力"が大切なのじゃないか、と思う。

自分程度の頭では、例えば
2025年以降の日本の人口ピラミッドを予測して…」とか
ユーラシア中国、露、中東GDPの伸びを睨んで…」とかいう分析でこれからの自分の行動を組み立てる、というのは不可能に近い。
ていうか多分外れる。(笑)

だから欧米の金融緩和とか日銀とか為替とかのニュースを見て「土地が上がる」とかいうよりも、その土地を見て「この街に住みたいだろうか」というようなことを想像したほうが何となく信用がおける。

世の中の流行りごとやニュービジネスなどは、ちょっと自分には思いもつかないようなSNSだとかゲームだとかが出現するけれど、あまりキョロキョロせずに「実感できること」を追求するほうが俺らしいなぁ、と思う。
統計やデータを振り回すよりは、外に出よう。

2016-05-25 自分のゴール。

[]人生のペナントレース人生のペナントレース。を含むブックマーク 人生のペナントレース。のブックマークコメント

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就活特集で「就職はゴールではない」という人事担当者のコメントがあった。
そんなの当たり前じゃない、という前に「自分もそう思った時期があったなあ」と。

その前には「大学合格はゴールではない」というのもあった。
そう言えば先日「私たちゴールインしました」という葉書が来たし。
今や退職だってゴールではない。

全部「通過点のお話」だ。

ゴールというのは、そのレースの終着点だから「それでお終い」という場所。

順当に考えれば最期の瞬間までゴールは来ないということになる。

死ぬまでのゴール設定はあまりに長い気がするけれど、「自分のゴール」をどこに置くか?というのは考えてみてもいいな、と思った。
>>
よく目標設定、というけれどちょっとニュアンスが違う。
やっぱり「ゴール」なのだ。
一応そのお話については、そこでお終い。
次からは「別のレース」の感覚で臨む。

1レースが終わったら気分を変えて。
幾つも幾つもレースを終えて、最後には誰かが自分の勝敗を数えるかもしれないけれど、あまり気にすることもない。
さてこれからのレースはどんなものだろうか…

ところでペナントってなんだ?
辞書を見たら「優勝旗」ですと。
そう、昔若者が自室の壁に貼っていたアレ。(どこに行ったのだろう)
あれが実は優勝旗を模(かたど)っていたものとは。
知らないことばっかりだが想像力貧困だ。

2016-05-24 納豆とコンテンツ。

[]自分だけのディレクターとかソムリエとか。 自分だけのディレクターとかソムリエとか。を含むブックマーク 自分だけのディレクターとかソムリエとか。のブックマークコメント

休みの朝、朝食を作っていてふと思う。
納豆とオクラと卵の黄身と和芥子と梅肉と醤油を混ぜる。
大体三百回くらい混ぜると味が馴染んでくるようだ。
海苔と白髪葱は食べる直前に混ぜた方が食感が残っていていい感じだ。

納豆の入った丼を箸でひたすらムギムギと混ぜながら。

これって今のネットのコンテンツと似ていないだろうか。
ジャンルの異なる素材が混ざり合っているし、材料の出どころも様々だ。

今のコンテンツ事情はというと、

テレビラジオで放送されるもの。
レンタルやオンデマンドで有料配信されるもの。
専属チャンネルで定額視聴し放題のもの。
完全にフリーでネットラジオや動画サイトに上がっているもの。
そして、自分たちが「個人で所有している媒体のもの」などがある。

こういうものが、ミックスされて自分たちの生活に関わっている。
細かくは「聞き放題のチャンネル」でも、番組の構成は様々で有料でも価値のあるものも多い。

有料か無料か。
ネット配信かローカルか。
選択的か受動的か。
それ以外の(情報などの)付加価値を求めるか。

これからはそんな「コンテンツのミックス」が重要な選択肢になってくるのではないだろうか。
いずれは「自分の気分に合わせたディレクション・チャンネル」がAIなどを使って出来てくるかもしれない。
自分専用のディレクターがいる時代、というのはこれまでにない贅沢ではないだろうか。

2016-05-23 本当の変化の予兆。

[]脇役は主役に。 脇役は主役に。を含むブックマーク 脇役は主役に。のブックマークコメント

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日経の良記事。
ITが影響する世界が本当に変わったものだ、などといっていると本物の年寄りのような気分になってくるけれど、

それにしても"ずーっとそんな変化の中"にいながら「こんなことにも気づかなかったのか」という感じがする。

この感覚は五年前くらい前にはなかったので(まあ自分が急激に年をとった、ということかもしれないけれど)恐らくはそういう「かつてない変化の大波」がこれからやってくるのに違いない。

もう業界に入って三十年になるけれど、これまでの自分のITに関する感覚は「柔軟にソフトを使う便利な道具」の域を超えなかった。それが

ITは従属的に使うものではなく「IT自身が何かを切り開いてゆく」という感じに変わった。

予想以上の波が来る、というのは自然災害同様、事前には想像しづらいものだが、視点を変える思考は重要だ。

「IT(情報技術)だけでは足りません。インターネットクラウドモバイルを通したコミュニケーションが富を生み出しているのです。『C』のためのITなのです。(中略)逆に言うと、未来を変えている印象がないと、富を生み出せないということですね

何か重要なヒントのような気がする。

「ヒト・データ・キカイ」 AI時代の経営資源 ヤフー安宅和人チーフストラテジーオフィサー(CSO)

2016/5/11 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
 米グーグルが「モバイルファーストからAI(人工知能)ファーストへと移行する」と4月末に宣言するなど、AIは社会に溶け込みつつある。急速に進むAIによる変化に、我々はどう対応すればいいのか。人工知能の技術動向に詳しいヤフーの安宅和人チーフストラテジーオフィサー(CSO)は、「ヒト・モノ・カネの経営から脱却し、AIとビッグデータで未来の変化を生み出せなければ未来はない」と後れを取る日本に警鐘を鳴らす。

――グーグルのAI「アルファ碁」が人間のプロ棋士に勝ちました。

ヤフーでビッグデータ活用を含む全社戦略などを担当する安宅和人(あたか・かずと)CSO。東京大学大学院生物化学専攻で修士号、米イエール大学神経科学プログラムで博士号を取得。マッキンゼー・アンド・カンパニーに11年余り勤務し、飲料・小売り・ハイテクなどの企業を担当する。2008年にヤフー入社、2012年より現職
ヤフーでビッグデータ活用を含む全社戦略などを担当する安宅和人(あたか・かずと)CSO。東京大学大学院生物化学専攻で修士号、米イエール大学脳神経科学プログラムで博士号を取得。マッキンゼー・アンド・カンパニーに11年余り勤務し、飲料・小売り・ハイテクなどの企業を担当する。2008年にヤフー入社、2012年より現職

 「今までのAIでは困難だった“局面を読む”能力が、劇的に高くなったことがポイントです。そのブレイクスルーを引き起こしたのが深層学習(ディープラーニング)などの新しい手法になります。プロの解説者も困惑する人間には考えられない手でも、局面を正しく読んでいるから勝ってしまうわけです」

 「もともと瞬時の情報処理は機械の得意分野です。膨大なコンピューティングパワーとデータを組み合わせられたら当然勝てません。そんなものと人間が戦っていること自体がおかしいのです。相撲の横綱ブルドーザーと戦って『ブルドーザー強えよ』と驚いているようなものです。いやいや当たり前じゃないかという話です」

■生命に近づくAI

――今後AIは社会でどんな用途に使われていくでしょうか。

 「AIは単独ではなく、膨大な量のビッグデータと組み合わせることで大きな意味が出てきます。『AI×データ』で生み出される用途は『識別』『予測』『実行』の3つです」

 「『識別』は機械がものすごく得意とする分野です。写真や動画から物体を識別するといったもので、囲碁の局面を読むのもそうです。データさえ与えれば、信じられない早さで正確に処理します。大量のカメラからリアルタイムで送られてきた映像を分析して挙動不審な人を検出したり、銀行で送金や決済のデータから詐欺を発見したりするといった応用ができます」

 「『予測』も、すでに多くの場所で使われています。代表的なのが、キーワード検索で候補文字列が出てくるアシスト機能や、広告のマッチング機能です。金融機関が数値を分析して、この人は破産する可能性が高いといった予測もできます」

 「3つめの『実行』は、手の動きなど行動を自動化する用途です。工場で使われる組み立て作業や、病院で手術をするロボットなどです。映画の『スター・ウォーズ』ではロボットが手術しています。ミクロン単位の手術のような、人間の医者では神の手といわれるような動きは、機械にやってもらうのがいいわけです」

脳神経科学を専門としていた安宅氏は、AIが果たす役割の中で「識別」「予測」は大脳、「実行」は小脳の機能に該当すると説明する
脳神経科学を専門としていた安宅氏は、AIが果たす役割の中で「識別」「予測」は大脳、「実行」は小脳の機能に該当すると説明する

 「私がかつて専門としていた脳神経科学で説明すると『識別』や『予測』は人間の大脳に当たります。また、脳神経細胞の7〜8割が集まる小脳でつかさどる手の動きや行動を制御するのが『実行』に相当します」

 「これらに加え、サイバー攻撃から系を守るための『免疫』、神経や内臓をうまく連携させて体のバランスをうまく保つ『腹の調節機能』のAIも今後必要とされるでしょう。こうした機能によって、生命に近づこうとしているんだと思います」

■人間の仕事はなくならない

――AIに人間の仕事が奪われると恐れる人もいます。

 「工場の作業や車の運転といった機械が得意な一部の仕事はAIに置き換わるかもしれませんが、過度の心配は必要ありません。過去もそうだったように、人間は別のことをするようになるからです」

 「車が登場して馬車が消滅し、馬車の御者という仕事はなくなったかもしれません。でも、その人は車の運転手になったかもしれないし、車工場で板金をしていたかもしれません。車が普及するにつれて、部品メーカーや修理屋や販売店などを含む巨大産業へと成長したわけです。同様に、完全自動運転の車が登場すれば、シェアリング関連など大量のサービス業が次々と生まれてくるはずです」

 「マッキンゼーの研究では、現在存在する仕事でAIに完全に置き換わるものはわずか5%にすぎません。多くの仕事で必要とされる意思決定や目標設定などの重要な要素は、AIに置き換えられないからです」

■ICTが富を生み出す

――AIを活用する仕事は社会にどのように浸透していきますか。

 「まだ機械学習やAIが浸透し始めた段階に過ぎません。経済産業省の会合などではこの状態をフェーズ1と位置づけています。今から10年後くらいに恐らくフェーズ2に突入するでしょう。モーターが発明されたことを土台にさまざまな機械や家電が発展していったように、機械学習やAIがあるという前提で新しいモノが作り出される時代です。その後は、都市全体や鉄道などインフラを包括するような非常に複雑なシステムがAIを取り込んでいくフェーズ3に入っていきます」

 「今議論すべきことはフェーズ2や3を引き起こす人間をいかに作り出すかです。それに取り組まずに放置すれば、海外の人たちに食いつぶされる立場に追い込まれる可能性があります。フェーズ1は米国のほか英国カナダの一部が突っ走っていますが、次以降のフェーズで日本がそれをやらなければいけません」

――日本はどう挽回していけばいいのでしょうか。

 「現在は富の生まれ方が変わってきています。世界的な企業の時価総額ランキングを見ると、1位が米アップルで、次がグーグルを傘下に持つ米アルファベットです。そのほかの上位にはマイクロソフトフェイスブックアマゾンが入っています。ここから、もはやICT(情報通信技術)しか富を生み出せない時代になりつつあることが読み取れます」

 「IT(情報技術)だけでは足りません。インターネット、クラウド、モバイルを通したコミュニケーションが富を生み出しているのです。『C』のためのITなのです。ランキング上位の会社は、明らかに生み出している富よりも巨大な時価総額を集めています。つまり、未来の大きな成長への期待感で富が回っているわけです。逆に言うと、未来を変えている印象がないと、富を生み出せないということですね」

ICTで未来の成長感を生み出している企業が富を集積できる時代になったと説明する安宅氏
ICTで未来の成長感を生み出している企業が富を集積できる時代になったと説明する安宅氏

 「日本の国内総生産(GDP)を見ても、ICT産業がなければ、マイナスになってしまいます。多くの日経の読者の皆さんにはあまりうれしくない世界かもしれませんが、ICTで未来の成長感を生み出しているヒトとそうじゃないヒトで富の集積が分かれているという真実を直視すべきです」

■「ヒト・モノ・カネ」から「ヒト・データ・キカイ」

――ICTのユーザーを囲い込むプラットフォーム競争に勝てばいいのでしょうか。

 「プラットフォームがなくても、未来を変えられる期待感があればいいのです。囲碁で勝った英ディープマインドだって、技術しか持っていないのにグーグルが5億ドルで買収しました。トヨタ自動車ファナックと協力してAIを研究しているベンチャー企業のプリファード・ネットワークス(PFN、東京千代田)だって何百億円もの価値があるはずです」

 「ヒト・モノ・カネを経営資源としてきた日本の企業は、率直に言うと思考が遅れています。我々のようなインターネット業界ではヒト・データ・キカイを重視しています。高度な技術を持つヒトと、適切な答えを導き出すために使う大量のデータ、さらに瞬時に情報を返すための機械学習を実行するためのキカイが必要とされます」

 「製造業などヒト・モノ・カネで動いてきた従来の日本企業が立ち止まってしまうと、その将来は暗いでしょう。自動運転車に取り組んでいるトヨタなどは『データ・キカイ』に踏み込んで未開領域を切り開こうとしています。それが今、日本の中で起きつつある変化です」

■現代人の武器はデータ処理能力

――今後の目標は。

 「日本がICTを核に未来の変化を生み出せているかと考えると、現状では危ういと思っています。既に何周か遅れており、富が生みだされなくなりつつあります。このまま行くと使われる側になりかねない」

 「ローマ時代に自由人と奴隷を切り分ける武器として『リベラルアーツ』という言葉がありました。そのために論理学や修辞学があったわけです。今後使われる側、つまりローマ時代の奴隷のようにならないためには、強いデータリテラシーを持つ必要があります。そうした力を持つ人を育成し、社会的に力を持てるようにすることが重要です」

 「そのためにヤフー社内はもちろん、国や社会に対するエバンジェリスト(伝道師)であり続けたいと考えています。政府審議会委員会に参加しつつ、データサイエンティスト協会も最初の発起人の一人として立ち上げました。慶応大学湘南藤沢キャンパス(SFC)でデータリテラシーの寄付講座も始めました。今後大きな変化が起きる10〜15年後に、あれをやっておけば良かったと後悔したくない一心で動いています」

(聞き手はコンテンツ編集部 松元英樹)

2016-05-22 ギャンブル感覚の日常。

[]意識の持ち方。 意識の持ち方。を含むブックマーク 意識の持ち方。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160522013346j:image
知らなかったが賭博の判決主旨は『賭博には勤労の美風を害し、副次的に犯罪を誘発する弊害があり、公共の福祉に反する』ということらしい。
法律上は根拠がはっきりしない、とのことだがそもそも規制には似合わない類の行為である。
よく「人生は最大のギャンブル」と言われるけれど、そんなものは規制できない。
仕事でも遊びでもチャレンジングなものはみな「何かの見返り」を求めての挑戦だから、全部ギャンブルになる。

どんなギャンブルも「お咎めなし」にして犯罪にだけ結びつかないような仕掛けを考えるほうが良さそうだ。
それにしても人間ってあっさりと結果が出て「分かりやすいもの」には夢中になるくせに、例えば「ギャンブル感覚で」勉強する、という表現はついぞ聞かない。

でも思えば自分の大事な時間を使って、遊ぶのも、賭け事をするのも、勉強するのも仕事するのも、全部ギャンブルなのに違いない。
とそんな話を酒場でしていたら、隣の女性客から「おんなは皆恋愛でギャンブルしてますよ」とのお言葉。
一同、なるほどーとなったのでした。
女性のほうが数段感覚がシビアである。

異議あり)賭博禁止は現実と合わぬ、原則解禁を プロ雀士でもある弁護士津田岳宏さん

2016年5月20日05時00分

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写真・図版
津田岳宏さん=伊藤菜々子撮影


 プロ野球選手の野球賭博バドミントン選手の違法カジノ通いと、最近、賭博をめぐるスキャンダルが表面化している。ただ、「賭博は罪」といいながら、競馬競輪はOK、パチンコも大いに楽しまれていて、何か割り切れない。自分のお金を賭けて遊ぶことを処罰する今の賭博罪は見直すべきだ、と主張する弁護士に聞いてみたログイン前の続き。

 ■暴力団排除や依存症対策、合法化すれば正面から進められる

 ――賭博罪は不当だと主張していますね。

 「いまの刑法の賭博罪は、法のあり方として問題がありすぎると思うからです」

 ――どこが問題ですか。

 「賭博がどこまで許され、どこから処罰されるかが恣意(しい)的に決められ、その根拠がはっきりしないのが最大の問題です。1950年の最高裁判例では、賭博を罪とする理由として、賭博には勤労の美風を害し、副次的に犯罪を誘発する弊害があり、公共の福祉に反するとされています。だから賭博は一切禁止するというのならまだわかるのですが、競馬や競輪などの公営競技は認められている。国や自治体が規制するから賭博の弊害が少なくなるという理屈ですが、一般市民が納得できるものではないですよね」

 「さらに言えば、賭博罪は、日本社会の現実にも合っていません。パチンコという究極のグレーゾーンがあるからです」

 ――グレーゾーンとはどういうことですか。

 「パチンコは、風営法で、賞品として現金を提供することを禁止されています。でも実際には、客は出玉を『特殊景品』に交換して、パチンコ店のすぐそばにある交換所で換金している。世界の常識でいえばパチンコ店はカジノです。ラスベガスのスロットマシンと変わらない」

 「賭博罪で捕まった人の弁護を何人も担当したことがあるんですが、皆さん、大事になるとは思っていなかった。パチンコでみんな普通に換金していて、捕まる人はいない。賭博は本当はいけないのだろうけど、まあ大丈夫だと思ってしまう」

 ――賭博罪で罰せられる対象は、賭博をした人(単純賭博)、常習的にしている人(常習賭博)、賭博を主催してもうけた人(賭博開帳図利)など、さまざまです。

 「問題が大きいのは、ただお金を賭けて遊んだだけの人を罪に問う単純賭博罪です。刑法で処罰される犯罪は、基本的には、窃盗、暴行、殺人、詐欺など、被害者がいるものです。賭博開帳図利と違って、単純賭博は、勝つ場合もあれば負ける場合もあって、被害者がいない。それを処罰するのは、競馬や競輪が認められている状況ではかなり無理がある。単純賭博罪は撤廃すべきです」

 ――被害者なき犯罪だってあるでしょう。

 「被害者がいなくても処罰される代表的なものとして、覚醒剤の使用があります。覚醒剤は人体への害も強いし、反社会的組織の資金源にもなるので、刑法で規制することに異論は少ないでしょう。さらに言えば、公営なら許されるギャンブルとは違って、覚醒剤は例外なく禁止されています。国営の売店で買えば使ってもいいというものではありません」

 ――ギャンブルで借金漬けになり、さまざまな問題を起こす人もいます。

 「ギャンブルにのめり込み、社会に迷惑をかけてしまう人がいるのは確かですが、それはお酒も一緒です。最近では買い物依存症も深刻です。だからといって、飲酒や買い物を刑法で処罰しようという話にはならない」

 「国家権力が強制的に行使される範囲は必要最小限度にとどめるべきだというのが、近代の法律学の基本的な考え方です。刑事罰は国家権力の行使の最たるものですから、よほどのことでないと刑法で処罰してはいけないんです」

 ――海外でも、多くの国で賭博は禁止されています。

 「海外の場合は、宗教的な理由が大きいですね。プロテスタントは勤労を美徳とするので賭博に厳しいし、イスラムの戒律でも禁じられています。宗教と関係なく禁止している日本のほうが珍しい。そもそも、明治政府が賭博に厳罰を科したのは、自由民権運動弾圧するためです」

 ――自由民権運動が賭博罪と何の関係があるのですか。

 「自由民権運動には、ばくちを生業にする博徒が多く加わっていました。そこで政府は、1884年に『賭博犯処分規則』を制定します。賭博をやっただけで長い懲役が科せられ、上訴も認めない。運動に加わっている博徒を厳しく取り締まることで、見せしめにしようとしたんです。この法令はあまりにもひどいので、1889年、明治憲法ができたときに廃止されますが、結果的に『賭博=大罪』というイメージが国民に刷り込まれ、受け継がれてしまったんじゃないですか」

 ――賭博解禁といっても、具体的にはどうしろと。

 「賭博は原則としてオーケーで、ただし許可を得ずに賭博を開帳してはいけないという、認可制に近いものにするんです。法律の原則と例外を逆転させるわけです」

 「世界的にも、ギャンブルは禁止から規制へという流れになっています。ただ禁止するのでなく、合法化した上で、様々な規制を設けてコントロールしていく」

 ――賭博を解禁すると、暴力団の資金源になるのでは。

 「賭博の合法化は、暴力団の資金源を断つことにもなります。合法のカジノがあれば、誰もリスクを冒して闇カジノには行きません。禁止していると、かえって暴力団に利用されやすい」

 ――流行のスマホゲームでも、ギャンブルができるようにしろという声が出たら、どうしますか。

 「スマホでの手軽なギャンブルを認める場合は、未成年は除外すべきでしょう。賭博を運営する側が責任をもって、未成年には遊ばせないようにすべきです。未成年に遊ばせていたとわかった場合には、賭博の認可を取り消すなどの罰則も考えられます」

 ――ギャンブル依存症患者がさらに増えますよ。

 「グレーゾーンのままにしておく方が依存症の対策が進まない。日本ではすでにギャンブル依存はどんどん増えていてほとんどがパチンコ依存症です。パチンコを賭博と位置づけ、特別税をかけて依存症対策の財源にすべきです」

 ――賭博を合法化することに、世間の理解が簡単に得られるとは思えません。

 「これまで日本社会は、賭博というものに正面から向き合ってこなかったんです。パチンコ店と自衛隊ってよく似ていると思うんですよ。パチンコは賭博じゃないという建前は、自衛隊は軍隊じゃないという理屈とそっくりじゃないですか」

 「明らかに現実と矛盾している建前をそのままにしておくのではなく、目の前にある現実にきちんと向き合って、法律をどうするかを考えませんか。大げさかもしれませんが、賭博の合法化を議論することが、日本の政治や社会が成熟していく過程の一部になると思っています」

 つだたかひろ 36歳 79年生まれ。京都大学経済学部卒業。2007年弁護士登録。14年に京都グリーン法律事務所を設立。「最高位戦日本プロ麻雀マージャン協会」所属の麻雀プロ。著書に「賭けマージャンはいくらから捕まるのか? 賭博罪から見えてくる法の考え方と問題点」など。

 ■「公共の福祉に反する」

 法的には、賭博は「偶然の勝敗によって財物の得喪を決すること」。185条で「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない」(単純賭博罪)、186条(1)「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する」(常習賭博罪)、(2)「賭博場を開帳し、又は博徒を結合して利益を図った者は、3月以上5年以下の懲役に処する」(賭博開帳図利罪)と規定されている。

 最高裁は1950年、賭博は「怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、勤労の美風を害する」「副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える」などとして「公共の福祉に反する」との判断を示した。

 ■取材を終えて

 賭博の合法化、どう思いますか。暴論だ、けしからんという方もいるでしょう。でも、今はスマホで馬券が買える時代です。町を歩けばパチンコ屋は盛況。それでも「賭博は犯罪」というのは、確かに少し無理があるような気もします。

 日本社会のあちこちで、建前と現実がずれています。建前をどこまで守り、どこまで現実に合わせればいいのか。賭博の問題をきっかけに考えてみてはどうでしょうか。(尾沢智史)

 ◇ご意見をか、〒104・8011(所在地不要)朝日新聞オピニオン編集部「賭博」係へお寄せ下さい。

2016-05-21 ネットワークでできること。

[]できないことは何だろう。 できないことは何だろう。を含むブックマーク できないことは何だろう。のブックマークコメント

自分も孤独死候補者だけれど、あまり人様に迷惑をかけたくない、と思う。
病院ならまだしも「不意に死んだら早めに処理して欲しい」と思う人は多いだろう。
今は警備会社などが有料サービスなどを始めているけれど、記事にあるように「地域」がまず機能していくべきだと思う。

またIT製品もすでに販売されているけれど、こういうところは間違いなく「センサー+ネットワーク」が活躍するに違いない。
さらには自分の手首にセンサーを付けておけば、健康管理などにもどんどん普及するだろう。

そうした「センサーとネット」でできることはどんどん置きかわるだろうから、「そういうものでは出来ないこと」を人間は考えることになる。

そう考えてみると「プログラムされたコンピュータで出来ないこと」で「自分には出来ること」というのは案外思いつかないものだ。
どんな「決まりごと」もたちまちAIに解析されてしまいそう。

(一見、)論理的でない「突発的でしょうもないこと」くらいしか残されていないのが人間でしょうか。

最近、自動化のことばかり考えてるなぁ。
>>
認知症高齢者、地域ぐるみで見守り 江戸川区文京区
2016/5/11 10:42 東京都内で認知症の高齢者を地域ぐるみで見守る動きが広がっている。江戸川区は見守りが必要な人の名簿を町会に提供し、日常の見守りを強化。文京区は認知症の人が行方不明になったとき、地元企業や住民に一斉メールを送り、一緒に探す。都内では認知症の高齢者の急増が予想されるため、町会や企業などとタッグを組み、人手が必要な見守り体制を整える。

 江戸川区は5月中にも、区内に住む認知症の人や75歳以上で独り暮らしの人などの氏名と住所を記載した「地域見守り名簿」を区内の町会ごとに配り始める。各町会は名簿を日常の見守り活動に生かす。

 区内には見守り対象となる人が約4万人いるが、名簿掲載に同意した約1万5千人を記載した。区内にある278の町会や自治会のうち、現時点で52の町会・自治会が名簿を使う方針だ。

 行政がこうした名簿を民間に提供することは個人情報の取り扱いの点で従来は難しかったが、江戸川区は名簿を使う町会と情報の取り扱いに関する協定を結び、提供できるようにした。同区は町会や自治会の活動が比較的活発で、認知症の人らの見守りに町会組織を生かせると判断した。

 文京区は認知症の人が行方不明になった際、あらかじめ登録した区民や地元企業に一斉メールを送る「ただいま!支援SOSメール」を始めた。行方不明になった人の家族の依頼を受け、区の委託業者に行方不明者の特徴が書かれたメールを一斉配信してもらう。メールを受け取った人は、日常生活や業務の中で可能な範囲で捜索に協力する仕組みだ。

 これまでの登録件数は企業236件、個人227件の計463件。事業を始めた昨年7月以降、一斉メールを送信したのは7件で、うち2件はメールの受信者が行方不明者を発見したという。今秋にはSOSメールを使って認知症の人を探す模擬訓練をする予定だ。

 大学と連携するのは渋谷区だ。青山学院大専修大慶応大の学生が認知症の人に実際に接するフィールドワークを今年度行う計画。認知症の人が地域社会で共生するための解決策などを学生から提案してもらう予定だ。

 東京都によると、都内で見守りや支援が必要な認知症高齢者は13年時点で約27万人と、65歳以上の人口の1割を占める。都の推計では25年には1.6倍の約44万人に増える見通しだ。こうした事態に備え、各自治体とも地元企業や町会などと組み、地域ぐるみで認知症の人を見守る仕組みづくりを急ぐ。

2016-05-20 常識が変わる!

[]少品種の時代。 少品種の時代。を含むブックマーク 少品種の時代。のブックマークコメント

ダイヤモンドより。
多様性、という言葉が企業で使われるようになってから十年ほどが経つ。
最初は何のことかと思っていたが、改めて「老若男女」の持ち味を活かす、というような話で「それ」がわざわざ取り沙汰されていることに驚いたものである。

逆に言えば「多様性」はそれまでは不必要で邪魔なものだったのだ。

個性的な意見を持ち、大方の流れに沿わない説を唱えるものは異端児だった。
その異端児が、ようやく今でこそ「個性」と言われるようになったのはまさに時代の流れということだと思う。

記事中にある「労組に駆け込む高学歴社員」という存在はまさに「個性と量産化」の間で取り残された存在なのに違いない。

特に今から社会人になる人は「既存の流れ」に巻き込まれないことを意識するべきではないだろうか。

偏差値教育が瓦解し、「新しい指標」という概念そのものが揺らぐ中で「これまでは優秀」と言われてきた表現がそうではなくなりつつある。
頼りになるのは自分の考えとか価値観のみだ。
不安かもしれないけれど、これほどの自由もかつてない。

労組のベテランが語る今の内情は、戦後七十年の「常識ピラミッド」の変質を言い表していると思う。

「高学歴であろうとも、学ぶことをしなければ意味がないのです」という一言に気付ける人になりたいものである。



労組に駆け込む「生き残れない高学歴社員」の共通点

 今回は企業の外にある労働組合の関係者に、高学歴社員が陥り易い「学歴病」の実態を聞いた。話を聞いたのは、労働相談を通じて多くの会社員と接点を持つ、東京管理職ユニオンアドバイザーの設楽清嗣さん(74)である。

 東京管理職ユニオンは、一般社員だけでなく、管理職も加入できる労働組合だ。通常、社員は管理職になると非組合員となるケースが多い。そのため、多くの管理職は、会社からパワハラや退職勧奨などを受けたときに社内で相談できる相手がおらず、路頭に迷ってしまう。管理職ユニオンには、そんな企業の管理職たちも救いを求めてやって来る。

 設楽さんは、社内の関係者が聞き出すことができない悩める会社員の本音を詳しく知っているため、本テーマの取材に少なからぬヒントを与えてくれると筆者は思った。

 設楽さんいわく、日本でトップクラスの学歴を持つ会社員が労働相談の場に現れると、ある特徴が見えるという。その話を聞くにつけ、筆者にはそこに学歴病の1つの症状が見え、教育界や社会が抱え込む問題にも通じるのではないかという感想を持った。労働相談の現場から、学歴病の実態を浮き彫りにしていきたい。

高学歴者はしゃべりまくる?
労働相談に訪れる悩める社員の特徴


労組関係者が明かす、「会社に従順な高学歴社員」が陥る罠とは?
 設楽さんは慶應義塾大学文学部在学中の1960年日米安保闘争に参加し、その後中退、労働組合活動にかかわるようになった。1992年、東京管理職ユニオンを結成し、多くの会社員の労働相談や労使紛争を支えた。55年以上にわたり、労使紛争の最前線にいた稀有な存在である。

 設楽さんに、まず東京管理職ユニオンに労働相談に来る会社員と学歴との関係について聞いた。

「相談に来る人は、大企業から中小企業までの管理職が多いので、結果として学歴が高い傾向はあります。仕事熱心で競争心もあるし、話す力も書く力も相対的に高いものがあるように思います。彼らとの労働相談の中で『学歴が低いから会社に辞めるように仕向けられている』という話は聞きません。リストラの際、学歴で辞めさせるか否かを判断する会社は少ないと思います。ここに相談に来る人は、管理職だから狙われているのです。人件費が高く、会社として扱いに困った末に辞めるように仕向けられた可能性が高いです」

 設楽さんは、労働相談を受けるときに、学歴や学力の差について感じることがあるという。

労働者には、会社に送る抗議文を始め、様々な書類を書いてもらいます。それらを読むと、学歴や学力により、書く力に差を感じることがありました。学歴の高い人は、競争心も相対的に高い傾向があります。

 労働相談の場でこちらから学歴を聞くことはしませんが、話の流れの中で、相談者である会社員が口にすることがあります。その中には、東大旧帝大クラスの高学歴な人もいます。彼らは、格別にしゃべりまくる傾向があります。一気にまくし立てる。自己主張は相当に強い。高学歴の人は話し続けることが多いのです。そのあたりの意志は、断固としています。会社から不当な行為を受けて、怒り、ストレスもたまっているだろうから、仕方がないことだとは思います」

事務処理能力は素晴らしいが
企業で生き残るのは難しい

 労働相談に現れる会社員の間にも、学歴や学力で差が生じるのだろうか――。設楽さんはこう答えた。

「私がこの半世紀に接してきた、トップクラスの学歴を持つ会社員は、おおむね優秀でした。彼らの強力な武器は、事務処理能力です。素晴らしいものがあります。

 たとえば、人の話を素早く理解し、次々と報告書などをつくることができます。いずれもが精度は高い。他の大学出身者と比べると、そのレベルの高さは格別です。そして、彼らの多くは組織への順応能力が高いのです。たとえば、その場をわきまえた発言をして、適切な行動をとることができます。

 少なくとも、会社や官僚の世界では、成功する資質を十分に兼ね備えています。組織の上層部に反抗したり、反発することをまずしません。理不尽な扱いを受けたりしない限りは……。そこが彼らの素晴らしさであり、私にとっては面白くないところです」

 その一例として、こんな事例を紹介してくれた。

「私は以前、とても高学歴な人と東京管理職ユニオンの運営をしていた時期があります。彼は、私よりもはるかに理解力が高い。書く力や話す力、聞き取る力なども抜群に高い。事務処理能力も格別に高い。しかし、労組を動かす力や組合員たちを引っ張るリーダーシップなどを持ち合わせていませんでした。斬新な発想もなければ、行動力もない。

 ユニオンも激動の時代を向かえています。そのような時期には、彼らのような人がリーダーをやると組織が行き詰まります。今のように時代が激しく動くときには、組織への順応や事務処理能力よりもはるかに必要なものがあります。その意味で、高学歴な会社員の評価は次第に変わっていくように私は考えています」

「目には見えない学力」が高い人は
社畜化している可能性が高い?

 設楽さんは、労働相談に訪れるトップクラスの学歴を持つ人が、得てして事務処理能力や組織への順応性が高いことを指摘する。このことは、この連載で何度か取り上げた「目には見えない学力」と関係が深いように筆者には思えた。

 つまり、偏差値や成績としては表れない力である。たとえば、人の話を聞き取る力、自分の考えを話したり、書いたりする力、文章を読んで理解する力、さらには、競争心や忍耐、集中力、協調性、規律、組織や社会への順応性などである。入学難易度の高い大学を卒業すると、得てしてこの力が高くなる傾向がある。

「目には見えない学力」が高いがゆえに、企業社会で一定の成果・実績を残す傾向があるのだと思う。このあたりの考察は、ビジネス雑誌などが取り上げる「大学別・上場企業役員数ランキング」などには載っていない。そうしたランキングで判断すると、上場企業にはあたかも学閥があるように見えなくもない。

 しかし、実はランキングの上位20位ほどに入る大学出身者と接していると、「目には見えない学力」が相対的に高いのではないか、と筆者は常々思うことが多い。「目には見えない学力」は、職場で仕事をする上での「潜在的な能力」と置き換えてもいいだろう。

 この力が高いと、仕事を進める際の安定感となり、周囲に一定の信用を与えることができる。この積み重ねが、高い業績・成果という形で顕在化する。やがて、その人は社内で認められていく傾向があると思える。

 このようなことを踏まえると、「目には見えない学力」が高い人は、「実力」で役員になっていると捉えることができるのでないだろうか。少なくとも、「学閥」という社内での実態がなかなか見えないものよりは、説得力があると筆者は思う。

 ただし、「目には見えない学力」には根深い問題もある。この力が高い人を観察していると、学校教育での教えに強い影響を受けていると思えることが多い。たとえば、10代の頃は、教師や親の言うことに無批判に従い、とりあえずはその場を取り繕おうとしてきた人が目立つように思える。そうでないと、一定の成績を収めることは難しいだろう。

 これらは、人が生きていくために不可欠な力である。しかし一方で、自分の考えや思いを実現しようとするための野心やエネルギーを奪うことになりかねない。「目には見えない学力」の高い人が企業社会に入れば、上司や役員、経営者などの指示・命令に素直に従う傾向が強い。これも組織人として大切なことであるのだが、好ましいことばかりとは言えない。

 このような人たちが多数を占める職場には、経営側への健全な批判もさほどないのではないか、と思える。日本企業いじめやパワハラなどが慢性化し、社内でそれらを防ぐ動きがなかなか顕在化しない理由の1つは、この「目には見えない学力」とも関係があるとさえ思えるのだ。

「目には見えない学力」が高い人たちが多数を占める職場でのいじめやパワハラは、巧妙になる傾向がある。たとえば、法律などに抵触しない範囲のぎりぎりのところを攻めるものが多い。退職勧奨と退職強要の間のグレーゾーンの行為を繰り返すなどは、その一例と言える。

その意味で、「目には見えない学力」の高い人は「社畜」的な人材とも言える。ここにも、「学歴病」が職場に浸透する温床があるように思えるのだ。ちなみに、「目には見えない学力」が低いと思える職場でのいじめやパワハラは、誰の目にもわかりやすいほど露骨なものになることが多い。

高学歴者でも生き残れない
学歴が低くても認められていく時代

 ここで思い起こされるのが、連載第11回で取り上げた、コンサルタント大前研一氏が著書『稼ぐ力』(小学館)の中で指摘していたことである。

「日本で導入された偏差値は自分の『分際』『分限』『身のほど』をわきまえさせるだけのもの、つまり『あなたの能力は全体からみると、この程度のものなのですよ』という指標なのである。そして、政府の狙い通り、偏差値によって自分のレベルを上から規定された若者たち1950年代以降に生まれた人)の多くは、おのずと自分の“限界”を意識して、それ以上のアンビションや気概を持たなくなってしまったのではないか、と考えざるを得ないのである」(P198より抜粋)

「目には見えない学力」や偏差値、たとえば自らの限界を意識させるためのものについての指摘などは、設楽さんの目にどのように映るのかを尋ねた。

「確かに、日本の小学校から高校までの教育に、社畜養成の一面があることは否定できないと思います。その傾向は、特に管理教育が進んだ1970年代から顕著です。東京管理職ユニオンに相談に来る人も、大企業から中小企業までの管理職が多く、比較的学歴も高く、しかも、長い間に会社に飼いならされてしまっている傾向があるので、おとなしい人が多いのです。目の前の問題にあまりにも受動的であり、闘うことはもちろん、会社に何かを言うことすらできなくなっています。完全な社畜になってしまっているのです。

 たとえば退職強要を受けても、『自分としてはどうしたいのか』を言わない。相談員である私たちが、様々な質問をして、真意を聞き出さないといけないのです。特に高学歴な会社員は、小さな頃から学校などで、きちんとしつけられています。教師や親の言うことを聞き、成績を上げるために勉強をひたすらしてきた人が多い。決して反抗することをしないのです。

 私が接していると、トップクラスの学歴を持つ人たちはその傾向がとても強いように思います。官僚や企業、政治などの分野でリーダーを養成するためにつくられた大学なのだから、組織に順応性のある人が増えるのは当然のことでしょうが……。そんな権威的な体質が面白くないと反抗する人も、少数ですがいます。管理職ユニオンに相談に来るのは、そのような人なのだと思います」

 設楽さんは、労働相談の現場にいると、企業内での学歴の扱いが変わってきていることを感じ取ることが多いという。

「難易度の高い大学を卒業し、大企業に勤務し、定年を迎えた人が相談に来ることがあります。本人が話す限りでは、人事部などから60歳以降の雇用延長を認めてもらえないようなのです。同世代の多くは、60歳以降も働くことが認められているのに、自分の扱いはおかしい、という訴えです。最近は、こういうケースが増えています。話を聞いていくと、『学歴があったことで長い間、随分社内では守られていたのだな』と思います。今は、そんなことが許されない時代になっています。中小企業では、このような人を60歳まで雇うことはなかなかできません。

 学歴があろうとなかろうと、勉強を続けないといけない。学べる人は、学歴が低くても認められていく時代になりつつあるのです。人はどこに行っても、学ばないといけない。ユニオンに来ても『学び』ですよ。私は70歳を超えても、相談者から学ばせてもらっています。高学歴であろうとも、学ぶことをしなければ意味がないのです」

学歴にしがみつくことなく
会社で勝ち残る教養を身につける

 最後に設楽さんは、母校・慶應義塾大学出身者で労働相談に来た、特に印象に残った人のことを紹介してくれた。学歴病について考える一例になるのではないだろうか。

「以前、慶應大学医学部卒の医師が、相談に来たことがあります。本人が話す限りでは、勤務していた病院の産婦人科から辞めるように言われたようでした。その医師は女性の看護師や患者に『食事をしよう』などと声をかけていたそうです。女性たちは、そんな誘いを断っていた。それでもなおも誘っていたのです。

 私の前で本人が悪びれた様子もなく、こんなことを言うものだから、『私はあなたのその行為は誤りだ』と忠告しました。『えっ?』と驚いた様子を見せるから、さらに叱ったくらいです。そんな人は、慶應医学部卒の中のほんの一部でしかないと思いますが、高学歴者の病んだ一面を見たような気はします」

 筆者は、「ご自身の慶應中退という学歴をどう思うか」と尋ねてみた。設楽さんは笑いながら、淡々と答えた。

「いや、未練や後悔は微塵もありませんね。学歴にしがみつくことなく、学歴を感じさせる教養を身につけることが大切だと思っています」

2016-05-19 大企業の終焉。

[]ひょっとして。 ひょっとして。を含むブックマーク ひょっとして。のブックマークコメント

大企業マンモス体質はもう保たない、なんて言うと以前はよくあるアンチテーゼだと思われた、と思う。
けれど、最近大企業の人と話していても、何か「間近に」そういうことを感じる。
彼らもそうした「何か」を感じているようだ。

大企業って、ひょっとしたらもう「もたないのじゃないか。」という漠然とした疑a問だ。

アメリカEUの企業が違うのは「意思決定システム」の明確なことだ。

日本では大企業かどうかを問わず、「オーナー系でない大企業」は生存が難しいのではないか。
さらに、オーナー系は「その後」が続かず、一代で終えること。

90年代バブルの頃には、そうした経営論を研究する大学教授も多かったが、今は一時に比べれば随分と静かな感じがする。
昨今の大企業の仕業を見ていると、始祖時代の恐竜とかマンモスの話を思い出す。
今再び、組織管理とかガバナンスとか、さらに最適な「発育の単位」とかいう観点での組織論が生まれるのではないだろうか。
ウェブが関係していることは間違いないけれど、再び「新しいステージ」が始まろうとしているような気がする。

大企業でもない、ベンチャーでもない「新しい形」はすでに萌芽しているような気がする。

 >>
財閥」でも支えきれず 日産三菱自再編 開発投資が巨額に

 「ご迷惑をかけて誠に申し訳ありません」。日産自動車との提携会見の翌日となる13日。東京・丸の内の三菱商事本社に三菱グループの企業約30社の首脳が集まった。月1度、金曜日に開かれることからグループ内で「金曜会」と呼ばれる会合の冒頭、三菱自動車の相川哲郎社長が硬い表情で謝罪すると、足早に退席した。会ではその後、三菱自の話題は出なかった。

2004年、中川経産相(前列右端)と会談する三菱グループ首脳(左から佐々木三菱商事会長、西岡三菱重工業会長、岡崎三菱自動車会長、古川同副会長)
2004年、中川経産相(前列右端)と会談する三菱グループ首脳(左から佐々木三菱商事会長、西岡三菱重工業会長、岡崎三菱自動車会長、古川同副会長)

 グループによる三菱自の救済に3度目はなかった。2000年と04年に死傷事故につながる欠陥を隠蔽したリコール(回収・無償修理)隠しが判明。グループ「御三家」と呼ばれる三菱重工業と三菱商事、三菱東京UFJ銀行が総額6000億円の優先株を引き受けて支援した。三菱自は三菱重工自動車部門から独立したこともあり、三菱重工の西岡喬会長(当時)がグループ内の支援反対派を説得。自ら三菱自の会長も兼務して再建を主導した。

 しかし、今回は違った。「仏の顔も三度まで」。三菱自の筆頭株主である三菱重工のOBは燃費不正の発覚直後、こう吐き捨てた。三菱自の不祥事は1997年総会屋事件を含めると4回目。別の御三家幹部も「だらしない」と手厳しく批判する。

 金融支援で要となる三菱UFJフィナンシャル・グループは15年に委員会設置会社に移行した。社外取締役の意見が強く反映されるようになり、「支援の了解を取る手順は格段に厳しくなった」(同行関係者)。三菱重工は大型客船や小型旅客機「ミツビシ・リージョナル・ジェット(MRJ)」の開発が遅れ多額の損失を出した。ユーザーの嗜好が移ろいやすく、技術進化も早い自動車という消費者向けの製品分野で三菱自を技術面で支援できるかは疑問だ。


 仮に支援に乗りだし、急場をしのいだとしても「いずれ日産とこういう形になることは予想していた。三菱自の不祥事で早まっただけだ」(三菱商事幹部)との見方もある。自動車の技術進化が格段に早まり、自動運転車や燃料電池車など次世代車の開発投資も巨額になった。「いくら三菱グループといえども、技術や人材・資金面で今の自動車メーカーを支えるのは無理だ」(同)。今や「三菱財閥」をもってしても支えられないのだ。

 「こうなったら災い転じて福となす、かもしれませんね」。三菱グループ首脳の一人はこう話す。幸いにも日産のカルロス・ゴーン社長は提携会見で、「三菱グループの力を活用したい」と述べた。日産が攻めあぐねている東南アジアでは三菱商事が培った現地政府の人脈や販売網を生かしてシェアを一気に引き上げたいとのゴーン社長の思いもある。

 三菱商事の垣内威彦社長も「ネガティブに考えていない」と話す。三菱自は来年、インドネシアで新工場を稼働させるが、三菱商事も40%を出資し、現地で売れ筋の小型多目的車(MPV)を生産する。日産の出資が決まれば三菱商事の出資比率は低下するが「人材の派遣アジアなどの海外展開でできるなら協力を続けたい」(垣内社長)と日産との提携後の事業拡大に期待をかける。

 三菱自の事業再生の先導役は三菱グループから日産に移る。日本最強の企業集団である三菱グループが日産との提携でどう変わるかも焦点の一つだ。

2016-05-18 バーチャル。(2)

[]距離の克服。 距離の克服。を含むブックマーク 距離の克服。のブックマークコメント

五年前、楽器店が海外と映像と音声を高解像度でつないで「音楽の公開レッスン」を開催していた。
音と映像が「限りなく肉眼や肉声」に近づけば、空間の差というのは埋まるのかもしれないな、と直感した。

今その五年まえの環境が家庭に普及しつつある。

都市部でもネットで通院する傾向が出てきたという話。
【Interview】もう通院を先延ばしにしない!『エストドック』スマホから診療予約 | Techable(テッカブル)
そもそも医療や診断などでは「対面」が何よりも「リアルな患者」を認識する方法だったからごく自然に皆そうしていた。
ただし風邪をひいていても病院には出向かねばならないし、専門的な症状だと専門医にかからねばならないこともある。
画像通信がさらに発達すれば、もう触診すら実際に対面する必要は無くなるだろう。

完全に「距離の概念」がなくなる世界はそう遠くない時期に来るかもしれない。
もう限界に見えるITの真価が「なんの、まだまだこれからだ」とすれば色々と明るい将来も思い描ける。
久しぶりにそんな想像をしてみたり。

2016-05-17 バーチャル。(1)

[]仮想現実のこれから。 仮想現実のこれから。を含むブックマーク 仮想現実のこれから。のブックマークコメント

virtual 【形】
実質上{じっしつじょう}の、事実上{じじつじょう}の、実際上{じっさい じょう}の、実質的{じっしつてき}な◆実体・事実ではないが「本質」を示すもの。
《物理》仮の、仮想{かそう}の、虚の、虚像{きょぞう}の
《コ》仮想{かそう}の、バーチャルな、ネットワーク上の

言葉って実に不思議で一つの単語が真反対の意味を持っていて、それでいて器用にどちらにも使えることがある。
バーチャルという言葉もその一つで「現実にない」という意味もあるし「ほぼ現実に」という意味もある。

これまでのITでは、どちらかというと「リアリティのある作り物」という用いられ方が主だったけれど、いよいよコンピュータの性能が上がってきて「ほぼリアル」になりそうだ。

数年前、高画質カメラと通信を使って「日本と海外の音楽ホール」を中継してプロの演奏家が音楽のレッスンを行う、というイベントがあったが、その時感じた「リアル感」がいよいよ現実的になってくれば、これまでの「バーチャル世界」がかなり現実の生活に入ってくるのだろうと思う。

これまでは「やっぱり対面しないと」と思っていた世界は、一気にバーチャルに取って代わる可能性があるだろう。
(つづく)

2016-05-16 心と現実。

[]見極めと勝負どころ 見極めと勝負どころを含むブックマーク 見極めと勝負どころのブックマークコメント

よくポジティブとかネガティブというけれど、左様に一つの物事をどう考えるか?というのは実に幅が広い。
自分のこれからについて、ただ楽観的に考えて努力を怠ってしまうこともあるし、
また悲観的に予測して「入念な準備」をすることもあるだろう。

そう考えると、結局そうした「心の振れ幅」の話で、つまりは「最良の場合と最悪の場合」を両方イメージしておくことが大事なのではないだろうか。
大体の場合、一方だけを取り上げて「危ない」とか「大成功だ」とかいうことが多いけれど、現実は思い通りにはなかなか行かない。

良さそうな話の時には「最悪」を。
まずそうな話の時には「良かれ」を。

どんな話題にも最良と最悪、をイメージしながら向かうことができれば、対処の仕方も実に柔軟になるに違いない。

「自分はどうしたいか」という思いが先行してしまうと、冷静に物事の局面が見えなくなってしまう、ということを自分たちは日頃よく経験している。

感情は「分析フェーズ」では余計な存在なのだ。

"最高と最低"をあらかじめイメージしつつ、「だからどうしてやろうか」という"意思"がようやく意味を持ってくる。

「最高の結果をにらみつつ、最悪の場合のリスクをもあえて取る」というのが
最高の戦略ではないかと思う。

いいとこ取り、というの長くは続かない。

2016-05-15 また。本当の進化はこれから(2)

[]総センサー時代。 総センサー時代。を含むブックマーク 総センサー時代。のブックマークコメント

それにしても「これまでは貴重な計算機」だったコンピューターが、桁違いに増え、安くなり、「どこでも、何にでも使えるもの」になりつつある。
もう「貴重なものだから」という概念がなくなりつつあるから「どこにでも、何にでもコンピューターとかセンサーを付けていい」という時代だ。
あらゆる商品やサービスに「センサー」をつけておいて「後から考える」ようなことも許されるだろう。
センサーの数が増えれば増えるほど集まるデータは膨張し、可及的に大容量になってゆく。
ビッグデータというのは、今はカオスになっている人間の社会とか為替とかお金とかへの「コントロールの挑戦」なのかもしれない。

いずれにしても「パソコン世代」には想像もつかなかった「センサーデータの時代」がすぐそこまで来ている。
お寺の池の蓮の花が咲くように、最初は少しづつだがある時一気に花開く予感がする。
「何ができるか」というよりは「まず作ってみる」という方が広がりやすい時代なのである。



第4次産業革命で輝く人材像「技術者5.0」 技術者5.0(上)

2016/5/13 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
 IoTモノのインターネット化)、ビッグデータの活用、オープンイノベーションの加速、開発のグローバル化…。ものづくりを取り巻く環境が激変している。こうした変化に対応するためには、人材育成のあり方を抜本的に改革しなければならない。そんな危機感を持つ企業が増えている。自動車、電機、機械などメーカーの次世代に向けた人づくりの最前線を追った。

 これまで磨き上げてきたものづくりの手法が通用しない。最近になって、愛知県に本社を置くある自動車部品大手の品質管理部門の技術者は強い危機感を覚えるようになった。次世代車の部品を開発する際に、エンジンの出力や排気の温度などの大量のデータをどれだけ解析しても、以前なら考えられないようなエラーが出るようになったからだ。

 「古典的なあらゆる統計解析の手法を極めた」と自負する第一線の技術者にとって、データを正確に解析できないという事実は衝撃的だった。問題を放置すれば、メーカーの生命線といえる品質を保証することが難しくなる。

 「これは喫緊の課題だ。なんとかしなければならない」。そう考えたこの自動車部品メーカーは、ハードウエアやソフトウエアといった分野の垣根を超えた社内の優秀な技術者を20人以上結集。車載部品の高機能化に伴って生まれる大量なデータを正確に解析できるように、「統計科学」の勉強会を始めた。

 その結果分かったのが、これまで社内で教育してきた古典的なデータ解析の手法がもはや破たんしているという事実だった。高度化に伴い膨大なデータを生み出す製品の品質を保証するには、新たなデータ解析手法を確立しなければならない。

 この自動車部品メーカーでは、ビッグデータ解析などの最新の手法を学ぶ研修プログラムを新たに導入。技術者育成の手法を大きく見直して、精緻なデータ解析が可能な開発体制の確立を急いでいる。

■環境変化に人材育成が追いつかない

 ものづくりの急激な変化に、技術者教育が追いつかない─―。この部品メーカーと同じような課題に多くの企業が直面している。

 その象徴ともいえるのがものづくりの「デジタル化」への対応だ。例えば、IoTや「Industrie4.0(インダストリー4.0)」に対応する成長戦略を打ち出すメーカーは多いが、肝心の技術者をどのように育成するのかに関しては悩んでいる企業が多い。

 「IoTとは何かを知りたいという依頼は急増しているが、技術者をどう育成するかまで考えている企業はほんの一部に過ぎない」。IoT人材を育成するための企業研修などを手掛けるメディアスケッチ(東京都渋谷区)の代表取締役、伊本貴士氏はこう語る。

 こうした状況に危機感を持ったメーカーは、技術者を社外の研修に派遣してIoTやビッグデータ関連の知識を身に付けさせようとしている。

 2016年2月下旬、日本科学技術連盟が開いた「モノづくりにおける問題解決のためのデータサイエンス入門コース」には、日本を代表するメーカーから多数の技術者が集まり、活況を呈していた。ビッグデータをソフトウエアで解析し、ハードウエア(製品)の異常を検知する手法を学ぶ内容だ。

 もちろんデジタル化だけが、メーカーの人材育成の悩みではない。2008〜2014年の1ドル=100円を切るような円高を背景に、多くの企業はグローバル化を加速してきた。

 コスト競争力を高めるために生産拠点を相次いで海外に移管する動きに加えて、海外に製品開発の機能を移管するメーカーも増加。国内市場が低迷する中、欧米や成長している新興国の市場を開拓する力を高めようとした。

 海外で成功する製品を開発するには、現地市場に対する理解を深める必要がある。そのためには海外で現地の事情をよく知る技術者を採用して育成することが欠かせない。開発は国内が中心で、海外拠点には主に日本の技術者を派遣して現地市場に対応するという、旧来型の開発体制では成功が難しくなっている。

図1 DMG森精機の新製品と技術を紹介する展示会。2016年1月にドイツのPfronten市にある拠点で開かれたイベントでは、日本とドイツの技術者が共同開発する工作機械が多数展示された
図1 DMG森精機の新製品と技術を紹介する展示会。2016年1月にドイツのPfronten市にある拠点で開かれたイベントでは、日本とドイツの技術者が共同開発する工作機械が多数展示された

 さらに最近では、グローバルな企業の合従連衡も進んでいる。工作機械大手のDMG森精機のように日本とドイツの機械メーカーが経営を統合するケースも目立つ。研究開発から多様な製品の品ぞろえまでを1つに統合する方針で、より高いレベルのグローバル人材の育成が求められている()。

 DMG森精機に限らず、三菱重工業が鉄鋼機械の事業をドイツSiemensシーメンス)の同事業と統合したり、空調機器大手のダイキン工業米国同業他社を買収したりしている。新たな段階に入ったグローバル化に対応する技術者の育成は急務になっている。

■イノベーションの担い手を鍛える

 デジタル化とグローバル化が加速する中で、多くの企業が求めているもう1つの人材が新たな価値を生み出すイノベーションの担い手だ。

図2 Tesla Motorsの電気自動車「Model S」。ITを活用することで、これまでのクルマにないユニークな機能を実現している
図2 Tesla Motorsの電気自動車「Model S」。ITを活用することで、これまでのクルマにないユニークな機能を実現している

 デジタル化に伴い、以前は考えられなかったような新しい機能を製品に付加できるようになった。例えば自動車では、米Tesla Motors(テスラモーターズ)の電気自動車(EV)「Model S」のようにソフトウエアのアップデートによって、自動緊急ブレーキ機能や高速道路での自動運転機能を実現できるようになってきた()。クルマづくりにもIT(情報技術)企業のような発想が今後ますます求められるようになる。

 これまで考えられなかったような発想で独創的な商品を開発する新興メーカーも続々と誕生している。以前は家電大手が席巻していた分野でも欧米や新興国のベンチャーが台頭している。2輪車ではテラモーターズ(東京都渋谷区)が電動バイクを農村部などで売り込み、大手メーカーを抑えて国内最大のシェアを握るようになった。

 もはや従来の商品の延長線上で改良を考えていくような手法では、革新的な製品を生み出す新勢力に対抗するのは難しい。そう考えた多くのメーカーは、イノベーションを実現する人材の育成に本腰を入れ始めている。

 「技術者向けにイノベーション研修を新たに導入する企業がここ2〜3年で急増している」。パナソニック日立製作所ホンダなどを顧客に持ち、技術者向けのイノベーション研修を提供するナレッジワークマネジメント(兵庫県芦屋市)代表取締役の大坪秀昭氏はこう話す。

■「技術者 5.0」で求められる人材像

図3 技術者 5.0のイメージ。ものづくりの環境が激変する中、デジタル化だけではなく、グローバル化、イノベーションに対応する人材の育成が求められている
図3 技術者 5.0のイメージ。ものづくりの環境が激変する中、デジタル化だけではなく、グローバル化、イノベーションに対応する人材の育成が求められている

 このようにものづくりの環境が激変する時代に求められる技術者の人材像を、日経ものづくりは「技術者 5.0」と定義する()。

 インダストリー4.0では、ものづくりの構造的な変化を以下のように4段階に分類している。18世紀末の水力や蒸気力を用いた機械的な生産設備の導入による第1次産業革命、20世紀初頭の電気エネルギーを用いる大量生産の導入による第2次産業革命、1970年代に始まった電子機器やITを使って生産を自動化する第3次産業革命、そして今まさに始まりつつあるように、さまざまな産業機器に多数のセンサーが搭載され、ネットワークにつながるIoT化による第4次産業革命だ。

 このような産業の進化の段階に応じて、求められる技術者の人材像も変化してきている。現在、多くの製造業の人づくりで最大の焦点となっているのが、第4次産業革命への対応を主眼とした、ものづくりとITの双方に通じたデジタル人材の育成である。

 ただし、これからの製造業を担う人材としては、ものづくりとITの双方に通じているだけでは十分ではない。生産拠点や開発拠点のグローバル化はますます進行し、かつ新興国企業と明確に差異化できる製品開発や生産体制を確立するためにはイノベーション創出力に優れた人材が不可欠だ。

 こうした状況を鑑み、「デジタル化への対応力」「グローバル化への対応力」「イノベーション創出力」を兼ね備えた人材を技術者 5.0と位置付け、今後製造業が目指すべき人材像として提案する。

図4 ソニーの新規事業創出プログラムで選ばれた若手技術者たち。入社3年目の若手技術者たちが集まり、さまざまな電化製品を1台で制御できる電子ペーパー学習リモコン「HUIS(ハウス)」を開発した
図4 ソニーの新規事業創出プログラムで選ばれた若手技術者たち。入社3年目の若手技術者たちが集まり、さまざまな電化製品を1台で制御できる電子ペーパー学習リモコン「HUIS(ハウス)」を開発した

 次回はイノベーション創出に関し、ユニークな製品を開発する社内ベンチャーを次々に生み出す新規事業創造の仕組みを導入したソニー()や、イノベーションを起こす潜在能力が高い人材を全社的に発掘して、長期的な商品開発の戦略やオープンイノベーションの取り組みなどを任せている富士ゼロックスなどの戦略を紹介する。

(日経ものづくり 山崎良兵)

[日経ものづくり2016年4月号の記事を再構成]

2016-05-14 また。本当の進化はこれから(1)

[]進化を感じるセンス。 進化を感じるセンス。を含むブックマーク 進化を感じるセンス。のブックマークコメント

ジャーナリストに限らず。

いつの時代も「自分」とか「自分の周囲」とか「今の時代」とかを象徴的に語り、「説明しよう」とするのは自分たちの本能だろうか。
多分、そうして自分を相対化することで「自分を自分自身で理解したい」というのが本音ではないだろうか。

高度成長期だ、とか
金融恐慌だ、とか
バブルだ、とか
新興国の時代だ、とか
金融主導の終焉だ、とか。
どれもがある一面では正しいけれど、決して全部を語っているわけではない。
だから色んな人が色んなことを言う。

ITの世界は、出現の歴史が浅いから、特にそんなキライがあると思う。
確かに技術革新も著しいし、しかも「ここ数年」でさらに新しい活用のフェーズに入ってきているような気がするけれど、「またかよ」という感じがしている人も多いに違いない。

自分もIT業界に三十年も身を置いている訳だが、「これまでのITの効果」と「今から起こる破壊性(つまりブレイクスルーか)」はちょっと桁違いのものがあるかもしれない、と薄々感じている。

「コンピューターが貴重な借り物だった時代」から「無限に使える時代」に入ってきている。

これから起こる「次元の違う進化」を今はみんながなんとか見通して、開設しようとしているような気がするのだ。
十年後にこうした記事をレビューしてみたいものである。
(つづく)

ハンスハンス 2016/05/14 18:29 もう十分便利だと思いましたけど、まだこれからって‥人間的ってすごいですねー。

2016-05-13 つれづれに生きるとか。

[]総クリエーター社会。 総クリエーター社会。を含むブックマーク 総クリエーター社会。のブックマークコメント

社会人も三十年近く経って、ようやく最近感じ始めたこと。
どうも「定時に寝て定時におきて」とか「定時に始めて定時に終わって」とかが苦手だ。
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そういえば二十代の頃に「寝るのは二日に一回」(ただし12〜18時間くらい)というのを試して、割と上手くいったことがある。

残念ながら周囲の時間習慣と噛み合わずに止めてしまったが、どうも自分の体内リズムは24-25時間からはズレているような気がする。
(長周期で自分の生物時計を計測してくれるアプリとかがあったら素晴らしいのに)

それはともかく、三十年前と比べればフレックスタイムも珍しくないし、在宅勤務も日常化している。
そして何より、ネットの発達で「電話と生の会話の時間」は激減している。

近い将来、「超フレックス」で自分が起きたり、働いたり、さらには遊んだりすることが「全く時間軸から解放される」時代が来るのではないだろうか。
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各人の持っているリズムを最も優先し、一番能率の上がる状態で寝たり起きたりする。

最も生産性も上がるし、意欲も高くなるのではないだろうか。
例えば仕事の成果なら、それを一ヶ月とかで区切って見てみればいいだろう。

今でもクリエーターとか作家とか芸術家は、そんな「リズム最優先」の生活を実践している。
ITの発達で、それが一般市民に浸透してくれば"サラリーマン"というニュアンスの仕事はなくなってくるのではないだろうか。
みんながクリエーターになるのだ。

2016-05-12 トートからリュック。

[]流れているトレンド流れているトレンド。を含むブックマーク 流れているトレンド。のブックマークコメント

ここ三十年くらい、いわゆるビジネス系の人たちが持つバックって「定番もの」がまず主流だったと思う。
アタッシュケースが流行った時期もあったけれど、その後はソフト生地かレザーの四角いシンプルなものが長らく当たり前だった。
仕事のフォーマルな場には「そういう備品」で行くものだ、と先輩に教わったものだ。
男性もののカバン売り場に行くと「そうしたデザイン」のもの一色だった。

それがどうしたわけかここ数年、街中で"男性トート"が目立つ。
女性が使うものと思っていたが、使ってみると口がガバッと開いていて物が入れやすい。(ルーツは氷を運ぶ袋、らしい)
五年前だと客先にトートバッグで行ったら、少し冷やかな視線を浴びたものだが、今はそんな雰囲気はなくなっいる。

久しぶりに「男性カバン売り場」に行ってみて様変わり。

売り場は「四角い系」のカバンと三つどもえで「トート」と「バックパック」が並んでいる。

そういえば街中では若い人を中心に、リュックかトートが目立つ。
もともと流行に敏感な方ではないけれど、少しづつ「客先にリュック」で行ってみようかと思う。
また冷やかな視線を浴びるだろうか。

2016-05-11 起承転結という部屋で。(2)

[]コンテンツ倒れの時代。 コンテンツ倒れの時代。を含むブックマーク コンテンツ倒れの時代。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160511001751p:image
お休みに久しぶりに映画や小説に触れて新たに思ったこと。
映画、ドラマ、小説、落語戯曲オペラ
どれも今や「凄まじい創作の情熱」で世に出てきているものばかりだ。

自分は、ほんの十年前までは、そうしたコンテンツをTSUTAYAで借りて、老後は「好きな作品を見て過ごす」ということを考えていた。

本棚に並ぶDVDを見て、このくらいあればずい分と有意義な老後が過ごせるに違いない、と思っていたのだ。

事態は逆転している。
もう、うかうかしていては、自分が老後に(あるいは今でも休日に)何を見るのか?を厳密に選ばないと、とんでもないことになりそうである。
「一度は見ておきたかった」「見ておくべきだった」作品とか、その分野ではある意味"必須"とも言えるものとか。

あらゆるコンテンツが記録され、瞬時に流通するようになった。
作品を作るためのハードルも下がり、加速度的に「コンテンツの量」は増えている。
これからも増える一方である。

果たして映画でも小説でも絵画でも。

自分がこれまでの生きてきた軌跡から、どんなものに触れておくべきだろうか。

昔なら習い事のお師匠が「次はこれを勉強しなはれ」と言ってくれたかもしれないけれど。
そんなことをITができれば実に素敵である。
増え続けるコンテンツを前にそんなことを思った。

2016-05-10 生活のサイクルについて このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

10日のブログが飛んでいますよ、とコメントをもらう。
確かに抜けている。
一日の始まりか終わりにエントリーするようにしているが、その一日の単位がずれていたのだ。

これまでなんども試してみたけれど、どうも一日の24時間というサイクルは自分の生物時計に合っていない。
一度じっくり時間を取って自分にとっての「生物サイクル」を検証してみたいと思っているが、何となく「十八時間」くらいが自分の一日の単位としてはしっくりくるような気がしている。
一度起きると24時間以内に眠るのは勿体なく、しかし一旦寝てしまうと6-8時間くらいで起きるのも勿体ない。
寝るのも起きるのももう少し長い単位にしたい、と思うのは自分だけだろうか。

またテストの結果を報告させてもらいます。

2016-05-09 起承転結という部屋で。(1)

[]作家という困難。 作家という困難。を含むブックマーク 作家という困難。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160509005833j:image:large]
連休中に録りためていた映画と数冊の小説を読んだ。
面白いものも多かったが、見終わってふと「作家」のことが気になった。
邦画も洋画も、ドラマも、小説も。
どれも工夫を凝らしてストーリーが構成されている。

「起承転結」とよく言うが、もうどれが"起"なのか、どこからが"転"で、どこまでが転なのか、そして「結」というけれど、果たしてそれで終わりなのか、それがまた次の「起」につながっていたり、また「結」もはっきりとは「結」にはなっていなかったり。
そしてさらには複線のように物語が展開するものもあり、そうすると「複数の起承転結」が錯綜するわけで、まず一度パッと見ただけでは分からないものもあった。

ハリウッド映画のアクションもののように「問題→原因→解決→平和」と一直線に進んでいくのも少し凡庸ではあるけれど、あまりにも筋が複雑化してしまい、観劇の最中にはもう「人間関係と事件の背景」みたいなものばかりが気になって、喜怒哀楽の感情よりも頭の中で記憶を辿るような作品はあまり面白くなかった。

視聴者の頭を適度に刺激し(使い)、アクションで視覚的にも楽しませ、哀愁や人間味も感じさせる。
そんなことを作家の人たちは日夜考えているのに違いない。

けれどそんな作品を、視聴者に悟られず(飽きさせず)に作り上げるのは、想像を超えて大変な創作活動なのだろう、ということがつくづく想像されたのだった。

そして、さらにそのストーリーを「誰が演じるか」ということもかけ合わさってくるわけで、文学作品というのは人が作り出した最も面白いものの一つに違いないと思う。

2016-05-08 ロボットの定義。(2)

[]AI判断する時代。 AIが判断する時代。を含むブックマーク AIが判断する時代。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160508002544j:image:right
FTの記事より。

問題は、戦争の不透明さの中で見込まれるロボット使用にじっくり目を向けるほど、道徳的な境界線を見分けるのが難しくなることだ。
ロボット(限定的な自律性を備えたもの)はすでに、爆弾処理や地雷除去、ミサイル迎撃システムなどの分野で戦場に配備されている。こうしたロボットの利用は今後、劇的に拡大していく。

技術はその現実があまりに先鋭的で細かなために、しばしば応用分野が問題になる。
遺伝子分子生物学の、医療への適用とか。
どんどん複雑化する「薬物と病気」の関係とか。
そして今一番ホットなのが「AIロボットと兵器の関係」だろう。

もうすでに相当なレベルでコンピューターが搭載されている。
そんな兵器が、ある時"自律"し始めた時に、初めて人は慌てているようだ。

同じ一つの爆薬を使うのに、ロボットが自律しているか否か?は
本当はどれほど問題なのだろう。

いずれ、今は人間が担っている「判断部分」はコンピューターが大部分を手がける時代が来る。
(というか、今でも相当「そう」なっている。)
けれど、ちょっと楽観的かもしれないが、こうした「技術革新の波」が轟々と押し寄せてこそ、自分たちもリアルな生活の中でそのことを考え始めるものだ。

ほかの多くの分野と同じように、我々の社会は技術的に激変している現実の意味を理解するのにてこずっている。ましてや、この現実をコントロールするには及ばない。

最初はアブなくて、使いづらくてどうにも御しようもなかったものを、「だんだんと慣らして生活の中で使いこなす」というのがロボットに対しても人間のあるべき知恵なのではないだろうか。
どんどん向こうの方が賢くなっているみたいだけど。

[FT]「殺人ロボット」が新軍拡競争を引き起こす

2016/5/2 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
 次のような未来のシナリオを想像してほしい。米国主導の連合軍が過激派組織「イスラム国」(IS)を全滅させることを決意し、シリアの都市ラッカを包囲する。敵を追跡して市内を飛び回る自律型飛行ロボットの群れを国際部隊が解き放つ。

 ロボットは顔認識技術を使い、IS最高司令官らを特定・殺害し、組織を壊滅させる。ぼうぜんとし、士気をくじかれたISの部隊は崩壊し、連合軍の兵士と民間人の人命喪失はごく少数で済む――。

 これを技術の有効利用だと思わない人がいるだろうか。

監視用ドローンを操縦するカメルーン兵士。近隣諸国と共同で過激派組織「ボコ・ハラム」の掃討を狙う=ロイター
監視用ドローンを操縦するカメルーン兵士。近隣諸国と共同で過激派組織「ボコ・ハラム」の掃討を狙う=ロイター

 実を言えば、かなり大勢いる。そうした兵器の開発に必要な技術について最もよく知る人工知能(AI)分野の多くの専門家もそうだ。

■大量生産できる「未来のカラシニコフ

 AI研究者のあるグループは昨年7月に発表した公開書簡で、技術がかなりの水準に発達したため「自律型致死兵器システム」(不条理にも「LAWS」として知られる)の配備が、数十年の単位ではなく数年内に可能になると警告した。核兵器とは異なり、このような兵器システムは安価に大量生産でき「未来のカラシニコフ自動小銃」になるという。

 「LAWSが闇市場に登場し、テロリストや、大衆をもっと統制したいと望む独裁者民族浄化したがっている軍閥の手に収まるのは、時間の問題でしかない」。研究者のグループはこう述べた。「軍用AIの軍拡競争を始めることは間違った考えであり、人間による有意義な制御が及ばない攻撃用の自律型兵器を禁止することで阻止すべきだ」

 すでに米国はおおむね、攻撃用の自律型兵器の不使用を決めている。国連は今月(4月)、LAWSの使用を制限する国際協定の策定を目指し、ジュネーブで再度、主要軍事国94カ国間の協議を開いた。

 主な根拠は道義的なものだ。つまり、ロボットに人間を殺す機能を持たせることは、決して越えてはならない一線を踏みつけることになる。

 地雷禁止キャンペーンでノーベル平和賞を受賞し、「殺人ロボット阻止キャンペーン」の広報を務めるジョディ・ウィリアムズ氏は、自律型兵器を、核兵器よりも恐ろしいものと形容する。「もし一部の人が、人間の生殺与奪の権利を機械に譲ってもいいと考えたとしたら、人間性は一体どこへ向かうのか」

 純粋に道義的なもの以外にも、懸念はある。殺人ロボットは戦争の人的損失を減らし、その結果として紛争の可能性を高めてしまうのではないか。そのような兵器システムの拡散を、どうやって止められるのか。何か問題が生じたら、誰が責任を負うのか。

 哲学セミナーでは、殺人ロボットに反対するこの道義的な根拠は十分明白だ。問題は、戦争の不透明さの中で見込まれるロボット使用にじっくり目を向けるほど、道徳的な境界線を見分けるのが難しくなることだ。ロボット(限定的な自律性を備えたもの)はすでに、爆弾処理や地雷除去、ミサイル迎撃システムなどの分野で戦場に配備されている。こうしたロボットの利用は今後、劇的に拡大していく。

■人的判断の有無で自律性に区別

 ワシントンシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)は、軍事ロボットに対する世界的な支出2018年までに年間75億ドルに達すると試算している。これに対し、商業・工業用ロボットに対する支出は430億ドルと予想されている。CNASは「戦士たちが敵に対して決定的な優位性を得る能力」を大幅に高めることができると主張し、そうした軍事ロボットの配備拡大を支持している。

 軍事産業は、業界が愛してやまない無味乾燥な文章で、異なるレベルの自律性を区別している。

 業界が「ヒューマン・イン・ザ・ループ(人間が関与する)」と表現する最初のレベルには、米軍をはじめ多くの軍隊に使われている武装ドローン(小型無人機)「プレデター」が含まれる。ドローンは標的を特定するかもしれないが、攻撃するには、やはり人間がボタンを押す必要がある。映画「アイ・イン・ザ・スカイ」で鮮明に描かれているように、そのような決断は道義的に苦渋に満ちたものになり得る。標的を射止める重要性と民間人が犠牲になるリスクをてんびんにかけなければならないからだ。

 自律性の第2のレベルは、対空部隊を含め、ロボット化された兵器システムを人間が監督するヒューマン・イン・ザ・ループ・システムだ。だが、近代の戦争が持つスピードと激しさを考えると、そのような人間の監視が効果的なコントロールとなるのかどうか疑わしい。

 完全に自律的なドローンなど、3番目のヒューマン・アウト・オブ・ザ・ループ(人間が関与しない)型システムは、最も多くの死者を出す可能性があるが、恐らく禁止するのが最も容易だ。

 AI研究者は間違いなく、この議論に光を当てたことで称賛されるべきだ。軍縮専門家も、この課題を明確に定義し、対応するのを手助けするうえで、有益だが腰の重い役割を担っている。CNASのシニアフェロー、ポール・シャール氏は「これは貴重な対話だが、遅々として進まないプロセスだ」と話している。

 ほかの多くの分野と同じように、我々の社会は技術的に激変している現実の意味を理解するのにてこずっている。ましてや、この現実をコントロールするには及ばない。

By John Thornhill

2016年4月26日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

(c) The Financial Times Limited 2016. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

2016-05-07 ロボットの定義。(1)

[]倫理と実践。 倫理と実践。を含むブックマーク 倫理と実践。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160507011524j:image
FTの軍事ロボットの記事。
短いが示唆に富むこんな記事が身近に読めるようになったのは日経のおかげだ。
テクノロジーは、軍需、セックス産業、ギャンブル系で花開く、というけれど「いよいよ 人の 手を離れ」という局面を迎えている。
議論はごく原始的であり、根源的だ。

人が(銃の)引き金を引いたり、(爆破装置の)スイッチを押すこと。が「人対人の戦いの倫理」なのだろうか、ということ。

すでに銃や陸海空で使用される武器には、数多のコンピューターが搭載され、最近のドローンは照準さえ自分で決める。
これのどこまでが「自律型」なのか。
「人が関与しない兵器」を先進国は禁止しようとしているというが、関与ってどこまでのことを言うのだろう。

軍需産業や国防に国の予算が投じられ、結果新しい技術が発明され、実装される。

テクノロジーの宿命的なサイクルも、いよいよ「生命倫理」に近づいてきている。

[FT]「殺人ロボット」が新軍拡競争を引き起こす

2016/5/2 6:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版
 次のような未来のシナリオを想像してほしい。米国主導の連合軍が過激派組織「イスラム国」(IS)を全滅させることを決意し、シリアの都市ラッカを包囲する。敵を追跡して市内を飛び回る自律型飛行ロボットの群れを国際部隊が解き放つ。

 ロボットは顔認識技術を使い、IS最高司令官らを特定・殺害し、組織を壊滅させる。ぼうぜんとし、士気をくじかれたISの部隊は崩壊し、連合軍の兵士と民間人の人命喪失はごく少数で済む――。

 これを技術の有効利用だと思わない人がいるだろうか。

監視用ドローンを操縦するカメルーン兵士。近隣諸国と共同で過激派組織「ボコ・ハラム」の掃討を狙う=ロイター
監視用ドローンを操縦するカメルーン兵士。近隣諸国と共同で過激派組織「ボコ・ハラム」の掃討を狙う=ロイター

 実を言えば、かなり大勢いる。そうした兵器の開発に必要な技術について最もよく知る人工知能(AI)分野の多くの専門家もそうだ。

■大量生産できる「未来のカラシニコフ

 AI研究者のあるグループは昨年7月に発表した公開書簡で、技術がかなりの水準に発達したため「自律型致死兵器システム」(不条理にも「LAWS」として知られる)の配備が、数十年の単位ではなく数年内に可能になると警告した。核兵器とは異なり、このような兵器システムは安価に大量生産でき「未来のカラシニコフ自動小銃」になるという。

 「LAWSが闇市場に登場し、テロリストや、大衆をもっと統制したいと望む独裁者民族浄化したがっている軍閥の手に収まるのは、時間の問題でしかない」。研究者のグループはこう述べた。「軍用AIの軍拡競争を始めることは間違った考えであり、人間による有意義な制御が及ばない攻撃用の自律型兵器を禁止することで阻止すべきだ」

 すでに米国はおおむね、攻撃用の自律型兵器の不使用を決めている。国連は今月(4月)、LAWSの使用を制限する国際協定の策定を目指し、ジュネーブで再度、主要軍事国94カ国間の協議を開いた。

 主な根拠は道義的なものだ。つまり、ロボットに人間を殺す機能を持たせることは、決して越えてはならない一線を踏みつけることになる。

 地雷禁止キャンペーンでノーベル平和賞を受賞し、「殺人ロボット阻止キャンペーン」の広報を務めるジョディ・ウィリアムズ氏は、自律型兵器を、核兵器よりも恐ろしいものと形容する。「もし一部の人が、人間の生殺与奪の権利を機械に譲ってもいいと考えたとしたら、人間性は一体どこへ向かうのか」

 純粋に道義的なもの以外にも、懸念はある。殺人ロボットは戦争の人的損失を減らし、その結果として紛争の可能性を高めてしまうのではないか。そのような兵器システムの拡散を、どうやって止められるのか。何か問題が生じたら、誰が責任を負うのか。

 哲学セミナーでは、殺人ロボットに反対するこの道義的な根拠は十分明白だ。問題は、戦争の不透明さの中で見込まれるロボット使用にじっくり目を向けるほど、道徳的な境界線を見分けるのが難しくなることだ。ロボット(限定的な自律性を備えたもの)はすでに、爆弾処理や地雷除去、ミサイル迎撃システムなどの分野で戦場に配備されている。こうしたロボットの利用は今後、劇的に拡大していく。

■人的判断の有無で自律性に区別

 ワシントンシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)は、軍事ロボットに対する世界的な支出2018年までに年間75億ドルに達すると試算している。これに対し、商業・工業用ロボットに対する支出は430億ドルと予想されている。CNASは「戦士たちが敵に対して決定的な優位性を得る能力」を大幅に高めることができると主張し、そうした軍事ロボットの配備拡大を支持している。

 軍事産業は、業界が愛してやまない無味乾燥な文章で、異なるレベルの自律性を区別している。

 業界が「ヒューマン・イン・ザ・ループ(人間が関与する)」と表現する最初のレベルには、米軍をはじめ多くの軍隊に使われている武装ドローン(小型無人機)「プレデター」が含まれる。ドローンは標的を特定するかもしれないが、攻撃するには、やはり人間がボタンを押す必要がある。映画「アイ・イン・ザ・スカイ」で鮮明に描かれているように、そのような決断は道義的に苦渋に満ちたものになり得る。標的を射止める重要性と民間人が犠牲になるリスクをてんびんにかけなければならないからだ。

 自律性の第2のレベルは、対空部隊を含め、ロボット化された兵器システムを人間が監督するヒューマン・イン・ザ・ループ・システムだ。だが、近代の戦争が持つスピードと激しさを考えると、そのような人間の監視が効果的なコントロールとなるのかどうか疑わしい。

 完全に自律的なドローンなど、3番目のヒューマン・アウト・オブ・ザ・ループ(人間が関与しない)型システムは、最も多くの死者を出す可能性があるが、恐らく禁止するのが最も容易だ。

 AI研究者は間違いなく、この議論に光を当てたことで称賛されるべきだ。軍縮専門家も、この課題を明確に定義し、対応するのを手助けするうえで、有益だが腰の重い役割を担っている。CNASのシニアフェロー、ポール・シャール氏は「これは貴重な対話だが、遅々として進まないプロセスだ」と話している。

 ほかの多くの分野と同じように、我々の社会は技術的に激変している現実の意味を理解するのにてこずっている。ましてや、この現実をコントロールするには及ばない。

By John Thornhill

2016年4月26日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

(c) The Financial Times Limited 2016. All Rights Reserved. The Nikkei Inc. is solely responsible for providing this translated content and The Financial Times Limited does not accept any liability for the accuracy or quality of the translation.

はちおはちお 2016/05/07 19:43 すごい数のエントリーですなー。

2016-05-06 スピードの加速。

[]バーチャル技術の未来。 バーチャル技術の未来。を含むブックマーク バーチャル技術の未来。のブックマークコメント

D
ゴーグルのように頭にディスプレイを巻きつけてみるVR端末。
付けてしまえばなかなかの映像が見えるけれど、これを「さあ、今から見ようか」と思うかどうかというと、今"テレビのスイッチを入れる"という行為よりも数倍は大変そうだ。
つまり全然使わない可能性がある。

一方、youtubeを始めとした動画配信は、本当に日々日々提供される動画の質が4k、5kと上がっている。
数年前の、素人が何でもアップしてみるyoutubeとは隔世の感がある。

そんな中でもメーカーとかコンテンツ制作のプロがアップしているコンテンツ群はやはり別格だ。
いわゆるフリーコンテンツ市場の「質」を牽引していると思う。

今主に4Kで提供されつつある各種の動画を見ていると、近いうちに(ヘッドアップディスプレイではなく)「この辺りから」、バーチャルリアリティの世界が開けてくるような気がする。
今のもう少し上のクオリティで、ディスプレイがもう少し大きくなれば「飛躍的にリアル感が増す」閾値があるような気がするのだ。
もう世の中は「それ」に近いところまで来ているのではないだろうか。

ネットが普及する前からバーチャルリアリティが試行され始め、ほんの二十年で相当なレベルに達していると思う。

ネットワーク+バーチャル技術」がいよいよ実生活の「リアル部分」を少しづつ置き換えて行く時代に入りそうだ。

ゲームや遊びでしかなかったように見えた技術が、どんどん短いサイクルで「生活」に入ってくる。
これからも技術はそんな意味で注目していきたいものだ。

waikiki lovewaikiki love 2016/05/07 00:24 久しく行っていないハワイを思い出しました。ロケの何気ないのと画質がいいですね。バーチャル体験です。(^ ^)

2016-05-05 見えない税金。(2)-クラウドタックスの時代

[]税金は自分で使う。 税金は自分で使う。を含むブックマーク 税金は自分で使う。のブックマークコメント

自分の尊敬する先輩経営者に「全く節税行為はしない」という人がいる。

なぜなら「税金をたくさん払ってこその社会貢献」とおっしゃって憚らない。
しかもその会社は業績が良いからその言葉にはとても力があった。

先日来の九州地震の様子を見ても、日本の人々は公共性は高い方に違いない。
義援金ボランティアの人も瞬く間に集まってくる。
だとするとそれに比べての一般市民の「節税願望」というのは多分にその"税金の使われ方"に問題があるのではないだろうか。

どこにどの税収を配分して、どんな施策を打つかということは政治家が決めて行く。
政治に「全員満足はない」とは言われるが、それにしても「自分の税金がこんなことに役立つなら」という人は案外多いに違いない。
やれODAだ、海外派兵だ、基地問題原発だ、とあまりに大きな国の予算が、やはり「思った施策に使われていない」と感じる人は多いのではないだろうか。
そういう意味では、これからの政治の役目の一つには「税金の見える化」が重要課題ではないかと思う。
そんなことのために、今では発達したネットワークがあるのだ。
"クラウド・タックス"ならぬ「納税の小口化と、使途の紐付けシステム」が発達してくれば、国民一人一人が考えながら納税し、しかも結構「進んで払う」ようになるのではないだろうか。

よく繁華街で警察官に「あんたたちは俺の税金で食っている」と突っかかっている人がいるけれど、ああいう感情論ではなくきちんと納得できるシステムを作っていくのはこれからの政治家の役割である。
そんなシステムができてくれば、まったく新しい国の統治システムになってくるかもしれない。
ITはそんなことに利用できるから夢があると思う。

2016-05-04 whyはやっぱり。(2)

[]どうするか、よりなぜか。 どうするか、よりなぜか。を含むブックマーク どうするか、よりなぜか。のブックマークコメント

7つの習慣にもあった『重要事項を優先する』だ。

「そもそもこのサービスって何のためにあるのか?」とか
「本当にお客さんに求められていると言えるのか?」とか
「これに本当にお金を払いたいと思うだろうか?」というような問題は一筋縄では結論が出ない。

しかも、多分結論は断定的な一つ、ではない。
「いろんな前提に、いろんな仮説があり、いろんな結果が出てくる」ものだ。

だから、しばしば自分たちは「そんな出口の見えないことを話すよりも、商品改良だ」というような結論を導いて生き急ぐ。

最近、この歳になってきて、強くそんなことを思うようになってきた。
多分、残り時間のこととかを気にしているのだと思うが、「とりあえずの対処」よりは「もっと深い問題を一つでも」解決したいという思いが強い。

とりあえず儲かる仕事、より本当に儲かるしごと。
とりあえず食える仕事より、一生ものの仕事。
とりあえず売れる商品より、ずっと使われる商品を。

なので「何が問題なのだろう?」と考えることが以前より楽しい。
(以前はそういう話は鬱陶しいと思っていた。もうどうにかしようよ、と。)

その代わり、ちょっとフットワークが鈍っているかもしれない。
どっちも意識していないと、思うのです。

2016-05-03 why?はやっぱり。(1)

[]どうするか、よりなぜか。 どうするか、よりなぜか。を含むブックマーク どうするか、よりなぜか。のブックマークコメント

「何が問題かを考える。
先日来、このことがよく頭に浮かぶ。
仕事が、とか
人間関係が、とか
家族が、とか
彼が(彼女が)、とか
さらには毎日の生活が、とか…

何かうまくいかないことがあって「なぜだろう?」と考える。
一見ごく当たり前のそういうことが、自分はあまり出来ていないのじゃないか。

圧倒的に「出来ていないことに対して、ではこうしよう」という話が多い。
何でだろう?

そうだ、その方が「圧倒的に楽だから」だ。

いま綻びができていることに対して「まずはこうしておこう」というと、とりあえずの対処にはなるし、「何かしておいた」という自分の納得感もあるのだろう。

反対に、「なぜ出来ていないのか」とか「根本的にはどこかに誤りがないか」とか「そもそものコンセプトが偏っていないか」と考えだすと、とても深い話になってしまうから。
特に今の社会は「スピード」も重要だから、グズグズ考えているだけではたちまち時代遅れになる、ていう面もあるのだ。
(つづく)

ななこななこ 2016/05/03 17:00 ごぶさたしております。相変わらずの連載すごい量ですね〜。連休中にバックナンバー読ませていただきます♪

2016-05-02 見えない税金。(1)

[]モラル法律モラルと法律。を含むブックマーク モラルと法律。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160502002637j:image
法律の詰まる所の拠りどころは「公序良俗」とよく聞くけれど。
最初にはパナマ文書報道で感じた違和感はこれである。
脱税節税、というのは国民の三大義務の中でも一番流動的な問題ではなかろうか。

自分は社会人になって「節税はよく勉強しなさい」という話と「脱税はいけません」という話を聞いて戸惑ったことを思い出す。

最初は両者には明確な境界があって"一線を越えたらアウト"なのだと思っていたら、世の中そんなに綺麗ではなかった。

一般の暮らしの中でも「犯罪か、故意か過失か、偶然か、管理していたか」とかいろんな問われ方がある。

税務調査を受けてみれば「これは認められない」「これはok」と言う間にはとっても微妙な理屈や主観の働きがあるものである。

国家元首が公金をくすねて租税回避で蓄財している」と明確なものはともかく、その対極には「ビジネスで正当に蓄財したものの運用」というのがある。
「富を蓄えるものはけしからん」と大衆迎合で言うのはいいが、自分たちだって(額は違えど)◯◯控除、とか◯◯免除、とかふるさと納税とか、保険の節税」とかそんなレベルのことはやっている。

国によって政策も違うし、当然税制も差が出てこんな話になっているわけだが、一つにはグローバルに徴税の水準を合わせていくことは大事だと思うが、反対に「なぜ節税意識が働くのか」ということも大人たちは考えねばならないのではないかと思う。
(続く)
>> 
パナマ文書が問う(中)節税・脱税善悪の境界は 倫理と透明性に疑いの目

 「不公平だ!」。4月半ば、ロンドンの英首相官邸前はキャメロン首相辞任を求める数百人のデモ参加者であふれた。亡父がパナマにつくった投資信託で首相が300万円ほど利益を上げたとパナマ文書をきっかけに明らかになった。税逃れ対策を訴えてきたキャメロン氏だけに英国民の怒りも大きい。潔白を証明しようと政治家による納税や所得の開示ラッシュだ。


 パナマ文書が突きつけた論点の一つは政治と倫理だ。増税社会保障カットを強いる政治リーダーの税逃れは格差拡大にいら立つ世論に火を付けた。アイスランドのグンロイグソン首相はタックスヘイブン租税回避地)を使った自国銀行への投資が判明し、即辞任した。

政治混乱の火種

 インドネシアメディアは4月25日、ジョコ政権の有力閣僚が文書に含まれると報じた。新興・途上国で公金流用や汚職と結びついた税逃れが発覚すれば、各地で政治混乱のパンドラの箱があくかもしれない。

 国境をまたぐ税逃れは1934年の「ヴェスティ兄弟事件」がはしりとされる。英国の食肉業者だった兄弟がアルゼンチン政府高官と売り上げを海外に移す課税回避にいそしんだ。当時の国際連盟は「国際的な経済活動で税収が確保できなくなる」と危機感を表した。

 はるかに複雑になった現代の税逃れは二重三重に国境を越え、ぶ厚いベールに覆われる。「節税は一種の知的ゲーム」(中央大学の森信茂樹教授)。パナマ文書には、中国進出する日本企業中国当局の経営介入を防いだり、日本籍であることを隠したりといった狙いで回避地に新会社を設立したケースも含まれる。富裕層が回避地の会社に名義を貸しただけの例もあり一刀両断にできない。

 世界の銀行の回避地向け投融資も5年で3割弱増え、2015年末に2.4兆ドル(約250兆円)に達した。「ファンド創設手続きの簡便さ」(野村総合研究所大崎貞和氏)から、個人投資家などの資金が投資信託を通じて流れ込んでいるためだ。

 だが、多くの取引が形式的には合法でも、「脱税」と紙一重のケースもある。違法性を問うモノサシもぶれやすく、「当局が悪質だと認定すれば脱税扱いになる」。国際税務専門のベテラン税理士は、税逃れの善悪を巡る線引きは極めて曖昧だと指摘する。

 キーワードは課税の透明性だ。税がよりどころとする納得感を高めるには、まず租税回避の実態解明を進め、富裕層に自制を促す努力が欠かせない。

国際連携道半ば

 税が他国に「浸食」されている米欧などの当局も、世論の怒りを「追い風」にしようと必死だ。複数の国で活動する人や企業の課税情報を数年内に各国で共有し、税逃れに歯止めをかける案を新興国にも迫っている。

 だが、租税回避地であるシンガポールなどが参加しない枠組みがあり、インドトルコなども欧米主導に強く反発しており溝は深い。

 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は5月前半にパナマ文書の全容を公表する。税の透明性と公平さをどう担保するのか。この問いかけに対する解を見いだすきっかけになるだろうか。

2016-05-01 リークは常態。

[]秘密ハザード。 秘密ハザード。を含むブックマーク 秘密ハザード。のブックマークコメント

過ぎたことを忘れる国民性、とよく言われるけれど、だからメディアの追跡報道がないと自分たちは「ニワトリ化」してしまう。
昔からある法律はともかく、ここ十年になって、いくつも重要な法案が成立しているけれど、「その後」を追いかけてレビューするのはマスコミや大学の重要な役割だろう。

特定秘密保護法も、その後粛々と運用が続けられているようだが、27万件余りもの特定秘密が指定され中でも外務省は7万6千件を超えるという。
いずれ何十年か経って中身が明かされる、というのはこれまでの「永遠の秘密」に比べれば進歩はしているのかもしれないが、それにしても「国家安全保障会議での議論の結論」とは一体どんなものだろうか。

最近はデジタル文書は何でも漏れてしまう事件が頻発しているが、(またその内容の質と量にも驚くけれど)本来はそうした「内部暴露だのみ」では組織は健康体とは言えないだろう。

組織体の大小に関わらず、
内部情報をリークせずとも透明になる努力が引き続き必要だと思う。

特定秘密、身辺審査拒否公務員38人 政府が報告書を国会提出
2016/4/26 19:19
日本経済新聞 電子版
 政府は26日、特定秘密保護法の運用状況に関する報告書を閣議決定し、国会に提出した。2015年末時点で特定秘密が記録された行政文書数は16機関27万2020件で、衛星情報を中心に14年分より8万件超増えた。特定秘密を扱えるかどうか公務員らを身辺審査する「適性評価」は9万6714人に実施。拒否した対象者が38人いたが、理由の記載はなかった。

 保有が最も多いのは外務省で7万6816件。内閣官房は7万6254件、防衛省が7万2325件と続く。国家安全保障会議での議論の結論や警察の情報源となった人の情報、在日米軍が使用する周波数に関する情報などが指定された。

 適性評価に同意しなかった人の内訳は、内閣官房7人、外務省1人、防衛省28人。評価の途中で同意を取り下げた職員が防衛省と防衛装備庁に1人ずついた。プライバシーの侵害を懸念した結果とみられる。

 秘密指定を解除した例はなかった。同法の運用基準に反して特定秘密が取り扱われているとの内部通報もゼロだった。

2016-04-30 あらゆることは完成途上である。(2)

[]種が大事。 種が大事。を含むブックマーク 種が大事。のブックマークコメント

昨日の続き。
もう人生で50回余り大型連休を迎えているわけだが、進歩に乏しい。
二十代のある年は「速読をマスターする」とか
スペイン語をマスターや」とか
日本書紀読破」とか
「古典派・ロマン派音楽の勉強」とか、いろいろ勇ましいタイトルが浮かぶのだが、終わってみれば虚しい。
連休が終わった時の虚無感は何度味わってもモノクロな景色です。
それはともかく。

この歳にしてお恥ずかしい限りだが、まず「リズミカルに過ごす」こと。
子供のように、休み前になると夜更かしして普段見られない映画とかを無理に見ようとする。
「消費の欲望」が勝って、結局生活のリズムが乱れる。
「お休みだ」というと、夏休み中の小学生のように「やりたいこと」と実生活が別々に動き出してギャップを生むのだ。

反面、昨日の話で「やったつもりのことでも、まだこれからのことでも"何でも完成途上でしかない"」と思えば、連休が終わったとて気持ちが途切れることはない。

人は何か「終わり」が見えないと息苦しいし、終わって「解放されたい」という当たり前だけれど、無意識の欲求に縛られている。

物事に「一区切り」をつけるのはとても大事なことだと思うが、区切りは終わりではないのだ。

だから「自分が発案して、自分が推進してきたこと」でも、自分だけで「潰(つい)えてしまう」ことはない。

世の中に必要な「思いつき」は誰かがどこかで思いを継いでくれるものだと思う。

そうすると「そんな思いつきの発端」をできるだけ多く思いついて、残すことが自分たちの出来ることではないだろうか。
結果はともかく、まずその「種」を探して植えてみる。
連休を前にそんなことを考えています。
何かのきっかけになれますように。

2016-04-29 あらゆることは完成途上である。(1)

[]やりかけの人生。 やりかけの人生。を含むブックマーク やりかけの人生。のブックマークコメント

もともとは、大型連休を前にしての例年の感じ。
糸井さんのブログより。

しかも、すべての人は、
たくさんのやりかけのことをやりかけのまま残して、
生きることのエンディングを迎える。

「これからやりたいこと」「やれればいいと思っていたこと」「やりたかったこと」というのはそれぞれ微妙に諦め感が違う。
人間って、常にそうした「思い」と「現実」のギャップに悩む動物なのだろう。
(多分こういう感覚は昆虫にはない)

何せ、ある「やり遂げたこと」ですら「そこからまた始まっている」と思えば、もう万事が「終わらない世界」に見えてくる。
たとえ自分の寿命が尽きても「やっていること」は連綿と続く。
「やりかけたこと」は子供のようなもので、もう自分自身とは違う生き物なのだ、と思えば合点が行く。
何かをやろう、と思うことはつまり「自分ではない霊性」を作り出すことなのだ。
そう考えると創造というのはすごいことだ。
(づづく)

・いわゆる黄金週間を前にして、
 気づいてみたら休み中にやっておきたい宿題を含めて、
 ずいぶんたくさんの仕事が溜まっていた。
 だいたいいつごろまでにやっておこう、と、
 考えかけてそのままにしておいたことが、
 ひとつずつ増えていたというわけだ。
 ぼくももう、こどもじゃないんだから、
 もうちょっとやり方があったとは思うんだけどねー。
 
 やりかけのこと‥‥。
 やってる途中のことばかりだなぁ。
 と、どんよりと弱気になるところで、
 おいおいおい、と、気がついてしまったんだけど、
 あらゆることは「やりかけのこと」じゃありませんか。
 ひとつなにかが終わったって、
 その終わったところから次の局面がはじまってる。

 こどもが生まれて、親になったなんてときも、
 やっと生まれましたねという意味では終わりなんだけど、
 そこからそのこどもを育てていくことがはじまるわけで、
 子育てが終わったねという日が来ても、
 それでもまだなにかが続いているはずだ。

 人生は、やりかけの日々の積み重ねである。
 あらためてそう言うと、なにか意味ありそうだけど、
 ものすごく当たり前のことで、そうに決まってるよね。
 しかも、すべての人は、
 たくさんのやりかけのことをやりかけのまま残して、
 生きることのエンディングを迎える。
 その、死という終わり方は、目的にしてなかったのにね。
 そして、じぶん以外の人たちが、
 亡くなった人のやりかけのことを引き継ぐわけでもなく
 そのままにして忘れてしまったりもするし、
 ときには続きとして、またはじめたりもするわけだ。
 
 せっかく人生とかおおげさなことを言っちゃったので、
 いっそという思いで言わせてもらえば、
 もともと宇宙とかいうやつだって、
 目的のないどこかへと向かうやりかけの積み重ねだ。
 おれのやりかけの仕事ぐらい、なんだっつーのだよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
うむ。言い訳のなかにも、幾分かの真実はあるものだよな。

2016-04-28 パナマ文書の先。

[]税金と国とIT税金と国とIT。を含むブックマーク 税金と国とIT。のブックマークコメント

パナマ文書のインパクトは大きいが、その内容の精査には色んな意見がありそうだ。
何となくマスコミの論調は「税金逃れはけしからん」という気配だが、個別に見るとそれだけでもない。
記事にあるように

法人税をどれだけ課すか、課さないかは各国の主権に属する問題だ。

という通りでもあり、今一度「情報の開示と秘匿」について再検討する時期に差しかかっていると思えてならない。
そして、結局はこれらも「世界(の財務)を一つにする」というグローバル経済の管理面ではごく当たり前のことなのだと思う。

「国によって違う税制」→「適法になる要件」→「節税対策」というのは、今の資本主義では自然な流れに違いない。

かつてないネット時代、いよいよ税金の徴収方法や配布について、世界レベルでの取り組みが始まる予感がする。
税金も各国で徴収し、配るのではなくグローバルレベルでやれればずい分と省力化できる。
(その際には「為替」の問題だけは未だ未解決かもしれないが)

富の偏在はここ数百年の課題だが、いよいよITがそれに対する「解決策」を提示できる可能性も感じる。
金の流れを誰もが一見し、使い方を目の当たりにできればそれは立派なIT活用に違いない。

むしろ注意すべきは「納税回避」よりも「徴収」とか「配分」についてではないだろうか。
「納税されたお金が世界中をどのようなルールで還元されるのか」というテーマは「世界を一つにする」ということに先駆けて考えねばならない問題だ。
むしろそれが"ある解"を見つけられれば、国際的紛争とか、国連のシステムにも光明が射すような気がする。

情報が世界を一つにするかもしれない、というのは明るいテーマだと思っていいのではないだろうか。

オフショア・リークス・データベース

税回避、危うい利用 パナマ文書、日本企業・個人は 会社購入、香港業者が助言

2016年4月27日05時00分

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 闇の中だった「タックスヘイブン」の利用実態を明らかにしたパナマ文書。日本関連データからは、海外でのビジネスや資産運用など様々な利用例が見つかった。転売されるペーパー会社を使う日本人も目立つが、過度な「節税」には落とし穴も待ち受けている。▼1面参照

 タックスヘイブンの会社を、中国ビジネスで利用すログイン前の続きるのはなぜか。

 英領バージン諸島に会社を所有する貿易会社の社長(44)は「中国進出しやすく、撤退しやすいためだ」と説明する。中国本土投資しようとすると、「地域ごとに会社を設立しなければならず、会計基準や税制も日本とは違う。雇用法制も複雑ですぐに撤退できない」。このため、タックスヘイブンの会社を購入して使う手法が普及。「香港の会計士弁護士もそう助言する」

 香港には、登記済みのペーパー会社を転売する業者が多数あり、日本語でのやり取りも可能だ。

 家具を輸入販売していた西日本の男性(62)は2011年、バージン諸島にある会社を十数万円で購入した。中国の取引先から、送金先の銀行口座を香港に作ってほしいと頼まれたからだ。ネットで大手銀行の口座付きのペーパー会社をあっせんする業者を検索。複数の社名が並ぶリストから選んで決めた。男性は「送金窓口として会社を購入しただけ。香港に法人を作るとお金がかかることもあり、安く済むタックスヘイブンにした」と話した。

 関西の自営業の男性(64)は5年前、中国のある国営企業幹部から輸入代理会社の仕事を持ちかけられた。男性によると、幹部はロシアから重油を買い付ける際、輸入代理会社に仲介料を落として自分の懐に入れる計画だったという。

 男性は、バージン諸島のペーパー会社をネットを通じて約10万円で購入。ペーパー会社にためた金は「幹部が直接香港に取りに来る」との約束だったが、中国景気の減速もあり、輸入話そのものが立ち消えになったという。

 都内に本社がある美容グループは15年10月、カリブ海アンギラ島に会社の法人を登記した。ちょうど北京で中国1号店の開店を準備していた頃で「日本の店であることがわかると、日本たたきが起きた際に標的になると懸念した」(担当者)。ただ、社内で反対意見が出て最終的に投資をやめた。今は「法人の登記だけが残った状態」という。

 海外の税制に詳しい税理士は「バブル崩壊後、日本の富裕層がタックスヘイブンに資産保全の会社を作るようになった。ただ、最近はOECD加盟国が外国人の口座情報の共有に乗り出すなど監視の目は厳しくなり、利点は少なくなっている」と指摘する。(沢伸也)

 ■調査受け2億円追徴課税

 節税目的で、タックスヘイブンに会社を設立する事業主や個人は多い。ただ、思わぬ落とし穴もある。

 「もうタックスヘイブンに会社は作らない」とこぼすのは、関西でアパレル会社を父から継いだ男性(56)。

 08年、商社などとの取引を管理するペーパー会社をインド洋セーシェルに家族らと共同で設立した。上海コンサルタント会社に「国外取引は非課税」と勧められ「利用しない手はないと思った」。ペーパー会社には毎年約10億円の取引があった。当初、たまった利益は家族らに配当金で還元する計画だった。

 仲介業者からセーシェルの会社の口座が近く凍結されると伝えられ、4年前、会社を香港に移転。その直後、日本で国税局の税務調査が入った。売り上げや仕入れ高の数字の矛盾から申告漏れを指摘されて、約2億円の追徴課税処分となった。

 都内でアパレル業を営む男性(60)は朝日新聞の取材に「中国人の会社に名義を貸した」と打ち明けた。

 バージン諸島に08年に設立された会社の役員になった。「知り合いの中国人から『香港に貿易会社を設立するので名前を貸してほしい』と言われて貸した」と話す。書類に署名はしたが、株主登録に必要なパスポートなどを提出した記憶はないという。男性は「中国人がドルを貯金するために、海外に会社を作ることは多い。この会社もそのためだったのでは」と推測する。

 都内で外国為替証拠金取引(FX)の仲介業を営む男性(50)は「無断で名義を使われた」と憤る。

 06年にバージン諸島で設立されたペーパー会社の役員に名前があった。資料には署名もあるが、「私の署名ではない」と否定した。

 犯人の心当たりがないわけではない。約10年前、シンガポール在住の中国人から「一緒にビジネスをやろう」と持ちかけられて、合意書に署名もした。だが数カ月後に関係を清算した。

 ところが、昨年暮れ、「別の業者のウェブサイトにあなたの会社の登録番号が載っている」と関東財務局から指摘された。また、ペーパー会社と同じ業者名を使って欧州キプロスで集客しているともいう。男性はその業者に警告書を送ったが、まだ返事はない。(五十嵐聖士郎)

 ■データ40年分、今はない企業の名も

 パナマ文書のデータは、1977年から2015年までに作られたものだ。個人を取材したところ、40年弱の間に転居などで連絡がつかない人も多かった。

 企業では、今はなくなっている名前も見つかった。通信大手のソフトバンクグループでADSL事業などをてがけていた「ソフトバンクBB」(SBB)。ソフトバンクに吸収された同社は、07年にバージン諸島に合弁会社を設立。ソフトバンク広報によると、当時、中国の大手IT企業がネット事業を始めるにあたって協力を要請された。SBBの出資割合は35%で役員も出した。事業は軌道に乗らず、11年に全株を譲渡して撤退した。

 数々の合併で話題を集めた「ライブドア」もバージン諸島に会社を持っていた。元執行役員の説明によると、中南米向けのサイトを運営しており、05年に約12億円で買収した。直後の06年、東京地検の摘発を受けてライブドアは上場廃止になり、清算された。バージン諸島の会社は07年に売却したという。

 株主として個人名があったのは楽天創業者三木谷浩史会長兼社長。日本興業銀行を退職した直後の1996年、バージン諸島の会社に出資していた。朝日新聞社が楽天の広報担当者を通じて三木谷氏に伝えたところ、「20年前の話で、最初は会社名も覚えていないようだった」。パーティーか知人の紹介で、知り合った外国人から投資を持ちかけられ、約80万円を出資した。事業はうまくいかず、出資金の一部が戻ってきただけ。「利益を得たわけでも節税や脱税を目的としたわけでもない」という。(大谷聡、錦光山雅子)

 ■情報公開「秘密」に風穴

 パナマ文書の報道を主導する国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は、世界の政治家や富裕層、大企業がタックスヘイブンを利用して租税を逃れている実態を暴く調査報道を以前から重ねてきた。

 2012年6月にICIJと提携した朝日新聞も当初からこの取材に参加。13年4月と14年1月に、ロシア副首相の妻、中国の習近平(シーチンピン)国家主席の姉の夫らとタックスヘイブンの関わりを報じた。さらに、大手会計事務所PwCのルクセンブルク法人から流出した内部文書を分析。これを基に、14年11月、国境を越える出資や融資にルクセンブルクの法人を介在させる高度に複雑な租税回避の手口を世界で一斉に報じた。

 国境を越えた租税回避は、古くて新しい問題だ。個人や企業がタックスヘイブンを利用して「過度な節税」を図ると、各国は対抗して新たな国際課税ルールをつくる。すると、新たな「抜け穴」探しが始まる。そんな「いたちごっこ」が続いてきた。

 日本は1978年にタックスヘイブン対策税制を創設。2年前には、国外に5千万円超の資産を持つ者が「国外財産調書」を提出する制度を導入してきた。

 ただ、法人税をどれだけ課すか、課さないかは各国の主権に属する問題だ。外資を呼び込むために税率を低くするタックスヘイブンを完全になくすことは難しい。ある税理士は「税の抜け穴を全て塞ぐのは、世界が一つにならない限り不可能だ」と指摘する。

 ICIJは、タックスヘイブンに関する報道を始めて3カ月後の13年6月、「オフショア・リークス・データベース」をネット上で公開した。タックスヘイブンにある法人とその役員、株主の名前、住所が無料で検索できる。

 日本や米国の多くの州では、法人と代表者名、住所などの情報が公開されているが、タックスヘイブンでは情報の入手が困難。脱税や資金洗浄がはびこる一因となっている。

 ICIJは公開データベースで「秘密の壁」に穴を開けることが、公益資すると考えている。すでにデータベースには、日本の企業や個人の複数の名前が登録されている。これに、パナマ文書にある21万余の法人の名前などの情報を5月10日に追加登録して公開する。ICIJや朝日新聞は新情報が一般の人から寄せられることを期待している。(編集委員・奥山俊宏)