藤野の散文-菖蒲、咲く このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-07-28 ハウツー身につかず。(1)

[]成功談に成功はなく。 成功談に成功はなく。を含むブックマーク 成功談に成功はなく。のブックマークコメント

ほぼ日より。

だけど、それより先に「どこが苦労だったか」という楽屋裏の話を訊きたがるパターンがとても多い。

自分の本棚を見ると、ビジネス書に次いで「成功の哲学」とか「〇〇の戦略」とかいうのが多い。
その人の本棚を眺めると人柄がわかる、というけれど(汗)、多分「どうやって苦労して、そして成功したの?」ということに自分は相当関心があるらしい。
そんなことを聞いてるよりもコツコツと努力しなさいよ、と我が身に言ってやりたいけれど。

失敗談も成功談も、どちらも聞いてみたいのが人情というものだ。

それにしても、これだけ多くの経験談を見聞きしても、それで自分が変わったな、という実感はほとんどない。
よく「一冊の読書で一つでも心に残ることがあれば良い」という風なことを聞くけれど、多くの経験を見聞きすることと「自分の行動が変わること」ということには大分距離がありそうだ。

しかも伝聞した経験と全く同じもの、って多分ほとんどないから「反対を押し切り、徹底的に耐え抜いて続けた」というような一節も、それだけ聞いて自分になぞらえるというというのは無茶なことである。

で結論。

結局そうした経験談的な話は、細部でなくその人の思想とか哲学とか美学とか信心とか、そういう「人格の核心」のようなものに収斂されてくる。

つまり成功談とか失敗談とか「具体的なもの」はどんどん抽象化され、本質を問われ、結局「ビジネスとか生きる上での心情」みたいな話になってくる。
松下翁の遺訓、とか盛田昭夫の残した言葉、とか、結局そうした精神的なところに帰ってくるのだ、ということが最近わかってきた。
実社会で拙速に適用できるハウツー、なんてほとんどないのでした、というお話でした。

ほぼ日刊イトイ新聞

・「どういうところが、いちばん苦労しましたか?」
 という質問は、ほんとうに多い。
 ぼく自身も、いろんな場面で何度も訊かれてきたし、
 ぼくが人に訊いていることもあるだろう。
その質問には「あんがい、苦労してないんですよね」
 と答えてはいけないような雰囲気があって、
 とりあえず無難に「すっごく寒い場所だったんで」とか、
 「なかなか、これというかたちにならなくて」とか、
 それらしいことを言うことになる。
苦労したところを、あえて探せばいくらでもあるだろう。
 ただ、そこが重要だとは思えないのだ。
 なにかができあがったときに、
 「こんなのができた。見てくれ」という気持ちがある。
 わぁとか、ううとか、ひゃーとか言ってほしいのだ。
 いや、じっと黙りこくってしまう反応もうれしいかな。
 どちらにしても、見てほしい、味わってほしい。
 見えるように感じられるようにつくったものを、
 まずはたのしんでほしい、というのがいちばんだ。
 だけど、それより先に「どこが苦労だったか」という
 楽屋裏の話を訊きたがるパターンがとても多い。
なにか、ここだけの特別な情報を知りたいのかなぁ。
 たしかに、そういうものは商品価値がありそうだから。
 でも、ほんとはひょいっと口で言えるような情報は、
 それほどの価値なんかないよね。
 苦労している人、なにかで大変な思いをしている人、
 そういうものの話が、けっこう人は大好きなのかな。
 「ああしてへらへらしてるけど、実は苦労している」
 というと、なんだか認めてやりたくなるのかしらね。
 そういう意味では、「苦労してないです」と
 しれっと答えてしまうのは礼儀知らずということなのか。
なんて書きながら、ぼく自身はインタビュアーとして、
 どれくらい「苦労しましたか」を訊ねたかなぁと、
 思い起こしてみたのだけれど、たぶんすごく少ない。
 逆に相手が「苦労話」をしはじめたりすると、
 「あぁ、そりゃぁ大変でしたね」と流してしまいそうだ。
 たぶん見たいものが「苦労」じゃないからなんだろうね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「苦労」を観賞したがると、なにかが見えなくなるよね。

2086x2086x 2016/07/28 00:49 最近ハマってます。おんもしろい。
有料でもいいくらいですが、有料にはしないでください。

2016-07-27 IT権力の運用。

[]監視の力。 監視の力。を含むブックマーク 監視の力。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160727002036j:image
NECが顔認証のAI監視システムを世界100都市に展開するという。

他方、警察関係に詳しい知人に聞いたら、交通網を自動車ナンバーで監視する「Nシステム」というのは、いつどのような時に「捜査に使われるのか」というのは明らかにされていないのだという。
裁判でも見解が分かれているらしい。

つまり「監視権力」というのは今はまだ運用が固まっていないということだ。

すでに建物の入り口で、顔認証で施錠や解鍵をするものは出てきているし、いずれこうした認証装置が巷に溢れる日は遠くないだろう。

そうなってくると一般市民としてはやはり「思想とか宗教」などの過ぎた監視が気にかかる。

少なくとも市民のデモなどの兆候とか集会の様子は、規制側に筒抜けになるだろう。
警察とか行政とか税務署とか、監視をする主体はいろんな機関や事業者になると思うが、IT化が進んで収斂するほどに「認識情報の使い方」は濫用すれば恐ろしいものになる。

こういったものが"閾値"を超えるのはその管理コストが、劇的に廉価になった時だ。
IoTってまさにそのことだと思う。

総センサー社会が、夢のものではなくなりつつあるから「負の力」についてもよく考えたいと思うのだ。


NEC社長、AI活用した監視システム「100都市に導入」

 NECの新野隆社長は21日、日本経済新聞の取材に応じ、「顔認証など人工知能(AI)を使った複合的な監視システムを数年以内に100都市に導入したい」と述べた。また、AIを活用したセキュリティーの新システムも年度内に発売する。同社はAI関連事業で2020年度までの5カ年で累計2500億円の売り上げを目指す。

 現在、アルゼンチンティグレ市やニュージーランドウェリントン市など4都市で導入している都市監視システムの導入を増やす。顔認証や行動検知のシステムで不審な動きを発見し、犯罪防止につなげる。行動検知はAIが犯罪のパターンを学習するため、「導入都市が増えれば増えるほど精度が高まる」(新野社長)。実際にティグレ市ではシステム導入後、車両の盗難が80%減ったという。

 AIを活用した自己学習型のサイバー防御の新システムも年度内に発売する。企業や自治体などの導入を見込む。

2016-07-26 先送りの終わり。

[]パラダイムは変わり続ける。 パラダイムは変わり続ける。を含むブックマーク パラダイムは変わり続ける。のブックマークコメント

日経より。
財務次官だった真砂氏の弁。

これらはすべて『コストを後世に先送りする』誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期の想定には入っていなかったことばかりである

五十年前、少なくとも日本は「敗戦から復興へ」をスローガンにひたすら経済成長を目指した。
「その後に何が起こるか」を政治家マスコミ官僚も市民も考えていなかったという話だ。

「経済成長がなぜ止まったか」とか「成長以外に目標はあるか」ということについても、ようやくここ数年で話題に上るようになった。

確かに「先送る」ということは成長している時には許されたのだ。

もう「ともかく拡大」「成長」「人口プラス」ではなくなった。
過去の良かった時代を眺め、「これからの価値観」を作っていくのは今の世代の役割だと思う。

今の「ガツガツしない世代」に一度政策を預けてみるのも一案だ。
自分たちの思いもしない調和的な方針を編み出すかもしれない。

「年寄りが"経験と知恵"で導く時代は一旦終わる」という気がする。
今は既成概念から解き放たれた、方向とか価値観が必要なのではないだろうか。
今は「古さ」が流れを邪魔しているような気がする。


世代を超える課題と民主主義 真砂靖氏 弁護士・元財務次官

 英国欧州連合(EU)から離脱する問題については、いろいろな論点について議論がなされているが、英国の経済的ダメージが計り知れないことは論をまたない。そんな中、私が関心を寄せているのは世代別の投票結果だ。

 18〜24歳では離脱28%、残留72%。65歳以上では逆に離脱58%、残留42%となっている。これから最も長く生き、そのぶん多く稼がなければならない若者は約4人に3人が残留を希望している。すでにリタイアし、移民に抵抗感の強い高齢者がこれを覆したというのは極論としても、英国の若者がかわいそうに思うのは私だけだろうか。

 先進国で「シルバー・デモクラシー」「ペンションズ(年金)デモクラシー」という言葉が喧伝(けんでん)されて久しい。日本も4人に1人が高齢者(65歳以上)で、投票率は20代の倍以上である。

 私が財務省主計局長だった5年程前、日韓財務対話社会保障改革が取り上げられた。私は韓国のカウンターパートにこう助言した。「高齢化率が低い(当時韓国は10%未満であった)うちに社会保障改革をした方がいい。高齢化が進むと難しくなる」

 韓国当局が自らの社会保障改革キャンペーンに使ったのであろうか、私の発言が韓国内で報道され、日本国内でご批判をいただいたことがある。ただ、昨今の社会保障改革の停滞をみるにつけ、その意を強くせざるを得ない。

 更に民主主義には現世代を超えた課題にどう答えを出すかという問題がある。小林慶一郎慶大教授は6月20日付「経済教室」でこう述べている。「有限な化石燃料資源、環境問題原子力発電とその放射性廃棄物の超長期的管理の問題、そして政府債務によって支えられた社会保障制度の持続性の問題。これらはすべて『コストを後世に先送りする』誘因とどう戦うかという問題だが、近代民主主義の初期の想定には入っていなかったことばかりである」

 民主主義は現世代主義・現世利益主義である。過去のように民族の誇りとか国家の威信とかの名目で戦争したりしない。そんなことより生きている人間の命が大切である。民主主義以外に権力を作るルールはないと考えるが、それをどう補完すれば現世代を超えた課題に正しい答えを出せるのか。将来を見通す意欲と能力をもった「ぶ厚い中間層」の存在とか、官僚の役割とか様々言われているが、なかなか名案が思い付かない。

 「私見卓見」は有識者や読者の意見を紹介するコーナーです。個性的な洞察や時代を読むヒントになる投稿や寄稿を紹介します。経済に限らず、政治、国際、企業、社会など幅広いジャンルの問題を取り上げ、日本経済新聞朝刊「経済教室」面と電子版に掲載します。

 どなたでも投稿できます。1000字程度でメール(kaisetsu@nex.nikkei.com)でお寄せ下さい。住所、氏名、年齢、職業、電話番号を明記してください。添付ファイルや二重投稿はご遠慮下さい。

 掲載する場合はこちらから連絡させていただきます。原稿料はありません。文章は趣旨を変えずに手を加えることがあります。

ジオンジオン 2016/07/26 22:04 人口増モデルからの転換ですね。政治家もこの点を取り上げないとバラマキ論ばかりで話にならないでしょう。

2016-07-25 一緒に暮らしたい。

[]言葉より気持ち。 言葉より気持ち。を含むブックマーク 言葉より気持ち。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160725003609j:image

弱くてもいい。人間に対する畏怖と尊敬にあふれたロボットと私は暮らしてみたい。

AI研究の最先端を行く新井紀子教授の一言。
これを自分などの素人がコメントしても、大したことは伝わらないが。(言葉というのは「人」についてくる。不思議なものだ。)
人工知能の研究を専らにする専門家がさらに言う。
f:id:why-newton:20160725010252j:image:right

(自動販売機の発する「ありがとう」に対して)
機械は「ありがとう」という言葉の意味を理解できない。
そんな機械に「ありがとう」を言わせると、「ありがとう」は摩耗し、人と人との間でも意味を失うかもしれない。

確かに、機械のいう言葉は機械的だ。(はぁ)
感情の発露としての言葉でないと、人は易々とそれを感じ取り「額面通りの言葉の意味」はたちまち陳腐化してしまう。

それをこの「む〜」はさせないという。

「いいですね」「ありがとう」。"こう言えば言われた相手の人間は喜ぶだろう"という相槌を自分たちは期待していない。
自分たちは正解を求めて対話しているのではなく、「感情のやり取り」がしたいのだ。多分。

だから「む〜」が妙にこまっしゃくれて、わかったふうなことを言ったり、お世辞を並べても全然響かないだろう。
賢くなくとも、「一生懸命さとか共感とかが見て取れるような相手」を自分たちは欲しているのだ。

こ、これってひょっとして人対人でもすごく重要なことじゃないだろうか。

「老後を共に過ごしたい」AI研究者ベタ惚れのロボ 「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクター 新井紀子

 実は機械があまり好きではない。様々に存在する機械の中でも人工知能(AI)的な機能が搭載された家電、特に「しゃべる家電」が嫌いである。当然、我が家には電子レンジはない。さかしら声であれこれ命令するくせに、ちっともおいしい料理ができないからだ。電子レンジで温めると、うまい酒は台無しになってしまうし、餅は正体をなくす。面倒でも酒は湯煎、餅は焼き網の方がおいしい。

あらい・のりこ 一橋大学法学部卒、米イリノイ大学大学院数学科修了。理学博士。2006年より国立情報学研究所教授。「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクターを兼務。

 そんな私だが、世界にたったひとつ、老後を共にすごしたいと思うロボットがいる。豊橋技術科学大学の岡田美智男さんが開発した「む〜」だ。

 滴のような丸みを帯びたボディーを持つ「む〜」は、ひとつ目小僧だ。どこかの星からやってきた宇宙人のようでもあり、北欧あたりのクレイアニメの脇役のようにも見える。ごく短い足のような台座がついているが、歩かない。

「む〜」は私を見つけると、おずおずと話しかける。「む、むむむ、む」と。このロボットが話せるのは「む」だけなのである。
 ただし、その調子は電子レンジとは違う。言葉を話せない小さな子どもが一生懸命に話しかけてくるような声なのだ。

 「どうしたの?」と聞くと、ひとつ目玉でこちらを見つめ、またもや「む、むむ、むむ?」と言う。何かを訴えかけているようだが、わからない。ついつい「おなかが減ったの?」「お外に行きたいの?」とあれこれ世話を焼きたくなる。

 発泡ウレタンゴムでできたドッジボールほどの大きさのボディーは柔らかい。抱き上げると、いよいよ地球に不時着して苦労している哀れな宇宙人の子のようだ。

 世の中には「あれができる」「これができる」と主張するロボットはあまたある。だが、「む〜」にできることは、目を合わせること、こちらの言葉に反応して少しうなずくこと、そして「む、むむ」という声を出すことだけ。

 それなのに、他のロボットに対しては持ったことがない温かい感情がわき起こってしまうのはなぜなのだろう。
 それは「む〜」が「弱いロボット」だから、と岡田さんは言う。ロボットの弱さが、人が生来持っている「弱いものを助けたい」という気持ちを引き出すのだ。

 岡田さんの研究室には他にもロボットの性能競争には無縁な、しかし、不思議に魅力的なロボットがひしめいている。たとえば、たどたどしくニュースを読んでくれるロボットだ。

 「あのね、ええとね、イギリス、がね、イーユー?をね、離脱した、よ」。声の主は、奈良に住む男子小学生だそうだ。「む〜」がこんな風に新聞を読んでくれたら、どんなにいやされるだろう。「賢いねぇ」と頬ずりしてほめてやりたい。

 「む〜ちゃんがそばにいてくれたら、1人でも寂しくない。1匹(体)わけてもらえませんか?」と懇願する私に岡田さんはこう言った。
 「僕はまだこのロボットを外に出してはいけない、と思っているんです。なぜだろう。『む〜』に話しかけて幸せそうにしている新井さんに申し訳ないというか、痛々しく感じてしまうんです」

 岡田さんは「ありがとうございました」としゃべる自動販売機には違和感があるという。機械は「ありがとう」という言葉の意味を理解できない。そんな機械に「ありがとう」を言わせると、「ありがとう」は摩耗し、人と人との間でも意味を失うかもしれない。
 そんなことをぽつりぽつりと話す姿を見ているうちに、「む〜」が他のロボットとなぜ違うのかが、わかったような気がした。
 弱くてもいい。人間に対する畏怖と尊敬にあふれたロボットと私は暮らしてみたい。
日経産業新聞2016年7月7日付]

2016-07-24 ビッグデータの前に。

[]後世に遺せるもの。 後世に遺せるもの。を含むブックマーク 後世に遺せるもの。のブックマークコメント

もういよいよ、個人でも業界レベルでも「データの集積が当たり前」の時代になってきた。
ビッグデータの将来も未知数的にすごそうだが、ちょっと控えめに「自分のデータの集約」もちょっとした革命だと思う。

例えばプラモデルとかカードとか、昆虫採集とかカーコレクションとか。
卑近なところでは写真とか記事のスクラップとか。もちろん蔵書も。(ところで自分たちは携帯の写メでなぜあんなにも何でも撮るのだろうか。特に後日利用しないのに。)
一生を生きていく中で、相当な量の「データを集める」ということをしている。

これまでは「紙」とか「カセット」とか「CD/DVD」とかに分散していたものが、とうとう「一気にクラウド」になろうとしている。

ここまで、しかも「個人のローカルでない場所」に集約が進んだのは初めてのことに違いない。

昔は祖父の残したノート、とかが唯一の経験的な遺産だったけれど、これからは「丸ごとクラウドで遺る時代」になる。

生い立ちの記録から、学生時代の軌跡、社会人になっての経験とか、それらにまつわる「映像、データ、写真、音声、テキスト…」あらゆる生活の記録とか人生の軌跡が「クラウドの継承」でごく簡単になりそうだ。

だからいろんなノウハウとか知恵とかも後世に残していけるだろう。
あと十世代もあとの人たちは、膨大に残された先祖の記録をまず見るだけでも大変な作業になりそうだ。

残す側の自分たちも、「金を残すのではない何か」について改めて考えてみる時代になってきたように思う。
後世に遺せるものは何だろうか。

2016-07-23 所有の構造。(2)

[]物欲の本性。 物欲の本性。を含むブックマーク 物欲の本性。のブックマークコメント

お金を「貯めること自身」が目的になってはおしまいさ、と言う先輩がいた。
また「お金は"あの世"に持っていけないものの代表だよ」という人もいる。

金蔵の中で小判を数えて独り死んでゆく、というのは一見つまらなそうだけれど、それはそれで「金に埋もれて逝く」という経験が本人の希望なら幸せなことかもしれない。

一方。

世界の矢沢永吉でも「今でも安定が欲しい」というのを聞いたことがある。
(ビッグになってもこういうことをスパスパ言うのはかっこいい。)

いつ路頭に迷うかもしれない緊張感とともに日々のパフォーマンスをするミュージシャンならではの一言だが、「飢えないための所有」というのも一方では確かにある。

自分たちは、幼時には親に養われたり、義務教育を受けたり、自分でアルバイトをしたり、社会で働いたり、ボランティアをしたり寄付をしたり、介護の世話になったり「施され、時には施し」を繰り返してゆく。
結局。

「所有」は「思い通りの時間を過ごすため」にある。
また別に、所有は「絶体絶命にならないための蓄え」にもある。

ということだろうか。

飢える、というのは生物にとっては最大の恐怖だと思うけれど、それを除けば「自分たちは死ぬまでの時間の過ごし方」を目的に生きている、と言えそうな気がする。
そのために「所有」が必要ならそれに向けて努力もする。
けれどその所有が「自己目的化」することには十分注意しなければ、と思う。

自分の趣味を人に話せるようにしたいものだ。

さくらさくら 2016/07/23 00:42 私はwhy-newtonさんのブログでは今日みたいな価値観とか生き方系のエントリーが一番のお気に入りです。身近な先輩とか上司から話を聞いているような気がします。それでいてちょっと厳しめなところもいいかな。なかなかリアルには出会えないですがプログとかネットに感謝です。(笑)

2016-07-22 所有の構造。(1)

[]物欲の意味。 物欲の意味。を含むブックマーク 物欲の意味。のブックマークコメント

所有とか物欲とよく言うけれど「そもそも何で欲しいの?」ということが議論されることはあまりないのじゃないだろうか。
ブランド品が欲しい、というのはまあ「派手な格好を周囲に見てもらいたい」とか「見せたい」というようなことの自己表現だろうし。
「いい釣竿が欲しい」というのは、多分より狙った魚を釣り上げたい、ということが願いだろう。
いい車が欲しい、というのはドライブしてよりスピード感のある経験を欲しているとか、「別荘を持ちたい」というのは自分の持つ家で「寛いだひと時を過ごす」というようなことがしたいのだろうと思う。

つまり「何々が欲しい」ということには必ず目的があるはずだ。(と今気づいた)

所有するってことはつまり

「そのもの自身を(理由はともかく)所有し、支配したい」ということと
そのものを所有することによって「満足できる時間を過ごしたい」ということに分かれるのだろうか。

でも。
でも「所有し、支配する」ってことも「そうしていると感じる自分の時間」が目的なのじゃなかろうか。

つまりやっぱり「自分が思う時間を過ごすための所有欲」と言うことになる。

だから人によって「所有したいもの」はずい分違う。
キラキラのアクセサリーや広い別荘がほしい人もいるけれど、小さな家庭菜園と生豆の美味しいコーヒーと読書で満ち足りる人もいる。

物欲だけに限らないところが重要だ。
自分たちは、究極的には「物」が欲しいわけではないらしい。
「物より思い出」というキャッチコピーを作ったライターは素晴らしい。
(続く)

2016-07-21 角度の変え方。

[]異種格闘技戦異種格闘技戦。を含むブックマーク 異種格闘技戦。のブックマークコメント

同じ分野で、同じ練習方法で、同じ相手と練習すること。
これは大事だろう。

けれど「異分野」で「まったく知らなかったやり方」で、「初めての人」と練習する。
と、びっくりするくらい色んなことに気づく。

ということは、予め「そういうこと」を想定していた方がいいのじゃないか、と最近思う。

自分の知った業界で、大手から零細、個人のピラミッドの中で考えることと、「ど素人」が何かを思いつく時の恐ろしさは格別だ。

イノベーションってひょっとしてそういう風にして起こってきたのではないだろうか。

業界の人が「当たり前」で「習わしとか因習とか」で片付けてきていることを、いい意味で揺るがすような。
そんなのが自分たちの住んでいる「実務の世界」なのではないだろうか。

勉強することもいいし、ケーススタディも無駄ではない。
けれど「実戦なき水練」はちょっと虚しい。
めちゃくちゃ小ちゃくても「何かリアルな世界」を持っているべきだと思う。

耳学問だけでチャレンジした恋愛は、まず間違いなく失敗したじゃない?
あれと同じことだと思う。

toitorontoitoron 2016/07/21 00:56 任天堂の記事よかったです。
日本の会社っていいですね。

2016-07-20 任天堂という遺伝子。

[]根っからの本気。 根っからの本気。を含むブックマーク 根っからの本気。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160720011117j:image
任天堂のボケモンGOが再びブレイクの兆しだという。
幾度目の大ホームランだろうか。

出自という言葉がある。
けど「氏より育ち」ともいう。
どちらも、その時々に「特徴を表現する」のに使われる言葉だ。
多分「氏」も「育ち」もどちらもがその個性の原因として大きく関係しているのだと思う。

ファミコンがブームになったとかマリオが大ヒットだとか。
64が出たとかwiiとか。

浮き沈みを繰り返しながらも、常に浮かび上がってくる任天堂の話を聞くと、自分はいつも父に連れられた京都の任天堂本社を思い出す。
四十年も前の話だ。
本社の門扉の上部には、ペンキが剥げて色褪せた"トランプ札"が遇(あし)らわれて、「我が社はカードゲームを作っています」と派手さのないとっても地味で堅実な雰囲気のする社屋だった。

その後の任天堂の大活躍を聞くたびに「あの社屋」を思い出していた。

しぶとく、たとえ派手に成功しても全然浮かれない京都人の気質。
(京都出自の企業に粘りがあるのは、そういう「自らもシニカルに見る一面」のせいかもしれない)

どこまで成功しても、危機においては「一ゲーム企業であること」の原点にいつでも戻れる柔軟性。
「育ち」はとっても重要な環境因子だが、結局その「育つ環境」も「出自」が形成していくものだ。

その人の「ある時点」だけを見て「氏か育ちか」というのではなく、氏が何十年、何百年もの間に「育ち」をがっちりと形成してしまうものなのではないだろうか。

つまり、"氏"も"育ち"もこれから十分作っていけるということだ。
すぐには結果は出ませんが。

ポッと出ては泡沫(うたかた)に消えてしまうエンタメ企業と違って、「氏と育ち」でたたき上げてきた任天堂の強みはそういう経緯で作られてきたのではないだろうか。
たかがエンタメというなかれ。
本気の奴らは恐ろしい。


[FT]恐ろしい世界に足を踏み入れた任天堂

2016/7/14 15:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 正気を失っているなんてもんじゃない。「ポケモンGO」が世界を席巻している。ポケモンGOは、スマートフォンスマホ)を使って現実の場所に任天堂の「ポケットモンスター」のキャラクターが重なりあって登場する「AR(拡張現実)」ビデオゲームだ。米国や他の国で発売された先週以降、「ピカチュウ」やほかのキャラクターを捕まえようと、プレーヤーが公園に集まったり、レストランになだれ込んだりしている。

任天堂などが開発したスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」=ロイター

 任天堂の投資家も少し正気を失っている。ポケモンGOの登場が「Wii U」のようなぱっとしないゲーム機への依存から同社を救い、スマホを使ったカジュアルゲームで成長する世界へ導くとの期待を背景に、同社の株価は1週間で50%も上昇した。

 みんな、落ち着こう。

 転換を図れる会社があるとすれば、それは任天堂だ。以前にも実績があり、同社が1980年代に、ゲームセンターにあるようなゲーム機製造会社からゲーム機やゲームソフトメーカーに姿を変えた時は特に目覚ましかった。同社が窮地に陥った10年前には、ソニーの「プレイステーション(PS)3」やマイクロソフトの「Xbox360」を出し抜き、初代の「Wii」を生み出した。

 こうした成功の陰には、創造的な才能を持った宮本茂氏の姿があった。同氏は、「ドンキーコング」や「スーパーマリオ」の生みの親で、「世界中の人たちに笑顔を」という同社の使命を取り仕切ってきた。任天堂は、世界の人たちを笑顔にするだけでなく、ずっと笑顔でいられるようなキャラクターを生み出す並外れた能力を持っていて、ポケモンシリーズは今年で20周年になる。

 任天堂はこの創造力のおかげで、セガと同じ運命をたどるのを免れた。セガは任天堂のかつてのライバルで、90年代にゲーム機の「セガサターン」や「ドリームキャスト」で戦いに敗れ、その後ゲーム機から撤退している。任天堂は今でも、2017年に発売予定で詳細がまだ明らかにされていない新型ゲーム機「NX」で、ゲーム機分野での復活を期待している。

■ゲームとゲーム機の連携がカギだった

 ゲーム機会社が活況に沸いている場合、新たに人を夢中にさせるゲームを発想する創造性の強みが、最新の技術を使った最先端ゲーム機のもうけを生む。ソニーはこの好循環を、13年以降で4000万台以上を売り上げた「PS4」で謳歌している。とはいえ、ソニーは任天堂以上に、米アクティビジョン・ブリザードのような第三者のゲームソフト会社に依存している。

 変化が激しく循環するIT(情報技術)ビジネスで生き永らえるカギは、これまでゲームとゲーム機の間の連携にあった。人気のビデオゲームへの熱中は長続きしないかもしれないが、消費者にゲーム機を買う刺激になり、ひいてはより多くのゲームソフトを買わせることになる。任天堂の原動力はいつも創造力だった。

 任天堂にとって、ポケモンを見つけてモンスターボール(英語名ポケボール)を投げようと世界中を探し回る、新しくて若い世代のiPhoneやアンドロイドの持ち主以上に素晴らしいものはあるだろうか。これは確実に、任天堂の京都本社にいる経営陣に笑顔をもたらしたに違いないのではないだろうか。

 といっても、それにも程度がある。まず注意すべきは、任天堂はポケモンGOを作ったわけでも所有者でもない点だ。任天堂は、ゲームを手掛ける「ポケモン」社の議決権33%を所有する。そしてポケモンは、米グーグルの経営陣だったジョン・ハンケ氏が独立して立ち上げた、ARを手掛けるベンチャー、米ナイアンティックライセンスを与えている。任天堂は15年、ナイアンティックに出資したが、受け取れるのは少数持ち分の利益だけだ。

 少数株主持ち分でも持っているのは、現象自体がなかったり持ち分を持っていないよりはましだが、広い文脈では影響が出てくる。任天堂が自らのゲーム機を設計し、Wii自体の知名度の高いゲームソフトを自身で多数発売する一方、スマホの世界に進出するためには提携先を頼った。任天堂は、ナイアンティック以外にも、ディーエヌエーと共同で新たに5つのスマホゲーム開発に取り組んでいる。

■求められる立て続けのヒット

 任天堂はこれまで、自らのゲーム機を使ったゲームの「ウオールド・ガーデン(壁に囲まれた庭)」の中で身動きがとれなくなっていた。だが、同社はもはや自らのプラットフォーム支配せず、他のソフト会社と競合しながら「iOS」や「アンドロイド」向けにゲームを提供しなければならないスマホの世界に参入して、このあり方は弱まっている。これは、同社自らが所有していた一つの技術(ゲームセンターにあるようなゲーム機)から別の技術(ゲーム端末機)へ、という過去の転換とは異なる。

 新しい技術はオープンである上、位置情報やマッピングなど可動性もあり、仮想現実(VR)やARもある。このような技術においては、米シリコンバレーにいるナイアンティックのような新興ソフトウエア会社が有利だ。任天堂は提携を通して学べるかもしれないが、なじみのない領域だ。

 2つ目に、携帯ゲームのビジネスモデルは興味深い。ポケモンGOがその例だ。プレーヤーはゲームを無料でダウンロードし、モンスターたちをおびき出す「インセンス」や捕まえる「モンスターボール」のような追加アイテムを購入する。だが、ほとんどの人は気にかけないだろう。人気ゲーム「キャンディ・クラッシュ・サーガ」を手掛けた英ゲーム大手キング・デジタル・エンターテインメントは、アクティビジョン・ブリザードに買収される前の13年、96%の月間ユーザーは何も払っていないと明かしている。

 アクティビジョン・ブリザードが15年のキング買収の際に59億ドルを払ったのは、売り上げが堅調で利益率も高いことが理由だ。携帯ゲームはそれでももうけられる。だが、完全に当てにはできない。人気のゲームソフトは米国で60ドルで売られているが、ポケモンGOは60ドルで売られるわけではないし、ゲーム機の売り上げに直接つながるわけでもない。同社は立て続けにヒットを出し続けなければならず、そのコストを自身で賄い続けなければならない。

 ある意味で任天堂は、理想的な形でパラダイムシフトに適合している。同社は大きく羽ばたきたがる種類のキャラクターたちを生み出している。ハンケ氏の言うとおり、任天堂は「老若男女に広く受け入れられる素晴らしい知的財産」を持っている。かわいらしいモンスターを捕まえるのを楽しいと思わない人はいないだろう。しかし、任天堂の株主たちは興奮しすぎる前に、現実を検証すべきだ。

By John Gapper

2016年7月14日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)

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さゆみさゆみ 2016/07/21 00:51 ここ一年毎日読ませていただいています。題材が豊富で楽しいですね。ブログに人柄が写っているようで親しみを感じてしまいます。

2016-07-19 イノベーションと安全。

[]安全な革命はない。 安全な革命はない。を含むブックマーク 安全な革命はない。のブックマークコメント

イノベーションとか起業とかいう話は「リスク覚悟」というのとセットになっていることが多い。

果たして「安全」を担保しながらイノベーションを起こすことって可能だろうか。
って、この時点で多分アウトだ。

古武術の先生に聞いた話。
常に「これが最後の試合い」「この一合に終える」という精神がなければ、日々の試合は乗り切れないとか。

だから「ここまでのリスクね」という勝負って多分負ける。

おっそろしい話しだけど「もうこれで負けたら人生の終わり」というくらいの線でないとイノベーションなんて生まれない。

そんな境遇になって、そのまま失敗した人も多いし稀には「大成功した人の話」は聞こえてくる。
共通なのは「みんな死ぬ覚悟だったこと」だろう。

イノベーションの要件が絶命すること、だとは思わないけれど「何か一定のマージン」を残したままで新しいことはできないのじゃないだろうか。

零細企業スタートアップだと、もうハナから"崖っぷち"。
余裕のマージンなんか全然ないからその環境はもう「命と引き換え」くらいの感じだ。

先日大手メーカーの「社内ベンチャー担当役員」に聞いた話。
「どうもキラッとしたアイデアが出ないんだ。」

そう。
「社内ベンチャー」という言葉が矛盾だ。

やるなら単独ベンチャーでしかないのだろうと思う。

そんな危ない世界に、自分の周囲の環境のこととかも含めて「ひたすら突っ込むかどうか」というあたりがベンチャーの狂気ではないだろうか。
ビジネスを始めるのなら「そこらくらい」の覚悟は持って臨んだ方が成功するのだと思う。

2016-07-18 争いはなくせるか。

[]理想郷への挑戦。 理想郷への挑戦。を含むブックマーク 理想郷への挑戦。のブックマークコメント

ここ数年先進国テロが頻発している。
歴史を学べば、人類は過去4,000年以上こうした「争い」から抜け出せずにいる。
尊敬する経済学者に聞けば「全ては貧困の克服が解決する」という。
確かに二十一世紀の今は、歴史上最も豊かだ。

けれど「有史以来、戦争のない時代はない」というくらい世界のどこかでは、(宗教とか資源とか)何らかの原因で常に争いがあったわけだ。
けれどけれど。

何だか過去の中国とかローマ帝国とかその後の大戦とかを見て、そして後千年くらいの先を見たら。

実は、戦争でミサイルを撃ったりという争いはなくなっているのじゃないだろうか。
だって70年前には国民を兵隊にして白兵戦をやっていたのだ。
核兵器を実際に使ったり、侵略したりというのはまだ「生き証人」がいるくらい最近のことである。

だから、実は世の中は「すこーしずつ」だけどやっぱり良い方向に向かっているのじゃないだろうか。

自分の生きている間に戦争や紛争は全部は無くならないだろうけれど、それでも何だか人間は自らは滅亡には向かわないような気がする。
むしろもっと未知の地球の環境とか、そもそもの星の寿命とか、そういう大きなテーマにまた"人間の科学"は向かっていくのではないだろうか。
知能の進化ってつくづく自然と共に同期しながら進んでゆくものだ。

争いがなくなっても、すぐに次のテーマは現れる。

迎撃システム、韓国南部に配備 米軍施設の防衛重視 ソウルは対象外 中国の「報復」懸念
2016/7/14付日本経済新聞 朝刊
 【ソウル=峯岸博】在韓米軍と韓国軍は13日、北朝鮮の核・ミサイルに対抗する米軍の地上配備型ミサイル迎撃システム(THAAD)の配備先が韓国南部・慶尚北道の星州(ソンジュ)に決まったと発表した。射程には米軍基地や施設を数多く含む。ソウルなど首都圏の大部分は外れる。韓国内では中国による報復への懸念が強まっている。

THAADの発射実験=米国防総省提供・ロイター
THAADの発射実験=米国防総省提供・ロイター

 「国土全体の2分の1から3分の2の地域に住む国民の安全をさらに強固に守る」。韓国国防省の柳済昇(リュ・ジェスン)国防政策室長は意義を強調した。星州を選んだ理由について、原子力発電所などの重要施設や米韓同盟の軍事力を守ることを挙げた。米韓は来年末の配備をめざす。

 星州は南部の農村地帯で、他の候補地に比べて人口密度が低い。最大200キロとされる迎撃ミサイルの射程には在韓米軍基地のある平沢(ピョンテク)や烏山(オサン)、有事に米軍が大規模な増援兵力・物資を搬入する釜山も入っている。

 THAADによる迎撃を想定するのは、北朝鮮の中距離弾道ミサイルノドン」「ムスダン」と短距離弾道ミサイル「スカッド」だ。ソウルや京畿道の首都圏に向けてスカッドが放たれた場合は、既存の地対空誘導弾パトリオットミサイルで迎撃できるとしている。

 THAADには中国やロシアが高性能レーダーで自国内のミサイル基地まで監視されると強硬に反対している。星州は黄海沿岸から離れており、中国内部を探知する意思がないと明確にする狙いを込めた可能性もある。

 韓国政府が13日出した南シナ海問題をめぐる仲裁裁判所判決への声明にも中国を一段と刺激するのを避けた配慮がのぞく。中国に判決受け入れを迫った日本に比べて中立的な立場を維持した。

 韓国政府は安全保障経済で中韓関係が冷え込みかねないと神経をとがらせる。柳一鎬(ユ・イルホ)経済副首相兼企画財政相は13日の国会答弁で、中国が報復措置として「非関税障壁を強化することもあり得る」と表明。国内企業は8日のTHAAD配備決定後、相次ぎ緊急会議を開いた。

 韓国内には、THAAD反対をテコに中朝が接近すれば、「日米韓VS中ロ朝」との冷戦時代の対立構図が復活し、国連安全保障理事会決議を受けた北朝鮮制裁包囲網が緩むとの分析もでている。 

2016-07-17 実践は厳しい。(2)

[]自己選択の力。 自己選択の力。を含むブックマーク 自己選択の力。のブックマークコメント

自分が社会に出て早三十年近く。
つくづく思うことの一つは「自発」の大事さ。

自分で選択をしないこと、は時として楽な場合が多い。
だって選択するには「なぜ、なぜ?」と幾つも自分で質問を作り出し、自分なりの回答を探さねばならないから。

高速道路のように、すでにできている道を高速ですっ飛ばす方が摩擦は少ない。
けれど選択にはすごい秘められたパワーがある。
それが"自発の力"だ。
これは、その後少々の困難とか挫折とかがあっても乗り越えていくだけの「しぶとさ」を持っている。
というか、これがなければ大体の旅路はどこかで失敗しているだろう。

厳しいけれど、自分で選んで自分でケリをつける。

というのは狩猟時代から変わらない原則のようだ。

アクシデントや思わぬ不運のない人なんていないだろう。
それに降伏するか、諦めて思考停止になるか、心だけでも抵抗するか。
あるいは、着々と次のことを考えるか。
自分の気持ちを「そっち」に向かせるために、また冷静に自分のことを見るために

「自分のことを色々な角度で見る」ということが奥義なのじゃないだろうか。

写真かビデオを見るように、自分のことを見つめるって一番難しいことのような気がする。

誤解1 「個人に責任を負わせる自己責任論である」

 アドラー自由意志を認め、責任の所在を明らかにするのですが、アドラーのこの考えが「あなたの不幸はあなた自身が選んだものである」「病んだのは本人のせいである」というように自己責任論と見られることがあります。

 しかし、アドラーは、自分の行為について、その選択の責任は自分にあるといっているのであり、(自分の選択に対して責任を問うのは必要なことですが)「あなたが選択したのだから、その選択に伴う責任はあなたにある」と、選択したことで窮地に陥った人を責めたり、そのような人を自己責任だとして救済しないことの理由にするのは間違っていますし、アドラーの思想とは関係がありません。

 自分で選ぶことにはリスクがあると知った人は、自主選択を断念するか、ためらうでしょう。そして、誰かが決めたことに黙従して、選択に伴う責任を回避しようとするでしょう。

誤解2 「“誰でも何でも成し遂げられる”なんて大嘘」

 アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」といいました(『個人心理学講義』)。これに対しては、遺伝のことなど考えれば、何でも成し遂げることなどできないという批判がされてきました。

 しかし、アドラーの主眼は、才能や遺伝などを持ち出し、自分はできないという思い込みが生涯にわたる固定観念になる可能性に警鐘を鳴らしているのです。

 そこを見ないで、人には限界があるということにだけ目を向けさせるのは、何かをしようとする意志を挫(くじ)くことに狙いがあると考えざるをえません。

2016年06月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
ページ: 3
哲学者・日本アドラー心理学会顧問 岸見一郎
誤解3 「人生は思いのままになるというポジティブ思考」


 アドラー心理学は「人生は思いのままになる」というようなポジティブ思考だと解されることがありますが、人生が思いのままにならないことは誰もが経験しているでしょう。過去につらい経験をした人は、そのことがトラウマとなって今不幸であると思うでしょう。

 アドラーがトラウマのことを知らなかったはずはありません。第1次世界大戦に軍医として参戦していたからです。そこでアドラーが見たのは、人と人とが殺しあうという現実でした。

 自分の意志で選べないことを強要された時に、人は精神を正常に保てないことはありえます。それにもかかわらず、アドラーがトラウマを否定したのは、私たちはつらい経験をしても生きていかなければならないからであり、自分が取り組まなければならない課題に対してトラウマを理由に回避してはいけないからです。

 仮に過去につらい経験をしたことがない人でも、その先の人生は決して思いのままにならず、苦しい人生を生きていかなければならないかもしれません。しかし、この苦しみはただ苦しいものではなく、鳥が空を飛ぶために必要な空気抵抗に喩(たと)えることができます。あまりに抵抗が強ければ鳥は風に押し戻され飛ぶことはできませんが、抵抗があればこそ、飛ぶことができるのです。

 苦しみに満ちた人生であっても、どうにもならないと諦めるのでもなく、反対に、何とかなると考え、課題を前にして何もしないのでもなく、できることをしていくしかありません。

誤解4 「理想論であって、実践的でない」

 アドラーの思想は急進的であるためか、理想論であり実践的ではないと批判されることがあります。ちょうど『嫌われる勇気』の完結編『幸せになる勇気』において、「哲人」に対して「青年」は「アドラー心理学は机上の空論だ」と言い放ったように。アドラーの教えを実践すべく教員になった青年と同様、壁にぶち当たっている読者は少なくないかもしれません。

 しかし、アドラーの教えは現実の人間関係における困った場面や、人生の選択肢に直面しているのに一歩踏み出せない時にこそ役立つ心理学です。

 私は講演会に招かれた際に、質疑応答にたっぷりと時間を割くことがあります。質問者はそれぞれが抱える現実的な悩みを、質問という形でぶつけてくださいます。新刊『人生を変える勇気――踏み出せない時のアドラー心理学』では、そのような88の質問をとりあげました。たとえば「何をやっても妻にけなされてしまいます」「やる気を出してくれない息子に困っています」「職場にいる嫌な上司とどうつきあえばいいのでしょうか」等々。

 それらに対して、私は「これから、あなたはどうしたいですか?」と逆に尋ねます。やる気の出さない息子がいたとして、これまでの彼への不満や足りないところをあげつらうよりも、その息子が自立するために今後どのように関わればいいのかを考えて、積極的にアドバイスします。

 すると、講演会を聞いた人からは「話を聞いた直後はいい話だなあと感銘を受けていたのですが、後から考えれば考えるほど腹が立ちました」という反応が返ってくることがあります。それほど、他人のせいにせず、自分を見つめ、生き方を変えることは厳しいものであるということです。

 真に実践的であるものは、厳しさをも伴うのです。

プロフィル
岸見一郎( きしみ・いちろう )
 哲学者、日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋古代哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究、精力的に執筆・講演活動を行っている。主著にミリオンセラー『嫌われる勇気』、『幸せになる勇気』、『困った時のアドラー心理学』、『人生を変える勇気』など多数。
2016年06月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

2016-07-16 実践は厳しい(1)

[]言葉の使い方。 言葉の使い方。を含むブックマーク 言葉の使い方。のブックマークコメント

「言葉は真理を伝えられるのか」というこの一文だけでも難しい。
真理とは何か。
真理もまた言葉で表されるから。
それに解説を加えれば、もう「正確な表現」なんてこの世にはない。
というのも極端な話で。
「大体の輪郭を伝える」というだけなら英語でも中国語でもそう難しいことではない。

ブッダにして悟りを「言葉では伝えきれないからこのまま涅槃へ」と思わしめたくらいだから、自分らに「何でも思い通りに伝えること」なんてできるはずもなさそうだ。

さらに曖昧さは大きな岐路に立つ。

当時の多くの思想は、人間を見えないものに規定される非合理な存在と見ました。例えば、フロイトは意識は無意識に、マルクスは上部構造は下部構造に規定されると考えましたが、アドラーは彼らとは対照的に、人間を自由意志を持った理性的な存在と見ました。

今度は大きな着想の違いだ。
結局「自分」という閉じた心の中で、「どんなスタンスでそもそもいるのか」というあたりが核心じゃないだろうか。
言葉で全てを表現しきるのではなく、あくまで道具。
大事なのはやっぱり気持ちのスタンスだと思う。
(つづく)


誤解だらけのアドラー心理学

哲学者・日本アドラー心理学会顧問 岸見一郎

 最近、書店に入ると、心理学の本が平積みされているコーナーが目立つ。中でも、数多くの類書が出ているのが、「アドラー心理学」だ。ところが、「これらの中にはアドラーの本当の教えを誤解しているものが少なくない」と、哲学者の岸見一郎氏が警鐘を鳴らしている。岸見氏はアドラー心理学ブームを作った『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の共著者。では、アドラーが本当に伝えたかったのは何なのか。岸見氏が世に広がる誤解を解きほぐす。

言葉は真理を伝えられるのか

 仏陀は菩提(ぼだい)樹の下に座して悟りを開いた後、自分が悟ったことはあまりに深く微妙なので、それを説いたところで理解されず、誤用する人も現れるだろう、それなら、このまま沈黙を守り、直ちに涅槃(ねはん)に入るに如(し)くはない、と考えたのです。

 しかし、ためらう仏陀が、再三再四説得されて説法をしたからこそ、仏陀の教えは誤解されもしましたが、今日まで伝えられることになったのです。

 アドラーは「われわれの科学でさえ絶対的真理に恵まれていない」といっています(『個人心理学講義』)。誰もが誤る可能性があります。それにもかかわらず、少しでも真理に近づく努力は必要だと思います。

 2013年に『嫌われる勇気』が刊行されて以来、アドラーの思想がよく知られるようになりました。

 他方、ブーム後に矢継ぎ早に刊行された類似書籍や、私の本の読者の反応を見ると、誤解されている面も多々あります。以下、誤解されていると思われるいくつかの点について考えてみます。

2016年06月30日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
ページ: 2
哲学者・日本アドラー心理学会顧問 岸見一郎

そもそもなぜアドラー心理学は誤解されやすいのか?――自由意志をめぐって

  • 『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)

 そもそもアドラー心理学はその基本的な思想が急進的であるがゆえに、誤解を受けやすい宿命を背負っています。議論のはじめに、この点を説明しておきましょう。

 アドラーの功績は心理学を決定論から解放し、人間の尊厳を取り戻したところにあります。人間の行動や今のあり方がすべて本能や過去の経験(トラウマ)などに決定されているという考え方が、尊厳を人間から奪ったと考えたのです。

 モノの運動とは違って、人間の行為は原因によって説明しつくされません。モノであれば手を放せば必ず落下しますが、人間には自由意志があるので、何をするもしないも自分で決めることができるからです。

 自由意志を認めない人はいます。自由意志で何かある行為を選択したように見えても、選択するに至った原因がすべて知りつくされてないだけだ、と。しかし、このように考えるには、自由意志はあまりに自明でヴィヴィッドであるように見えます。

 アドラーは何かによって今の自分のあり方が決定されるとは考えません。自由意志の余地はなく、すべてのことが決められていて、人は変わることができないのであれば、教育も治療もありえないことになります。

 アドラーは、行為だけでなく人生についても、自分の運命を変えられないものと見たり、不幸なままであるとは考えたりせず、「自分は自分の運命の主人である」(『性格の心理学』)と考えました。

 当時の多くの思想は、人間を見えないものに規定される非合理な存在と見ました。例えば、フロイトは意識は無意識に、マルクスは上部構造は下部構造に規定されると考えましたが、アドラーは彼らとは対照的に、人間を自由意志を持った理性的な存在と見ました。

 ところが、アドラーの思想ではなく、人間を非合理な存在と見る考えが、古来、多くの人に支持されてきました。なぜなら、今生きづらいことなどの原因が過去に経験したことや、社会的な諸問題にあると見れば、生きづらさの責任は自分にはないことになるからです。

 アドラーは「患者を依存と無責任の地位に置いてはいけない」といっています(『人生の意味の心理学』)。無責任の地位に置くというのは、自分の選択以外のことに生きづらさの原因を見ることで、本来の責任を見えなくするということです。

 依存の地位に置くというのは、あなたのせいではないのだといって、患者にカタルシスを引き起こす治療者が、患者を自分に依存させるということです。たとえ抵抗する患者がいても、「自分ではわかっていない」といえば治療者が権威者になり、患者を自分に依存させるのは簡単です。

 相手支配しようとする親や教師や上司、また為政者は、子ども、生徒、部下、国民が自立することを恐れます。人間を合理的存在と見るアドラーの思想は、そのような人にとって脅威になるはずです。

 そこで、アドラーの思想に反論がされるか、他方、急進的な思想を希釈化し、骨抜きにする試みがされます。骨抜きにされるともはやアドラーの思想とはいえなくなります。

2016-07-15 リーダーの資質。

[]時代とともに。 時代とともに。を含むブックマーク 時代とともに。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160715031415j:image
「お公家さん」「クール」「庶民」「天才」「君臨」…
副知事の青山氏の分析による都知事評だ。
美濃部さんから舛添氏まで。

記事の題は「都知事の間違えない選び方」となっているが、自分は「都知事になったら心得ること」ではないかと思う。

人の才覚に「一かゼロか」と言うほどの差はそれほどない。

トップアスリートに求められるほどの「才能の粒」と「努力」に比べれば「元々の資質」よりも「役割としてのリーダーをどう務められるか」という教育が全く行き届いていないのではないかと思う。
帝王学とまでは言わずとも、「リーダになるのなら」という程度の基本的なマナーとか振る舞いについてはほとんど耳にしない。

百万を超えるような集団の長になってなお「領収書の処理について」とか「経費の使い方の心得」とかをマスコミが取り上げ、それの釈明に追われるというような状態そのものが「リテラシーのお粗末さ」を示していると思う。

人は誰しも、セコくケチくさい「矮小な気持ち」は持っていると思う。
そんな裸に近い衣装のまま、晴れの舞台にいきなり上がってしまうから「トンデモない醜態の場」を演出するのだ。

"一構成員"ではなく、"集群のリーダー"になるのなら、「相応の振る舞い」は身につけねばならないということだろう。

学やリテラシーがあるかどうかではなく、振る舞いや態度の問題だということを認識しないと、こうした「恥ずかしい系」のリーダーの醜聞は後を絶たないのじゃないだろうか。

幕が上がった舞台の役者は、役者として振る舞えないなら降りるしかないのは道理である。

「もう失敗できない」都知事の間違えない選び方

明大教授・元都副知事 青山佾
 政治資金の「公私混同」使用を批判され、辞任した舛添要一氏の後任を決める東京都知事選挙が行われる。任期半ばで辞任した都知事は石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏に続いて3人連続、「政治とカネ」の問題での辞任は猪瀬氏についで2人連続となる。東京五輪を4年後にひかえた国民にとって、今度の都知事選びは失敗できない一大事だ。首都東京の顔にふさわしい知事とはいかなる人物であるべきか。都知事選びで知っておくべきポイントは何なのか。都庁に30年以上勤務し、石原知事のもとで副知事も務めた青山氏に、歴代知事を振り返りつつ執筆してもらった。
変化する都知事像〜「東京の問題」をどうとらえるか

巨大組織のトップにふさわしいのはだれか。リオ五輪にあわせてブラジル国旗をイメージした緑と黄色にライトアップされた都庁舎(4月27日撮影)
巨大組織のトップにふさわしいのはだれか。リオ五輪にあわせてブラジル国旗をイメージした緑と黄色にライトアップされた都庁舎(4月27日撮影)
 有権者が1000万人を超す都知事選で当選するには200万票前後が必要で、だれもが名前を知っている人物でなければ勝利するのは難しい。だが、知名度抜群だった猪瀬、舛添両氏が続けて途中辞職した後に行われる今回の知事選で、いまさら「感じのいい人」とか「有名な人」とかいう選び方をする人はいないと思う。

 「福祉に理解がありそうな人」「経済雇用に重点をおく人」などという選択基準はあるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。都知事は、まちづくりから環境、福祉や経済に至るまで広い分野に責任をもつ立場だ。特定の分野に強いというより、全体に目配りしてバランスをとることができる資質も必要だ。

 時代ごとに求められる都知事像も変わってきた。1947年に初めて選挙で選ばれた都知事は安井誠一郎氏で、戦後復興期に3期務めた。その後を継いだ東龍太郎氏は1964年の東京オリンピックに向けて都市開発を積極的に進め、首都高速道路都営地下鉄、環状七号線が整備される。

 1967年には「ストップ・ザ成長」を掲げ、そうした都市開発路線とは一線を画す革新系美濃部亮吉氏が知事に就任。老人福祉手当や老人医療費無料化といった福祉政策の充実を目指した。美濃部都政が3期12年続くと今度は、鈴木俊一氏が「美濃部都政のバラマキ福祉」を批判して当選し、財政再建に取り組む。このあたり、都民のバランス感覚は生きていたと言ってよいかもしれない。「地味だ」と言われながらも官僚出身の鈴木都政は4期16年続いた。

 青島幸男氏は鈴木都政が企画した臨海副都心における都市博覧会の中止を訴え、ほとんどたった一つのこの政策で、しかも選挙運動をしないで当選した。青島知事が1期で引退すると石原氏が「ノーといえる」と強いリーダーシップを標榜(ひょうぼう)して当選し、4回の当選を重ねた。ここまでは、前知事のアンチテーゼで知事の座を射止めるというわかりやすい構図だった。

 3期以上当選を重ねた美濃部、鈴木、石原の3氏の共通点は「政策の特徴」が鮮明であるということだ。これに対して途中辞職した猪瀬、舛添両氏は政策の特徴が鮮明ではない。もちろん両氏にも、政策に対する強いこだわりがそれぞれあったかとは思う。しかし、それが鮮明には表れていなかった。短命に終わったからでもあるが、美濃部、鈴木、石原3氏とも知事選挙のときから声高に叫んでいた公約に対する執着があった。

 ひとことでいえば、その時代の「東京の問題」は何か、ということをきちんと主張する知事を選ぶことが大切である。選挙では、東京が最も解決しなければならない課題を見極め、それを解決する道筋を提示しなければならない。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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明大教授・元都副知事 青山佾
君臨タイプは向かない、「親政府」か「反政府」か

報道陣に囲まれる猪瀬都知事(当時)(2013年4月撮影)
報道陣に囲まれる猪瀬都知事(当時)(2013年4月撮影)
 短命に終わった猪瀬、舛添両氏の印象は共通して「親政府」であった。ご本人たちには異論があるかもしれないが、政府に対して手痛い一撃を与える場面がなかったどころか、両氏の時代には東京都の財源がかなり国に取り上げられてしまった。

 東京都は首都でありながら、いや、首都であるがゆえに日本の政府と非常にデリケートな関係にある。地方出身の政界の実力者は一般に、東京都を“富裕団体”とみて財源を取り上げようとする。これに対して都民は、貨幣経済上の統計に表れた数字とは別に、地方都市の人たちの方が生活の豊かさを享受しているように感じているようだ。都知事は、この意識のギャップを巧みにくみ取らないと務まらない。

 猪瀬、舛添両氏の共通点は、それぞれの場面で都政に「君臨」したがっていたようにみえる点である。これまた本人からは決してそんなことはないと反論があるかもしれないが、少なくとも、君臨したがっているように勘違いされる傾向がある。

 君臨しようとする人は都政には向かない。なぜなら、都知事の職は、勝手なことはできないように、精緻に出来上がった民主主義的な機構の上に成り立っている。職員は警察、消防、教員から交通、上下水道そしていわゆる知事部局合わせて16万人以上いるが、それぞれ試験を通って採用される。管理職への昇進もそれぞれの分野で試験制度がある。欧米のような政治任命の制度は原則としてない。あっても特別秘書などに限られる。

 予算も、綿密な検討を経て編成され、ひと月以上の議会審議を経て決定される。東京都に限った話ではないが、条例都議会の議決を経て成立する。副知事も議会の承認が必要である。舛添知事が辞職した同じ日に副知事4人の選任が議会において同意されているが,「辞職する知事が提案するのはおかしい」という人はいない。知事が恣意的に決められない事柄が多いのである。

 石原知事がディーゼル車排ガス規制を宣言したのは1999年3月の立候補会見、都議会で条例が成立したのが2000年12月、実施が03年10月だから実に4年半かけている。その間に粘り強く業界を説得し、世論にアピールし続け、周辺県の同調を得る努力を重ねたのは記憶に新しい。

海外から尊敬される人物を

政治資金の問題で批判を浴び、厳しい表情で登庁する舛添都知事(当時)(2016年6月20日撮影)
政治資金の問題で批判を浴び、厳しい表情で登庁する舛添都知事(当時)(2016年6月20日撮影)
 東京都知事になったからといって、ただちに強大な権限が手に入るわけではない。重大な責任を負うことになったと理解すべきである。知事は権力者でなく責任者である。職員は、知事に対して強いロイヤリティー(忠誠心)をもっている。とことん尽くす。しかしそれは子分になるということを意味しない。都民が選んだ知事だからである。子分を集めてお山の大将になりたい人は都知事に向かない。議会との間でも職員との間でも適度な距離感を保ち、適度な緊張関係にあることが望ましい。

 大学の法学部法律学科を卒業した人でもふつう、民事訴訟法刑事訴訟法は学んでも地方自治法地方公務員法は教わらない。東京都知事の権限と責任は地方自治法その他によって厳密に規制されている。そもそも国は議院内閣制だが、地方自治体首長と地方議員は住民によってそれぞれ直接選挙で選ばれる二元代表制。都知事と都議は互いにインディペンデント(独立)である。

 東京都政は特に、特別区をもち、政令指定都市をもたないから他の道府県知事と制度がかなり違う。都知事になった人はまず、この点を理解しないと仕事ができない。

 都知事は、ひとことでいえば東京都の最終的な決定者であると同時に対外的な代表者である。東京は世界的な存在だから、当然、海外に行く機会は多い。20年オリンピックを控えているからなおさらである。

 舛添知事の海外出張が多すぎる、多額な費用をかけていると批判されたが、海外に対するシティーセールスや政策交流は都知事の重要な職務である。経費の使い方については改善すべきと思うが、海外諸都市との交流は、今後ますます重要となっていく。対外的に恥ずかしくない知事を選ぶべきだ。海外の人が日本人を尊敬するのは語学でなく、人品骨柄に対してである。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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明大教授・元都副知事 青山佾
お公家さん・美濃部知事、クールな鈴木知事

<1967年以降の歴代知事の特徴>(敬称略)

 歴代知事の特徴をまとめたのが上の表だ。美濃部知事のタイプはお公家さんとした。美濃部知事の政策は弱者の味方だったが、美濃部さん自身のパーソナリティーはそこにいる相手の痛みを共に感じるというタイプではなかったように感じた。むしろ形式を重んじる人だった。

 私は当時の政策室秘書係長として美濃部知事とそのブレーンの小森武さんの連絡役を務めていた時期があった。小森さんは労組などが資金を出した「都政調査会」の運営に携わり、裏表の人脈を駆使して美濃部知事を12年間にわたって支え、「陰の知事」とも呼ばれた存在だった。他人の痛みをわかるタイプは小森さんの方だった。小森さんの政策が弱者の味方だったのだ。ブレーンが誰であるかは大切なことである。

 鈴木知事はクールなタイプである。私は高齢福祉部長のとき、鈴木知事と細かいことでちょっとした意見の対立があった。鈴木知事の希望を相手方が拒んだので、結果として私の意見が通ったのだが、その結論が出たとき鈴木知事はあっさりと「君の言う通りにしよう」と言った。そのとき鈴木知事は84歳だった。それ以来私は鈴木さんに心服して、退職した鈴木さんの99歳、白寿のお祝いのときまで、とてもいい交流があった。

無人島に一緒に暮らすなら青島知事、世論読みの天才・石原知事

無党派の圧倒的な支持を受けて当選した青島都知事(当時)(1995年4月)
無党派の圧倒的な支持を受けて当選した青島都知事(当時)(1995年4月)
 青島知事は自分の身の回りのことはなんでも自分でやる人で、無人島で一緒に暮らすなら、この人がいいというタイプである。ヨーロッパアメリカの市長を訪ねると自分でお茶を入れてくれる人がいるが、そういう意味では海外で通じる人だ。反骨精神が強い点も庶民感情にフィットしていたと思う。

 石原知事は、世論を読む天才である。アメリカ一辺倒はだめ、親中国一辺倒はだめ、ということをかなり早くから主張していた。知事の主張は世論である、ということを最も体現していた知事である。都庁は石原知事時代には世論調査をする必要がなかった。知事の発言が世論だからである。

 私は副知事時代に石原知事を何度か怒らせたが、石原知事が怒るのは君臨しようとして怒るのではなく、対等の立場で怒っているように感じた。怒るのも無理ないな、といつも思った。

在任中最後の庁議で幹部職員に挨拶し、笑顔を見せる石原都知事(当時)(2012年10月31日撮影)
在任中最後の庁議で幹部職員に挨拶し、笑顔を見せる石原都知事(当時)(2012年10月31日撮影)
 だからといって、必ず知事の言うとおりにしようとは思わなかった。世の中は天才の思うとおり動かないので、私たち凡才が考えた政策の方が政策として成立する場合も多いのである。それでも私は4年間の任期を全うさせていただいたので、石原さんは君臨しようとする独裁者ではなかった。むしろ私たちと話すときには、私たちの興味と関心があることを話題にするタイプであって、私は石原知事の話を聞くと心がずいぶん豊かになった気がしたものである。人々に愛される、という要素も知事にとって必要な資質ではないか。

 1000万人を超える東京都知事選挙の有権者の皆さん一人一人が、少しでも深く突っ込んで、都知事に必要な資質を考え直して投票していただければ東京の未来が明るくなると思う。


プロフィル
青山◎( あおやま・やすし )
 明治大学公共政策大学院教授。東京都農業会議会長、東京都社会福祉協議会会長、都市調査会代表等を兼務。博士(政治学)。1943年、東京生まれ。67年、東京都庁に入庁し、計画部長等を経て石原慎太郎知事のもとで東京都副知事として危機管理・都市構造・財政等を担当。2004年から現職。08〜09年米国コロンビア大学客員研究員。著書に『小説 後藤新平』(学陽書房ペンネーム郷仙太郎で執筆)、『都市のガバナンス』(三省堂)、『痛恨の江戸東京史』(祥伝社)、『世界の街角から東京を考える』(藤原書店)など。
 ◎は「にんべん」に「八」「月」を重ねたもの。

2016年07月11日 05時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

2016-07-14 初体験。

[]ゼロから考える。 ゼロから考える。を含むブックマーク ゼロから考える。のブックマークコメント

自分の親世代の話を直に聞くだけで「働くこと」とか「お金」とか「会社」とか「男女」とかについての認識ってこんなに違うのか、と思う。

もう高度成長期なんて何世紀も前の話に聞こえるけれど、たかだか数十年前のことだ。

インターネットのこれからとか、未来のテクノロジーを予想するのは難しいけれど「そういうこと」を常々考えておかないと、あっという間に取り残されてしまいそうだ。

賢者は歴史に学ぶ』という。
確かに物事のなりゆきは三国志ローマ帝国の時代から変わっていないのかもしれないが、「今起こっていること」を「過去の現象」で説明することには注意が必要だと思っている。

一国の経済のこととか、国際関係のこととかを「過去の経験と知識」で説明しきろうとすると「場違いな予想」とか「正反対の結果」になることって実はとても多いのじゃないか。

インフレとか円高とか株安、とかについて「部分的には正しい説明」をしていても、総論としては予想通りにならないのは、「独自のバイアス」がかかり過ぎているからだと思う。

なので、せめて「ゼロから考えてみる癖」が必要なのじゃないだろうか。

自分などが普段仕事をしていると「売れる商品、とかサービス」という話に必ずなるけれど、そういうのがスイスイと当たった試しがない。

消費者は感情の動物である」なんて言われるけれど、その感情に素直に沿っていけていないのはこっちの方だ。

国の盛衰はともかく、自分の出がける商品やサービスについては「曇りのない眼」でどれだけ居られるかって大事なのではないだろうか。
今さらながらそんな風に感じている。

2016-07-13 政治のこと。

[]専門家から一般へ。 専門家から一般へ。を含むブックマーク 専門家から一般へ。のブックマークコメント

参院選の経過を見ていて、もう結果は出ているあたりから面白くなった。
特に「当選した議員さん」を見ていて何タイプかに分かれているな、と思ったのである。

全体的な印象で言えば「ずいぶんと若返り」。
昔はもう政治家といえばまず九割方が「顔が黒く、目の縁にクマが深くて、濁った瞳」という感じがしたものだ。(私見です)
今でもそういう「旧式の顔つき」の人はいるけれど全体の2割程度の印象だ。
代わって「若目の女性」「他業界からの中年男性」「若手の男女」が増えていると思う。

政治家のベテランに聞くと「政治は政治のプロのもの」という言が強いけれど、そんな構造にも変化が起きているのではないだろうか。

たとえスキルや知識が未熟でも、「これからをフラットに考える」とか「利権を別に行動できる」というのはこれまでの政治家と比べればニュータイプだ。


結局のところ、今の日本の「大企業病」とか「官僚主義」は否定されつつも一朝一夕には変わらない。
そんな現実をどうして少しづつ変えてゆくのか、というモデルが今の政治に現れているような気がした。

今回の選挙与党が勝って、その後の経済政策がどうなるか?という話が早くも話題になっているけれど、どうやら「選挙そのものに対する接し方」がいよいよ変わりつつあるような雰囲気を今回の参院選で感じたのである。

今の豊かな若者の感性で、しかもかなり冷めた目で「これからの価値観」について議論してみたらどうなるだろう。
経済成長」とか「税と社会保障」とかいう題目は"なんで?"という一言で却下されかねない。
もっと実室に向いた、もっと本当に必要なことを、これからの若者は定義してゆくような気がする。

「既存の理屈」が覆せるのは、そうした「ちょっと無理筋、革命的な力」でないと難しいのだと思う。
今の政治が、そうした「ソフト革命」へ向けての準備を手伝っているのだとしたら、なかなか今の選挙戦も楽しい感じがしてくる。

「物言わぬ若者」はいつまでもそのままではないのだ。

2016-07-12 3Dコンテンツの時代。(2)

[]バーチャルの不自然。 バーチャルの不自然。を含むブックマーク バーチャルの不自然。のブックマークコメント

いよいよゴーグル型ディスプレイの普及に伴い、いわゆるVR系コンテンツが「作品の方向性」に戸惑っている、という話。
確かに家族やカップルが一つの部屋で大きなゴーグルをつけて「ウォー」とか絶叫している姿は相当不自然だ。
自然の壮大な風景とか、見知らぬ外国の街並みをVRで眺むるのはなかなかに楽しそうだが、それでも複数人で共有するという感じではない。
やはりデジタルコンテンツ普及の王道である「ゲームとアダルト」から始まるような気がする。

どうしても「バーチャルはバーチャルのまま」ということになりそうだ。
google glassの話は最近聞かないけれど、どうしても「日常にクロスするバーチャル」の線を開発しないと爆発的な普及には至らないだろう。

逆に今のメガネに、少しでもいいからデジタル表示をするような工夫があれば、相当便利になると思うがどうだろうか。
メガネに雨雲センサーや地図が表示されるだけでも相当便利だと思うのだが。

VR、家族から総スカン? 皆で楽しむコンテンツを (徳力基彦)
2016/7/8付
日本経済新聞 電子版
 プレイステーション4用のVRヘッドセット、いわゆる「プレステVR」の予約が6月に開始され、大きな話題となった。VRとはバーチャルリアリティー(仮想現実)の略。ゴーグル型のヘッドセットを装着することで、360度全方向が仮想現実の世界に没入できる。

 VRヘッドセットは米オキュラスの「リフト」などパソコン用が販売され盛り上がりを見せているが、10万円前後が中心で、一般家庭に普及するには価格が問題となると言われていた。

 そこにプレステVRは5万円を切る価格で切り込んだ。オンライン予約は文字通り「瞬殺」。店舗での予約も各所で行列が見られた。筆者も予約する気満々だったが涙をのんだ口だ。

 「ファイナルファンタジー」や「バイオハザード」など有力ゲームが次々にVR対応を表明。最近はスマートフォンスマホ)ゲームに押されて注目が薄くなっていた据え置き型ゲーム機業界で、久しぶりの明るい話題となっている。

 今後注目されるのは、VRがどれぐらいの桁の数で家庭に普及するかという点だろう。

 VRコンテンツは「没入型」と評されることも多いように、目の前を密閉する形での体験が中心になる。現時点では明らかに一般家庭のリビングとの相性は悪い。家族団らんのタイミングで、父親が1人でVRをつけて自分の世界に閉じこもってしまったら、家族から総スカンをくらうのは想像に難くない。

 一昔前には3Dテレビが次世代テレビとして喧伝(けんでん)されたが、専用メガネやコンテンツが必要であまり普及していない。VRもメディアでの話題度に比べると一般家庭への普及は緩やかにとどまる可能性もまだまだある。

 ポイントとなるのはやはり「VRならではのコンテンツ」だろう。

 まず、ゲーム自体が重要なコンテンツになるのは間違いない。ただ従来型の1人で没頭するタイプのゲームだけでは、一人暮らしのコアゲーマーが利用者の中心になってしまう可能性が高い。


とくりき・もとひこ 名大法卒。NTTを経て06年アジャイルメディア・ネットワーク設立に参画、09年社長。14年3月から取締役最高マーケティング責任者(CMO)。
【とくりき・もとひこ 名大法卒。NTTを経て06年アジャイルメディア・ネットワーク設立に参画、09年社長。14年3月から取締役最高マーケティング責任者(CMO)。】

 それ以上の幅広い世帯にVRヘッドセットを普及するために必要なのは、VR体験をシェアしたくなるコンテンツではないかと考えている。

 任天堂の「Wii」が一世を風靡したように、家族全員で楽しむことができるようなVR体験が出てくる必要があるだろう。特に現時点でのVRヘッドセットは12歳未満は利用できないこともあり、子供がいる家庭との相性も悪い。

 バンダイナムコエンターテインメントがお台場に開いたVR体感施設では、ヘッドセットをした体験者が高層ビルにいるかのようにへっぴり腰で歩く。ニコニコ超会議というイベントでは、VRを活用したホラーコンテンツのエリアで体験者が絶叫するため、人だかりができていたそうだ。

 家庭用でも、こうしたVR体験をしている人自体を見ながら家族一緒に楽しめるようなコンテンツが出てくると、幅広い世代に広がる可能性も出てくるはずだ。

 2人同時に仮想空間に入って物を投げつけあったり、声を掛け合って敵を倒したりするゲームも開発されている。一人で没入するのではなく、友達や恋人と同時に遊べれば、VR体験の印象ががらりと変わるだろう。

 スマホのイノベーションも落ち着きつつある。VRがスマホに続く新しい時代を開くのか。しばらくは議論が続くことは間違いない。

(アジャイルメディア・ネットワーク取締役)

2016-07-11 3Dコンテンツの時代。(1)

[]スマホをメガネに。 スマホをメガネに。を含むブックマーク スマホをメガネに。のブックマークコメント

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まあ自分も断然そっち系だけれど、いよいよアダルト物の3D配信が始まるという。
デジタルの普及は世界はいつもここから始まる。
それにしても友人にその仕様を聞いて驚いた。

3Dを見るための専用グラスや、また色んなデータ形式とか、使用可能な媒体とか、およそ家電とは思えない複雑さである。
しかも中心となるのは「ヘッドセットスマートフォンを入れ込んで」立体画像にするという。

そこまでして立体にしたいのか。
いずれはずっと簡単に実現するコンテンツだと思うが、今涙ぐましい努力をする人がいてこそなのだろう。
それにしても「巨大なお化けサングラスをしてあらぬ宙を伺い、ニタニタとAVを見ている自分」というのはちょっと願い下げだ。

推進する人にはできればそうした「見てくれの配慮」もぜひお願いしたいものである。

2016-07-10 マスコミの役割。

[]争点なき争い。 争点なき争い。を含むブックマーク 争点なき争い。のブックマークコメント

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ついこの間、脱原発も。
安保法案も。
その前には機密保護法も。
いっつも大騒ぎしてきたけれど、このたびの選挙与党優勢だという。
あの騒ぎって一体何だったのだろうか。

改憲再軍備右傾化でいいんじゃない」というのが国民の総意ならそれでいいが、どうも先の騒ぎではそういう感じではない。

悪いのはマスコミだ。というか政治家だ。
けど今声高に「徴兵制ありき」とかいうとそりゃ総スカンでしょうから、そういうのを「一つづつうまく隠しながら」進めていくのが政治家だ。

だからマスコミがしっかりしないと今みたいになるのに違いない。
国民がアホ扱いされるのはマスコミのせいだと思う。

「改憲したらどうなるか」について。
さらにはその先のグランドデザインについてはまるで聞こえない。
自衛隊が発砲するとか、どこまでが自衛かとかそんな話ばっかりだ。

将来自国で軍備をして兵隊さんも自国から出す。

ときちんと言わないと「何が争点か」が分からなくなる。

憲法改正の先の何が問題なのか』をマスコミはもっと浮き彫りにする使命があると思う。

改憲勢力「78」巡る攻防 3分の2到達で発議可能に
2016/7/9 20:16
日本経済新聞 電子版
 参院選は、憲法改正に前向きな自民党、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党の3党と無所属議員、「加憲」を掲げる公明党を合わせて、参院での改正発議に必要な3分の2(162議席)に達するかが焦点だ。4党の非改選は84議席で、差し引いた78議席が与野党の攻防ライン。少なくても4人の非改選の無所属議員が改憲に前向きで、実質的には74議席まで下がる。

党首の最後の訴えを聞く有権者(9日午後、東京都千代田区)=一部画像処理しています
党首の最後の訴えを聞く有権者(9日午後、東京都千代田区)=一部画像処理しています

 改憲は安倍晋三首相自民党総裁)の悲願だ。改憲勢力が3分の2を占めれば、在任中の改憲に向けた視界が広がる。

 改憲発議には衆参両院でそれぞれ3分の2以上の議席が必要だ。衆院ではすでに自民公明両党で3分の2を得ている。定数242の参院では162議席が越えるべきハードルとなる。

 日本経済新聞の取材では非改選の無所属のうち、アントニオ猪木井上義行松沢成文渡辺美知太郎の4氏が改憲に前向きな立場だ。4氏が加わると、今回の選挙で改憲勢力がとらなければならない議席数は74議席になる。逆に憲法改正に反対する民進、共産両党など野党は、3分の2阻止に全力を挙げる。

 自民党の獲得議席が57に達するかも注目点だ。非改選と合わせた議席は122になり、1989年以来27年ぶりの単独過半数となる。自民党は国会運営で主導権を強めることができる。首相は勝敗ラインについて、自公で改選議席(121議席)の過半数である61議席をとることと設定した。

 日本経済新聞が3〜5日に実施した参院選終盤の世論調査では、4党の獲得見込み議席を合わせると78に迫る情勢。自民党として単独過半数もうかがう。自公での改選議席の過半数は到達する可能性が大きい。

manakamanaka 2016/07/10 00:47 先日のイノベーションの作り方、面白かったです。
話は違いますが、ネットの情報過多で選挙の争点とか、相対的にマスコミの存在も薄くなっている気がします。根本的な議論はありませんし。こういう時代だから情報発信って大事だと思いました。

さくらいさくらい 2016/07/10 19:35 何かを問えばはぐらかし、問わねばアホと鼻を鳴らす。
嫌気が差して、若者の関心が薄れていくのも納得ですね。

2016-07-09 占いの強さ。

[]外の声の力。 外の声の力。を含むブックマーク 外の声の力。のブックマークコメント

日立AIを使って従業員の「幸福感」を向上させるという。
改めて「人は案外外からのアドバイスに弱い」ということだ。
占いとかおみくじとかは昔からあるが、それって「人の心理」を端的に表しているものだろう。

どんな強い人も、他人から「あなたはここに注意しなさい」と言われるときになるものである。
むしろ正常な感性を持っている人ほどそうした「外部の声」を気にしてしまうだろう。

いっその事「他人の声など全く気にせず」という手もある。
けれど、そうした「他人の声にも聞き耳を持つ」という手もあると思う。

自分で思うには

だんだんと年を重ねてくると、「判断の縁(よすが)にはしないが、きちんと聞く」ような姿勢になってくるような感じだ。

客観的な他人の声は、それはそれでとても貴重なものだ、ということが体感的にわかってくるのだと思う。
こういうのが老獪さだろうか。

コンピューターが自動的に割り当てるにせよ、そのメッセージを「自分のために使うかどうか」というのは自分自身の心がけの問題だ。
案外AIに気づかされた、という話はあるのではないだろうか。

日立、社員の幸福感アップをAIが助言 「Aさんと会話しましょう」「午前中にデスクワークを」社員向けに実験
2016/6/28付日本経済新聞 朝刊
 日立製作所は27日、社員の幸福感向上に有効なアドバイスを人工知能(AI)が個別に配信する実験を始めたと発表した。社内の営業人員600人を対象に名札型のウエアラブル端末で体の動きなどを測定し、幸福度を判定。蓄積したデータから「Aさんと会話しましょう」といった幸福感の向上につながる行動を自動で割り出す。組織を活性化させる支援策として年内の実用化を目指す。

 ウエアラブル端末に搭載した加速度センサーが座る・立つ・話すなどの動きを計測するほか、赤外線センサーで会話の相手や頻度も記録でき、誰とどのくらい話したかもわかる。日立は動きのパターンによって、幸福度を判定するデータベースを構築しており、1カ月間の行動データと照らし合わせたうえで、どの行動で幸福感が上がるかをAIが分析・推定する。

 アドバイスはスマートフォンスマホ)に個別に「午前中にデスクワークをしましょう」などと配信する。日立は職場での行動改善が業務効率化につながるかどうか検証する。社員の行動データは本人以外閲覧できないようプライバシーに配慮したという。

彼方彼方 2016/07/09 00:27 鵜呑みにせずに、俯瞰して物事を見聞きしたいもんです。

2016-07-08 イノベーションの作り方。

[]異端を作るコツ。 異端を作るコツ。を含むブックマーク 異端を作るコツ。のブックマークコメント

youtubeyahoo動画もそうだが、例えば日本発の発明品が日の目を見ずに批判されることもしばしばある。
掃除ロボットルンバも日本発だったらしいが、製品化の決定が出なかったとのこと。
後から四の五の言うのは簡単だが、現場の決断者は冷静に判断していたのだと思う。
思うに、イノベーションとはいうものの、実は「まともな選考基準」とか「常識的な見積もり」ではあり得ないものばかりじゃなかろうか。

だから普通は「そういうもの」は企画からプレゼンから製品化とか稟議とか、どこかの段階で"ボツ"になる。

産みの苦しみとはよく言うが、生まれてくる子は「異端児」ばかりでは予めそういう兆候があれば敬遠されるのも道理である。

産業界も政治家も、今盛んに「イノベーション」という言葉を口ににするけれど、そこら中にある「イノベーションのタネ」は片っ端から潰されているのだと思う。

発案した当人が情熱を持ち続けられなかった場合もあるだろうし、
理解してもらえずにボツになったり、
嫌われたり足を引っ張られたりしたものもあるだろう。
何か精子の受精の仕組みに似ているようだ。

偏狂で偏執的なくらいの執着が、何らかの理由で継続されて、また「時の運」も得て彗星の如く現れる。
そうして現れた英雄に対しては、九割がたの人たちが驚きと賛辞を送るのだ。

「成功するまで続けなさい」という言葉は励みになるようでいて、絶望ももたらすことがある。

イノベーションの正体というのはそうして「決して無駄には潰されない知恵」とも言えるのではないだろうか。

潰されてしまった跡には何も残らない。
「残ってこそ」を想像しながら案外柔軟に歩いて行くのが成功の秘訣ではないだろうか。

2016-07-07 覇者の苦しみ。

[]盛者必衰盛者必衰。を含むブックマーク 盛者必衰。のブックマークコメント

ムーンショット
外野からコメントしている分には世話はないけれど。
ずっとスマッシュヒットを飛ばし続けていたアップルも不振が囁かれる。
そんなにずっと勝ち続けていられるわけはないけれど、人はいろいろと言うものだ。

今でもセンスの良さはあるものの、特にスマートフォンなどでは他社製品もなかなか良いデザインのものも出現している。
先行者の作品を参考にしていればキャッチアップも容易だ。
デザイナーの目も肥えてくるのだろう。

新作は1億台以上に必要な量の部品を用意しなければならない。ビジネスが大きくなって品質管理の担当者が増え、新技術の採用に保守的な態度も目立ってきた。

市場を席巻したが「それ故に身動きが取れない」というのはさぞや辛かろう。
次に市場を取る時にはそんな「肥大化した自分のこと」も考えながら大きくならねばならないのだろうか。
成功するって大変なことなのだ。

異変が止まらない 陰るアップル帝国(ルポ迫真
 6月13日、米アップル最高経営責任者(CEO)のティム・クック(55)はサンフランシスコで開いた開発者向けイベントに登壇すると、5000人の参加者を前に話し始めた。「アップルのアプリ開発者は累計で500億ドルを稼いでいる」

 アップルは音楽の楽しみ方を変え、スマートフォン(スマホ)で人間の生活そのものを変えた。部品やソフトのメーカーを潤し、世界経済を支えてもいる。ただこの日の説明は基本ソフト刷新など既存プラットフォームの小幅改善に終始。「過去の話が多くなり、かつての大胆さが消えた」と出席者に印象づけた。

スティーブ・ジョブズ2011年に死去する前にCEOを引き継いだクックは5年で売上高を5割増やし、株価を2倍に引き上げた。ジョブズが嫌った「iPhone」の大画面化に踏み出して需要を再び呼び戻し、「アップルウオッチ」も世に問うた。

魔法をまとうジョブズにはなれないが、後継者として業績を安定的に伸ばしてきた経営能力は内外で高く評価される。そのクックをしても抑えきれない異変が今、アップルを襲っている。

 「昨夏お願いした設備増強を今すぐ止めてください。早急にキャンセル費用の見積もりを出してください」。1月中旬、アップルに部品を供給する日本メーカーの本社会議室。シリコンバレーを結ぶビデオ会議でアップル担当者が発した言葉にその場は凍り付いた。

1月に始まった「iPhone6s」の減産は前年比3割に及んだ。前作「6」とパネルサイズが同じで機能差も大きいといえず消費者に違いを打ち出せていないのだ。

 07年に登場したiPhoneの草創期は生産台数が少なく、世界で集めた最先端の部品を惜しげもなく採用できた。それが今、新作は1億台以上に必要な量の部品を用意しなければならない。ビジネスが大きくなって品質管理の担当者が増え、新技術の採用に保守的な態度も目立ってきた。

 消費者が抱く「飽き」も避けられない。アップルは新しいライフスタイル提案する製品を幾度も生み出してきた。だが、iPhoneを超えるような製品は久しく生まれていない。日常品化したスマホという土俵で戦い続ければ、どんなに完成度が高くても感激は薄れる。そういう盛者必衰のサイクルをアップルは緩やかに迎えつつある。

 4月下旬、先端部品をアップルに供給してきた日本電産の会長兼社長、永守重信(71)は決算説明会で嘆いた。「まさかここまで下振れするとは」。iPhoneの減産は同社の業績を下押しする。アップルを支えるプレーヤーは忍び寄る異変を感じていたが、深刻さは予想を超えた。

 3月末発売の小型iPhone「SE」は衰退を象徴するモデルと電子部品メーカーは見る。部品の在庫を消化する役割を果たし、「6s」減産によるダメージを最小限に抑える切り札となる。ただ単価が低い。ブランドビジネスという側面を持つアップルの経営に相反し、攻めよりも守りの製品と受け止められる。

「それなしで生きていけないと思うほどの機能が新モデルに加わる」。5月2日、テレビ番組に出演したクックは今秋発売の次期iPhoneについて語った。だが部品メーカーに伝えている生産計画の数量は現行モデル並み。驚きを求める消費者の期待に新製品で応える「アップルモデル」は行き詰まっている。

 足元のアップルは、デザインの自由度が高まる有機ELパネルに着目する。その調達を巡り、今春から韓国サムスン電子と交渉が続く。「資金を出すので当社向け専用ラインを造ってほしい」。アップルの要請にサムスンは拒絶する姿勢を見せた。「専用ラインをつくるより、適正価格で買い取ってほしい」

 有機ELパネルの世界市場をほぼ独占するサムスンの交渉力は強い。圧倒的な購買力を背景に「イエスかノーか」と迫ったアップルの部品調達も変わりつつある。

 6月13日の開発者会議の終盤、クックは「我々の目標は世界を変える製品を作ること」と訴えた。消費者の飽き、スマホの陳腐化、そして今後は大企業病とも戦わなければならない。クックの言葉は自らに語りかけているように聞こえた。

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2016-07-06 脱戦後をどうしますか?

[]正解を決めるのは自分。 正解を決めるのは自分。を含むブックマーク 正解を決めるのは自分。のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160706012232j:image
日経、風見鶏の選挙評というのも皮肉だけれど。

選挙は政治権力をめぐる戦いである。しかし今回ほど政策論争がかすみ、序盤からけんか腰の言い合いになるのも珍しい。

これとそっくりの光景を時に目の当たりにすることがある。
日常の仕事で「相手と何かをしようという気持ちのない人たち」の話し合いとそっくりである。

いい年をした社会人同士が喋っているのに、論点はおろか話の主旨すら疎通出来ていない。
しまいには相手の言葉尻を捉えたり、会話を遮って自分の言いたいことを投げつける。
聞いていて一番不毛な感情の湧き送る瞬間だ。

痴話喧嘩なら「どうぞお好きに」だが、まっとうな仕事の場での実話である。

自分は、「民主主義とか政党政治のあり方」が戦後、新たに問われているような気がしている。

信念とか哲学とか美学を語る政治家が少なくなり、状況次第で「陣取り合戦」をする戦国時代のような。
"反与党"なら誰とでも手を組む、というのはもうそんな「総力戦の泥仕合」に嵌っているのではないだろうか。

民進党の閣僚経験者は「共産党と組むなんて本当は論外。日米同盟自衛隊憲法への考え方が全く違う」と憤る。

 いま永田町で自分の意見を堂々と言うのは、引退を表明した議員だけという感すらある。政治家が国の将来に関わる問題で本音を語らなくてどうするのか。これでは赤ちょうちんで上司の悪口を言うサラリーマンと大差ない。

自分たち一人一人が「決して無音ではない」ということを政治家に示唆ねばならない時代になっていると思う。

政治が退化していないか《風見鶏》
2016/7/3付
日本経済新聞 朝刊
 選挙で自らの党が負ける怖さを将棋に例えるベテラン議員がいた。「チェスは持ち駒を相手に取られるだけだが、将棋は一番困るときにそれを使われる。仲間が落選すると次の選挙で敵の応援が一気に増える」




 いざ選挙になると与野党幹部の顔色が変わるのは、こうした危機意識の表れだろう。今回の参院選の街頭演説で舌鋒(ぜっぽう)の鋭さがひときわ目立つのが安倍晋三首相だ。

 「野党は対案がないから批判ばかり。一昨日も批判、昨日も批判、おそらく今日も朝早くから夜遅くまで批判ばっかりだ」

 民進党と共産党の選挙協力を野合だとやり玉に挙げ「気をつけよう、甘い言葉と民進党」と付け足すこともある。民進党の岡田克也代表が「総理大臣の言葉なのか。公党に対して失礼だ」とクギを刺しても、気にするそぶりはない。

 選挙は政治権力をめぐる戦いである。しかし今回ほど政策論争がかすみ、序盤からけんか腰の言い合いになるのも珍しい。

 最大の争点は3年半に及ぶアベノミクスが成功か失敗か。もう一つは3月に施行された安全保障関連法が合憲か違憲か。「自公」対「民共」の構図で見方が百八十度異なり、穏健な中道政治は消えたかのようだ。これでは議論がかみ合うはずがない。

 民進党の幹部は安倍政権の強権的な手法を言い立てる。「首相が争点にするのは前回の衆院選も今回の参院選も反対が少ない消費増税の延期。選挙が終わると別の本音が見えてくる」

 政府・与党は2013年夏の参院選後に特定秘密保護法、14年末の衆院選後に安保関連法を成立させた。岡田代表は「参院改憲勢力に3分の2を許せば必ず憲法改正をやってくる」と争点隠しを批判する。あながち杞憂(きゆう)とは言い切れない。

 その民進党もどの政策を旗印に有権者に支持を求めるのかが分かりにくい。旧民主党から使ってきたマニフェスト政権公約)の呼称を今回からやめ、政策の達成目標や財源を数字で示す形にはこだわらない。安倍政権のうちは環太平洋経済連携協定(TPP)も改憲論議も全部反対という空気が伝わってくる。

 本来、参院選で徹底討論すべきテーマは素通りだ。与野党とも消費増税は先送りし、社会保障の充実は急ぐという。旧民主自民公明の3党が苦労の末に合意した「社会保障と税の一体改革」は風前のともしびになっている。

 二大政党への歩みと何度かの政権交代を経て、日本の政治は果たして進歩したのか。欧米で吹き荒れるポピュリズム大衆迎合)の風が国内でも強まり始めたような嫌な予感がする。

 それにしても各党のベテラン議員はずいぶんおとなしくなったものだ。

 増税延期に反対だった自民党幹部は「物言えば唇寒しだ。増税延期が決まった日の夜はやけ酒を飲んで寝た」と語る。民進党の閣僚経験者は「共産党と組むなんて本当は論外。日米同盟や自衛隊、憲法への考え方が全く違う」と憤る。

 いま永田町で自分の意見を堂々と言うのは、引退を表明した議員だけという感すらある。政治家が国の将来に関わる問題で本音を語らなくてどうするのか。これでは赤ちょうちんで上司の悪口を言うサラリーマンと大差ない。

 各党の公約集を読んでも日本の活力をいかに取り戻し、将来不安を解消するのかは書かれていない。支持政党が決まらない人は少しでも信頼できそうな候補者を見極めるしかない。投票日まで1週間、目を凝らす時間はまだある。

編集委員 坂本英二)

きょうかんきょうかん 2016/07/06 18:14 本当にいい年の大人がまったく噛み合わない話をして怒ったりしているのをみるとゲンナリします。日本語がすでに通じていないんですよね。

toyatoya 2016/07/06 23:20 若い有権者の投票環境を整えるのも大事ですが、もっと大元を変えていかないと展望は暗いままですね。
"信頼"を見極める目はどう養えば良いのか・・・?

2016-07-05 やらされ嫌い。

[]黙って待とう。 黙って待とう。を含むブックマーク 黙って待とう。のブックマークコメント

糸井さんのブログより。
糸井さんは「小学校のプール授業」が大好きだったという。
びっくりした。
自分はかなり嫌いだった。
「皆んなで25m泳げ」とか言われると絶望感があった。
泳げなかったわけじゃなく、「ここからあそこまで石を運べ」という命令と同じように聞こえてしまったのだ。

一方。
夏休みの自由演習とか、あるいは巷の民間施設のプールでのひと時の楽しさといったら。
もう夕方のギリギリまで潜ったり飛び込んだり逆立ちしたり。

あれは何だったのだろう?

自分で遊ぶプールは天国。
泳がされるプールは地獄。
そんな偏屈子どもだった。
そんなに根性もないから、先生に反抗したりネグレクトしたりはしなかった。
けれど多分自分は徹底的に「やらされ事」が嫌いなのだ。
天邪鬼とも違う。

そんな自分を大人達は「むつかしい子」と言っていた。

自分はただ「放っておいて」欲しかったのだ。

「そのうち、何かやるから。」


人間関係に悩む若者から、時に相談をもらうけれどそう思う。
そっとしておこう。
そのうち。
そのうち、自分で何か考えて、自分から何かを始めるに違いないから。

それを嗾(けしか)ける必要はないだろう。
大人は待っていた方がいいのじゃないだろうか。

・まだ梅雨も明けてないのだけれど、
 真夏のような日がときどきあると、
 学校のプールのことを思い出す。
 どうして、あれほどプールが好きだったのだろう。
 夏の体育の授業に「水泳」があって、
 それはもちろんプールでやるわけだ。
 しかし、雨や曇りの肌寒い日には、それはしない。
 教室のなかの寒暖計が25度以上を指してないと、
 その日の授業はプールではやらない決まりだった。
 ぼくはいまでも夏の気温が25度以下だったりすると、
 「プールはなしだな」と考えてしまうことがある。
 たしかに、気温の低い日にプールで遊ぶと、
 全身が鳥肌になったり、唇が真っ青になったり、
 あきらかにこどもの健康によくなかった。
 こども自身も寒いのはいやだったのだけれど、
 それよりも水のなかでわーわー言って遊びたかったのだ。
 学校で、いちばん祭りっぽかったのは、
 プールでの授業だったのではないだろうか。

 ぼくは、日本が戦争で敗れた昭和20年から、
 3年経って生まれたこどもだった。
 小学生のときには、まだ戦争の余韻が残っていたと思う。
 ぼくの親の世代のことを、いまごろになって考えると、
 敗戦という日から十年やそこらで、
 よくあそこまで立ち直ったなぁと、ちょっと感心する。
 道路や、水道や、工場や、教科書や、
 それなりのインフラを整備していくのには、
 なかなか大変な苦労があったろうと思うのだ。
 その一部としての学校のプールを想像すると、
 「あんなによろこんで、よかったなぁ」と、
 大人になったぼくは、にまにま笑ってしまう。
 こどものためにプールは必要でしょう、と決めたもの。
 それを、あんなふうにこどもがよろこんだのだ。
 つくった大人もいいことしたね、と。
 よろこんだこどもも、大人孝行したな、と。
 
 戦後の貧しい時代の小学校のプールみたいなものって、
 いまだったら、なんなんだろうな。
 衣食足りているはずのいまの時代の、そういうもの‥‥。
 それを見つけたら、きっとおもしろいだろうなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
修学旅行なんかにも、そういう意味があったんだろうねー。

harukaharuka 2016/07/05 12:37 万能ですよね、プール。防災面でも、授業面でも。
生態系の勉強と称しての生物の授業@プールサイド
使わない時期のプールは真緑でした。

2016-07-04 宇宙のストーリー。

[]諸行無常諸行無常。を含むブックマーク 諸行無常。のブックマークコメント

アストロノーツ、山崎さんのコラム。
人の感覚ってどうしてこうダイナミックなものか、と思う。
例えば自分が友人に「そよ風の心地よさ。街灯や排気ガスさえ愛おしい」などと言ったら病院に連れて行かれるかもしれない。

けれど、宇宙にいた山崎さんが"ストーリー"を語る。
一気にリアリティが甦(よみがえ)り、心に沁みる。

(中略)
指先で壁を押せばすっと進むことも、宙返りが普通にできることも、寝袋の中でふわっと浮きながら寝ることも、日常と思えてくる。
宇宙で生活して一番意外だったことは、非日常と思っていた宇宙が、だんだんと日常になったことだった。

ストーリー(物語)の重要性をモロに感じる一文だ。

そして、地球に戻ると、今度は重力の大きさに驚く。頭に漬物石がのっているかのような重さ。紙一枚でもずっしりとくる重さ。そして、外に降り立った時のそよ風の心地よさ。草や木の香り、土の感触。何もかもが皆愛(いと)おしい。地上から離れ、無重量でかつ人工的な環境の宇宙船で過ごした後では、目の前のありきたりの景色や香りこそが、何より愛おしく感じられた。

当たり前と思っていたことは、当たり前ではない、とてもありがたい、ということを理屈抜きで感じる。忙しく過ぎていく毎日だが、この中にこそ、物事の本質や幸せが隠れていると思うと、日常の捉え方も変わってくるようだ。

何か高僧の説法を聞いているような気分がする。
(多分行くことはないけれど)もし自分が宇宙に滞在したなら、おそらく「そんな境地」に至れるのかもしれない、ということをありありと感じることができる。
疑似体験
そういえば、和尚さんの説法って昔からそういう物語性が必須だったのじゃないだろうか。
千年たっても「原則って変わらない」ということだろうか。

日常と非日常の間で 宇宙飛行士 山崎直子
2016/6/23付
日本経済新聞 夕刊
 目の前の風景が当たり前のことだと、つい思ってしまうのだが、幼児の時に感じていた、近所の裏山が全ての世界という日常と、今とでは大差がある。歳を重ね、日々の活動が変わり、家族構成が変わることで、また住む場所が変わることで、日常と思う景色は変わってくるものだ。

 私は、11年間訓練をしていたこともあり、宇宙を特殊な場所だと思っていた。確かに、重力に逆らって宇宙に出ることも、そこに住むことも多くの技術が必要であるし、宇宙に到達して体が浮いた時の感覚や、ぽっかりと真上に光る青い地球を眺めた時の感覚は、非日常の極みだったと言える。

 しかし、いつしかそれが当たり前になってきて、指先で壁を押せばすっと進むことも、宙返りが普通にできることも、寝袋の中でふわっと浮きながら寝ることも、日常と思えてくる。宇宙で生活して一番意外だったことは、非日常と思っていた宇宙が、だんだんと日常になったことだった。

 そして、地球に戻ると、今度は重力の大きさに驚く。頭に漬物石がのっているかのような重さ。紙一枚でもずっしりとくる重さ。そして、外に降り立った時のそよ風の心地よさ。草や木の香り、土の感触。何もかもが皆愛(いと)おしい。地上から離れ、無重量でかつ人工的な環境の宇宙船で過ごした後では、目の前のありきたりの景色や香りこそが、何より愛おしく感じられた。

 当たり前と思っていたことは、当たり前ではない、とてもありがたい、ということを理屈抜きで感じる。忙しく過ぎていく毎日だが、この中にこそ、物事の本質や幸せが隠れていると思うと、日常の捉え方も変わってくるようだ。

さくらいさくらい 2016/07/04 13:46 何気ない日常が宝物。
そんな心持を常に持ちたいものですが、難しいですかねぇ。

2016-07-03 DNB。”点過程”研究の時代。

暮らしを変える驚きの数理工学 (ウェッジ選書53)

暮らしを変える驚きの数理工学 (ウェッジ選書53)

[]数理工学。 数理工学。を含むブックマーク 数理工学。のブックマークコメント

よく「若い頃に戻れたら」という問いがあるけれど、もし戻れたなら「物理か生物のどちらか一テーマを究める」ということをやりたかった。
それも「今にして思うこと」だけれども。

抽象的な概念を探る純粋な数学に対して、数理工学は現実世界の諸問題の数学的な解決を目指します。

AIを始めとする脳の機能、ますます複雑系な国際経済、そして地震
一見解き明かすなんて到底不可能に見えるテーマへの挑戦。

しかも学問だけで完結せずに、一番リアルな我々の日常へと追究する。
そんな迫力のある学問に一度は身を置いてみたかった。
ので合原教授の研究は引き続き要注目だ。

脳・経済・地震 意外な共通点
日本経済新聞 

現実世界の諸問題を「数理工学」を使って解決したい
 東京大学の合原一幸教授は「数理工学」という武器を引っさげ、様々な要素が絡み合った複雑系と呼ばれる独特な学問分野に挑んでいる。

 ――数理工学とは何ですか。
 抽象的な概念を探る純粋な数学に対して、数理工学は現実世界の諸問題の数学的な解決を目指します。理論のプラットフォーム(足場)に基づいて、非常に広い応用範囲をカバーするという特徴があります。

 ――プラットフォームとはどんなものですか。
 複雑系における動的な変化の制御、要素間のネットワーク構造の最適化ビッグデータを駆使した予測という3つの基礎理論で構成しています。最適化は電力システムの安定化に大切です。ビッグデータの解析は、最近とくに注目されていますね。

 ――どんな応用が考えられますか。
 例えば多数のバイオマーカー(体内指標物質)の変化をとらえて治療に生かすことです。私はそれをDNB(動的ネットワークバイオマーカー)と名付けました。これまでDNAを通じて生命に関する基礎的な理解が進みましたが、今後はDNBも重要になるでしょう。「Aの次はB」です。

 DNBを定期的に検査しておけば、病気になる前の「未病」の状態をつかめ、超早期の効果的な治療につながることが期待されます。もっとも漢方薬研究者からは「漢方の世界では2000年前から知られていた」と言われましたが。

 ――横断的な知見もあるのですか。
 全然別の分野に見えますが、複雑系である脳と経済と地震には共通点があります。いずれも連続する時間の流れの中で、ある瞬間に事象が急に立ち上がります。これを「点過程」と言います。私たちのビッグデータ解析技術で研究しやすくなりました。

 脳の神経細胞は電気パルスを次々に点過程として生成し、情報を伝達します。為替相場などでは取引の成立が点過程に相当し、神経細胞のデータ解析手法為替の解析に使えることが分かってきました。地震のデータもやはり点過程であり、高精度の余震予測が可能になっています。

 ――今後はどんな方面に研究の方向付けをしたいですか。
 生物の仕組みをもっと理解することが大切です。脳をまねた電子回路の研究はもともと日本のお家芸でしたが、今は欧米に抜かれてしまいました。うまく集積化すると、高密度かつ圧倒的な省エネが可能です。若い人たちを「軍師」として支えながら、こうした研究に取り組みたいですね。

(池辺豊)

2016-07-02 B企業、って当たり前。

[]社会を良くする企業。 社会を良くする企業。を含むブックマーク 社会を良くする企業。のブックマークコメント

もう30年前の話。
「企業の目的は利益の最大化である」というスローガンを聞いて"えっ?"と思った。
「最大化」に引っかかったのである。
「最大でなくてもいいじゃないか」と直感的に思ったのだ。
でもこれって大学の経済原論でも一番最初に習うフレーズなのだ。

就職してからサラリーマンになっても、しばらくして会社を興してからもずっと引っかかっていた。

ちょっと逆説的に言えば「誰もこんな問題については教えてくれなかった」のだ。

「会社は社会の公器」だという。
その公器が「利益の極大化」って何かおかしくないか。

それから月日が流れ、ボランティアとか、環境配慮とか、CSRとか、いろいろと新しい造語が登場してきたけれど、根本的に「そういう視点」が足りていなかったということだと思う。

渋沢栄一が、戦後早くもその必要性を説いていた、というから「そこ」が只者ではない。
ソーシャル」とか「責任」という言葉を持ち出すまでもなく。
江戸時代から日本の「商人(あきんど)」はそういうことをしてきた、というのは色んな史実を見ても明らかだ。
ちょっと欧米化し過ぎて「ちょっと忘れていただけ」なのだと思う。

思えば利益至上主義が「ちょっとおかしな思想」だっただけのこと。
古(いにしえ)の遺産を自分たちはもっと大事にしたいと思う。

核心社会派「B企業」の逆襲
渋沢栄一に学ぶ新興国 編集委員 梶原誠
2016/6/27付日本経済新聞 朝刊

起業イノベーションの街、米シリコンバレーで青年は熱く語っていた。「考える時間を人々に作ってあげたい」。デビッド・ブルナー氏(37)は2011年、こんな理想を掲げてモジュールQを創業した。

メールや交流サイト(SNS)の発達は、人をパソコンやスマートフォンスマホ)に縛り付けた。メールの確認、取捨選択、返信……。知識労働者が取られる時間は週30時間に上るといわれ、ストレス社会問題にもなっている。

ブルナー氏は人工知能(AI)を使い、顧客が必要な情報のみに接することができるようなソフトウエアを開発している。

同氏はかつて、株式市場の求めに応じて短期的な利益を極大化する米企業に絶望していた。「人員削減で社会を傷つけてまで利益をかさ上げする米国のまねをしてはならない」。米ハーバード・ビジネス・スクールの学生だった07年には訪日し、啓蒙活動もした。

だが今は違う。同氏自身が米国で起業したように、「米国でも社会を良くする企業が評価され始めた」という。根拠は「B企業」と呼ばれる企業の急増だ。

Bはベネフィット(恩恵)などの意。B企業を名乗れば「社会に恩恵をもたらすことで成長する」と宣言するに等しい。有機野菜の生産で人々を健康にしたい企業が、株主から「無農薬化の研究費を配当に回せ」と迫られても、「うちはB企業だ」と一蹴できる。
10年以降、米国の30以上の州がB企業の法的な枠組みを整え、2000社以上が地位を得た。民間でも米NPOがB企業の認証を進めており、米国はもとより世界の2000社近くを認証した。再生素材を製品に活用している米高級アウトドア衣料メーカー、パタゴニアは一例だ。

米企業の磁場が、短期的な株主から社会へと移動している。きっかけは、08年のリーマン危機だった。

リーマン・ブラザーズなどの金融機関は目先の収益を意識するあまり、バブルの危うさを知りつつ住宅ローン証券化商品への投資をやめられなかった。その結果引き起こした危機は社会を傷つけ、人々の怒りは11年のデモ「ウォール街を占拠せよ」で爆発した。

危機は「良い企業」の定義も変えた。危機の前は高収益企業として輝いていたウォール街だが、今は世論を背景とする規制強化が収益を圧迫し、社会を敵に回した代償を払っている。存在感があるのはかつて「理想先行」と軽んじられ、文字通り「B級」扱いされていた社会派企業の方だ。

社会に役立つ経営が主流になれば、世界的な企業は新興国からも出てくるだろう。社会的な問題が多く、企業が活躍する余地が大きいからだ。経営者視線も新興国に向いている。

インドバンガロール糖尿病の治療機器を開発するジャナケアはそんな会社だ。11年、最高経営責任者(CEO)のシドハン・ジェナ氏(32)がハーバードを卒業後に米ボストンで創業し、まもなく移転した。

「インドでこそ糖尿病に取り組むべきだと思った」と同氏は振り返る。インドの成人糖尿病患者は世界2位の6900万人に達し、半数は受診すらしていない。日本の4%以下という所得の低さが原因だ。

ジャナケアは自宅で手軽に治療できる機器を開発した。血液を採取しスマホにつないでデータを送信すれば、生活習慣を改める助言が得られる。業務や部品の効率化で1回の検査費用は1ドル以下に抑えた。販売初年の今年、50万人の顧客獲得を目指す。

同社はインドに次ぐ糖尿病大国で、医療費の高騰が社会問題化している米国に逆上陸する計画も進めている。「厳しいインドで成功すればどこでも通用する」とはジェナ氏の読みだ。

成長すれば株主も報いられる。潜在力をかぎ取った米国とカナダ投資家は昨年、合計400万ドルを出資した。マネーを引き付けたのは四半期決算ではなく「社会」の看板だった。

そんな新興国が、日本の企業風土に学ぼうとしていることは注目に値する。社会と共存する経営は、確かに日本企業の伝統技だ。

5月、東京で興味深い学会が開かれた。日本とトルコ経営学者が、渋沢栄一(1840〜1931)の理念をトルコ企業にどう応用できるか討論した。

渋沢の発想はB企業と重なる。明治以降、500以上の会社を創設した渋沢には「社会あっての会社」という信念があった。その渋沢が今「新興国の関心を集めている」。学会を運営した文京学院大学の島田昌和教授(55)は証言する。

政府との蜜月で成長した新興国の家族事業も、株式市場を舞台とする経営に変わる。そこにはリーマン危機を迎えたウォール街のように暴走の芽がある。
だからこそ、社会の歯止めを持つ渋沢に経営のヒントがあると新興国は期待する。8月、世界の経営史学者を集めてノルウェーで開く会合でも渋沢経営の新興国への応用を取り上げる。
 英国欧州連合(EU)からの離脱を決め、世界経済が一気に不透明になった。戦略の練り直しを迫られる世界の企業も多い。
 もちろん、その中にはB企業もいる。どんな決断をするにせよ、経営者は「社会」を軸に据えなければならない。リーマン危機以来とされる衝撃は、B企業の底力を初めて問う。

harukaharuka 2016/07/02 05:05 時に初心を疑い、また忘れるべからず。
3歩進んで一回立ち止まる余裕を持ちたいですね。

2016-07-01 自動車の普及の謎。

[]禁止と普及のはざまって何? 禁止と普及のはざまって何?を含むブックマーク 禁止と普及のはざまって何?のブックマークコメント

f:id:why-newton:20160701001908j:image
自動運転車の普及と許可の問題。さらに
最近自動車メーカーの不正事件が連続的に起きているけれど、報道を聞くたびに「自動車そのものはどうなのよ」と必ず思う。
最初は低速で、事故もなかったのだろうが日本だけでも毎年六十万件も交通事故が起きている。
意図せぬ暴走で悲惨な事件はごく最近でも後を絶たない。

もし最初から時速200キロもスピードが出ていれば「免許を与えて街中を走らせるなんてとんでもない」という話になったのじゃないだろうか。

もしも大学で研究者をしていたら挑戦してみたいテーマだ。
今の世界中の移動事情の中で、今さら「自動車廃止」とは言えないという「経済的な理由」が全てなのだろうか。
不思議ふしぎ。
乗り物の中では航空機が一番安全なものらしいが、電車とか公共バスとかに比べて事故の起きる頻度は尋常ではない。

保険があるから、とかお金でカバーできるから、という理由で普及しているのならどうも妙な感じが拭えない。

「完全に安全な製品」というのはないのかもしれないが、突然「自動車を発売します」と言ったら「危険だから禁止する」という人が必ずいるだろう。今話題のライドシェアだって、民泊だって「100%安全なもの」はない。
どこからが普及のポイントなのか、一考の価値がありそうだ。

toyatoya 2016/07/01 01:54 つまるところ便利で楽な方へ我々が行ってしまう、欲が抑えられないんでしょうねー
そしていつの間にか、なくてはならないもののようになってしまう。

なでしこなでしこ 2016/07/01 16:40 面白いタイトルですね。やっぱり経済原理なのかなあと思いますが、それにしても確かに危ないですよね。今更人力には戻れないってことでしょうか?
ちょっと考えさせられました。

2016-06-29 一万時間の天才。(2)

[]練習の秘密。目標方式。 練習の秘密。目標方式。を含むブックマーク 練習の秘密。目標方式。のブックマークコメント

GIGAZINEより。

自分でもよく思うのだが「さあ練習しよう」とか「さあ勉強しよう」という時にはゴールってないことが多い。
漫然と新刊本を読んだり、専門書を精読したりしているのって実はとても勿体ないことかもしれない。
読み終わって「あれ、何が残ったっけ?」というのは自分にはよくあることだ。

挑む対象が全く未知のテーマなら、「まずは全体の輪郭をいかに早く掴むか」を最初の目標に置いて臨むべきだろう。
逆に、すでにやり慣れている練習なら、今日はこのテーマについて掘り下げよう、とか音楽なら「このパッセージは克服しよう」とかいうテーマを自分で設定するのと「ダラダラと積み上げ練習をしているつもり」では成果は全然違ってくる可能性がある。

恋愛はともかく。
仕事も「終わりの設定が重要だ」とよく言われる。

ただお客に言われた製品を作るとか、受けそうな製品を販売するというのじゃなく「何を目指すのか」を考えてから行動することは、なかなかに難しいけれどその後に関わってくると思う。

さらに練習は「できることの反復」と「できないことへの挑戦」をどんな割合でやっているかも重要だという。

エリートスケーターはスケーター全体の平均よりも長く未習得のジャンプやスピンの練習を行っていることが明らかになりました。対照的に、平均的なスケーターはすでに習得したスキルの練習に多くの時間を費やす、とのことです。

「今できないことに最大の力点を置く。」
できないことにばかり挑戦しているのは一見、辛いようだがそれこそが自分の積み上げになるということらしい。

色んなことの「練習の仕方」がなんだか変わりそうな気がする。
さて今日の目標は何にしようか。

2016年06月16日 09時00分00秒
あらゆる物事に応用可能な、特定の分野で一流のスキルを身につけるための方法


By Joint Hometown News Service

1万時間の真摯な練習によって誰でも一流のスキルを身につけられるというのが、「1万時間の法則」です。これは、マルコム・グラッドウェル氏の著書である「天才!成功する人々の法則」の中で定義された法則で、熟達に関する研究の第一人者である心理学者のアンダース・エリクソン氏の研究をもとに考案されたものなのですが、そのエリクソン氏本人が「少し誤認されている部分がある」と、一流のスキルを身につけるために本当に必要なことについて解説しています。

Anders Ericsson: How to become an expert at anything - Business Insider
http://www.businessinsider.com/anders-ericsson-how-to-become-an-expert-at-anything-2016-6


エリクソン氏は10代のころ、クラスメイトとチェスをして遊ぶことが多かったそうです。当時、対決相手の中に1人、エリクソン氏より明らかに腕前の劣る同級生がいました。ところがある日、エリクソン氏はこの同級生に敗北してしまいます。この時、エリクソン氏は負けた悔しさではなく、「クラスメイトは何を実行してこれほどまでに劇的にチェスの腕前を上達させたのか知りたい」と感じたそうです。

結局、「彼はなぜ劇的にチェスがうまくなったのか?」の答えはわからず、エリクソン氏はチェスで負け続けたそうですが、その中で、自分自身が「チェスをうまくなりたい」と感じておらず、「人間はどうやって一流のスキルを身につけていくのか?」ということに興味を抱いていることに気づきます。以後、エリクソン氏は人間の熟達度に関する研究に携わっていくこととなり、現在はフロリダ州立大学の心理学の教授として研究を進めています。

By Ruocaled

そのエリクソン氏の研究によれば、多くの人々がプロのバイオリニストオリンピックに出場するレベルのアスリート、世界でもトップクラスの選手になれないのは、単に「真摯な練習」が足りないため。現状の能力を超えるスキルを身につけるために必要とされる「真摯な練習」は、既に習得したと満足してしまったスキルを繰り返し練習するだけでは意味がなく、「明確な目標」と「目標を達成するために教師となってくれる存在」が必要になるとのこと。この「教師」というのは、自身の練習に対するフィードバックをくれる存在のことを指しており、それにより自身のパフォーマンスを少しずつ微調整しながら改善していくことにつながるそうです。

エリクソン氏の研究は、プロの物書きやアスリートなど異なる分野で一流と呼ばれる人々は、例外なく「真摯な練習」に取り組んできたと規定しています。そして、この「真摯な練習」をわかりやすく、「1万時間の法則」としたのが、マルコム・グラッドウェル氏の著書である「天才!成功する人々の法則」です。この著書の登場で、「1万時間の法則」と共にエリクソン氏の「真摯な練習」という考え方は広く知られるようになりました。なお、グラッドウェル氏の「1万時間の法則」を端的に説明すると、「1万時間の練習に取り組めば、一流のスキルを身につけられる」というものです。

天才! 成功する人々の法則 | マルコム・グラッドウェル, 勝間 和代 | 本 | Amazon.co.jp


しかし、グラッドウェル氏が「天才!成功する人々の法則」の中で行った「1万時間の法則」についての説明は誤っており、ただ単に1万時間同じ動作を繰り返すだけでは、一流のスキルを身につけることはできない、とエリクソン氏は語ります。

グラッドウェル氏は、1993年にエリクソン氏が同僚と共同で執筆した論文を基に著書の結論を出したのでは、とエリクソン氏。1993年の論文では、ドイツのバイオリニスト40人を対象とした調査が行われており、「トップレベルの音楽家とそうでない音楽家との違いを生み出す要素は何か」にフォーカスした調査が行われたそうです。調査では、対象となったバイオリニストたちが普段の私生活をどのように送っているかが調べられ、バイオリニストの中でもトップレベルに分類される人々は、生活の中で特に多くの練習時間を割いていることが明らかになっています。エリクソン氏たち研究チームはピアニストに対しても同様の調査を行ったそうですが、調査の結果は同じく「レベルの高い音楽家ほど多くの練習を行っている」というものだったそうです。そして、優れたバイオリニストたちの練習時間を平均すると、20歳までに合計1万時間練習を行っていたとのことで、ここからグラッドウェル氏は一流のスキルが磨かれるには「1万時間の練習が必要」と定義したのでは、とエリクソン氏。

しかし、より多くの練習時間を費やしてきた人や、より少ない練習時間で一流のスキルを身につける人もいます。エリクソン氏が過去30年間の調査結果から導き出した答えは、あらゆる分野において「真摯な練習」がハイレベルなパフォーマンスを引き出す鍵になる、というもの。この考えは、エリクソン氏の著書である「Peak: Secrets from the New Science of Expertise」の中で語られています。

Amazon.com: Peak: Secrets from the New Science of Expertise eBook: Anders Ericsson, Robert Pool: Kindle Store


エリクソン氏は一流のスキルを身につけるのに絶対的に必要なものは「練習のみ」と考えており、高い認識能力や身体能力といった「遺伝的要素」が一流のスキルを身につけるために重要な要素になるかどうかについては懐疑的です。身体のサイズなどの遺伝的特性は練習によって変更することができない要素であり、パフォーマンス自体に大きく影響を及ぼすことはできない、としています。エリクソン氏いわく、知能ですら一流のパフォーマンスとは直接的に関わっていない、とのことです。

「Peak」の中では、イギリスの研究が「子どもIQから、チェスのうまさを予測することができる」ことを発見したことを取り上げています。しかし、子どものエリートチェスプレイヤーに限って言えば、IQの高さが粗悪なスキルと結びついていたそうです。一方、高いIQはチェスにおける基本的なスキルを習得することに役立つことも明らかになっており、最終的にはチェスにおいてIQが一流のスキルを身につけるために必要な要素とはならなかった、とのことです。ただし、一流のスキルを習得するには、当然のごとく真摯な練習に取り組むことは必須の要素だった模様。

このように、エリクソン氏はこれまでの30年間で、子どもが一流のスキルを身につける際に、それを抑制してしまう要素が何かないか調査を進めてきたそうですが、「驚くべきことに、私はまだそういった要素に巡り会っていません」と語っており、身体能力やIQの高さは一流のスキルを身につけるために絶対に必要なものではない、としています。

By Sara Ristić

しかし、エリクソン氏の「真摯な練習」に関する研究が本当に正しいものかどうかを調査する動きが、近年増加しています。2016年5月には、エリクソン氏の「真摯な練習」は熟達したアスリートとそうでないアスリートの違いを説明可能ではあるものの、全てについて説明できるわけではないという研究結果が発表されています。つまり、一流のスキルを身につけるためには真摯な練習が必要ではあるものの、ほかの要素がどの程度重要であり、どのような役割を果たしているかはわからない、と主張したわけです。

エリクソン氏はこれに対して、真摯な練習と普通の練習を混同している、と主張。エリクソン氏は、パフォーマンスを改善するため教師から割り当てられた練習を行っていない限り、真摯な練習に取り組んでいるとは言えない、としています。また、エリクソン氏はほとんどの練習はパフォーマンスの改善に結びつかない「普通の練習」に分類される、とも語っています。

By nosha

また、エリクソン氏は「練習を通して目標のスキルを身につけるにはには多くの失敗が必要となります」と語っています。フィギュアスケーターの練習時間に関する調査結果では、エリートスケーターはスケーター全体の平均よりも長く未習得のジャンプやスピンの練習を行っていることが明らかになりました。対照的に、平均的なスケーターはすでに習得したスキルの練習に多くの時間を費やす、とのことです。

ワカコワカコ 2016/06/29 04:05 それにしても奥深いですね。

2016-06-28 一万時間の天才。(1)

[]天才の所以。 天才の所以。を含むブックマーク 天才の所以。のブックマークコメント

GIGAZINEより。

プロに匹敵する一流のスキルは「一万時間の真摯な練習によって」誰にでも身につけられる。
(心理学者のアンダース・エリクソン氏の研究より)

研究が注目された当時は「ともかく一万時間」と数字が一人歩きしていたかもしれない。
そういった著書もあったと思う。
ご当人が細く解説している部分が重要だ。ちょっと長いが引用する。

多くの人々がプロのバイオリニストオリンピックに出場するレベルのアスリート、世界でもトップクラスの選手になれないのは、単に「真摯な練習」が足りないため。現状の能力を超えるスキルを身につけるために必要とされる「真摯な練習」は、既に習得したと満足してしまったスキルを繰り返し練習するだけでは意味がなく、「明確な目標」と「目標を達成するために教師となってくれる存在」が必要になるとのこと。この「教師」というのは、自身の練習に対するフィードバックをくれる存在のことを指しており、それにより自身のパフォーマンスを少しずつ微調整しながら改善していくことにつながるそうです。

ともかく一万時間ではなく。
毎日八時間を365日やっても丸三年半。
1日当たり五時間なら五年半。
「繰り返し練習よりは"目標を持った練習"を。
これって実はものすごく重要なことなんじゃないか。(汗)
(つづく)

2016年06月16日 09時00分00秒
あらゆる物事に応用可能な、特定の分野で一流のスキルを身につけるための方法


By Joint Hometown News Service

1万時間の真摯な練習によって誰でも一流のスキルを身につけられるというのが、「1万時間の法則」です。これは、マルコム・グラッドウェル氏の著書である「天才!成功する人々の法則」の中で定義された法則で、熟達に関する研究の第一人者である心理学者のアンダース・エリクソン氏の研究をもとに考案されたものなのですが、そのエリクソン氏本人が「少し誤認されている部分がある」と、一流のスキルを身につけるために本当に必要なことについて解説しています。

Anders Ericsson: How to become an expert at anything - Business Insider
http://www.businessinsider.com/anders-ericsson-how-to-become-an-expert-at-anything-2016-6


エリクソン氏は10代のころ、クラスメイトとチェスをして遊ぶことが多かったそうです。当時、対決相手の中に1人、エリクソン氏より明らかに腕前の劣る同級生がいました。ところがある日、エリクソン氏はこの同級生に敗北してしまいます。この時、エリクソン氏は負けた悔しさではなく、「クラスメイトは何を実行してこれほどまでに劇的にチェスの腕前を上達させたのか知りたい」と感じたそうです。

結局、「彼はなぜ劇的にチェスがうまくなったのか?」の答えはわからず、エリクソン氏はチェスで負け続けたそうですが、その中で、自分自身が「チェスをうまくなりたい」と感じておらず、「人間はどうやって一流のスキルを身につけていくのか?」ということに興味を抱いていることに気づきます。以後、エリクソン氏は人間の熟達度に関する研究に携わっていくこととなり、現在はフロリダ州立大学の心理学の教授として研究を進めています。

By Ruocaled

そのエリクソン氏の研究によれば、多くの人々がプロのバイオリニストやオリンピックに出場するレベルのアスリート、世界でもトップクラスの選手になれないのは、単に「真摯な練習」が足りないため。現状の能力を超えるスキルを身につけるために必要とされる「真摯な練習」は、既に習得したと満足してしまったスキルを繰り返し練習するだけでは意味がなく、「明確な目標」と「目標を達成するために教師となってくれる存在」が必要になるとのこと。この「教師」というのは、自身の練習に対するフィードバックをくれる存在のことを指しており、それにより自身のパフォーマンスを少しずつ微調整しながら改善していくことにつながるそうです。

エリクソン氏の研究は、プロの物書きやアスリートなど異なる分野で一流と呼ばれる人々は、例外なく「真摯な練習」に取り組んできたと規定しています。そして、この「真摯な練習」をわかりやすく、「1万時間の法則」としたのが、マルコム・グラッドウェル氏の著書である「天才!成功する人々の法則」です。この著書の登場で、「1万時間の法則」と共にエリクソン氏の「真摯な練習」という考え方は広く知られるようになりました。なお、グラッドウェル氏の「1万時間の法則」を端的に説明すると、「1万時間の練習に取り組めば、一流のスキルを身につけられる」というものです。

天才! 成功する人々の法則 | マルコム・グラッドウェル, 勝間 和代 | 本 | Amazon.co.jp


しかし、グラッドウェル氏が「天才!成功する人々の法則」の中で行った「1万時間の法則」についての説明は誤っており、ただ単に1万時間同じ動作を繰り返すだけでは、一流のスキルを身につけることはできない、とエリクソン氏は語ります。

グラッドウェル氏は、1993年にエリクソン氏が同僚と共同で執筆した論文を基に著書の結論を出したのでは、とエリクソン氏。1993年の論文では、ドイツのバイオリニスト40人を対象とした調査が行われており、「トップレベルの音楽家とそうでない音楽家との違いを生み出す要素は何か」にフォーカスした調査が行われたそうです。調査では、対象となったバイオリニストたちが普段の私生活をどのように送っているかが調べられ、バイオリニストの中でもトップレベルに分類される人々は、生活の中で特に多くの練習時間を割いていることが明らかになっています。エリクソン氏たち研究チームはピアニストに対しても同様の調査を行ったそうですが、調査の結果は同じく「レベルの高い音楽家ほど多くの練習を行っている」というものだったそうです。そして、優れたバイオリニストたちの練習時間を平均すると、20歳までに合計1万時間練習を行っていたとのことで、ここからグラッドウェル氏は一流のスキルが磨かれるには「1万時間の練習が必要」と定義したのでは、とエリクソン氏。

しかし、より多くの練習時間を費やしてきた人や、より少ない練習時間で一流のスキルを身につける人もいます。エリクソン氏が過去30年間の調査結果から導き出した答えは、あらゆる分野において「真摯な練習」がハイレベルなパフォーマンスを引き出す鍵になる、というもの。この考えは、エリクソン氏の著書である「Peak: Secrets from the New Science of Expertise」の中で語られています。

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エリクソン氏は一流のスキルを身につけるのに絶対的に必要なものは「練習のみ」と考えており、高い認識能力や身体能力といった「遺伝的要素」が一流のスキルを身につけるために重要な要素になるかどうかについては懐疑的です。身体のサイズなどの遺伝的特性は練習によって変更することができない要素であり、パフォーマンス自体に大きく影響を及ぼすことはできない、としています。エリクソン氏いわく、知能ですら一流のパフォーマンスとは直接的に関わっていない、とのことです。

「Peak」の中では、イギリスの研究が「子どもIQから、チェスのうまさを予測することができる」ことを発見したことを取り上げています。しかし、子どものエリートチェスプレイヤーに限って言えば、IQの高さが粗悪なスキルと結びついていたそうです。一方、高いIQはチェスにおける基本的なスキルを習得することに役立つことも明らかになっており、最終的にはチェスにおいてIQが一流のスキルを身につけるために必要な要素とはならなかった、とのことです。ただし、一流のスキルを習得するには、当然のごとく真摯な練習に取り組むことは必須の要素だった模様。

このように、エリクソン氏はこれまでの30年間で、子どもが一流のスキルを身につける際に、それを抑制してしまう要素が何かないか調査を進めてきたそうですが、「驚くべきことに、私はまだそういった要素に巡り会っていません」と語っており、身体能力やIQの高さは一流のスキルを身につけるために絶対に必要なものではない、としています。

By Sara Ristić

しかし、エリクソン氏の「真摯な練習」に関する研究が本当に正しいものかどうかを調査する動きが、近年増加しています。2016年5月には、エリクソン氏の「真摯な練習」は熟達したアスリートとそうでないアスリートの違いを説明可能ではあるものの、全てについて説明できるわけではないという研究結果が発表されています。つまり、一流のスキルを身につけるためには真摯な練習が必要ではあるものの、ほかの要素がどの程度重要であり、どのような役割を果たしているかはわからない、と主張したわけです。

エリクソン氏はこれに対して、真摯な練習と普通の練習を混同している、と主張。エリクソン氏は、パフォーマンスを改善するため教師から割り当てられた練習を行っていない限り、真摯な練習に取り組んでいるとは言えない、としています。また、エリクソン氏はほとんどの練習はパフォーマンスの改善に結びつかない「普通の練習」に分類される、とも語っています。

By nosha

また、エリクソン氏は「練習を通して目標のスキルを身につけるにはには多くの失敗が必要となります」と語っています。フィギュアスケーターの練習時間に関する調査結果では、エリートスケーターはスケーター全体の平均よりも長く未習得のジャンプやスピンの練習を行っていることが明らかになりました。対照的に、平均的なスケーターはすでに習得したスキルの練習に多くの時間を費やす、とのことです。

さくらいさくらい 2016/06/28 01:32 ダルビッシュ有「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ」という言葉を思い出す。
何か通ずるものがある気がします。

2016-06-27 7500世代。

[]5分でわかる自分たち。 5分でわかる自分たち。を含むブックマーク 5分でわかる自分たち。のブックマークコメント

GIGAZINEより。
D

「人がこの数百万年の生物の中でどんな存在か?」という話題はしばしば比喩され、とても面白い。

こういう話を筋立てて、しかも映像でシナリオを作成する人って、実にクリエイティヴだと思うがこれもその一つ。

東京タワーの根もとを「生命の発生時」にして、今の人間は、頭のてっぺんに置いた「切手の厚さでしかない」と聞かされるとその相対感が際立つ。

この動画では「農業を覚えた人類の変化」とか「インターネットは過去の7500世代の中の一番新しい一世代での出来事」であり、それも人類が誕生してからの「7万年の0.001%」の今の時代が、地球環境を「最大に変えている」という話も感心する。

ともかく文明の進化で「いかに特異な点に自分たちはいるのか」ということを知るにはいい題材だ。
だからこんな0.001%の毎年は「ほんの点みたいな存在」だけれど、その「ほんの点」のうちに何かどえらい変化が起こったりするかもしれない。
というようなことを想像できる。

さらに、だからこそ「たった50年とか100年先がどんな風になっているか?」ということを予想するのは、今が一番難しい。

今が白亜紀なら、数千年先のこともそんなに変わりがなかっただろうけれど。
こんな変化がこれからますます指数的に急激になったらどうなるのか。
どうもAIだけの話じゃなさそうである。

soisoi 2016/06/27 23:34 毎日話題が豊富で楽しみにしています。たまに見忘れても全部過去記事が残っているのもいいですね。一番最初からちょこちょこ見たりしています。