藤野の散文-南風、虹、雲海 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-08-23 AI考。(2)

[]本筋の政策。 本筋の政策。を含むブックマーク 本筋の政策。のブックマークコメント

日経AIは何をもたらすか(下)」より。

AIの話はとかく「バラ色」の楽観論と「失業してAIが主導権を握る」悲観論が極端だ。

それぞれに主張はあると思うが、前提を整理して議論する必要はあるようだ。

汎用AIは研究開発の途上にあり、この世にまだ存在しない。
汎用AIの研究開発をリードする日本の非営利組織「全脳アーキテクチャイニシアティブ」は、2030年には実現のめどが立つという展望を示している。汎用AIが実社会に導入されるようになれば、経済に対するインパクトは計り知れないものとなる。人間の労働の大部分が汎用AIに置き換えられるからだ。

自分たちが本当に恐れているのは、記事にもあるように「アルファ碁自動運転」ではなく「汎用AI」の話だろう。
前回の記事にもあったが、これから「大分岐」と言われる産業革命以降の格差を、再び経験することになるならば、今の政治のような議論ではなく、「人と労働」とか「所得と分配」について新しい視点で考えねばならないと思う。

筆者の井上さんは、仕事がなくなった人にはBI(ベーシックインカム:毎年一定の金銭を全員に配る)が必要だという。

「BIの財源をどうするのか」という問いかけは、そもそも問いの立て方が間違っている。財源は常識的に考えれば増税以外にない。結局のところBIを導入できるか否かは、富裕層が増税に応じるかどうかにかかっている。

結局「そうした再分配が最適解の一つである」ということを、富裕層・既得権益層におもねらずにどう説明できるか。
学会マスメディアも、キョロキョロしてはいられなくなりそうだ。


AIは何をもたらすか(下)「汎用型」実現で成長加速へ 最低所得保障通じ再分配 井上智洋・駒沢大学准教授

 人工知能(AI)が未来の経済に与える影響について、近年活発に議論されるようになった。AIの議論の際には「特化型AI」と「汎用AI」に分けて考える必要がある。

 特化型AIは一つのタスク業務)しかこなせない。Siri(シリ)のような音声操作アプリ囲碁AIのアルファ碁など既存のAIはすべて特化型だ。一方、汎用AIは人間のようにあらゆるタスクをこなせる。一つのAIが囲碁をしたり、会話をしたり、事務作業をしたりする。汎用AIは研究開発の途上にあり、この世にまだ存在しない。

 汎用AIの研究開発をリードする日本の非営利組織「全脳アーキテクチャ・イニシアティブ」は、2030年には実現のめどが立つという展望を示している。汎用AIが実社会に導入されるようになれば、経済に対するインパクトは計り知れないものとなる。人間の労働の大部分が汎用AIに置き換えられるからだ。

 特化型AIは特定の職業やタスクを代替するにすぎず、質的にはこれまでの機械と変わりがない。だが汎用AIは人間の従事する多くの職業にとって代われる。汎用AIにかかるコストが人間の賃金を下回れば、実際に汎用AIや汎用ロボットが人間の代わりに雇用されることになる。

 そうなると、経済の基本的な生産構造が根本的に覆される。生産構造とは、生産活動に必要なインプット(投入要素)と、それにより生み出されるアウトプット(産出物)との基本的な関係である。

 約1万年前から始まった「定住革命」は、狩猟・採集から農業中心の経済への転換をもたらした。主なインプットは土地と労働、アウトプットは農作物となった。

 次に18世紀後半に起きた最初の産業革命により、英国をはじめとする欧米諸国は工業中心の経済に転換した。主なインプットは機械(資本)と労働、アウトプットは工業製品となった。筆者はこうした経済を「機械化経済」と呼んでいる。いわゆる産業資本主義のことだ。

 機械化経済に転換した欧米諸国は、1人あたり国民所得が年々増大するような上昇路線に乗り、日本を除くアジアアフリカ諸国は、国民所得がむしろ低下するような停滞路線に陥った。諸国間の経済的な大きな開きは、経済史の分野で「大分岐」といわれる。

 機械化経済は、キャッチアップの過程では日本の高度経済成長期のように10%を超える高い成長率を実現するが、先進国に追いつき成熟を迎えると2%程度の低い成長率しか得られなくなる。このままでは、日本で再び高度経済成長期のような高い成長率が実現することはない。

 だが汎用AIの出現は、成熟した国々の経済成長に関する閉塞状態を打ち破る可能性がある。汎用AIを含む機械のみが直接的な生産活動を担うようになれば、インプットは機械のみとなり、人間の労働は必要なくなる。そうした経済を筆者は「純粋機械化経済」と呼んでいる。

 この経済でも、新しい商品の企画・開発や生産活動全体のマネジメントなど、間接的には人間も生産活動に関わり続けるだろうが、以下の結果に変わりはない。純粋機械化経済について数理モデルを作って分析すると、成長率自体が年々上昇するという結果が得られる。成熟した機械化経済では、年々ほぼ一定率で1人あたり所得が成長していくが、純粋機械化経済では成長率自体が年々成長していく。

 従ってもし汎用AIを導入し生産の高度なオートメーション化を進める国とそうでない国があれば、図のように成長率に大きな開きが生じる。未来に起きる可能性のあるこの分岐を、筆者は「第2の大分岐」と名付けている。

 ただし、図の上昇路線については供給側の要因しか考えていない。純粋機械化経済であっても、需要制約により成長が伸び悩むどころか、経済全体がシュリンク(縮小)する可能性がある。というのも、汎用AIなどの機械のみが働く無人工場を所有する資本家が高い収益を得る一方、多くの労働者が失業して所得を得られなくなるために消費需要が減少するからだ。

 それを回避するには「ベーシックインカム(基本所得、BI)」のような大規模な再分配制度が必要だ。生活に最低限必要な所得を国民全員に保障する制度である。例えば毎月7万円といった一定額のお金を国民全員に給付する。

 BIは夢物語ではなく、既にいくつかの欧米諸国で地域を限定した実験が実施されている。フィンランドでは政権与党が導入を目指しており、試験段階にある現在の給付額は約7万円である。

 日本で毎月7万円を国民全員に給付するには、それにより不要となる生活保護や失業手当などの社会保障費を削減するとともに、所得税率を一律25%程度引き上げなければならない。これは平均的な国民にとってはほとんど負担にならない。国民の負担を考える際には、単なる増税額でなく、給付額と増税額の差し引きに注目すべきだからだ。

 おおざっぱに言うと、中間所得層では差し引きはおよそゼロとなる。貧困層では給付額の方が多く、富裕層では増税額の方が多くなる。BIは他の一般的な社会保障制度と同様に、富裕層から貧困層への所得の再分配をもたらす。

 「BIの財源をどうするのか」という問いかけは、そもそも問いの立て方が間違っている。財源は常識的に考えれば増税以外にない。結局のところBIを導入できるか否かは、富裕層が増税に応じるかどうかにかかっている。

 BIは労働に対するインセンティブ(誘因)が失われにくいという点で、生活保護や失業保険といった既存の社会保障制度よりも優れている。従ってできる限り早く導入されるべきだが、純粋機械化経済が実現した後ではこの制度は単に望ましいだけでなく、必要不可欠なものとなる。多くの労働者がBIなしに生活を維持できなくなるからだ。

 こう主張しても、富裕層の増税に対する理解は得られないかもしれない。それでもAIが高度に発達した未来に大規模な再分配がなされなければ、富裕層の所得も減少するということならば、ある程度納得せざるを得ないだろう。

 加えて、純粋機械化経済ではBIの実施は一層容易になる。こうした経済に至ると年々成長率が上昇していくような爆発的な経済成長がもたらされるので、得られる税金も爆発的に増えていくからだ。

 税額の増大に合わせて給付額を増やすこともできる。未来には月7万円のような最低限の給付額にとどめておく必要はない。もし所得の一定率、例えば25%をBIに充てるというルールを採用した場合、経済成長率と同じような率でBI給付額は増大していく。

 過度のインフレに陥らないように気を付けなければならないが、こうしたルールに基づいて給付額を増やしていくことはおそらく可能だろう。こうしてBIを拡充させることにより、AIの発達により訪れる途方もなく実り豊かな経済の恩恵を、一部の人々ではなくすべての人々が享受できるようになるはずだ。

 もしBIのような社会保障制度がなければ、多くの人々にとって未来の経済は、雇用も所得も得られない暗たんたるものとなる。BIなきAIはディストピア(反理想郷)をもたらしかねない。しかしBIのあるAIはユートピアをもたらすだろう。

○30年には汎用AI実現し労働の大半代替
○純粋機械化経済では成長率が年々高まる
○ベーシックインカムなきAIは悲劇招く

 いのうえ・ともひろ 75年生まれ。早稲田大博士(経済学)。専門はマクロ経済学

2017-08-22 AI考。(1)

[]目を持つ機械の時代。 目を持つ機械の時代。を含むブックマーク 目を持つ機械の時代。のブックマークコメント

日経AIは何をもたらすか(上)」より。
((下)の記事はAIを「汎用と専用」に分けていて、これも面白い。)

(現存するすべての生物の大分類が出そろった、ということの)
原因については諸説あるが、古生物学者のアンドリュー・パーカー氏が提唱したのが、眼の誕生が原因とする「光スイッチ説」だ。

「つまり眼の誕生により生物の生存戦略が多様化し、多くの種類に分かれた」という。
なるほどー。
何でもセンサーの昨今だが、目とか画像とかの役割はさらに凄いらしい。
機械が生命を持って動き回る、という風にはならないだろうが、少なくとも「正確な人真似」はできそうである。

ディープラーニングはここ数十年の研究の蓄積を事実上帳消しにした。
細かい理論を抜きに、入力と出力をつなげ、多くのデータで学習すれば精度が上がるという破壊的なイノベーションをもたらした。

確かに「目を得た機械」がばくばくと画像を取り込み、凄い速度で処理して行けば、その分野では達人のようになるようすは想像に難くない。
筆者の松尾さんは、「日本の経営層がそういうことを分かっていないこと」と
ゆえに人材育成が追いついていないことに警鐘を鳴らす。

自分たちも「目を持つ機械」の跋扈する世界をもう少しリアルに想像しながら今後の仕事のことなどを考えねばならないな、という気にさせられた。
(つづく)

AIは何をもたらすか(上)「眼の誕生」、産業構造を一変 ものづくり資産生かせ 松尾豊・東京大学特任准教授
 5億4200万〜5億3000万年前、地球の46億年の歴史からみると極めて短い間(カンブリア紀)に、現存するすべての生物の大分類が出そろった。原因については諸説あるが、古生物学者のアンドリュー・パーカー氏が提唱したのが、眼の誕生が原因とする「光スイッチ説」だ。

 それまでの生物には高度な眼がなく、ぶつかると食べる、ぶつかられると逃げるというように、緩慢な動作をするしかなかった。しかし眼ができると捕食の確率が大きく上がる一方、逃げる側も見つかったら早く逃げる、見つからないように隠れる、擬態するなど様々な戦略が生まれた。つまり眼の誕生により生物の生存戦略が多様化し、多くの種類に分かれたというのだ。

 人工知能(AI)の分野ではディープラーニング(深層学習)という技術により、ここ数年、画像認識の精度が急激に上がった。換言すればコンピューターに眼ができたということだ。今後、機械やロボットの世界で「カンブリア爆発」が起きる。眼をもつ機械・ロボットは圧倒的に高性能で多種にわたる(表参照)。

 カメラに内蔵されるイメージセンサーは人間の網膜にあたる。人間は網膜で受けた信号を、脳の後部にある視覚野で処理をすることで見えている。ディープラーニングは視覚野の部分の処理にあたると考えてよい。イメージセンサーとディープラーニングが組み合わさり、ようやく機械の眼が見えるようになった。

 眼のもたらす情報量は圧倒的だ。眼をもつ機械・ロボットは今後、新たなカテゴリーの産業として社会の中で使われるはずだ。既に機械化されているタスク業務)の少なくとも数倍以上が自動化・機械化される。その市場規模は、今の機械・ロボット市場の比ではないほど巨大だろう。

 眼をもつ機械の誕生は、ディープラーニングとものづくりの融合による大きな産業の変化をもたらす。その中で世界的なキープレーヤーに名乗りを上げるのはネット界の巨人ではなく、機械やロボットを扱うメーカー、農業や建設、外食産業の企業だと筆者は考える。インターネットのイノベーション(技術革新)が米シリコンバレー向きだったのと比べると、機械やロボットが活躍する今回のイノベーションは、はるかに日本企業向きであることは間違いない。

 米国カナダ英国そして中国のAI、特にディープラーニングの分野での技術革新のスピードはすさまじい。中国はもはやAI先進国だ。ものづくりの融合領域でも中国とドイツの連携は脅威だ。このままでは日本向きの大きなチャンスを逃しかねない。日本は正しく早く動かねばならない。筆者はもう3年もこのことを指摘しているが、その焦りは日に日に増している。

 AIを活用する事業では、技術への再投資の仕組みをいかにつくるかが重要だ。米グーグルや米フェイスブックは巨大なデータをもち、多くの実験をすることで検索精度を向上させられる。その結果、ユーザー増→データ増→収益増→実験増の循環に入る。いったんこの構造ができると、誰も太刀打ちできなくなる。

 技術から収益を生み、それを技術に再投資するサイクルをつくらなければ、この競争には勝てない。AIの技術が独占的になりやすいのは、着想から実装、実験までの期間が驚くほど短いからだ。場合によっては数日から数時間単位で、実験を繰り返せる。

 AIの産業では、再投資の仕組みを最初につくったプレーヤーが瞬時に参入障壁を築き、独占的なポジションを得やすい。医療画像を扱う医療機器や産業用ロボットの世界では既にこうした動きが始まっている。眼をもつ機械というイノベーションの果実を得ようと思えば、一刻も早くディープラーニングを使った製品を世に出すことだ。

 ディープラーニングはここ数十年の研究の蓄積を事実上帳消しにした。細かい理論を抜きに、入力と出力をつなげ、多くのデータで学習すれば精度が上がるという破壊的なイノベーションをもたらした。この技術に付いていけているのは基本的に20代後半から30代の若い研究者技術者だ。

 大きな付加価値をもたらすこれらの人材は世界中の企業から引っ張りだこだ。自動運転技術者の報酬は平均30万ドル程度、チームリーダークラスになると数百万ドルにもなる。しかし国内ではディープラーニングに習熟した人材でも、給与水準はほとんど変わらない。その理由は2つある。

 一つは企業が事業計画を真面目に立てていない。眼をもつ機械がどういう変化をもたらすのか、きちんと考えている企業が極めて少ない。AIブームの言葉に惑わされ、技術の本質をとらえていない。従ってどうやってもうけるのか、いくら投資してよいのか、経営判断ができていない。

 もう一つは社内の人事制度や給与体系が硬直的で、例外が認められない。日本の年功序列は根強い。不思議なのは、日本では設備投資なら高いものでも買えるのに、人には高い給料が払えないことだ。

 ディープラーニングは極めて真面目な技術だ。数学知識プログラミング能力が必要で、理系の優秀な若者に適合する。企業間取引が中心なので、精度を上げる努力を続ければよく、マーケティングのセンスや顧客ニーズの発掘はほとんど必要とされない。給与水準がせめて諸外国の半分まで上がれば、理系の優秀な人材はこぞってこの技術を習得しようとするだろう。

 ディープラーニングとものづくりの関係はファンドマネジャーと資産家の関係に似ている。ファンドマネジャーは投資家から預かった資産を増やし、その利益の一部を報酬として得る。眼をもつ機械における「眼」の部分と「機械」の部分の関係もこれに近い。

 つまり機械やロボット、それをつくる熟練の技など日本企業が培ってきた「資産」を、「眼の技術」を使って大きく増やす。元手となる「資産」があるからこそ、ビジネスを大きく展開できる。高い給与も、資産価値の向上に対する成功報酬ととらえるべきだ。

 眼をもつ機械が特に日本に向いているのは、ものづくりの技術的資産があるからだ。自動車産業はもとより、様々な機械・設備、部品や素材も強い。自動化が難しかった農業や建設、食品加工にもチャンスがある。これらの分野はきめ細かな熟練の技をもっており、レベルも高いからだ。

 外食産業では調理の自動化が進むはずだ。近未来には自動調理機械でのレシピの配信ビジネスが始まり、顔認識技術と組み合わせて顧客の嗜好データを得られる。味の好み、健康状態、アレルギー宗教などとあわせ、高いレベルの食を提供するというグローバルな食のプラットフォームを築ける。農業や物流、健康医療とあわせた巨大産業が生まれる。その際、最も重要な資産は日本の食文化の高さだ。

 ディープラーニングの技術とものづくりの技術の融合は日本の新しい未来の形を示している。少ない数の若者が、高齢者がもつ技術的・文化的・経済的な資産を最大限生かして活躍する。ものづくりの企業は若者を受け入れ、思う存分、力を発揮できる環境づくりを進める必要がある。

 眼をもつ機械の誕生によるディープラーニングとものづくりの融合は日本のチャンスでもあり、挑戦でもある。少子高齢化が進む中で、新しい国の形を世界に先駆けて示していくことが期待される。

〈ポイント〉
○AIの画像認識精度向上で機械が眼もつ
○機械が活躍する技術革新は日本企業向き
○日本企業、事業計画・人事制度に課題多い

 まつお・ゆたか 75年生まれ。東京大博士(工学)。専門はウェブ工学、人工知能

2017-08-21 歳より幼く。

[]実感なしとは言うけれど。 実感なしとは言うけれど。を含むブックマーク 実感なしとは言うけれど。のブックマークコメント

その年齢で、その"年齢なり"のことが考えられること。
10歳で二十歳のレベルのことが考えられれば、精神年齢は20歳ということだ。

せいしんねんれい【精神年齢 mental age】
知能の発達の程度を年齢で表現した尺度で,知能年齢とも呼ばれる。略号MA。
(世界大百科事典 第2版の解説)

日経より。
「還暦でも心は46歳。」
つまり15年分「熟成が遅れている」というふうに聞こえる。
自分で考えてもそうか。

江戸戦国時代の50歳が考えていたことは、今の自分のようにヌルくはないはずだ。

要は「その時代の年齢の熟し方」が鈍化しているということなのだろう。

今後の人生の不安は「身体能力の低下」(62%)がトップ。
年金制度の崩壊」(59%)、
「老後貧困・老後破産」(53%)が続き、
半数以上が老後資金への不安も抱えていた。

還暦を迎えるにあたっての悩みがこれって、確かに40台の考え事でしょ、と言われそうな気がする。
発言も、行動だって「歳なり」を心がけないとどうにもカッコ悪いものになりそうだ。


還暦でも心は46歳、7割に「実感なし」 民間調査

 実年齢は60歳、でも精神年齢は46歳。まだまだかなえたい夢もある。プルデンシャルジブラルタファイナンシャル生命保険(PGF生命)が、今年還暦を迎える男女を対象にアンケートを実施すると、気が若く情熱を絶やさない生き生きとした姿が浮かび上がった。

 インターネットを通じ男女千人ずつから回答を得た。「自分の精神年齢は何歳と感じているか」と尋ねると、平均は46.4歳(男性45.9歳、女性46.9歳)。肉体年齢は平均53.8歳(男性53.5歳、女性54.1歳)となった。

 7割が「還暦を迎える実感がわかない」。8割が「赤いちゃんちゃんこを着ることに抵抗がある」としている。

 「まだまだやりたいこと(夢や目標)があるか」という質問には、男女ともに4人中3人が「あてはまる」と回答。PGF生命の担当者は「この年代の人たちは『しらけ世代』とも呼ばれ、何事にも冷めている人が多いかと思ったが、熱い人が多い」と分析している。

 今後の人生の不安は「身体能力の低下」(62%)がトップ。「年金制度の崩壊」(59%)、「老後貧困・老後破産」(53%)が続き、半数以上が老後資金への不安も抱えていた。

 人生に影響を与えた作品を自由回答で尋ねると、上位に並んだのは、映画は「風と共に去りぬ「卒業」サウンド・オブ・ミュージック」。ドラマは「北の国から」「おしん」「ふぞろいの林檎(りんご)たち」「渡る世間は鬼ばかり」。小説は「青春の門」「竜馬がゆく」「こころ」「人間失格」だった。〔共同〕

2017-08-20 素直にいること。

[]自分を通せるか。 自分を通せるか。を含むブックマーク 自分を通せるか。のブックマークコメント

糸井重里がビジネス界に下野してきた影響が出始めている。
それまでは自分を「ビジネス界の標準」だと位置づけ、芸術家とかクリエイターといった存在の人たちを「違う世界の人たち」ということにして「正面対決」を避けてきていたはずだった。(と自分などは思っていた。)
それが「向こうからこちらに殴り込み」が起こったのでは、騒ぎが起きるのも無理もない。

いや殴り込みではなく「静かな参戦」といった風か。
さすがに向こうは気負ってはいない。
(自分ごときが言うのも憚られるが)それなりの覚悟でやってきているな、と思える。
敵地で戦うことをアウェーといい、通常は地の利に通じた相手が有利なはずだが、今の「硬直しきった日本」が自らのホームグラウンドでノックアウトされる可能性が高いのでは、と自分は思っている。

いろんな、それこそ「輸入物」の数字や理屈や法律でがんじがらめに縛られて、「あえて上場なんてね」という経営者も多い中。
さらには

介護医療年金だと騒ぐだけの世間の中で、「集めた金は人に使う」と言ってのけた。

言われてみれば当たり前のことを、周囲の歪みに侵されずにやる。

やっぱりアントニオ糸井である。


「それ欲しい!」を作る 糸井重里氏×高田明氏 お薦めの達人対談

 何でも見つかる、何でも買える時代なのに、モノにときめかない。商品が面白くないのか、それとも良さが伝わってこないのか。テレビ通販でおなじみ、ジャパネットたかた創業者の高田明さん。有名コピーライターで、サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」でもヒット商品を生んだ糸井重里さん。お薦めの達人2人に、「欲しい!」の生み出し方を語り合ってもらった。(聞き手は石森ゆう太、高倉万紀子)

■糸井氏「お分けしますが原点」

 ――おふたりは共に68歳、誕生日も高田さんが1週間早いだけ。まさに同時代を見てこられました。今、モノはあふれる一方なのに、消費は盛り上がらない。商品の魅力を伝える「お薦めの達人」のおふたりに、どうすれば消費者の気持ちを動かせるか伺いたく。(以下、敬称略)

いとい・しげさと 1948年群馬県生まれ。71年にコピーライターとしてデビュー。「不思議、大好き。」「おいしい生活。」などで有名に。作詞やゲーム制作でも活躍。98年にサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げた。社長を務める運営会社、ほぼ日は今年3月にジャスダック市場に上場。

今の質問、ちょっと不本意ですよね。伝える力で売ってるわけじゃないですよね。

そう、本質的には何を売るかですもんね。僕もいろんな商品を販売してきましたが、自分が良いと思わなかったら売れないです。

今って、プレゼンテーションで売れると思ってる人が多くて、僕らは「口のうまい人」だと思われてるんじゃないかと。僕はコピーライターだったから「言葉の魔術師」とかおだてられるわけですよね。でも魔術で売ってるんじゃなくて、「これがいい」と思ったところが始まりだから、売り手じゃなくて買い手なんです。

どうも私、テレビでは声が少し高かったみたいで(一同笑)、「社長から買ったのは衝動買いだった」と。衝動買いが悪いのは、届いたときに物と金の価値が釣り合わない場合。逆に価値に合っていれば大いに結構です。どう伝えるかもあるんでしょうけど、基本は商品を選ぶところからスタートします。

たかた・あきら 1948年、長崎県生まれ。父が経営する「カメラのたかた」入社。86年に独立して「たかた」を設立。通販に乗りだし、99年「ジャパネットたかた」に社名変更2015年に長男に社長を譲り、16年にテレビ出演からも引退。今年4月、サッカーJ2のV・ファーレン長崎社長に就任。

 ――確かに「ほぼ日」の商品は、糸井さんたち自身が欲しいモノを職人さんと作っています。

マーケットリサーチなんかいらない、自分に聞けと。僕らは、売る本職じゃなく「お分けします」からスタートしてますから。ジャパネットさんも同じ気持ちはあると思いますよ。うちが良いものをまとめて買ったら安くできました、みなさんに安く売れますよって話なんで。

 「ほぼ日」を始めたのは19年前。そのころ雑誌やらテレビは、歌にしてもベスト10まで紹介して、お客さんはその10位までを買うんです。58位も良い歌なんだけど、それを紹介するメディアはない。で、僕が良いと思ったら58位でも87位でも紹介しようと思って。

分かります。僕が例えば三菱炊飯器で炊いたごはんをたべて「おいしいですね」、次にパナソニック東芝ので「おいしいですね」って言ってたら「社長どっちがおいしいの」って言われるんだけど、僕は全部おいしいんですよ。1番は1つだけじゃない、100あってもいいんです。

高田さんは思ったことを言ってるんだろうなっていう信頼があるんですね。多分この人は間違わせた覚えがないぞ、というのを積み重ねるのがとても大きいと思うんです。

 今「おいしい」って言葉を使いましたけど、グルメリポーターがこの水を飲んで「あ、おいしい」って言ったら失格なんです。そのおいしいを自分なりのなんかあるだろうって言われて「み、水の宝箱やー」とか言うわけですね。それが良いリポートなんだとしたら僕は違うと思う。

 松尾芭蕉もおいしいときはおいしいって言うと思うんです。その俺が言った「おいしい」を信じてもらえるかどうかが大事で。こねくり回して何かを考えるのがコピーっていうんじゃなくて、俺の言ったことを信じてもらえるようにするのが活動だと思う。

ページ: 2

■高田氏「素の自分だから伝わる」

今思えば、なまりで素の自分を出したから伝わるコトってやっぱりあったんでしょうね。自然に非言語というか自分の表情とか、作るんじゃなくて出ちゃう。

もし高田さんが違う表情でやってたら違う効果になるだろうし、もっと上手にやれてたらやっぱりそこでの信頼関係は作れなかったと思うんですよ。

 僕は社内の人に広告の勉強をひとつもさせてないんです。例えば「3月18日発売です」とか、もう身もふたもないことを書く。でも、下手で良いと思ってる。自分たちとお客さんを、なるべく豊かに信じ合う関係にしたい場合には「あんたうまいこと言わはるな」というのは弱点なんです。高田さんはどのように指導なさるんですか。

例えば作っているチラシを見て「夢がないよ」って言うことがよくあるんです。お客さんを引きつける夢とか感動、そこが浮かび上がったときに買ってもらえる。値段だけ特筆するとかはだめですね。

年に60万部超を売り上げる「ほぼ日手帳」。2018年版は9月1日に発売する

その「夢がないよ」っていうのは分かるなあ。家電とかは普通の家にあるものですから。「普段」って、ほっておくとつまらない。これが来たことで面白くなるかなとか、昨日までと違うワクワクする気持ちになれるものが欲しい。

モノがモノじゃなくなるんですね。「ほぼ日手帳」も、手帳を通して何かを変えようとしているのかなと。

今は「ライフのブック」っていう言い方をしてるんです。自叙伝でもあり1年間の私の本でもあり、ぱっと開くと「This is my LIFE.」になる。これで他の手帳が「うちはもっといいぞ」と言ってきても、いいの悪いのを超えてライフのブックになる。

その日にあったことだけじゃなくて、その瞬間瞬間で人間って未来のこと考えたり過去のこと考えたりしてる、それをこの手帳に書いていくんですね。

それはお客さんがやってくれたことなんです。僕らはスペースたっぷりで1日1ページだったら、メモもできるし日記にもなるしと思ったんですが、お客さんは僕たちがこう使ってほしい、なんてもう軽々と超えてる。邪魔をしないことが一番大事なんだと。

僕も自分の思いを断言したときはすごく売れないんですよ。「いいでしょ」ばっかり言ってたら、反発になる。お客さんがこの商品どうかってことを感じながら言っていかないと。

ページ: 3

■糸井氏「勝ち組のまねは負け」

 ――アマゾンの商品数は実に2億点。信用は大事ですが、まずパッと消費者の目を引かないと埋もれるのでは。

パッと目を引いて誰を集めたいんでしょう。派手にネオンサインをつけて繁華街に出ようという発想では、来るのはただの通行人。そこが間違ったことを結構やってるんじゃないかな。

 ネットの時代って、特殊な薬でも器具でも見つける人は見つけてくれますから。恐れずに「欲しい人がいるものを作る、売る」というのが先じゃないかと思います。

対談する高田明さん(左)と糸井重里さん(東京都港区

我が社の場合、全く時代と逆行してるんですね。ネット通販でいくつ、商品載せてると思います?

1000くらいとか?

1000もないです。それで500億円、600億円売れてる。「ジャムの理論」というのがあって、百貨店でこっちは5種類のジャムが試食でき、あっちでは20種類が試せる。圧倒的に売れたのは5種類の方なんです。今はサイトにいっぱい載せなきゃっていうけど、そうじゃない発想もある。自分たちで選んで、お客さんの手間を省くっていうのもある。

一般論として、一番うまくいってる人のまねをしようとするんですよ、みんな。それはもう勝ちきってる人なんで、同じことやったら負けるんです。

アマゾンにはなれないんだから、自分たちでできる仕組みを考えていかないと。だからジャパネットの場合、全部動画にして説明してます。ほぼ日手帳でも使ってる人の顔が出てきて、その語りが出てきたらすごいだろうと思いますね。

すごい具体的な話が……。

いやほんとですよ糸井さん。そこを説明しだしたらですね、すごいアクセス出てきますよ。

■高田氏「思いは価格を超える」

 ――ネットで商品の価格、スペックも丸裸になりました。

商品というのは、どうしても価格になっちゃう。やはり作り手の思い、そこで働く人の思い、会社のコンセプト。それを商品に必ず乗せたらいいと思います。価値がすごく変わってくるんじゃないかって。

 1年中、農家の人が脚立で1本600個のリンゴを全部回して。日が当たるように一個一個ですよ。それを動画で見た瞬間、リンゴ1個が99円と100円とかの1円の差じゃなくなるんですよ。価格競争のなかで日本の匠(たくみ)のものを表現しないと。本当に糸井さんがそれをされたら、来年は売り上げ2倍。

いや、今のリアリティーはずっと僕らがジャパネットを見てきた歴史そのもの。「俺がいてモノがある」っていうところから全部語れてる。イメージをつけたり演出つけたりが他のコマーシャルだとすれば、1人の語り部の物語の方が実は強かったっていう。ご本人から言われるとまた、うーん。

時代が変わって、伝え方も変わってきます。1年1年というより日々。今日売れた物が明日売れる保証もない。それだけIT、グローバル化っていうのは世の中を変えてる。そこをつかむ難しさはあると思うんですけど。いや一緒になんかしたいですよね。

 ――もし高田さんがほぼ日手帳を売るとしたら、どんな風に?

さっきライフって言葉ありましたが、人生語るでしょうね。手帳よりも7割くらい人生語っちゃうかもしれない。別れがあったり出会いがあったり、それを最終的に残すもの、と。

泣けてきた今。

[日経MJ2017年8月7日付]

2017-08-19 両方を使うこと。

[]流行りに触れること。 流行りに触れること。を含むブックマーク 流行りに触れること。のブックマークコメント

スマホ全盛の時代だが、少し前ならPC、これからはタブレット、さらにメガネとかセンサーとか、身につけるデバイスはいくつも登場するようだ。
ITの世界は良くも悪くも「いろんな商品が多重的」に登場してくるるし、またそうした「二強」とか「三強」の時代がしばらく続くことも多い。

OSの競争もマイクロソフト一色だった時代からは随分と勢力図が変わっている。

自分は最近ユーザーとして「windows」「iOS」「android」「Linux」「evernote」「dropbox」「google document」「OFFICE」「MS azure」とかいろんなツールを「わざわざ複数使ってみる」ということをしている。

画面のインターフェイス一つ取っても、
互いのOS上で使えるソフトの種類を見ても、
また使い勝手を見ても、両方使ってみることで気づくことが案外多い。

それぞれの会社の力の入れどころ、とか
それぞれのソフトの強み弱み、とか
どこのメーカーがユーザー数を伸ばしているのか、とかのようすがよくわかる。

全く新しいデバイスに次々と飛びついていては疲れるばかりだが、少し落ち着いた時点で主力メーカーの製品に触れておくのは大事ではないかと最近思う。
googleはビジネス分野でもそのうち「業務ソフト」を独占してくるのではないだろうか。

2017-08-18 腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。

[]外部から考えるイノベーション(3) 外部から考えるイノベーション(3)を含むブックマーク 外部から考えるイノベーション(3)のブックマークコメント

糸井重里氏、日経インタビューより。
糸井さんの「人材観」。
今の自分たちが一番"考えなきゃ"なのは、ほぼ日上場ではなくてこの部分だと思う。

モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。
モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。

「何かを生み出す人の価値が上がっている」
―― お金と人の重要度が逆転しているということですか。

腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。
特にインターネット上に。だけど使い物になりません。
具体的に何かを生み出す人の価値はどんどん上がっています。

今あるものとか事業とかを「ちょっと品質を変える」とか「売り先をネットで広げる」というのは割と簡単に思いつく。
「人の価値」が「より人間らしいこと」に急速にシフトしている。
経営者営業も製造現場もサービスも。
「自分じゃなければできないこと」以外は波にさらわれるようになくなっていくのがこれからの時代だ。

糸井さんは、その方向性を「生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」と指針する。

そのなかで「僕らがどういう仕事をして、どうやって自分を養うのか」、あるいは「自分たちが生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」ということを考えていけたらいいなと思っています。

面白くて、夢がなければ、人がわざわざ手がける仕事じゃないよ、というメッセージに聞こえる。

無明寺無明寺 2017/08/19 00:58 真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》
結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。
“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのかと。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”
私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚そのものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである。


我々の世界は質感。
また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界・感覚・魂(志向性の作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである。


《志向性》
目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚的目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである。
『意識中の対象の変化によって複数の志向性が観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』
『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構の確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性の作用)』
我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向は機構の変化とともに廃れた因子である。志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚的対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構(思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。


《思考》
『思考は表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』
思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能)
『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考の領域は考の領域に含まれている。思考<考』
『言葉は思考の領域に対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』
考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。


《生命観》
『感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』
『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命の本質である。』

生命は過去の意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。
生命は志向性・再具現可能性を持つ存在である。意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいものに志向が代わり, その志向が作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展
己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向。
己と自の発展とは, 躰(機構)と志向の相互発展である。志向性が作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくその志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である。
『志向(作用)→肉体・機構』


然の理・然性
自己, 志向性を除く諸法則。志向性を加えて自然法則になる。
然の理・然性(第1法則)
然性→志向性(第2法則)


【世界創造の真実】
世界が存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分の存在を認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界を認識しているのだと。なおかつ自身が存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。
しかし実際には自分は世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう?
言葉は名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分。しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身が存在するという錯覚が生じるだけのことである。
これらはすべて同じものが言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである。
例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像を世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我と世界の境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界を認識している我々が, その世界が私たちの生命そのものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在に自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである。
そのように私たちは, 言葉の存在に無自覚なのである。言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。
愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称に対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在を錯覚しうるだけのもの。私たちの認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものでしかない。
私たちの認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限の区別分割を行い, 逆に存在しないものに名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造の真実である。
しかし真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物の創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である。
「お前が世界を創造したのなら, 何者がお前を創造した?」
同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。
「お前が世界を認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」
神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。
あなたを認識している何者かの実在を証明できないなら, あなたが世界を認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分は不毛であり虚妄であり, つまり別のものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。


【真善美】
真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然を理解することにより言葉を通じて様々なものの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解。

善は社会性である。直生命(個別性), 対生命(人間性), 従生命(組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。
△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)
千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することはなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。
『認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界が区分されていないのに, 何者がいかなる世界を認識しうるだろう? 』
予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識の曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向の自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることはなく認識と相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。


《抑止力, 育維》
【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である。

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲が組織の発展に必要だからといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会の体制自体が維持できない。移籍や移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである。組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値を尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化と生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。

2017-08-17 金と人材という資本主義の問題について。

[]外部から考えるイノベーション(2) 外部から考えるイノベーション(2)を含むブックマーク 外部から考えるイノベーション(2)のブックマークコメント

糸井重里氏、日経インタビューより。
糸井さんは「(自分は)資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。」という。
なぜなのか。
資本主義への挑戦でいいじゃないか、と考えた。

Q上場で得た資金は何に使いますか。
A.人を雇うことに使います。

「人を金で雇う」というこの「シンプルな原則」に対する糸井さんなりの今の回答なのだと思う。

「人本位」で、これまでにない「自分たちが良いと思えるコンテンツの会社(社会)」を作る。
けれどそのためにはお金もいるし、社会の「今ある市場」でも認知されよう、と糸井さんは決断したのだろう。

多分、とても重い決断だったと思う。
そうでなければ、「手順」とか「基準」とか「規制」とか「法律」とかでがんじがらめの株式市場などのアウェーにわざわざ糸井さんが行く必要もない。
自分の目には、EUブラジルにわざわざ興業に行くアントニオ猪木に見える。

つまりは「あなたの土俵で勝負しに」行き、その土俵で「私のやりたいことをやりますよ」という宣戦布告というかチャレンジだ。

いろんな企業が宇宙開発AI投資している現在だが、こうした「逆走アプローチ」を試みているのは糸井さんだけではないだろうか。
(つづく)

儲ける知性を休ませ、親切を――糸井重里に資本主義を聞く
「利益をたくさん出せればうれしいが、それが第一の目標になるとずれていくと思う。最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」。糸井重里氏が、代表取締役として率いる会社「ほぼ日」を株式上場させる際、発した言葉だ。より利益を上げられる会社の株式を皆が買う――この仕組みは資本主義を発展させてきた。しかし糸井氏は、お金を儲けることよりも大事なことがあるというのだ。いったい、資本主義をどう捉えているのか。どんな会社であろうとしているのか。糸井氏に言葉の真意を聞いた。(週刊エコノミスト編集部/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「自分たちが使いたいモノを作る」

糸井氏は1998年にウェブサイトほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げ、個人事務所から株式会社化した「ほぼ日」(東京都港区、社員74人、2016年8月期の売上高37億円)が3月、東京証券取引所ジャスダック市場に上場した。同社は「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営や、「ほぼ日手帳」はじめ商品販売などを行う。インタビュアーは『週刊エコノミスト』編集長、金山隆一。

―― なぜ今まで会社を続けてこられたのだと思いますか。

運がよかったからと、まじめにやってきたから。この2つだと思いますね。ウェブサイトの読み物を作るにしても、販売するモノを作るにしても、案外、労働集約型の仕事なんですよ。手をかけてコツコツやったことが皆さんに喜ばれているという形です。

糸井重里氏(撮影:武市公孝)

―― 何で稼いできたんですか。

ほぼ日手帳の売り上げが7割です。「手帳で食っている会社でしょ」と批判がましく言われることもあるのですが、そう見てくださってかまわないと思います。

―― 60万部以上売れるほど支持されているというのは、よっぽど良い手帳なんですね。

自分たちが使いたいモノを作るというのが僕らの姿勢です。生意気な言い方をすれば、「良いに決まっている」というモノを出すようにしているので、それがよかったんだと思います。

―― 残りの3割は。

ほかにもタオルやハラマキといった「モノの形をしたコンテンツ」がずいぶんあります。生活の中で自分たちが「こういうモノがあればいいのにな」と思うモノを考えて、「なぜ、ないんだろう」とさんざん話をして、僕らが欲しいモノを作っています。

2001年に発売した「ほぼ日手帳」は1日1ページ。予定を管理するだけでなく、思いついたことを書きとめたりと自由な使い方ができる点が人気を呼んだ。そのほか、ハラマキをはじめオリジナルの生活用品を企画。いずれも「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかで商品の成り立ちや特徴を読み物として紹介すると同時に、販売している。

手帳はペンを差せば開かないストッパーや24時間の罫線など工夫が凝らされている(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 商品カタログと読み物を組み合わせた雑誌「通販生活」とはどこが違うんですか。

通販生活の創業者、斎藤駿さんには僕たちを見るに見かねて、いろいろとご指導いただきました。「通販生活」は雑誌を作って、通販メディアにしようと始めましたよね。僕はメディアを作りたいと考えたわけじゃなくて、最初から、ただ「場」を作りたかった。

―― メディアではなく「場」とは、どういう意味ですか。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のウェブサイトを作った頃から、いずれ「ほぼ街」を作ろうと思っていました。ロールプレイングゲームで主人公が動き回る「街」みたいにしたかったんですよ。建物に入ってみたらお茶を飲める場所があるというように。「ほぼ日刊イトイ新聞」は読み物中心で始めたので、今はまだ文字のコンテンツが並ぶデザインですが、街のような存在だと思っています。

ウェブサイトは「ほぼ日刊」とされながら毎日更新される(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 「ほぼ街」を目指すなかで、手帳が売り上げの7割という比率は変えていきますか。

他が伸びていって、相対的に手帳の割合が下がっていってほしいとは思っています。他とは、犬、猫と人が親しくなるためのアプリ「ドコノコ」やイベントですね。

3月には東京六本木ヒルズで「生活のたのしみ展」というイベントを3日間、やりました。自分たちと、親しい人たちでいいモノを作っているなと思う人のコンテンツを1つずつお店にして、20ほどのお店を出しました。イベントはみんなに喜ばれています。儲からないですけど。

「ほぼ日」の活動範囲はいまやウェブにとどまらない。2014年にショップとイベントスペースを兼ねた「TOBICHI」を東京・南青山にオープンさせた。2016年にリリースしたアプリ「ドコノコ」は犬と猫のための写真投稿SNSだ。

小屋のような外観の「TOBICHI」(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 「場を作る」といっても、ウェブ上や店舗の“場所貸し”をして稼いでいるわけではないんですよね。

よく「ウェブサイトに広告を載せないんですか」と聞かれますよ。広告価値はあると思います。広告が面白いというのもよく分かっているんです。自分もコピーライターとしてやってきたわけですから。

広告って書いていないメッセージがものすごく多いから、読者としては面白いことは確かなんです。新聞に15段1ページの広告を打っていれば、何かこの会社はやりたいことがあるんだなって思う。広告だけのウェブサイトを作っても面白いと思います。

僕が今やりたいことと広告がフィットしないので載せていませんが、すぐに利益が欲しい株主には裏切りに見えるかもしれない。そこはこれから話し合っていかなければならないと思っています。

「僕がいなくなっても株価が下がらない会社」

3月16日、東京証券取引所のジャスダック市場に上場(写真:東洋経済/アフロ)

―― 上場した理由は。

「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めた時から、しっかりした体制を作るということは頭のなかにありました。実際にチームが育っていって、サポーターも育っていってくれた。僕がいなくなった時にそれがなくなってしまったら、つまらないですよね。上場することでオーソライズ(公認)されたと言えるかもしれません。

―― 糸井さんは、「不思議、大好き。」「おいしい生活。」「くうねるあそぶ。」など数々の名キャッチコピーを生み出すコピーライターとして活躍していました。それなのに、どうして「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたんですか。

自分たちがイニシアチブをもって仕事をしていくことが本当に大事だと思ったからです。単なる下請けになって、ダメになったら捨てられるんじゃなくて。ダメならダメで責任があるけれど、うまくいったら自分たちがちゃんと利益を得て、それを応援してくれるお客さんが一緒に喜べる。そういうことがしたくて、フリーのコピーライターを辞めたんです。

先輩たちを見ていると、老化に従って上手にリタイアする方もいますが、「昔は元気だったんだけどな」と感じるような方もいます。プロダクション的に仕事をしてきた会社が、リーダーがいなくなると何となくつまらなくなっていくこともあります。

コピーライターとして活躍(1989年)(写真:読売新聞/アフロ)

―― 糸井さんがいなくなった時、「ほぼ日」という会社はどうなるんだろう。投資家ファンは不安があると思います。

そのまま同じじゃない、ということは分かっています。僕の個人的なさみしさとしては、「イトイがいなくなった方がよくなったなぁ」と言われたくもない。

「ライバルはディズニー」と冗談みたいに言っているんですが、ウォルト・ディズニーがいなくなっても、ディズニー社は機能しています。自分がいなくなった時にもっと面白くなるようなことがありうるんじゃないかと思って、少しずつ準備しています。

「ほぼ日」のロゴはグラフィックデザイナー佐藤卓さんのデザイン(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 糸井さんが引退する時には株価は下がりますよね。

もし株価が下がったら、僕の仕事が足りていなかったんでしょうね。この2年ぐらい僕がしているのは、僕がいなくなってもできる仕事をどんどん増やしていくことです。

―― 上場で得た資金は何に使いますか。

人を雇うことに使います。そう言うと、営業マンをたくさん入れるのかとか誤解されるんですが、そうじゃない。本当に人が必要です。内部の人が育つためにも、「そこにかけられるお金がある」と思えるのはすごく助かります。

―― どんな人を求めていますか。

実現力がある人が欲しいですね。社内にも育ってはきているけれど、社外には、驚くようなスピード感で仕事をしたり、思いもよらないメンバーを巻き込んだり、びっくりするほどかっこいい人がいます。現役でバリバリやっている人に、どうすれば「ほぼ日」に入ってもらえるかという時、「お金はないけれど頑張ろうね」と言ってもダメですよね。

インタビュー風景。「ほぼ日」のオフィスには木がふんだんに使われている(撮影:武市公孝)

モノもお金も、相対的な価値が下がった

冒頭の「最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」という糸井氏の発言は、上場前の日本経済新聞2017年3月4日付朝刊)に掲載されたインタビュー記事中のものだ。記事では「人格としてその会社がいいなと思い、そこの商品を使ったり株を買ったりして応援する方向に世の中は変わっていくと思う」とも述べている。

―― 糸井さんの発言を読んで、この人は資本主義に挑戦しているんだと思いました。僕は高校生だった1982年に、糸井さんが司会をしていた「YOU」というテレビ番組(当時のNHK教育テレビ)の収録を見に行ったことがあります。バブルの前から世に出てきて、バブルも知っている人が今、そんなことを話すのは驚きでした。

「利益が第一の目標になると、ずれていく」。上場時、糸井氏の発言は注目された(撮影:武市公孝)

自分の居心地の良さ、悪さで自分の行動って決まるので、理念を先に考えて、理念に合わせて行動することは、僕はあまりしたくないんです。ポスト資本主義の話はバブル崩壊の後あたりからずっと語られていますが、僕はそういう記事を読んで、「こういう考え方もあるのか」と思う程度です。

僕が強く興味を持ったのは、岩井克人さんが書いた『会社はこれからどうなるのか』(2003年)、『会社はだれのものか』(2005年)という本です。

当時、東京大学経済学部教授だった岩井克人氏は、米国流の「会社は株主のもの」という考え方に疑問を呈し、資本主義のあり方が変わっていく時代に求められる会社の姿を模索した。「ほぼ日刊イトイ新聞」では岩井氏へのインタビューを2003年に掲載している。

「会社はこれからどうなるのか?」

「続・会社はこれからどうなるのか?」

資本主義が転換期にさしかかっていると論じる岩井克人氏の著書(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 岩井さんの考えのどのような点に興味を持ったんですか。

「資本主義を構成している要素が変化している」という視点です。

1つは、今の時代は、あらゆるモノが在庫になっていると思うんです。生産能力がどんどん上がって、欲しくないモノをたくさん作るという状況です。

実はお金も在庫になっています。「投資」というと聞こえはいいですが、そのまま置いておいたらお金の意味がないから、お金に仕事をさせようとするわけです。それがものすごく難しくなっている。

モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。

「何かを生み出す人の価値が上がっている」

―― お金と人の重要度が逆転しているということですか。

腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。特にインターネット上に。だけど使い物になりません。具体的に何かを生み出す人の価値はどんどん上がっています。

そのなかで「僕らがどういう仕事をして、どうやって自分を養うのか」、あるいは「自分たちが生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」ということを考えていけたらいいなと思っています。だから、資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。

「何かを生み出す人の価値が上がっていると思います」(撮影:武市公孝)

―― 資本主義のもと経済成長を続けるには、人間の経済活動を支える資源として「地球が2ついる」とも言われます。

地球がもう1つ欲しいのは、それだけ消費させたいわけですよね。消費が滞っているから在庫になっているわけで、人間には生きている間にそれほど消費する力はないんですが、生産の方だけはいくらでも作れるようになった。悩ましいのはエネルギーだけ、みたいな状況です。たぶんこれは、必ずどこかに落ち着くと思います。

したいことを今はできないと思い込んでいる

―― 今の状況は、資本主義に内在していた問題が表面化しただけだということですか。

そうだと思うんですよね。

よく語られる逸話としてこんな話があります。金融市場みたいなところでバリバリ働いていた人が田舎町に出かけて、そこで釣りをしている人を見て「いいな、オレもいずれやりたいんだよ、リタイアして」と言う。すると釣りをしている人が「今やればいいじゃないか。オレはしているぞ」と言う。

つまり、お金をいくら持っているかとか、どういう地位を持っているかに関係なく、「今、釣りができるのに、できないと思い込んでいる」というのが今の資本主義だと思えるんです。

だから、仕事のなかに楽しい釣りの要素が1つは欲しいし、今すぐ釣りをすればいい。これがヒントのような気がしていて、僕はできるだけそうしたいと思って生きていますね。

資本主義のなかでどう生きる (写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「自分の利益を考えることを休ませる知性」

―― 僕は、自分の利益を優先する資本主義の代わりになるものとして、自分を殺してでも人を生かすという利他性がキーワードになるのかなと思っています。

「昔はよかった」というように利他性は資本主義と対立させて考えられがちですが、そうではなくて、混じっているのだと思います。つまり、「自分がどれだけ利益を得られるか」を考えることを休ませる知性が求められている。知性をぐるぐる回転させることで、知性を休ませるというか。

たとえば、ものすごくくたびれている時にサウナに行ったら、気持ちがいい。その時間は一銭も稼いでくれないけれど、行かずに仕事をし続けていたら死んじゃうというのも本当です。ポートフォリオをどう作るかだと思います。

その時、油断してはいけないのは、「昔、生きていた利他性が負けて、今の時代になった」という歴史があることです。自分がいかに利益を得るかと考える「知恵」を身につけた人間が、どうやって「昔はよかったね」と言われるようなこと、利他性を獲得するのか。バカになるのも知性ですからね、今は。

「バカになるのも知性」(撮影:武市公孝)

―― 「儲けようとする知性を休ませる知性」ですか。考えさせられる言葉です。

キーワードとして「親切」があると思います。もしかしたら自分と利害が相反することかもしれないけれど、それをした方が、この場、あるいはこの先に対していい影響を与えるという判断をする。そのことが自分にも快感になる。それが「親切」です。けっこう高度な知性だと思うんですよ。

「情けは人のためならず」というのはすごくクールな言葉だと思うんですが、翻訳としては「情けは自分のためにもなるしね」と言えばいいと思う。ただし、同じ言葉を「情けは人のためではなく、自分のためなんだ」と言い換えて攻めてくるものに負けてしまう可能性はもちろんあります。そこで負けないための何かを持っている必要があると思いますね。

上場で問われるもの

――  そんな糸井さんが資本主義の真ん中にある株式市場に上場して、どう受け止められましたか。

「どれだけできるか見てやろうじゃないか」と好意的にも言われるし、悪意を持っても言われます。「投資家は数字で見ますよ。もっと利益を上げて、株価を上げなさい、という人たちがいますよ」と。そこで「ほら、この方が利益が上がったでしょ」と言えるのが一番簡単なんですけれど、それほど簡単ではない。

「こういうやり方をしたらうまくいく」というものはないので、上場したことで今まで以上に、事業の質や規模が問われるようになったと思うんです。

それに、弱っちい動物なりに生き延びたとか体が大きくなったとか、そういうのを多少は見せないとつまらないですよね。僕みたいなことを言っている人間がやっぱりダメだったとなったら、後の人も寂しいですから。

週刊エコノミストの金山編集長(右)と(撮影:武市公孝)

糸井重里(いとい・しげさと)
1948年群馬県生まれ。群馬県立前橋高校卒業、法政大学文学部中退。コピーライター、作詞家、タレント、エッセイストとして活躍。1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。2016年12月、「株式会社東京糸井重里事務所」を「株式会社ほぼ日」に社名変更。68歳。

日本経済と世界経済の核心を分析する経済誌「週刊エコノミスト」と「Yahoo!ニュース 特集」が共同で記事を制作します。今後取り上げて欲しいテーマや人物、記事を読んだ感想などをお寄せください。メールはこちらまで。eco-mail@mainichi.co.jp

2017-08-16 アントニオ糸井。

[]外部から考えるイノベーション。(1) 外部から考えるイノベーション。(1)を含むブックマーク 外部から考えるイノベーション。(1)のブックマークコメント

糸井重里氏、日経インタビューより。

利益をたくさん出せればうれしいが、それが第一の目標になるとずれていくと思う。

自分は大学の経済学の授業で「企業は利益の最大化を目的とするもの」と習った。
会社のスタッフにもそう講義した。
けどどこかで「極大化かよ」と思った。

記事では「人格としてその会社がいいなと思い、そこの商品を使ったり株を買ったりして応援する方向に世の中は変わっていくと思う」とも述べている。

これだけのことも、これまでの経営者ははっきり言ってこなかったと思う。
環境に配慮した「グリーン市場」も唱えられて久しいが未だメジャーとは言えない。
糸井さんは「『会社はだれのものか』(2005年)岩井克人著」を読み、

資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。
という。

けどこれって立派な挑戦ですよ。
と僕は思います。
糸井事務所の上場をだから「市場に降臨したアントニオ猪木」と思った人は多いのじゃないかと思います。
(つづく)

儲ける知性を休ませ、親切を――糸井重里に資本主義を聞く

8/14(月) 12:00 配信

「利益をたくさん出せればうれしいが、それが第一の目標になるとずれていくと思う。最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」。糸井重里氏が、代表取締役として率いる会社「ほぼ日」を株式上場させる際、発した言葉だ。より利益を上げられる会社の株式を皆が買う――この仕組みは資本主義を発展させてきた。しかし糸井氏は、お金を儲けることよりも大事なことがあるというのだ。いったい、資本主義をどう捉えているのか。どんな会社であろうとしているのか。糸井氏に言葉の真意を聞いた。(週刊エコノミスト編集部/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「自分たちが使いたいモノを作る」

糸井氏は1998年にウェブサイトほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げ、個人事務所から株式会社化した「ほぼ日」(東京都港区、社員74人、2016年8月期の売上高37億円)が3月、東京証券取引所ジャスダック市場に上場した。同社は「ほぼ日刊イトイ新聞」の運営や、「ほぼ日手帳」はじめ商品販売などを行う。インタビュアーは『週刊エコノミスト』編集長、金山隆一。

―― なぜ今まで会社を続けてこられたのだと思いますか。

運がよかったからと、まじめにやってきたから。この2つだと思いますね。ウェブサイトの読み物を作るにしても、販売するモノを作るにしても、案外、労働集約型の仕事なんですよ。手をかけてコツコツやったことが皆さんに喜ばれているという形です。

糸井重里氏(撮影:武市公孝)

―― 何で稼いできたんですか。

ほぼ日手帳の売り上げが7割です。「手帳で食っている会社でしょ」と批判がましく言われることもあるのですが、そう見てくださってかまわないと思います。

―― 60万部以上売れるほど支持されているというのは、よっぽど良い手帳なんですね。

自分たちが使いたいモノを作るというのが僕らの姿勢です。生意気な言い方をすれば、「良いに決まっている」というモノを出すようにしているので、それがよかったんだと思います。

―― 残りの3割は。

ほかにもタオルやハラマキといった「モノの形をしたコンテンツ」がずいぶんあります。生活の中で自分たちが「こういうモノがあればいいのにな」と思うモノを考えて、「なぜ、ないんだろう」とさんざん話をして、僕らが欲しいモノを作っています。

2001年に発売した「ほぼ日手帳」は1日1ページ。予定を管理するだけでなく、思いついたことを書きとめたりと自由な使い方ができる点が人気を呼んだ。そのほか、ハラマキをはじめオリジナルの生活用品を企画。いずれも「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかで商品の成り立ちや特徴を読み物として紹介すると同時に、販売している。

手帳はペンを差せば開かないストッパーや24時間の罫線など工夫が凝らされている(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 商品カタログと読み物を組み合わせた雑誌「通販生活」とはどこが違うんですか。

通販生活の創業者、斎藤駿さんには僕たちを見るに見かねて、いろいろとご指導いただきました。「通販生活」は雑誌を作って、通販メディアにしようと始めましたよね。僕はメディアを作りたいと考えたわけじゃなくて、最初から、ただ「場」を作りたかった。

―― メディアではなく「場」とは、どういう意味ですか。

「ほぼ日刊イトイ新聞」のウェブサイトを作った頃から、いずれ「ほぼ街」を作ろうと思っていました。ロールプレイングゲームで主人公が動き回る「街」みたいにしたかったんですよ。建物に入ってみたらお茶を飲める場所があるというように。「ほぼ日刊イトイ新聞」は読み物中心で始めたので、今はまだ文字のコンテンツが並ぶデザインですが、街のような存在だと思っています。

ウェブサイトは「ほぼ日刊」とされながら毎日更新される(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 「ほぼ街」を目指すなかで、手帳が売り上げの7割という比率は変えていきますか。

他が伸びていって、相対的に手帳の割合が下がっていってほしいとは思っています。他とは、犬、猫と人が親しくなるためのアプリ「ドコノコ」やイベントですね。

3月には東京六本木ヒルズで「生活のたのしみ展」というイベントを3日間、やりました。自分たちと、親しい人たちでいいモノを作っているなと思う人のコンテンツを1つずつお店にして、20ほどのお店を出しました。イベントはみんなに喜ばれています。儲からないですけど。

「ほぼ日」の活動範囲はいまやウェブにとどまらない。2014年にショップとイベントスペースを兼ねた「TOBICHI」を東京・南青山にオープンさせた。2016年にリリースしたアプリ「ドコノコ」は犬と猫のための写真投稿SNSだ。

小屋のような外観の「TOBICHI」(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 「場を作る」といっても、ウェブ上や店舗の“場所貸し”をして稼いでいるわけではないんですよね。

よく「ウェブサイトに広告を載せないんですか」と聞かれますよ。広告価値はあると思います。広告が面白いというのもよく分かっているんです。自分もコピーライターとしてやってきたわけですから。

広告って書いていないメッセージがものすごく多いから、読者としては面白いことは確かなんです。新聞に15段1ページの広告を打っていれば、何かこの会社はやりたいことがあるんだなって思う。広告だけのウェブサイトを作っても面白いと思います。

僕が今やりたいことと広告がフィットしないので載せていませんが、すぐに利益が欲しい株主には裏切りに見えるかもしれない。そこはこれから話し合っていかなければならないと思っています。

「僕がいなくなっても株価が下がらない会社」

3月16日、東京証券取引所のジャスダック市場に上場(写真:東洋経済/アフロ)

―― 上場した理由は。

「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めた時から、しっかりした体制を作るということは頭のなかにありました。実際にチームが育っていって、サポーターも育っていってくれた。僕がいなくなった時にそれがなくなってしまったら、つまらないですよね。上場することでオーソライズ(公認)されたと言えるかもしれません。

―― 糸井さんは、「不思議、大好き。」「おいしい生活。」「くうねるあそぶ。」など数々の名キャッチコピーを生み出すコピーライターとして活躍していました。それなのに、どうして「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたんですか。

自分たちがイニシアチブをもって仕事をしていくことが本当に大事だと思ったからです。単なる下請けになって、ダメになったら捨てられるんじゃなくて。ダメならダメで責任があるけれど、うまくいったら自分たちがちゃんと利益を得て、それを応援してくれるお客さんが一緒に喜べる。そういうことがしたくて、フリーのコピーライターを辞めたんです。

先輩たちを見ていると、老化に従って上手にリタイアする方もいますが、「昔は元気だったんだけどな」と感じるような方もいます。プロダクション的に仕事をしてきた会社が、リーダーがいなくなると何となくつまらなくなっていくこともあります。

コピーライターとして活躍(1989年)(写真:読売新聞/アフロ)

―― 糸井さんがいなくなった時、「ほぼ日」という会社はどうなるんだろう。投資家ファンは不安があると思います。

そのまま同じじゃない、ということは分かっています。僕の個人的なさみしさとしては、「イトイがいなくなった方がよくなったなぁ」と言われたくもない。

「ライバルはディズニー」と冗談みたいに言っているんですが、ウォルト・ディズニーがいなくなっても、ディズニー社は機能しています。自分がいなくなった時にもっと面白くなるようなことがありうるんじゃないかと思って、少しずつ準備しています。

「ほぼ日」のロゴはグラフィックデザイナー佐藤卓さんのデザイン(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 糸井さんが引退する時には株価は下がりますよね。

もし株価が下がったら、僕の仕事が足りていなかったんでしょうね。この2年ぐらい僕がしているのは、僕がいなくなってもできる仕事をどんどん増やしていくことです。

―― 上場で得た資金は何に使いますか。

人を雇うことに使います。そう言うと、営業マンをたくさん入れるのかとか誤解されるんですが、そうじゃない。本当に人が必要です。内部の人が育つためにも、「そこにかけられるお金がある」と思えるのはすごく助かります。

―― どんな人を求めていますか。

実現力がある人が欲しいですね。社内にも育ってはきているけれど、社外には、驚くようなスピード感で仕事をしたり、思いもよらないメンバーを巻き込んだり、びっくりするほどかっこいい人がいます。現役でバリバリやっている人に、どうすれば「ほぼ日」に入ってもらえるかという時、「お金はないけれど頑張ろうね」と言ってもダメですよね。

インタビュー風景。「ほぼ日」のオフィスには木がふんだんに使われている(撮影:武市公孝)

モノもお金も、相対的な価値が下がった

冒頭の「最短かつ最効率で利益を得る会社が、人に喜ばれるとは思えない」という糸井氏の発言は、上場前の日本経済新聞2017年3月4日付朝刊)に掲載されたインタビュー記事中のものだ。記事では「人格としてその会社がいいなと思い、そこの商品を使ったり株を買ったりして応援する方向に世の中は変わっていくと思う」とも述べている。

―― 糸井さんの発言を読んで、この人は資本主義に挑戦しているんだと思いました。僕は高校生だった1982年に、糸井さんが司会をしていた「YOU」というテレビ番組(当時のNHK教育テレビ)の収録を見に行ったことがあります。バブルの前から世に出てきて、バブルも知っている人が今、そんなことを話すのは驚きでした。

「利益が第一の目標になると、ずれていく」。上場時、糸井氏の発言は注目された(撮影:武市公孝)

自分の居心地の良さ、悪さで自分の行動って決まるので、理念を先に考えて、理念に合わせて行動することは、僕はあまりしたくないんです。ポスト資本主義の話はバブル崩壊の後あたりからずっと語られていますが、僕はそういう記事を読んで、「こういう考え方もあるのか」と思う程度です。

僕が強く興味を持ったのは、岩井克人さんが書いた『会社はこれからどうなるのか』(2003年)、『会社はだれのものか』(2005年)という本です。

当時、東京大学経済学部教授だった岩井克人氏は、米国流の「会社は株主のもの」という考え方に疑問を呈し、資本主義のあり方が変わっていく時代に求められる会社の姿を模索した。「ほぼ日刊イトイ新聞」では岩井氏へのインタビューを2003年に掲載している。

「会社はこれからどうなるのか?」

「続・会社はこれからどうなるのか?」

資本主義が転換期にさしかかっていると論じる岩井克人氏の著書(撮影:週刊エコノミスト編集部)

―― 岩井さんの考えのどのような点に興味を持ったんですか。

「資本主義を構成している要素が変化している」という視点です。

1つは、今の時代は、あらゆるモノが在庫になっていると思うんです。生産能力がどんどん上がって、欲しくないモノをたくさん作るという状況です。

実はお金も在庫になっています。「投資」というと聞こえはいいですが、そのまま置いておいたらお金の意味がないから、お金に仕事をさせようとするわけです。それがものすごく難しくなっている。

モノやお金の価値が相対的に下がっているのとは逆に、人の価値はどんどん上がっています。モノを作るための労働力としてよりも、イノベーションを生み出すような人材だとか、無理かもしれないことでも実現できるよう工夫する人材だとか、そういう人が圧倒的に足りないと思います。

「何かを生み出す人の価値が上がっている」

―― お金と人の重要度が逆転しているということですか。

腕組みして「うん、うん」と言っている人はいくらでも増えました。特にインターネット上に。だけど使い物になりません。具体的に何かを生み出す人の価値はどんどん上がっています。

そのなかで「僕らがどういう仕事をして、どうやって自分を養うのか」、あるいは「自分たちが生きることをどう面白く、生き生きとさせていくのか」ということを考えていけたらいいなと思っています。だから、資本主義に挑戦しているのではなく、資本主義の流れのなかで泳ぎ方を考えている程度のことだと僕は思っています。

「何かを生み出す人の価値が上がっていると思います」(撮影:武市公孝)

―― 資本主義のもと経済成長を続けるには、人間の経済活動を支える資源として「地球が2ついる」とも言われます。

地球がもう1つ欲しいのは、それだけ消費させたいわけですよね。消費が滞っているから在庫になっているわけで、人間には生きている間にそれほど消費する力はないんですが、生産の方だけはいくらでも作れるようになった。悩ましいのはエネルギーだけ、みたいな状況です。たぶんこれは、必ずどこかに落ち着くと思います。

したいことを今はできないと思い込んでいる

―― 今の状況は、資本主義に内在していた問題が表面化しただけだということですか。

そうだと思うんですよね。

よく語られる逸話としてこんな話があります。金融市場みたいなところでバリバリ働いていた人が田舎町に出かけて、そこで釣りをしている人を見て「いいな、オレもいずれやりたいんだよ、リタイアして」と言う。すると釣りをしている人が「今やればいいじゃないか。オレはしているぞ」と言う。

つまり、お金をいくら持っているかとか、どういう地位を持っているかに関係なく、「今、釣りができるのに、できないと思い込んでいる」というのが今の資本主義だと思えるんです。

だから、仕事のなかに楽しい釣りの要素が1つは欲しいし、今すぐ釣りをすればいい。これがヒントのような気がしていて、僕はできるだけそうしたいと思って生きていますね。

資本主義のなかでどう生きる (写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

「自分の利益を考えることを休ませる知性」

―― 僕は、自分の利益を優先する資本主義の代わりになるものとして、自分を殺してでも人を生かすという利他性がキーワードになるのかなと思っています。

「昔はよかった」というように利他性は資本主義と対立させて考えられがちですが、そうではなくて、混じっているのだと思います。つまり、「自分がどれだけ利益を得られるか」を考えることを休ませる知性が求められている。知性をぐるぐる回転させることで、知性を休ませるというか。

たとえば、ものすごくくたびれている時にサウナに行ったら、気持ちがいい。その時間は一銭も稼いでくれないけれど、行かずに仕事をし続けていたら死んじゃうというのも本当です。ポートフォリオをどう作るかだと思います。

その時、油断してはいけないのは、「昔、生きていた利他性が負けて、今の時代になった」という歴史があることです。自分がいかに利益を得るかと考える「知恵」を身につけた人間が、どうやって「昔はよかったね」と言われるようなこと、利他性を獲得するのか。バカになるのも知性ですからね、今は。

「バカになるのも知性」(撮影:武市公孝)

―― 「儲けようとする知性を休ませる知性」ですか。考えさせられる言葉です。

キーワードとして「親切」があると思います。もしかしたら自分と利害が相反することかもしれないけれど、それをした方が、この場、あるいはこの先に対していい影響を与えるという判断をする。そのことが自分にも快感になる。それが「親切」です。けっこう高度な知性だと思うんですよ。

「情けは人のためならず」というのはすごくクールな言葉だと思うんですが、翻訳としては「情けは自分のためにもなるしね」と言えばいいと思う。ただし、同じ言葉を「情けは人のためではなく、自分のためなんだ」と言い換えて攻めてくるものに負けてしまう可能性はもちろんあります。そこで負けないための何かを持っている必要があると思いますね。

上場で問われるもの

――  そんな糸井さんが資本主義の真ん中にある株式市場に上場して、どう受け止められましたか。

「どれだけできるか見てやろうじゃないか」と好意的にも言われるし、悪意を持っても言われます。「投資家は数字で見ますよ。もっと利益を上げて、株価を上げなさい、という人たちがいますよ」と。そこで「ほら、この方が利益が上がったでしょ」と言えるのが一番簡単なんですけれど、それほど簡単ではない。

「こういうやり方をしたらうまくいく」というものはないので、上場したことで今まで以上に、事業の質や規模が問われるようになったと思うんです。

それに、弱っちい動物なりに生き延びたとか体が大きくなったとか、そういうのを多少は見せないとつまらないですよね。僕みたいなことを言っている人間がやっぱりダメだったとなったら、後の人も寂しいですから。

週刊エコノミストの金山編集長(右)と(撮影:武市公孝)

糸井重里(いとい・しげさと)
1948年群馬県生まれ。群馬県立前橋高校卒業、法政大学文学部中退。コピーライター、作詞家、タレント、エッセイストとして活躍。1998年に「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。2016年12月、「株式会社東京糸井重里事務所」を「株式会社ほぼ日」に社名変更。68歳。

日本経済と世界経済の核心を分析する経済誌「週刊エコノミスト」と「Yahoo!ニュース 特集」が共同で記事を制作します。今後取り上げて欲しいテーマや人物、記事を読んだ感想などをお寄せください。メールはこちらまで。eco-mail@mainichi.co.jp

2017-08-15 不満の声は蜜の味。

[]聞いたことをやれるか。 聞いたことをやれるか。を含むブックマーク 聞いたことをやれるか。のブックマークコメント

「うちの商品を他社がまねしてきても、それを超えるスピードでうちが新商品を出し続ければいい」

そして

大山社長は「アイリスオーヤマ社員は生活者の代弁者でなければいかん」と話す。

そして開発者にはこう説く。
「自分の奥さんが本当に買いたくなるものをつくり出せ」

たったそれだけの。
誰もが納得するような仕事をし続けられる人は少ない。
不思議なことだ。

650人のリサーチ担当社員が全国の800の売り場から"不満"を聞いてくるという。
しかも口コミだ。
そうした「マーケット調査から上がってきたものを集約して新商品を作る」というのはすぐにでもやれそうなことだ。
だのになぜか自分たちはそうした「基本姿勢」からは逸れてしまっている。

こうして大山社長の話を聞いていても、多分成功はしない。

こういう「動作」を実際に模倣できるか。

その辺が"改善の生き死に"に関わるところだろう。
自分はやれるだろうか。

アイリスオーヤマ 他社製品の不満、100個集めろ
大山社長は17年も新製品効果などで増収増益が続くと説明した(1月)
■石油危機の教訓を胸に

 アイリスオーヤマ(仙台市)の大山健太郎社長が「なるほど」に強くこだわるのは、決して忘れることができない苦しい時期があったからだ。プラスチック下請け加工の大山ブロー工業所を創業者の父から引き継いで9年後、1973年に発生した第1次オイルショックが引き金となって起きた同社の経営危機だ。

 当時はプラスチック製の育苗箱が主力商品。原油価格の高騰を見込んだ問屋から大量に発注が入った後には各社が在庫の山を抱え、原価割れを覚悟で投げ売りする価格競争が始まってしまった。

 10年間かけて蓄えた資金は2年間で底をつき、本社や自宅とも一体だった大阪府東大阪市の工場も閉鎖せざるを得なくなった。東大阪でともに働いた約50人の従業員のうち、存続させる宮城県の工場への異動に応じたのは4人だけだった。

「もう決してリストラはしない」

 これで大山社長の経営路線は確定する。

 他社と似通った製品を作っていては、またいつか価格競争に巻き込まれかねない。生活者の不満を見つけて解消する「なるほど」に軸足を置くことで、他社と横並びになりやすい商品は避け、確実に利益を出し続ける。これこそが企業を存続させる道だった。

 消費者が本当に求める商品は何か、既存製品への不満はどこか。それを探るためにアンケートをする企業は多いが、アイリスは調査会社が収集するデータだけには頼らない。自ら一歩を踏み出し、ホームセンターなどの店内へ消費者の不満の声を集めに行く。

 その役割を担うのが「SAS(セールスエイドスタッフ)」と呼ばれる650人の販売支援担当者だ。大部分は女性で既婚者も多く、アイリスオーヤマと取引する全国の約800店舗の売り場で活動している。

 主な業務は家電操作の実演だが、自社商品を宣伝することだけが目的ではない。来店客と雑談し、本音を引き出すのが本当の役割だ。

 「高温の蒸気で油汚れなどを落とすスチームクリーナーは便利なんだけど、本体が重くて長い時間は使いにくい」

 「やっぱり家電は有名なメーカーの商品じゃないと、故障などが不安で買いにくいんだよね」

 SASは社内で製品に関する専門知識を学んでいるだけでなく、多くの場合は自身も家庭内で製品を実際に使っている。ユーザー同士が雑談する感覚で、気軽に話す。

 アイリス傘下でホームセンターのユニディを運営するユニリビング千葉県松戸市)の野城慎二社長は、SASの現場での仕事ぶりに感嘆する。

 「彼女たちの話力は本当にすごい。アイリス商品への不満や要望、電機大手の製品を信頼して買い続ける理由など、ここでしか聞けないような消費者の生の声が次々に集まってくる」

 650人のSASは集めた本音を毎日、A4判1枚の日報(リポート)にまとめて提出する。自社商品への褒め言葉も必要だが、それ以上に不満や文句を書き漏らしてはいけない。他社製品への信頼感や褒め言葉は非常に重要だ。全員の日報を集約した内容は社内ネットワークに毎週1回掲載し、全社で「なるほど」を探すタネとなる。

■価格勝負せず、常に新商品

 SASが集めた不満が新商品を開発する出発点になることは多い。

 「重くて、長い時間は使いにくい」と消費者から不評だったスチームクリーナーは蒸気の噴き出し部分の近くにスイッチを付け、本体を床に置いたままホースだけを持って掃除できる商品を売り出した。「生の声」が持つ力は強く、改良した商品の販売は好調だ。

 アイリスは売り出してから3年以内の商品を「新商品」と定義しており、売上高の5割以上を新商品で占める体制を守り続ける。同社が重視する経営指標の1つだ。大山社長は言う。「うちの商品を他社がまねしてきても、それを超えるスピードでうちが新商品を出し続ければいい」。進化を止めるつもりはない。

 現時点で最大の収益源である発光ダイオード(LED)照明はパナソニックなど大手企業との競争が激しい。しかしアイリスのLED生産拠点、鳥栖工場(佐賀県鳥栖市)の副島昌和工場長は「ライバルは他社じゃない。うちが中国に持つ大連工場だ」と言い切る。

 アイリスは工場へのロボット導入に積極的で、大連工場では約600台ものロボットが稼働する。大量生産によるコスト抑制効果は大きい。アイリスのLED事業部門は鳥栖と大連のコストや納期などを見比べ、どちらに生産を発注するか決める。「鳥栖工場で製造ラインを組み替えて生産性を上げたら、1週間後には大連も同じラインを組み、うち以上に生産性を上げてきた」(副島氏)。グループ内での真剣勝負が競争力を生む。

 大山社長は「アイリスオーヤマ社員は生活者の代弁者でなければいかん」と話す。そして開発者にはこう説く。

 「自分の奥さんが本当に買いたくなるものをつくり出せ」

 一人の生活者として感じた不満を解消するアイデアを開発者が出し、研究部門が蓄積してきた技術を生かして製品に仕上げる。それを値ごろ感のある価格で売り出せるように工場が知恵を絞る。主要拠点をつなぐサイクルが完成したとき、消費者の「なるほど」を呼ぶ商品が生まれる。

仙台支局 村松進)

日経産業新聞8月9日付]

はてなはてな 2017/08/15 13:02 やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ

2017-08-14 構造転換の中で。(3)

[]成功の秘訣。 成功の秘訣。を含むブックマーク 成功の秘訣。のブックマークコメント

有名な投資家に聞いたら「投資にはコツがある」とおっしゃる。

「それは何ですか?」と思わず聞くと「それはゴールを決めることです」と。

なんだ、と思いつつ、今ごろ思い返して妙に納得している。
特に投資の世界だと、小さな成功を積み重ね、成功が成功を呼び、どんどん大きな利益を追求して「最後にゼロどころかマイナスに終わる」という人が後を絶たないのだという。
あれだ。
成功の自己目的化。
ターゲットを見失い大海の中で溺れる自分が見えた。(嘆)

一まずのゴールを決める。

例えば飲食店を始めるのなら。
まず「飲食店として基礎的なこと」に集中する。
工夫も惜しまず。
他店のことも他業態や他食種のことも勉強する。
接客も。
そして収支計算。
原価計算もせずに経営しているのでは趣味のお店になってしまう。
安定して流行る店になったら一旦のゴールである。
そこからの海図は再び描きなおしてもいい。

やっぱりどんなビジネスでも同じだ。

2017-08-13 構造転換の中で。(2)

[]飲食店の秘密。 飲食店の秘密。を含むブックマーク 飲食店の秘密。のブックマークコメント

最近、独立して飲食店を始めるう四十才前後の友人たちが多い。
いよいよやるか、と決断する時期なのだと思う。
しかし飲食店ほど難しい業種はない、とも聞く。
成功の鍵はなんだろうか。
「まず人だ」という。
それは誰かと問われれば「まず自分」だ。
何年も板場で修行して基礎を徹底するやり方もあれば、
自分で工夫した一品料理を積み重ねる人もいる。
ビールだけを置く店もあるし、何十種類の飲み物を工夫する人もいる。
食べ物も。
接客も。
その他もろもろ…

幾人かの経営者と話していると案外、「流行るお店の秘訣」というのはたくさんありそうだ。
あえて言うなら「細かい配慮」をどれだけ怠らずに続けるか、ということのようだ。

そんなの飲食店だけじゃなくて何のビジネスでも同じことか…
(つづく)

2017-08-12 構造転換の中で。(1)

[]いつも不確定。 いつも不確定。を含むブックマーク いつも不確定。のブックマークコメント

自分はまだ50年ほどしか生きていないが多分、産業革命以降「ずーっと構造変化」が続いているのに違いない。

高度成長期というのは、たまたま戦争に敗れ「既存勢力」がリセットされて、ひたすら公共事業やら貿易やらにまい進した時代。だ。
「今時の若いやつは」という古代から使われてきた常套句の通り、いつの時代も変化の波にさらされていると思った方が良さそうだ。

いつも景気が波を打って上下する。
「波に乗る」とはよく言ったものだが大波に乗じて大サーフィンとまではいかなくとも、いかに溺れずに泳いでいられるだろうか…というようなことをよく考える。

これだけ人手が不足し、それでも「それほど豊かかどうか」はそれほどの実感はなく。
ビジネスの秘訣というのはそりゃ"秘訣"というだけあってなかなかどうにも分からないものだ。
そんなことを言っているうちに、自分のビジネス人生ももう終わりかけているので、そんな「そもそものこと」を考えていきたいと思っています。
(つづく)

上場企業、7割が増益 4〜6月純利益は外需けん引

 上場企業の業績が好調だ。2017年4〜6月期は7割強の企業で純利益が増えた。けん引役は製造業で、景気が緩やかに回復する欧米など先進国に加えアジアなど新興国の需要も取り込んだ。年間の純利益計画に対する比率は約29%に達し早くも上方修正が相次ぐ。人手不足や中国景気など不安要因もあるが、好調な企業業績が賃上げなどを通じて国内景気に波及するかが焦点になる。

画像の拡大
 31日は4〜6月期決算発表の前半のピークだった。同日までに発表した528社(金融など除く)を日本経済新聞社が集計した。社数で3月期企業の33%、株式時価総額では42%に相当する。
 全体の売上高は前年同期比で7%増と14年1〜3月期以来の高い伸びになった。経常利益は29%増、純利益は63%増で4〜6月期の増益は2年ぶりだ。決算発表は8月中旬まで続くが増益傾向は変わらない見通しだ。
 製造業は純利益が82%増になった。31日に決算発表した三菱電機の純利益は677億円と58%増えた。工場の自動化や効率化に使うファクトリーオートメーション(FA)機器が韓国や中国などで伸びた。「FAの受注額は期を追うごとに増えてきた。年内は続きそうだ」と松山彰宏専務執行役は話す。
 ファナックは工作機械の頭脳にあたる数値制御装置の販売が好調で今期は減益予想から増益予想に修正した。「自動車や航空宇宙関連で米国もしばらく良い状況が続く」と稲葉善治会長兼最高経営責任者は予測する。
 「収益構造の改善が成果をあげた面も大きい」とSMBC日興証券の伊藤桂一氏は分析する。新日鉄住金は老朽化で効率の落ちた製鉄原料の加工設備を更新し、製造原価を下げた。コスト構造を見直したところで売上高が3割近く増えて利益が大きく改善した。
 非製造業の純利益は38%増だった。世界景気の回復で荷動きが活発になり、海運大手の商船三井は純利益が3.7倍に増えた。一方でNTTドコモは格安スマートフォンスマホ)との競争激化で純利益が8%減少。人手不足に悩むヤマトホールディングス配達の外部委託費用などがかさみ最終損益は79億円の赤字(前年同期は36億円の黒字)になった。
 4〜6月の結果を反映し業績計画を引き上げる動きが広がる。7月28日までに約40社が通期予想を上方修正した。据え置いた企業でも「4〜6月期の営業利益は社内計画より多い」(日立製作所の西山光秋最高財務責任者)など上振れ余地がある。決算未発表の企業も含めて18年3月期の売上高は前期比5%増、純利益は11%増と過去最高を更新する見通しだ。
 下期に向けて人手不足と人件費の増加が改めて経営課題に浮上しそうだ。足元では底堅い中国景気も、秋の共産党大会の後には前倒しした財政出動の反動で失速する懸念がある。

2017-08-11 写真の理由。

[]本の小さな思い出。 本の小さな思い出。を含むブックマーク 本の小さな思い出。のブックマークコメント

も一回プロムナードより。

さっと画面をスクロールすると、どうでもよい写真ばかりだった。だが、消去するのはなんだか勿体(もったい)無い気もした。

これから食べる料理やちょっとした風景をつい撮ってしまう。
「なぜ撮るのか」と自問してもそれほどの理由がない。

インターネットで方法を調べ、データは無事に移行できた。改めて画像群に目を通すと、本当にどうでもよい写真ばかりだ。しかし、ひと目見れば忘れていた小さな思い出が湧いてきて、楽しい気持ちになった。

本当に撮り溜めたスマートフォンの写真を眺めるのは一瞬だ。
けれどその撮った瞬間をそれこそ瞬時に思い出し「ちょっとだけ」楽しいような、懐かしいような気持ちになる。
あとあとに「そんなことを思い出すため」にわざわざカメラを翳(かざ)して必死に被写体に向かっている。

自分が後で「ちょっと楽しくなれる」のなら堂々と撮ってもいいか。

脳のメモリとスマートフォン ジェーン・スー
 スマートフォンの動作が鈍くなってからしばらく経(た)つ。様々なアプリを起動させるのに、恐ろしく時間がかかってしまう。待つのはたった数十秒だが、それがひどく長く感じられるのだ。詳しい人に尋ねると、メモリ不足が原因だろうと言われた。

 スマートフォンの設定をいじり、開いたこともないストレージフォルダを開く。すると、保存した画像は八千枚強もあった。内容は撮影した写真、友人から送られてきた画像、インターネットでダウンロードした画像など。これが動作を鈍くしているらしい。それにしても、八千枚は多すぎやしないか。四年ほど使っているが、それでも一年に二千枚以上だ。つまり一日に五枚以上になる。
 私は写真が趣味ではないし、SNSに活発に写真を投稿するタイプでもない。さっと画面をスクロールすると、どうでもよい写真ばかりだった。だが、消去するのはなんだか勿体(もったい)無い気もした。
 外部SDカードなるものに画像データを移行すれば、少しは動きがよくなると聞き、炎天下に渋谷家電量販店へ足を運んだ。暑さのせいで全身汗だくだ。これを機に別メーカーの新機種を購入しようかとも思ったが、私が長年利用しているキャリアが扱う新作は、どれも十万円近くした。今度はドッと冷や汗が出た。
 店員に外部SDカードの売り場を尋ね、八ギガのカードを購入することにした。それがどれほどの容量だかわからない。だが店員はこれで画像データ分は賄えると言う。試しに店内で装着してみようと思ったが、ちょうど電池が切れてしまった。充電させてもらえないかと尋ねると、百円かかると言う。勿体無いので家で試すことにした。
 帰宅後、早々にスマートフォンを充電器に繋(つな)ぎ、いやいや、外部SDカードを装着するなら電源を切るのが先だと電源を落とし、裏側のカバーを外す。すると、充電池の右上にちょこんと、買ったものと同じメーカーの外部SDカードがあった。
 外部SDカードは最初から装着されていたのだ。私はそれに四年も気付かなかった。小指の爪ほどのカードを見ると、十六ギガと書かれている。さっき買ったカードの二倍の容量が未使用のまま目前にある。あーあと大きくため息をつき、私はカバーをもとに戻した。
 世間では、知っていて当然とされる事象の波が、次から次へと生まれる。その波をサーフィンのように乗りこなしてきたが、四十代半ばにして、ついにサーフボードから落っこちた気分だ。
 よくわからないことなのに「勿体無い、勿体無い」と言い続け、結局は損をしたのも悔しい。無駄な写真なら消去すればよかったし、店で充電を試みれば外部SDカードは装着済みと気付け払い戻しもできただろう。この手のトラブルが自然に回避できなくなったのが、なによりの加齢の証だ。
 インターネットで方法を調べ、データは無事に移行できた。改めて画像群に目を通すと、本当にどうでもよい写真ばかりだ。しかし、ひと目見れば忘れていた小さな思い出が湧いてきて、楽しい気持ちになった。
 スマートフォンの画像フォルダは私の脳にとっての外部SDカードなのだろう。私の脳はすぐにいっぱいになってしまうから、小さなことでも心が動いたら、すべて写真で残すのだ。
コラムニスト

2017-08-10 私とゆでガエル。

[]いろんなサーフボード。 いろんなサーフボード。を含むブックマーク いろんなサーフボード。のブックマークコメント

日経プロムナードより。

世間では、知っていて当然とされる事象の波が、次から次へと生まれる。その波をサーフィンのように乗りこなしてきたが、四十代半ばにして、ついにサーフボードから落っこちた気分だ。

スマホを使いこなすのに苦労したと言う小さなエピソード
でもこうした「波乗り」は自分で気づくよりもはるかに多く起きている。

テレビを全く見ないので芸能ニュースは年配者の訃報くらいしか認識できない。
SNSの輪からは既に「落っこちて」しまった。
プレゼンの原稿は手書きでスタッフに渡すようになった。とか。
こうしていつしかIT劇場からは退出することになりそうだ。
(ようやく本に戻るような気がする)

脳のメモリとスマートフォン ジェーン・スー
 スマートフォンの動作が鈍くなってからしばらく経(た)つ。様々なアプリを起動させるのに、恐ろしく時間がかかってしまう。待つのはたった数十秒だが、それがひどく長く感じられるのだ。詳しい人に尋ねると、メモリ不足が原因だろうと言われた。


 スマートフォンの設定をいじり、開いたこともないストレージフォルダを開く。すると、保存した画像は八千枚強もあった。内容は撮影した写真、友人から送られてきた画像、インターネットダウンロードした画像など。これが動作を鈍くしているらしい。それにしても、八千枚は多すぎやしないか。四年ほど使っているが、それでも一年に二千枚以上だ。つまり一日に五枚以上になる。
 私は写真が趣味ではないし、SNSに活発に写真を投稿するタイプでもない。さっと画面をスクロールすると、どうでもよい写真ばかりだった。だが、消去するのはなんだか勿体(もったい)無い気もした。
 外部SDカードなるものに画像データを移行すれば、少しは動きがよくなると聞き、炎天下に渋谷家電量販店へ足を運んだ。暑さのせいで全身汗だくだ。これを機に別メーカーの新機種を購入しようかとも思ったが、私が長年利用しているキャリアが扱う新作は、どれも十万円近くした。今度はドッと冷や汗が出た。
 店員に外部SDカードの売り場を尋ね、八ギガのカードを購入することにした。それがどれほどの容量だかわからない。だが店員はこれで画像データ分は賄えると言う。試しに店内で装着してみようと思ったが、ちょうど電池が切れてしまった。充電させてもらえないかと尋ねると、百円かかると言う。勿体無いので家で試すことにした。
 帰宅後、早々にスマートフォンを充電器に繋(つな)ぎ、いやいや、外部SDカードを装着するなら電源を切るのが先だと電源を落とし、裏側のカバーを外す。すると、充電池の右上にちょこんと、買ったものと同じメーカーの外部SDカードがあった。
 外部SDカードは最初から装着されていたのだ。私はそれに四年も気付かなかった。小指の爪ほどのカードを見ると、十六ギガと書かれている。さっき買ったカードの二倍の容量が未使用のまま目前にある。あーあと大きくため息をつき、私はカバーをもとに戻した。
 世間では、知っていて当然とされる事象の波が、次から次へと生まれる。その波をサーフィンのように乗りこなしてきたが、四十代半ばにして、ついにサーフボードから落っこちた気分だ。
 よくわからないことなのに「勿体無い、勿体無い」と言い続け、結局は損をしたのも悔しい。無駄な写真なら消去すればよかったし、店で充電を試みれば外部SDカードは装着済みと気付け払い戻しもできただろう。この手のトラブルが自然に回避できなくなったのが、なによりの加齢の証だ。
 インターネットで方法を調べ、データは無事に移行できた。改めて画像群に目を通すと、本当にどうでもよい写真ばかりだ。しかし、ひと目見れば忘れていた小さな思い出が湧いてきて、楽しい気持ちになった。
 スマートフォンの画像フォルダは私の脳にとっての外部SDカードなのだろう。私の脳はすぐにいっぱいになってしまうから、小さなことでも心が動いたら、すべて写真で残すのだ。
コラムニスト

2017-08-09 会話としてのプレゼン。

[]実はキャッチボール。 実はキャッチボール。を含むブックマーク 実はキャッチボール。のブックマークコメント

自分が言いたいこと、と相手が聞きたいこと、はしばしばズレているらしい。
商談でプレゼンしても、ちっとも伝わらない、というのはよくあることだ。

一方的に愛の告白をしても、全然相手に伝わらない。
「熱意」は伝わるかもしれない。
けれど相手の関心ではない。

つまりプレゼンテーションというのは実は「会話」ではないのか。
いつも「こちらが完璧だと思うシナリオ」を用意して、「何とかこちらの物語に引き込んでしまおう」
とばかりにやらかしてしまうが。

興味のない相手に「私の生まれは…」とか言っても聞いてもらえない。
どこか「とっかかり」を探しながら、うまくかみ合うようなアクションが要りそうだ。

"「来る高齢化社会のながら介護」には関心がおありでしょうか?"
などと聞きながら、できればプレゼンの内容も臨機応変に変えるくらいの準備がないと、完璧とは言えないのじゃないだろうか。

できれば3通くらいの、想定できるシナリオを準備しておきたいものである。
「これから眠る子」の反応に応じて、展開や結末を変えるくらいのつもりで行きましょう。


ほぼ日刊イトイ新聞

・一冊の本を、はじめから最後まで読み通して、
 これだったら、「はじめに」の部分と
 第1章を読むだけでよかったんじゃないかと、
 思ったことはありませんか。
 ぼくはあります。
 特に新書なんかの場合は多いです。
 だからといって、「はじめに」と「第1章」だけでは、
 本という商品にならないのでしょうね。
 つまり、書籍という商品の場合、
 ある厚さがないと、人はお金を出してくれない。

映画でも、15分くらいの長さでおもしろいという作品は、
 きっとつくれると思うのですが、
 やっぱりいまの時代だと90分以上ないと、
 商品として認めてもらえないでしょうね。
 15分の映画だったら、入場料300円だな、とかね。

逆に、ネット上の表現なんかだと、
 どんどんどんどん短いものが要求されてきていている。
 昔だったら400字詰め原稿用紙がひとつの単位だったし、
 もっと簡便なもので200字詰めだった。
 しかし、いまおそらく400字は「長文注意」とか、
 妙なことを言われてしまいそうである。
 おそらくこの調子だと、20文字以内で
 あらゆることを語る「べき」だと言う人も出てきそうだ。
 一方で、上下巻の長編小説はベストセラーになってるが、
 「長過ぎる」と文句を言う人は見たことがない。
 いっそ、だれか言い出してもいいような気もするけど。

時間にせよ、モノにせよ、量は「表現」である。
 とにかく「量感」があればいいという商品だってある。
 逆に、軽い小さいだけで勝負している商品だってある。
 それぞれの「表現」が、質とは別に、
 どんな「量」で受け容れられるのかを、
 送り手のほうは、真剣に考えなくてはならないだろう。

指圧とかマッサージなんかも、気持ちよくて効くのなら、
 10分で同じ料金を払ってもかまわないとも思うけれど、
 現実のぼくは、うたた寝できるくらいの長い時間を、
 「あああ、もっともっと」と望んで横になっている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
この『今日のダーリン』の文字量だって、どうなんだろう。

2017-08-08 日本はどこまで日本か。

[]国としての発言。 国としての発言。を含むブックマーク 国としての発言。のブックマークコメント

一番「自国」へのこだわりを持っている。
でもビジネスではそんな話は微塵も見せず。
総じて「他国との自由なつきあい」は苦手だ。
いくら「ガラパゴス」と言われても。

日本という島国の特殊性を説明する文献は多いけれど、いよいよ今の時代になっては「これまで」よりは「これから」の話に違いない。

グローバル化への意欲が世界一高いのは日本企業だった。
だが運営能力が追いつかず「意欲と能力の差が最も開いたのも日本」だという。

一体グローバル化したいのか。
それともローカル国でいたいのか。
どちらにしても「グローバル世界のルール」に一度は則り。
それから自国優先のローカル色を出せば、それなりの色が出てくるだろうと思う。

シャイな田舎者だったから、あまり話も上手にできなかったけれど、終戦後70年の今ごろ、そろそろ率直な対話をしてはどうだろうか。


多様性問う グローバル化 本社コメンテーター 中山淳史

 ソフトバンクグループ孫正義社長は6月21日の株主総会で「アービトラージ」という言葉を2度使った。例えば、英半導体大手のアームを買収した時に同グループの株価が下落した。孫氏は「デビューの時というのは往々にして誰も(本当の価値に)気づかないもの。だが大多数が気がつかないからこそ莫大なアービトラージのチャンスはある」と振り返った。

 アービトラージとは「裁定取引」「サヤ抜き」のこと。ヘッジファンドが企業のM&A(合併・買収)や株式上場に目を光らせ、現物と先物の値差を狙って株を売買する時などに使われる言葉だ。

 孫氏の場合は日本と海外、特に「日米間の差異をテコにした裁定取引経営」だと言われる。IT(情報技術)革命の進展は日本より米国の方が速い。その時間差と円高・低金利を利用したM&Aがこれまでの戦略だったわけだ。最近できた932億ドルの基金、いわゆる「10兆円ファンド」もそうした戦略の延長線上にありそうだ。

画像の拡大

 思い出すのは経営学者ピーター・ドラッカーの言葉だ。「未来は予測できないが、すでに起きた未来はある」(1964年論文)。つまり、出生率が将来の労働人口を決定づけるように、「結果が確実にわかる現実」を見つければアービトラージは可能である。

 投資に限った話ではない。日本企業の海外戦略もやはりアービトラージだと言われてきた。世界経済はグローバル化し、安くて品質の高い製品を求める消費者が増える。だから生産コストの安い国に立地して輸出で稼ぐ。

 だが、最近は環境が変化し、以前ほどアービトラージを効かせにくくなったという。ボストン・コンサルティング・グループによれば、世界の国内総生産(GDP)に占める貿易の割合はリーマン・ショック(2008年)以降5年間で0.2ポイントしか増えていない。1960〜2008年には35ポイント上昇したにもかかわらずだ。

 背景にあるのは経済のデジタル化や保護主義、グローバル化の深化だとされる。例えば、デジタル技術の発達で、安くて品質の良い製品はどこかで大量生産しなくても需要地で必要なだけ生産し、供給できるようになった。中国から本国ドイツに生産の一部を回帰させたアディダスなどが好例だ。

 貿易依存度が高い日本企業には逆風かもしれない。世界の株式時価総額ランキングを見ても、日本勢の最高はトヨタ自動車の48位と低調だ。浮揚の兆しはない。

 だが、変化をもろともしない企業も世界には少なくない。スイスの食品世界最大手、ネスレが一例だ。時価総額は13位と米国勢やIT企業を除くと最も高い。6月下旬にはもの言う株主で知られる米ヘッジファンド、サード・ポイントが株主還元の拡大などを求め、株式市場の関心を一段と集める。

 売上高の3分の1は今もコーヒーだ。創業から151年間で赤字決算は一度だけ。買収先を除く売上高は世界のGDPを超える成長率を常に達成してきた。秘策は特にない。191カ国・地域に進出し、1袋15円でコーヒーやスープを売る途上国から、高級食材、見守り機能付きコーヒーメーカーを売る先進国市場まで、きめ細かい商品展開でひたすら稼ぐ。各国・地域に根ざして発展を追いかけ、アービトラージを重ねるわけだ。

 「日本企業はオールジャパン。スイスはオールグローバルなのが違い」と話すのは日本での駐在経験もあるマイケル・ブリナー副社長。同氏が率いるアジアオセアニア部門があるスイス本社3階を訪れると社員は40人しかいない。国籍が100カ国以上に及ぶ社員のほとんどは世界中に散らばり、中央集権的経営はしないという。

 スイスには実はこうしたグローバル企業が多い。時価総額で世界21位の医薬品大手ロシュ・ホールディング、29位のノバルティスも社員の国籍は100カ国近くに上る。日本企業と明暗を分けるのは多様性を生かす力量ではないか。

 スイスの経営大学院IMDが毎年まとめる「国際競争力ランキング」によると、92年まで5年連続首位だった日本は「失われた20年」をなぞるようにその後順位を下げ、17年も26位に低迷。一方のスイスは香港に次ぐ2位を守った。順位の差は何か。アルトゥーロ・ブリス教授は「多様な人材を呼び込み、世界の接点として存在感を高めているかどうか」とみる。

 やはり多様な国籍の研究者を抱えるというIMDの授業を取材すると、ちょうど日本に言及していた。担当のステファン・ジロー教授らの別の調査によれば、グローバル化への意欲が世界一高いのは日本企業だった。だが運営能力が追いつかず「意欲と能力の差が最も開いたのも日本」だという。

 日本にとってグローバル化の次のステップは「スイス」かもしれない。同じく国土は狭いが、公用語のほかに英語が通じ、海外人材の受け入れに積極的だ。そこから学ぶべきは、外国人を管理する日本人の養成ではなく、多様な海外人材を集め、日本人だけでは不可能だったアービトラージを狙うことだろう。日本で学位を取ったIMD前学長のドミニク・テュルパン教授も「日本に問題があるとすれば意識の持ち方だ」と話す。

 最近はIMDにも「多様性を学びに来る日本企業幹部が増えた」とも語る。日本もようやくカジを切ろうとする兆しだろうか。だとすれば「日本は変われない」との屈辱的なレッテルを返上し、グローバル企業大国としての新たな一面を示してほしい。

2017-08-07 成長の三要素。

[]つながる資質。 つながる資質。を含むブックマーク つながる資質。のブックマークコメント

日経プロムナードより。森田さんのはいつもイラストがかわいい。

転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ。
それと同時に、立ち上がってもなお、いつでも転べる勇気と身軽さ。
そのどちらも失わないでいたいと心から思う。

つまりだ。

「いつ転んでも構わない」という覚悟だ。

そして

「いつ転ぶかもわからない動き」つまり積極的な行動だ。

そして

「転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ」。

覚悟があり、臆することなくチャレンジし、失敗しても起き上がる。
どれかが欠けたら途切れてしまう。
でもこの三つだけあれば何かいろんなことができそうな気がする。

さあさあさあ。
自分は改めてこの三つを選びたいと思う。

転ぶ 森田真生
 iPhoneに標準でインストールされている「ヘルスケア」というアプリがあって、自分が歩いた距離や歩数が毎日記録されている。最近そのことを友人に聞いて、早速アプリを開いてみると、自分の歩行データが2年も前からびっしり記録されていた。中身を見ると、やはり先日の旅行中の数値が突出している。旅の間、平均して1日1万8千歩、12キロ以上歩いていたらしい。最高記録はウィーンにいた日で、3万9千歩、26キロも歩いた。

 ところで、これだけ歩いたにもかかわらず、私は旅先で一度も転ばなかったのである。それがどうしたと言われそうだが、転んでは起き、起きては転びながら歩く1歳5カ月の息子を見ていると、何十万歩も転ばずに歩くなんて、まるで奇跡のように思えるのだ。

 2013年の夏、アメリカボストン・ダイナミクス社とDARPA(国防高等研究計画局)の共同で、2足歩行ロボットアトラス」が公開された。その当時、DARPAの企画責任者を務めるギル・ブラット氏は、このロボットが「何度も転びながら歩く1歳児」の段階にあるとの見解を示した。昨年の2月、同じロボットの最新モデルが発表されて、荒地や傾斜路、雪の上でもバランスを取りながら、まるで本物の人間のように歩く姿が話題になった。

 少し前まで、山道や雪道を二足で歩くロボットなど夢のまた夢であった。なめらかな実験室の床でさえ、転ばずに歩くのは大変なのだ。ましてや、斜面もあれば、ぬかるみもあり、雨も降れば、車も行き交う現実の世界は、ロボットにとってあまりに過酷だ。

 1982年、アーティストのナム・ジュン・パイクは、ロボットを実験室から路上に連れ出し、史上初めて交通事故の犠牲になるロボットを見せるパフォーマンス作品を披露した。その頃はまだ、ロボットを「野生」に放つことが、それだけで批評性を持ち得る時代だったのである。

 いまやロボットは、歩行の能力において人間の柔軟さに迫りつつある。アトラスは、荒れた野生の大地の上でも、逞(たくま)しく歩き続ける。チェスで人間を倒して20年あまりが経(た)ったいま、ようやく、機械は人並みに歩けるようになりつつあるのだ。

 歩くことは、チェスを打ったり、数学の問題を解いたりすることに比べると目立たない種類の知性であるが、逆に、そうと意識する必要もないくらい、人間の身体に深くしみ込んだ能力なのである。

 何度も転び、そのたびにまた立つ。そうして試行錯誤をくり返しながら、私たちは歩くことを全身で体得してきた。転ぶたび、そして立つたびに、人の身体は賢くなっていくのだ。

 あっちへ走り、こっちへと駆け、ズデンと転んではぎゃあと泣きながら、子どもは身体の知性を鍛える。それに比べ、ちっとも転ばなくなってしまった自分は、どこか停滞しているのかもしれない。

 世界がひっくり返る無防備な転倒。ズデンと転んで、また立ち上がる。そうして世界は、日々新たに蘇(よみがえ)っていくのではなかったか。

 転んでも転んでも立ち上がるしぶとさ。それと同時に、立ち上がってもなお、いつでも転べる勇気と身軽さ。そのどちらも失わないでいたいと心から思う。

(独立研究者

2017-08-06 ネットも公正になるか。

[]嘘のないネットの時代。 嘘のないネットの時代。を含むブックマーク 嘘のないネットの時代。のブックマークコメント

ネットの普及は「自動運転車」などだけでなく、あらゆる方向から「地球上の自分たち」を囲い込みつつある。

サンフランシスコ衛星情報ベンチャー、スペースノウは中国の6千以上の工業地区の車の数、工事や操業の状況などを衛星画像から分析し指数化。政府が公表するデータと比較できるようにしている。

宇宙はともかく。
地球上の出来事はかなりの部分で「神の目」が実在しつつある。

さらにネット上でも「偽ニュース」を監視し、排除する仕組みもそのうちに動き出すようだ。
透明化とか共有化、というキーワードはあらゆる場所で進行している。

技術の進化とともに「これまでは秘匿できていたこと」は急速に日のもとにさらされようとしている。
これからは「秘め事」そのものがかなり難しい時代になりそうだ。

米西部からメディア新風 調査報道に衛星画像など

 【シリコンバレー=兼松雄一郎】世界のIT(情報技術)をけん引する米国西部からメディアの新たな風が吹き始めた。オンライン百科事典「ウィキペディア」の創設者は、ボランティアが参画するインターネットメディアを9月に創設。人工衛星ドローンを運用する企業が情報収集を支援する動きも広がる。真偽の定かでない「フェイクニュース」に揺れる世界への影響力が試される。

 ウィキペディアの創設者、ジミー・ウェールズ氏が立ち上げる新メディア「ウィキトリビューン」は調査や事実確認など一部業務でボランティアを活用する。それぞれの専門知識や経験を生かしてもらうほか、運営コストの低下にもつなげる。

 政治や経済、科学技術などの分野を対象とする無料メディアで、寄付金で記者と編集者を合計10人雇う。クラウドファンディングで1万1千人以上から2200万円以上を、米グーグルファンドからも編集に関与しない条件で約5千万円を調達した。寄付者らは報道する分野などを投票で決めるが、個別の報道には関与しない。

 将来的にウィキペディアの募金集めの仕組みや既存のボランティア団体とも連動する見通しで、有力メディアに成長するとの見方もある。ウェールズ氏は「地方紙と記事共有で協力するなどして既存メディアとは共存できる」と語る。

デジタルグローブが撮影し、AP通信の報道につながった違法漁船の画像

 AP通信は衛星を生かした報道で昨年ピュリツァー賞を受賞した。人身売買された奴隷が働かされるパプアニューギニア沖の漁船を突き止め、最終的に2千人以上の解放につながった。漁船の当てをつけたあと、30センチメートル単位までの物体識別が可能な衛星を運用する米西部コロラド州のデジタルグローブに依頼。同社は動かぬ証拠となる画像撮影に成功した。

 デジタルグローブのジェフリー・ター最高経営責任者(CEO)は「感染症の拡大、森林破壊なども確認できる『宇宙からの目』は様々な形で人類に貢献できる」と語る。同社は米ドローンベンチャー、プレシジョンホークと連携した情報サービスも展開する。調査報道の道具は衛星以外にも広がりそうだ。

 米南西部アリゾナ州のベンチャー、ワールドビューは成層圏まで上がる気球を使った旅行や通信、画像解析などの事業を計画ジェーンポインターCEOは「気球は特定地域の重点調査が可能で報道にも応用できる」と語る。

 約150の小型衛星網で画像を撮影する米サンフランシスコのベンチャー、プラネット・ラボはシリアヨルダン国境などの難民キャンプが急拡大する様子をとらえた。昨年9月に米紙ワシントン・ポストはこれを素材に分析記事を展開した。

 米サンフランシスコの衛星情報ベンチャー、スペースノウは中国の6千以上の工業地区の車の数、工事や操業の状況などを衛星画像から分析し指数化。政府が公表するデータと比較できるようにしている。中国の経済統計は実態を反映しているか疑われることも多く、パベル・マカレクCEOは「政府発表の信頼性検証など、衛星は新たな報道の可能性も切り開きつつある」と強調する。

2017-08-05 画像の時代。

[]目か耳か。 目か耳か。を含むブックマーク 目か耳か。のブックマークコメント

IoTといい、AIといい。
最近のニュースはその新しさについていくのも精一杯だ。
そんな中でも。

街頭に設置したカメラなどで人や車の通行量など大量の交通データを収集し、AIが過去の事例から渋滞しそうな場所や時間帯を予測する。

つまり。
IoTで設置されるセンサーとかIT機器ももちろんだけれど、それを上回るのが「画像」なのかもしれない。

一昔前までは「画像」というのは見る人の主観でいかようにも変わる、文字通り「絵」のようなものだった。
それが今や「その絵」を限りない数学習すればもはや「勝手な描画」ではなくなりつつある。

定点的に置かれたIoTのセンサー群がもたらすデータも重要だが、
世界的に映された「画像データ」が何千億枚も集積されて、「数の頼み」で世界を圧倒する時代がくるような気がする。

「目がない」はずのコンビューターに「目で処理する技術」が備わったら、「目で見ていた自分たちの世界」は一変するかもしれない。

データと画像、の競争は早晩決着するのではないだろうか。


AIで観光地の渋滞予測 国交省社会実験公募

 国土交通省は2日、観光地で人工知能(AI)を活用した渋滞対策の社会実験を始めると正式に発表した。自動料金収受システム(ETC)や街頭に設置したカメラなどで人や車の通行量など大量の交通データを収集し、AIが過去の事例から渋滞しそうな場所や時間帯を予測する。自治体や警察と情報を共有し、早期の交通規制に役立てる。

 国交省は21日まで全国の観光地から実験地域を公募。9月中に2〜3カ所を選定し、10〜11月から実験を始める。2〜3年かけて検証し、効果が実証されれば、他の観光地でも導入する。渋滞の予測結果は旅行客向けにスマートフォンアプリなどでも配信する予定で、混雑する時間帯を避けてもらう。

 訪日観光客増加に伴い、乗用車や観光バスによる渋滞悪化が住民の苦情を招くなど問題になりつつある。観光地の中心部に向かう車への課金を検討している自治体もあり、同省は「車や人の流れを効率的に把握できるシステムを作り、各地での渋滞解消策の推進につなげたい」と話している。

2017-08-04 そもそも最初に分かっていたらやってないこと。

[]ちょうどいいバカ論。 ちょうどいいバカ論。を含むブックマーク ちょうどいいバカ論。のブックマークコメント

糸井さんの経営学講座。
自分は大した仕事はしてこなかったけれど、それにしても「こんな風になるとは…」と唖然とすることばかりだった。

そもそもそんなことがやり通せるのか?
なまじ頭のいい人ばかりが集まっていたら、
「やめたほうがいい」と結論づけてしまうだろう。
ただ、「なまじじゃなく頭のいい人」だとか、
「ちょうどよくばかな人」だとかがいて、
「できるはずだし、やるです」と言えたのだろうなぁ。

間違いなく「ちょうどよく」バカな人だ。
俺は。

よく周囲から「いつまでやるですか」「どこまでやるのですか」「どうするんですか」と言われる。

長年の疑問が晴れた。
どう考えても商売のうまい方ではなく、用心深さもない。
人様の掘った穴にスポーンと落ちることもしばしばじゃない。

ジョブズはstay foolishと言っていたけど。
ジョブズほどのバカっぷりだと時価総額世界一か。
それほどのバカができる人はそういない。
ちょっと頭の鈍いバカ、くらいが色々やれていいのだろう、と自分を慰めよう。


糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

蒸気機関車が発明されて、
現実にそこにあるものとしてお披露目されたとき、
「これはすごいものだ」と、人びとは驚いただろう。

しかし、驚いている人のなかには、
「たしかにすごいのだけれど、この線路というやつ。
これをどこまでも延ばして行く方法がわからない」と、
先の困難について考える人もいたと思うのだ。

「こうこうこうやって、枕木というものを敷いて、
いやその前に敷石を積んでいって‥‥」と説明しても、
そんなことが実現できると信じられただろうか。
ちなみに、いま、ちょっと冗談気分で調べたら、
日本の「鉄道路線の総延長距離」というやつが、
約20,000キロメートルだった。
しかもこれは、JRの線路だけだって。
「にまんきろめーとる、だれが敷きまんねんっ?」
と大笑いになってもおかしくないけれど、
実際には、いま現在、その長さのレールが敷かれている。
ついでに言えば、アメリカは2,000,000キロだってさ。

なにごとも、はじまったばかりのときに、
「いずれこうなりたい」と語ると冗談みたいに聞こえる。
その工事に関わる人の数、かかるお金の高、期間、
そもそもそんなことがやり通せるのか?
なまじ頭のいい人ばかりが集まっていたら、
「やめたほうがいい」と結論づけてしまうだろう。
ただ、「なまじじゃなく頭のいい人」だとか、
「ちょうどよくばかな人」だとかがいて、
「できるはずだし、やるです」と言えたのだろうなぁ。
その根拠をどこに置いたのかは、ぼくにはわからない。
ただ、いろんな例を見ていると、
たったひとつの、「なぜできたか」の理由が見えてくる。

「人びとが望んでいたから」だと思う。

鉄道も、道路も、飛行機も、インターネットも、
口に出したか出さなかったかは知らねども、
「人びとが望んでいた」ということは、いまわかる。
つまり、人のこころ(望み)が、それをさせたのである。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「夢に手足を」は、人のこころに問いかけることなんだな。

2017-08-03 運ぶフリー。

[]運送からの解放。 運送からの解放。を含むブックマーク 運送からの解放。のブックマークコメント

物流の規制が緩やかに緩和されている。
シェアの波はどうにも止まりそうにない、と思う。
一昔前ならば外国で異方者が乗り合いバスになぞ乗ると、すぐ「追い剥ぎに遭う」と注意されたものだ。
(ほんの15年くらい前のアジアの国の話です)

多分ITの発達もあって、安全面もずい分と高まってきたのだと察する。
そして「こういう波」は一度その方向へと向くとそれこそ怒涛のように流れを作るものだ。
人の物流に先んじて「物の流れ」は一気に効率化へとシフトするだろう。

日本や世界中の移動が、極限まで効率化され、自動化される。

そういう意味ではこれまでずい分と人間的だった「運ぶ」という営みが、一気に「ロジスティクス」という名に変わり整然とした流れに変わって行く気がするのは自分だけだろうか。

ここ2000年、いや数千年も人が行っていた「運ぶ」という行為は、ITと機械のおかげでいよいよなくなるのかもしれない。
物流の量はますます増えて、でも道路は整然とした感じになるのではないだろうか。

バス・タクシーで宅配荷物を運送 規制緩和、9月から
 国土交通省は、宅配用の荷物と旅客を同時に運べるようにするため規制を緩和する。路線バスがこれまで以上に多くの荷物を運べるよう重量制限を撤廃する。地域限定で、タクシーが荷物だけでも配送できるようにする。運送・物流業で担い手不足の深刻さが増すなか「貨客混載」と代替輸送によってサービスの効率化を進め、人手不足に対応する。

 国交省はこれまで旅客運送の安全を確保する観点からバスやタクシーは旅客、トラックは貨物の運送に特化させてきた経緯がある。政府の規制改革推進会議が物流業の危機的な人手不足を背景に規制緩和を求め、ヤマト運輸も「地方の宅配ビジネスの可能性が広がる」と主張してきた。

 国交省は9月、貨物自動車運送事業法道路運送法に関連する新たな通達を出す。バスやタクシー、トラックが旅客と貨物の運送を兼ねることができるようにするのが柱で、荷物を運ぶ場合の積載量などを示す。

 今回の規制緩和で、旅客を乗せるバスでも法律の認可があれば、全国どこでも大型の荷物も運べるようになる。今は法律上350キログラム未満の荷物しか配送できないが、この重量制限を撤廃する。バスの中に、新たな積載スペースを設けて荷物を運ぶことが可能だ。

路線バスに設けられた保冷庫に荷物を積み込むヤマト運輸の社員(1月、宮崎県西米良村

 ヤマト宮崎交通と手を組み、試験的な取り組みを2年前から先行して始めている。宮崎交通が持つ路線バスを使い、ヤマトがまず物流拠点からバスに荷物を運び入れる。バスが別の地域の停留所に着くと、ヤマトの従業員が荷物をおろして個人宅に配送する。途中の輸送方法をトラックからバスに代替する手法を全国で展開する。

 タクシーや貸し切りバスに関しても規制を緩和する。これまで認めていない貨物の運送を過疎地に限って容認。過去25年で人口が2割超減っていることなどを目安に実施地域を選ぶ。過疎地の交通インフラ機能の劣化を防ぐ狙いがある。

 タクシーが地方の中核都市で客をおろす。その後、近くの民間事業者の物流拠点で荷物を積み込み、物流拠点や個人宅などに運ぶといった事業モデルが想定できる。反対に、「赤帽」などトラック業者が旅客自動車運送事業の認可を得れば、過疎地で旅客を乗せることも可能になる。

 発着地のどちらかが過疎地であればよく、走行距離に規制は設けない。貸し切りバスも、タクシーと同じように荷物を運べる。運送料金は荷物を運ぶタクシーやバス会社が決めるため、料金の多様化も促しそうだ。

 ヤマトなど物流事業者にとっては、自社のトラックによる輸送を減らせる利点があり、バス会社はヤマトからの運送料金を得ることで収入を補完。路線の維持にもつながる。全国の自治体で物流業者と運送業者の連携が広がる可能性が高く、過疎地の交通インフラ網の再整備も期待される。

2017-08-02 そもそも最初に分かっていたらやってないこと。

[]ちょうどいいバカ論。 ちょうどいいバカ論。を含むブックマーク ちょうどいいバカ論。のブックマークコメント

糸井さんの経営学講座。
自分は大した仕事はしてこなかったけれど、それにしても「こんな風になるとは…」と唖然とすることばかりだった。

そもそもそんなことがやり通せるのか?
なまじ頭のいい人ばかりが集まっていたら、
「やめたほうがいい」と結論づけてしまうだろう。
ただ、「なまじじゃなく頭のいい人」だとか、
「ちょうどよくばかな人」だとかがいて、
「できるはずだし、やるです」と言えたのだろうなぁ。

間違いなくちょうどよくバカな人だ。
俺は。

よく周囲から「いつまでやるですか」「どこまでやるのですか」「どうするんですか」と言われる。

長年の疑問が晴れた。
どう考えても商売のうまい方ではなく、用心深さもない。
人様の掘った穴にスポーンと落ちることもしばしばじゃない。

ジョブズはstay foolishと言っていたけど。
ジョブズほどのバカっぷりだと時価総額世界一か。
それほどのバカができる人はそういない。
ちょっと頭の鈍いバカ、くらいが色々やれていいのだろう、と自分を慰めよう。


糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

蒸気機関車が発明されて、
現実にそこにあるものとしてお披露目されたとき、
「これはすごいものだ」と、人びとは驚いただろう。

しかし、驚いている人のなかには、
「たしかにすごいのだけれど、この線路というやつ。
これをどこまでも延ばして行く方法がわからない」と、
先の困難について考える人もいたと思うのだ。

「こうこうこうやって、枕木というものを敷いて、
いやその前に敷石を積んでいって‥‥」と説明しても、
そんなことが実現できると信じられただろうか。
ちなみに、いま、ちょっと冗談気分で調べたら、
日本の「鉄道路線の総延長距離」というやつが、
約20,000キロメートルだった。
しかもこれは、JRの線路だけだって。
「にまんきろめーとる、だれが敷きまんねんっ?」
と大笑いになってもおかしくないけれど、
実際には、いま現在、その長さのレールが敷かれている。
ついでに言えば、アメリカは2,000,000キロだってさ。

なにごとも、はじまったばかりのときに、
「いずれこうなりたい」と語ると冗談みたいに聞こえる。
その工事に関わる人の数、かかるお金の高、期間、
そもそもそんなことがやり通せるのか?
なまじ頭のいい人ばかりが集まっていたら、
「やめたほうがいい」と結論づけてしまうだろう。
ただ、「なまじじゃなく頭のいい人」だとか、
「ちょうどよくばかな人」だとかがいて、
「できるはずだし、やるです」と言えたのだろうなぁ。
その根拠をどこに置いたのかは、ぼくにはわからない。
ただ、いろんな例を見ていると、
たったひとつの、「なぜできたか」の理由が見えてくる。

「人びとが望んでいたから」だと思う。

鉄道も、道路も、飛行機も、インターネットも、
口に出したか出さなかったかは知らねども、
「人びとが望んでいた」ということは、いまわかる。
つまり、人のこころ(望み)が、それをさせたのである。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「夢に手足を」は、人のこころに問いかけることなんだな。

2017-08-01 楽に成る。

[]最後は音楽。 最後は音楽。を含むブックマーク 最後は音楽。のブックマークコメント

論語の「子曰(い)はく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」。
言葉での感動(詩)や、社会における対人関係の正しいあり方(礼)だけでは人間は完成しない、最後は音楽だというのである。

最後は音楽に人生の拠り所を求める、というのはなんとも洒落ているというか、こなれたいい人生、という感じがするけれど、これほど近代化した今だから際立つ特徴なのだろう。
「詩」から「礼」に、そして「楽」に。
故人の寸鉄には時代を経ても全く切れ味の鈍らないものが多い。
「いい作品は古典にある」という話もある。
また近々に取り上げさせてもらいます。


春の音楽祭 元内閣府事務次官 松元崇

 東京上野の春の音楽祭が13回目を迎えている。インターネットの会社(IIJ)の会長、鈴木幸一さんが、16年前に小澤征爾さんから日本でもオペラをやりましょうといわれて始めた音楽祭だ。金食い虫だと愚痴っぽく言いながら、音楽を語るときの鈴木さんの目は輝いている。好きこそものの上手なれというが、その造詣も友人関係も余人をもって到達し得ない域に達している。私など名前しか聞いたことがないムーティイタリア指揮者)らともお友達。昨年の音楽祭でも来日したムーティとのレセプションでの様子などを見ていると、音楽家と過ごす時間が楽しくて仕方がないというオーラが伝わってくる。

 そこで思い出すのが論語の「子曰(い)はく、詩に興り、礼に立ち、楽に成る」。言葉での感動(詩)や、社会における対人関係の正しいあり方(礼)だけでは人間は完成しない、最後は音楽だというのである。孔子は、斉の国の音楽を聴いたときには、3カ月間肉の味が分からなくなったほど感激した。自分でも、瑟(しつ)という琴を演奏し作詞作曲もしていたという。孔子といえば、十有五にして学に志し、しかつめらしい道徳論ばかり唱えたと思われがちだが、人間の原点を踏まえれば最後は「楽に成る」と説いていたのだ。

 私が好きなのは小学校で習った縦笛。あの素朴な音色がよい。かつては、ピアノはあまりにも表情豊かで好きでなかった。それが、最近はピアノにも親近感を感じるようになった。それで「楽に成」ったとも思えないが、いろいろな音楽番組を録画して楽しんでいる。数多くの演奏が、桜とともに上野の森に咲きそろう春の音楽祭が長く続くのは素晴らしいことだ。

2017-07-31 脱・手間仕事。

[]嬉し苦し、わたしたち。 嬉し苦し、わたしたち。を含むブックマーク 嬉し苦し、わたしたち。のブックマークコメント

モノポリー(寡占)は面白いボードゲームの名前だが、二極化とか富の偏在、とよく話題になるこれからのキーワードものかもしれない。

230万人対66万人。
スーパー世界最大手のウォルマートと、4月に米市場の時価総額の上位に並んだITビッグ5(アップル、アルファベット=グーグルマイクロソフトアマゾン・ドッド・コム、フェイスブック)合計の従業員だ(米国外を含む)。
5社が束になっても、ウォルマート1社の3割に満たない。

ビッグ5はたいそうお金持ちだが、それでも人は減っている。
効率的というか、寡占化というか。

いっそのこと「雇用が減っている」と思わずに「働かなくていい事態が進みつつある」と解釈してはどうだろうか。
ITとかネットの進化のおかげで、どんどん人間は「単純労働から解放」されているということだと思う。

だから雇用がなくなる恐怖、というよりも「検品とか検査とかデータ入力」とか「運転とか配送とか取り継ぎ」とかの人手からは解放されるのだ。
有難いことだが、そのために食えなくなってしまっては困る。

つまりは今の自分の仕事の中で「コンピュータでできることと絶対にできないこと」について真剣に考えねばならない時代が迫っている。

ムムムむむ。

ニュー・モノポリー 米ITビッグ5(下) 少ない雇用、処方箋見えず 置き去りの労働者
 一握りのIT(情報技術)企業にデータや富、頭脳が集まるニュー・モノポリー(新たな寡占)。ソーシャルメディアなどを通じ、生活は格段に便利になった半面、新しい時代に順応できない人たちも増えている。

多くの労働者が将来、ロボットに置き換わる可能性も(アマゾンの配送センター、カリフォルニア州)=ロイター

 230万人対66万人。スーパー世界最大手のウォルマートと、4月に米市場の時価総額の上位に並んだITビッグ5(アップル、アルファベット=グーグル、マイクロソフト、アマゾン・ドッド・コム、フェイスブック)合計の従業員だ(米国外を含む)。5社が束になっても、ウォルマート1社の3割に満たない。

 10年前。ファクトセットによると2007年末の時価総額トップ5社の従業員数は計109万人だった。ゼネラル・エレクトリック(GE)とAT&Tがそれぞれ30万人超の雇用を抱えていた。

 ITビッグ5も雇用を増やしてはいる。際立つのが、インターネット販売の拡大に応じて配送センターの整備を急ぐアマゾン。全世界で10年前の1万4000人から34万人に増えた。今年1月には1年半の間に米国で10万人の常勤労働者を採用する計画をぶち上げた。

 だが既存小売業を侵食するアマゾンの雇用増は小売業の失業増と裏腹だ。短期的に小売業の失業を吸収したとしても厳しい労働環境もあって離職率は高い。長期的にはロボットで自動化される可能性が高く、若い人たちが生涯、勤め上げる仕事とは言いにくい。

 アマゾンも認識している。一定期間勤めた従業員に費用の95%を先に支給する資格取得支援プログラムを用意。ジェフ・ベゾス最高経営責任者(CEO)は「アマゾンの仕事は他の分野でのキャリアのステップかもしれない」と、離職後の備えとの側面を認める。

 新たな技術は新たな需要の母となり、新たな仕事を生んできた。だが蒸気と電力による人海戦術型の産業革命を経て、コンピューター化による第3次革命で潮目は省力化へと変わった。人工知能(AI)を軸とする第4次革命で少数精鋭の傾向はもっと強まる。

 こうした変化に取り残された低技能の白人労働者層の不満が、トランプ政権を生み出した。バンクオブアメリカ・メリルリンチのマイケル・ハートネット氏は「金融危機後にウォール街を占拠しろと主張するデモがあったが、これからはシリコンバレーが標的になりかねない」と指摘する。

 ITは自分の得意なことを自分の都合のよいときに提供する新たな労働の姿を生み出した。一夜限りの演奏(ギグ)になぞらえたギグ・エコノミー(日雇い経済)。組織に縛られない自由な働き方を得る半面、雇用は不安定社会保険などの待遇も不十分で、様々な労働問題が起きている。

 「ベーシックインカムのようなアイデアを探るべきだ」。フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOは5月、学んだハーバード大学の卒業式で主張した。最低限の公的所得が無条件で得られる仕組みで、シリコンバレーの企業経営者の間で支持が広がる。

 だが、技術の変化を軽んじ、一昔前のような工場労働者の増加を訴えるトランプ大統領がその声に耳を貸す可能性は低い。「新たな寡占」が社会にもたらす弊害とその処方箋はまだ見えない。

 ニューヨーク=山下晃、大塚節雄、シリコンバレー=小川義也が担当しました。

2017-07-30 マンスプレイニング。

[]表現の妙。 表現の妙。を含むブックマーク 表現の妙。のブックマークコメント

年長者には決してできず。
圧倒的に若者の、それも十代の言葉ってある。
KYとかめんどくさい、というのとか。

「盛った」「詰んだ」「終わった」。
一言でその状況を表す表現力は凄まじい。

マンスプレイニング。

何それ?と思ったが同様の納得があった。

男が女性に「偉そうに一方的に語ること」だそうだ。
マン+エクスプレイン(説明)が元だという。

うまいことを言う。
男って(女性のように)噂話でひたすら空間を埋める、ということはあまりしないけれども、こういう「一方的な語り」で結構周囲に迷惑をかけているらしい。
それも異性に対して、というのはかなり見苦しい光景である。
「ああ、それは実はお上の規制があってね…」とか
「カロリー消費するには、細胞ミトコンドリアの働きが重要でさ…」
とか。

男とはそうして「自分のあるある」をアピールすることが一番の快感なのかもしれない。
それにしても「そういう行為」をマンスプレイニング、と名付けてくれた隠喩は見事だと思う。
気をつけていたいものだと思う。


マンスプレイニング考 山内マリコ

 美容院で鏡の前に座り、雑誌をめくっていたときのこと。アシスタントの若い女性が誌面をひょいと覗(のぞ)き込み、「あ、この映画、『きぐるいピエロ』ですよね」と言った。

 惜しい。正解は『気狂いピエロ』。「狂い」の部分を「ちがい」と読む。以前は普通に使われていた言葉だが、自主規制の激しい昨今はこの言葉をうっかりテレビの生放送で言うと、謝罪しなくてはいけない。このように差別用語とされ、いつの間にか消えた言葉は多い。他にも例を挙げたいところだけど、やめておいた方がよさそうだ。

 言葉狩りの件は一旦脇に置いて、とにかく今はこの美容師アシスタントの若い女性に、正しい題名を教えておかなければと思った。なぜなら私もずっとこの映画のタイトルを「きぐるい」と呼んでいた過去があるから。彼女に放送禁止のくだりを伝え、さらに「テレビで放映するときはわざと『きぐるい』って読んだりもするらしいけどね」と注釈を添えておいた。彼女は「へえ〜そうなんですね!」と目を輝かせた。

 ジャン=リュック・ゴダール監督の名作『気狂いピエロ』のことを、もっと詳しく教えたい。きっと彼女がその映画のタイトルを知っているのは、ヒロインを演じる女優アンナ・カリーナの魅力やファッションを、女性誌がたびたび紹介しているからだろう。私もそうやって、女優の美しさや着こなしに惹(ひ)かれて、小難しい映画を観(み)るようになった。

 今、目の前に、15年前の自分がいる。この若い芽を大切にしなければ。文化系というかサブカルと呼ぶべきか、この手の映画に興味を示す若者は年々減っていると聞く。この貴重な機会に、若い彼女に、素敵(すてき)なフランス映画を伝導しなければ!

 しかしここで、ぐっと丹田に力を入れ、己を制した。私は鬱陶しい映画ファンであると同時に女性でもあるので、この一連の現象に付けられた名前を知っているのだ。

 マンスプレイニング。

 訊(き)かれてもいない質問に勝手に答え、悦に入りながら長々と説明して相手を困らせる行為。主に男性が女性にやりがちなので、man(男)とexplain(説明する)がかけ合わされている。ネット時代に山のように出現した中でも、指折りの新語だ。

 この言葉を知ったときは、「うまいこと言うもんだなぁ」と感心した。たしかにある種の男性は、とくに若い女性を無知と決めてかかっていることが多く、やや見下した調子で偉そうに語ってしまう、訊かれてもいないのに。彼らの気持ちが今わかった。説明したい! このうら若き女性に、ヌーヴェル・ヴァーグのこととか語りたぁ〜い!

 だが、待て、私。実は彼女が、町山智浩さんの映画解説の熱心なリスナーだったりしないか? それに第一、「へえ〜そうなんですね!」と目を輝かせたのは、ただの合いの手だったんじゃないのか? 若い女性の目は概(おおむ)ね輝いているし、リアクションも溌剌(はつらつ)としている。本当に興味を持って深く知りたければ「教えて下さい」と言うだろう。

 なにより、彼女は差別用語をお客様である私の前で口にするのをはばかって、気を遣ってわざと「きぐるい」と言い換えたのかもしれない。

 「マンスプレイニング」が酷い男性差別の言葉として使えなくなる日も、きっと来る。

小説家

2017-07-29 求む、読書コンサルタント。

[]教養に触れられない自分。 教養に触れられない自分。を含むブックマーク 教養に触れられない自分。のブックマークコメント

日経、リーダーの本棚より。

石橋湛山高坂正堯粕谷一希に関する一連の著作座右の書といえるかもしれません。

国立公文書館館長 加藤丈夫氏の読書遍歴の紹介だ。
こういう話を聞くと結構愕然とする。
自慢じゃないが、文学作品も、哲学書も、評論も。
自分の経験からは「完全に」抜け落ちている。

ビジネス書や経営録とか。
自己啓発系。
あとは実用書。
そんなのが自分の本棚に溢れている。

もうこの歳だから、いい加減記事にあるような「滋養のある書物」を手に取りたい。
けれども今日も「AIの基礎技術」と「民泊法律」という本を買っている私。
まだまだ本物の教養との距離は遠い。
というか、いつかはそれに触れることができるのだろうかしらん。

「キミは今、この本を読む必要があるね」とか。
「キミには知識の偏りがあるから気をつけたまえ」とか。
そんなことを指南してくれる読書アドバイザー
そんな職業がこれからは出てくるのじゃないだろうか。

いや、出てきて欲しいのです。
鬼平犯科帳だけは読んでるんですけどねぇ。


国立公文書館館長 加藤丈夫氏 興味ある人の作品は全部

  父・謙一氏は戦前の講談社で看板雑誌「少年倶楽部(くらぶ)」の編集長を務め、戦後は独立して「漫画少年」を創刊した。

 父は大変な読書家で、我が家はいつも本であふれていました。そんなこともあって、小さいころから和洋やジャンルを問わず、古典から現代ものまで手当たり次第に目を通してきました。

 漫画雑誌の発行元だったので、漫画もよく手にしました。手塚治虫は『ジャングル大帝』『火の鳥』はもちろん、読んでない作品はないと思います。

 この10年ほどは、明治から昭和にかけての近現代史と関連する評論を中心に読んでいます。石橋湛山、高坂正堯、粕谷一希に関する一連の著作は座右の書といえるかもしれません。1冊には絞りにくいですが、昨年出版された五百旗頭真中西寛編『高坂正堯と戦後日本』はよい本でした。いまの日本を考えるうえで苅部直、簑原俊洋らの主張にも共感します。その中では細谷雄一著『安保論争』を推薦します。後藤新平も評伝はほとんど読んでいます。

 総合雑誌が全盛だった時代に「中央公論」編集長を務めた粕谷さんには生前、親しくしていただき、主宰する勉強会東京史遊会」にも参加しました。そこで芳賀徹高階秀爾、相田雪雄、金平輝子さんら優れた読書人と付き合う機会を得て、大いに啓発されました。粕谷さんには、読書を通じてこそ過去に学び、現在の世の中の動きを正しく捉え、未来を考えることができるとの信念がありました。勉強会の末席に加えていただいたのは、政治家官僚経営者の中にも読書人が多くいてほしいと願っていたからでしょう。

  そうした経験もあり、民間から公文書館の館長に迎えられた。

 現代史への関心が近年強まったのは、いまの仕事も影響しています。公文書館は春と秋に特別展を、加えてやや小規模な企画展を年4回開いています。そのときどきの展示に関連した本をじっくり読むようになりました。

 今年春の特別展「誕生 日本国憲法」は大変な盛況でした。同時開催の講演会の講師をお願いした古関彰一さんの『日本国憲法の誕生 増補改訂版』には感銘を受けました。2年前のケネディ大統領の特別展の際は、土田宏著『ケネディ―「神話」と実像』、ビル・オライリーほか著『ケネディ暗殺 50年目の真実』などを読みました。なかでもケン・フォレット著『永遠の始まり』は大変よかったです。

 3年前の特別展「江戸時代罪と罰」を企画した当館に勤務する氏家幹人は文章も大変優れています。彼が書いた同名の著書は、当時の社会の実相を知るうえで必読の本だと思います。

 余談ですが、せっかく資料の宝庫に毎日いるのに見たことがないのはどうかと思い、古文書の読み解きにも挑戦しています。同じ時代の同じ種類の文書には共通して使われる文字や言い回しがあります。それを手掛かりに読んでいくと急に「わかった」という瞬間があり、パズルを解くようです。

  40〜50歳代のころは時代小説にはまっていた。

 池波正太郎は小説だけでなく、随筆も全部読み、『鬼平犯科帳』はドラマのDVDも全巻購入しました。彼の好きな散歩コースを歩き、好みの蕎麦(そば)屋や食堂に立ち寄るのはいまも楽しみです。池波の後を継げる作家としては、逢坂剛近藤重蔵が主役のシリーズに期待しています。

 吉村昭も全作品を読む作家のひとりです。『大黒屋光太夫』など丹念な取材をもとにした作品には、吉村の誠実な人柄が表れていると思います。自分としては長編より短編が好きです。

 趣味がクラシック音楽を聴くことなので、その分野の評論や随筆にも手を伸ばします。ご本人を存じ上げていることもあり、中野雄『指揮者の役割』、梅津時比古『音のかなたへ』は興味深く読みました。

 昨年、出版された本でいちばん面白かったのはユヴァル・ノア・ハラリ著『サピエンス全史』でした。ベストセラーになったので、いまさらと思われるかもしれませんが、大ヒットする前に自民党細田博之総務会長に薦められて読みました。慧眼(けいがん)に敬意を表します。

(聞き手は編集委員 大石格)

【私の読書遍歴】

・石橋湛山、高坂正堯、粕谷一希、後藤新平の著作や関連する評論。行動や思想に共感した人たちの著作や関連する本は続けざまにすべて読むことにしている。

《その他愛読書など》

(1)『鬼平犯科帳』シリーズ(池波正太郎著、文春文庫)。40〜50歳代のときに時代小説にはまった。池波正太郎は随筆もすべて読んでいる。

(2)『落日の宴 勘定奉行川路聖謨』(上・下、吉村昭著、講談社文庫

(3)『大黒屋光太夫』(上・下、吉村昭著、新潮文庫)。丹念な取材に作者の人柄を感じる。

(4)『』シリーズ(逢坂剛著、講談社文庫)

(5)『ジャングル大帝』シリーズ(手塚治虫著、講談社ほか)

(6)『』シリーズ(手塚治虫著、講談社ほか)。漫画編集者だった父の影響で手塚作品も読破した。

 かとう・たけお 1938年東京生まれ。東大卒。富士電機に入り、副社長、会長を歴任。2013年から現職。著書に父の伝記『「漫画少年」物語』がある。

2017-07-28 自分が手に取った石。

[]歩き続ける中で。 歩き続ける中で。を含むブックマーク 歩き続ける中で。のブックマークコメント

尊敬する森田真生さんのコラムより。

しかし時に人は、一度手に取ってしまった謎を、手放せなくなることもある。
そのときそれをぎゅっと片手に、握ったまま歩き続ける。

まだ若い人でも、鋭く世の中を見ると、全く違う世界が見えてくる。

「自分だけがぶつかっている特殊な問題」を究めてゆくことが学問なのだと、かつて三木清小林秀雄との対談のなかで述べたことがある。手放せない小石に出合ったときに、無邪気な散歩は、険しい学問の山道に入る。

どうしてこうもすごい表現ができるのだろうか。
自分は「その体験」をまだできていなくとも、そうした「険しい山道があるだろう」ことははっきりと伝わってくるじゃない。

そして筆者の専門である数学について。

美や善や宗教的な信念について、多様な価値観をぶつけ合う人類が、5+7=12であることについては、全会一致で合意する。人が人である限り、互いに手を取り合えるギリギリの場所。そこでくり広げられるのが、数学という営みなのだ。

数学などという学問が、どうしてそもそも可能なのか。これが、私がぶつかってしまった「問題」である。この問いは、数学に限らず、「人が人である限り手を取り合える場所」がどこにあるのかという問題にも直結している。

真面目に。
最近の政治とか国際外交とかをこの年で見ていると、こういう思いを禁じ得ない。

素直に「自分たちが手を取り合える場所」について話し合う姿勢を模索しないと、際限のない「保守リベラルの諍いの輪廻」から脱し得ないのではないだろうか。

古代と中世、近代では程度の縮小こそあれ、問題の質は少しも変わっていないように思える。
少しは数学を国同士の外交に活かせないだろうか。


手放せない石 森田真生

 まもなく1歳4カ月になろうとしている息子を連れて、今朝、近所の公園に散歩に出かけた。彼と一緒に歩いていると、この世界が至るところ未知に溢(あふ)れているのだと、あらためて実感させられる。大きな頭を小さな身体にのせ、てくてく歩き回りながら、花を見つけ、小石を見つけ、あるいは看板に描かれた犬を見つけて、そのたびになぜか親指と人差し指をピンと立て、「んん?」と不思議そうな声をあげる。

 彼が生まれる遥(はる)か前から、これまでずっとあり続けてきたはずの世界は、彼のくり出すすべての行為に、鮮やかな意味を返して応答している。水は冷たく、空は眩(まぶ)しい。イチゴは甘く、笑顔は嬉(うれ)しい。

 世界の新たな意味に出合うたび、「んん?」と驚くその声は、やがて言葉の力で像を結んで、溢れる問いへと変わるのだろう。

 どうして花は咲くのだろうか。どうして言葉は通じるのだろうか。どうして私は、いまここにいるのだろうか――。

 足元に転がる不思議を手に取り、じっと覗(のぞ)き込んで考える。やがてそれもポイと投げ捨て、前を向いて次へと歩く。未知を適度にやり過ごしながら、人は世界に慣れていくのだ。

 しかし時に人は、一度手に取ってしまった謎を、手放せなくなることもある。そのときそれをぎゅっと片手に、握ったまま歩き続ける。

 「自分だけがぶつかっている特殊な問題」を究めてゆくことが学問なのだと、かつて三木清が小林秀雄との対談のなかで述べたことがある。手放せない小石に出合ったときに、無邪気な散歩は、険しい学問の山道に入る。

 私がいま手に握っているのは「数学」という不思議な石だ。小さな頃から幾度も手に取り、何度か手放そうとしたけれど、どうしても捨てられなくなってしまった石だ。

 数学は、不思議な学問である。なにしろ、研究の対象は、この世の中のどこにもないのだ。3個のりんごや、3匹の象ならあっても、「3そのもの」は、どこにもない。数学は、存在すらしないものについての科学なのである。しかも、そのありもしないものについて、「正しく」推論することができる。

 美や善や宗教的な信念について、多様な価値観をぶつけ合う人類が、5+7=12であることについては、全会一致で合意する。人が人である限り、互いに手を取り合えるギリギリの場所。そこでくり広げられるのが、数学という営みなのだ。

 数学などという学問が、どうしてそもそも可能なのか。これが、私がぶつかってしまった「問題」である。この問いは、数学に限らず、「人が人である限り手を取り合える場所」がどこにあるのかという問題にも直結している。

 私はいま、特定の研究機関や大学などには所属していない。ただ、自分がぶつかった問題を究明するために、独立した研究者として生き続ける覚悟で「独立研究者」を名乗って活動している。ここでは、そんな私の日々の思索と、日常の風景が交わる場所から、少しずつ言葉と思考を紡いでいきたい。

 週に一度、半年にわたる、長くて短い旅が始まる。世界に慣れてしまうのではなく、世界から新鮮な意味を引き出すような、心躍る散歩(プロムナード)の時間を、みなさんと分かち合えたらと思う。

(独立研究者)

2017-07-27 網を語らず。

[]ネット社会考。 ネット社会考。を含むブックマーク ネット社会考。のブックマークコメント

日経プロムナード・森田真生さんの記事より。
数学や物理に通じた人には、評論家や作家も顔負けに言語表現に長けた人がたまにいる。
宮沢賢治の作話から、華厳仏教の例えに入り、その構造から現代のネット社会に言及する。

網をちぎって起点を定める。すると筋道だった論理が展開できる。
人は、論理を重ねて網を語ろうとする。しかし、論理を超えているからこそ、生きた網なのである。

現実社会の構造に、数学の一片の事実を見る。

ところが人は、つい関係の起点を探そうとする。
病気の本当の原因は何か。事故の究極の責任は誰にあるか。
あるがままの網をちぎって、ループをどこかで切断するのだ。

むしろほとんどのものが連環と繋がっていて、キチキチと分かりやすく腑分けしてしまえるものではない、ということだろう。
若き数学者の連載が楽しみだ。


インドラの網 森田真生

 先日、息子のために、家の中に小さなバスケットボールのゴールを設置した。背丈は70センチくらいで、1歳4カ月の息子でも背伸びをすれば届く程度だ。とはいえ、部屋にゴールが出来て喜んでいるのはむしろ私の方で、思わず夢中になって「シュート練習」を始めてしまう。

 2歳から10歳まで、私はアメリカシカゴ郊外で育った。その頃はマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズの全盛期で、NBAの試合の中継を見ながら、家にあった小さなゴールで、試合のハイライトを「再現」しながら遊んだ。あの頃から高校でバスケットボール部を引退するまで、いったいどれだけのシュートを打ってきたかわからない。

 私は黙々と、子どものために買ったゴールに向かう。ボールがゴールのネットを「シュパッ!」と揺らす瞬間の音が懐かしい。

 バスケットボールのゴールのネットは柔らかな紐(ひも)で出来ていて、ボールが通ると、すぐに網全体に力が伝わる。その力の伝わり方に応じて、網は少しずつ違った動きをするのだ。時間が経つと、ゴールのネットはちぎれてしまって、使い物にならなくなる。網は相互に繋(つな)がり合ってはじめて、力を生み出すことができるからである。

 互いに繋がり合うことで力を発揮する「網」は、世界の至るところに存在している。脳は、神経細胞が織りなす網だし、インターネットは、情報が行き交う網だ。

 宮沢賢治の短い童話に『インドラの網』というのがある。そのなかで、蜘蛛(くも)の糸よりも細く、菌糸より緻密な網が、空一面にかかって鮮やかな光を放っている様子を描く美しい場面がある。

 インドラとは、バラモン教ヒンドゥー教の勇猛な神の名で、インドラの網とは、この神の宮殿を飾る宝網である。この網の結び目の一つ一つには珠玉があって、互いに互いの光を映し合い、照らし合っているのだという。華厳仏経では、万物が互いに通じ合い、重々に響きあう様を説く比喩としてこの網が用いられるが、この世の実相に「網」の構造を見たのは、先人の深い知恵である。

 どんな網も、その結節点をたどっていくと、いくつもの閉じた「ループ」が見つかる。点Aの隣がBで、Bの隣がC、そのCの隣がAであれば、A、B、Cはループをなす。

 この世の多くの関係は網である。「AのおかげでBがあり、BのおかげでCがある。そのCがそもそもAを支えている」というようなループはいくらでもある。そうした「お互い様」の関係において、関係の「起点」は特定できない。

 ところが人は、つい関係の起点を探そうとする。病気の本当の原因は何か。事故の究極の責任は誰にあるか。あるがままの網をちぎって、ループをどこかで切断するのだ。

 ループを切断してしまえば、網は枝分かれした樹の構造になる。先のループをAでちぎれば、Aの下にBやCがぶら下がった樹のようになる。ここまでくれば、Aが起点で、BやCがその帰結だと言える。

 網をちぎって起点を定める。すると筋道だった論理が展開できる。人は、論理を重ねて網を語ろうとする。しかし、論理を超えているからこそ、生きた網なのである。

 「シュパッ!」――小さなゴールの網の響きを、確かめるようにまたシュートを放つ。

(独立研究者

2017-07-26 すべての価格へ。

[]忍び寄る波。 忍び寄る波。を含むブックマーク 忍び寄る波。のブックマークコメント

ITの将来性について、今ほど日々考えさせられる時代も珍しい。
人工知能が「チケットの売れ行きによって価格変動」をさせるという。
まあ需給のバランスがあってのことだからそれほど不思議はないのかもしれない。

でもかつては「ダフ屋」がやっていたチケットの高値売買を、今やコンピュータが自動的にやるということだ。

今は限定的な試みだが、いずれは「全イベントごと」に普及しそうな気配がする。

駐車場。
電車、航空路。
ホテル。

あらゆる"販売モノ"は、非常に短い単位で「価格の変動」にさらされるのがこれからの社会かもしれない。
細かく。
短く。

スイートルームが今なら3千円。
あと3分です。

究極のセールスとも言えそうだ。
自分たちは「需給の波」を泳いで行けるのだろうか。


チケット価格に変動制 AIが需給で値決め 三井物産、まずプロ野球

 人工知能(AI)を使って需給に応じてサービスの価格を変える仕組みが日本で始まる。三井物産がプロ野球やテーマパークなどのチケット価格を随時変動させるサービスを提供する。過去の実績を基に需要を予測して価格を変更し、興行主の収入を最大化する。AIではないものの、需給に合わせた値付けはホテル業界でも広がっている。日本になじみにくいといわれたサービス価格の変動制が浸透するかもしれない。

 5千円の指定席がきょうは4千円で明日は6千円――。三井物産はプロ野球のソフトバンクホークスヤクルトスワローズの主催試合の一部座席について、チケットを販売するぴあヤフーと共同で試験的に価格を変動させ始めた。球団から依頼を受けてデータ解析を施し、座席ごとに最適な価格帯を示している。

 欧米でチケットの価格変動サービスを手掛けるニュースター(バージニア州)と提携した。同社は米大リーグや米アメリカンフットボールNFLといったメジャースポーツのチケット価格を、機械学習を使ったアルゴリズム(計算手法)により算出している。

 過去3年分の販売実績のほかチームの現在の順位、ファンクラブの加入実績、試合の曜日や時間帯、季節などのデータを使うという。三井物産も同社のアルゴリズムを用いたシステムでチケット価格の情報を提供する。

 データを基に興行主の収入が最大化するように価格を設定する。人気の高い試合は販売価格を高くする。売れ行きが芳しくない場合、価格を下げて売れ残りを減らすように誘導して売り上げ増につなげる。

 プロ野球などのスポーツはシーズン開始前に決めた一律の価格でチケットを販売するケースが大半だ。曜日や対戦相手は開幕前でもわかるが、対戦する時点でのチームの順位や対戦相手の状況によって変化する需要を「時価」として反映させることはできず、これまで収入を得られる機会の損失を招いていた。

 三井物産は興行主の売り上げが増えた分の一部を手数料として徴収する成功報酬型の課金の仕組みも導入する。目に見える成果が出なければ費用負担を少なくできるため導入をためらう顧客を引き込めるとみている。

 今回の試験販売では必要に応じて1日1回価格を変更している。すでに販売を終えたチケットでは、発売後にいったん設定価格から値段が下がっていき、開催が近づくにつれて再び上がっていく傾向がみられたという。

 9月に長崎県ハウステンボスで開催する花火大会の座席販売でもサービスを提供する。2018年には新会社を設立し、コンサートやほかのスポーツイベントなどに対象を広げる計画。20年にエンターテインメント関連で約700万枚のチケット向けにデータを提供する規模にビジネスを伸ばしたい考えだ。

 あらゆるモノがネットにつながる「IoT」の普及も追い風となる。例えば駐車場の稼働状況をセンサーで感知し、その情報を随時、駐車料金に反映させることで収入を増やすことができる。不動産物流鉄道などの業界にこうしたビジネスを提案する。

 AIを使って価格を随時変動させる仕組みは米国でダイナミックプライシングと呼ばれ、スポーツや航空券などで導入されている。日本ではデータを基に自動的にその時点での最適価格に変更する仕組みは珍しい。

 AIではないが、ホテル業界では価格変動制が一般的だ。大手のアパグループは上限を設けた上で宿泊料金を自由に決める裁量を支配人に与え、需給に合わせた値付けをしている。航空券などでは閑散期や早期購入の際に割安で販売する手法も広がっている。

 価格がこまめに大きく変わる仕組みは日本の消費者になじまないと多くの企業は見てきた。平等を好む国民性が背景にあるとの指摘もある。野球チケットの取り組みは可変的な価格が広く受け入れられるかを検証する狙いもある。(堤正治)

ふぁうすとふぁうすと 2017/07/26 16:24 生きることが自己目的化するって当然のように思えてなかなか深いですねー

2017-07-25 生きることがリスクの時代。

[]さよならの覚悟。 さよならの覚悟。を含むブックマーク さよならの覚悟。のブックマークコメント

長生きするほど生きるためのリスクが高まる。

何のための長生きか、と。

生きることが例の"自己目的化"しているのだ。

こいつは、生きていく上ではある程度は必要だが「肥大化」してもらっては困る。
どこまでも生きたい生きたい、という気持ちはある程度で自分でケリをつけなきゃいかんと思う。
他人が「もういいでしょ」て言いにくいから。

医療費が増える一方なのも根っこはここにあると思う。
(行政の仕組みが、その制度設計を根本的にミスっているとも思うけれど)
自分についての判断を先送りして、ダラダラと政治に身を任せていては後世にも迷惑がかかるというもの。

あ。
ある程度で未練はたち切る、というのはどこか恋愛に似ている。


長寿化 変わる保険 来春にも料率改定、死亡リスクより「生きるリスク」

 今や人生80年とも90年ともいわれる長寿社会となった。それを受け、生命保険各社は来春にも保険料を改める。一定期間内に死亡した際に保険金を支払う定期型の保険料は下がる半面、病気にかかるリスクの高まりを反映して医療保障など生きるための保険料には上昇圧力がかかる。一方、契約者側も生存中のリスクに備える商品に軸足を移し始めている。生保も契約者も保険の損得勘定が問われる。(亀井勝司)

 保険会社は保険金支払いのデータなどに基づいて作る「標準生命表」を基準に保険料を決める。生命表はほぼ10年おきに見直され、今回の改定が2回目。現在の2007年版では40歳男性の場合、1000人いると年間1.48人が亡くなるとされる。来年4月に改定されるとこれが1.18人に下がる。改善幅が20%にものぼるのは「病気の早期発見など医療の進歩」(大手生保)の影響という。

死亡保障下げへ

 死亡率の低下は、保険会社が保険金を支払う確率の低下を意味する。日本、第一明治安田、住友の大手4社をはじめ生保各社は新規の契約者を対象に、死亡保障の保険料引き下げに向けて準備を始めている。

 計算上は、保障期間が10年間の定期死亡保険なら5〜10%ほど保険料が安くなる見通しだ。いつ死亡しても保険金が支払われる終身保険は引き下げ幅が1〜3%程度にとどまるとみられる。

 「保険=死亡への備え」とは限らない。長寿化に伴い、契約者側の意識や需要も変化してきている。

 生命保険文化センターが男性が加入している死亡保障の平均額を調べたところ、16年は1793万円だった。2382万円だった07年から25%減り、1996年に比べると33%も減った。共働き世帯が増え、少子化もあり、自らの死後に家族に残す保険の必要額は減ってきている。

 代わって需要が高まってきているのは、自らの病気やケガへの対処や、それで働けなくなった場合といった「生きている間の備え」だ。

医療型が伸びる

 生命保険協会によれば16年度の医療保険の新規加入契約数(355万件)は終身死亡保険(351万件)とほぼ同数だった。終身死亡保険は5年間で1%減だったが、がん保険は33%伸びた。

 平均余命が延び、高度医療の導入などで医療費は急増している。厚生労働省によると生涯医療費は06年度の2200万円から14年度は2600万円になった。病気やケガによって働けなくなる場合に収入を保障する保険も注目される。厚労省によると障害発生率は35〜44歳の男性で死亡率の8割程度、同年齢の女性は2倍を超えている。

 長生きするほど生きるためのリスクが高まる実態を映し、医療保険などの保険料は理屈上、高まる。だが医療保険は新規契約が見込める成長分野なだけに、生保各社がそろって値上げするとは考えにくい。生命保険協会の根岸秋男会長(明治安田生命保険社長)も「各社で対応がばらける可能性がある」とみる。

 生保各社にも契約者にも押し寄せる長寿化の波。生命表は、その現実を改めて数値で突きつける。改定は自らが必要とする備えについて考えるいい機会といえそうだ。

2017-07-24 生まれ変わる方法。

[]プロに接すること。 プロに接すること。を含むブックマーク プロに接すること。のブックマークコメント

できれば、特に社会人になってから「何かのプロ」に師事することを勧めたい。
習い事の多くはシングル世代から始めるものが多いけれど、それもいいが「四十の手習い」というものはなかなか味わいのあるものだ。

いやいや。
味わいというよりもっと深く勉強になると思う。

社会に出て、一通り仕事もこなすようになり、世間的には「一人前」となった後で。
再び「一からの自分」を演出できるのが四十の手習いなのだ。

やらないのは実にもったいないと思う。

一人前の経験と立場において、その自分が「まるで生まれ変わるように」入門者になる。
「その世界の中」では新生児の赤ちゃんみたいなものだ。

一人だ立つこともままならず。
少し目を離すと途端にアブないことをする。
けれどやればやっただけのリターンもあり、「そういうこと」は大人の方がよくわかっている。

大人と子供を両方経験するようなものが、大人の稽古なのだ。
しかもそれをいくつかやってみるのも面白そうだ。